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真摯な姿
2002.12.31
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リウボウホールで新良幸人withサンデーの今年最後のライブ『年末だよ、おっ母さん2002』をみた。 前日のパーシャクラブの一員としての演奏とはまた表情が違っていた。
昨日の座開きと同じ「鷲ぬ鳥節」を丁寧に唄い上げると、八重山民謡、パーシャのオリジナルなど16曲を唄った。今回はゲストに志田真木さんを踊りに迎え、浜千鳥、加那ヨーの地方まで勤めた。間近でみる上等の舞踊もまさにぬちぐすいであった。
それにしても、新良幸人という人は本当に希有な唄者だと思う。唄っているのは八重山民謡なのに、聞きに来ている人の感覚に民謡を聴きに来ている感覚はあまりないだろう。八重山民謡を習っている自分にしても、民謡を聞いている感覚はない。普通に現代のミュージシャンのライブを聴きに行っている感覚だ。
この感覚は、その演奏のスタイル(服装や奏法)のせいではないだろう。演奏に対する真摯な姿が、民謡を同じ時代を生きる人の音として聴き手に届けているのではないだろうか。
昔、JAZZ研の先輩がいっていた言葉を思い出した。
「チンチキ、フォービート刻んでりゃジャズ演ってるってモンじゃねんだ」
同じことだと思う。
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パーシャの御用納め
2002.12.30
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パーシャクラブも今日が御用納めライブだった。幸人のMCでも「沖縄でも久しぶりに息が白かったね」という話がでたが、ここ数日は沖縄も寒い日が続いている。本土からのお客さんもけっこう居たようだが、流石に思ったより寒かったのではないだろうか。
いつもライブは一番前の席に座ってみることにしているが、すでに満席だったので少し後ろの席でみた。会場全体がほぼ見渡せて、お客さんの反応がよく分かった。バンドの動きも俯瞰できた。たまには少し後ろでみるのも勉強になると思った。
今日はちょっと演奏が新良かったような気もしたけど、ノリは充分だった。特にMCが絶好調で、ひさびさ「たる兄さん」とのラブストーリーネタも飛び出した。もうちょっとアンコールやって欲しかったけど、御用納めですからね。忘年会が待ち切れなかったか。
追記:
オフィスパーシャの末吉さんに、このWEBを開設する時「参考音源」にCDジャケット画像の掲載を了解して頂いたお礼の挨拶も出来た。感謝。
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食堂でとぅばらーま
2002.12.29
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時々行く開南の食堂(なぜかスタレビ御用達の店)に友達を連れて行った。客のひとりが、友達の買ったばかりの三線をめざとく見つけ、どれどれ見せてみなさいと言いだした。
こういうパターンの場合はたいがい適当に眺め回して、高いだの安いだの言われた挙げ句、へたくそな琉球民謡を聴かされたりすることが多い。酔っぱらっているとなかなか返してくれなくて壊されないかとはらはらする事もある。
しかし、このおやっさんは違った。いきなり、「でんさー節」「古見ぬ浦節」「小浜節」ときた。本島では、八重山出身の人の店とかに行くでも無い限り、普通の店で八重山民謡の唄い手に出くわすことは珍しい。
聞けば、由布島の水牛車で三線を弾きながらガイドをしていたという。粗っぽいではあるが、何百、何千の人に聞かせてきた唄なのだろう、味わいがないはずがない。「とぅばらーま」を唄いだした頃には、友達は少々涙ぐんでいた。
おやっさんはきっちり「みるく節」で場を締めると、「上等三線」と言い残して店を後にした。
それにしても、さっきまで自分が弾いてまともな音が出なかった三線が、美しい音を響かせたので、友達はたいそう喜んだ。というか安心したようだ。
はじめて買った三線はとにかく可愛いもの。
末永く弾いてあげてくださいね。
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はじめての授業
2002.12.28
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人に教えることは自分の勉強になるという。今日、はじめて人に三線を教えてみて身をもってそう思った。
あぁ、最初は一本の弦を鳴らすのも大変なんだな。ドレミファソラシドを弾くのもおぼつかないんだな。爪で弾くってなんて非日常的動作なんだろう。と、そんなことを思った。
同じ所を何度も何度も間違える。それでも繰り返しがえし教えるとはこんなにわじわじする作業なのか。相手に分かり易いように手を見せながら弾くってやりづらいなあ。と、よ〜くわかった。
それでもしばらくして、急にスムースに音が出だす瞬間がやってくると、教わっている人の表情がゆるむ。東京ではじめて「安里屋ユンタ」の唄待ち(前奏)が出来たときの、嬉しかった気持ちが蘇った。
今日教えたあなたが私の生徒第一号です。いつか一緒に唄あしびする日を楽しみにしています。がんばってください。
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ここは研究所だからよ
2002.12.27
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習い事をする人の中には、上達しないことを先生のせいにする人がいる。ちゃんと教えてくれないから上手くなれないのだと。芸ごとは身体で憶えるもので、口を開けて答えを待っていても上達はしないのに。
確かに中には非道い先生もいる。唄い方が毎回違っていたり、自分で教えないで弟子任せの人もいるようだ。しかし、その先生を選んだのも自分なのだから、やっぱりそれも自分の判断ミスだ。おかしいと思ったらさっさと他をあたろう。
「ここは研究所だからよ」うちの師匠の口癖。教える方も教えられる方も、お互い唄を真ん中に据えて研究するところだという。師匠は繰りかえしがえし出来るまで根気強く教えてくれる。お陰でこちらはじっくりと研究することが出来る。ありがたやありがたや。
などと書くとちょっとかっこ良過ぎか?
半分くらいはゆんたくひんたくしながら、
今宵も大底研究所の夜は更けてゆく…。
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年末だぜ幸人さん
2002.12.26
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いろんなゲストを迎えて、那覇市民会館の大ホールでアイロウ&タカのファーストライブが行われたそうだ。新良幸人もゲストで登場したらしい。
ある私の友達は、仕事で幸人とつきあいがあるのに、この時はじめて演奏を聴いたそうだ(珍しい奴)。とても良かったと夫婦揃って私に熱く語ったが、前から良いといってるじゃないですか。ただの競馬好きのおじさんじゃないんだってばさ。
今年はまだ、29日にClub D-Setで『Parsha cluB 2002 Last Live』、30日にリウボウホールで『新良幸人withサンデー 年末だよ、おっ母さん2002』が控えているので、たっぷり聴いてもっと好きになってください。
ちなみに幸人呼ばわりしてますが、ほんの顔見知りです。
向こうは覚えてないと思うけど…。
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鬼も笑う来年の話
2002.12.25
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年が明けると、各流派や団体では新年の弾き初め会をするそうだ。八重山古典民謡保存会の那覇支部でも弾き初め会の予定が通知された。
新人賞合格者は「鳩間節」の地方をやることになった。優秀賞は「赤馬節〜しゅうら節」の地方、最優秀賞は「仲筋ぬぬべーま節」「しょんかねー節」「月ぬまぴろーま節」各独唱とのお達しだ。
その他、全員斉唱に「鷲ぬ鳥節」「鶴亀節」「目出度節(松竹梅)」、「くいぬぱな節」「かたみ節」「赤また節」「高那節」、「古見ぬ浦節」「安里屋節」「黒島節(正月ゆんた)」「まへーらつぃ節〜とうすい」、最後に「弥勒節〜やらよう」が待っている。
楽しい座になりそうではあるけれど、いきなり言われても弾けない曲も半分くらい…。師匠は「全部弾けなくても良いさ」といいながら、「めでたい席ではこれくらいは弾けんといかんさ」とまたよく分からないことを言う。どっちなんだ!
まあ、いちおう来年の話ですから。
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“サンシン”グ
グレイト
2002.12.24
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三線の練習をしているとふしぎな出会いがある。
とまりんの隣の公園で練習していたとき、遠巻きにじっと聴いている人が居た。しばらくするとそのおじいが近づいてきて、近くで聴かせて欲しいと言う。隣の椅子に腰掛けて、しばらくつたない演奏を聴いていただいた。
また別の時、市場の三線屋で練習させてもらっていると、そのおじいと再会した。実は琉球古典音楽野村流の優秀賞まで修めた方で、こんどはおじいの演奏を聴かせてもらった。上等だった。
三線の話で盛り上がり、行きつけの店に連れてゆくというので付いてゆくとそこは「桜坂」。海洋博の頃からやっているという店だった。おじいは“レーザー”カラオケも上等だった。
三線の音色は人の縁を結ぶ。
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ようこそ先輩
2002.12.23
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八重山でのコンクールを通じて知り合った先輩(祝・優秀賞合格)とその旦那さんが来沖した。居酒屋で沖縄料理をつつきながら、思う存分三線談義に花が咲いた。
時々別の教室や、別の形で学んでいる人と話をすると発見が多い。昨日の八重藝の発表会ひとつとっても、観ていたポイントが違っていて面白かった(副部長の豊見城くん。強力なおねいさんがファンにつきましたよ)。
話は尽きなかったが、続きはまた今度。
お互いこれからも精進しましょう。
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八重山藝能研究会
2002.12.22
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念願だった琉球大学の八重山藝能研究会(通称:八重藝)の発表会を遂に見ることが出来た。噂には聞いていたが、ホントによかった。
いろんな芸能発表会を観たが、どれとも違う印象を受けた。個人の技量もさることながら、プログラム全体のまとまりがすばらしかった。多くの舞台は普段個別で活動している舞踊、唄三線、太鼓、笛、箏などの要素が集まって舞台を構成している感じだが、八重藝の場合は、八重山藝能発表会を目指して個別の練習を練り上げているからだろう。
舞台芸能では基本となるような、きちんとすべきところがきちんきちんと整えられている。調弦ひとつとっても、調弦は調弦担当がまとめて行う。個人の調弦を信用しないと言うわけではない。正確に揃えるためにより合理的な方法を採っているのだ。整えられているからキレがある。最初、舞踊や地方のキレは若さの力なのかと思ったが、こうした工夫と訓練の集積だと思う。
演目は、八重山の各島々を取材して舞台に上げているだけあって、島の藝能の清々しい雰囲気をよく再現していたと思う。過疎化、高齢化の進む各島々の藝能は嘗てこのような賑わいと若々しさに満ちていたのだろうと思いを馳せた。
とにかく、みんな上手で参りました…。
追記:
自身を除く37名の部員のフルネーム、所属学部、出身地を暗記して紹介した部長の大木浩之君に拍手。『はじめての三線』の著者でOBの漆畑文彦さん、カチャーシーマスター池城隆明さんにも会うことが出来て嬉しかった。
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油断しるな
2002.12.21
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新人賞は合格できたので、ここのところ優秀賞の課題曲を中心に練習している。「蔵ぬぱな節」に悪戦苦労しているところ。
お稽古で、久しぶりに「月夜浜節」を唄った。「月夜浜節」は新人賞の課題曲の中でも最後まで手こづった曲だ。それだけに一番練習した曲ではなかっただろうか。ところがコンクールからたった数ヶ月で弾けなくなっている…。
「鷲ぬ鳥節」の様に普段弾く機会の多い曲はなかなか忘れないが、そうで無い曲は意識して弾かないと忘れてしまう。よく弾く曲も、ちょっと油断していると打ち音(ハンマリングオン)や掛け音があやふやになっていたり、何度も直されたところが元に戻っている。
先へ進みながらこれまでやった曲も維持しなければならない。
油断しるな。
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最初の一週間
2002.12.20
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箆柄通信をスタートして早くも一週間が経った。この間、いろんな方々からメールを頂いた。
引っ越しブルーになっているときに元気をもらった移住体験記の著者、まだ会ったことがない大山泰則先生門下の兄弟子、コンクールの会場で同じ緊張感を体験していた人もいた。いつかどこかで唄あしびしましょう。
WEB開設の準備段階で、画像の掲載許可をお願いした出版社やレーベルの担当の方、著者の方、唄い手本人から、完成したWEBの感想を頂いたりした。いつか何かの形で一緒にお仕事できたら良いなと思います。
そして意外と『ちぶ窯ON LINE』や『週刊沖縄ふぁん』にもアクセスしていただいているようで、こちらも感謝。とくに『ちぶ窯ON LINE』はこれから充実させていきます(徐々にですけど…)。
とにかく見に来てくれたすべての皆さんに感謝。これからも地道にいろんな試みを重ねていきたいと思うので、ゆたしくゆたしく。
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唄者の休日
2002.12.19
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毎夜、地酒横丁のステージに立つ奥平幸男しぇんしぇいは、休みの日も民謡スナックへ足を運んでは飛び入りで唄っている。いや、正確にはステージが跳ねた後もちょくちょく出向いている。もちろん仕事ではなくて。
「余所の店の様子を見に行くのですか」と聞くと、「すぅきで唄っている。それだけ」と軽く返された。「水商売のおねいさんのホスト通いみたいさね」というと、いつもの細い目を細めて「ふふん、ふふん」と笑っている。
民謡スナックのしぇんしぇいは、地酒横丁でのしぇんしぇいとはちょっと違う。ここでは好きな唄を好きなだけ気持ちよさそうに唄っている。ゆるーいかんじがかっこいい。店専属の唄者がステージに戻ってくると、さっさと切り上げてしまーをちびりちびりとやり始める。「人の唄を聴くのもすぅき」という。
しぇんしぇいは海洋博の頃しこたま儲けたらしい。あっちでもこっちでも引っ張りだこで、ギャラも良かったらしい。でも全部使ってしまったという。いまは仕事が途切れずに、唄さえ唄えればそれで良いさぁという。
明日もまた地酒横丁の舞台が待っている。
これが唄者の休日。
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拍子・仮名付け・唄情
2002.12.18
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師匠からは「唄には情(なさけ)が必要だ」と常々言われている。しかし、「情は入れようとしてはいけない」とも言われている。この禅問答のような教えを、師匠は「拍子・仮名付け・唄情」で説く。
師曰く、一番目に大事なのは「拍子」である。その曲に適したテンポをきちんと維持して弾ききること。遅すぎても速すぎてもいけない、曲の途中で速さが変化してもいけない。また、どんな上手な人でもひっちゃき(ミストーン)する事はあるが、それでも狼狽えないで唄い終えることが大切。
師曰く、二番目に大事なのは「仮名付け」である。歌詞の意味をきちんと理解して、正確に三味線にのせてゆく。八重山民謡の場合、三線と唄が逆音になったり、打ち出しとずらす節回しも多い。そうした部分を手を抜かないで、しかも自己流に流れないで唄いこなしてゆくことが大事だ。
師曰く、「唄情」は自然と付いてくる。「拍子」と「仮名付け」をしっかりと練習したら「唄情」は自然と付いてくるので、コブシを入れたりひねったりして安易に情けを入れようとしてはいけない(悪のフォースということか)。何回も何回も弾きこなして自然に「唄情」が出てくるのを待ちなさい。
そして、弾けるようになったら“人の前で”千回弾いて、ようやく丸味が出て情のある唄になってくるのだという。これが師匠の師匠から伝わる極意。
結局、芸の道に王道なしか。
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味という壁
2002.12.17
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それなりに音楽の素養のある人なら、集中して練習すれば短期間に三線が上手になるだろう。三線という楽器は間口が広く、誰にも取っつきやすい。しかし本当に三線が弾けるようになるとはどういうことなのだろう。
酒飲み座で三線があれば勧められるままに弾く。そのたび島の地方や街の隠れ節なおじさんの味クーターな演奏に返り討ちを喰らう。聴いている人たちの反応が全然違う。
自分は上手だねと感心される(おだてられる)のが関の山だが、おじさん達の唄からは、いつの間にか踊りの輪が広がり、手拍子が飛び出す。やっぱり自分はまだまだ型を身につけたに過ぎないのだなと思い知る。
コンクールに向けて課題曲を必死に練習した。課題曲とその周辺の曲は技術的にはそれなりに弾けるようにはなった。しかし、それは細く積み上げた塔のようなものだ。習ったものから少しはずれたら何もない。味もない。
酒飲み座で出会う唄者は、沖縄の自然、社会、歴史、暮らし、そうしたどでかいすそ野を持っている。すそ野の大きな山は高く逞しい。懐が深く豊かな味わいを持っている。そんな味が一朝一夕に身に付くはずもないが、少しでも近づけたらと願うばかりだ。
本当に三線が弾けるようになりたい。まずはご精進ご精進。
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おとなの試験
2002.12.15
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琉球民謡音楽協会の教師・師範試験を見学してきた。会場は西原町公民館。今回は琉球民謡音楽協会設立以来、最初の教師・師範試験となる。
教師14 人、師範5人が試験に挑んだ。コンクールとは違い、それぞれキャリアがあるためか、会場の雰囲気はわりと和やかだった。しかし、コンクールとは違う緊張感が漂っていた。挑戦者の中には、すでに少しは名前の知られている人もいる。合格しないと面目が立たないということもあるのだろう。
最初のうちは、やはりこのクラスになるとみんな旨いなあと聴いていたが、耳が慣れてくるとすこしずつ弱点も見えてくる。三線の音色やテンポが気になる。特に八重山の曲は節のひとつひとつが気になる。キャリアがあるだけに、逆に癖になってしまっている部分もあるのだろうか。
結果は、教師は11名合格、師範は全員合格だった。
合格された方おめでとうございます!
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今週の唄者
2002.12.14
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ちょっと前にエフエム那覇の『今週の唄者』という番組に出演した。この番組は、毎週民謡を習っている街の素人さんを紹介する15分番組だ。曲を二曲ほど唄って、後は民謡を習いだした切っ掛けや、研究所の様子などのトークを流す。
エフエム那覇ではアナログテープは使用せず、いきなりデジタルデータをiMacに取り込んで編集する。自分が出演した回の録音もCD-Rで頂いた。唄った曲は新人賞の課題曲の中から「鷲ぬ鳥節」と「安里屋節」。早速聞いてみる。細かいところで反省点はたくさんあるが、思っていたほど悪くはないような気がした(甘いか?)。
著作権の関係で番組のデータはお聴かせできないが、そのうち八重山古典民謡コンクールの新人賞合格とはどの程度のレベルが必要なのか、目安として自分で録音したデータをアップしようかと思う。リクエストが有ればだが…。
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琉球古典藝能祭を
観てきた
2002.12.10
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このWEBを作成するにあたり、琉球古典芸能に対する理解の不足を痛感した。そこで、「琉球新報社琉球古典芸能コンクール」の合格者による「琉球古典藝能祭」に足を運んでみた。全部で十九の演目を観るうちに、少しだが特徴が見えたような気がする。
まず、演奏のスタイルだが、唄三線の地方(じかた)が五名、箏、笛、胡弓、太鼓(無い場合もある)がバックとなって、踊りを見せるのが基本形だということを知ることが出来た(すみません基本的すぎて)。演奏は踊りと共に舞台の見える位置で行われるのも、民謡のスタイルとは異なっていた。
地方の人たちの技術レベルは非常に高く、指先の動きまで揃っているのに驚いた。その中で、唄三線はそれ単体としてではなく、アンサンブルの一部として存在するものだと理解した。三曲ほど独唱(箏は付く)もあったが、あくまでプログラムの中の見せ場としてのソロパートのように感じた。(もちろんもの凄く旨いのだが)
曲調については、ゆったりとして重厚なものが多く、様式化されていている感じがした。格調の高い琉舞であっても、民謡を元にした雑踊りであっても、一定の色合いに標準化されている印象を受けた。歌詞の意味が分からないので、楽曲よりも踊り手の衣装や動きといった視覚的な面で曲の特徴を読みとるしかなかった。
疑問も残った。現代の琉球古典はいったい誰に向けた音楽なのかという点だ。琉球古典藝能は中国からの使節団を接待する外交の手段として発達した藝能と理解しているが、いまとなっては本来の見せるべき相手が存在しない。琉球古典は琉球古典に取り組んでいる人以外、どちらを向いているのだろう。
まだまだ理解不足だ…。
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