Story of ...

    Profile(以下敬称略)


    • 本名: 斎藤 真由美(さいとう まゆみ)
    • ニックネーム: マッチョ
    • 生年月日: '71/02/27
    • 出身地: 東京都練馬区


    「真由美、練馬中学に入ったら、何かスポーツをした方がいいよ。練馬中学は3年前にバレーで全国大会に出場したんだよ」
    「へえー、バレーか。好きでも嫌いでもないけど、バレーはやったことないもん」
    「だから練習するんだよ。あの中学はバレーが盛んだからきっちり教えてくれるさ。何かをやって集中するっていいことだぜ」
    4歳上の兄正人から斎藤真由美がそう言われたのは昭和58年春に東京・練馬中学に入学してすぐのことである。その時点ですでに、線が細いながらも170cmの身長があり、陸上の100mでは12秒ぐらいで走るスピードがあって、何かスポーツはやりたいと思っていた。
    当時児玉監督のバレー部に入部したものの1年間はボール拾いとトレーニングに費やし、2年目の夏が過ぎて2学期に入ったときにようやく、それまでレギュラーだったエースの一人が骨折したことがきっかけで、レギュラー入り。3年生になった昭和60年にチームは都で2位となり、全国大会に出場するまでになったが、本大会では1回戦で敗退した。
      「このまま卒業してもバレーを続けたいな。強い高校でもっと練習したら、もっとうまくなるんじゃないかな。そうして将来は、遠回りしても全日本に入って...」
    身長も技量も伸びたマッチョは生来の負けず嫌いもあったが、それ以上にバレーボールが好きになっていた。

    ただ、不安材料もあった。
    練習は始めた当時から、顔の色が悪くなり、疲れやすくて立ち眩みをすることが多い。「鉄欠乏性貧血」と医者からは診断された。「鉄分を補給する機能が遅れているので、肉類の他にもオレンジ・イチゴなどビタミンの多い食事をとること」と言われる。

    それはともかく、中学3年の全国大会を終え、秋の練馬区大会を終える頃、母親のナイ子と同年輩の女性に会った。
    「お母さんから聞いているかな。中村高校バレー部をときどき教えている逸見です」「中村高校に入ってバレーをやってみない?よく跳ぶし、スパイクの打点も高くて、うまいと思うの。スウィングが速いのがいいのね」
    同じ頃、全国でもナンバーワンを争う東京の名門校である八王子実践高校の菊間監督も来た。

      「八王子実践には入りたくない。レギュラーにはなれるかもしれないけど、卒業して日立にそのまま入って、実力もないのに全日本入りするなんて、私の性格に合わない」
    このあたりは、後々イトーヨーカドーで先輩となる益子直美とよく似たところがある。


    マッチョがその中村高校に入学したのは、61年の4月で、ちょうどその時、ダイエーのコーチだった梅沢辰也が監督に就任した。また、かつて9人制バレーで活躍し、6人制の初期の全日本主将も務めたこともある堀江方子(中村高出、当時中村高ヘッドコーチ)の長女である堀江陽子(現・ゼッターランド・ヨーコ)が3年生で主将だった。
    「マッチョ、期待しているよ。いいトス上げるからどんどん決めてね」
    堀江陽子は高校生ながらバレー界のニュースターで中村高校を引っ張っていたが、性格も明るく、新入部員のマッチョらの面倒もよく見た。

      「やっぱり中学のバレーとはスピードも技術も違う。大丈夫かな...」
    多少の不安はあった。というのも、入学早々マッチョは新人ながらレギュラー要因に抜てきされたから練習内容は一気に厳しくなったのである。
    心配された貧血も出た。


    5月から東京都大会、関東大会、国体予選などの日程が目白押しだった。東京では、中村高、八王子実践高、共栄学園高の3校の争いが激烈で、インターハイの代表には中村、八王子実践の2校が決まり7月の国体予選では中村が八王子実践を破ったが、この年は関東地域代表で全東京が出場することになった。

    問題はこの辺から起きた。

    ある大会のあと、梅沢監督、堀江ヘッドコーチ、逸見、そして前田豊(元・中村高監督)の4人が食事をしたが、そのときにマッチョの国体出場のことが話題になった。

      「1年生だけど、斎藤は順調に成長しているし、全東京12人には当然入るだろうね」
      「渡辺先生(中村高バレー部前部長)が選考委員になっているし、マッチョの実力なら入れるでしょう」
      「梅沢さん、もしマッチョが選ばれたら、1年生だからといって断ることはないんだから、OKしておいてね」
    そんな意味の話題があって、梅沢監督もそのとき了承していたのだが...。
    ところが、話がどこで食い違ったのか、梅沢監督はこの時点ですでに、先行委員会にはマッチョの出場を辞退していたという。
    そして、数日後に改めて堀江ヘッドコーチや逸見に行ってきた。
      「渡辺先生からT斎藤は1年生だから辞退しろUといわれて、そうせざるを得なかった」
    この言葉には、特に逸見は怒った。「何を言ってるんですか、今さら...。あれほどマッチョのことは話してあったし、本人も国体出場のことは知っていますよ。どう説明したらいいんですか!」
    あとで調べてみると、梅沢監督を含めて話し合いをしたときには、すでに梅沢監督はマッチョの辞退を申し出ていたという事実が分かって、逸見の怒りはおさまらない。
    梅沢監督の方にも、もちろん、何らかの理由があってマッチョを辞退させざるを得なかったのだろうが、逸見・堀江・前田といった、かつての中村高の黄金時代を築いてきた大先輩の前で言い出しにくかったのかもしれない。

    いずれにしても、首脳陣の間はTマッチョの国体出場Uをめぐっておかしなことになった。

    逸見は母親のナイ子に連絡を入れた。

      「インターハイに行っているマッチョにはまだ内緒にして欲しいんですが、マッチョは1年生だからということで、国体メンバーには選ばれないかもしれません」
      「何かウチの子にあったんですか」
      「いえ、マッチョに責任はありません。本人は国体に選ばれると思っているのにねえ」 「ええ、そんなことを言って楽しみにしていましたけど...」
      「こちらでもはっきりした事情を調べます」
    逸見はそれ以来、校長などにあったが、埒はあかなかった。

    一方、8月3日から始まった津山インターハイでの中村高校は愛泉高(大阪)、妹背牛商高(北海道)、就実高(岡山)に完勝したが、準決勝で増穂商高(山梨)に惜敗して、3位に終わった。

      「マッチョは国体の代表からはずれたみたいよ」
      「ウッソでしょう」
    マッチョの耳にも自然とその話が入ってくる。東京に帰って梅沢監督に直接聞いた。
      「マッチョは1、2年生の新チームの中心として、チームにいて欲しかったんだ」
      「それなら、どうして言ってくれなかったんですか。私は1年生でも選ばれたと名誉に思っていたんです。そんな...」
    マッチョの頭に血がのぼり、帰宅するなり、ナイ子に食ってかかった。
      「逸見さんからもそのことでT1年生だからというのは納得できないUといって奔走しているみたいなんだよ」
      「そんなことより、メンバーに入れると言っておきながら、その約束を破られたことに納得いかないの!こんなことなら学校もバレーも辞めるわ!」

    マッチョにとってはあまりにショッキングな出来事であり、自分の知らないところで何かが妙に動いていることに腹が立った。
      「もう、絶対に学校もバレーも辞める...」

    そのまま部屋に閉じこもって、外に出ない日が続いた。もちろん、練習には出ない。
    9月の始業式が始まって、しばらく後、マッチョは校長に面会した。
      「決まってしまったことにはいつまでもこだわらないで、このままバレーを続けなさい」
      「私はT上手なのに選ばれないUといっているのではなくて、約束を破られたことに納得がいかないんです」
    逸見の説明などもあって、1度はチームに戻って日本電気への合宿にも入ったが、数日で家に戻ってしまった。
      「もう私ではいられません。梅沢さんにはついていけません」
      「でも、学校にだけは絶対に残りなさい」
    逸見は中村高のバレー部長が「堀江、逸見の2人はやめて欲しい」といっているという話も耳にしたが、学校側には要請した。
      「私がやめると斎藤も学校を辞めると言い出しかねないと思いますが、斎藤が学校を辞めるという最悪のケースにはならないようにお願いします」
    その努力もむなしく、マッチョは帰宅してしまい、ナイ子はすがるような表情で逸見に今後のことを頼み込んだ。
    その後、学校側との話し合いが決まった。『別の高校に入ってバレーも続けるために3ヶ月の猶予を与える』との学校側の配慮だ。
    このニュースはあッという間に流れ、各高校も勧誘の手を伸ばし、逸見も責任のある立場からマッチョの将来に1番いい進路を当たった。
      「もう学校なんか、バレーなんかしない!」
    一途な15歳の少女は布団をかぶった中で泣き崩れる数日で、将来のことは頭に全くなかった。



    「マッチョの今後ののことについて、いろいろと相談した人がいるのよ。会ってみる?」
    逸見千里にいわれて会ったのが、イトーヨーカドーの塙昭彦部長(当時)、監督に就任したばかりの前田健(前田豊の三男)であった。

      「ウチのチームは今草津で合宿に入っているけど、いつまでも若い者が家の中に閉じこもっていないで、よかったらボール拾いでもやって、元気を出しなさい」
    前田監督にいわれて、マッチョもその気になり、それまで知らなかったイトーヨーカドーのチームと初めて合流した。
    上級生の越智久美子、藤原勝美、斎藤みゆきなどが話し相手になってくれて、よく面倒を見てくれた。
      「さすがに日本リーグのチームよ。高校とはまた違うし、スピードも迫力もすっごい」
    草津合宿を経験したマッチョの表情が違う。
      「どうする?またバレーやる?」
      「またやりたくなっちゃった。でも中村で半年もやっていないのに、実業団で通じるかなあ」
      「それはマッチョの努力次第よ。でもね、高校教育だけはしっかりとしておかなければダメよ」
      「ええ、でも勉強はあんまり好きじゃないし...エッヘッヘッ。イトーヨーカドーはムードが明るいから好きだし...」

    母親のナイ子と逸見は思わず顔を見合わせて、娘が明るさを取り戻したことに安心した。




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