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(4/12)発表
昨日は東野圭吾さんに新刊『黒笑小説』のインタビューだったのだが、出かけようとした寸前に学童保育クラブから電話があった。子供が熱を出してお弁当を戻してしまったという。
えーっ。
それは困った。
なんとかやりくりして家を出られたのが予定時刻ぎりぎり。インタビューだから遅れるわけにはいかず、ひやひやした。幸い東野さんの到着までは余裕があり、体勢を整えてインタビューに臨むことができた。『黒笑小説』、小説すばる掲載時に読んだ人なら判ると思うが、結構洒落のきつい短篇集である。作家志望者で心臓の弱い人などは心して読んだ方がいいと思う。東野さんがセルフプロデュースされたという表紙と帯のデザインを見せてもらったが、三秒ぐらい絶句した。これ、文芸書棚に本当に並ぶんですか? 刺激が強くていいっすね。
夜は吉川英治文学賞の授賞式で、新人賞を獲られた恩田さんにお会いすべく出かけたかったのだが断念。先日の本屋大賞のときも行けなかったから、ファン失格というものである。
というわけで、この賞に期待。第58回日本推理作家協会賞の候補作が公開解禁になったので書いておきます。
(長編および連作短編集部門)
『イニシエーション・ラブ』乾くるみ
『Q&A』恩田陸
『硝子のハンマー』貴志祐介
『剣と薔薇の夏』戸松淳矩
『追憶のかけら』貫井徳郎
(短篇部門)
「大松鮨の奇妙な客」蒼井上鷹(小説推理12月号)
「東山殿御庭」朝松健(『黒い遊園地』光文社)
「お母さまのロシアのスープ」荻原浩(小説新潮12月号)
「虚空楽園」朱川湊人(小説推理11月号)
「二つの鍵」三雲岳斗(ジャーロ16号)
(評論その他の部門)
『ゴシックハート』高原英理
『子不語の夢』浜田雄介篇乱歩蔵びらき委員会(晧星社)
『不時着』日高恒太郎(新人物往来社)
『ミステリアス・ジャム・セッション』村上貴史(早川書房)
『探偵小説と日本近代』吉田司雄編(青弓社)
いずれも五十音順で敬称略。
以前にこの日記で長編および連作短篇集部門の候補作クイズをやったのだけど、全部正解した人は残念ながらいませんでした。三つ正解まではあったのですけどね。今度は三賞の受賞作予想クイズをやってみましょうか。三賞とも正解の方には何か記念品を差し上げます。応募はこちらまで。あてずっぽうではなくて、一応理由も書いてくださいね。
最終選考会は5月24日(火)午後3時から。同日6時から記者会見の予定です。
(4/14)朝の光の中を帰宅していく
次号の「ダ・ヴィンチ」で3つインタビューを担当したのだが、それを昨日から今日にかけて全部入稿した。福井晴敏特集のロングインタビューと、『稀覯人の不思議』の二階堂黎人さんインタビュー、そして『黒笑小説』の東野圭吾さんインタビュー。ずっと籠もって仕事をしていたので、本当に夜勤明けの気分である。このうち福井さんインタビューはお話をうかがった後スタッフ一同で打ち上げだったのだが、よく考えると福井さんにご馳走になってしまったのではないかという気がする。お礼を言いそびれてしまった。あのときはご馳走さまでした(福井さんは見ていないと思うけど)。ちなみに男子4名女子3名という顔ぶれで行った店は、福井さんが子供の頃から通っているというトンカツ屋だった。そこでメニューを見ながら「グラタンもおいしそうですねー」などと一同が言っている間に福井さんは「ここはギトギトと脂ぎったものが旨いんです」と1人で注文を済ませてしまったのであった。男らしいぜ、福井晴敏。そしてその言葉の通り、ギトギトと脂ぎったものが旨い店であった。浅草に行くことがあったら、また覗いてみよう。
「夜勤明け」状態に加えてもう一つ嬉しいことが。国税の還付金が戻ってきたのだ。これで国民健康保険と地方税が払えます。小学校に上がった子供の体操服も、ピアニカも(今は鍵盤つきハーモニカというらしい)も買えます。
なんとなく解放感があるのだが、それは一時的なものにすぎないので明日からも仕事である。でも子供と散歩に行くぐらいの時間の余裕はできた。よかったよかった。
今日買った本:ダーティ松本『私説エロマンガエロ劇画激闘史 エロ魂! 第1巻黎明編』
ダーティ松本は、いわゆるエロ劇画の書き手の中でも特異な存在だった。10代のころはその特異性の意味がわからなかったが、長じて次第に理解できるようになった。ダーティ松本の作品には明らかにフェティシズムがあったのである。これはダーティ松本の自伝漫画なのだが、ジェイムズ・ハドリイ・チェイス『ミス・ブランディッシの蘭』についての言及があるなど、権力や暴力装置の存在を背景に成立するフェティシズムへの傾倒が明らかにされている。70年代のマンガ創作側の証言としても興味深く、エロ劇画に関心がない人にもお薦め。しかしながら本書の続篇はなんらかの事情によって刊行が不可能になったらしく、2巻についてはCD-Rの形で通信販売が行われている。この1巻に関してもそちらで取り扱われていて、増ページやカラー化などのおまけがついているようなので、それで読める人は最初から電子媒体で読んだほうがいいかも。
(4/18)靖国神社奉納プロレス
プロレスにまったく関心のない人はごめんなさい。最近、気にしていながらうっかり行き損ねてしまったイベントに、4月10日の靖国神社奉納プロレスがある。毎年春に奉納相撲が行われることで知られる同社だが、プロレス興行は力道山の時代から40年ぶりだとか。私はそうした境内で行われる興行というものに関心があるのでぜひ見物したかったのだが、所用で果たせずに終わった。
興行については半年以上前から開催意図が記者会見などで報告されていたのだが、あまり話題にならずに終わったのは開催場所がそういうところだったからだろう。興行当日は朝日新聞だかテレビ朝日だかも取材に来ていたというが、どのように報じられたかは確認し忘れてしまった。実はこの興行に対して、某団体からクレームがついていたらしい。興行の母体となるZERO ONE(いろいろあって現在は名称にMAXがついている)というプロレス団体が催している大会に、その抗議団体メンバーがやって来て、観衆を前に開催撤回を訴えていたようなのである。らしいとか、ようなのであるとかあやふやな書き方で申し訳ないのだけど、ニュースソースがプロレス専門誌だけなので仕方ないのである。その記事を見ながら、あれあれ困ったことになったなと思っていたら、ついにその団体から中国拳法の使い手という人が出てきて、ZERO ONEの浪口修という若手レスラーと遺恨試合をするというところにまで話は進んでしまった。
ここで今さらプロレスの虚構性について触れるつもりはないが、プロレス興行が100パーセントの真実のみで進められているわけではなく、常にいくばくかの虚構がその中に盛り込まれていることはファンなら誰もが承知している事実である。そのさじ加減が一見の客や関心のない人にはわかりにくいため、プロレスファンは他人と興趣を共有することができず、孤立してしまうのだ。逆に言うと、その呼吸を飲み込んでしまえば、これほど楽しい娯楽もないのですけどね。で、気になるのはZERO ONEに乗り込んできた王拳聖という拳法家の虚構性はどのくらいのものだったのかということなのです。名前だけ見ると、フィクションの臭いがぷんぷんするのだけど、民族活動家が偽名を名乗ってはいけないという法律もないので(マルコムXを見よ)。それはとりあえず措いておいてもいいです。
結局この王拳聖という人は何試合かを浪口修とやって、いずれもKO勝利を収めていたのである。その決着戦が10日の興行で行われたのだ。王はなんと酔拳を繰り出して浪口を追いつめたという。しかしながら波口はその攻撃を耐えきり、1R3分19秒逆エビ固めによって逆転勝利。リングの上では王と浪口がお互いの健闘を讃え合い、今後は共闘することも示唆したというのだ。
あえて言う。なんたる茶番だ。しかしその茶番と、今ニュースで報道されている現実とをぜひ比較してみてほしいのです。いや、あれは本当に現実なんですかね。目の前の暴徒が他国の国旗を燃やしている事態を警察官が傍観するような報道を、私は現実のものとは信じたくないのですが。茶番の美しさが現実を凌駕する稀有な瞬間を、あの日の靖国神社境内にいた観客は目撃したわけである。茶番を堂々と演じた人々に私は拍手を送りたいと思う。
現在かの地に滞在されている邦人の方のご無事を祈念申し上げます。そしてこのことによって両国の関係が悪化することがないよう、理性をもって事態を見守っていきたいと思います。
本日の再読本:河合純枝『地下のベルリン』

ベルリン市の地下には、第二次世界大戦の爪痕が深く刻み込まれているという。総統地下壕などの旧第三帝国による建造物や、窓が一つもないところから「Uボート」と呼ばれたホーエンシェーンハウゼンの特殊収容所などの東ドイツの遺構。豊富な写真とともにそれらの訪問記を綴ったエッセイである。ベルリン市の地下遺構保存に対する態度には大いに共感した。
(4/19)春なのに晩秋の夜寒
京都のミネルヴァ書房の編集者であるMさんが東京にいらっしゃったので、昨日お会いした。わざわざ拙宅近くまでお越しいただき、ありがとうございました。恵比寿駅近辺の画廊を兼ねた喫茶店にご案内したのだが、そこはよく考えるとホテル街の真ん中を突っ切っていく場所なのである。近道をして路地を抜けようとしたら、ますます怪しいところに出てしまい冷や汗をかいた(Mさんは女性です)。
Mさんが担当したエリザベス・ボウエン短篇集の第2弾『幸せな秋の野原』のことは以前にも書いたが、前集の『あの薔薇を見てよ』がどちらかといえば少女小説の性質を持つ作品を多く集めていたのに対し、本集では比較的上の世代の主人公が登場する作品が多い。「そしてチャールズと暮らした」とかね、ぞくっとしますよ。超自然の怖さではなくて、人間が潜在的に抱えている悪意の存在をそれとなく知らされることによって感じる恐怖。性差を前提にした読書というのにはあまり関心がないが、この作品に限っていえば男女で受け止め方が違うのではないかと感じた。恩田陸さんや角田光代さんのファンの方が読むとどういう印象を受けるのだろうか。
本日の購入本:睦月影郎『追憶の真夜中日記〜24年間の記録』
通常このサイトでは18歳未満禁止のサイトや商品は紹介しないことにしているのだが、この作品だけは別。これは当代随一の官能作家である睦月さんが、1981年から4年間に行った自慰の記録集なのである。本当にそのことだけしか書かれていない稀有な本だ。たしか以前に別の著書にも同様の記録が付されていたことがあったと記憶するが(書名は失念)、その完全版ということなのだろうか。自慰の対象には、アイドルや女優のほか、睦月さんのお友達の名前も挙がっている。すごいぞ睦月影郎!
補足:ある方から教えていただいた。同様の記録が付録になっているのは『哀しき性的少年』(二見書房)だった。
そちらは98年までの記録である。
(4/22)思いもよらなかった技法を米光さんが駆使していた
私は感動しました。なにに感動したかというと、米光一成さんが「本の雑誌」5月号に書かれた書評に、である。
米光さんはこの号で、佐藤幹夫『自閉症裁判』を採り上げている。ご存じの通りこの本は、「レッサーパンダ帽の男」による短大生刺殺事件の裁判を扱ったノンフィクションである。佐藤はこの裁判で隠蔽された事実を明らかにし、それが隠蔽されるという社会の傾向に疑義を呈している(詳しくは米光さんの書評でお読みいただくか、現物をあたってください)。ノンフィクションとしては非常な力作であり、問題作であることは間違いない。だが私が感動したというのは、米光さんが紹介した本の内容ではないのである。米光さんの技法だ。
もちろん米光さんの書評は表面的ではなく、問題の深奥に切り込み、問題意識に自分を預けた、真摯な姿勢のものである。そのことはまず断わっておきたい。それでもなおかつ内容ではなく「技法」に感動したというのは、私自身が書評ライターでもあるからだろう。あえて言うならば、書評の魂は「技法」なのだ。
米光さんの書評の持ち味は、軽快な味にある。物事の本質を見抜きながらあえてそれを柔らかく書く技術こそが真髄である。そうした書評芸の方が、『自閉症裁判』という重いテーマの本に取り組んだとき、本来の持ち味が失われることにならないか、本に足をとられて浮ついた文章になりはしないか、そこがもっともご本人の悩まれたことなのではないかと思う。少なくとも私はこうした本の書評をする場合、その点にもっとも留意する。だいたいこの本は、採り上げるだけでも誰かを傷つけてしまう可能性があるものなのだ。とてもではないが、軽快に書き抜けることができるはずない。
米光さんはこう書いた。ここ、あまりに素晴らしいので長いけど引用させてください。引用せずに感動を伝える手段がないもので。
――だが、大勢の人に読んでもらいたい本だから、がんばって書いている。いつもの軽い文体で紹介することが、どうしてもできなかったのは、修行不足だ。悔しい。ぜひ読んで観てください。
さて、切り替える。
さて、切り替える。
一行では切り替えられなかったので二行同じことを書いてしまったが、ここからは、にゃーにゃー途中で猫の鳴き声が挿入されるぐらいのいいかげんな文体でいきますにゃー。
「一行では切り替えられなかったので二行同じことを書いてしまった」! ああ、そうか、こんな書き方があるんだ。この誠実さが判ってもらえるだろうか。米光さんは書評の前半部であえて自分を捨てた。自分のスタイルに固執することよりも、題材となった本の内容とその本の持つ真剣な姿勢を伝えることを優先したのだ。そして後半ではいつものスタイルに戻した。そのつなぎ目が「二行同じことを書いてしまった」なのである。前半と後半が完全に切れていることを示すために。どちらかが不真面目なわけではない。前半も後半も、書評者としては至って真剣なのである。真剣なのである。ああ、私も二回同じことを書いてしまった。ちなみに『自閉症裁判』の後に採り上げられたのは本田透『電波男』である。この落差が素晴らしいにゃー。
昨日は池袋にて講師の日。講義修了後、深更まで飲んでしまう(杉江松恋は反省しる!)。ごめんなさい。
しばらく放置していたココログの方に奈良崎コロスケさん『ミミスマ』の書評をアップしました。ココログは発表するあてのない書評を置いておく場所に特化する予定です。トラックバックなどはご自由にどうぞ。こちらの日記をblog化する予定はありません。あと2005年度の仕事リストも更新しました。
今夜は学童保育クラブの保護者会に出席予定。また金髪は私一人なのだろうか。
(4/23)布団を干しても花粉が気にならなくなってきた
保護者会に行ってきました。金髪は私一人でした。まあ、何人も金髪お父さんがいるよりはいいや。ははは。お名前からするとスペインかメキシコ系と思われる方がいたのだが、その方は黒髪でした。保護者会の後、父母会。前者は学童保育クラブの職員主催で後者は親の主催。このクラブでは、子供の親は必ず何かの係を担当しなければいけないことになっているのだが、私は渉外担当になった。教育関係の連絡協議会が毎月開催されるので、それに交替で出席してくるというのが仕事だ。ええ、行ってきますとも。金髪でよければ。
連休前の〆切ラッシュが一段落したので、来週はあまり予定を入れていない。というより「プロジェクト荒木町もういっちょ」に本腰を入れるべきときが来たのである。さすがにもう後がない。来週のうちに編集者と打ち合わせをして、スケジュールを決めなければ。最初から仕事の中身を洗いなおさないといけない。他のことに邪魔されずにすむ時間と、何も置いてない広い机が必要だ。前者は確保できそうなので後者を準備しなければ。というわけで、今日は部屋と机のお片づけである。
昨日購入した本:田中圭一『死ぬかと思ったH』
漫画の神様といえば手塚治虫だが、拙宅にはその手塚作品よりも手塚作品のパロディ書きである田中圭一作品の方が多いことが判った。ということは手塚作品をまったく持っていないということなのだが。『死ぬかと思ったH』は人気シリーズ『死ぬかと思った』の番外編で、投稿を元にした実話マンガということになる。しかしまあ、そこはそれで田中圭一作品なので、おそらく実話よりもお下劣度は増しているはず。知らない人のために説明しておくと、田中圭一は手塚治虫のタッチを使ってまったくオリジナルのお下劣マンガを書くという(パロディというより清水義範のパスティーシュに近い)特異な作家である。この本は十八禁ではないけど、下品なものが好きではない人にはお薦めしません。