自分への戒めその4:オマージュの価値は自分では決められない。


「オマージュを捧げる」という行為がある。創作の分野では、先人の業績に敬意を表し、その尊崇の念を起点として自作を作り上げることを、単なる剽窃や盗作と区別して格上の行為と認める場合が多い。しかし厳密に言えば、オマージュであろうと剽窃であろうと、オリジナルが目減りする可能性はある。二次創作物が増加すれば、その分オリジナルがひとびとの記憶の中に占める敷地は減少するかもしれない。二次創作物に慣れた人の中で、オリジナルの記憶が風化することだってありうる。もちろんそうした危険性を超えた価値を持つ二次創作物はある。それを手にすることで、読者はオリジナルに対する敬意の念を呼び覚まされるだろう。作品の需要を再発掘することにもつながるはずである。そうした作品があることは間違いない。しかしその価値を決めることは作者自身には不可能だ。オマージュを捧げていることを強調してもオリジナルの尊厳を損ねる作品がある一方で、原作を読んだことのない人の無邪気な模倣が読者にオリジナルへの回帰を促すこともあるだろう。決定する権限は常に読者の側にある。作者がそれを読者に押しつけることはできないのである。だから読者は、作品に対して厳しく接しなければならない。「○○へのオマージュだから」という言葉で欠点を見逃すことは、大局的に見ればオリジナルを毀損することにつながるのだから。

(2007年1月9日の「反省しる」より抜粋)

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