箆柄日記(2003年3月)

笑う前に
始まってしまった
2003.03.31

吉岡逸夫監督作品の『笑うイラク魂〜民の声を聞け』という映画を観た。昨年末にイラクを訪れ、家庭用デジタルビデオカメラで撮影した市民の様子を編集した物だ。(併映の『祈りのニューヨーク〜9.11.2002』も同様の方法で撮影された作品だそうだ)

イラク市民達には、予想に反して戦争が迫っているという緊張感はまるでなかった。アメリカ兵が攻め込んでこようが、ミサイルが飛んでこようが、店を開き、バスを運転し、イラク名物鯉料理を食べるのは止めないと言う。

とにかく戦争なんて別に怖くない、フセインはベリーグッドと言いながら笑っていた。上映前に30分ほど監督自身が撮影時の様子を話してくれたが、情報省の役人が付いていたとはいえ、まんざら建前でもないようだったという。

沖縄ではこの映画で笑う前に戦争が始まってしまったが、この映画の中で笑っていたイラクの人々は、今日も店を開けているのだろうか。

ちなみに、沖縄でもこうしたミニシアター系の作品の上映がちょくちょくあって、監督の挨拶も結構ある。見逃した作品に旅の途中で出会えるかもしれないので要チェック。


展覧会といえど
容赦なし
2003.03.30

第55回沖展のご招待券をいただいたので行ってきた。公募展はあまり興味が無く、正直期待していなかったが行って良かった。特に織物と染色に見応えがあった。

八重山上布、読谷山花織、琉球絣、久米島紬といった織物の精緻なパターンはいつまで見ていても飽きなかった。複数の技法が駆使されていて、そこから生まれる豊かな質感と立体感は見事だった。

染色も、古典的な柄、細かな柄、幾何学的な柄など多彩でその幅広さに驚いた。テキスタイルといえば、西洋ではウィリアム・モリスが有名だが、くっきりとしたそのイメージに比べ、沖縄の布は濃淡の微妙さが印象的だった。

当たり前のことだが、織物も染め物も、お土産物屋で見かけるプリント物とは全く違っていた。

また、沖展に足を運ぶ人の多さにも驚いた。会場となった浦添体育館前の通りは渋滞、駐車場は満車だった。人が集まれば、当然のように出口には屋台が連なりこれには笑った。

展覧会といえども容赦なしか…。

追記:
4000ヒット達成! 23日はYahoo!の「今日のオススメ」になったのでグンとアクセスが増えましたが、その後もお読みいただいて有り難うございますいます。多謝!


きっかけは、ビルボード
2003.03.29
友達の会社では、沖縄の中心部にあるビルボードを若手アーティストに解放して、月替わりで個性的な作品を展示している。

参加アーティストは、口コミや友達ネットワークを通じて集まった人の中から、これはという人に決まっていく。タイアップや仕込みは一切無し。こういう企画は沖縄ではなかなか無いようで、話題を集めている。

今日は、月末の張り替えを前に、今月のアーティストの友達が集まって記念撮影をしていた。これまでに見たことがないくらい大きく展示された自分の作品と別れるのは寂しいことだろう。

友達の輪の中にキュートな小姐を発見。この小姐は沖縄では有名な小姐で、美しい絵文字を描く花絵師として知られている。

出会えた“きっかけは、ビルボード”となった。


世紀をまたいで6年間
2003.03.28

沖縄のケーブルテレビ「OCN」で放送されてきた「おきなわ新世紀」という番組が終了した。もとは「おきなワ世紀末」という番組で、世紀をまたいで6年間放送されてきた。

個性的な5人のメンバーが、その時々の沖縄の問題について生放送で討論する番組で、県内外からあっと驚くような政治家や、各分野の重鎮がゲストに来ることもあった。(このあたりは番組のサイトを読んであっと驚いて欲しい)

最終回の内容は、6年間の放送を振り返る内容だった。自分が沖縄に興味を持ち、引っ越そうと思うまでの期間と重なっているので、自分も感慨深かった。

神浦元彰さんの生電話出演もあった。「朝鮮半島が統一されたら沖縄から米軍はいなくなる。それを視野に入れて動かないと、沖縄は時代の潮流から取り残される可能性がある」という持論を繰り返した時、メンバーの表情が微妙に引き締まったのが印象的だった。

最初はスタジオでお酒を飲みながら約3時間(尺が決まってなかった…)の番組だったらしい。途中からは2時間討論して番組終了後、居酒屋へ繰り出すようになっている。最終回の打ち上げは、スタッフも交えて賑やかだった。

終了してしまって残念。出演者のみなさん、スタッフのみなさん、お疲れさまでした。また面白い番組を期待しています。

追記:
プロ野球2003開幕! 中日vs巨人戦、7回表中日は代打で登場した関川のタイムリーで同点に追いついた。久々に元気な関川を見てなんだか嬉しかった。今シーズンは是非復活して欲しい。


新人賞の曲も復活
2003.03.27

少数精鋭の我が研究所は(単に少数なだけですが…)、ほぼ全員次回コンクールで優秀賞に挑戦することになりそうだ。従ってお稽古は優秀賞の課題曲が中心となっていた。

しかし、先日から久々に新弟子が加入したため、新人賞の曲もお稽古に復活した。非常に有り難い。新人賞に合格したとはいえ、新人賞の課題曲を唄いこなしたわけではないのだ。とても良いお浚いになっている。

やり直してみると、細かいところに新たな発見がある。なかなか克服できなかった部分もよく見える。師匠の言いたいことを初心者向けに翻訳するのも面白い経験だ。

新弟子が「月夜浜節」に差し掛かるあたりが楽しみだ。
いちばん手こずった曲だけに。


課題を意識して
2003.03.26

春のセンバツ高校野球、宜野座高校は初戦敗退という結果に終わった。最終回、あと一歩まで追い上げたが届かなかった。惜しかった。

さて、毎日報道される日本人メジャーリーガーのコメントに「課題」という言葉がよく出てくる。日本のプロ野球選手が「結果」という言葉を多用するのと対照的な気がする。

「課題」をクリアするためにするのが練習で、本番で示すのが「結果」ということだろう。課題を意識した練習が、結果につながるとも言える。

いつも同じ所で躓いているようでは、「課題」を意識し切れていない練習をしているということだ。これではまだまだ「結果」は出せないよなぁ…。


調弦は必ず自分で
2003.03.25
大底春男研究所では、本調子5(C#)、二揚げは3(B)でお稽古している。本調子から一、三弦を下げて二揚げにするということだ。この方が本調子の低音域がきちんと唄えて、二揚げの高音域も出しやすいからだ。

これだと中弦(二弦)を揚げるだけより、調弦はすこし難しい。コンクールでは緊張するので中弦を揚げるだけの人が多いが、これだと唄が生きない。だから普段から一、三弦を下げての調弦に慣れるようにしているのだ。

今日は、本調子から中弦を揚げて二揚げにしてのお稽古だった。5の二揚げだ。これで唄うと、勘所の「九」まで上がる「小浜節」「大浦越路節」はかなりキツイ高さになる。

わざと中弦を揚げたのは、音域の限界に挑戦してみるための練習。血管が切れそうになるし、腹筋も痛くなる。でもその後いつもの調弦で唄うと、高音部分も楽に唄えるし、声出しの思い切りも良くなっている。

ついでに付け加えると、調弦は必ず自分で行う。おかしいと思ったら、お互い指摘もし合う。舞台の上では誰も代わりに調弦してはくれないのだから。


沈黙が広がった
2003.03.24

昨日の教師・師範審査に刺激されて、いつもの三線屋で練習させてもらっていると、とつぜん「ちょっと弾くの止めれ」と練習を遮られた。

店のテレビ画面を見ると、いつの間にか高校野球からサダム・フセイン大統領の演説に換わっていた。店の中に沈黙が広がった。

店の中だけでなく、通りにも沈黙が広がった。明日の宜野座高校の試合に向けて、通りに設置された街頭テレビに、人々が注目していた。

皆、戦争の終結を期待していたが、「降伏」のひとことを聞くことはできず、フセイン大統領の「徹底抗戦」の姿勢に落胆の雰囲気が広がった。

団体客を中心に旅行のキャンセルが増えているのは確かなようだ。それでも店にやって来てくれたお客さんに対し、三味線屋の主(ヌシ)は「ありがたい」とつぶやいていた。


厳しい審査
2003.03.23
今日は八重山古典民謡保存会の師範・教師審査が行われた。 二年に一度、那覇と石垣で交互に行われており、今回は那覇だった。

会場のJAおきなわ真和志3Fホールでは、本島、石垣、内地からもやってきた、教師30名、師範3名の挑戦者が厳しい審査を受けた。教師は12名、師範は3名がその資格を手にした。教師最年少合格者はまだ30代前半、若き指導者の誕生となった。内地からの女性の受験者も2名合格していた。

「ナイチャーは工工四通りにきちんとマスターしているからえらいね」といった声が聞かれた。その一方で「工工四通りにきちんと唄ってるけど、それで上手いと言われてもな…」という話も漏れ聞こえた。肯定的な評価と否定的評価だが、同じ事を言っていると思う。

そうは言っても、ナイチャーとしては、まずは教科書通りに唄えるように練習するしかない。形として身につけられる分だけでもとにかく身につけるしかない。

いつか「八重山のかほり」がにほひ立つことを信じつつ。

追記:
Yahoo! 「今日のオススメ」コーナーのお陰で、一気に3000ヒット達成。明日からは元に戻るだろうが、まずはご褒美と思ってみなさんに感謝!


いっぱいしていた
2003.03.22

三連休ということもあって、結構観光客がやってきているようだ。

奥平先生の出ている民謡居酒屋も、順番を待たないと入れないくらい、いっぱいしていた(混み合っていた)。こんなご時世だからこそ、三味線をかき鳴らして嘉利をつけた方がいいだろう。

これから沖縄はどんどん良い季節に向かってゆく。みなさんどんどん遊びに来たらいいですよ。ここには世界最強の軍隊が居るんですから、誰も攻めてこられやしませんよ。

たぶん。

追記:
本日、Yahoo! JAPAN「新着情報」内の「今日のオススメ」コーナーに掲載されました。そこから見に来ていただいている三線ファンの方も多いと思います。今後ともよろしくお願いいたします。情報などありましたらメール(アドレスは「ごあいさつ」にあります)でお寄せください。

民謡系のお勧め
2003.03.21
某FM局勤務の友人と飲んだ。ついでに番組制作の参考に、民謡系のお勧めCDを貸して欲しいとリクエストされたので持参した。

改めて自分の好きな作品はどんななのかとCD棚と相談した。その結果、純民謡よりも、バンドアレンジされた物の方が好きだったんだなと気が付いた。大工哲弘さんなら『JINTER NATIONAL』『あがろーざ』、玉城一美さんの『天縁』、新良幸人なら『月夜浜』だ。

八重山物では有名どころは外して(失礼)、我が師匠の八重山民謡集『くがに島唄』、後間儀雄『ばがけーらぬ唄』、竹富島の種子取祭の奉納芸能を納めた『てぃゆむたきどぅん』を勧めた。

その後で、久しぶりに何気なく大城美佐子の『沖縄うらみ節』を聴いてみた。本島物はしばらく聴いていなかったが、もの凄く良かった。結局これがいちばんインパクトがあったかもしれない。競演の嘉手苅林昌、知名定繁、定男らとのやりとりが素晴らしい。

最近は、民謡は(自分で)唄う物であり、聴く物ではなくなっていたような気がする。習っている曲を聴く比重が大きくなっていたので、今回は改めて民謡を聴き直す良い機会となった。

自分が唄うかどうかを別にして、もっといろいろな曲を聴くよう心がけたい。


徹夜は辛いよ
2003.03.20

あれやこれやが重なって、久しぶりに徹夜してしまった。夕べはちょっと楽しいお誘いもあったのに、我慢しての夜なべ仕事だったので、余計に徹夜は辛いよと感じた。

辛いところだけれど、お稽古に行った。徹夜Highになっていて変に楽しい。全然声にならないし、細かいところのコントロールもままならないが、何故かどこが間違っているかはクッキリと見える。神経が過敏になっているのだろう。

さて、いよいよイラク攻撃の火蓋が切って落とされてしまった。沖縄でも大騒ぎかというと、今日もやっぱり基地周辺以外の様子はいつもと変わりないように思う。

イラク国民は戦争に慣れっこになっていて、激しい攻撃の中にあっても淡々としているという。沖縄もまたそうなのかもしれない。

追記:
Yahoo! JAPANサーファーチームから、3月23日の「新着情報」内の「今日のオススメ」コーナーにて掲載するとの連絡があった。どんなコーナーかと思って覗いてみたら、紹介されているのはどれも上等なWEBばかり。焦るなぁ…。


検索サイトに登録
2003.03.19

いつまで経ってもYahoo!の検索サイトに登録されないので、「お仕事の依頼」受け付けますコーナーと、「バナー広告の御用命」承りますを外して再申請したら、即登録された。

そのお陰でこの日記を見に来てくれている方もいることだろう。初めまして、よろしうお願いいたします。

さて、ここのところジェット機の爆音が騒がしかったが、今日あたりは落ち着いたか。出かけるべき部隊は出払ったということだろう。ホントに戦争が始まるのだろうか。

個人的には身の回りは至って平穏だ。近所の公民館では、早くも「旗頭」の練習が始まったようだ。こういう騒がしさなら歓迎なのだが…。


三味線にカリー
2003.03.18

しばらく来ていなかったお弟子さんが研究所に顔を出した。

三味線屋さんで働いている人で、お客さんに売った三線を持ってやってきた。師匠のような上級者に弾いてもらうことで、三味線に嘉利(カリー)を付けてもらうためだ。

三線を買ったお客さんも一緒に来ていた。まだ習い始めたばかりということだったが、容赦なく「あい、まずは唄ってみなさい」といわれ、憶えたての「豊節」を唄っていった。まだ十九歳という。良く響く声をしていたので、練習を積めば伸びそうだ。

それにしても、十九にしてくるちー(黒木)の上等三線か…。
がんばって三線に相応しい唄をモノにしてください。


至る所に弟子が
2003.03.17

最近から大山泰則先生に、横浜の教室で三線を習いだしたという方からメールを頂いた。大山先生は、昨年から何度も入退院を繰り返していて心配しているが、横浜の教室は一月から再開されているようだ。

私の通っていた飯田橋教室の仲間からは、まだ足の痛みが残っていて本調子ではないとも聞いている。無理せずにじっくり治して欲しいところだが、じっとはしていられないところが大山先生らしいか。

大山先生の中では、私は「仕事も辞めて那覇に三線修行に行った」という事になっているようだ。ちょっと違うけど、まあそれでもいいや。

それにしても、大山先生って至る所に弟子がいるよなぁ…。


ようやく完成
2003.03.16

『全曲レコード附八重山古典民謡全集』のCD-R化がようやく完成した。

全5枚のレコードは、各1枚のCD-Rにまとめた。これにコンクールの課題曲のみをまとめたスペシャル盤を加え、全6枚セットとなった。トラックは各曲ごとに切る方針とし、“ちらし”や“とーすい”が連続していた曲も分割した。

CD-TEXT対応機種向けに、曲名も入力してある。ローマ字表記は師匠から聞いた発音になるべく近くしたつもりだ。日本語表記は『声楽譜附八重山古典民謡工工四』に従った。

CD-Rの盤面印刷もしたかったが、対応プリンタを持っていないので今回は見送った。タイトルは私の手書きで我慢していただくが、その代わり百円均一でちょうど良いデザインのCDケースがあったのでこれに入れることにする。

かなり上等な仕上がりになったのでは無かろうか。
と、自画自賛。


反戦の唄声
2003.03.15
昼下がり、与儀公園の方角から大音量の歌が聞こえてきた。歌詞の内容はイラク攻撃に反対する内容だった。やがて「すべての人の心に花を」が聞こえてきた。喜納昌吉さんの唄声だった。

今日は「WORLD PEACE NOW in OKINAWA」という反戦集会が行われていたのだった。集会の後、集まった人々が国際通りをデモ行進していた。県庁前広場から、安里交差点まで達するほどの長蛇の列だった。ここでも先頭は喜納昌吉さんだった。

喜納昌吉さんは、締太鼓を打ちならしながら、生き生きとして楽しそうだった。反戦集会なのにそんな印象は不謹慎といわれるかもしれないが、「戦争よりも祭りを!」と訴えているのだから、それで良いと思う。

予定があったので、集会には参加せず待ち合わせの店へと向かった。
店では清志郎のイマジンがかかっていた。

ささやかな反戦アピールだった。

追記:
今日、石垣では大濱安伴先生の追悼公演が行われた。大底春男師匠も参加したが、今回私は観に行くことはできなかった。残念。


満員札止め
2003.03.14

あるホールの予定表に独演会の予定を見かけた。知らない名前だったが気まぐれに調べてみると、野村流古典の師範の方だった。

連絡を取ってみると、すでにチケットは売り切れで満員札止めといわれた。「年寄りに頼まれてから演奏するけどもう売り切れたさねー」と軽くいうが、小さな会場とはいえ300席はある。

沖縄では特に宣伝も無いこんな演奏会が、いったいどれくらい開かれているのだろう。また、それを楽しむ人もどれくらいいるのだろう…。

追記:
東京での隠れ家だった、飯田橋の沖縄居酒屋「大ちゃん」が立ち退きの危機との一報が…。最近、私の本土コネクションでいろいろと起きている。シンクロニシティ…。


それぞれの課題
2003.03.13

人それぞれに課題がある。私の場合は、相変わらず「押さえるところ(低音域)」がいちばんの課題。

兄弟子は「伸ばし音」で苦しんでいる。優秀賞以上では、歌詞は少ししかないのに長い曲が多い。相対的にひとつの言葉に長い節回しが付く。こうした節回しの中の、声が動く部分で母音のエッジが立ってしまうのだ。

なかなか直らずに苦しんでいるところは一緒に稽古していても辛いが、それぞれの課題は唄いこなして克服してゆくしかない。

腐らずに練習あるのみ。


ひさびさの
わたしのゆなー
2003.03.12

久しぶりにわたしのゆなー(与那城型三線)を弾いた。

自分の三線ながら、正直なところ、「こんなに弾きやすかったっけ、こんなに音良かったっけ」と感じた。今日の沖縄は湿度が低かったせいもあるだろうが、良く鳴っていた。

もっともっと弾いてやろうと思った。

業務連絡:
昨日、平和通りの宮里三線店に立ち寄った大山泰則先生のお弟子さんってどなたでしょう? もしこの日記を見ていたらメール(アドレスは「ごあいさつ」にあります)をください。


新人さん
2003.03.11

通常の稽古は火曜と木曜だが、先週の土曜日から入門した新人さんがいた。まだ習いだしてから数日というのに、すでに「鷲ぬ鳥節」をだいたい弾けるようになっていてびっくり。

聞けば出身は石垣で、お兄さんも三線を弾くそうだ。自分で習っていなくとも、子どもの頃から聴いていた人はさすがに違う。それが「島人ぬ宝」を持っているということだろう。

さて、自分の方は前回のお稽古以来ほとんど練習できていなかったが、意外と調子は良かったと思う。憶えかけの曲はまだまだだが、憶えた曲は少し丸くなってきたように思う。新しい人が入った緊張感もよかったかもしれない。

弾いては休み、休んでは弾く。前進は少しずつだ。


引き継ぐということ
2003.03.10

『全曲レコード附八重山古典民謡全集』の作業を進める中で、レコードに記載されている曲名の表記と、工工四の表記に違いが多いことに気が付く。明らかに間違っている物もあるが、微妙な物もある。

今回は私的な作業だが、これが正式な復刻作業であるならば、ひつひとつの違いに意図があるのかを慎重に検討する必要があるだろう。引き継ぐということはそういう作業なのだと理解している。

では、安伴先生の唄三線が工工四と違っている部分はどう捉えたらいいのだろうか。直接手ほどきを受けた師範クラスでも意見が分かれるところだろう。意図して変えているのかどうなのか、すでに本人に確かめることは出来ない。

なにが正しいとか間違っているのかではなくて、どんな意図があったのか(或いは無かったのか)に興味がある。

今週末、石垣で安伴先生の追悼公演が行われるが、どのように唄を揃えるのだろうか。

今回は聴きに行けないけど…。


創刊号の熱気
2003.03.09

『うるま』の創刊号から数号を見返していた。巻末の編集後記を辿っていくと、創刊当時の田崎聡さんの「おれが沖縄を紹介してやるんだ!」という気持ちが伝わってくる。

また、今では全国区となった元ちとせさんが奄美民謡大賞で優勝した頃(当時高校生)の写真や、昨年のとぅばらーま大会本島大会で優勝したルーシー長嶺さんの来沖間もない頃の写真を見つけたりもした。

五年前の沖縄の出来事や雰囲気を思い出し、いろんな意味で、時代が動き出す前と、動いた跡を見るような気がした。


ひといきついて
2003.03.08

今日は旧友夫婦が遊びに来て、ゆんたくひんたく三昧だった。

ふたりにはちょくちょく会ってはいるが、ゆっくり話すのは意外とひさびさだった。お互い近況を話すうちに、いろいろ考えがまとまったり、仕事のヒントをもらったりして、有意義な一日だったと思う。

ひさびさの来客でもあり、散らかりっぱなしの部屋の片づけもした。来週はハードな一週間になりそうなので、その前に気分も一新できて良かった。


只今、変換中
2003.03.07

師匠から『全曲レコード附八重山古典民謡全集』を預かって、レコードからCDに変換する作業をしている。

以前もこの日記に書いたが、LPレコード5枚、109曲に及ぶ大作なので結構骨だ。おまけに少しカビていたので、中性洗剤で洗浄したり、レコードの袋を新調したりで、思ったより大仕事となっている。

それにしても、安伴先生はよくこれだけたくさんの唄を遺されたものだ。おそらく自宅で、カセットデッキかオープンリールで一発録りしているのだと思うが、気力も体力も相当消耗したことだろう。

車の音が小さく聞こえたりして、マスター音源の音質は決して良くはないのだが、お稽古の様子を録音したみたいで変に生々しい。直接手ほどきを受けた方々には、懐かしい作品なのではないだろうか。


わたしのゆなー
2003.03.06

師匠の研究所には、真壁(まかびー)、与那城(ゆなー)、久葉ぬ骨(くばぬふに)型など、各種の三線が揃っている。私たち弟子にいろんな型を実際に見せるためだ。見るだけではなくどれを弾いても良いので、普段のお稽古は爪だけ持ってゆけば良いことになっている。

ここのところ忙しかったり、雨だったりで、三線ケースを下げて出歩くのがちょっとおっくうになっていた。気が付くとしばらく自分の三線(本皮、カマゴンの与那城型)を弾いていない。

わたしのゆなーの機嫌を損ねないうちに、弾いてやらねば。


お値打ちな三線
2003.03.05

私の田舎では“安さ”よりも“お値打ち”であることが重視される。値打ちのない物が安いのは当たり前、値打ちのある物をできるだけ安く買ってこそ意味があるということなのだ(全世界的に同じか…)。

誰しも安い道具で上手くできなかったことが、もうワンランク上の道具に買い換えたらすんなりできたという経験があるのではないだろうか。道具自体がダメだったことに気が付けばまだしも、気が付かずに悩んだまま挫折してしまったらすべては無意味になる。

初心者は安い三線で充分という考え方もあるが、初心者こそきちんとした三線を使わないと良い音はでない。初心者にとって良い音がでるまでが一番の苦痛だ。ダメだったら辞めればいいと安いだけの三線を買うと、ダメになる可能性を高めるだけだ。

なるべくダメにならないよう、“お値打ち”な三線を買うことをお勧めする。
それで挫折したとしても、無意味にはならないだろう。


さんしんの日は
世果報雨

2003.03.04

今日は「さんしんの日」だった。RBCラジオでは、読谷村の読谷文化センター鳳ホールをメイン会場に、沖縄県内のみならず、日本国内、海外まで中継して生放送を行った。途中、RBCテレビの「かりゆし劇場」の生放送やニュース中継もあった。

プログラムは、正午から夜9時まで、時報ごとの「かじゃで風」の演奏とその間に様々な演目を挟んで進行してゆく。最初の「かじゃで風」は、赤犬子宮からの中継。赤犬子宮では琉球古典音楽の奉納演奏と舞踊が行われた。

今年の演目も盛りだくさんだった。幸運にも機会があれば観てみたいと思っていた「御座楽」の演奏も有った。フル編成ではなかったが、復元された楽曲や楽器がどんな物なのかはよくわかった。

楽曲自体はほとんど中国の音楽そのものに聞こえた。御座楽のスタイルで演奏した「かじゃで風」は面白い試みだったと思う。楽器の中に、三線の原型といわれる「三弦」があった。姜文監督の『鬼子來了』という映画の中で、漫談のような演芸のシーンがあったが、そこで使われていた楽器と同じだろう。

八重山古典民謡保存会も斉唱で登場した。またそれとは別に、宮良康正先生が比屋根孝子先生と共に「まふぇーらつぃ節〜とぅすい」「与那国ションカネ節」を披露した。昨年は時間の都合で「とぅばらーま」を短縮させられたリベンジとばかりに、たっぷりと聴かせてくれた。

あいにくの雨となったが、この雨は「世果報雨」であったと思う。


超古典音楽
2003.03.03

去る2月28日に、御座楽復元演奏研究会(会長:喜瀬慎仁氏)による「御座楽(うざがく)演奏会」があったらしい。

御座楽とは、中国から伝来した音楽で、琉球王朝時代に冊封使の歓待や江戸上りの際に江戸城でも演奏された宮廷音楽だそうだが、廃藩置県後伝承が途絶えてしまったので「幻の宮廷音楽」と呼ばれてきたという。

近年、楽器も楽曲も復元されたが、さすがにそこまではフォローしきれないでいた。しかし、公演会のプログラムを見ていたら、琉球古典のスタンダードの舞踊と独唱を織り交ぜた充実した内容だったことを知り、行けば良かったと残念に思った。

なかなかこうした公演は無いと思うが、次の機会は見逃さないようにしたい。


遠くピアノの音が
2003.03.02

沖縄に引っ越してずいぶんお世話になった、WALLY terukinaさんが今年から東京に活動拠点を移した。

WALLYさんは、パーシャクラブのキーボーディストでもあり、アートワーク担当のデザイナーでもある。単身東京で音楽活動を始めたWALLYさんは、精力的にピアノ弾き語りスタイルのライブをこなしている。今月は中野の「ちむ屋」でライブを行うそうだ。

以前「ちむ屋」で友達の結婚披露パーティーを行ったとき、三線を弾いた。こんなにいろんな沖縄のミュージシャンがライブを行っている店とも知らず、今思うと恥ずかしい演奏をしてしまった。下手なのは仕方がないけど、照れて中途半端な演奏をしてしまった。

どんな時も、下手でもいいからその時できるだけの演奏をしておかないと、
後悔するよなぁ…。

追記:2000ヒット達成。ご愛読ありがとうございます!


コンクールの足音
2003.03.01

沖縄タイムス主催の「芸術選賞 伝統芸能部門」が6月、琉球新報主催の「琉球古典芸能コンクール」が8月。まだ先のように見えて、これを目標にがんばっている人たちにはもうすぐのように感じていることだろう。

特に琉球古典の場合、曲の難易度、審査の厳しさ共にハードルが高く、準備に時間がかかる。今から焦って初めてもももう遅いだろう。もちろん、その他のコンクールも、審査員の前で合格レベルの演奏をするには充分な練習が必要だが。

八重山古典民謡コンクール」は10月。まだまだ先のことのように感じるかもしれないが、コンクールの足音は着実に近付いている。優秀賞以上は、そろそろ課題曲の手と唄はひととおり憶え、「弾きこなし、唄いこなし」の段階に入りたいところだ(まだ憶えてないけど…)。

新人賞は、経験ゼロからではちょっと厳しいかもしれないが、工工四を見ながらでも何曲か課題曲が弾ける人なら、まだまだ間に合うだろう。挑戦してみては如何だろうか。