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サンガーラワ経
障害⑤:疑(vicikiccha)
能力を奪う五つの障害の第五番目は「疑」(ぎ)です。
仏教は、疑はとても怖い病気だと見ています。疑とは「YES」「NO」がはっきりしない状態のことで、頭に入ってくる情報をしっかり受けとめないことです。私たちの頭にはいろんな情報が入ってきますが、それらをちゃんと受けとめずに、「あ……どうでしょうか……」と、YESもNOもはっきりしないことです。
たとえば「この音楽はとてもきれいですよ」と言うと、疑のある人は「……」と、YESもNOもありません。そこで「では、ちょっと聞いてみてください」と音楽を聞かせてあげても、返事は「……」。結局、何も聞いてないのです。
他方、YES・NOがはっきりしている人は、「あなたはその音楽がきれいだと言いますが、そう言っても私は信じませんよ。だから一度聞かせてください」と言うでしょう。それで実際に自分で聞いてみるのです。聞いた結果「そうですね、きれいですね」とYESの答えを出したり、あるいは「私はあんまり好きではありません」とNOの答えを出したりするのです。
YES・NOがはっきりしない状態が「疑」です。
情報やデータを調べようとせず、頭から否定する性格のことです。この性格は、私たちに結構あります。はっきり調べようとも、知ろうともしないで、いきなり却下するということが。
ときどき「私は仏教が大嫌いだ」と言う人もいます。その人に「あなたは仏教を勉強したことがあるんですか」と聞いてみると、「生まれたときから仏教は嫌いだ」と言うのです。勉強もしていないのに、どうやって嫌いと決められるのでしょう
か。そういう人は心に鍵をかけていますから、真理を理解するどころか、探そうとすることさえできないでしょう。
また、いきなり却下することだけでなく、鵜呑みにすることも「疑」です。
疑のある人は精神的に不安定ですから、智慧は育ちません。
善い疑
ところで「疑」には、善い疑もあります。善い疑とは、入ってきたデータにたいして「これは事実だろうか」と理性的に考え、疑問をもって自分で調べたり、確かめたりすることです。いきなり却下したり鵜呑みにしたりすることはしません。
これはとても大事なことです。とことん調べてから「これはこういう理由で信じません」などと判断することは正しい態度であって、心を育てる善い行為なのです。
東洋でも西洋でも、一般的に占いが好きな人が多いようです。私は個人的に占いをまったく信じていません。だからといって、いきなり捨てるのかというと、そうではありません。結構調べてみるのです。どのように占うのか、どういう論理で
こういうことを言うのか、をきちんと調べてみます。そうすると、その占いはまったくインチキだということが明確に分かるのです。必ず自分で一度調べてみるのです。
曖昧さを美とする日本文化
日本文化には、曖昧なものこそ良いことである、という感覚が濃厚にあるように思います。曖昧なことは格好いいことで、YES・NOをはっきり言うことは下品で失礼なこと、という価値観を持っている人が多いようです。
しかし「曖昧」ということは、結局、無知を喜んでいるのだから、良いことではありません。こんな状態では世界に負けてしまうでしょう。
なぜ、ものごとをはっきり言わないのでしょうか? それは「はっきり知らない」からです。ですからよく調べて「これはこれです」「こういう理由でこうです」と、はっきり知ることが大切です。曖昧で中途半端な態度はよくありません。
この曖昧や中途半端、優柔不断な態度は、仏教を学ぶと治っていきます。明確にしっかりと判断できるようになるのです。もちろん、そのためには大変な訓練をしなくてはなりませんが……。ものごとを細かく分析して、頭が明晰になるように心を磨いていかなければならないのです。
暗闇で濁って揺れ動いている泥水に顔を映す
お釈迦さまは「疑」について次のような喩えを用いて教えられました。
「容器に水を入れて鏡の代わりに自分の顔を映し見ようとします。しかし、この水は濁って、揺れ動き、泥が入って、そのうえ暗い所に置いてあります。このとき、自分の顔を見ることはできません」
この「疑の喩え」は、これまでの五つの喩えの中で最悪の喩えです。水に泥が混じり、それがごちゃごちゃ動いている状態です。それだけでなく、容器が暗いところに置いてあるため、自分の顔はかすかにでも見えません。泥水ならなんとか歪んででも映るかもしれませんが、暗闇の中だと、もう何も見えないのです。ですから、疑は障害の中でいちばん智慧にダメージを与える障害なのです。
このとき、自分のために何をすべきか、ということは分かりません。他人のために何をすべきか、皆のために何をすべきか、ということも分かりません。知っていることも思い出せないのです。
能力障害は罪
今回のテーマ「能力を奪う五つの障害」は能力についての話だから若い人たちだけが学べばいい、と思っている年輩の方々もいらっしゃるかもしれません。しかし、それは間違いです。障害というものは罪ですから、年齢に関係なく、若者も子供も年輩の方も、どんな人も能力に障害があってはならないのです。
この五つの障害に心が支配されると、理性がなくなりますから、心は不浄になります。それで、考えることも、話すことも、行動することも、すべて悪行為で罪になるのです。
(続きます)


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