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「循環型社会」って・・・・
社会全体で環境問題への関心が高まる中、「循環型社会の構築を」という言葉が良く聞かれるようになった。今年4月から、容器包装リサイクル法の対象が広がり、社会全体がリサイクル社会へと少しずつ変化して来ている・・・・ように、一見して思える。でも果たして本当にそうなのだろうか・・・・。私は、無機材料の研究開発に携わっており、最近では、廃棄物や不要物の再資源化の仕事とも無縁ではない。時として、本当の循環型社会って何なのだろう・・・と考えさせられることがよくある。
人間は、生きている限りは、自然界から必ず資源やエネルギーを獲得し、形を変えて生活の中で使用し、最終的には廃棄する。社会生活を送って行く上で、このことは決して避けて通ることができない。それでも人間社会がまだ小さかった頃は、排出される廃棄物の種類も量もさほど多くはなく、自然生態系の循環の中で十分処理されていた。しかし人間社会の肥大化と産業革命以降の技術革新により、社会生活の中で使用する資源やエネルギーは急激に増加し、それに伴って排出される廃棄物の種類や量も膨大なものとなった。これはもはや自然生態系の物質循環の中で処理できる量をはるかに超えている。私たちが今後も持続可能な社会を目指したいのなら、物質の循環を自然の摂理だけに任せるのではなく、積極的に物質循環型の社会を築いて行かなければならない。
循環型社会を築くための3つのRとして、Reduse、Reuse、Recycleの3つをよく耳にする。これは優先順位の高い順に並んでいると思える。Reduce・・・まず減らすこと・・・資源の投入はなるべく少ないに越したことはない。Reuse・・・できるだけ何回も使うこと・・・一升瓶やビール瓶のように。そして最後にどうしようもなくなったときの最終手段がRecycleである。今現在の容器包装リサイクル法による資源の回収では、いくら分別して集めたところで、それらの資源が新たに使われる先が確保されない限り循環が成り立たず、ゴミとして行き止まってしまう。結局は最初のReduseを最優先させ資源の投入量を減らさなければ本当の意味での解決にはならないと思う・・・・。
3年前から先行してこの法律の対象となっていたペットボトルは繊維に利用されている。最近では短繊維だけでなく長繊維をつくることに成功したらしく、衣料品だけでなくカーテンやベッドカバーなどの製品も作られはじめた。しかし、カーテンひとつに使われるペットボトルは4〜5個、作業着の場合は2個。・・・・国内で消費されているペットボトルの量を考えると、衣料品やカーテンがとてもそれに見合った再利用先になるとは思えない。用途先が確保されないまま山積みされている回収ペットボトルはすでに全国各地にある。要するにペットボトルはペットボトルには戻せないので本当の意味のリサイクルにはならないのだ。アルミ缶の場合は6割くらいは缶の材料として戻っているがスチール缶の場合は材質の関係上二度と缶には戻せないらしい。
それでもプラスチック(熱硬化性を除く)や金属は、その材料そのものを熔かし直せば何らかの原料にはなる。無機材料の中でもガラスは同じく熔かすことで新たなものを造れる。では陶磁器をはじめとするセラミックスはどうか。陶磁器は粘土や陶石を原料とし焼いて作られるが、焼く前と焼いたあとではまったく別物である。例えば磁器の場合、原料中の主な組成はは珪石と粘土と長石。一旦焼いたら珪石は一部残るがあとはガラスとムライトに変化し、元には戻せない。資源として私たちが使用している可塑性粘土は、地球が何万年という長い時間をかけて創り出してくれた贈り物である。これを一旦焼いたら再び粘土に戻すことはできないのだ。最近では人工粘土の開発もされているが、まだ値段が非常に高く実用的ではない。尤も、陶磁器をはじめとする多くの無機材料は、ペットボトルや缶と違って、「一度使ったら捨てられる」ことはまずない。この点に関しては材料としてのメリットは大きいと思える。
無機系廃材の再利用法としてよく行われるのが、新たな材料への転換である。これは私の場合も例外ではなく、不要物を利用して、有用なほかの材料が作れないか・・・ということをここ何年も念頭において仕事に取り組んできた。
最近、ガラスや陶磁器のような無機系廃材を粉砕し再資源化して作ったタイルや建材、透水性の歩道など開発しているメーカーも増えてきている。まだ従来品より割高になるが、公共工事などでは少しずつ利用されはじめてきた。もちろん、何もしないで埋め立て処分場行きになるよりは、廃棄材料の延命措置をとったということで、ある程度は評価できるだろう。かなり多くの種類の廃棄物が、建材として生まれ変わることで存在価値を見出そうとしている。けど、最近感じることは、廃材を利用して造られた何かが、再び廃棄物になった時のことまで考えて作られているかどうか・・・・ということ。廃物を利用して作られた新しい材料は、さまざまな添加物を投入して固めてある場合も多く、次に廃棄物となった時の再利用はますます困難そうである。このあたりが耐久性のある材料の難しいところで、最終的には埋め立てされるしかないということになる。
タイルや衛生陶器で有名なINAXに、石田秀輝さんという研究所長さんがいらっしゃる。個人的に研究者としてとても崇拝している方だ。何年も前になるが、この石田さんの講演会で、モノづくりを進めて行く中で、原料の投入から製造工程、使用後廃棄されるときの全てにおいて、いかに地球への負担を少なくするか、ということがいかに大切か、ということを説かれたのがとても印象に残っている。当たり前といえば当たり前のことなのだろうけど・・・。そんなINAXで近年開発されたある建材は、通常の焼き物のような「焼く」という工程を経ずに、代りに水熱(=蒸し焼き)で作られている。これだと従来よりずっと低い温度で製造できるので排熱を有効利用することも可能で、素材の土が自ら持つ機能も損なわれない。しかもこの建材を使った室内では、エアコンの使用量が非常に少なくて済むらしい。また使用後、廃棄物となった時にも自然に還せる。石田さんがよく言われるキーワードとして、「自然のすごさを賢く生かす」という言葉がある。まさにモノづくりを行う立場の人間として正しい方向性だと思う。3月に、常滑市のINAXの工場を訪問する機会があったが、従業員の一人一人が廃物再利用をはじめとして環境に対して非常に高い意識を持っていたのにはとても感心したものだった。
先週、高知で行われたある国際会議に上司が出席した。会議から持ち帰られた資料の中のひとつに、東京工業大学の吉村昌弘先生が、「熱をかけて力任せでモノづくりをする時代は終わった」というような内容の記事を書かれていた。資源を、単なる材料のひとつとしてしか捉えないのではなく、素材そのものが持っている機能を上手く引き出してやることの大切さ・・・。そしてトータルでの環境への負荷を考えてモノづくりを行うこと大切さ・・・。最近では大学に、企業に、このような考え方の方が増えてきてとても心強く感じる。
結局、真の「循環型社会」というのは、物質の循環が、途切れることなく繋がって行かなければ成り立たないのだ。最終処分するしかない行き止まりのゴミが生じれば、そこで循環は終わる。
こうして考えると、地球上すべての生き物が参加し、自然の営みの中で成り立っていた生態系のバランスというものが、いかに巧妙で素晴らしいものなのかということを改めて感じざるをえない。とはいっても、人間社会が成り立って行くためには、自然から採取した資源を何らかのモノに変えて行くのを止めるわけには行かない。少しでも長く、社会を持続させるためには、自然界から搾取する資源をいかに減らし、物質循環をいかに長く続けることができるか・・・にかかっていると思える。
無機材料を扱う研究者の一人として、真の循環を作り出して行くことの難しさを感じると共に、これから自分には何ができるのか・・・今後の研究の方向性も含めてもっともっと考えなければならないと、切に感じている。
2000.8.5記
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