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(2/1)うつし世も夢

 昨日は家から一歩も出ずに仕事をしていた。こう書くと非常に勤勉な印象を与えると思うので訂正する。要するに座って本を読んでいただけである。正確には、確定申告の準備のために領収書をいじるなどの雑用もしていたが。あとは眠っていたのである。その睡眠について。

 この欄の記述でもたびたび書いているが、私の脳には夢を記憶しておくという機能が欠落しているか、もしくは著しく退化しつつあるようである。起きてから人に話せるような夢というものをほとんど見ないのだ。夢を見ない脳、というような劇的な代物がこの平凡な頭蓋骨(少し大きいが)に詰まっているとも思えないので、たぶん単に忘れているのだろう。最近は覚醒時の記憶力も極めて衰えてきている。睡眠時の記憶のみがその代償としてフル回転しているとしたら、かえって損をした気分になるだろうから、夢の記憶などは別になくてもいい。

 ところが昨日「もし夢を覚えていたら」と味気なく思うような事態が出来したのである。昼過ぎに仮眠から目覚めてぼんやりしているとき、なぜか頭に「快楽亭ブラック師匠にお詫びの電話をしなければ」という考えが浮かんだ。なぜ詫びなければならないかというと、「師匠の独演会の前説をすっぽかしてしまったから」である。

 混乱を避けるために書いておくが、私は快楽亭ブラックその人とはまったく面識がない。芸を観たことはあるし、好きな芸人の一人ではあるが、熱狂的なファンでもない。強いてつながりを挙げるとしたら、ブラック師匠の口演の音源保存を進めておられる、官能小説家の安達遥さんと面識があるくらいだ。つまりこれは夢の名残りなのである。おそらくは夢で「快楽亭ブラック師匠の独演会で前説を頼まれたが、すっぽかしてしまった」という夢を見たのだろう(だいたい独演会なのに「前説」を頼まれるという点に整合性がない。「前座」ならわかるが)。夢自体は記憶していないが、そういうことがあったという記憶のみ残り、現実の出来事と混同してしまったのである。師匠に対してたいへんすまない思いがしたので、念のためスケジュールを記したカレンダーを確かめてしまったほどだ。前説を頼まれたというメモはどこにもなかった(あたりまえだ)。だいたいなぜ私が芸人のように前説を頼まれないといけないのか。

 まあ、夢は夢なのでどうでもいいのだが、困ったのはその後である。記憶(模造の)によると、ブラック師匠(当然架空の)は会場に現れなかった私(夢の中の)を慮り、最初から前説がいなかったようにして独演会を済ませたのである。そしてお客さんには口止めをし、自身のブログに「独演会に杉江松恋が前説で現われ、これこれこういうネタを振って客席を温めてくれた」との虚偽の記述を上げて、私が業界でしくじらないようにしてくださったのだ。いや、なんの業界なのかは知りませんが。

 繰り返すが、これはあくまで私の頭に夢の残滓が働きかけて生成した模造記憶である。ブラック師匠のブログは実在するが、たしかめにいかないように。いや、ブログを見に行ってもいいのだけど、そういう記述はありません、念のため(たしかめました)。そういうことまでしれくれたんだ師匠は、と私がかってに感謝しただけのことです。

 私が知りたいのは夢の中で自分が振ったらしいネタが何かということである。客席を沸かせ、快楽亭ブラック師匠にも感銘を与えたネタがどんなものだったのか、知りたいじゃありませんか。夢の記憶がない以上、それを知ることは永遠にできない。こんなことならすっぽかすんじゃなかった、と反省しても睡眠中の出来事なのでなんにもならないのである。




(2/2)オヤグランジ

 起床したら、ラクダの下着の上下というコントの酔っ払いオヤジのようなかっこうで寝ていたことが判明。昨日は酔っ払って帰ってきたので、寒かったんだろうなあ。今はその上にボロのネルシャツを重ね着しています。半分グランジで半分オヤジ。

 ここ数日は、本格ミステリ大賞の予選委員会の準備に没頭している。原書房の「本格ミステリ・ベスト10」の1位だった『乱鴉の島』は、有栖川有栖さんの作品の中ではそれほど〈本格度〉が高くない作品だと思うので、これで大賞というのはどうかな、とか、道尾秀介さんだったら『シャドウ』よりも『骸の爪』を候補作にすべきなんじゃないかな、とか、あれこれ考えながら本を読んでいる。ちなみに今年の選考委員は、辻真先さん、戸川安宣さん、黒崎緑さん、村上貴史さん、私、という顔ぶれだ。うーん、本の好みがわからない方がいるので、選考会の票読みが難しい。




(2/6)今まで仕事をさぼって『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』を見ていた私です

 二月三日に洗濯物を干している最中、妙な姿勢になってしまい、背中の筋を違えてしまった(断じて四十肩ではないです)。おかげで、膏薬のお世話になることに。湿布臭い中で毎日仕事をしております。早いところ時間を作って鍼を打ってもらいに行かなければ。

 二月四日は本格ミステリ大賞の予備選考会。創作部門五作、評論・研究部門四作が無事決定した。この選考会に出るのは二度目だ。昨年は創作部門の第5席を決める際に揉めた。二作のうちどちらを残す、という段階で票が割れたためだ。今年も同じような展開になり、議論は白熱、意外な形の幕切れとなった。詳細は、本格ミステリ作家クラブから正式な発表があった後に。それにしても創作部門はおもしろいラインアップになった。この五作を予想できる人は、そう多くないんじゃないのではないかと思う。我こそは、という人は予想のメールをください。五作全部正解した方に、なにかいいものを差し上げます。

(追記)
 さきほど本格ミステリ作家クラブの事務局から一斉同報でメールがあり、候補作の告知が行われたことが確認できた。その文面で「各位の媒体・HP等でのご紹介は、明7日以降にしていただきますよう、ご配慮ください」とあるんだけど、これって7日午前0時からってことでしょうか。本日(6日)に投函された速報ハガキで本会員・賛助会員にまず連絡したい云々と書いてあるところを見ると、ハガキ到着後にしてもらいたいという意向も読み取れるのだけど。でも「以降」だからなあ。では、まあなんとなく適当に7日のどこかで告知することにします。先に書いた予想メールはそのときが〆切ということで。



(2/7)7回本格ミステリ大賞候補作決定

 それぞれ、以下の通りでした。敬称略で。

(小説部門)
『顔のない敵』石持浅海(光文社)
『シャドウ』道尾秀介(東京創元社)
『邪魅の雫』京極夏彦(講談社)
『樹霊』鳥飼否宇(東京創元社)
『時を巡る肖像』柄刀一(実業之日本社)

(評論・研究部門)
『刑事コロンボ完全捜査記録』町田暁雄監修(宝島社)
『戦後創成期ミステリ日記』紀田順一郎(松籟社)
『探偵小説と記号的人物』笠井潔(東京創元社)
『論理の蜘蛛の巣の中で』巽昌章(講談社)

 予想がすべて当たった方はいらっしゃいましたか。

 評論・研究部門は波乱もなくすぐ決まったのだけど、揉めたのは小説部門。実は予選委員の一人がよんどころない事情で欠席されたため、四人での選考会となり、最後の一冊を決める際、完全に票が割れてしまったのである。二対二の膠着状態のまま、時間は過ぎていく。昨年も同じように最後の一冊で揉めたが、あのときはまだ五人揃っていた。偶数は駄目ですね、偶数は。結局、お休みをされた方に電話をかけて確認してはどうかという話になり、立ち会い執行委員が携帯電話に連絡を。呼び出されるほうもたまったものではないと思う。いきなり電話がかかってきたかと思ったら「『○○』と『●●』のどちらかを選ぶかで票が真っ二つに割れているんです。判断はもう××さんにお任せします!」って言われるんだから。そんなキャスティングボート、握りたくないものである。ところがさすがは予選委員、作品名を二つ聞くと、間髪入れずに「その二作なら『●●』ですね」というお答えが。よかった、よかった。会議室で睨めっこをしたまま夜になっちゃうかと思ったですよ。

 そんなわけで候補作が決まりました。会員による投票〆切は5月7日、公開開票は同11日に行われます。どんな作品が選ばれるのか、楽しみにお待ちください。




(2/8)盗作の帰結

 たぶんネット上ではすでに話題になっているのだと思うが、電子書籍の盗作事件があった。盗作というか剽窃というか、他人の作品をタイトルごといただいてきて自分の名前で発表したというのだから、略奪と呼んでいいかもしれない。被害にあった作家さんは複数いるが、版元であるでじたる書房が明らかにしているのは今のところ安達瑶さんのお名前のみである。安達さんは剽窃された自作についての検証サイトを作っておられるので参考にされたい。他の作家の名前が表に出ていないのは、剽窃元の版元との賠償交渉などがあるのかもしれない。とりあえず今後に注目していくつもりである。

 私は安達さんと個人的に面識がある。問題の発覚からの経緯を傍観してきたが、上記の検証サイトを立ち上げたり、でじたる書房との交渉に時間を割かれたりするなど、本来被害者であるはずの安達さんの側に大きな負担が強いられているのが現状である。でじたる書房はそれなりに誠実に事態の収拾に努めているようだが、安達さんに非常に済まないことをしてしまったという現実を重く受け止めてもらいたい。

 本件でもっとも問題なのは、でじたる書房側に剽窃行為をチェックする機能が備わっていなかった点だ。18歳と自称する同人作家が、文体の異なる複数の作品(剽窃元が違うのだから当然)を課金システムにアップできるというのは、過程において版元の査読が行われていないということを意味する。つまり編集者が不在である、ということだ。サイトを見た限りでは、でじたる書房は電子出版のエージェント業務にも意欲を示している。その版元が、こんな初歩的な剽窃行為さえ摘発できない貧弱な態勢であるというのは、持ち込みをかける作家志望者に対する裏切り行為だ。配信されているコンテンツのリストを見ると、私がお名前を存じ上げている方もすでに作品提供されているようだ。だからというのではないが「しっかりしろよ、本当に」とでじたる書房には申し上げたいのだ。

 剽窃の再発防止策として、でじたる書房は、以下の三策を挙げている。

1)販売登録者に対する注意を一層行うとともに、弊社においても販売作品の「タイトル」についてネット検索を行うなどのチェック体制を構築してまいります。
2)全作品につきまして、盗作が無いかどうかのチェックを行います。
3)本人確認体制の確立を行います。


1)については、今までやっていなかったのかと驚かされた。しかし「タイトル」検索だけでは不十分だ。「タイトル」を変えられてしまった場合にはどうするのか。

2)については、すでにアップ済みの作品についての対策として読んだ。これも今までチェックしていなかったのか、という疑問が生じる。ただし「チェック体制」を細かく公表するわけにはいかないだろうから(それは逆に剽窃に挑戦する愉快犯を呼ぶことになりかねない)、サイト上では発表の限界がある。ただし、剽窃された被害者である作家や版元にはきちんとした説明が必要だろう。再発防止が確認されるまで、決着すべきではない。

3)についてだが、ネット上のみのやりとりでライター「登録」をこの版元が行っていることは理解した。本人性の確認はもちろんだが、違反行為に対する罰則を含む出版「契約」を個別に締結する必要があるのではないか。極端なことを言えば、今回のような剽窃行為が発覚した際、版元から著者に対して損害賠償請求が行える旨の条項があってもいいと考える。自己表現を希望する人間は、まず他人の表現に対する敬意を払わなければならない。剽窃は基本の基本ともいえる禁止行為だ。しかし、それをしてはいけないという認識の薄い人までが市場に入りこんできているのである。版元には表現者の資格を選別する義務がある。きちんと「質」のコントロールをしてください。

 今回の出来事は全面的にでじたる書房側の落ち度である。しかし版元側の本音をいえば、「とんでもないことに巻き込まれてしまった」という被害者意識もあるはずだ。私も気の毒には思うが、ここで誠実な対応をとらなければ、今後、利用者の信用を失うことになる。たいへんかと思いますが、誠意ある対応をとるようお願いいたします。




(2/9)本日は「河豚(ふく)の日」

 昨日は都内某所にて永瀬隼介さんにお会いしてきた。光文社から出る新刊『誓いの夏から』についてのインタビューである。『誓いの夏から』は、古典的なハードボイルド図式に則った佳品。登場人物の少年が、いかにも童貞っぽくていいと思いました。永瀬さんといえば格闘小説『ポリスマン』の著書がある。その中でロシア人の最強格闘家が敵役として出てくるのだが、アレクサンドル・カレリンをモデルにしているとしか思えない怪物ぶりなのだ。せっかくの機会なので、確認してみた。やはりそのとおりで、あの小説で唯一の実在の人物をモデルにしたキャラクターなのだとか。疑問が氷解してすっきりした。

「ミステリーズ!」最新号到着。「路地裏の迷宮踏査」は、今回トマス・フラナガンについて。また、創元推理文庫『目くらましの道』の見本もいただく。ヘニング・マンケルのCWAゴールドダガー受賞作である。私が書いた解説には、おまけとしてクルト・ヴァランダー・シリーズ警察官リストがついています。シリーズを途中から読み始める人も、このリストがあればキャラクターのプロフィールがすぐにわかります。活用してくださいな。




(2/10)招かれて勝負

 えー、本日は池袋コミュニティカレッジで社長こと豊崎由美さんが主宰している「書評の愉悦」講座にゲスト参加してきます。ゲストはこれが三回目。この講座は、匿名で提出した課題を受講生が評価して書評王を決めるという形式をとっており、前回、前々回はそれぞれ書評王、次点という成績でした。今回はあまり自信がないので、出席が憂鬱なのですが、それでも行くんだって!(サムライ・シロー調で)

 昨日入手した「野性時代」を呼んでびっくり。この雑誌の編集部は、角川書店「青春文学大賞」の企画チームを兼ねていて、ほぼ毎号大賞についての編集者覆面座談会が載っている。それぞれ本誌編集長、犬、猿、虎といったコードネームを名乗っていて、編集長も含めてだいたい誰が誰だかは推測がつく。結構毎回興味深く読んでいたのだが、今月号は大波乱があった。虎氏が賞のシステムに関する、かなり本質的な批判発言をしているではないですか。

虎 (前略)あと、読者投票を受け付けるにあたって、最終候補に残った3作品はネットで無料で読めるシステムになっているじゃないですか。これが大賞受賞作の単行本の読者層を減らす一因になっているとは考えませんでしたか?

 これに対して編集長が「でも、この賞を運営するにあたって、選考過程に読者に参加してもらうというイベント性を演出したかったから、こういった方法をとったんだ」、犬氏が「でも、「野性時代」に掲載された作品を読んだ、もしくはネットにアップされた作品を読んだっていう読者でも、その作品が気に入れば、単行本になったら、手元に残したいと思って買うんじゃないですか?」と反論するのだけど、虎氏は「それはどうかなあ。編集者の願望かも」と一刀両断し、さらに正面突破の正論で追撃。

虎「毎月これだけ多くの小説が書籍として刊行されているわけだから、一度無料で読んだ作品っていうのは、優先順位がどうやっても下るでしょ。ましてや、まだ知名度の低い新人の作品なんだから、読者の目は次の新しいものに向きがちだと思うんだ」

 そしてついに編集長、犬、猿の三氏が全員企画チームを辞め、虎氏を中心とした新体制が発足してしまうのである。すごいなあ。

 旧体制の三氏は「野性時代」編集部から異動になるようなので、これはその人事を前提とした「シナリオ」のある戦いなのかもしれない。でも、座談会で話されている内容は極めてガチンコだ。これがいわゆる「底が丸見えの底無し沼」というやつなのですね、I編集長!(注:T編集長とは昨年末に亡くなった、元「週刊ファイト」編集長・井上義啓さん。あなたがいなくて淋しいですよ)

 というわけで何やら不穏なことになった青春文学大賞の今後に期待だ。ちなみに第四回の応募はこれからだから、新体制の選考形式に興味がある方は一度応募してみたらいいんだって!




(2/10)天に唾するとはこのことだ

 昨日の「書評の愉悦」講座は惨敗でございました。こういうのを馬群に消えるというんですな。また精進して出直します。課題作はシルヴィー・ジェルマンの『マグヌス』で、この小説を「小説すばる」誌上で評するという仮定条件で書いてみたのですが(字数も同誌の書評に合わせてみた)本の魅力を十全に伝えきれなかった。自分に負けたっす。

 昨日も書いたように、この講座では匿名で提出された各人の書評をめいめいで採点し、点数の高いものを書評王認定するという形式をとっている。「いい書評」の基準といってもまちまちだろうが、こういう場合の私の採点基準は以下の通りだ。

1)その書評を読んで本に関心が持てるか

(悪い例)

「自分語り書評」評者の恋愛観とか政治観がほとんどで、本の内容がよくわからない。政治評論家の書評に多いタイプ。
「だしにする書評」「自分語り書評」に似ているのだが、本よりも自分の言いたいことが優先されていて、結論が自分よりにねじ曲げられている書評。どんな本を取り上げても同じ結論であるとか。

「アイドル書評」おまえは何か、文壇のアイドルになったつもりか」と言いたくなる書評、読んだことありませんか。「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか」と言ったのは前田日明さんですが、「●●なら何をやっても」と言いたくなるほどの書評。
「お腹一杯書評」書評を読むと本を読んだ気になってしまって逆に購買意欲を削ぐ。私もよくやってしまうので気をつけています。もっとも、書評を独自の文芸ジャンルとしてとらえると、本とは独立した書評もありうるので、一概にこれが悪いとも言えない。良い例が、実際の本よりも書評の方が百倍おもしろいこともある吉田豪さんだ。

2)読者を惹きつける、いい文章で書いてあるか。
 これには引用の巧拙も含まれる。本文中のいい文章を抜き出すのも、書評子の腕の一つだ。

(悪い例)

「滴々書評」「〜的」を多用しすぎる書評。「経済的効果」とか「法的制裁」といった具合に書き換えが難しい「〜的」成語も多いと思うのだが、すでに成立してしまっている用語を用いず、ほのめかし、言い換え、象徴化など、独自の表現によって柔らかく文章を書くことは重要だと思うのです。似たような例に「〜性」を多用する「清々書評」がある。
「素材そのまま書評」引用はもちろん文意を変えないようにそのまま抜き出すことが必要なのだが、引用箇所によっては「かいつまんで」引くことが必要になることもある。それが苦手なのか、とにかくだらだらと引用する書評。字数の無駄だ。
「言ってないよ書評」引用が間違っている。主人公の言葉でない台詞を主人公のものとして抜いたり、一登場人物の台詞にすぎない事柄を作者のテーマのように誇大に扱ってみたり。

3)内容のまとめは正確であるか。
 あらすじ紹介や、作者・書誌データなど、必要な情報を盛り込むことも含む。

(悪い例)

「ネタばらし書評」言わずとしれた、ミステリーの場合は致命的な瑕となる問題書評。小林信彦さんが「ミステリーの紹介は本文六十ページ以降のあらすじを明かすべきではない」と書かれていたことがあった(出典は忘れました)。そのころのミステリーは二百ページ以下の分量だったので、私はこれを「あらすじ紹介は全体の三分の一弱に留める」という規則として受け止めている。普通は四〜五分の一くらいしか書かない。

「団の面目丸つぶれ書評」主流文学の紹介などの際には、あえてネタの一部を明かしても踏み込んで書く場合がある。そうしないと、作者の狙いを紹介しきれないからだ。そういうときにはやむなくネタばらしを行うが、素材に敬意を払って書く必要がある。それをしていない無神経なネタばらし書評。「こんな結論しか書けないんだったら、図々しくネタばらしなんかするなよ!」と言いたくなる書評は、商業誌でもときどき見かける。
「嘘八百書評」クリントン大統領在任中に見た書評で、ヒラリー・ウォーを女性と勘違いしたものがあってびっくりしたことがある。嘘を書くと、読者に信頼されなくなる。商業誌にはそのために校閲というものがあるのだが、その校閲の網をかいくぐって間違いは入り込む。でもそれは校閲者のせいではなくて書評子自身の責任だ。私もよく間違いを犯すので、気がついたときにはぜひ教えてください。
「誤読書評」明らかに誤読だなあ、と感じる書評は案外多いものです。しかし、独立した文芸としての書評は「意図的な誤読」を行うことがあるので、悪いとばかりは言えない。

4)媒体の読者にマッチした書評になっているか。
 たとえばファッション雑誌に硬い本を取り上げたり、逆に文芸誌にサブカルチャーのエッセイ本を紹介したりする際には、故意犯としての覚悟がいる。

(悪い例)

「マイブーム書評」昔「新世紀エヴァンゲリオン」が社会現象になっていたころは、あらゆる作品を「エヴァ」経由で解釈する書評が見られた。なにしろ杉作J太郎さんまではまっていたみたいだからなあ。記名原稿なら別にこれをやってもいいのだけど、連載の寿命を縮める可能性があることも忘れずに。
「おもねり書評」逆に読者におもねりすぎて、なんだか気持ち悪いことになっている書評。80年代の雑誌によくあった「ナウなヤングのための」文化欄を思い出していただければいいかと。雑誌「egg」に、非常に小さいスペースの書評欄があるのだけど、私はあれが好きである。どんな人が書いているのか知らないが、なんだか独立独歩だ。

5)オリジナリティはあるか。
 同じ本を採り上げても評者が代わるとこんなに見方が違うんだ、というような読みのオリジナリティから、文体のオリジナリティまで、とにかく評者の「色」が出ているかどうか。丸谷才一さんのおっしゃる「ちょっと気取って書く」はここに該当すると思う。

(悪い例)

「コピーキャット書評」猿真似書評。本人は気づいていないが意見そのものが誰かの影響を受けたコピーになっていることもある。
「クリシェ書評」最終段落にオピニオンを書く書評は多いが、そこがありきたりなクリシェになっているもの。新聞・雑誌などの比較的講読年齢層が高い媒体の書評を読むと「いくらオヤジ媒体でも自分までオヤジになるなよ」というものを多々見かける。かしこまって書くと、クリシェを招くんだよね。
「によれば書評」学術書の書評に多い、「何々によれば」と他人の意見を引用して終わる書評。正確を期すという意味で誠実とは思うが、つまらないのである。書誌情報など、データを示すことに終始する書評は、このグループには入らない。データ紹介に徹することもオリジナリティの出し方の一つだろう。

 こんな感じかな。以上の五つの点が満足されていれば、評者と読みの好みが合わなくても、私は「いい書評」と考えることにしているのです。




(2/12)盗作のロンド

 昨日は都内某所にて法事。住職が光明真言を唱えている間中、境内で鴉が鳴くやらさかりのついた猫が媚声を上げるやら子供が笑うやらたいへんな騒ぎであった。窓の向こうを新幹線が通っていくし。

 2月8日に報告した、でじたる書房登録者による盗作事件について、著者の安達瑶さんを含む関係者6名と、でじたる書房の経営母体であるメディアネット代表取締役近藤氏との事情聴取会が行われたという。安達Bさん(〈安達瑶〉は安達B・安達Oのご両名による合作筆名)から転載許可をいただいたので、報告いたします(原文ママ、敬称略)。

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日時:2007210日午後四時より
場所:新宿紀伊国屋本店近くの某コーヒーショップ

(質問)=安達を含む今回の件の関係者総勢6名側による質問
(解答)=でじたる書房の経営母体、メディアネット代表取締役近藤氏による解答

(質問)登録され販売されたファイルの内容は確認しているのか?
(解答)公序良俗に反する内容がないか、つまり人を誹謗していないか、アダルトな表現がないかは確認している。著作権は著者に帰属するのでチェックはしていない。

(質問)綾波美夏の、でじたる書房へのライター登録の日時は?
(解答)20069月。

(質問)自称18歳の女子高校生が(数ヶ月という)短期間に20タイトル以上もの官能小説を登録したことに疑問は持たなかったのか?
(解答)担当の者がおかしいとは思った。

(質問)「担当の者」とはでじたる書房の店長小西氏のことか?
(解答)そうです。

(質問)自称十八歳の女子高生が成人向けの小説をでじたる書房を通じて登録、公表することに問題があるとは思わなかったのか?
(解答)それはライター登録に関する規約を読まなければわからない。

(質問)ライター登録に関する規約は開示してもらえるのか?
(解答)開示はするが、規約を持って来ていないので今は確認できない。

(質問)未成年者でも保護者の同意なしにライター登録が可能なのか?
(解答)それも規約が今手元にないのでわからない。

(質問)ライター登録にあたり住所・氏名・電話番号の記入は必須の項目なのか?
(解答)規約が今手元にないのでわからない。現場のことは担当の者が知っている。

(質問)担当の者とは小西氏のことか?
(解答)そうです。

(質問)小西氏はなぜ今日来ていないのか?
(解答)疲れて来られない。今回のことで相当参っている。

(質問)こちらは(連絡のつくかぎりの利害)関係者六名が時間を調整し出向いて来ているのに、そちらで準備するべき資料が用意されておらず、現場の事情を知る担当者すら現れず、結果として交渉が全然進まないことについてはどう思うのか?
(解答)悪いと思う。

(質問)綾波美夏による著作権侵害について、でじたる書房として警察に被害届を出す意志はあるのか?

(解答)流れを見て、今日の結果を踏まえて、必要と判断すれば。
(質問BY安達B)以上の内容についてネットに書いてもかまわないか?

(解答)かまわない。でじたる書房としては名誉が傷つくことに関しては致命的と考えていない。

(質問BY安達B)探偵ファイル関係者から今回の件に関し取材依頼を受けているが、承諾してもかまわないか?
(解答)かまわない。探偵ファイルがどういうものか知らない。
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 お読みいただいてわかるとおり、現時点では「誠意ある対応」とは言いがたいことになっています。でじたる書房さん(というかメディアネットさん)しっかりしなさいよ。

 RSSを見た限り、私のサイトには表現者を志す人に多数訪問していただいているようだ。最近では自費出版・協力出版などにまつわるトラブルも多くなっており、それらが必ずしも効果的なデビュー手段ではないことは周知されてきていると思う。出版希望者が自腹を切ってやることを、止めだてする権利は誰にもない。ただ、無意味な出費には気をつけて、と思うだけのことである。

 それら印刷物による出版に比べ、電子出版は初期費用がかからないなど、利用者のハードルが低い手段である。しかしご契約は慎重に。自作が刊行されるという喜びに紛れ、見落としていることはないだろうか。たとえば、自著が出るまでの手続きがあまりにもスムースだったので「こんなものなのかな」と意外に感じられはしなかったですか。編集者からのアドバイスは適切だったでしょうか。刊行されたものを読み返してみて、目につく誤植を発見するようなことがあったのではないですか。幸せな本というのは、執筆者と、編集者を中心としたスタッフの二人三脚で生み出されるものである。スタッフの態度に不実を感じたら、そのときにはすぐに企画自体を白紙に戻すことを検討した方がいい。勇気のいることではあるが、大事なことです。

 くり返しになるが、でじたる書房さんが、表現者の気持ちを裏切らない、誠意ある版元であることを願います。どうかこの一件に関しては迅速なご対応を。




(2/13)拙宅のご厚意ですが

 本日は拙宅に取材に来られる方があるため、朝からてんてこまいしている。取材するのにも準備がいるが、取材されるのにも準備がいるもの。インタビューなどでお世話になっている皆様、いつもありがとうございます。そういえば「インタビュー代は十万円以上」と連載誌上で明言された大作家もいたっけ。たしかに時給換算で考えれば、そのくらいは請求してもいいかも……その某作家さんクラスであれば。私などはせいぜいマクドナルドの時給くらいが関の山だけど。

 そんなわけで週の頭ながら慌しく時間は過ぎていくのであった。お待たせしている編集者の皆様、すいません。この取材が終わったらとっとと片付けますので、今しばらくのご猶予をお願いします。




(2/14)これがまさかの大虐殺

 昨日の取材は、小学館さんでした。『名探偵コナン』の簡装版コミック(というのかな。カバーのないバージョン)に収録する、おまけコーナーに出たのである。おかげで全巻を読み返す必要があり、結構たいへんでした。いただいたバックナンバーを見ると、このコーナーには通常もっと知名度が高い(そして被写体としても価値の高い)方が登場し、作品への熱い思いを語るというような内容になっていた。ちなみに手元にある二冊では和希沙也さんと小林恵美さんが登場している。こんなの私が出てよろしいんでしょうか、と編集の方にお聞きしたところ、今回はミステリー・マニア代表ということなのでいいんです、というお答えである。そうか、そういう立場なのか。

 コミックのおまけコーナーというと、昔ジャンプコミックの巻末についていた見開き二ページのものを思い出す。ジャイアント馬場とかアントニオ猪木とか上田馬之助とか、えーとプロレスラーの名前しか浮かんでこないけど、とにかく各界の著名人がその作品を読んだ感想を述べるという欄だった。ちなみに永井豪さん不朽の名作『ハレンチ学園』のゲストは毎号教育評論家の阿部進だったはず。ビバ、カバゴン! あれはいつごろまであったのかな。今調べて驚いたのだが『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のコミックには、平成に入ってもコーナーが継続されているようである。

 あ、まあ、そういうわけで取材を受けたわけです。ミステリー・マニア代表としての意見を淡々と述べておりますので、どこかの店頭で見かけたら手にとってやってください。たぶん書棚など、拙宅の写真も掲載されていると思います。取材にお越しいただいた皆様、お疲れさまでした。




(2/15)扁桃腺が腫れてるってさ

 昨日、花粉症が始まったなあと思っていたら、なぜか熱が急上昇していた。いつの間にかウイルス性の風邪を引いていたらしい。一回休みのつもりで2030分に就寝した。といっても私は普段から寝るのが早く、22時台にはだいたい布団に入ってしまう。そして1時から2時の間に目が覚めるのだ。睡眠が3時間以上持続しないのである。兼業でライターをやっていた会社員時代に、あまり長時間眠らない生活を送っていた。その習慣が体に染みついてしまったのではないだろうかと思う。本日も0時過ぎにいったん目が覚めたのだが、治癒のため強引に二度寝。結局四時まで浅い眠りながらも布団の中にいることに成功した。なんとか熱も下ったかな。

 一昨日書店に行った際、読売新聞社発行の「本のとびら」というフリーマガジンを入手した。「ミステリーブックフェア2007特集号」と銘打った号である。巻頭は推協理事長の大沢在昌さんと真鍋かをりさんの対談。真鍋さんはそつのない話しぶりで破綻がなく、対談としては逆に物足りない。なにしろお薦めの四作が『永遠の仔』『さまよう刃』『理由』『火車』だからなあ。ここにいきなり『痙攣的』なんかが入っていたら幻想も膨らむのだけど。

 冊子の巻末にPublishers Weekly編集長のサラ・ネルソンによる「アメリカ出版事情」という連載コラムがあり、今回はかの地におけるミステリー出版事情について述べられていた。いわく「出版業界は過密状態で、それが業界全体に混乱をきたしている」「新進作家で純粋なミステリー作家と呼べる人はあまりいない」というような状態だとか。日本とあまり変わらないじゃん。そこから本の翻訳権を買って日本に持ってくるのだから、翻訳ミステリーが玉石混交の供給過多状態になるのはある程度やむをえないことなのかもしれない。



(2/16)楽書き

 昨日は池袋コミュニティカレッジの「ミステリーの書き方」講座。

 この講座は「楽しく」「楽をして」書くという内容で、「崇高な作家精神を持った人が自分に厳しく」「心身ともに自分を磨きながら」書かないとミステリーは書けない、という考え方にささやかながら叛旗を翻すつもりでやっている。「ミステリー小説の書き方」本をいろいろ調べてわかったことは「心構え」と「普段の努力」に過半のページ数を割いている教本が非常に多いということだった。あと、現実の警察捜査はこうなっている、というような「専門知識」をたくさん教えてくれる本も多かったな。最初に講師の仕事を受けたとき、その三つについては取り扱わないことにした。「心構え」って、教わって身につくものではない(本当に小説を書こうという気構えがあれば、講座に来なくてもその人は書くだろうと思う)。「普段の努力」は当然しないといけないけど、それができないから講座に来ているわけだ。努力の仕方がわからないから。そんな人に「努力しろ」というのは、間違った精神論だと思っている。また、「専門知識」を身につけることより、お話の組み立て方を覚えることの方が先である。間違った箇所なんか、後から直せばいいのだし。

 そんなわけで、楽しく楽をしてとにかく書く、ということを講座ではやっているのである。心構えは教えられないが、手先の技術を教えることはできる。たとえば、犯人指摘の鍵となる伏線は、小説のどこに埋めたらいいのか、とか。普段から努力して考えていないとたぶんいいトリックは思い浮ばないが、トリックのストックが無い状態からでもお話を組み立てていくことはできる。意外と簡単である。お話が組みあがっていれば、合わせるべきトリックも自然と思いつくものなのである。思いつかなかったら、そのお話をミステリーにしないという選択肢だってある。いいじゃん、別に。ミステリーじゃなくて「ミステリーぽい話」たって。そんなことより一篇のお話を自分の手で書き上げられたという満足感の方が大事だ。お話を書くことの楽しさを実感できれば、また次も書いてみようという気になるというものである。

 講座はそんな感じです。以前ある方から質問を受けたので、書いてみました。クビにならなければ、四月以降も継続の予定だ。




(2/19)自己批判の覚書

 このごろ恥ずかしいから止めようとしているものに「私も含めて反省」文章がある。これ、説明しないでもわかりますよね。あることについて苦言を呈した後で、思い出したように「もちろん私自身例外ではない」と自分をその大多数の中に含め「今後は気をつけたい」とか殊勝に落とす文章。「私も人のことを言えた義理ではないが」も同様だ。

 何かを言ったとき、「お前もな」と返される危険は常にある。しかし、それを回避するために、最初から逃げた姿勢の文章を書くというのは、卑怯な上に間違ったやり口である。なぜ間違っているのかというと、自分についての反省を書く文章というのは「自分語り」=エッセイなのだから、その中で他の人を啓蒙しようなどと最初から考えてはいけないのである。「オデ、反省」と書きたければ、徹頭徹尾自らの醜い姿を書けばよく、他人を巻きこんではいけない。また、不特定多数の読者に対して警鐘を鳴らそうとして書く文章は「データに基づく文章」=コラムであって、そこに語り手の特殊な事情が入りこむ余地はない。コラムにおいては、視点の中心にいる自分が間違っているかもしれないという不安を文章に持ちこまず、完全に自己を疎外して問題提起すべきなのである。そんなわけで以降私は、自分がいかに頭が悪くて物知らずで軽率で視野が狭くて差別意識に汚染されていて自分本位で不徳漢で卑怯で修正主義者で嘘つきで恥知らずで偏向した政治意識の持ち主で文章が下手かと感じても「もちろん私自身例外ではない」などと書かないことにします。厳しく見てやってください。




(2/20)くまかかか

 今月号の「問題小説」は、第五回「このミステリーがすごい!」大賞優秀作の『シャトゥーン』と高城高『X橋付近』について書いた。前者は、ご存じ熊ミステリー。期待に違わぬ熊大暴れ小説である。受賞後に改稿して刈り込んだとのことで、おそらく構成も密度を増しているのだろう。これはもう続篇を書いてもらうしかないな。次作では被害者側(つまり食われる連中)にバリエーションを持たせてもいいかも。真っ先に食われるのは、あれだな、バンガローを抜け出して乳繰り合っている不快なティーンエイジャーがいいや。

『X橋付近』は荒蝦夷という地方出版社から刊行されたものだ。大薮春彦・河野典生と並びハードボイルド三羽烏と称された高城だが、中央文壇とはまったく交わらず自己の文体を精錬することに専念した。新聞記者との兼業だったため活動期間は短かったが、作家としては極めて高い境地に上りつめていたのである。短篇集を読まれる方は、アメリカン・ハードボイルド作家の影響を受けた前期のスケッチ文体と、純度を増して抑制・省略の技法が冴えた後期の文体の違いにも注目されたい。まったくすごい作家がいたものだ。

 余談になるが、奥付に記された高城の略歴を見て驚かされた。高城は新聞社からある企業のトップへと転身している。どうもそれは、私が以前在籍していた会社が技術研究の委託をしていた会社ではないかと思うのである。思わぬところに縁があったものだ。




(2/21)昨日と来月の多士済々

 廣澤吉泰さんに教えていただいた。ミステリーの老舗ファンクラブであるSRの会が五十五周年を迎える。来る三月十八日(日)に、東京・渋谷において記念大会が催されるのだそうだ。イベントとして紀田順一郎さんの講演会と、道尾秀介さん・米澤穂信さんの対談が予定されている。詳しくはこちら。非会員でも参加可能だそうなので、日程が合えば私も行ってみたいと思います。近所だし。いろいろと濃い顔ぶれに会えそうである。

 昨日は都内某所において業界の偉い方が集まられるイベントに参加。末席を汚してきた。短い時間であったが小鷹信光さんとお話する機会があり、光栄でございました。小鷹さんの訳された『悪党パーカー/人狩り』を、私は一巻まるまる書き写したことがあるんですよ。

 本日はもろもろの所用にてもろもろ忙しく、夕刻になってようやく落ち着く。先日の『名探偵コナン』付録のインタビューゲラが到着。『コナン』全巻とともに微笑む写真が可笑しい。





(2/22)よりどり

 ミステリー小説を読み、自分なりの評価をくだす。そんなことをもう十年以上(個人的に読書ノートをつけていたころからするともう三十年近く)続けている。その過程において蓄積してきた評価結果が、商業文章を書く際の基準になっているわけである。

 評価の仕方は、単一ではない。ミステリーという小説の枠内では「謎解きの面では見るべきものはないが、冒険小説として読めば優れている」とか「ややアンフェアであるがサスペンスを醸成する雰囲気がいい」といった具合に、サブジャンルごとの評価軸を頭に入れ、この小説はどの面で評価すべきかということを考えるわけである。また「ミステリーとしては平凡だが、成長小説としておもしろい」といった具合に、他ジャンル、主流文学との交通を考えた評価の仕方もありうる。作家の数だけ作品の戦略のバリエーションはありうるのだから、読む側の都合で窮屈な評価を下しては失礼というものだ。ただし恋愛小説なら恋愛小説、青春小説なら青春小説の本流というものがあるわけで、そこと照らし合わせて作品を評価しなければならない。ミステリー読みがミステリーしか読んでいないのでは、公正な書評は書けないのである(当たり前のことだが)。

 今も一冊の本を読み終えて、これはどんな評価軸に照らし合わせてみても駄作と言うしかない、と結論したばかり。あれこれ頭を使ってみたが、徒労であった。疲れるなあ。口直しに『人類の月着陸はあったんだ論』を読む。非常にまっとうな主張の本で、心が和んだ。





(2/23)でじたる書房その後

 電子書籍・電子出版エージェントの「でじたる書房」サイトにおいて、安達瑶さん他の作品が盗作被害にあった件について、盗作者から安達瑶さんに対して謝罪が行われたとのことである。以下に、安達さん及び安達作品の電子出版を行っていた「スタジオ・グリーン」の見解を、安達さんのご許可をいただいて転載します(本件についての安達さんのまとめはこちら)。

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■安達瑶さんの見解
 さる220日、合作小説家・安達瑶を構成する二名は、電子出版社「スタジオ・グリーン」の滝沢氏、でじたる書房の近藤氏・小西氏の計五名で、今回の盗作事件の犯人・『綾波美夏』に会いました。
 『綾波美夏』との仲介をしてくれた人物との約束がありますので、盗作を行った当人を特定出来る事柄は発表出来ません。ですので、以下、イニシャルも用いず、『盗作をした人物』と表現します。


 『盗作をした人物』からは、盗作に到った経緯の説明を受けました。
 それによると、『盗作をした人物』は、ファイル交換ソフトを用いて、作者名の入った小説ファイルを入手し、軽い気持ちと話題を作りたいと言う気持ちから、テレビ番組で知った「でじたる書房」を通じて、他人が書いた物であることは充分承知の上、自作として販売したという事でした。
 安達から盗作の通報を受けた「でじたる書房」は、『盗作をした人物』に事実を確認するメールを出したのですが、当人は、盗作が露見した事でパニックになってしまい、誰に相談する事も出来ずに混乱して、それ以上何をどうしていいのか判らなくなってしまっていたと。
 その段階で、こちら側(安達)が『盗作をした人物』を知る人物に接触する事が出来、当人はすべてをその仲介者に白状しました。
 我々、フランス書院を除く関係者は、協議を重ねて、和解する条件を詰め、合意をした上で、『盗作をした人物』と面会し、上記のような経緯の説明を受け、全面的な謝罪を受けました。
 また、「もう二度と著作権を侵害する行為は致しません」という誓約書を書いてもらいました。
 仲介者を交えた話し合いは予想以上にスムーズで、予定していた時間が大幅に余ってしまったほどでした。

 我々、安達を始めとする著作者は、今回の『盗作をした人物』の説明と謝罪を諒として、著作権法で定められた経費の精算と、でじたる書房を通じて売り上げた不当な利益の返還によって、この件について、解決したものとします。
 ただ、本件に付随する事ですが、今回のようなデジタル・データ化された小説の複製・不当な販売を防止する策については、著作者として、納得のいく解答は示されておりません。
 現在は、容易にコピー出来ない対策を施されたデジタル・データが流通していますが、過去には、コピーが容易なテキスト・データでの販売がなされており、今回もそうしたファイルが悪用されたのです。
 今回のような盗作を防ぐ為の方策として、電子出版をする場合、『自分の作品』と称して作品を売りに出す際のハードルをあげろ、本人確認を厳密にしろ、メールだけではなく物理的な郵便を使って「販売契約」書を取り交わせ、と、でじたる書房側に提案したのですが、手間がかかる事を理由に難色を示されました。すべてネット上でやれれば手間がかからず最少限の人員で運営出来るからでしょう。
 しかし、『お手軽体質』『利益優先のイージーな商法』は大いに問題だと思わざるをえません。出版社での編集実務経験もない素人スタッフが、持ち込まれた『作品』を右から左にノーチェックに『販売』していれば、盗作でなくても、その内容で、いつか問題は起きるでしょう。思想的、人権的に問題を内包するものをノーチェックで売ってしまったら、抗議してくる人々から、『でじたる書房』は逃げられるはずがないのです。
 今回の事件を、是非とも教訓にしていただき、この種の事件が再発しない事を強く願うものです。
 ホンネを言えば、こんな事がまた起きたら、やってらんねーよ、なのです。

■スタジオ・グリーン見解
 一月末に安達先生より、作品が盗作されているとの報告を受けてから、スタジオグリーンは関係者と協議を重ねつつ本件に対処してきました。基本的には私がでじたる書房との折衝、安達先生が『綾波』本人の特定作業と折衝という形で役割を分担しました。思いのほか短期間のうちに解決へ向かうことになったのは、何より安達先生のご尽力に負うところが大きかったことは言うまでもありません。この場をお借りして、あらためて御礼申し上げます。

 本件は、「軽い気持ちでやってしまった」という本人の弁がすべてを象徴しているように思いますが、でじたる書房とのやり取りの過程で、電子出版に携わる上での構造的な問題が大きな原因としてあることが明らかになりました。

 電子書籍を販売するサイトが電子書店ですから、でじたる書房の近藤社長が「我々は書店のようなものだから」と言うのは間違いではありません。しかし、多くの場合は『プロの作家が書いたもの』を、『プロの編集者が書籍にする出版社』を介して『電子書店』が販売しているのであり、他者の著作権やプライバシーを侵害していないか、差別的表現はないか等のチェックは、作家と編集者(出版社)の責任においてなされています。


 それに対して、「将来有望な作家さんの電子書籍が読めます!」と謳うでじたる書房では、『素人が書いたもの』を直接的に電子書籍化して販売しています。ブログやホームページ、掲示板等で誰もが表現者になれる時代にあって、いかにも今日的な商売と言えるでしょう。もちろん『素人が書いたもの』を否定するつもりは毛頭ありません。プロの作家も最初はすべて素人だったのですから。

 しかし、著作物を発表する者は、それが他者の著作権を侵害していないことを保証する義務がある等、その内容について全面的に責任を負わなければなりません。そのことをどれだけ認識して書いているか、という点で問題が生じやすいのは、アマチュアであるが故にやむを得ないところです。だからといって、許されるものでは決してありませんし、そういった作品を扱う以上、でじたる書房が「我々は書店のようなものだから」と逃げを打つように言うことも許されないと考えます。

 でじたる書房のように作者と電子書店が直接契約し、出版社が介在しない形態は他でもありますが、それは作者が商業出版の実績を積んだプロであり、内容にきちんと責任を負っているからこそ成り立つものなのです。

 今回の盗作事件は、『著作権に対する認識の欠落した人』が他者の著作物を安易に盗用し、『著作権について問題意識の希薄な会社』がそのまま販売してしまったというものです。そして、書籍であれ雑誌であれ編集業務を経験したことのある従業員がでじたる書房に皆無であるという信じ難い実態を考えれば、まさに起こるべくして起こった事件と言うほかはありません。

 でじたる書房に対してもこうした問題点を指摘し、改善を求めていますので、誠意ある対応・努力を願うばかりです。世の中のあらゆるところでデジタル化が加速し、著作権をはじめ知的財産をいかに保護していくかが社会的課題となっています。そのことから目を逸らしていると、いずれ拠って立つ足元の土を自ら崩す結果となるに違いありません。

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 安達さんも書かれているとおり、以上の経緯には電子出版物の剽窃被害を受けた一方の当事者であるフランス書院は関与していない。いずれでじたる書房とフランス書院の間でも折衝が行われることと思うが、その結果について外部に公表されるか否かは現時点では不明である。

 でじたる書房は223日に自サイトに掲載していた謝罪報告の内容を追加更新した。2月2日に発表した対応策が、具体的に修正されている。以下の通りである。

・既存掲載されている全作品のチェック
・新規掲載の作品のチェックの強化
・銀行口座名義と登録本人名義の一致の確認


 本人確認が銀行口座の登録名義確認だけか、というのが疑問だ。本来なら著作権者と罰則内容を定めた出版契約を結ぶべきなのだが、でじたる書房はそこまで手を回したくないのだろうか。出版契約の締結は、サイト投稿者へのセールスポイントである「お手軽感」を損ねることになり、煩雑な事務手続きが増えるためにでじたる書房側のコスト上昇要因にもなる。しかし、でじたる書房が次世代の書き手を育成するエージェントを標榜するのであれば、こうした障害にぶつかる事態は裂けられないはずだ。現時点での対応は、責任回避のそしりをまぬがれるものではないと私は考えます。「作品のチェック」に関しては、どういう形をとるのかこの対応策ではわからないが、もちろん「題名チェック」だけでは不十分であることは言うまでもない。内容まで照らし合わせてチェックするだけのコスト増は、やむを得ないものだと思ってもらいたい。




(2/24)デブ&ピース

 今月号の「BREAK MAX」吉田豪さんのインタビューは意表をついて内山信二がゲスト。スローガンである「デブ&ピース」の秘密などを語り倒しています。デブのいい話がいっぱい!

 中でも同じデブタレ同士である松村邦洋との友情に関する話がいい。ちょっと引用。

――ただ、芸能界って正直、争いですよね。

内山 確かにそうですし、誰かを踏み潰してまで自分が伸し上がらなきゃいけない世界なんですけど、石田靖さんとロケをしたとき、空き時間に「ちょっとまっちゃんに電話してみよう」って石田さんが松村さんに電話したんですよ。そしたら、その場に俺がいるって一言も言ってないのに「今度僕も番組に呼んでください。あとできれば内山君も一緒にお願いします」って言ってくれて。同じ事務所の後輩でもないのに、ただ同じデブってだけで、後輩のデブを宣伝してくれるっていうのは、なかなか普通の世界じゃないですよね。ものすごい感動しましたよ。でぶならではだなと思って。

――デブは情が厚いんですね。

内山 肉だけじゃないですよ、厚いのは!


 また、ミルコ・クロコップが表紙の「kamipro」最新号では、大晦日のヌルヌル事件の特集が、今さら46ページも組まれるという暴挙が行われている。それとは無関係に後半ページでは先ごろ急逝したプロレスラー、クラッシャー・バンバン・ビガロの追悼特集が組まれているので、これまたデブ好きは必読だ。金原弘光の連載コラムでもビガロの思い出が語られている。実はビガロが「UFC JAPAN」でキモとバーリトゥードを行った際のスパーリングパートナーとセコンドを務めたのが金原だったからだ。金原によるとビガロは、普段お世話になっているからといって大量に肉を買ってきて焼いては金原たちに振舞うナイスガイだったそうである。やはりデブ&ピース!




(2/26)小さい話

 私は物欲が希薄な人間だが、一つだけ執着していることがある。近所のスーパーのポイントを貯めることである。平日は購入額の一パーセント、日曜日は倍の二パーセントが返還され、貯まっていくシステムである。したがって、生鮮食品以外の買い物は日曜日に集中してするようにしている。みみっちいですかそうですか。

 昨日、その恒例の買い物に行こうとして身支度をしていると財布がないことがわかった。前夜、タクシーで帰宅する際に置き忘れてきたようなのだ。捜索してその事実に気づき、しばし愕然としていた。銀行や郵便貯金、クレジットカードなどを停止するだけで三十分以上の時間がかかる。クレジット引き落としにしているネット書店には注文ができなくなるし、たしか携帯電話もクレジット支払いにしていた。がっかりである。だが、いちばんの落胆原因は、そのスーパーのポイントカードを紛失したことであった。せっかくの日曜日なのに。二倍なのに。みみっちいですよねそうですよね。わかっています。とりあえず妻から借金をして、カードが出てくるまでの当座の資金とすることにした。あまりにもがっかりしたので、そのスーパーでは買い物をしなかった。カードないし。

 今日になってタクシー会社と連絡が取れた。財布が見つかったという。ありがとう東武タクシー。宅急便の着払いで財布を送ってもらうことにしたが、発見をあまり喜んでいない自分がいることに気づいた。カードは全部停止してしまったしな。でも、スーパーのカードだけは嬉しい。またポイントが貯められるのである。みみっちいと言わば言え。

 あと図書館カードとブックオフの割引券が財布に入っていたはずなので、それも嬉しいです。小さい話。以上。




(2/27)底が丸見えの底なし沼

 財布を落とすなどの出来事があったもので逼塞して暮らしていたところ、たちまち仕事が立てこんでしまった。世間から見捨てられていないということでもあり、ありがたくもあり面倒くさくもあり。とりあえず今日からまた頑張りますよ、うん。

 仕事に復帰しながら、昨年末に亡くなった「週刊ファイト」I編集長こと井上義啓氏の追悼本『殺し』を読む。私が昨年「闘うベストテン」に出演した際、青地に白く「殺し」とプリントされたTシャツを着ていたのをご記憶の方もあるかと思うが、あれはI編集長のお言葉から取ったものなのです。「殺し」とは存在感としてまとう「殺気」や、いざというときに対戦相手を殺してしまえる能力などをまとめて呼んだ言葉である。

 井上氏がいかに凄まじい生き方を送った人物であったか。たとえば編集長時代、自腹を切って記者に取材費を渡していたため、辞表を提出した際には会社に借金があったという話などから、一徹居士の顔が浮かびあがってくる。残念ながら雑誌「kamipro」に載った談話などで構成されているため、その見え方は一面的なものになっている。「kamipro」に井上氏が登場したときには、すでに「ファイト」編集長の座から退いていた(一九九〇年、当時の部下が『井上さんのやっていることは僕にもできます』と反抗したため、『じゃあ、君がやれ』とその日のうちに新大阪新聞社を辞めてしまったのである)。それゆえ編集長時代の業績は伝説としてしか辿れないのである。元部下を代表してGKこと金沢克彦氏の原稿が再録されているが、ターザン山本!氏(ここのところの原稿はひどくつまらないのだが)やフランク井上氏にも登場し、上司としての井上像を語らせるべきだったのではないか。「ファイト」の紙上で綴られた「井上小説」(井上氏の原稿は取材よりも井上氏の幻想を優先した内容であったため、このように呼ばれた)を再録した追悼本の刊行が望まれる。

 とは言うものの、本書による素描からだけでも徹底した職業人としての井上氏のたたずまいは窺い知れる。マスコミ志望者などは、プロレスに関心がなくとも一度は眼を通しておいた方がいい一冊だ。