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| 2002年11月6日、雷蔵八百夜は200夜を迎えました。上京しました。 | |
| 2001年11月2日(金)夜、わが町で、雷蔵八百夜番外編が実現しました。 |
![]() 落語家の春雨や雷蔵師匠を囲む会です。雷蔵八百夜は1986年4月師匠が36才のときに始まりました。毎月開かれる月例会で師匠の落語を楽しんだあと懇談会です。偉いのは雨の日も風の日も欠かさないで800回やろうとする遠大な企画です。目標を達成するには102歳まで生き延びなければなりません。 異業種交流会「木偶坊会」は、この企画に感動して、1995年1月28日、東京芸術劇場で、「百夜達成を祝う会」と称して特別独演会を開きました。ちょうど阪神大地震の直後で師匠のご好意で収益金は全額救援金として寄付させてもらいました。 |
| 会場は常設で東京地下鉄銀座線三越前の「お江戸日本橋亭」です。 |
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| 詳しくは、雷蔵師匠の公式ホームページをご覧ください。こちらです。 |
| 「雷蔵八百夜」は、1999年の文化庁芸術祭優秀賞を受賞しました。 |
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| 平素の雷蔵師匠は、山登りと温泉です。 |
| 雷蔵師匠の生い立ちと真打ちになるまでの様子 | |||
| (注)「百夜達成を祝う会」を企画してたときに、お聞きしたお話です。 | |||
| 本名は山田良平。昭和26年1月27日、東京亀有で生まれる。4人兄弟の末っ子で、本人いわく、 本人を除いて「頭のよい家系」で、二人の兄は東大と東大大学院卒。が、末っ子、良平は高校 2年、17歳の時、都立葛飾高校を中退、雷門助六の内弟子となる。 当時(昭和40年頃)は、演芸ブームで、小学生の頃から「お笑いタッグマッチ」や「笑点」をテレビ で見ていた。高校で落語研究会に入り、ある先輩に自分の好きな落語家を二流と酷評され、一 流の落語家をみせてやるといわれ、寄席につれていってもらう。このホール落語で感動、落語の 面白さを本当に知る。「落語というのは、一人で何もかもやってしまう。様々な登場人物はもちろ ん、演出から効果音、雰囲気作りまで・・・・・」(本人談)。 練馬の助六師匠の内弟子に入ったのは、助六師匠の落語はもちろんだが、踊りをおどる時の姿 と、はしょっていた着物をもとに戻す時の姿がかっこうよくて、あこがれたから。在学中から助六 師匠の所へ通いで内弟子に。当時では内弟子は珍しかった。また高校中退で内弟子に入ること も、これまた珍しかった。 内弟子生活は、掃除、片づけなど師匠の身の回りの世話と寄席での雑用係。昼か夜の部に 10日間、どちらかに通う日々。1日50円の手当で電車賃にはなったそうである。しかし見習いと いっても「見習い前座」に2ヶ月でなり、すぐ高座にあがることができる。17歳で初めて高座に上 がった時のお客さんの数は4人だったとか。 内弟子時代は、とても稽古熱心で、落語の基礎は役の演じ分けなので、口調を作ること、そして 喉を作ることに専念。最初から古典落語を。入門2ヶ月後に前座、4年後に二つ目、そして二つ目 から真打ちまでは15年。ちなみに内弟子生活は2年間。昭和55年、二つ目時代、NHK新人落語 コンクールで最優秀賞を受賞。真打ちには昭和58年になる。 |