私本 芦屋の浜のつれづれ草 |
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3月号(第6・7話) |
6) 林野商店街の盛衰(途中から) 帰り舟には塩、干魚、砂糖などの日用品が積み込まれた。下りは一日上りは岸から十数人の男たちが引っ張り上げて三日もかかった。 ♪ 林野名物 代官踊り 踊らにゃあ男の恥となる ドッコイセーコーラセ ドコドッコイドッコイセー 西が浜から積み出す米は 灘や伊丹の酒となる ドッコイセーコーラセ ドコドッコイドッコイセー ♪ 歌い継がれている「代官踊り」の一節である。 高瀬舟は昭和の初めまであったが、全盛は明治時代までである。昔は舟が唯一の大量輸送交通機関であり、二つの川の合流点にある林野は物資の集散地であった。これらの歴史は郷土史家とも呼ばれた父、冨三郎から聞いた話である。今でも白壁の蔵や格子窓の古い商人屋敷が残っている。しかし、その白壁は戦火を逃れる目的で黒くぬられ、船着き場や河原はコンクリートの護岸工事でかつての情緒を失い無粋な景観をさらしている。 それでも興三さんが小中学生の頃はまだ商業の中心地であった。春の桜祭り、夏の花火大会、秋の新嘗(にいなめ)祭、年の瀬、二月の裸祭りなど、機会あるごとに大売り出しや抽選会を催し、近郷からの買い物客でにぎわった。小学三年と五年生の時だから昭和23年と25年であったかと思う。林野商店街が勧進元となり大相撲を招聘した。初回には照国、羽黒山、大内山、名寄岩らが、二回目には鏡里、吉葉山、栃錦らがこの山間の町にまでやって来た。大関吉葉山の左腕に大きな火傷の痕があった。時をへずして吉葉山は全勝優勝を飾り横綱に昇進した。少年クラブに伝記が掲載され、その中で戦時中の秘話が伝えられていた。平幕時代に徴兵されて戦地に赴くにあたり、 「大男が戦死し、異国の大地に転がっていたというのでは情けない」 との思いから、腕に“吉葉山”と刺青をして出征した。幸いに帰還し再度土俵に上がることになった。国技の相撲取りに刺青は不適当との思いから、電気こてで刺青を焼き切ったと紹介されていた。この逸話に興三さんは感激し一層吉葉山のフアンとなった。さしもの豪腕吉葉山も遅れて来た横綱で短命に終わったが、背が高く色白紅顔美男の不知火型の土俵入りは一世をふうびした。ついでながら、川上、大下、青田、別当、藤村らプロ野球の選手や鞍馬天狗の嵐寛十郎、さらに七つの顔、十三の目、二十一の指紋、三十三の足跡など多羅尾伴内シリーズの片岡知恵蔵など大スターのブロマイド集めに少年たちは熱中した。 鞍馬天狗と言えば忘れられない映画の場面がある。一人の美女が刺客として送り込まれ同じ屋根の下で過ごすこととなる。鞍馬天狗は美女の意図に気づくが、微塵も顔にあらわさない。ある日、縁側に寝そべり、彼女の膝枕で髭を剃ってもらう。のどに当てた剃刀を横に引けば、鞍馬天狗の命はない。美女が天狗を倒せる絶好の機会である。子供にも感じ取れる緊張の一瞬であった。しかしながら、あまりの無防備さに美女の手は鈍り、自分が刺客であると告白する。鞍馬天狗の信頼が彼女の決意をひるがえすことになったのである。美人刺客役は宮城千賀子であった。今日、我々は横断歩道では自動車が停車するものと確信して渡る。スーパーで買った和牛は日本で生まれ育ったものと思っている。薬局で渡された薬に毒物が混入されているとは微塵も疑わない。“慣例”と“信頼”、日常生活の中のありふれた言葉であるが、微妙で難しい問題である。最近この“慣例”と“信頼”の二つの言葉が揺るぎつつあるように思えるのは、興三さんだけの取り越し苦労であろうか。 昭和30年頃になると本田のオートバイやマツダの三輪自動車が出現し、日本中が流通革命の渦となる。林野商人たちは客を迎える小売業から近郷農村へ商品を届ける卸業へと事業拡大をはかり、新たな発展期を迎える。由緒のある商家が多く姫路や大阪など都会のメーカーの販売代理権を有し、新製品を安価に直接仕入れることは問屋業を後押しした。一方で交通機関の発達の結果、津山や岡山からさらに大規模な卸商が県北のこの町まで進出してきた。市場の広域化は競争を次第に激化していった。 興三さんの幼い目で見た商家の盛衰を紹介しよう。繭(まゆ)を売買する資産家があった。ご存知の通り繭は都会に集められて絹織物となる。商才に乏しい入り婿が時代の変化について行けず家業は傾き、父や祖父が収集した書画骨董を手放す竹の子生活となる。抜け目がない古道具屋が買い叩き、関西からの購入業者で古道具屋は門前市をなした。まさに死骸に群がるハイエナの風景であった。 興三さんの魚取り仲間の話。老舗の洋品店の息子は幼い頃から勉強ができた。東京の有名私立大学を卒業し大手百貨店に勤務していたが、田舎に帰り稼業を継いだ。積極拡大が裏目となり加えて勝負事が好きな性分が災いして、事業は失敗し店は人手に渡った。噂を耳にした時には胸が痛んだ。 商店街のはずれに鍛冶屋があった。鍛冶匠の老主人が亡くなり若い夫婦が跡を継いだ。これまで立って大きな金鎚を振り下ろしていた息子が、今は座りふいごを操り小さな鎚を使っている。若い妻が夫に代り重い大金鎚で赤に焼けた鉄塊を打っていた。鍛冶屋の前を通る度に、 「小母ちゃんを座らせて、おっちゃんが力仕事をしたらええのになー」 興三さんはと思っていた。しばらくたったある日、 「おっちゃんが温度や形を調節し、小母ちゃんは指図通りに鉄塊を打つのだ」 と気が付いた。夫唱婦随の一つの例かもしれない。 各種商品の代理店をしていたある商家の老主人は、セメント会社との取引権を娘夫婦に分け与え分家させた。日本経済の発展に呼応し土木・建築のブームが到来し、本家をしのぐ商家となる。老主人が来るべき時代を予想してセメントの商いを分離したのかどうか? 経営学の教科書で紹介されるスピンアウト(組織・企業の分離独立)の典型的な成功例である。 暖簾を誇る商家の話。旭ガラス、松下電器、日本火薬など大手メーカーの販売権を保有していた。興三さんが子供の頃は、一畳くらいの板ガラスを窓ガラス用に小さく切断したり電池や電球を売り農閑期の農夫に猟銃を商ったりしていた。ご主人は夏になると花火職人として林野商店街の花火大会を支えていた。後年、中国自動車道の建設が始まると、山を砕き谷を埋める土木工事で火薬の需要が急増する。火薬の販売権と取扱い資格を持つ業者は多くはいない。おそらく作州全域で一、二軒にすぎないであろう。商人であれば誰もが欲しがる旭ガラスや松下電器との取引権を惜しげも無く手放し、火薬販売業に専念し大成功を治める。息子が後を継ぎ、今は夏になると県内外の花火大会を支える裏の主役として稼業は繁栄している。1990年のバブル崩壊以後、企業再建の流行語となった「得意分野への特化と集中」を地で行った30年以上も前の成功物語である。 このような商家の営みを見聞きしながら興三さんは育った。スミ薬局のある下本町は国道179号線に面し、東は姫路に西は津山に通じている。経済と交通機関の発達に伴い、この狭い国道をバスやトラックが行き交い連日交通渋滞をおこし、商店街として不適当となった。昭和50年(1975)頃であったか、行政指導の形で有力商店が資金を出し合い、川向うの入田(にゅうた)に小さな商業ビルを建て、そこにテナントとして入居することになった。新しい時代に向けて商店街の大移動である。このプロジェックトに参加するには元の店を閉鎖するという厳しい条件が付けられた。背水の陣である。店主達は閉鎖した店を住居に改装し、歴史ある林野商店街はこうして消滅した。 商業ビルのテナント制ミニ百貨店は賑わったが、利益の大半はビル建設費の減価償却に消えたのではなかろうか。昭和50年に中国自動車道の美作インターチェンジが開通すると、鉄道輸送は自動車輸送へと変わり人の流れも変わって行く。1990年にバブルが弾けると、これまでの右肩上がりの売り上げが下降線をたどることとなる。都会の大手チェーン店の進出や通信販売の発達、加えてデフレの進行が追い討ちをかけ各店舗の経営は圧迫される。歯が抜けるようにテナントが一軒また一軒と撤退していった。2002年についにこのミニ百貨店は閉館のやむなきに至る。その間の30年近くはあくせく働き、銀行への借入金返済に明け暮れた日々であったのかも知れない。その間に国道179号にはバイパスが敷かれ、元の商店街からは車の往来さえ消えた。今から思えば本町を上りの、茅町を下りの一方通行としてそのまま商店街を続けていたら、自己資金の蓄積が可能であったと考えられる。お役人の行政指導などその程度の、その場限りの無責任な思いつきだけなのかも知れない。こうして今は、ある人は廃業しある店は元の家に戻って再起をはかり、またある店はインターチェンジ近くの新興スーパーの一隅をテナントとして借り受け、家業を続けて林野商人の遺伝子DNAを何とか引き継いでいる。スミ薬局は子供たちが別の道を選びテナントに参加しなかった。現在、兄夫婦は規模を縮小した薬局を守りながら老後の趣味を楽しんでいる。日本経済の盛衰に符号する林野商店街の小史である。 7) 家の履歴書 『週刊文春』は興三さんの情報源の一つである。その中にもう15年も続く長寿のシリーズがある。有名人がかつて住んだ家や家族を主題に、当時の思い出を語る「家の履歴書」という読み物である。今回は興三さんに登場願おう。スミ薬局の家は南側が国道に面し奥行きが驚くほど長い。間口が3間で奥行きが15間の、所謂(いわゆる)うなぎの寝床の形である。小学五年の時だったか、宿題で自分の家のサイズを測る機会があったので、今でも覚えている数字である。縦横の長さの比率は異なるが、ローマ字の大文字で太字のEに似た形である。Eの文字の部分に建物があった。 E字の下側が南で横一の箇所を「表」と呼んでいた。一階には店と奥の間(客間)があり、二階には二部屋と薬の倉庫があった。縦のTの部分に台所、洗面所、炊事場と井戸、そして蔵があった。中間の横一の部分に風呂場と南北の両側に夫々便所がある。その屋根の上には物干し場が乗っていた。上側の横一の部分が「裏」の家で一階と二階に夫々二部屋ずつあった。 空白の部分に庭があり、南側(下側)を中庭、北側(上 側)を裏庭と呼んでいた。 中庭の隅には石の手水(ちょうず)鉢と三個の庭石があり小さな築山となっていた。楓、百日紅(さるすべり)、樫、葵の木があり、隅には擬宝珠(ぎぼうし)と葉蘭(はらん)が植わっていた。築山の周りにはふかふかした苔が一面に茂っていた。夏になると姉達と竹箒と蛍籠を持って、戎橋(えびすばし)を渡り入田に蛍狩りに行った。 ♪ ほーほー蛍来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ ほーほー蛍来い ♪ 籠いっぱいに蛍を採り、蚊帳の中や中庭に放して楽しんだ。 「夏は、夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。」 と、清少納言は枕草子の冒頭の部分で述べている。七夕、花火、西瓜、お月見など中庭の縁側は家族が集まる場所でもあった。四年生の頃だったろうか、毎月の小遣いを一括払いの定額とする代わりに、三つの仕事が課せられた。一つは店の大黒柱に掛けられた柱時計のゼンマイを毎日巻くことである。今のように電池で動くのではない。二番目が裏庭に飼っていた鶏に餌をやること、そして三番目が週三回中庭の掃除をすることであった。勉強は嫌いで遊んでばかりいたが仕事は真面目に手伝った。庭掃除も欠かさずした。一年も経ったころ庭の苔が目にみえて少なくなっていった。 「きれいに掃き過ぎて苔の種がのおなってしもおたんじゃー」(なくなってしまった) と母が教えてくれた。苔の種を掃き捨ててしまい思いもかけぬ結果となった。種の保存というか自然現象に対し子供なりに学ぶところがあった。 この苔事件と似たような状況を最近よく見かける。自宅のマンションの庭や近所の公園や芦屋川の土手などで、園芸業者の作業員が電気草刈り機で雑草を刈っている。短く切ろうとするあまり土まで掘り返している。背が高く強い雑草に対しては”草刈”であるが、苔や芝生や短くて弱い草花に対しては“草取り”で根絶やしとなる。草刈は“根が残る”と言う意味で、草取りとは全く異なる作業である。ここ数年草刈作業員の増加で、背高の雑草は季節が来れば生い茂るが、か弱い草花は徐々に衰退し土地が荒れ地肌がむき出しとなって来た。冬の乾燥期になれば土埃を撒き散らしている。何ゆえ雑草をそうまで短く刈る必要があるのかと思う。皮膚の弱い男性がカミソリで髭をそるようなもので、一生懸命にそったところで夕方には髭は伸びる。しかし傷めた皮膚は半日では治らない。いくら短く刈っても一ヶ月もすれは強い雑草は生い茂るが、弱い草花は根絶やしで死滅してしまう。加えてご丁寧なことに刈り取った草葉を金属(かね)の熊手でかき集め、残った草花をさらに傷める。挙句のはてに集めた草葉をトラックに載せて運び去る。大地から養分を吸い上げ成長した草葉を、他所へ持ち去れば大地の養分は徐々に減少してゆく。小学生でも分かる引き算である。もし刈り取った草葉をそのままにしておけば草葉は枯れて養分は大地に回帰するし、山積みにしておけばミミズが巣を作り、土地に養分を創り出す。現場の状況を知らず環境保護に無関心で、自然の摂理に無頓着な役人や園芸業者のお陰で大地は荒廃を続けている。かつて林野の川原で見た失業対策の護岸工事を思い出す風景である。皆さんはどうご覧になられますか。 裏庭には沈丁花、金木犀、柊、八手、南天の木があり、戦後は姉たちがコスモス、日照り草、ほおずき、バラなどを植えていた。挿し木による増殖方法や小枝を切れば大きなバラの花が咲くことを知った。夏には日照り草が花を咲かせ、春先には沈丁花が、秋には金木犀が甘い香りを漂わせていた。南天の実をついばみに小鳥が訪れることもあった。その木の傍に大きな水かめがあり、取って来た魚を沢山放していた。水苔や水草が育ち餌をやる必要はなく魚たちは自然の状態で安住していた。ある晩、大雨が降り翌朝見ると水甕の水が溢れ出て、ナマズが跳ね出て死んでいた。一番大切な25センチほどの大物であった。悔やまれてしかたなかった。 (閲覧有難うございました。次回は「4月号」をクリック下さい) |
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