箆柄日記(2003年2月)

東風平まで出稽古
2003.02.28

先日のグランドゴルフ大会で一緒のチームだった伊良皆貴志先生の研究所にお邪魔した。“チーム伊良皆”の獲得商品を受け取りつつ、稽古にも参加した。

場所は東風平。八重山舞踊勤王流のお稽古場と同じ場所なので広々としていた。壁には鏡が貼られているので、當山善堂先生に注意された姿勢を確認しながら弾くのに具合が良かった。

コンクールの課題曲を中心に、二時間ほど稽古をつけていただいた。課題曲は賞のレベルに関係なく、新人から最優秀賞の曲までやっていたので全然出来ない曲もあった。

つぃんだら節やでんさー節もやったが、歌詞がうろ覚えで情けなや。課題曲以外も定番曲はしっかり身につけておかなければ、こんな時やっぱり恥ずかしい…。

伊良皆教室の皆さんお邪魔しました。また遊んでください。


芸能ネットワーク
2003.02.27

師匠の店(八重山そばの店ジュネ)に、師匠の旧友が訪れた。この方は野村流古典音楽の師範で、八重山で何人もの琉球古典の弟子を育てて来た方だそうだ。

師匠達の音楽談義を聞いていると、笛だったら小浜の誰々だろうとか、箏は石垣の誰それが一番だとか、囃子だったら何々さんが上等だとか、次から次へと、名手の名前が飛び出す。

ひとたび公演会や、レコーディングともなると、こうした演奏者が集結する事になるのだろうが、ほとんどがプロではなく、生業を別に持っている人達だ。

レコードやCDを出している人たちは、ホントに氷山の一角。
あらためて市井に張り巡らされた芸能ネットワークの凄さに驚いた。


一年が経って
2003.02.26
沖縄に引っ越して一年経った。明日から二年目の沖縄暮らしが始まる。

この一年間、「どうして沖縄に引っ越してきたの?」という質問を何度受けたことだろう。そのたび説明しながら「あれ? なんで引っ越したんだっけ…」と、自分でもよく分からなくなる。説明している内容がどうも理由になってない。正直なところ、「引っ越したかったから引っ越した」だけで目的など無かったのだ。

最近は「三線を習いに来た」ということにしている。その方が話が早いし「えらいねぇ」と褒めてもらえたりするのでちょうど良い。引っ越してきて一番の成果は、三線を通じて少し自信が取り戻せたことや、いろんな出会いがあったことだったと思うので、自分でもそう思うことにしている。

ちょうど一年が経って、最近いろんなことがようやく次の段階に進みつつあるように感じる。これまで出会ったすべての人々に感謝しながら、もう少し沖縄に居させてくださいと願っている。

特に大学以来の友人と、大底春男師匠に多謝。


さんしんの日に向けて
2003.02.25
3月4日はさんしんの日。読谷村文化センター鳳ホールでは今年もイベントが予定されている。八重山古典民謡保存会でも有志の出演者が募集されたが、曲目が「古見ぬ浦節」と「黒島節」。両方ともマスターするのが間に合わないので、今年も客席から参加するつもり。

読谷村文化センターから、旧読谷飛行場の滑走路跡を30分ほど歩くとトリイステーションにたどり着く。その近くに 琉球音楽の始祖と伝えられている「赤犬子」が奉られている赤犬子宮がある。こちらでも奉納演奏があるようなので見に行きたいと思う。

読谷村文化センターに隣接した「読谷平和の森野球場」では、ドラゴンズの二軍がキャンプを張っている。たぶんまだ居残り組が調整を行っていると思うのでついでに覗いてみたい。川崎憲治郎投手もここでがんばっている。今年こそ復活を期待している。


違和感を感じずには
2003.02.24

十年ほど前に出版されたある沖縄音楽の本がある。最近読み返してみて、沖縄の音楽と音楽を取り巻く状況は、この十年で何かひとつ山を越えてしまったように感じた。

本の中では、嘉手苅さんも健在だし、てるりんも元気だ。幸人の髪はふさふさだし、新城さんも若々しい。沖縄の音楽について語る側も、それを紹介するスタイルも、まだまだ素朴な印象を受ける。沖縄の音楽にこれから何が起こるのか期待と不安が見えるような気がする。

今、沖縄のヒット曲を集めた工工四集が爆発的に売れている。ウチナンチュにもヤマトンチュにも売れているらしい。売れている理由はよく分かるのだが、どうしても違和感を感じずにはいられない。

沖縄の音楽ってこんな風に楽しむものだったのだろうか。自分があこがれた沖縄と沖縄の音楽の感触とは、確実に違っていることだけは確かなのだが、それを上手く説明できないでいる。


天気は上々
2003.02.23

今日は八重山古典民謡保存会のグランドゴルフ大会。天気は上々、国場川を見下ろす豊見城城址公園の見はらしの良いコースで、総勢100名を越える参加者が八重山民謡のBGMに乗って競技を繰り広げた。

グランドゴルフとはゲートボールとパターゴルフの中間みたいなゲーム。年輩の人の遊びと思ってあんまり期待はしていなかったが、結構面白かった。師匠クラスも上位に食い込む大健闘。大底師匠も元気にコースをまわりきった。

わが伊良皆貴志チームは三本のホールインワンを含む好スコアで二位に輝いた。ゲームを終えて談笑していると、一緒にまわった“チーム伊良皆”の中にこのWEBの読者がいてびっくりだった。


一喜一憂
2003.02.22

私が編集しているメールマガジン、『週刊沖縄ふぁん』の読者数が突然激増した。いったい何が原因なのだろうか。

おそらく一番大きな原因はこのメルマガの発行に利用している『まぐまぐ』のトップページで、「今週のお勧めメルマガ」に紹介されていたからだったようだ。それまで毎週数十通の増減に一喜一憂していたが、こうした大きな流れに乗ると一気にその何倍もの増加が起き、大きな波に飲まれたような気分だ。

増加に転じる前の週は数十通部数が落ち込んだ。この時も何が原因なのか悩んだが、これは『まぐまぐ』が、定期的に配信不能になっている幽霊読者を削除したための減少だったらしく、杞憂であった。

こうしたことを鑑みると、本当に有り難いのは、なんの仕掛けもない時に登録してくれた読者の皆さんだ。数の問題ではない。このクソ忙しい世の中に、私の書いた文章を喜んでくれる人が増えていたことに、感謝を深めている。

本当に有り難いことだ。


褒めてもらうと
やっぱりウレシイのだ
2003.02.21

いつものように平和通りの三線屋さんで練習させてもらっていたら、向かいの店のひとが、帰りがけに「いい唄ありがとうねー」と声をかけてくれた。お世辞でもウレシイ。こちらこそいつも五月蠅くして済みません。

特に最近気に入って弾かせてもらっている三味線は、爪先でかる〜く弾くだけでも肉厚な音が響くので、ついつい大きな音になってしまう。三味線の音が大きいと、声まで大きくなってくる。

この三味線は誰の手に渡るのだろう。とっても手が出ない値段だろうけど、いい人に買われていって欲しいと思う。

と思ったら非売品でした。どうりで…。


ほかの人のお稽古
2003.02.20

不思議なもので、同じ唄でも上手く唄えない箇所は人それぞれで違う。自分には何度やっても上手く唄えない部分が、ほかの人にはなんでもなかったりする。

私は一番後輩なので、出来ない部分も多い。繰り返し繰り返し出来ないところを直されることも多い。徐々に出来る回数が増え、出来る瞬間がやってきたときは本当にうれしい。

たまには逆の場合もある。ほかの人の出来ない部分はなぜかもの凄くはっきり見えるもので、待つ側のもどかしさがよく分かる。出来ないところが自分と同じだったりすると、自分が唄っているときと違って何処がどう違うのかがよく見えて勉強になる。

ほかの人のお稽古からも吸収できることは多い。


ざんねんまた今度
2003.02.19

内地で宮古民謡を習っている方から、那覇の研究所にお稽古に行くのでのぞきに来ませんかと誘いがあった。那覇での出稽古は、6月に宮古島で行われる発表会の練習だったようだ。

こちらの稽古日と重なってしまったので行くことは出来なかったが、その研究所は意外と近い所にあった。驚いたことに、研究所の先生は内地出身だそうだ。機会があれば宮古民謡について取材に行きたいと思う。

ホントにざんねんまた今度ご一緒しましょう。
発表会がんばってください。


まわりだしたか…
2003.02.18

「小浜節」の節を“まわす”ところがどうしても体得できないでいる。八重山唄には同じように“まわす”部分がたくさん出てくるので、これを体得できなければ他の曲も先に進めない。

今日はこの部分を徹底的に習った。師匠の言う“まわす”というのは、音符を直線的につなぐのではなく、曲線の通過点に音を乗せる感じ。今度こそコツが分かりかけてきた。

ようやく節がまわりだしたか…。


遺された唄達
2003.02.17

『全曲レコード附八重山古典民謡全集』という作品がある。糸洌長良氏が八重山民謡を洋楽譜に採譜した洋楽譜集なのだが、大濱安伴先生と大濱みね先生のレコード5枚、109曲に及ぶ唄三線音源が付録として附いている。

安伴先生が亡くなられた今、この作品は我々孫弟子にとって貴重な資料となっている。オリジナルの入手は困難なので、練習用にダビングしたものを持っている人も少なくない。

そんな貴重な作品だが、「素人が聴いたら面白くない。唄が分かってくると面白い」というのが大底春男師匠の評。この作品をデジタル変換して、コンクールの課題曲だけまとめたCDを作って聴いているが、確かに興味がつきない。

安伴先生がご存命だったなら、大底師匠と三人で、唄を囲んでユンタクしてみたかった。頑固一徹で気難しい人だったとも聞くが、遺された唄達は優しい感じがする。


店の雰囲気
2003.02.16

突如、東京から友達がやってきた。何処へ行こうかということになり、以前奥平先生に連れられて行った民謡スナックへ行くことにした。

この店は、ステージとカラオケタイムが交互に繰り返される。ツーステージ目の途中から、東京から来たらしいオキナワ料理屋のママさんのグループが踊りまくりで盛り上がったが、そのあとのカラオケタイムが延々終わらない。

他のお客さんは民謡が聴きたくて来ているので、店の雰囲気が崩れかけた。すかさず唄者がカラオケを遮り、いきなりカチャーシーからステージを再開した。ちょっと不満げなママさんのグループを踊らせてステージに流れを戻す。

飛び入りに呼ばれたので、静かな八重山唄を唄うと、ママさんのグループはシンとした。踊れる曲しかお呼びでないようだ。私が唄い終わるとそそくさと帰ってしまった。

今度はクールダウンさせすぎてしまったか…。と思って席に戻ると、隣の席のおねーさんが「私、与那国なのよ」と嬉しそうに声をかけてきた。カウンターの客が「八重山民謡好きだよ」と握手してくる。踊りたい人ばかりではなかった。

店にまったりとした空気が戻ってきた。


プロの技
2003.02.15

しばらくいろいろと考え事や調べごとが続いていて、部屋の掃除とか身だしなみ、みたいなことに無頓着になっていた。友達から「頭ぼさぼさ」と指摘されてしまい、はたと気が付いて久しぶりに髪を切りに行った。

いつもの断髪屋に出向き、いつものように「短くやって」とお願いして席に着く。「しばらくですね」とお互い少し会話を交わし、後は黙っていても上等に仕上げてくれることは分かっている。

この店で髪を切ると、切り終わる頃にはいつも不思議と気分が良くなっている。なぜなのか自信のようなものが湧いてくる。技術が上等ということもあるが、それだけではないものをもらっているような気がする。

なんの世界でも、プロと呼ばれるなら上等なのは当たり前。またお願いしたいと感じさせる何かが有ってこそ、本当のプロの技なのだろう。

短く刈り込んだ頭をなでながら、そんなことを思った。


手抜きした唄
2003.02.14

師匠から「揚げるところ押さえるところが微妙にずれていて、三味線の音に唄が乗っていない。唄がダレて聞こえる」「声はある(でる)のに手抜きした唄を唄っている」と指摘され続けている。

そこで、揚げるところ押さえるところを思い切って強調して唄ってみたら、ちょっとだが唄に華やかさが増したような気がして(本人比)、唄っていて気持ちよかった。ようやく師匠からも「今の唄い方はさっきよりそうとう上等」と言われた。

そうかこの感覚か。これまで曲をなぞることばかりに気を取られて、おそるおそる声を出していた。その結果及び腰な節回しになっていたのだろう。ちょっとだけ前に進んだか。

師匠はいつも「声がない人も要所要所をきっちり唄うと、唄にパンチが出てきて、唄が面白くなる」という。これが型の持つ力ということなのだろうと思う。

手を抜いていたわけではないが、気の入れ方が下手だったのかもしれない。
気無くして型が極まるはずもない。


余所の研究所
2003.02.13

地酒横丁に出演している奥平幸男先生から頼まれていた名刺が出来たので、届けがてら先生の研究所を見学しに行く。移転する前の「民謡スナック三原」があったすぐ側のアパートの三階が先生の研究所だった。

お稽古の進め方は、各自がやりたい曲を来た人から順番に教わっている感じ。他の人も習いたければ一緒に練習に加わっていた。コンクールを受ける人もいるが、特にそれ中心のメニューというわけでも無さそうだ。

どんな人が来ているのかと思っていたが、さすが色男奥平先生、生徒は女性中心。ほとんど宮里三線店で会ったことがある顔見知りだったが、内地からの旅行者や、移住してきた人もいた。生徒が一番多く集まる木曜の稽古はなんと食事付き。私もじゅーしーをご馳走になった。

余所の研究所を覗く機会はあまり無いのでホント面白かった。
それにしてもいろんな研究所があるものだ。


コンクールマニア
2003.02.12

「上原ぬ島節」の練習に入る。この唄はいきなり唄い出しからふた山、微妙な節回しが連なっている。師匠は「ここまでできたらこの唄は出来たも同じ」と言うが、特にふた山目の節回しが難しくて手こずっている。その後だって山はある。

これが通せるようになると、一応本調子の三曲は骨が通ったことにはなる。がしかし、ようやく唄い込みの段階に入るにすぎない。合格レベルにはほど遠い。

先はまだまだ長いさね。コンクールマニアに陥りすぎないように、他の曲も楽しんだりしつつ、練習にも幅を持たせねば。


大先生でも
のぼせるのだ
2003.02.11

今日の稽古は、先日行われた「第二回県指定無形文化財・八重山古典民謡」の話題で盛り上がった。(2003.02.08日記参照)

客席で見ていた兄弟子も交え、好き勝手に感想を述べあったが、客席から見ているのと、舞台袖から見ていたのでは、ちょっと印象に違いがあって面白かった。

例えば、舞台袖から見ていると無形文化財クラスの大先生でも大舞台で唄うと、のぼせて(あがって)上手く唄えない様子がよく分かったのではらはら見ていたが、客席からみていると「期待していたのにイマイチだった」ということになってしまう。

安伴先生は、唄に情けを出すために「唄を覚えたら人前で二千回唄いなさい」と言っていたそうだが、「どんな時も平常心で唄えるように」という意味も含んでいたのだろう。


絣も紅型もミンサーも
2003.02.10

本物の琉球絣は「トンボの羽のような織物」と形容されるそうだ。実物を見るとなるほどと思うだろう。蚊帳のように透けた布に精緻な柄が浮かび、触ってみると張りがある。

しかし本物は高価なため、市場に並ぶ絣柄の服のほとんどはプリントされた布を使っている。紅型のエプロンやミンサー柄のシャツなども皆プリント。しかも沖縄にはプリントする機械がないので、本土に発注しているそうだ。

舞踊の時の着物も、師範クラス以外はまず本物であつらえた着物は手が出ないそうだ。鮮やかな色使いに幻惑されて、全然気が付かなかった。

でも言われてみれば当然か…。


暖かくなってきた
2003.02.09

昨日まで本土から友達が来ていた。来る前に「沖縄もけっこう寒いよ」とアドバイスしていたのだが、来てみたら「ぜんぜん寒くない」と言われた。私の体温センサーが沖縄設定になっているということか。

特に昨日と今日はハッキリと暖かい日が続いた。手足の先が冷たいことも無いし、外出に上着も要らなかった。今夜は窓を開け放しているが、夜風がひんやりと心地よい。

三線を弾いていてもなんとなく気分が違った。やっぱり三線は寒い時期より、暖かい時期に弾く方がしっくりくる。もう少し暖かくなってきたら、とまりんの脇の公園で練習するのも気持ちの良い時期になるだろう。

そろそろこのまま暖かくなって欲しいところだ。


伝統継承とは
2003.02.08

起き抜けに師匠から電話があり、八重山古典民謡保存会の関わる、あるイベントの手伝いに行けと指令。イベントとは県立郷土劇場で行われた「第二回県指定無形文化財・八重山古典民謡」という公演会だった。

沖縄県は、八重山古典民謡の技能保持者に無形文化財の指定を与えているが、今回の公演会は、この指定を受けた先生方と弟子筋が一同に会する発表会だ。

主催は八重山古典民謡保持者協会。この会は八重山古典民謡の技能保持者の団体で、八重山古典民謡保存会、安室流保存会、安室流協和会、大浜用能流保存会と、会派を越えて八重山民謡の技能保持者18名が加入している。

今回画期的だったのは、こうした異なる団体の師範クラス14名が同じステージに上がったということだ。お互いに唄い方や奏法の違いを比較して感じる物があったと思う。

私の感想。やはり大濱安伴先生が石垣風を基本として整えた奏法と対を成すのは、他の団体の奏法でなく、各島、各地域に伝統的に残る奏法だろう。

運営スタッフは八重山古典民謡保存会の“若手”が務めたが、30代以下は私のみ…。こうしたイベント開催のノウハウを含めて、伝統を継承するにはもっと若手が参加する必要があると感じた。


受賞したみたいよ
2003.02.07

私が編集しているメールマガジン『週刊沖縄ふぁん』が、All About Japanというポータルサイトの「スーパーおすすめメールマガジン2003」受賞マガジンに選ばれたみたいだ。

すごいことなのかなんなのかよくわからないが、誰かがどこかで見ていて評価してくれるというのはウレシイものだ。

しかし、今回は良い方に評価していただいたが、そうでないこともあるかもしれない。何事も初心を忘れないように、出来ることからこつこつと進めていきたい物だ。

なにはともあれ、メルマガ読者の皆さんに感謝!


ねぇ、マスター
2003.02.06
島唄カフェ「まるみかなー」でお茶を楽しんでいると、大浜みね先生の唄が流れてきた。どうやらお客さんの一人が「八重山民謡の女性ボーカル」でリクエストした結果、マスターの回答がみね先生だったらしい。

次にお客さんが「那覇で八重山民謡の体験入門できるところ」と質問すると、マスターは意外にも「大底春男研究所」という回答を導きだした。思わず「私弟子です」と白状したら、そのお客さんが「入門してみたい」というので研究所の場所を教えた。

そんなこんなで、そのお客さんは体験入門で「鷲ぬ鳥節」と「安里屋ゆんた」を練習し、そのあとの稽古も最後まで見学していった。旅の途中に本物の民謡研究所で民謡を習うというのも、なかなかありそうでない体験だと思う。

それはともかく、島唄界では名前の知られているマスターの口から「八重山民謡なら大底春男」と出てきたことがうれしかった。

さすが分かってらっしゃいますねぇ、マスター!


恩師の近況
2003.02.05

東京で最初に三線の手ほどきを受けたのは大山泰則先生だ。

大山先生にはとにかくたくさんの曲を教えていただいた(ほとんどマスター出来てませんが…)。この蓄積があったればこそ、大底師匠の指導の元、短期間に新人賞レベルに達することが出来たのだ。

大山先生は、去年から体調を崩していて入退院を繰り返している。一度は大復活したのだが、またまた入院してようやく先日退院されたそうだ。まだまだ無理は許されない体調らしく、恩師の近況に一喜一憂している。

今年こそ調子を取り戻して、念願のレコーディングをしましょう。
「はぎのさん、もうスタジオ手配してあるの?」
の一報をお待ちしております。


真っ向に立つ壁
2003.02.04

今年も八重山毎日新聞主催『第29回八重山古典民謡コンクール』の日程が発表になった。

2003年度は、10月3日に最優秀賞、4日に奨励普及賞と新人賞、5日に優秀賞の審査が行われる。合格者による発表会は11月15日。(実施要項の詳細はこちら

優秀賞と新人賞とでは課題曲の難易度が全く違う。また去年とは個人的な状況も違う。今年も合格できるか、いや受験できるところまでいけるのか、壁は真っ向に立ちはだかっている。

二年に一度行われる、八重山古典民謡保存会の師範・教師認定試験の日程も、3月23日と発表された。これはもう雲の彼方の話である。


昔の旧正月
2003.02.03

糸満は正月を旧暦で祝うわけだが、新暦はどうかというと多少の飾り程度はするが、基本的には挨拶回りもなんにもしないそうだ。

そんな糸満の旧正月も、昔はもっともっと賑やかだったそうだ。市場の賑わいも、漁船の大漁旗も、今とは比べ物にならないほど凄かったらしい。表を歩けば、正装して年始まわりをする人たちが慌ただしく行き交っていたそうだ。

そういえば本土でも子どもの頃の正月はもっと特別な物だったように思う。よそ行きの服を着せられて、新年のご挨拶にまわった。大晦日から正月にかけては、空気も清々しく感じたように思う。

あれは自分が子どもだったからなのだろうか…。


石垣での追悼公演
2003.02.02

昨年、那覇で大浜安伴先生の追悼公演が行われたが、今年三月には石垣でも行われるらしい。

今回は八重山古典民謡保存会の石垣本部が中心で、あまり情報が届いていないが、本島からも何人かの先生方が応援に行くことになると聞いている。

追悼公演というだけに、気合いの入った内容になるだろう。


いい旧正月でーびる
2003.02.01
いい旧正月でーびる。お正月を旧暦で祝う糸満へ行ってきた。

昨夜ひと気の無かった白銀堂は、朝からビンシーを提げて御願にやってきた人で賑わい、御願所の前には黒線香が山盛だった。なるほど初詣は日がのぼってからのほうが自然だ。

白銀堂の入口から海まで歩いたところにある竜宮でもお参りをした。すぐ横は糸満漁港。正月を祝い、漁船が掲げる大漁旗の波打つ様も眺めた。糸満の路地を抜けると、あちこちの家からお正月の賑わいが伝わってきた。

友達の実家にお邪魔すると、「いい正月でーびる」と迎えていただいた。お正月の料理を頂いたお礼に、嘉利付けの三味線を弾いた。三味線の音色は華やぎの音色、「お正月が華やいだ」と喜んでいただいた。

友達のお母さんからは、糸満の昔の様子や、戦中・戦後の苦労話なども聴くことが出来た。むかしは思ったより遠くはなかった。さらりと語る語り口に反し、その中身は実に波瀾万丈で、糸満女性のたくましさをかいま見た。

糸満ではまだまだ旧正月は健在だった。