オリオン


出会いは、春先の事だった。
今から1年前の事になる。
私の無二の友人が結婚する事になり、2次会の幹事を頼まれた。
新郎の友人でもあり、幹事を引き受ける事になったのが篤だった。
篤は、すらりとした長身の男で、私は彼を見上げながら話しをせざるを得ない。
ただ、私のタイプではなかった。
だから、友人の結婚式が終われば、それきりになると思っていた。
そんなある日、会社帰りの電車の中で私たちは再会した。
「千佳ちゃん?千佳ちゃんだよね?」
新宿駅で乗り込んできた男が私に声をかける。
私は、その声の主を振りかえる。
「あ!篤くん?やだ〜〜!久しぶり!」
「千佳ちゃんは、元気だった?」
「うーん。まあまあかな?仕事がキツクってね〜。実は今日も徹夜空け」
私はウンザリしながら言った。
私はファッション雑誌の編集の仕事をしている。
仕事場は時間の無い世界で、あそこへ入ると、外界の時間の動きが判らない。
そんな職場に居ると、出会いも無い。
今年28になる私は例に漏れず、不倫をしていた。
相手は自分の上司。
ほんと何処にでもある、ちんけな話し。
休日は嫌いだ。
何故なら、あの人に会えないから。
家族サービスに忙しいあの人。
家族が大事なら、何故、私と付き合うの?
「ねえ。千佳ちゃんさ、今度テニス行かない?」
篤は窓の外の景色を見ながら言う。
「え?うんうん。いいよ〜〜!!」
「ホント?OK?」
「うん、全然OK!」
篤は、ほっとしたような表情をしていた。
それから、何度目かのデートで私たちはKISSをした。
「僕と付き合ってもらえますか?」
KISSの直後、篤は私にそう云った。
私は、その申し出を受け入れた。
でも、自分の中で一番好きなのは勇太郎だった。
そう、自分の上司でもあり、不倫相手でもあるあの人。
それでも、会えない休日は私には地獄だった。
篤を利用していると判っていても、私は藁をも掴む思いだった。

勇太郎との逢瀬は、もっぱらホテルだった。
一目を忍んでの逢瀬。
私にとって、それは大事な時間だった。
抱き合い、勇太郎の温もりをむさぼるように求めたあと、
「おまえさ、付き合ってる奴居るだろ?」
「え?」
「隠さなくても良いんだよ。」
勇太郎は天井を見ながら言う。
私は舌が乾いていくのを感じた。
「俺はさ、おまえに何もしてやれないからさ。良いんじゃない?」
勇太郎は表情一つ変えずに云う。
私は怒りが込み上げてきた。
確かに、妻帯者だと云う事は100も承知だ。
それでも、嘘でも良いから、妬いてくれるポーズが欲しかった。
それが、何?良いんじゃない?
自分の中で、いつか奥さんと別れてくれる。とか、自分を愛してくれてると思っていたのに・・・。
「どういう意味?」
私は怒りに震える声で言った。
「だからさ、おまえもそろそろ、適齢期だろ?俺はさ、離婚しないの100も承知だろ?」
勇太郎は初めて私の方へ向いて云う。
「そんなの知らない。奥さんと別れてよ。」
わたしは勇太郎の瞳を見つめながら言う。
「何言ってんだよ。」
「だから、私と結婚してよ」
「よせよ。それは云わない約束だろ」
勇太郎は私の唇にシッと、するように人差し指を押し当てる。
そうだ、そうなんだ。はじめは軽い気持ちで付き合い出したのだ。
妻帯者特有の落ち着いた雰囲気。独身男性とは違う魅力。
私は起きあがり、シャワーを浴びに行く。
熱いシャワーは私の悲鳴にも似た気持ちを洗い流すのに充分だった。

「もしもし?千佳。ねえ、今から会えない?」
私は勇太郎とホテルで別れた後、篤に電話をした。
環状線が車のヘッドライトで、まるで宝石のようだ。
篤はまだ、会社で仕事をしているようだった。
「千佳は、もう仕事終わったの?」
篤の声が受話器から聞こえる。
「そう、今終わったトコ。ねね、呑みに行かない?」
「うん。良いよ。じゃあ、いつもの店で」
篤は、いつも優しい。
いくら私が無理な事を言っても、それに答えてくれる。
私は卑怯だ。卑劣だ。
けれど、この辛い気持ちからどうしても抜け出したい。

いつもの店に着くと、篤のほうが先に来ていた。
その店は照明が暗く、窓の外に広がる、夜景が綺麗に見れるような作りになっている。
篤は窓際の席に座っていた。
私はゆっくりと、篤の方に進んで行く。
そのうち、篤は私に気付いて、手を上げる。
「ごめん〜〜〜!!まった?」
「ううん。俺も今来たトコ」
私は、ちらりと灰皿に目を向ける。
そこには4本近くの吸殻があった。
篤は、絶対に私に対して怒らない。
それが、私の中で罪悪感として浮き上がる。
この人は私だけのことを考えていてくれる。
私だけを好きでいて、誠実だ。
なのに、私は彼を利用している。
こんな事を、していると何時かバチが当たると思う。
「なあ。」
「ん?何?」
私はジントニックを飲みながら聴く。
「あのさ・・・・・・・・・・俺と結婚してもらえないかな?」
篤は私の瞳を覗きこみながら言う。
私達は半年も付き合っていた。
そろそろソンナ話も出てくる時期だと友人が言っていた。
私は、ジントニックをこぼしそうになった。
しばしの沈黙・・・。
「千佳ちゃんの返事を聞かせて欲しいんだけど・・・・。」
篤はじっと、私の瞳を見詰める。
そうだ、この人なら、幸せにしてくれるだろう。
小さな頃に夢見た、素晴らしい家庭が築けるだろう。
それは、ぬるま湯にも似た、イゴゴチのイイ空間。
愛する人との空間・・・。
そう思った瞬間、勇太郎の顔が浮かぶ。
私はそれを振り払う。
だって、あの人は私の事を好きじゃない・・・。
「・・・・・いいよ。」
私は返事をした。
「ホントに?!」
篤は嬉しい顔をして、聴き返す。
「うん」
私は笑顔で答えた。

報いは突然やってきた。
自分では上手く立ち回ってたつもりだった。
篤から結婚を申し込まれてから3ヶ月後の秋の出来事だった。
私は相変わらず、勇太郎との逢瀬を重ねていた。
勇太郎にしてみれば、私が結婚決まった事で、安心しているようだった。
「結婚してもさ、時々会おうな。」
勇太郎は私の髪にキスしながら言う。
そう、勇太郎にとって、私は実に都合が良いのだ。
私は勇太郎のその言葉を聴くたびに舌がめくりあがる感覚だ。
もう、逢うのは止めよう。
私はいつもこれが最後と思っていた。
でも、ズルズルと、まるで蟻地獄のように、落ちていく。
私はいつものように、シャワーを浴び、2人で部屋を出た。
瞬間、私は震えた。
部屋の前に男がいた。
その男が篤だと言う事を認識するまで時間は掛からなかった。
篤は私後ろに居た、勇太郎の頬を殴った。
止める事も出来ない位の、早さだった。
跳ね飛ばされる、勇太郎。
篤は勇太郎が倒れるのを確認もせずに、私の手首を掴み、引っ張って行く。
篤の顔は見えない。
見えないが、どんな顔だか想像はついていた。
鬼の形相・・・。顔面蒼白・・・。
私は、よろよろと立ち上がる勇太郎を振り帰り続けた。
勇太郎は私を追いかけて来る事は無かった。
そう、私の一人よがりの恋だった。
その時、はっきり自覚をした。
少しでも、自分を好きだと思っていた自分に腹が立った。

篤の車の助手席に座っていた。
と、いうよりも座らされていた。
篤は、ずっと無言だった。
私は、篤の顔を見る事が出来ない。
まるで、メデューサの顔を見ると災いが起きるかのごとく、私は必死に自分の膝小僧を見つづけた。
何時間経ったのだろうか?
気が付くと、千葉の御宿まで来ていた。
篤は月の砂漠に車を止めると、私の肩を掴んだ。
「どういう事なんだよ?!説明しろよ!」
篤は、すがりつくような瞳で私の顔を覗きこむ。
私は言い訳が出来ない。
篤を利用したのも、不倫をしたのも、全て自分の弱さからだった。
「何時からなんだよ?!」
篤はなおも、私の肩を掴んで揺する。
「篤と逢う、ずっと前から・・・」
私は篤の瞳を見ながら言った。
その瞬間、篤は、がっくりと肩を落とし、次の瞬間、私の頬に痛みが走った。
「俺は何だったんだよ!結婚するって事は嘘だったのかョ?!」
私は車を飛び出した。
砂浜がヒールを履いた、私の足に絡み付き、上手く走れない。
波の音で、何も聞こえない。
いきなり、腕を捕まれ、私は波打ち際に倒れこむ。
篤は泣いていた。
「信じてたのに・・・噂なんて、嘘だと思っていたのに・・・・。」
篤は私に馬乗りになり、ゆっくりと、首を締めた。
篤の背後の夜空を見上げると、オリオンが輝いていた。
オリオン・・・・。歌詞によく登場する、ギリシャ神話の英雄。
サソリの毒に、あっけなく死んだ英雄。
薄らぐ意識の中、私はそんな事を考えていた。


                                                               終わり