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変わりゆく言葉
国語が専門ではないから、単純に素人が興味を持っているだけではあるけど、言葉って本当に面白いものだなと思う。多くの熟語の場合、漢字がその意味を表していることが多いが、よく見ると漢字の意味と実際に使われている意味がちょっと違うものもあって、なぜぞうなっていったのか、という語源を探ったりするのも面白い。
ところで最近、「間違った使い方」としてよく指摘される言葉の一つに「全然」がある。
これは本来、「全然 〜でない」というように否定の形で用いられるべきものであるが、最近はそうでない使い方が多く見受けられるようになってきた。
例えば「全然平気」「全然大丈夫」など。時には、「全然おいしい」「全然〜できる」といった使い方も良く耳にする。
こういった使用法は、今現在、正しい日本語と考えられてはいない。だが、私自身、すでに違和感なく聞こえるものもいくつかある。基本的に言葉とは時代の流れと共に変わっていくものだから、こういった使い方を目くじら立てて否定しようとは思わない。ただし、TVやラジオのアナウンサーや、新聞、週刊誌の記事等、公共の場所で言葉を発するまたは掲載する場合には、その言葉が今現在の時点で「正しい日本語として認められているかどうか」に気を配るべきだろう。
私は国語の専門家ではないけれど、ここで「全然」という言葉がどのようにして変わってきたのかをちょっとだけ考察してみたい。あくまで素人の推測の域を出ないので、まったく的外れのことを書いているかもしれないけれどその点はお許しください。まず、耳から聞いた個人的な感覚で、違和感がないものから順に並べてみると
(1)全然楽しくない
(2)全然違う
(3)全然平気、全然大丈夫
(4)全然おいしい
となる。自分の感覚で違和感なく聞けるのは(3)まで。(4)になるとちょっとなあ〜、という感じになる。もちろんこれには個人差はあるだろう。本来の使い方は(1)のように語尾に否定の言葉が入るものだ。(2)あたりが微妙なところに位置している。おそらくこの付近が「全然」の使い方が多様化したポイントではないだろうか。
というのも日本語では、否定の意味を込めて「違う」という言葉を使うことがあるからだ。
「あなたは学生ですか?」「いいえ、違います」
ここでの「違う」は、英語なら "No, I'm not"というようにnotの意味を含んでいる。
一方、「AはBと違う」という表現もある。ここでの「違う」は、"be different" の意味で使われており、否定の意味合いは何もない。
以上のようなことから、最初は否定の意味を含む「違う」にだけ「全然」が使われていたのが、次第に否定でない「違う」にも使用されるようになった。そしてやがては否定ではない他の使い方が広がっていった・・・・とは考えられないだろうか。
いずれにしても、上記(1)〜(3)の使用法の中では、「全然」という言葉は、英語で言うところの"Completely"、"Perfectly"のように、「完全に」「100%」といった意味を込めて使う。ところが(4)になると、この意味合いからもずれてくる。実際に使われている場面のことを思い起こせば、「AはBよりも全然おいしい」というように、比較を表して使われることが多いように思う。つまり正しく表現すれば「断然」を使うべき所である。
このような「全然」の変化が、今後、どこへ行くのかは分からない。少なくとも今、現在の時点で「正しい」日本語と認識されているのは(1)だけ、もしくは(1)と、否定の意味を含むときの(2)だが、将来的には変わっていくのではないかな、という気がする。
この「全然」と同じように、従来の使用法と変わってしまった言葉の例はある。例えば、「とても」という言葉。
現在は「非常に」という意味で使う場合と「とても〜ない」という否定形で使う場合の両方が普通になっているが明治時代は否定形でしか使われていなかった。否定でない使い方が出始めた時は、「これは間違った使い方だ。けしからん」という議論が起こったということだ。でも結局は流れを止めることができなかったのは現在の事実が示しているとおりである。
また、以前にも別のページで書いたが、従来の使われ方と意味が変わってしまったのが「しかし」。これは、「しかしながら(併し乍ら)」が正確で、江戸時代には「以上のことを併せて」という意味で使われていたのが、明治になって逆接の意味で使うようになったということ。今では本来の漢字が持つ意味とずれてしまったためか、旧仮名遣いの「併し」って普通は漢字で書くことはない(IMEではちゃんと変換するけど)。
ついでながら、使用法について目に付いた言葉をもう一つ・・・・。
それは、「いまだに」。「いま」という響きが「今」と混同しやすいが、「いまだに」は「未だに」であって「今だに」ではない。漢字を見れば分かるように、「未だに〜ない」というように、やはり否定で用いるのが本来の用法だったろう。一方、「ずっと変化していない」という意味で「未だに〜している」のような使い方もする。辞書で調べてみると「未だに〜している」という使い方もちゃんと記されている。「まだ」という言葉も同様で、漢字では「未だ」だが辞書で調べると「まだ〜している」という使い方も確かにある。多分、最初は、「未だに〜している」「未だ〜している」という、否定でない使い方は、その内容に何か未熟な事柄を含む時に限られていたのではなかろうか。それが、次第に拡大した意味で使われるようになっていったと考えることはできないだろうか・・・・。これもあくまで素人の推測に過ぎないけれど、このようにいろんな言葉の辿ってきた道について思いを巡らすのは楽しい。
自分が小さい頃に教えられてきた日本語が変化していくのは少々淋しいと思う時もある。いつの時代も若い人を中心に新しい言葉が次々と生まれてくる。だが一時的な流行りだけで消えていく言葉は消えていくのだろうし、残るものは残るべくして残るだろう。
よく、「日本語は曖昧だ」といわれる。その曖昧さが変化を生み、新しい言葉の意味が生まれてきたのではないか・・・・。似たような意味を表す言葉が多ければ多いほど、文章を書いたり、話をする時の表現の幅が広がる・・・・。なんだか最近、そんな気がしてきた。
2000.2.4 記
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