箆柄日記(2003年4月)

弾いていないくらいに
2003.04.30

奥平しぇんしぇいのお供で松尾の民謡スナックへ。しばらく飲んだらすぐ飛び入りの指令。

飛び入りを済ませて席に戻ってくると、「おまえ右手が硬いな」といわれた。「軽くさわるだけでも音は出るのに」と言い残し、舞台へ上がるとかろやかに早弾きをキメて見せた。

民謡スナックでは大概立って唄う。立って唄うときは両足を肩幅くらいにしてつま先に体重を載せる。で、上半身の力は抜く。普段はひざまずき(正座)で唄っているので、立って唄うときの基本は初めて教わった。

とにかく三線はかろやかに。三線に力が入ると唄に気持ちが行かないから面白くない。三線は弾いていないくらいに意識しないで弾きなさいといわれたけど、まだまだそこまでは…。

ん、四月も終わりか…。


ご褒美
2003.04.29

昨年、新人賞に合格したときのご褒美に、師匠から三線の棹の原木を頂いた。ずっと師匠の家に置いたままになっていたが、取りあえず自部屋へと持ち帰ることにした。

材質はフィリピン産の黒木でカマゴンと呼ばれている木だ。大まかに粗打ちされた状態になっていて、これから職人さんを選んで希望の型に削ってもらうことになる。江戸与那原(えどゆなー)型にしたいと思っている。

棹を削った後は塗りとなる。塗りの職人さんは決めている。塗り方はすんち塗り(透明塗り)にしたい。

更に、チーガー(胴)選びと革張り。唄口もちょっと細工を懲らしてもらい、ぶーあてぃ(弦高の調整)も慎重に。カラクイ(糸巻き)やティーガー(胴に巻くカバー)も気に入った物を選びたい。

夢は膨らむが先立つものがない。
原木は、もうしばらく乾燥期間が続くことになりそうだ…。


店主の人柄
2003.04.28

ゴールデンウィークに入って、いつもの三線店でも三線を買い求める人が増えている。

この店を覗きに来るお客さんで、すぐに三線を買って帰る人は少ない。市場の奥に位置しているので、いろいろ回ってから買おうと、三味線屋のハシゴしているうちにたどり着くからなのだろうか。詳しい人も多い。

明日帰るという人も多い。ひとしきり遊んで沖縄を離れるとなって、急に欲しくなるのだろうか。民宿の主人が三線を弾いてくれたとか、民謡スナックなどでの体験がきっかけとなるのかもしれない。

結局、空港に向かう前に立ち寄って購入していく人や、後日郵送してもらう人が多いようだ。最後にこの店を選んでくれるのも、店主の人柄だと思う。

だれにでも同じように正直に対応する姿には頭が下がる。


いつもの調弦
2003.04.27

ちょっと油断していたら、ケースに入ったままの自分の三線の皮が少し破れだしていた。取りあえず即乾剤(瞬間接着剤)で補強。今日はこの相棒を鳴らすことにする。

そんなに高い三線ではないけれど、やっぱり良い音がするよなぁ。それに弾きやなれているので押身(うしみ)もきれいに決まる。三線の調子がいいと唄も気持ちよく唄える。

普段お稽古では調弦を他の人に合わせて5(C#)にしているが、久しぶりに6(D)に揚げて唄ってみた。コンクールも6で受けたが、自分の声にはやっぱり6の方が合っている。

苦手の押さえるところは低音域が広がるのでコントロールしやすい。いつもフラット気味の部分も、高音域を思い切って上げるのにつられてシャキッとしているような気がする。

低い調弦によって負荷をかけた状態で練習していたので、自分の唄いやすい音程に揚げたら余計に唄いやすく感じたのかもしれない。揚げた状態で良いイメージを掴み、低い調弦でも音程が取りやすくなれば良いのだが。

いつもの調弦をちょっと変えただけでも、良い勉強になった。


また違った楽しさ
2003.04.26
昨日は琉球フェスティバルの後、うみかじさんが所属している研究所のミニ発表会も見に行った。今日はそのお礼のメールが来ていた。反省しきりなメールだったが、うみかじさんの独唱「夏花」は予想していたより(失礼)かなり上等だった。

東京にいた頃所属していた教室の発表会を思い出していた。発表会といっても基本的には身内のお浚い会。人に独唱を聴かせられるレベルの人は一握りで、私はといえばなんとか止まらないで弾ききるのが精一杯だった。

それでもみんなで合宿したり、衣装を準備したりして楽しかった。泡盛を持ち寄り、大ちゃん(Link参照)から沖縄料理の仕出しを取ったりして、見に来てくれたお客さんにも楽しんで貰えて嬉しかった。

今思えばへたっぴだったけど、コンクールを中心としたお稽古の日々とは、また違った楽しさがあった。

東京か、何もかもみな懐かしい…。

追記:
6000ヒット達成しました。いつもお付き合いいただき有り難うございます。時々いただくメールにも勉強させていただくことばかりで感謝です。


いろんな演目を一覧
2003.04.25

琉球新報ホールで行われた「第39回琉球フェスティバル」に行ってきた。

このイベントは10日間に渡り、大正琴から、演劇から、琉球古典から、民謡から、舞踊から、さまざまな芸能が披露される。ハワイアン・フラやバレエ、日舞の日もある。ほとんどが各種研究所で学ぶ一般市民というのも驚く。

7日目の今日は「沖縄の伝統芸能」。琉球古典、琉球民謡、八重山民謡や舞踊が次々と披露された。私の所属する八重山古典民謡保存会も斉唱や地方で参加していた(私は観るだけ)。

小浜節の舞踊で、宮良實義先生等が地方を務めた。普段とは違い、小浜島の唄い方だった。この踊りには兄弟子の奥さんも登場したが、お稽古の時にしきりと「舞踊の時は唄い方が違うみたい」と言っていたのはこのことか。

こういうイベントはいろんな演目を一覧できて勉強になる。

あ、エレベータの中でチケットくれた方、有り難うございました。


弾きこなすしかない
2003.04.24

今日は久しぶりに少人数でのお稽古となった。人数が少ない分だけ細かいところの修正に時間を割くことができた。

しきりに「もっと張り切って唄え」といわれるのだが、何が悪いのか自分では分からない。音を上げていく手前でもうちょっと踏み込めということかな、という気もするのだがまだ掴めない。

全体的な問題なので、どの唄も途中途中でひっかかってしまう。となると声切り(息継ぎ)のタイミングも計れない。ちょっと今混乱の時期だ。

こんな時は指摘されたところを意識しつつ、とにかく何度も弾きこなすしかないだろう。

なんぎ!


出会いの夜
2003.04.23

自分の作った物を喜んでもらえる事がいちばん気持ちを前向きにしてくれる。

先日仕上げた仕事を先方に見せに行ったら、思いのほか喜んでいただけたようだ。先方と先方を紹介してくれた先輩に感謝。これからも気を抜かず丁寧な仕事をこころがけたい。

打ち合わせのあとそのまま一献、更に民謡スナックへと河岸を移した。何故か皆八重山つながりだった。自分はナイチャーだが、民謡のお陰で八重山と聞くと、勝手に同郷のような親近感が湧いてくる。

今夜ばかりは「八重山唄しか出来ませんが」と前置きは不要。心おきなく八重山唄を唄わせていただいた。返しが上等に返ってくる。ああ、八重山民謡習っていて良かった…。

この上のない出会いの夜となった。


張り切って唄え!
2003.04.22

まったく情けない。一度は掴んだつもりの「小浜節」の回す部分の感じが、ここ数回もとに戻ってしまって悪戦苦闘。(また同じ話で済みません)

お稽古中に直されて、その時は直るのだが、次のお稽古にはまた戻ってしまっている。正直なところ、出来ている時と出来ていない時の違いが自分でよく分からない。だから元に戻ってしまうのだ。

それでも、今日はようやくコツを思い出してきた。下げるんだけど直線的に急に下げるのではなくやさしく回す感じ。ふわっと上がってふわっと降りる感じ。今度こそ、今度こそモノにしたい。

長いこと悩んでいた、「上げるところと押さえるところ」はだいたい出来るようになっているといわれて嬉しかったが、どうも途中途中がフラット気味らしく「唄が三味線の音に乗っていない」という問題は解決していない。

「唄がだれて聞こえる。もっと張り切って唄え!」といわれても
どうしたらいいか分かりませんぜ、師匠…。


普段とは違う裏道
2003.04.21

夜、浦添と宜野湾の境界あたり。330から58号へ抜けるのに普段とは違う裏道を通った。

251号線を進み、伊祖公園を過ぎたところから道がもの凄いアップダウンになった。しかも路面がデコボコで灯りも無く道は暗い。ガードレールもそこら中ねじ曲がり、明らかに事故が多発していることが見て取れた。

走っていてなんだか怖い。険しい道筋のせいだけではないような気がした。牧港と嘉数高台を結ぶ線上のこのあたりは沖縄戦の激戦地。ナイチャーの私でもそんなことが容易に頭に浮かぶ場所柄だ。

夜道と思い、いつもより入念にマースを振りかけてきて良かったとつくづく思った。

昼間通れば印象も違うのだろうか…。


琉球古典の青年
2003.04.20

琉球古典の高名な師匠を祖父に持つという青年と出会った。三線を弾いていたら「八重山ですか」と声をかけられ、八重山の曲を一緒に弾いたり、古典の曲を聴かせてもらったりと、興味深いひとときを過ごした。

聴かせてもらった琉球古典の曲は、前奏や間奏が長く、部分部分が細かな打ち音や掛け音などで複雑に彩られていた。唄もゆったりとして細かい節の動きがあった。

手の動きは八重山民謡よりも更に複雑で、それ自体が見せ場になっているような印象を受けた。唄の動きも細かかった。八重山民謡に比べると節の動きはやや直線的で、逆音(三味線と声の音が逆になること)は少なめに感じた。

といっても琉球古典にもいろいろな曲があり、流派によっても唄い方が違うだろうから、一概にはこのような印象とは言えないかもしれない。

来月は琉球古典の本格的な発表会がいくつか有るので、見てみたいと思った。


自分の役回り
2003.04.19

今日は模合。翁長の「ソウル亭」でおいしい韓国家庭料理を食べた。

お値段はびっくりの低価格だった。普通の家を店にしているので(沖縄はこういうところが結構ある)、ホントに沖縄に住んでいる韓国の方の家庭におよばれにきたみたいだった。

居間のテレビでは、中日vs巨人戦が流れていた。沖縄の人は全然野球に興味がないのか、お客さんは誰も見ていなかったが、私だけが注目していた。

同点で迎えた8回裏、開幕戦でも代打でタイムリーを放った関川が、今日も代打で三塁適時打を放ち、サードへ得意のヘッドスライディング。快心のガッツポーズを見せてくれた。

99年の優勝以降ずっと調子を崩していたセッキー。去年はレギュラーからも外され元気がなかったが、今年は代打できっちり仕事をしている。自分の役回りを受け入れたからこその活躍だと思う。

いい仕事をする人を見ると勇気づけられる。そういえば、「ソウル亭」のお手伝いをしていたたぶんまだ中学生くらいの娘さんも、大人顔負けの給仕ぶりに感心させられた。

おかげでお腹も気持ちも満たされた模合であった。


山を越える快感
2003.04.18
ようやく重い腰を上げて滞っていた仕事に手をつけた。これがことのほか面白くて一気に大枠を固めてしまった。久しぶりに漠然と頭の中に描いていた物が焦点を結び形になって行く快感を味わう。

形が見えてくると不思議と手順も付いてくる。本を読んでもなかなか理解出来なかったことが、やりながらだと見えてくる。お陰で新しいワザもちょっと覚えた。更に作り込みの段階で、次のステップも越えられそうだ。

世の中的には最先端なことではないけれど、ひとりひとり山に出会うときは違うのだからそれが自分には今なのだ。いつ越えても山を越える快感はある。いまさらと思って登ることを諦めることはないと思ってやっている。

出来ることを出来るだけやるしかあるまいに。

それにしても沖縄に来てから山また山だよな…。


基本的に独唱
2003.04.17

どうやら三線ブームなのか? これからコンクールが重なる時期だからか? いつもは来ないお弟子さんまで現れて研究所は満席状態。大底研究所のお稽古は基本的に独唱なので、出席が増えるとお稽古の時間も長くなる。

お稽古の流れはこんな感じ。

だれかが新しい曲を習いはじめの時期は、その人中心に練習がすすむ。だいたい出来るようになった所で、一度全員で斉唱してから順に独唱を回す。全員手と唄が覚わったら毎回いきなり順番に独唱する。(但し三線はみんなで弾く)

最初のうちは一人唄うごとに悪い部分の修正。全員がだいたいできるようになると、一通り独唱が済んでからまとめて修正。出来が良くない人はもう一回唄い直して修正。他の人の問題点も、自分に置き換えて聞く事が大事だ。

新人賞組、優秀賞組交互に数曲ずつこれを繰り返す。自分の課題曲の時以外は休憩していても弾いていても自由。時間に余裕が有れば、合間合間に課題曲以外の曲も習う。

他の研究所では、コンクール直前にならないとあまり独唱は無いらしいが、独唱しないと実力を把握できないと言うのが師匠の方針。ちょっと見学にきた人にまで、弾ける曲があるなら独唱させるほどだ。

だから、基本的に研究所で独唱することには全く抵抗はない。
けど、余所で独唱するとやっぱり緊張するんだよな…。


貢献できてウレシイ
2003.04.16
やっぱり三線ブームなのだろう。最近、国際通りでも消防署通りからリウボウ寄りという、いちばん家賃の高いあたりに二軒も三線店が増えた。

場所が良いだけに結構お客さんが集まっているようだが、売れ筋はカンカラ三線だそうだ…。国際通りはお土産物の安い三線が多く、値段の勝負も激しい。引き合うのだろうか。

さて、平和通りの奥でまったりと営業中の行きつけの三線店にも、このWEBやメルマガの読者から、今週に入って何本か注文があったそうだ。いつもここのヌシにはお世話になりっぱなしなので少しでも貢献できてウレシイ。

お買い上げいただいた方々に感謝。最初はなかなか上手くいかないと思うが、ぜひ大事に弾いてやってほしい。分からないことがあったら、メールください。修理についてはお店までお気軽にどうぞ。


素直になれないと
2003.04.15
大底研究所では二人の新しいお弟子さんが学んでいるわけだが、一人は全くの初心者、もう一人はこれまで自己流で練習をしてきた人。

全くの初心者の方は、短期間でめきめきと上達している。まさにスポンジが水を吸収するようだ。勘の良さと記憶力の良さもあるけれど、何より教わるままに素直に受け止めているところが上達の早さにつながっていると思う。

自己流で練習して来た方は、なかなか前に進めないでいる。それまでに身に付いてしまった唄い方が邪魔をしてなかなか直らない。直される事に抵抗があるようで、怒られているように感じているように見える。

それでもようやく教室の雰囲気がつかめてきて、師匠の言葉を素直に受け止められるようになってきた。少なくとも固まっていたクセがほぐれだしている。ほぐれたあとは徐々に前に進み出すだろう。

習い事は素直になれないとなかなか上達しない。習っているのに自分はこれで良いと思ってしまうと、悪いところはなかなか直されない。自分もここのところこなすだけの練習で師匠の注意を素直に吸収する余裕がなかったと思う。

この週末は「でんさー節」や「つぃんだら節」など、比較的初歩の曲だがメロディが細やかで感情を入れやすい曲を中心に練習した。初心に戻る上でこれはなかなか効果があったと思う。

夕べの飲み代にもつながったし…。


照れ隠しせずに
2003.04.14

いつもの店で一杯ひっかけた帰り際、店の三線をつま弾くとお客さんからもっと弾けとお声がかかった。

今日はちょっとやな事もあったので、反省の意味も込めて「でんさー節」を唄う。やいのやいのでしばらく続けて唄っていたら、お客さんからジョッキは来るは、飲み代は出るわ、お会計したらお釣りまで来てしまった。

酔っぱらいながらも一所懸命唄うよう心がけた。歌詞を間違ってもひっちゃきしても、照れ隠しせずに唄えた。お客さんの中には「もっと自分流に唄え」とアドバイスしてくれた人もいたが、まだまだ自分の味まではいけません。かみしめるように基本を大事に唄う、今はここまでです。

賞賛の言葉が何処までお世辞かは別として、自分では気持ちよく唄えた。
これでまたしばらく持ちこたえられそうな気がする。

今が正念場だ。


なかなかに侮れない
2003.04.13

打ち合わせ場所に早く着きすぎたので、時間つぶしに久茂地公民館に入った。

ここの図書室の蔵書はなかなかに侮れないと判明。チェックしておきたい雑誌がだいたい揃っているのも助かる。全国誌のみならず、県内の情報誌や広報誌、「コーラルウェイ」に「翼の王国」に「私の青空」なんて機内誌も揃っていた。

また、建物は古いではあるが、デザインが斬新で、雰囲気も実にいい味を出している。屋上にプラネタリウムがあるというのもオシャレだ。エレベーターの中は沖縄の古い建物のエアコン特有の匂いがしていて、レトロ感を煽る。

国際通りからちょっとの所にこんな便利な“ゆくいどころ”があったとは。
思わぬ収穫だった。

追記:
おかげさまで5000ヒット。予想より早く達成できました。多謝!


初夏の香り
2003.04.12

季節の移ろいを匂いで感じる方だ。自分にとって、春の匂いは沈丁花の香りだったりするのだが、沖縄ではそれを感じることは無かった。

昨日、今日と強烈な豪雨だった。特に今日は巡航ミサイルが打ち込まれたかと思うような落雷の音で目が覚めた。豪雨は一日断続的に続き、予定していた用事は順延になった。

夕方にになって一息ついた雨間を縫って、いつもの三味線屋に顔を出す。少しお稽古させてもらって、そのまま飲みに繰り出す。

ばんない飲んでふらふらと帰る帰り道、湿った空気の匂いに季節の移ろいを感じた。一年前と同じ香りが懐かしい。

昔、故郷で嗅いだ初夏の香りに似ていた。


コンクールの罠
2003.04.11
わりと初心者レベルの曲で、そのうちそのうちと思ってきれいに憶えていない曲が結構ある。そういう曲を初心者の後輩がさっさと憶えてしまうのを見て、あわてて憶えている有様。

正直なところ、「次は優秀賞に向けての練習をしているのだから、新人レベルの曲なんてやろうと思えばいつでもできる」という気持ちがあったと思う。何をのぼせていたのか、全く恥ずかしい。

繰り返しになるが、東京にいる頃は、たくさんの曲を囓っていたが、人前で独唱できる曲はといわれると困ってしまう状態だった。新人賞に挑戦して基本を身につけることで、人前で唄うことに抵抗はなくなった。

さあ、次は更に難易度の高い優秀賞に挑戦と思って課題曲を憶えることに集中してきた。お陰でだいたい手と唄は覚えることができた。あとはこれから反復練習を積んで行けば合格できるだろうと思っていた。

でもちょっとまてよ。民謡を学ぶって、そんなロールプレイングゲームみたいなことなのだろうか。先生についてきちんと習おうと思ったのは、好きな唄を気持ちよく唄えるようになりたいと思ったからではなかっただろうか。

最初に八重山民謡に魅かれた頃は、コンクールがどうのとかそんなことは全く知らなかった。難しい曲だから感動していたわけでもなかった。もっと素直に唄を聴いていたと思う。どこかでコンクールの罠に陥っていないか。

師匠からは「優秀からは情(なさけ)も入れんといかんよ。唄いこなしが足りない」といわれているが、ただ機械的に課題曲を繰り返しているだけでは情は出てこないのではないか。もちろん、師匠も優秀賞を取るために情を入れろといっているわけではない。

今一番大事なのは、自分はどんな風に唄えるようになりたいのかを問い直すこなのかもしれない。答えは囓りかけにしてきた唄の中にあるような気がする。

もしかしたら、最近民謡に対して感じているもやもやも解けるかもしれない。


とんだ思い上がり
2003.04.10
師匠が、糸満のコミュニティFM局、FMたまんの『島唄・十時ゆっくい』に出演するというのでお共した。

司会は比屋根孝子先生。毎回唄者のゲストを迎え、楽しいトークやリクエストに応えての生演奏を放送している。糸満あたりでは人気の民謡番組だそうだ。

比屋根先生は司会進行はもちろん、CDをかけたり、リクエストの電話に出たり、師匠の生演奏に囃子を入れたり、CMを入れたり、独りで番組を取り仕切っていた。すごいぞ、DJ TAKA!

師匠から案の定、いきなり生放送中に独唱指令…。安里屋節と鳩間節を唄ったがよたよた。糸満市民のみなさんのお耳汚しとなった。師匠の評も「ただ手と唄を覚えて唄っているだけ。情が全然入ってない」と手厳しい。

ここのところなかなか前に進めない。「ちょっとスランプ?」などと思ったりしたがとんだ思い上がり。最近理屈先行で、単に練習量が減っていただけだ。

「稽古不足を幕は待たない」か…。
初心を思い出せ。


相談のメール
2003.04.09

このWEBやメルマガの読者から、ときどき三線の購入について相談のメールが来る。

だいたいの場合、できれば沖縄に来たときに、アフターサービスに対応できる三線専門店で、最低35,000円くらいから、予算が許せば50,000円以上の物を買うよう勧めている。

ひとそれぞれ事情もあるのですべての条件を満たすのは無理だと思う。しかし、何事も真面目に取り組んだら、必ず今使っている道具より上のランクの道具が欲しくなる。安い物を買っても結局無駄になるのが早まるという事だけは断言できる。

「子供が始めるので初心者向けの」という条件で相談されることもある。

昔こんな話を聞いたことがある。あるピアニストに子供が産まれ、奥さんがその子供におもちゃのピアノを買ってきた。ピアニストはおもちゃのピアノをたたき壊して、すぐに本物のピアノを買い与えたそうだ。

これは極端な例かもしれないが、初心者こそ本物の音に触れる必要があるという意味で納得できる。(ピアノはポンとは買えないけど…)


肩がなまってたみたい
2003.04.08

私の編集しているメルマガ『週刊沖縄ふぁん』から『沖縄ふぁん_CAL』というフリーペーパーを発行する予定だ。その創刊準備号をPDFで配布するとメルマガのルートで告知したら、かなりの人がアクセスしてくれた。

どんな媒体かというと、カレンダー形式にできるだけ情報を盛り込むというシンプルなものだ。時間軸を中心に出来事を端的に伝える方法を模索した結果こうなった。沖縄に遊びに来た人が、短い滞在中にどんなイベントがあるのか一目でわかるようになっていると思う。

実際にしばらく自分で持ち歩いてみて便利だと感じている。あらかじめ予定が書き込まれたスケジュール帳を渡されたみたいだ。今のところ目立った反応はないが、沖縄上級者ならじわじわと狙いがわかってもらえると信じたい。

PDF配信にあたり、段取りに行き違いがあってばたばたした。久しぶりにマウンドに立ったら肩がなまっていたみたいな感じだ。思うように球が行かないと気持ち的にも嫌な面が出てしまう。自分の良くない部分が前に出てきてちょっと反省。

剛速球もキレのあるスライダーも投げられないけれど、重いストレートを臭いところにズンズンと投げ込むようなスタイルが自分の持ち味だと思う。

今は、すこしでも得意な球で投球を組み立てるしか無いと思っている。


引っ越すだけなら
2003.04.07

今手がけている仕事がもう少しで形になりそうなのだが、まだまだ予断を許さない。期待しつつも冷静に結果を見極めたい。

沖縄に来て一年少し経ったが、もう何度仕事がらみでどんでん返しを喰らったことか。その度ちゃぶ台をひっくり返したい気分だった。ちっとも「なんくるないさー」ではないではないかと思ったりもした。

しかし、今にして思えば、覚悟して来たつもりだったが、それでも自分の中に沖縄に行きさえすれば何とかなるという甘えがあったと反省している。「なんくるないさー」は、「なんくるしよう」とした後の言葉なのだと思う。

「なんくるしよう」とやってみて、ささやかでもいくつかが「なんくるなった」時、ようやく“移住した”と言える日が来るような気がする(まだ言えないけど)。

引っ越すだけなら誰でもできるさね。


ここで月夜の晩に
2003.04.06

玉城で行われた「海楽(かいらく)」というイベントに足を運んだ。

会場となった「山の茶屋・楽水」から「マリンテラスさちばる」にかけては、手作りのアクセサリーや料理などの出店が並び、かなりの賑わいぶりだった。「浜辺の茶屋」では海上ステージ(といっても干潮で潮は引いていた)でライブも行われていた。

会場の中心に位置する宮本亜門さんの沖縄の住まいは、毎年「海楽の日」に解放されてきたと聞く。宮本亜門さんは、今年も気前よく自宅を解放し(二階プライベートスペースは除く)、本人もホストとして対応していた。

宮本亜門邸は、何度か前を通ったことがあるが、内部を見ることが出来たのは初めて。『渡辺篤史の建もの探訪』でも紹介されたことのある邸内は、豪華ではないが、シンプルで贅沢な空間だった。

ここで月夜の晩に三線を弾いて唄ったら…。
とっても気持ちがいい事は間違いないだろう。


こゆい唄会だった
2003.04.05

大島保克さんの唄会へ行ってきた。他の人との競演では何度か見たことがあるが、完全にソロでのステージを見るのは初めてだった。前半は八重山民謡を中心に、後半はオリジナルや本島の民謡も交えての構成だった。

ステージが終わってしばし話をする機会を得た。民謡を始めたきっかけを聞くと、民謡は誰に習ったこともなしにおぼえたという。また、最初のCDを出すまでライブの経験も唄い手になるつもりも無かったという。

もちろん本当は才能も努力もあってのことと思うが、八重山の自然と唄を取り巻く環境を思うと、まんざら頷けないこともない。まさに白保に生まれ育った事が、彼を唄い手として生きる運命にいざなったといえるだろう。

驚きと同時に羨ましさを感じた。

会場では、偶然うみかじを主催している方にも会うことができた。一緒にいたお友達は、山里勇吉先生、大工哲弘先生に付いて三線を学んでいる方たちだった。他にもおそらく自分でも三線を弾く人たちが客席に多くいたように思う。

観客も海千山千、選曲もそれぞれひとひねり利いていた。
こゆい唄会だったと思う。


芝居小屋っぽい感じ
2003.04.04
(旧暦3月3日浜下り)

沖縄では旧暦の3月3日に浜に下りて遊ぶ「浜下り(はまうり)」という女の子の行事がある。海に足を浸しけがれを祓うのだそうだ。この日に近い週末には、様々な「浜下り」イベントがある。

そんなイベントのひとつ、うないの会主催チャリティー民謡コンサート「さんぐわち遊び」を見に県立郷土劇場に足を運んだ。“女の子”というにはちょっと無理があるメンバーではあったが(失礼)、女性の唄者ばかり10人以上が勢揃いした舞台というのも珍しいだろう。

八重山からは唯一、比屋根孝子先生が出演して「与那国ションカネ」と「でんさ節」を唄った。「与那国ションカネ」では具志堅京子さんが囃子を担当していた。「でんさ節」は比屋根孝子先生が八重山の唄い方、具志堅京子さんが本島の唄い方で、交互に唄った。この競演がいちばん見応えがあった。

舞踊に「しゅんどう」という不思議な演目があった。美しい琉装で踊る踊り手の後から、地味な衣装に醜女の仮面を付けた踊り手が現れ、滑稽なしぐさで踊る。滑稽なのだがどこか奇妙でちょっともの哀しい、何とも言えない演目だった。調べてみると、やはり曰くのある踊りだった。

観光客はおそらくゼロ。司会もトークもうちなーぐちオンリーだったが、だいぶ意味がわかるようになっている自分に気が付く…。

それにしても、県立郷土劇場は芝居小屋っぽい感じがたまらない。


工工四は家で見れ
2003.04.03

7月に行われる琉球民謡音楽協会の民謡コンテストを目指して、またまた新しいお弟子さんが弟子入りした。

新人賞の課題曲「つぃんだら節」「でんさ節」「千鳥節」に取り組んでいるところ。八重山出身なだけに、唄は聞いたことがあるので、しばらく工工四だけで練習していたらしいが、さすがにコンクールが近くなり入門となったようだ。

かつて自分もそうであったように、工工四を見て練習しているとなかなか工工四から離れられない。お稽古中も工工四に目がいってしまっている。どうしても上手く弾けないで苦戦している部分があったので、せっかく直接習っているのだから、先生の弾き方を見た方が早いと勧めてみた。

特に三線と唄のタイミングがずれる部分は、先生の手と呼吸の間合いを映像として捉えた方が自然と身に付きやすいのだ。うつむきがちに唄っていると姿勢が悪くなり声も出ない。先生を見るようにしたら、完璧ではないまでも明らかに良くなったと思う。

「お稽古中は工工四を見ないよ。工工四は家で見れ。」
というのは、暗譜を強いるのとはちょっと意味が違うのだ。


宣伝活動中
2003.04.02

今日はTシャツ一枚で充分なほど暖かく、風がやふぁやふぁと吹いていた。

打ち合わせの帰りに平和通りの三味線屋でゆんたくひんたくしていたら、店の前を某大御所唄者が通りすぎた。どうやら近く行われる自分の演奏会の宣伝活動中のようだった。

自分でこういう活動をするのは、うちの師匠のようにそれほど有名でない(師匠ごめんなさい)唄者くらいかと思っていたが、沖縄ではこんなのも普通だそうだ。

大御所も自分で営業。普通の人とプロの境界線は、こんな所でも曖昧だった。


我流でできる限界
2003.04.01
 

工工四とCDがあれば民謡はマスターできるという人もいる。良く耳にする沖縄の民謡は(実はそれは伝統的な民謡ではなかったりするのだが)、唄の旋律と三線の音が同じで、コードも無い。単純に聞こえるので、自分も昔はそう思っていた。

いまはとんだ思い上がりだったと思っている。確かにそうしてマスターできる曲もあるが、それはそのレベルの曲だ。一歩踏み込めば我流でできる限界を思い知ることだろう。

私は八重山古典民謡保存会の先生に習っているが、これだけが正しい唄い方だとは思っていない。私の習っているのは、大濱安伴という偉大な先達が長年の研鑽と研究の成果として整理体系化したひとつのスタイルに過ぎない。

しかし、学ぶべき価値のあるひとつのスタイルをしっかりと身につけることによって、「ああ島の地方衆はこんなして唄っているのか」「別の流派ではこう唄うのか」と違いを楽しめる。スタンダードとはそういう物だと思う。

師匠は「ひとりで唄っているときは誰でも名人」という。だから人前で唄えというのだ。そうして唄いこなせたときに、自分なりの唄情けが生まれてくるのだと思う。

だがその時生まれた自分らしさは、我流とはいわないはずだ。
もちろんまだそんな境地に達してはいないけど…。

(きょうはちょっと熱くなってしまった。いろいろあったので…)