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放蕩者のする事
2003.05.31
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箆柄暦『六月の沖縄』を配りがてら、お馴染みの居酒屋へ行く。今月の『うるま』の台風特集(久々の名特集)を読みながら独りで飲んでいた。
徳之島出身で大阪在住の年輩のご夫婦がやってきて、店においてある三線を触っていた。店の人が「このヤマトゥーは八重山民謡修行中よ」と紹介したため、ちょっと弾いて欲しいと言うことになり唄った。
唄ったり、三線談義したりして、楽しいひとときを過ごした。ご主人が若い頃は、三線を弾くなど放蕩者のする事だと父親に厳しく禁じられていたため、内緒で弾いたものだと話してくれた。
こういう話を聞くと、確かにそういう時代があったのだなと実感する。
しかし、あなたのお父上は賢明だったかもしれません。
と思う、箆柄者でありました…。
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微妙な時期
2003.05.30
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沖縄タイムス社主催「沖縄タイムス芸術選賞伝統藝能部門」の三線部門の審査がいよいよ6月1日から始まる。8月に行われる、琉球新報社主催「琉球古典芸能コンクール」と双璧をなす琉球古典芸能の審査会だ。
昨年の「沖縄タイムス芸術選賞」は、コンクールについて調べ始める前に行われてしまっていたので見学していない。「琉球古典芸能コンクール」は見学したが、その緊張感たるや並ではなかった。
琉球古典音楽の体験談を読むと、精神安定剤まで飲んで受験する研究所もあるという。ドーピングはどうかとも思うが、気持ちはよく分かる。それほど緊張する「おとなの試験」なのだ。
八重山毎日新聞社主催「八重山古典民謡コンクール」は10月。まだ4ヶ月あるとも、もう4ヶ月しかないとも言える微妙な時期に差し掛かってきた。
ここからが大事な時期なのだろう。
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セッションしている
みたい
2003.05.29
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上げるところ、押さえるところの感じを掴むために、しばらく独唱を控えて、兄弟子と一対一で合唱してみることになった。
一対一の合唱は、ずれているところがよく分かって参考になった。師匠に一緒に唄ってもらうのも分かり易いが、それとはまた違った分かりやすさがあった。
また、練習方法としてだけでなく、合唱の気持ちよさも新鮮だった。
これまでのお稽古では、独唱の前の準備体操的な意味で合唱していたので、独りで唄っている人がたくさんいる感じだった。しかし、一対一で緊張感を持って合唱すると、お互いの音がせめぎ合い、融合する感じがした。
なんだか唄と三線を通して、相手と渡り合っているような感じ。
セッションしているみたいな感じのお稽古だった。
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お店の工夫の成果
2003.05.28
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お稽古の時に弾いている師匠の江戸ゆなーが、二重張り(合成皮の上から安い本皮を張る張り方)から本皮張りになった。チーガーも桃原さんの上等チーガーになった。
以前はぽこぽこした音だったが、ハッキリとした音になった。前の音もそれなりに好きだったが、やはり今度の方が良い音であることは確かだと思う。ただちょっと張りはゆるめな気もする。
師匠は二重張りは三線の音がしない、合成皮を緩く張るほうがまだマシと言っているが、最近いつもの三線店で張っている張り方だと、結構本皮っぽい音がする。見た目も本皮に近い。
本皮がベストではあるけれど、予算が許さない人や、本土や旅先の気候のせいで破れることが心配な人には、充分検討の余地はあるレベルだと思う。あくまで県産品の棹で勝負したいというお店の工夫の成果か。
自分のサブのまかびーが人工皮なので、二重張りにしてみようかな。
意外と良い音したりして…。
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ユーザーサポート
2003.05.27
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「ペーニャあまんかい」というお店の方から、来月一流のダンサー、ギタリスト、シンガーを招いて、タンゴのイベントをするので『週刊沖縄ふぁん』で紹介して欲しいというメールがあった。
添付されていたPDFにフォントが埋め込まれていなかったので、イメージ通りに表示されない。やり方を教えましょうかと返信したら、ぜひお願いしますと返事が来た。
お稽古の帰りに立ち寄ると、そこはアルゼンチン料理とライブが楽しめる店だった。店は終わっていて、 来沖20年のシルビオ・モレノさんと奥さん、そのお友達がスパニッシュトークしていた。
一通りファイルの作成方法をレクチャー。お友達がそこそこパソコンに詳しい人だったので話しは早く進んだ。ユーザーサポートもそこそこに、一杯やりながら楽しいお話に花が咲いた。
アルゼンチーノが見ても高畑・宮崎コンビの『母をたずねて三千里』は感動したとか、フィデル・カストロの演説はすごいとか、なんだかよく分からないが盛り上がった。なかでも奥さんが沖縄に引っ越してきた11年前の沖縄の話は羨ましさもあって興味深かった。
お稽古の出来が散々だっただけに、ちょっと元気を取り戻せた。
次は是非、演奏が聴ける時間に行ってみようと思う。
チャオ!
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掘り出しものも
2003.05.26
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箆柄暦『六月の沖縄』PDF版をアップした。情報収集のノウハウはだいたい掴めた。四月より五月、五月より六月と情報収集力は増してきた。
情報を収集している過程で、ときどき地味ながら“これは”と感じさせる情報がある。六月で言えば、8日に宜野湾市民会館で行われる『奄美群島日本復帰50周年記念』が気になっている。
タイトルからすると、硬い行事のように見えるが、記念式典のあとに、奄美から坪山豊さんをはじめ8人の唄い手を招き、奄美島唄の公演が行われる。また、物産展や復帰記念写真展も行われる。
深読みしすぎて外れることもあるけれど、『箆柄通信』のトップページには、こうした私の気になる情報を掲載している。ときどき掘り出しものもあると思うので参考にしてもらえればと思う。
沖縄情報のソムリエと呼ばれるには、まだまだテイスティング経験が必要か?
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左ハンドルのクラウン
2003.05.25
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ファミリー劇場で、『Gメン'75』の第59話『東京―沖縄 縦断捜査網('76.7.3放送)』、第60話『暑い南の島 沖縄の幽霊('76.7.10放送)』 を見た。
復帰直後の沖縄を舞台にしているので面白そうだという興味本意で見たのだが、人気刑事ドラマの単なる地方ロケものではなかった。復帰前に起きた米兵による暴行事件の復讐劇を軸に、当時の沖縄の政治的な状況を色濃く織り込んだハードな内容だった。
ヤマトンチュとウチナンチュの対立や、米兵の横暴な行為もかなり強調されており、リゾート色はほとんど無い。というかリゾート色は、重苦しい状況との対比として描かれている感じだった。民放のドラマでよくこのような内容が放送できたと驚かされた。
ただ、ガレッジセールが全国ネットでウチナーグチのコントを放送してもオッケーな現在とは時代が違う。まだ左ハンドルのクラウンが右側通行しているシーンも出てくる中で、ウチナンチュ役も含めヤマトの俳優が全編標準語で演じていたのには違和感があった。当時としてはこれが普通だったのだろうが。
この沖縄シリーズは3話連続となっている。結末はどうなってゆくのだろう。沖縄シリーズ最終話となる、第61話『沖縄に響く痛恨の銃声』を見逃さないように気を付けねば。
追記:
おかげさまで9000ヒットしました。毎度有り難うございます。
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よいみみぐすい
2003.05.24
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新良幸人のリウボウライブへいってきた。相棒サンデーが出張のため、70回目にして初のソロライブ。一人唄会となった。
今回、ステージをホールの中央の壁際にしつらえていた。客席はセンターステージを囲むように、コの字型のすり鉢状に配置されていた。見ている方はそれほど違和感がなくても、唄う方は随分と雰囲気が違っただろう。
演奏はいつも以上に奔放で、八重山民謡からパーシャの曲まで自在に弾きこなし、唄いこなして見せた。特にパーシャの曲は難しいリズムの曲もあったが、幸人自身のリズム感と絶妙なソロアレンジを堪能させてもらうことが出来た。
よいみみぐすい(耳薬)になった。
それにしてもリウボウホールはいつも冷房が効きすぎ。何か見に行くときは、真夏でも長袖を一枚持っていくことにしている。今宵もよく冷えていた。
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漠然とした停滞感
2003.05.23
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なんとなくお稽古も中だるみ気味。優秀賞の課題曲は手と唄も覚えて、あとは唄い込んでゆくだけなのだけれど、同じ曲ばかりで正直なところ少し飽きている。
合間あいまに他の曲を挟んだりしてはいる物の、やっぱり課題曲をほってはおけない。10月までにはいつどこで唄っても間違えずに、情まで盛り込んだ状態に持っていかないとと思うと、そこまで唄いこなすにはまだまだなのだ。
一通り覚えるまでは進歩が見えやすいけど、覚えたあとは前に進んでいるのかわかりにくくて、なんとなく先が見えてこない。新人賞は無我夢中で通りすぎたけど、優秀はいろいろと考えてしまうことも多い。
師匠は優秀賞までは教えてもらって取る賞で、最優秀賞からは自分で研究を深めて取る賞だという。また安伴先生は「優秀まで取ったら人に教えてもいい(教えて勉強しなさい)」といっていたそうだ。
この漠然とした停滞感は、学ぶから深める段階への転換点だからだろうか。
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ほっと出来る風景
2003.05.22
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期せずして、中江裕司監督の最新作『ホテル・ハイビスカス』の試写会に行くことが出来た。
まずは絶妙のロケーションに感心した。ウチナンチュのみなさんなら、子どもの頃の風景を思い出して懐かしく思うだろう。引っ越してきた者にとっても、ほっと出来る沖縄の風景があった。
今年の夏は、辺野古から北の東海岸の人気が更に高まるのではないだろうか。その意味では、『ホテル・ハイビスカス』を映画化しつつ『山原バンバン』な味も出ていたと思う。
オールスターキャストの出演陣もそれぞれのエピソードで“らしさ”を出していた。大城美佐子さん、平良トミさん、登川セイ小、国吉源次さん、皆だいぶ歳を取った物の、まだまだ元気な怪演ぶりだった。
先日見た『ウンタマギルー』では、てるりんファミリーのその他大勢だった照屋政雄さんも、すっかり味のあるお父さん役が似合う貫禄を見せていた。いつものおもしろおかしいステージの姿とはちょっと違っていて良かった。
早い段階で見ることが出来て良かった。今度も面白い作品でほっとした。
追記:
会場で青木誠さんに会った。箆柄暦『五月の沖縄』を直接手渡すことが出来た。「青木誠さんといえばゴールデンライブステージですよね」、といったら「古い話しを…」と笑っていたが、当時エアチェック(死語)したテープはまだ持っている。
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沖縄県内でもっと
2003.05.21
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オリオンビールのビギン缶が沖縄県内限定で販売されている。県内では普通に買えるので何とも思っていなかったが、県外では入手困難で人気が高まっているらしい。
オリオンのCMは二年連続でビギン。更に那覇ハーリーからオリオンビアフェスタまで、今年のイベントはビギンが制覇している。で、ビギン缶まで…。まさにこの夏は、ビギン一色だ。
ビギンの前はオリオンのCMはパーシャが押さえていた。幸人はライブのMCで「若い芽は早めに摘んでおくべきだった…」と語っているが(冗句ですよ)、ちょっとだけホンネも入っているのではないだろうか…。
そんなビギンとパーシャだが、今年の琉球フェスティバルで激突する(別に仲が悪い訳ではないけど)。琉フェス会場にはもちろんパーシャのファンも少なくないだろうが、まだパーシャを知らない観客にも思いっきり存在感をアピールしてきて欲しい。
パーシャクラブはもっと全国で評価されて良い。いや、世界で評価されて良いはずだと思う。そして何より、沖縄県内でもっと評価されてしかるべきだと思うのだがどうだろう。
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まだまだ恐ろしくて
2003.05.20
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最近、お稽古の最後に「とぅばらーま」を入れてもらっている。
以前は師匠と一緒に唄うことすら出来なかったが、最近はなんとか付いていける程度にはなってきた。もちろんまだまだ人にお聞かせするレベルではないにせよ、ひとりで練習出来るくらいになったのは大きな進歩だ。
「とぅばらーま」という曲は不思議な曲だ。八重山唄には他にも魅力的な唄がたくさんあるのに、何故この曲ばかりがと思っていたが、唄えるようになってくるとどんどん魅力を感じるようになってくる。
その魅力は結局の所、シンプルさなのではないかと思う。3コード・12小節のBluesの様に、単純な枠の中に思い思いの歌詞をのせて思いの丈をぶつけてゆく。だからこそ、この曲ほど唄い手の実力を露わにする曲もないだろう。
唄の技巧や三線のテクニック、ブレスの長さはもちろん、その人がどんな姿勢で八重山唄と向かい合っているのかまで裸に剥かれてしまう。時に技術よりも姿勢が、その唄者の圧倒的な存在感となって会場を魅了することがある。
聴衆もこの曲は肌で聴く。拍手の音に評価がハッキリと現れる。上等に唄う唄者には上句が終わると待ちきれないように拍手の渦が巻き起こる。有名な唄者でも、やなーな唄にはざわめきしか広がらない。
今まで、いろんな「とぅばらーま」の現場に立ち会ってきたが、
自分では、まだまだ恐ろしくて人前では唄えない…。
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途絶えたときに
2003.05.19
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ようやく喉の調子も治まり、練習を再開した。
一週間ほど落ち着いて練習できなかったので、やはり唄っていてもしっくりこない。ちょっと練習しないだけで、折角無意識に対応できるようになりかけていたポイントが、元に戻ってしまっている。
もう一度、細かいところを意識して唄う段階へ逆戻り。
「継続は力なり」は、続けているときは気が付かない。
途絶えたときに実感するのだなぁ…。
追記:
台湾在住の友達からメールがあった。SARSの影響は思ったより深刻のようだ。若い医師が亡くなったせいで、医師や看護婦が感染を畏れ、病院を辞めてしまうケースも出てきているという。日本は何時まで対岸の火事を決め込んでいられるのだろうか…。
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同じ唄の違う顔
2003.05.18
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「第三回仲宗根長一・充 父子リサイタル」を見に行った。
仲宗根長一さんといえば、山里勇吉さんと並び、白保出身の八重山民謡のビッグネームだ。「うりずんの詩」の作者としても知られている。80歳になろうとしているがまだまだ元気な姿を見せていた。
会場は、白保郷友で埋め尽くされていた。後半では、ゆんた・じらばで白保の風景を再現する演目もあり、豊年祭を再現した巻き踊りでは、観衆の郷愁を大いにかき立てていた。
途中、沖縄芝居の役者、當間武三さんがゲスト出演していた。研究所の琉舞とはひと味違った“芸人”を感じる舞踊だった。かろやかな舞いの合間にちりばめた笑いに会場が湧いた。実はこれ目当ての観客もけっこういたそうだ。
私の所属する八重山古典民謡保存会とは所々で唄い方も違うので、同じ唄の違う顔を見るような感じもした。会場には保存会の先輩の顔も見かけたが、どんな風に感じていただろうか。
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名演との出会い
2003.05.17
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先週末、「上間克美独演会 組踊と舞踊」が行われたと新聞で読んだ。
通常、踊りの地謡は、唄三線三人位で担当するが、この独演会では上間克美氏がすべての唄三線を独りで担当した。記事では見事に唄い切ったとあった。事前の記事で読んで気になってはいたが、どうしても行けなくて残念だ。
沖縄には、こうした実力者がたくさんいるが、その多くがプロではない。従って独演会を開く機会も多くはない。一回見逃すと次は何時になるのか本人ですら分からない。
また、作品を発表していない人も多く、部外者には名前だけ聞いても公演の価値が分からないことが多い。出来る限り注意を払い、大事な公演を嗅ぎ分けて足を運びたい。
それでもどんなにがんばっても、全部の公演を見ることは、金銭的にも時間的にも不可能だ。
名演との出会いは巡り会えただけで奇跡。
その日その時を大事にしたい。
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体調管理も大事
2003.05.16
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喉の腫れもようやく治まってきたが、今回の風邪には手こずっている。
窓を開けて眠れば少しの風が気になるし、閉めて眠ると暑くて汗だく。季節の変わり目で、雨が降ったり止んだりで毎日の変化が激しい。外に出れば汗ばむし、建物にはいると汗が冷えて、おまけに効きすぎの冷房が辛い。
友人が、「この時期、沖縄で風邪を引くと長びくよ」と言っていたのはこのことだったのか。
お陰で練習もほとんど出来ない。というか唄っていて気持ちよくないので続かない。昨日のお稽古でも、師匠に「細かいところを取って捨てたような唄」といわれてしまい散々だった。
体調管理も大事なのだと思い知った。
追記:
8000ヒット感謝。スピード達成(当WEB比)でした。三線に興味を持つ人が増えているひとつの現れなのでしょうね。参考になっていたらうれしいです。
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丸を巻くだけ
2003.05.15
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箆柄暦(ぴらつかこよみ)を作り出してから、個人的な予定以外、手帳に予定を書き込むことが少なくなった。箆柄暦に興味のあるイベントはすべて網羅しているので、行きたいイベントに丸を巻く(まるで囲む)だけで用が足りるのだ。
18日まで、前島アートセンターで全国からフリーペーパーを一同に集めて展示する「FREE! FREE!! FREE!!! FREEPAPER FESTIVAL 2003 IN OKINAWA」が開催されている。、一部のフリーペーパーは持ち帰ることも出来る。
箆柄暦『五月の沖縄』も置いて貰えないかと思い、お稽古の前に立ち寄った。展示を見ているうちに誰もいなくなってしまったので、フリーペーパーの展示会なんだから良いだろうと、お持ち帰りOKコーナーに勝手においてきた。
立ち寄った人はご自由にお持ちください。
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琉球王朝時代からの系譜
2003.05.14
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ここ一ヶ月くらい、沖縄タイムスに頻繁に「宮城嗣幸顕彰公演」の広告がまぎまぎと掲載されていた。いったいこの人はどんな人なんだろうと思っていたら、この公演に参加するという女性がいつもの三線店に現れた。
話を聞くと、琉球古典音楽野村流松村統絃会の名誉会長。同協会の基礎を作った父嗣長、兄嗣周に師事し、教師免許を取得してから40年以上、後進の育成と研究に邁進してきた方だそうだ。
父嗣長は、最後の琉球国王尚泰の唄の師匠だった松村真信から古典音楽を学んだ人だが、琉球王朝時代からの系譜も直接の家系としては嗣幸氏の代で途絶えるという。
どちらかというと研究者として知られ、その演奏を聴ける機会はあまり無いということだったので、行きたいなと思っていたら幸いにも券を入手で出来た。
研究者うんぬんと聞いていたし、ご高齢でもあられるのでどうなのかと思っていたが、参りました。唄はやさしくまろやかに熟し、三線の音色も柔らかく、細かいところまで絶妙にコントロールされていた。
公演全体の構成も、斉唱、独唱、舞踊が織り交ぜられており、各出演者の技量もかなりのものだった。舞踊も古典舞踊から芝居的要素も盛り込んだ創作舞踊まであり、最後まで飽きさせなかった。
一口に琉球古典の公演といっても、こういう公演もあるのか…。
どこまで奥が深いのだろう。
追記:
もしかしたら高円寺の抱瓶や六本木の島唄楽園で、箆柄暦『五月の沖縄』を入手できるようになる(?)かもしれない。実現したらまた日記に書きたいと思う。
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刷り込まれていた
2003.05.13
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喉の調子だけが治らない。声がゼンゼンでないので、結局お稽古をお休みして「まるみかなー」の『ウンタマギルー』上映会へ…。
店内にはいると、上映の前にテープが流れていた。89年に『ウンタマギルー』が公開されたとき、渋谷のパルコで行われた照屋林助と戸川純の対談&ワタブーショーだった(超貴重)。二人の変に息のあったトーク、純ちゃんの唄うへんちくりんな「とぅばらーま」に激しく心がゆれた。
当時この作品を、私はいったい何処でどんな風に見たのか全く思い出せない。ストーリーも良く思い出せなかったが、映画が始まると、つぎつぎに断片的だったシーンがつながり、記憶の中に焦点を結んでいった。
見終わってしばらく言葉が出なかった。自分の沖縄に対する原風景をようやく思い出した感じがした。沖縄に興味を持った最初期に、いや正確には沖縄に対して特別な意識を持つ前に、こんなすごいものを刷り込まれていたとは。
大量に沖縄な映画、音楽、書籍などをあさっているうちに見失っていた原点にようやく戻ってきたような感じがした。次は是非、『パラダイス・ビュー(85年)』で更に源流へと遡りたい。
それにしても私が初めて聞いた「とぅばらーま」は、映画の中で戸川純が唄う「とぅばらーま」だったとは…。
追記:
会場で箆柄暦『五月の沖縄』を配ってみた。みなさん興味深げに見入っていたが、後で紹介されるとお客の中に、沖縄最大手広告代理店「ブレーン沖縄」の社長さんも居た。「プロの目から見てどうですか?」と聞いたら「見えない(字が小さくて)」といわれた…。他にも「うるま」スタッフ、「hands」関係者までいたが、どんなですか?
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無くしたマブイ
2003.05.12
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国際通りを歩いていると、『ウンタマギルー(高嶺剛監督作品)』の文字が目に入った。
電柱にくくりつけられた段ボール看板をよく見ると、島唄カフェ「まるみかなー」での上映会の告知だった(多いよ〜、沖縄はこういう告知形態)。久しぶりにこの映画を見たらどんなだろうかと思いながらも、ちょっと明日は行けそうもない。
告知をみて、2000年10月8日、吉祥寺のバウスシアターで行われた嘉手苅林昌さんの追悼ライブで、挨拶に立たった高嶺剛監督が、嘉手苅のおじぃの思い出を語りながら感極まって涙を流したことを思い出した。この日、私は『パラダイス・ビュー』のパンフレットに監督のサインを頂いた。無造作で力強い筆致だった。
高嶺剛監督監督の超名作沖縄音楽ビデオ、『嘉手苅林昌〜唄と語り(1995年作品)』の中で、公設市場の角でのライブシーンがある。まるで無くしたマブイを必死に探すように踊る監督の姿も映っている。
私は今、この場所の界隈を生活の場としている。自分には自分の巡り合わせというものがあると分かっていながらも、このシーンを見ると、もう少し早く沖縄を知り、引っ越してきたかったと感じずにはいられない。
今夜は『極東慰安唱歌』から、戸川純の唄う「海ヤカラ」でも聴きながら眠ろうか。
いや、やめとこう。きっと魘される。
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筋肉痛だけでは
2003.05.11
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どうやら体中が痛かったのは筋肉痛だけではなかったらしい。昨夜夜半になって急に発熱。那覇市民病院の夜間外来へ行って診察を受ける羽目に…。
新型肺炎(SARS)の問題もあってちょっと心配したが、もちろんそんなやっかいなものが沖縄に上陸しているはずもなく、ウィルス性の咽頭炎との診断。薬を飲んで一日中寝ていた。
今日は大切な予定もあったのだが、やむをえず中止せざるを得なかった。痛恨のキャンセル。沖縄へ来て初の病欠である。
それにしても、暑い沖縄での風邪は様子が掴めずにやっかいだ。
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また来週!
2003.05.10
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いてててて、体中筋肉痛。昨日友達に誘われてバドミントンをやったためだ。沖縄の人はバドミントン好きなのだろうか。私の回りにはクラブや仲間内でバトミントンを楽しむ人がけっこいういる。
普段自転車に乗っている程度で、運動なんてろくにしていないのに、やたら張り切ってしまった。特に歩くたびに足の親指の付け根が痛いのが辛い。でも身体を動かした時の汗の爽快感を思い出せて良かった。
「また来週!」と声をかけられて帰宅したが、さてどうなることやら。
身体能力の向上が三線の上達につながる、かも。
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反省と納得
2003.05.09
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私の編集しているメルマガ『週刊沖縄ふぁん』から『沖縄ふぁん_CAL』という沖縄イベント情報満載のフリーペーパーを発行する予定だったが(箆柄日記2003.04.08参照)、諸般の事情で計画が頓挫した。
理由の半分は自業自得。まさに「でんさー節」の歌詞通り「むにいざーば慎み〜♪」だ。残りの半分は沖縄的仕事観との衝突。分かっているつもりでいたけれど、分かっていない部分があった。反省と納得、仕方がないと諦めた。
まだスポンサーも何も決まっていないが、どうしても正式に印刷した物をこの目で見てみたくて、『沖縄ふぁん_CAL』改め、箆柄暦『五月の沖縄』を自腹で印刷した。
自分でお金を出して、自分の作った物を印刷してみたのは初めての経験。納品された印刷物を手にして感慨ひとしおだった。いろんな人にこれを見てもらって、なんとかずっと作り続ける道を探したいと思っている。
どこかで見かけたら手にとってじっくりと眺めてみて欲しい。沖縄ヘビーユーザーなら、何故こんな物を作ったかをきっと分かって貰えるだろう。
ま、なんくるするさー。
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気持ちのいい瞬間
2003.05.08
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何度やっても「上原ぬ島節」の出だしの一節が決まらない。師匠から「途中の音程がハッキリしない」と繰り返し指摘される。
おかしい、絶対音程あたっているはずだのにと思い、工工四の声楽譜をつぶさに見てみると、声を上げるタイミングが三線の打ち出しより一瞬早く記譜されている。
このせいかなと思って試してみると、ようやく師匠から「とう、とう、上等」とOKが出た。これまで声と三線の打ち出しが重なってしまって、途中の音が抜けて聞こえていたようだ。
このように、師匠のお手本だけではどうしても上手くいかない時、もう一度工工四(特に声楽譜部分)を細かく見ることで、師匠の指摘の意図するところが理解できることがある。
問題点を意識化できた瞬間。かなり気持ちのいい瞬間。
ここまで来れば、次から同じ失敗はなくなる。
追記:
7000ヒット達成。段々ペースが上がってきていてうれしいです。有り難うございます!
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新番組が始まった
2003.05.07
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FM那覇で『MusicCombo』という新番組が始まった。
この番組は、国際通りの人気レコード店、「GET HAPPY RECORD」の黒島さんが言い出しっぺとなり、国際通りのレコード店のスタッフが日替わりで番組を担当する音楽番組だ。
沖縄では何故か、タクシーからデザイン事務所まで、聴視者からのFAXなどを紹介する、語り物の某人気番組がながれていることが多い。私は書く作業が多いので、語り物の番組を聞きながらの作業はちょっと出来ない。
『MusicCombo』は、ほぼレコード店スタッフのこだわりの選曲のみで構成されているので、作業しながら聞くにはちょうど良い音楽番組が出来たと思う。若い人が中心の職場などで新たな市場を開拓すると思う。
出演者達には、この番組を昼間聴いて、会社帰りに国際通りでCDを買って帰って欲しいという狙いもある。実現すれば、それもまっとうな番組効果だ。
出演している店には、民謡のCDをたっぷり取りそろえている店もあるので、洋楽感覚で渋い民謡をかけてくれても良いと思う。沖縄には全国で知られていない隠れ節がたくさんいるのだから。
実は今日もそんな全国的に言えば隠れ節な唄者の唄に出会ったのだが、この話は時期が来たら詳しく書こうと思う。
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よんなよんな
2003.05.06
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さあ連休もお仕舞い。「休み明けからにしましょうか」で一時停止していた仕事が動き出す。
お稽古も再開。いろいろ忙しかった中でも最低限の練習量はキープしていたので、唄に対する師匠の注意は少なかった。が、やっぱり弾きこなしの足りなさは否めず、三味線の手の方がイマイチだった。
大学時代の先輩の教え、「現状維持は相対的には後退である」という言葉を思い出す。時間は進んでいるので、昨日と同じ所に留まっているだけでは後ろに流されているのと同じと言うことだ。
そんなことをつらつらと書きながらテレビから流れる「DA PUMP」のライブを見ていたら、そう教えてくれた先輩がバッキングボーカルで参加していた。相変わらずの巨漢ぶりだが、昔より引き締まって格好良くなっていた。
随分、置いてかれちまったなぁ…。
ま、でも人生はいろいろさね。
よんなよんな。
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清々しい部分
2003.05.05
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連休を沖縄で過ごし、まだ思い出に浸りながらこの日記を読んでいる人もいるのではないだろうか。みなさん沖縄では何をして過ごされたか? 私は結局、なんやかんやで三日間那覇ハーリーに足を運ぶこととなった。
三日目の大トリは、BEGINだった。これが見たくてもの凄い数の人たちが会場に詰めかけていた。ステージ前から椅子席の隙間までぎっしり。昨日にも増しての超満杯だった。
今回初めて彼らの生の演奏を間近に聴いた。八重山唄を下敷きにした曲は勿論だが、そうでない曲も含めてやっぱり八重山の香りがした。どの曲も歌謡演歌調に流されず、八重山唄と共通する清々しい部分を持っていた。
八重山出身でもそうはならない人もいる。その違いは、BEGIN自身がいつも語るように、「沖縄的要素に甘えない楽曲づくり」からスタートして実績を積んできたことに由来するのではないだろうか。
また、沖縄的要素に甘えない彼らが、黒人音楽を敬愛し拠り所としてきたことも大きいだろう。その精神、リズム感、技術がしっかりとした土台となって、今彼らが回帰した『ビギンの島唄』を支えていると思う。
MCでも言っていたが、いつか国際通りででっかいうたのまつりを開いて欲しい。それはそんなに遠い日のことではないだろう。
でも、一合瓶ライブの日にぶつけないでね…
と、なまからお願いしておくさ〜♪
追記:
久しぶりに『パイナップル・ツアーズ('92年作品)』を見た。幸人も利重剛も平良トミおばぁも、泉&やよい(セーラー服姿)も若い。エンドロールには確かに「奈須重樹」の名前も有った。具良間島ってやっぱり『グラマ島の誘惑('59川島雄三作品)』から取ってるんでしょうね。
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花火の似合う夜
2003.05.04
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那覇ハーリー二日目、本日のトリを務めるKACHIMBA1551のライブを楽しむ。会場は満杯。踊りたくてウズウズしているわかもの達で、ステージの前は早くからいっぱいしていた。
真ん中の椅子席は座って見ている人が多かったが、ライブ終盤でサルサ・アレンジの『唐船ドーイ』が始まると、おばぁ達もカチャーシーを始めだした。なかなかに趣のある光景だった。
ライブに続いて花火イベント。私は数万発単位での花火大会がある土地で育っているので、打ち上げ玉数が一桁少ない花火イベントに全然期待していなかったが、かなり完成度の高い内容だった。
久しぶりに見た上等な花火に、故郷の蒸し暑い夏を思い出した。
まだ五月だが、すでに花火の似合う夜だった。
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“たっぷり”な
プログラム
2003.05.03
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東京から先輩が遊びに来た。宿代の代わりにチケット代をご馳になり、『琉球古典安冨祖流音楽研究朝一会第9回定期公演』を見に県立郷土劇場へ行った。
いきなり200人掛かりの斉唱(なぜかかりゆしウェア)から始まり、古典、民謡、織り交ぜてのノンストップ舞踊プログラム。子ども達の唄う民謡、若手演奏家による斉唱、女性の民謡独唱、古典独唱を挟みながら繋いでゆく絶妙な構成だった。
舞踊は、数曲を除いて琉球芸大の若手男性舞踊家が舞い、きめ細やかな所作の美しさに魅了された。花道から出入りするなどの演出も意表を突いていた。
地謡(じうてー)には、琉球古典の圧倒的な組織力をまざまざと見せつけられた感じ。舞踊が三曲続けば地謡も三組がスタンバイし、各組が10人余る構成。しかも、男性班、女性班、混声班と、曲調に会わせた構成となっていた。
最後に会長の照喜名朝一氏の二揚仲風節で締めとなったが、良い意味でこってりすぎる内容でお腹一杯。特に、若手演奏家8名による「仲節」は壮絶。幻の古典と呼ばれ、一曲の演奏に30分かかるこの曲には、流石ににーぶいかーぶいしてしまった。
こんなに“たっぷり”なプログラムは、流石に観光向けのショーではあり得ない。チケットをおごってくれた先輩もかなりのインパクトを受けていた。
沖縄に来たら、地元のこうした芸能公演へ足を運んでみるのも如何だろうか。
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WALLYさん帰省中
2003.05.02
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沖縄に来て、いつもなにかとお世話になっている、WALLY terukinaさんのライブに足を運んだ。
WALLYさんは現在東京に住んでいるが、昨日のパーシャ恒例ゴールデンウィークライブで沖縄へ帰ってきていた(WALLYさんはパーシャのサポートKey)。沖縄でのソロライブは昨年12月以来だ。
東京でもデザイナーとしての仕事をこなしながら、定期的にピアノ弾き語りのソロライブを行っている。その成果が出たのか、以前と比べて随分と無駄な力の抜けた演奏になっていた。
WALLYさんには、前に進むことの勇気、続けることの大切さ、そして積み重ねが生む成果をいつも見せてもらっているような気がする。
某所で行われた打ち上げも豪華メンバーで大変楽しいものとなった。
WALLYさんの益々のご活躍と、ピアノ弾き語り2ndアルバムの秋完成をお祈りしております。
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改訂版の出版
2003.05.01
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八重山古典民謡保存会では、近く、大濱安伴先生が遺された『声楽譜附八重山古典民謡工工四』の改訂を予定している。安伴先生が亡くなられてから初めての改訂となる。
改訂版の工工四に載せる集合写真の撮影会が県立郷土劇場で行われた。舞台に雛壇を据え、教師師範が勢揃いして座った。箏、笛、太鼓も加わり、赤馬節を弾きながらの撮影となった。
さすがにこれだけ一同に会すると壮観。改訂版の出版は6月頃だそうだ。
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