2000年2月20日再作成
2009年2月6日更新

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西大寺バスセンター前に保存されている気動車・キハ7

西大寺鉄道は明治44年(1911年)7月29日に西大寺・長岡 (いまの東岡山)間が部分
開通し、そして大正4年(1915年)9月15日に後楽園までの全線 11.5キロ が開通しま
した。軌道幅は全国では、ただひとつ、 3フィート(91.4センチ)という珍しいものでした。
幻の夢に終わっていますが、開通後山陽本線の有年(兵庫県) と西大寺の間をいまの
JR赤穂線とほぼ同じ路線で延長計画されたこともあります。

その西大寺鉄道もJR赤穂線の開通を機に、昭和37年 (1962年)9月8日、52年に及ぶ
波乱に富んだ歴史の幕を 閉じました。(両備バス株式会社「両輪」より)
(注)「赤穂線記念列車」、「快速列車のゆとり」は、赤穂線40周年関連のページです。


軽便鉄道と私

私は小学校(国民学校)の4年生から大学を卒業するまで の13年間を軽便(当時西大寺鉄道をこう呼んでいました)に近い浅越に住んでいました。農業を営む祖父に世話になっていた私は、よく農作業を手伝いました。いまの芥子山小学校のあたりを走る軽便を見て腰を伸ばしてひと休みしたり、またおよその時刻を判断したりしていました。

学校は高校まで西大寺でしたから、西大寺を出発して砂川 鉄橋に上ったり、反対に砂川鉄橋から下ってくる軽便を見ながら通学したものです。大学時代は西大寺と財田 (東岡山)との間を雨の日も風の日も軽便で通学しました。

「ありし日の西大寺軽便鉄道」をまとめてみました。写真は両備バス(株)よりお借りしました。
ここに隠れ写真もあります。



【補足@】 2009年2月6日 軽便のスケッチ
牧野俊介氏のスケッチが絵はがきにまとめられました。こちらをクリックしてください。



【補足A】 2009年3月14日 西大寺鐵道展
こちらをクリックしてください。

(注)それぞれの写真をクリックしてください。拡大します。
これを機に、キハ7の内部が公開されました。きれいに修復されています。また、近くにキハ7を説明する掲示板が立てられました。