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とぅしぬゆーるー
2003.01.31
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明日は旧正月。今夜はとぅしぬゆーるー(年の夜、大晦日)なので、糸満の白銀堂まで行ってみた。入口から境内にかけて、たくさんの白い提灯が掲げられていたが、おみくじも御神酒も無く、人影もまったく無かった。
真夜中を越える頃になって、ようやくぱらぱらと人が訪れ参拝を済ませ帰って行く。この日わざわざ参拝に来ると言うだけあって、真面目に祈りを捧げているようにも見えた。
年輩のご夫婦が、ビンシー(御願セット)を持参して正式な拝みをして帰っていった。私も一緒に後ろで拝ませて頂いた。
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唄待ち千回
2003.01.30
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師匠の知人が三線を携えてふらりとやってきた。「鷲ぬ鳥節を教えて」というので教えることとなった。
全くの初心者ではないようだが、なかなか上手く音が出ない。そこで何度も何度も唄待ち(前奏)を繰り返すこととなるのだが、これにお付き合いした。とにかくずっと唄待ちを繰り返した。
最初は相手のために弾いていたのだが、途中からなんだか面白くなってきた。爪の持ち方、弦を弾く位置、三線の角度をすこしずつ変えてみると、音質や弾き易さが微妙に違ってくる。それが面白いのだ。
気が付くと30分以上は唄待ちを繰り返しただろうか。ほとんど素振り千回みたいな世界だが、こんな機会は自分ではなかなか作れない。
爪の先が弦を弾く微妙な感触を感じることが出来るようになった。
良い練習になったと思う。
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野球の季節
2003.01.29
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今日は三線の話はお休み。
他のチームに先駆けて、阪神タイガースの選手が続々沖縄入りしている。今日はついに星野仙一監督が沖縄入りした。中日ドラゴンズ時代は毎年北谷でキャンプを張って来た星野監督だが、今度は阪神の監督としての宜野座入りだ。
もちろん古巣ドラゴンズもそろそろ選手の現地入りが始まるころだ。
ドラゴンズといえば、1974年に見事ジャイアンツのV10を阻んだときの監督がウォーリー・要・与那嶺監督だ。われわれ世代にとって『燃えよ!ドラゴンズ/唄:板東英二』の最後の一節は「それはひとこと優勝だ、与那嶺監督の胴上げだ♪」なのだ。
与那嶺氏はハワイ出身の日系二世で、もちろんうちなんちゅの血を引いている。アメリカンフットボールの49rsに在籍したこともあるが怪我で野球に転向。助っ人外人としてジャイアンツに入団し、攻撃的なスライディングや先進的な野球技術で、日本の野球を変えたと言われる名選手だ。たしかジャイアンツ在籍中の通算打率は歴代ナンバーワンだったと思う。
今もご存命で、74年の優勝に貢献した星野監督との親交も厚いそうだ。もしももしも沖縄に来たら『野球を変えた男 ウォーリー与那嶺/ベースボール・マガジン社刊』にサインしてもらいたいと切に願う。
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上等三線
2003.01.28
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お稽古に行く前に、行きつけの三線店でちょいと練習させてもらった。
今日は作りたての、くるちー棹の上等三線を弾かせてもらったが、さすがに音もまろやかだし、持った時の質感もよい。少し柄も入っていてかわいー小である。皮の張り具合も申しぶんない。
良い楽器をさわると、ちょっと上手くなったような気がして嬉しい。嬉しい気分のままお稽古に入ったら、「小浜節」の問題の箇所がだいぶ良くなっていて更に嬉しかった。
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ぐっと回すところ
2003.01.27
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優秀賞の課題曲には“ぐっと回すところ”が随所にある。こういうところは節回しに変な癖が付くとなかなか直せない。
特に「小浜節」のぐるっと節を回すところに手こずってきたが、ようやく今日からくりが解けた。あとはこれを実践し、意識して定着させねば。「浦ぬぱな節」も同じくだ。
追記:
ようやくこのサイトも検索エンジンに引っかかるようになってきた。どうしたらいいかのコツが分かったので、工夫した結果が出たのだ。多くの人に読んでもらえると嬉しい。
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芸能スペクタクル
2003.01.26
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宜野湾のコンベンションホールで行われた、JTBオリジナルイベント『杜の賑い』を観てきた。
琉球古典音楽にのせた舞踊の数々、獅子舞やエイサーなどの郷土芸能、沖縄のヒット曲メドレー(出演:日出克、夏川りみ、仲田正江、新ネーネーズ)、旗頭やじゅり馬まであって、盛りだくさんの内容だった。
ひとつひとつの出し物の規模も凄かった。50人の花笠、20頭の獅子舞、50人のエイサーに、100人のじゅり馬なんて初めて見た。「これが琉球芸能の集大成だ!」と言われたら疑問だが、芸能スペクタクルショーとしてはおもしろかった。
それにしても、流石にこういう大舞台では琉球古典が本領を発揮すると感じた。前半の舞踊全般に渡り野村流音楽協会の方々が演奏をしていたが、「四つ竹」から「かしかけ」まで、たっぷりと楽しめた。
のべ12,000人(3,000人×4回公演)の観光団の皆さんも、すっかり虜になったことだろう。
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民族の唄
2003.01.25
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モンゴル、カザフスタン、中国と国境を接するアルタイ共和国に「カイ」という歌唱法があることを知った。日本語では「喉唄」と訳されていて、モンゴルの「ホーメイ」にもうちょっとメロディを加えたような感じの唄い方だ。
唄う内容はアルタイの英雄叙事詩や子守歌で、決して派手な音楽ではないが、聴衆はこれを聴きに遠くから集まり、じっと聴き入る。旧ソビエト時代には途絶えそうになった民族の唄は、若いこの国にとって宝物なのだろう。
唄いながら鳴らしていた二本弦の楽器はちょっとだけ形が三線に似ていた。
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三線とマイク
2003.01.24
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民謡スナックの舞台などでは、しばしば三線の胴に穴を開けてマイクを仕込んだ三線が使われている。裏側に皮が張られていなかったりすることもある。営業スタイルに合わせた改造と分かっていても、こうした三線を見るとなんとなく悲しい。
いつかマイクを使うような舞台に立つときは、やっぱり普通のマイクで音を拾うか、幸人みたいにクリップで留めるタイプのマイク(おそらくRAMSA WM-S2だと思う)を使いたい。
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急いで鼻で吸え
2003.01.23
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息が続かなくてずっと悩んでいるが、もと管楽器奏者の友達から「息は鼻から思いっきり吸え」と言われて試している途中。
確かに以前よりは息が長くなったが、まだ慣れていないので吸うときに凄い音がする。素早く吸えないので意識して準備しないと打ち出しに間に合わない。急いで鼻で吸えるようになるにはもう少し練習が必要だ。
そういえば、テナーサキソフォン奏者の先輩も、めん玉ひんむきながら鼻から吸ってたっけ。
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消えた赤瓦家
2003.01.22
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朝からガラガラと音がするのでなんだろうかと思っていたら。近所の無人になっていた赤瓦家の取り壊しだった。取り壊した後、家に隠れていた井戸が見えるようになり、そこで拝みをしている人を見かけた。
沖縄には至るところに拝みの風景がある。街角で、家並みの陰で、海で、山で、ひっそりと拝みを捧げる人の姿がある。そうした拝みのパワーが沖縄を支えているような気がするが、そんな景色も減りつつあるのかもしれない。
近いうちにもう一つ近所の赤瓦家が壊されると聞いた。建物の間でつぎはぎだらけに補修された赤瓦家だ。住人のおばぁはどこかへ引っ越すと聞く。
またひとつ拝みのパワーが減るような気がした。
追記:ようやく1000ヒット達成。ご愛読ありがとうございます。
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あと8ヶ月
2003.01.21
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今年のコンクールまであと8ヶ月。
ようやく「赤馬節」「浦ぬぱな節」「小浜節」の三曲は手と唄を覚えた。「上原ぬ島節」に取りかかったところ。「古見ぬ浦節」「大浦越路節」はほとんど手つかず…。
といいつつ、先の三曲も骨組みだけで、まだ全然角も取れていなければ肉も付いていない。「優秀賞からは弾けるだけではダメ。情けも入らんといかんよ」と言われても、一通り通すのがやっと。
ホントに全部出来る日が来るのだろうか…。
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とぅばらーまの
思い出ばなし
2003.01.20
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沖縄の古い建物を集めたテーマパークに行った。
建物のひとつで、ぎこちなく「島唄」の練習をしている唄者がいた。客もまばらな時間だったので「何か一番好きな民謡をお願いします」と声をかけてみた。最初は「十九の春」を演奏してくれたが、その後は読谷やオリジナルの民謡を披露してくれた。
私が八重山民謡を習っていますと言うと、その人が若い頃八重山に行ったときの思い出話をしてくれた。
泊まった宿の裏に広場があり、近くの人が集まって宴会になったそうだ。「とぅばらーまを唄ってみろ」といわれたが、畏れ多いので三線の伴奏だけして村の人に唄ってもらったそうだ。村の人が次々に自分の好きな歌詞でとぅばらーまをまわしていくのにとても感動したそうだ。
その感動を思い出しながら、無理を言って最後に「とぅばらーま」を唄ってもらった。思わず下手な囃子を入れさせていただいた。
気が付くとお客さんが集まっていて、拍手の渦が湧いた。
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あーすんの新年会
2003.01.19
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師匠の生まれ島、黒島郷友会東筋(あーすん)支会の新年会へお邪魔した。
途中で「ちんだら節大会」が行われた。師匠から「あい、おまえも唄え」とまたもや指令が下り、エントリーした。新年会の余興とはいえ、会場には玉代勢泰興先生や保存会の先輩もいる。しかも審査委員長は當山善堂先生だ…。
他の出場者は民謡を習っている人でもなかったので、三線は地方に任せ、マイクを握って唄っていた。普通の人の唄なので調子も節もめちゃめちゃだったが、外れれば外れるほど会場は盛り上がる。
三線を弾きながら唄ったのは私だけだったので褒められたが、歌詞を見ながらだったのがちと情けなかったか…。結果は特別賞。賞品はずしりと重いのでなんだろうと思ったら「SPAM」の詰め合わせだった。
弥勒節に乗って弥勒様が登場したり、おばあちゃんの見事な口説踊りがあったりと、大変楽しい新年会だった。最後の「正月ゆんた」で、諸先生、先輩方が子どものように楽しそうに唄い踊る姿が印象的だった。
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変わり三線
2003.01.18
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普通の三線の天(ヘッド)の部分に、ギターのペグを無理矢理三つ打ち付けて、六弦に改造した三線を見た。胴にはピックアップマイクも仕込んであった。
うーん、いくらなんでも、この三線はちょっとかわいそうだと思った。
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ひと安心
2003.01.17
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三線が縁で知り合った、年輩の知人と同じ名字の葬儀の看板を街角で見かけた。その方の住まいにも近かったので心配になった。
気になるので携帯に電話してみたがつながらない。ご自宅にかけてみたら奥様が電話に出て、ご主人は無事だということが分かってひと安心。亡くなられたのは遠縁の方だった。
ご主人は、今日は琉球古典の仲間と回している模合に出かけているとのこと。
元気で何よりでした。
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突然の訪問者
2003.01.16
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今日もゆんたくひんたくしながらお稽古をしていると、當山善堂先生がふらりと現れた。大底師匠から「審査員の先生が来てくれたからまずは独唱しろ」といきなりの独唱指令。緊張の中「赤馬節」を演奏。
大底師匠にいつも注意されているところはやっぱり注意されてしまう。打ち手の強さ、中舌音の発音、調子の乱れはコンクールでは減点の対象だ。姿勢に付いてもチェックされ、直してみると弾きやすくなった。
當山先生も交えて合唱したり、独唱を廻したりして、楽しいお稽古となった。師範同士で細かい唄い廻しについて議論しているところも、横で聞いていて、ああこんな風に細かいところまで注意して唄っているのだと勉強になった。
お褒めの言葉も(ちょっぴり)頂くことができ、励みになりました。
ご指導ありがとうございました。
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農連市場の民謡
2003.01.15
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農連市場では、所々に付いているスピーカーから有線が流れている。
角を曲がると、今日も有線が聞こえてきて来る。流れているのはだいたいいつも民謡。ここでは三線の音が変に生音っぽく聞こえる。
今日も誰かが弾いているのかと思ってドキッとしたが、農連市場で三線を弾いている人を見たとがない。
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謎の宮古民謡
2003.01.14
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私にとって宮古民謡は謎の領域だ。漠然と曲のイメージは有るのだが、どんな人の唄が良いのか、どんな団体があって、コンクールとか有るのかも分からなかった。たまたま民謡を習っている宮古の人と出会ったので聞いてみると、少し情報を得られた。
「宮古民謡の特徴は?」と訊くと「とにかく元気になる曲が多い。八重山のようにしっとりとした曲や、本島のように男と女の色っぽい唄は少ないが、とにかく楽しくなる曲が多い」と言う答えが返ってきた。
また、宮古には「宮古民謡協会」と「宮古民謡保存会」があり、それぞれがコンクールを開催するそうだ。誰でもどちらのコンクールでもを受けることが出来、新人賞を一方の団体で受けて、優秀賞を別の団体で受けることも可能なのだそうだ。何とも宮古らしい現実的な制度だと思う。
なんだかかえって謎が深まったような気もする…。
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新たな友達
2003.01.13
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半年ほど前に沖縄にやって来た人からメールを頂いた。
聞けば同じく本土で八重山民謡を習っていたという。東京の大山泰則先生と兄妹弟子の慶田盛先生の弟子だったと言うことなので、お互いいとこ弟子にあたる人だった。是も何かの縁、しまーをくみ交わした。
やまとぅーの友達はほとんどいない私だが、数少ないやまとぅーの友達が増えた。友達と言っても先輩である。
今後ともよろしくお願いいたします。
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最初の一ヶ月
2003.01.12
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WEBサイトを公開して早くも一ヶ月が過ぎた。未だ検索エンジンに引っかからない割には、それなりのヒット数を頂いたと思う。
コンテンツの追加が出来ていないので、もう少し地道に情報量を増やそうと思う。そんな中でリンクは初期よりも充実してきたと思うのでチェックして欲しいところだ。リンクを通じて更に広がった交友範囲も大きな財産となった。
箆柄日記を毎日更新できたのは上出来。この調子この調子。
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弾き初め会
2003.01.11
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八重山古典民謡保存会那覇支部の、2003年度弾き初め会が、料亭那覇で開催された。保存会会員に、ゲストの箏曲と舞踊の研究所、笛の方々を合わせて、総勢120名を越す大宴会となった。
新年に相応しく全員での「鷲ぬ鳥節」斉唱から始まり、優秀賞受賞者の「赤馬節」、最優秀賞受賞者三名の独唱、舞踊やゲーム等も交えて華やかな会となった。われわれ本島の新人賞合格者八名も「鳩間節」の地方を務めた。
せっかくの集まりなので他の教室の人たちとも話をしたかったが、近くの席の人と少し話が出来た程度だった。
師匠達は、安伴先生の元で共に学んだ兄妹弟子なので、良くも悪くもお互いのことを良く知っている。お互いの生徒のことも結構知っている。全体が大きな家族のようだ。
しかし、普段他の教室とは交流がないので、いとこ弟子同士はお互いをあまり知らない。私は、他の教室の方々とももっと話をしたい。教室は違っても、いや違うからこそお互いいろいろと学ぶことがあるだろう。そして出来ればいつか自分たちで一緒に何かやってみることが出来たらと思う。
師匠達もそうやって、互いに切磋琢磨して上達してきたのではないだろうか。
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昔うちなーの記憶
2003.01.10
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パレット市民劇場で、写真家山田實さん(84)の作品展「時の謡(うたい)・人の譜・街の紋」を見てきた。戦後の沖縄の風景、街並み、人々の表情を切り取った420点の写真が展示されていた。写真に切り取られた昔うちなーの記憶から、まさにこのような時代が沖縄の独自性を生んだのだと感じた。
さて、写真に描かれた風景のうち、沖縄の気候や地理的特性は変わらないが、戦争の傷跡や自然環境はずいぶんと失われた。厳然と基地は存在するものの、それを除けば沖縄の様相は急速に一地方都市化しつつある。
是に照らして見れば、地域性に根ざす沖縄の人たちの気質はあまり変化はないが、特殊な事情を土壌とした芸能や文化は急速に変化している、と感じていたのはそれほど間違ってはいなかったかと思う。
守礼之門の写真が印象に残った。まだまわりに何もなく、ぽつんと立つ守礼之門がすべてを語っているような気がした。
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師匠の師匠
2003.01.09
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今日は師匠の師匠、大濱安伴先生の思い出話をたくさん聞いた。
2001年3月5日に亡くなられた大濱安伴先生は、八重山民謡の研究と伝承に一生を捧げ、八重山民謡の大御所といわれている人物だ。芸に厳しく、良く言えば実直、悪く言えば堅物。怒るときは容赦なかったらしく、おっかなかったという門下も多い。
しかし、師匠から聞く安伴先生の思い出話は面白い話が多い。電話をかけてきた弟子の「もしもーし」という声にまで「たのーるが足りない!」と怒っていたとか、鶏の鳴き声に「へたくそ!」と叱りつけたりしたそうだ。安伴先生の人となりを窺わせるようなちょっとお茶目なエピソードだ。
師匠からこんな話を聞くのが好きだ。こんな話をする時の、師匠の懐かしいようなうれしいような表情が、私は大好きだ。
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上げるところ
押さえるところ
2003.01.08
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「唄は高いところはしっかりと上げて、低いところはぐっと押さえないと、面白くない」と常々言われている。これがなかなか出来ない。
自分の弱点は、特に低い声を押さえきれないところだ。無理に下げようとすると、今度はわざとらしくなってしまって丸味が無くなる。そっちを気にしていると上げるところも上がらなくなって、今度は唄がダレて聞こえる。
上げたり下げたりに力を入れすぎると今度は息が続かなくなってしまう。息が続かないと、今度は節を入れたりする唄い廻しの余裕が無くなる。
良い方に連鎖させるには、歌詞をしっかり理解する事だと言われた。歌詞を綺麗に憶え切れたら、どこでどんな風に唄ったらいいか、どこで息を継いだら目立たないかが見えてくるらしい。
まだまだ全然見えないなぁ…。
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ようやく始動
2003.01.07
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大底研究所も、ようやくほぼ全員が顔を揃えての稽古となった。
正月ともなると、やっぱりだれもが三線を弾く機会があったようで、合間合間に互いの武勇伝を交えながらの楽しい稽古だった。お稽古の後にはしまーを飲みながらミニ新年会もした。
やっぱり三線はみんなで弾くとなお楽しい。
果報ぬ音だと思う。
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年始まわり
2003.01.06
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いつもお世話になっているともだちの会社に、年始の挨拶に行った。嘉利づけに(なったかどうか分からないが)三線を弾かせていただき、今日も作業場で“アリ乾杯”となった。
ここしばらく沖縄でも寒い日が続いている。コンクリート敷きの作業場はかなり寒い。そういえば、去年もここでストーブを囲んで乾杯したことを思い出した。あれから一年、いろんな意味ですこしはマシになっただろうか。
去年は恥ずかしくて三線は弾けなかったが、今年は弾けた。これだけでも実りある一年だったと感謝したい。
皆さんご静聴ありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます!
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那覇で良かった
2003.01.05
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旅の途中で出会ったともだちに、「八重山民謡を勉強しているのになぜ那覇に住むことにしたのか」と訊かれた。「もともと三線を勉強しに沖縄へ来たわけではない、だからともだちが多かった本島に住んだ、紆余曲折あって那覇に部屋を借りた」それだけのことだ。
今になって振り返ってみれば、那覇に暮らしてみて良かったと思っている。八重山民謡だけでなく、琉球古典、琉球民謡、三線と三線を取り巻く状況を俯瞰することが出来たのは、那覇に住んだからこそだったと思う。いきなり八重山に住んでいたら、気が付かなかったことがたくさんあっただろう。
正月も終わり、街が動き出す。
那覇暮らしも、新たな段階へ進むべき時が来ていると感じている。
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過去への尊敬
2003.01.04
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サンディー(サンデーじゃないですよ)のフラの番組を見ていたら、「フラを学ぶことは、まず、何百年も伝えられてきた歌と踊りを伝えられたとおりに行ってみることで、過去とつながり、過去を感じ、過去を尊敬することから始まる」というようなことを言っていた。
「目に見えないもの、形のないものは感じるしかない。それには、儀式のひとつひとつを、こころをこめて行ってみるしかない。人は、心を込めてなにかを行うことで美しくなる」というようなことも語っていた。
特に、ハワイで育った人間がフラを学ぶには、技術の前に感じるべきものがたくさんあると語っていたが、サンディーのアロハ工場(サンディーズフラスタジオ)で踊る生徒達の表情はすでに美しかった。
自分もあんなすがすがしさで、唄えるようになりたいなと思った。
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正月の人並み
2003.01.03
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正月もまだ三日。公設市場もまち小の店も閉まっているところが多いというのに、通りには意外に人が多い。
新聞には、正月早々国際通りで20代の観光客に三線が良く売れているという記事が載っていた。紅白のBEGINやBOOMの影響ではないかということだ。行きつけの三味線屋でも、三線を買いたいと店先を覗く人が心なしか多かった。
この日記を読んでくれている人達は心配無いと思うが、これから三線を購入する人たちが、三線との幸せな出会いを得られるように願うばかりだ。
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ひっそりと初稽古
2003.01.02
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師匠の家にお年始の挨拶に行った。
他の研究生は年始の親戚回りで忙しく、暇なのは私だけのようだった。師匠とサシで泡盛を飲みながら、スンシーやイナムドゥチなどをご馳走になった。
まったりと正月の民謡番組をながめ、出演者の演奏に感想を言い合いながら過ごしたが、「暇だし稽古でもするか」てな調子でおもむろに今年のお稽古が始まった。
実に大底研究所らしい新年のスタートとなった。
本年もよろしくお願いいたします。
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新春の再会
2003.01.01
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友人の実家のお正月の席にお邪魔させていただいた。このお宅にお邪魔するのは、友人のいとこの結婚式の後におよばれして以来、二度目だった。
実はこの家には、三線の名器が保管されている。前回お邪魔したのはほぼ三年前のことで、まだ三線をはじめていくらも経っていない頃だったが、そんな私でも、弾けば違いが分かるほどの音色だった。
今回、この名器に再会する事が出来た。この家には弾き手がいないため、まずは手入れをさせていただいた。胴のほこりを払い、棹を磨き、絃も張り替えて、弾き初めさせていただいた。
やはりこの三線は違っていた。小振りな棹から響く音色は丸味があり、独特のまろやかな音がする。それでいて倍音を多く含み、音に圧力があるような印象を受ける。“棹が鳴る”とはこういうことなのだろうか。私の三線とは明らかに音色の格が違う。
正月のおもてなしと、このような名器で弾き初めさせていただいたお礼に、この家の九十二歳になるおばあちゃんの前で、「鷲ぬ鳥節」「赤馬節」「目出度節(松竹梅)」を演奏させていただいた。
この三線は、このおばあちゃんの旦那さんが良く弾いていた三線だそうで、たいそう喜んでいただけた。「繁昌節」を弾くと、見事なカチャーシーまで披露していただき、弾きながらじんときた。
本当にいい正月でーびたん。
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いい正月でーびる
2003.01.01
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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
みなさま、昨夜の紅白歌合戦はご覧になられましたでしょうか。
今年の沖縄勢は十名、そのうち八重山出身者が五名を占めました。
沖縄勢に関していえば、内容的にアイドル中心から、唄中心へと移行した年だったと思います。その原動力がやいまんちゅだったことは誰もが認めるところでしょう。
今年もどんな素晴らしい音楽との出会いがあるか楽しみです。
「がんばらないけどくじけない」の精神で行きたいと思います!
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