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生きている言葉
「超 むかつく」「超 かわいい」
いわゆる、今時の若者言葉の代表である。(いや、これでももうすでに古い?)
年配の方々にとってはは決して聞いていて気持ちの良い言葉とは言えないだろう。
確かに、今時の若い人たちがよく使う言葉というのはかなり限られていて、ボキャブラリーが非常に少なくなっているな、と感じることはよくある。
「言葉が乱れている」「最近の若者は正しい日本語を使っていない」という言葉も良く聞かれる。
しかし・・・・
私には、そう一方的に言いきってしまうことに少々抵抗を感じるのも事実である。
そもそも、「正しい日本語」とは何を基準にされているのだろう? 日本人が生れた時から言葉が不変であったはずはない。高校で古文を勉強するが、あえて教わらなければ意味が理解できないくらいに現代語とは異なるものである。その古文でも、平安時代の文章と、鎌倉時代の文章ではかなり雰囲気が違ってくる。現代に近いところではどうかといえば、例えば昭和の初めの頃に書かれた本を読んでいても、仮名遣いや表現が現代と異なることがあり、読むのに疲れてしまう。
中には、使われている言葉の意味が、自分の理解していた範囲では思いも寄らない意味だったりすることもある。
最近出会った見慣れない表現を、ここで2、3紹介したい。(これらを見慣れないと思うこと自体、私の日本語に対する知識が不足しているのかもしれないけれど、大目に見てください。)
1)気象が激しい
もちろん、個人の気質を指して文章の中で使われていた。
気象? これって気性の間違いじゃないの? 誤植かな、と思いながら読み進んでいくと、また同じ表現に出くわす。そこで初めて辞書を調べたところ、人の性質を表す言葉として、きちんと掲載されていた。ひとつ勉強になった。
2)牛耳を執る
現在では、「牛耳る」という表現が普通になっているが、おそらく「牛耳を執る」の牛耳が何時の間にか動詞形になったのだろうなと思った。なんだ、名詞が動詞化することって昔からあるんだな、と感じた一つの例である。そのうち「事故る」なんて言葉も市民権を得るようになるのだろうか。
3)併し
一瞬、何て読むの? と思ったが、文章の繋がりから「しかし」と読めた。つまり、逆説の意味で使われる接続詞。が、これは「併せて」と同じ字である。なぜ、逆説の意味で使われるこの言葉に「併」が使われているのか。と思っていたら、タイミング良く、ある雑誌のエッセイに、このことについて書かれていた。「併し」は「併しながら」が正式で、昔は、「以上のようなことを併せて」というような意味合いをもつ接続詞として使われていたらしい。これが逆説の意味になったり、「併し」と短くなったりしたのは明治以降ということだ。
これら以外にも、もともとの意味とは全く違う意味で使われている言葉などいくつもあるだろう。また、長かった言葉が何時の間にか短縮された例というのも・・・・・。
これだけ言葉が変わってきた中で、これから変わらないということはありえない。いや、むしろ、変化のスピードは早くなる一方なのかもしれない。
特に若者言葉というのは新しい言葉らしきものが次々に出てくるので、中にはあっという間に廃れ、死語になっていく言葉もあるだろう。けれど、中には定着し、後世に残っていく言葉もあるかもしれない。
とはいえ、私もいつのまにか30代も半ばに差し掛かってきて、さすがに現代の中高生とは全く違うジェネレーションになってきたなと感じる。冒頭の「超」のつく言葉なども、自分で積極的に使おうという気にはなかなかなれない。
それと一つ気になるのは、最初の方にも書いたように、表現する言葉の種類が少なくなってきつつあることだ。個人的には、若者同士、友達同士でくだけた言葉を使う分にはおおいに結構だと思うが、相手と場所と場合によってはきちんとした言葉づかいとしっかり使い分けてほしいと思う。器用な世代だから、きっとできるんじゃないかな、と感じるのだけれど・・・・。それができれば凄く「カッコイイ」のではないだろうか。
自分を振り返ると、文章を書いている時、語彙力のなさに情けなくなることがよくある。仕事柄、研究レポートを書く機会はかなりあるが、表現がだんだん同じようなものばかりになってくるのは悲しいものがある。
今、書いているこの文章のような時も、どういう言葉を使えば上手く表現できるだろうか、と考えながら持ち合わせの言葉を捜すが、なかなか思うような言葉が見つからず、歯がゆい思いをする。そんな時、辞書を開いたり、参考の為にいろんな書籍を読んだりすると、思いがけず素晴らしい表現に出会って本当に嬉しくなることがある。
過去、たくさんの言葉が生れ、そして消えていったのだろう。生れた言葉はすべて、人の思いを表現する役割を担ってきたはずである。自分の思いを少しでも適切に伝えるためには、先人の残してくれた素晴らしい言葉の力を借りることも決して悪くはない。現在使われているさまざまな言葉の中でもやがて消えゆく運命にあるものも出てくるだろう。しかし、表現の手段として、少しでも多くの言葉が後世に残ってくれたら・・・・と感じる。
若者を中心として新しい言葉が生れ、育つのは時代の流れだし、それはそれで認めて良いことだと思う。しかし、その一方でまた、消えてゆく言葉もあるのだということには、やはり多少なりとも寂しさを感じざるを得ない。
1999.8.1記
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