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ダニエル・キイスと宇多田ヒカル

文藝春秋の2000年1月号に、ダニエル・キイスと宇多田ヒカルの対談記事が載っていた。小説と音楽・・・違う分野ではあるけれど作品を生み出すという共通性のある仕事をしている二人の対談で、とても面白かった。それにしても、72才のダニエル・キイスと16才の宇多田ヒカルが意気投合して同じレベルで話しをしていること自体がすごい。去年、一時期TVに出まくっていた時の宇多田ヒカルって、ごく普通の女の子だなあ〜って思ったけれど、とんでもない。創作活動をしているせいもあるだろうが、洞察力は深いし、非常に物事を真剣に考えている。やっぱりただものじゃない! と改めて感じた。

対談記事はどの部分も興味深かったが、中でも「感情の貯金」という言葉が印象的だった。二人の共通した意見で、「自分が経験したことを書くと、そのことに関する感情の記憶が無くなる」というような内容のことがあった。これは一般に言う「悲しい経験、辛い経験をした時は誰かに話すと少し楽になる」ということと、通じるところがあるように思う。それが彼らの場合は、人に語るのではなく、経験の記憶はあっても感情の記憶を喪失してしまうくらい自分の思いを作品に封じ込めているのだろう。ただ、感情を喪失した後どうするのかが二人で異なり、キイス氏の場合は、長い時間をかけて一つの仕事を終わらせると、それはもう終わったもの、去っていくものなのだという。宇多田ヒカルの場合は、曲を書いた後はしばらく何も感じなくなってしまうくらいに疲れてしまうが、自分が手放してしまった感情を取り戻したいから歌うのだという。作るだけだったら、感情の貯金が空になってしまう、だから自分には作るだけというのは考えられないと。

この対比は面白いなと思った。長い年月をかけて重ねてきた経験と育ててきた感情をすこしずつ吐き出しながらゆっくりと作品を作るキイス氏と比べると、宇多田ヒカルの若さで次々と曲を作り出すということは感情の貯金が減っていく一方なのは当然だろう。でもまだ若いんだし、これからも経験をどんどん積み重ねて、焦らなくていいからいい曲をたくさん作って欲しいなと思う。彼女は、「自分を取り戻すために歌うけれども、そのことによって、自分が元いた場所には戻らない」とも言っている。気持ちは変化していくものだ。過去の自分を振り返った時、少し違う視点から自分を見ることができるようになっている。これは多くの人が経験することではないだろうか。
一方キイス氏は、本当にゆっくりと作品を手がけておられる。小説では、長編「眠り姫」(1998年2月邦訳版発行)が今のところ最後に出た作品である。今は次の作品を頭の中で熟成させておられるのだろうか。前回も書いたので繰り返しになるが、次回作はどんな話になるのか、出版を楽しみにしている。

2000.1.8記


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