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毛利蘭の浮かぬ顔に気付いたのは、やはり鈴木園子だった。
「ウエストが2センチ増えた」
「は?」
後ろからいきなり園子に抱きつかれて、蘭は悲鳴を上げそうになった。
「な、なに園子」
「……あれ、なによ、太ったわけじゃないのね。沈んだ顔してるから、ご自慢のプロポー
ションが崩れたのかなーって」
「体型なんて、……太ったと思う?」
言いかけて、蘭はちょっと目を泳がせ、両手を広げた。園子は2歩離れて腕を組み、
「痩せたくらいよ。2キロ減と見たわ」
厳粛に指を2本つきだした。ほー、っと蘭が胸をなで下ろす。
「ここ2、3日、お稽古サボって身体動かしてないから」
「あたしはあのお稽古も程々にすべきだと思うわよ、蘭。見なさいよ、節が目立っちゃっ
て、貴婦人の手じゃないわ!」
園子の真っ白な手に自分の荒れた手を掴まれて、蘭は慌てて手を後ろに隠した。
「空手はわたしの趣味だもん」
「そりゃあ! そうでしょうよ、でもねえ、もったいないって思っちゃうの、こんなにき
れいな手が傷だらけだと!」
「わたしの手なんか、誰も見ないよ」
「そんなことありませんよ」
いきなり後ろから声がして、蘭は文字通り飛びあがった。
「さ、探さま!?」
国王の甥である白馬探が、優雅な微笑を浮かべて2人を見ている。
園子も一瞬目を丸くしたが、すぐにぷんとふくれてみせた。
「レディーの会話を盗み聞きとはいいご趣味ですこと!」
柱の影から現れた探は、2人の手を順にとってキスをした。
「宮廷の花にこのようなところで内緒話されては、僕でなくとも気になろうというもので
すよ。午後から自邸へ新一くんと平次くんが来る予定なのですが、もし問題がなければお
2人もいかがです?」
2人のレディーは顔を見あわせた。
「ぜひ伺います!」
と先に言ったのは、なにごとにも積極的な園子だった。
「もしあたしが行けなくなっても、探さま、蘭は絶対に連れていってちょうだいね?」
探の前におしだされて、蘭が慌てる。
「ちょ、ちょっと、園子」
「なによ蘭、工藤くんに合うの久しぶりでしょ。婚約者でしょ、行かなきゃだめよ。手紙
も贈り物もよこさない男に、空手で一発がつんと食らわせてやらなくちゃ!」
「……こわいな」
探はくすくす笑って、ついでにお昼もごちそうしますよ、行きましょう、ときびすを返
した。
「え、今からですか?」
慌てる2人に、探が声を潜める。
「ええ、じつは僕、大叔母さまのお小言から逃げてきたところなんです」
「……」
園子はにこっと笑って、探の腕にかるく手をかけた。
「判りましたわ、恋人のふりでしたらいくらでも」
「悲しいな、ふりだけですか?」
「あら、殿下」
園子はつんとすましてみせた。
「あたしたちにお気持ちがある、なんて、いまさら言っても無駄ですことよ?」
宮殿を出るまでは長いが、正門を出てしまえばマレッツィオ通りの探の屋敷まではすぐ
である。
暖かい陽を浴びる四阿でゆっくりと昼食をとり、娘2人が探の話術に大いに笑ううちに、
士官学校の2人がやってきた。
平次となにか言い合いながら入ってきた新一は、蘭と園子を見てあんぐりと口を開けた。
「なんでいるんだよ、おまえらが」
園子はじろりと新一を睨み、蘭の腕を引き寄せた。
「やっぱりだめだよ、蘭。こんな男、ふっちゃいなよ! あたしがいい男探してあげる、
蘭のこと一番に考えて、絶対幸せにしてくれて、蘭がいつも笑ってられるようにしてくれ
る人よ?」
「どーゆー意味だ、そりゃ!」
聞こえよがしの科白に、新一が眉を逆立てる。
困り顔の蘭を胸に抱いて、園子は余裕の笑みで扇を使った。
「えらそーに威張らないでよ、手紙の一つもよこさない薄情者! 蘭がどれだけもてるか
しりもしないで、婚約者の肩書きだけで安心してる不精者のくせに、ずいぶん態度が大き
いじゃないの? 蘭と2人きりにして欲しかったら、三遍まわってワンとおっしゃい!」
すでにして勝利の高笑いである。
「てっ、……てめえぇぇぇ……!」
怒りに顔を赤くして拳を握る新一を片手で押さえて、こちらは笑いをこらえて赤くなっ
ている探がとりなしにはいった。
「新一、きみの負けだよ。悪かったと素直に謝って、婚約者を返してもらいたまえ」
「ふざけんな! だいたいオレはここへ、士官学校から代理講師として講義をしに……」
「そんなもの、きみから教わらなくてもいいですよ。話は平次くんから聞きましょう、さ
あどうぞ」
探はわざわざ立って平次に席をすすめ、新一を庭へ追いやった。
平次は、怒ってずかずか歩いていく新一と、園子に背を押されてあわてて追いかけた蘭
を見送った。その肩に、探が手を置いて椅子をすすめる。
「どうぞ、平次くん」
「……ありがとー…」
小柄な平次は、クッションに埋もれるように藤椅子に腰掛ける。ぽすんと軽い音がした。
「オレ、殿下に教えられるようなもんなんもないやんな」
照れたように笑う。
「べつに僕は、新一くんから教えを受けているわけじゃないですよ?」
探が眉をあげると、横で園子が憤然と息をはく。
「そうよ、こっちが恋愛学の講義をしてやりたいくらいだわ。平次くんからも言ってやっ
てよ、蘭のこと放っておくなって。あの子、このごろちょっと悩んでるみたいなの」
「悩んでる? なにをです」
「……ご両親のことじゃないかなあ」
園子はちょっと辛そうな顔をした。
「蘭はずっとおばさんと暮らしてたでしょ? だけど、本当に子爵なのは行方不明のおじ
さんで、おばさんは商家の出でしょ? そのせいで、父方の親族から、あれこれいわれた
りするんだって。おばさんが財産狙っておじさんをどうにかしちゃったんだとか、バカみ
たいなことを」
「本当に馬鹿ですね」
身もふたもない相槌に、園子は憤然と息まいた。
「ねえ! でも宮廷の公侯伯子男爵、および華麗なるその御夫人たちにはそんなの関係な
いのよ、ばかだから!」
親友の境遇に怒りを吐き出す園子は美しかった。きゃらきゃらと笑っている姿しか見た
ことのなかった探は、彼女が見せた激しさに、少し驚いた。
平次は複雑な顔をしていた。
目の前にいて自分と親しく話し、対等に接して大切にしてくれている人々が、この時こ
の場を離れたら、はるか遠い世界の人間だということを、自分に言い聞かせているような
顔だった。
探は園子に優しく笑いかけた。
「彼女も母君も、いつまでも誤解を受けているような人たちじゃありませんよ」
「……判ってる」
園子は深く笑いかえした。やだ、似合わないこと言っちゃった、といいたげにちらりと
舌を見せて。
「平次くんも、もし行方不明の毛利子爵を見かけたらお願い、教えてね? 蘭も蘭のお母
さんも、心配してるの。本当に心配してるのよ」
「まかしといて!」
力強く平次が請け合う。探も言葉を添えた。
「僕らができるかぎり」
「まーあ心強いわ、お2人ともかたじけのう存じます」
おどけて、しかしこれ以上なく優雅に園子は頭を下げた。このおきゃんな娘が、たまに
零れさせる育ちの良さがそこに見えた。
探は平次に話題をふった。
「平次くん、学校はどうですか?」
平次が小さく肩をすくめる。
「なべてこともなしやな。工藤がたまに国王機関説でぎゃあぎゃあやりよるくらい」
「ああ、……しかしあれは結局、学術的な言辞が至尊崇拝にかけているという、当たり前
すぎる話を騒ぎ立てているだけだろう?」
「まあそうなんやけど、工藤もああゆう性格やから」
園子は少し気が抜けたようになって、新一と蘭が歩いていった小道を見ていたが、ふっ
と腰を上げた。
「あたし、帰るね。馬車は蘭に使ってって伝えて? あの子のほうが家が遠いから」
「送りましょう」
「いいよ、馬車だけ貸してくれれば平気」
立ちあがってスカートの皺を確かめて、園子は探に目をやった。
「ねえ、同性の目から見てどうなの率直に。新一って蘭を愛してる?」
率直すぎる問いに、探と平次は目を見合わせる。
探が柔らかく応じた。
「ええ、この上なくね」
「…ふーん……」
園子はもう一度小道の向こうを見た。大きく伸びをして、細すぎるような背を伸ばし、
「あーあ、あたしもいい男みつけるぞー!」
そしてすっきりと歩き出した。平次に、ばいばい、と小さく手を振って。
「…かわええな」
平次が呟いた。その肩に、
「ほんとにねー」
おんぶおばけが飛びついた。
「うひゃ! うわ、黒羽はん!」
新一とうりふたつの男前、探の悪友でもある黒羽快斗が現れた。それはほとんど空気の
中から、とでも言いたくなるような現われかただった。
「あ、快斗って呼んでっていったのに! 言ったのにー! 平次ったらもう忘れちゃって
るんだオレのお願いなんか、悲しいなあ!」
じたばた暴れる平次のあごに後ろから腕をまわし、頬にちゅっとキスをする。
「ぎゃあ! 快斗やめてくれ!」
「あ、うれしー、じゃあ今度は喜びのキス」
「いいかげんにしたまえ」
探が平次を救出し、快斗をむりやり椅子に座らせる。
「嫌がっている友人にまで手を出すほど、きみがお困りとは知らなかったよ」
探の冷たい視線など、快斗はものともしない。華やかな美貌を緩ませてハハハと笑った。
「うわきっつー、なに、白馬いきなり下ネタ攻撃? 皇太后陛下にぎゃあぎゃあ叱られて
勉強しちゃったの?」
「皇太后陛下は関係ないだろう!」
「聞いてよ平次、白馬ったらさあ、皇太后陛下に流し目使われてもう大変だったんだから」
「なんできみが知ってるんですかそれを!」
「おまけにこいつと来たらすぐ語るに落ちるんだよ、バカだねー」
「……きみに言われると腹が立ちますね、立ち聞きがご趣味ですか黒羽くん」
「まさか! 覗き見も大好きだよ」
平次が吹きだす。
お、笑ったね、と快斗は嬉しそうな顔をした。
「皇太后陛下は御自分の甥である白馬探サマに、浮いた噂が1つもないのが御不満、かつ
とても満足なのさ」
お茶いれてよ、白馬、ともてなしを催促して、平次の耳に口を寄せる。ふわりといい匂
いがした。
「白馬を見てごらんよ平次、まったく絵に描いたような美男子じゃないか? その美男子
の視線の先にいるのは誰だろう? 実際のところ、かれが宮廷の御夫人、御令嬢方に興味
がないのは一目瞭然だ、じゃあ一体、かれのコイゴコロはどこの誰に?」
「黒羽くん、それ以上言うと皇室侮辱罪で訴えますよ」
カチンときつい音を立ててコーヒーを差し出す探に、快斗がべぇ、と舌を出す。
「あ、はーあ! 恐くないね! これは俺の考えてることじゃないもんね、そうだろ平次。
60代もなかばのたっぷりと豊満かつ肥満、1年に3回も愛人をかえる我らが親愛なる皇
太后陛下、彼女にあのまつげをばちばちされてごらん? 秘められたるコイゴコロはもし
や我がもとに、なんて囁かれてごらん? そりゃあ礼儀正しく我慢強く美しく清らかな探
殿下だって、ぴょんと飛びあがって逃げ出したくなるさ!」
「……平次くん、この男のうわ言など聞かなくてよろしい。耳の汚れを落とすためにヴァ
イオリンでもお聞かせしようか」
快斗はぱちぱち手を叩く。
「あ、いいねー! オレ、白馬のヴァイオリン大好き」
「誰がきみに聞かせるといった? きみにはお帰りいただくんだよ、当然だろう?」
快斗は軽く腰をあげ、ふんと横を向いていた探の頬に音を立ててキスをした。
「な!」
ばっ、と払いのける探の手をよけて、快斗の明るすぎる笑声が響く。
「見た!? 見た、平次、あの白馬の真っ赤な顔ったら! かわいいったらありゃしない!」
「帰りたまえきみは、帰れ本当に!」
わめく探を、快斗は驚くほどやさしい顔で見た。
「オレほんとはヴァイオリンなんてよくわかんないんだ。白馬が好きだからヴァイオリン
が好きなんだよ。聞かせてよ、静かにしてるから」
「……」
探はむすくれた。
快斗は召し使いを呼んでヴァイオリンを運ばせ、お願いします、と頭を下げた。