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大学卒業後、一旦は中国語を活かして半導体貿易商社へ勤務するが、
組織の一員であることに違和感を感じ、数年後に退社。
退社後は自分にあった職業を模索。結果、好きなことを職業にと考える。
やはり大好きな音楽で生きていこうと、ロックバンドでのプロデビューを目指し、
実現できそうになった時期もあったが、現実はそう甘くはなかった。
もうひとつの選択肢として、幼少の頃より模型作りに熱中していたことから
手先の細かな物づくりを職業としようと考えるが、
理科系を進んでいないことと、やはり音楽を捨てられずに悩む。
悩んだ末に到達したのが、音楽性とメカ的要素を兼ね備えた調律師という選択。
しかし、調律学校の学費の高さや学校の年齢制限がネックとなり、
昔ながらの師への弟子入りという選択で目指すことを決意する。
その後、師の仕事に同行しながら数年の修行を続ける。
修行期間中は当然収入はほとんどなく、アルバイトをしなければ
生活が成り立たない日々が続く。
ようやく仕事を任せていただけるようになった頃、晴れて独立することになるが、
この頃運命的に現師匠と出会う。今まで自分がやってきた技術がいかに
次元の低い物であったかを思い知らされ、改めてピアノの世界の奥深さを痛感する。
その後、更なる技術向上のために、新たな師の元で修行を開始。
欧州の歴史に残る世界的名器を完全な状態に復元する、
いわゆるオーバーホール技術、および国産ピアノにおける
更なる技術力の向上、ピアノの持つ潜在能力を最大限に引き出す
整音技術を習得するため、師の厳しい指導が始まった。
師の元へ入門して10数年が経過した現在も、定期的に師の工房を訪れ、
欧州での研修や、さまざまなピアニストとの交流の場を与えてくださる
恵まれた環境の中で、日々精進を続けている毎日である。
「音作りのコンセプト」 は、教科書通りの「数値第一主義」という
概念を排除し、あくまでも「音色」を重要視すること。
加えてアコース
ティック楽器であるピアノにも、パソコンを使ったデジタル技術を
積極的に取り入れ、デジタルとアナログの限りない融合を目指す。
また、調律師としての最も大切な仕事とは何か・・・
「お客様のイメージにあったピアノを選定し、素晴らしい調律と整音を
施した上で、ピアノから離れがたい気持ちにして差し上げること。」
これは我が師匠の口癖であると同時に、非常に厳しく身をもって
教えられ続けているモットーである。
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