箆柄日記(2003年7月)

いろんなところでBGM
2003.07.31

珊瑚抄II』というアルバムを買った人向けのライブを見に行った。私自身は買っていないが、業界向けのご招待で混ぜてもらったのだった。

『珊瑚抄』『珊瑚抄II』と売れているらしいが、全然聴いたことがない。けど、いろんなところでBGMに使われているせいか、ライブを見たら「ああ、あれは『珊瑚抄』だったのか」と分かった。

與那覇徹の唄三線を聴けたのは収穫だった。ただ今回のライブでは、キーボード、バイオリン、パーカッションに混じっての演奏だったので、次回はソロの時にじっくりと聴いてみたい。

街角で箆柄暦『八月の沖縄』を持ち歩いている人を見かけた。とってもとっても嬉しかった。

え、七月もお仕舞い!? でーじ。


八重山民謡と昭和歌謡
2003.07.30

中江裕司監督の『白百合クラブ 東京へ行く』試写会に行って来た。

美しい白保の海辺での演奏シーンが印象に残った。以前民宿「マエザト」の秀兄(ひでにい)に誘われて、柄にもなくシュノーケリングをしたあの海だ。民宿から海へと続く道も懐かしく思い出された。

作品中、唄三線で一番目立っていたのは大島保克の父、大島勇さんだ。また、東京公演には参加できなかったが、新良幸人の父、新良幸永さんも姿を見せる(これがまたそっくりで爆笑)。マンドリンの仲宗根文吉さんは仲宗根長一御大の弟さんだそうだ。

次々と繰り出される昭和歌謡の数々は、今ではレトロに聞こえるが、当時最先端の音楽だったはず。八重山では本島のように戦後生まれの新唄はあまり唄われず、代わりに昭和歌謡が盛んに唄われたと聞いたことがある。

後に、新良幸人や大島保克ら白保の後進が(派生してBEGINもか?)、チャンプルーズやりんけんバンド的な“チャンプルーサウンド”とはちょっと違う志向のサウンドを追求してゆくことになるのは、伝統的な八重山民謡と昭和歌謡の並存、また昭和歌謡と島の楽器の融合、が下地になっているのではないだろうかと思いあたった。

いずれにせよ、白保ンチュから多くの個性的な唄者が生まれた秘密の一端を暴いてしまった、衝撃のドキュメンタリー作品だと思う。

追記:
「ぴらつか[pirastuka]」の意味を簡単に説明するシーンもあった。ちょっと先取りした気分。中江監督に「この映画がヒットしたら“ぴらつか”の説明をする機会が減ります」と話したら苦笑していた。


ひとそれぞれ
2003.07.29

今日は仕事の下調べのために、夜に出かける用事があったので、早めに稽古に出かけた。サシでお稽古を付けてもらうとわかりが早い。

私よりも先に入門したが、内地に帰ってしまった人が、一年ぶりくらいに顔を出した。私の唄を聴いて「え、一年でこんなに上達する物なの…」と驚いていた。素直にウレシイ。

しかし、そのぶん犠牲にして来た物も多いのであります。ちょっとやらしい言い方だけど、引き合うだけの上達をしたかどうかは自分では分からない。

ま、人生何が大切かはひとそれぞれなわけで…。


ぐっとくる選曲
2003.07.28

一日中部屋の掃除をしたり、資料の整理をして過ごす。思ったより散らかっていて、全部は片づけきれなかったが、掃除をすること自体は気持ちがよかった。

夕方から出かけたついでに、箆柄暦『八月の沖縄』の配布を行う。ほとんどの場所で先月分は無くなっていて返本率はかなり低い。各店をひとまわりして、最後にまるみかなーで食事しつつぶがりのーし。

三線をつま弾きながら、マスター秘蔵の古酒をちびりちびりと呑み進む。情報収集も進む。まるみかなーでは8月29日に嘉手苅林次のライブが有るが、次の日に『嘉手苅林昌唄と語り』上映会に小浜店長と林次さんの対談が急遽決まった。9月は前川守賢(元ちゃん)の三線一本勝負のライブも予定されている。

店がはねた後、小浜店長と桜坂の餃子屋へ寄る。先日のおでん「悦ちゃん」同様、桜坂の名物に挙げられる餃子店。古い店構えでオバーの店かと思っていたが、若くて美人の女性ふたりが切り盛りしていた。ゴロリとしたニンニクの欠片入り餃子は好吃了(ハオチーラ)。

店のジュークボックスには懐かしいナンバーが満載。山口百恵の『横須賀ストーリー』から、いしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』など、ぐっとくる選曲が続いた。吉永小百合の『寒い朝』には母の鼻歌を思い出した。

久しぶりに盆には実家に帰ろうか。

大粒の雨の降る中散会した。


そんな日もある
2003.07.27

ここしばらくばたばたと落ち着かなかったのと、すこし落ち着いて仕事に取り組むよう諭される出来事があって、ちょっとバーンアウト気味。

今日は日記を書く気力無し。そんな日もある。


一天俄に掻き曇り
2003.07.26

沖縄ではもう何日も晴れた日が続いていて、水不足が心配されているが、今日は激しい雨が降った。まさに一天俄に掻き曇りといった感じの雨だった。少しは水瓶は潤っただろうか。

お陰でスクーターで中央郵便局まで運んで発送しようと思っていた荷物を運べない。どうしようかと思っていたら軽貨物という手があった。ちょっとお金はかかったが、二個口だったのでかえって一回で運べて楽だった。

夜には雨もほとんど止んだので、久しぶりに会う友達と、前島アートセンターのアートビアガーデンへ行ってみた。が、雨天休業だった…。このビアガーデンは、ちょっと面白そうなので別の機会にぜひ行こうと思う。

久しぶりの友達には、いろいろと積もる話しや相談ごとなど聞いてもらい、すこしすっきりした。違うところは違うとハッキリ言ってくれるところが心地よかった。助かりました。

久しぶりの友達といえば、このサイトを見て「もしかしてこの三線情報サイトを書いているのは○○君ではないですか?」とメールが来ていた。差出人は東京時代の友達からだった。あたりです。


こんな若い力も
2003.07.25
友達から「絶対笑えますよ」と誘われて、宜野湾まで「オリジンお笑いライブ 喜笑転決」を見に行った。

会場のHuman Stageは立ち見が出るほどぎっしりとお客さんが入っていた。次から次へと登場する出演者は、初めて見る人ばかりだったが、気が付くとまわりのお客さんと一緒に笑っている自分が居た。

しゃべりはいわゆるヤマトウチナーグチなので、私でも理解できる。ナイチャーの私には、ウチナーグチの語感が面白い。ウチナンチュのみなさんは、自分たちの言葉で繰り出されるネタを親しみを持って楽しんでいるのだろう。

もし標準語だったら、と、頭の中で置き換えてみても、ネタ自体が面白いし、間の取り方も上手だったので、そこそこ笑えただろう。しかし、漫才は関西弁で聴いた方が面白いように、沖縄のネタはウチナーグチで聴いた方が生き生きとして聞こえるにちがいない。

この日はひとりの出演者がオリジンを卒業して、東京へ行くという記念のライブだった。「短い人生、やりたいことをやりたいようにやって楽しみましょう!」というありふれた挨拶が、充分に決意を感じさせた。

沖縄には音楽以外にもこんな若い力もあるのか。
新しい発見だった。


『月夜浜』を聴きながら
2003.07.24

お稽古が終わってみなが帰った後、師匠とふたりでAcoustic Parshaの『月夜浜』を聴いた。八重山古典民謡保存会の研究所で、師範と弟子がアコパの『月夜浜』を聴きながら、あれやこれや言い合っているというのもめずらしいではあると思う。

師匠は、「ユキトの唄はあんまりじっくり聴いたことなかったけど、きれいに唄っているな。少し白保風の節もあるけど白保ンチュの癖だな。だけど我流とか自分勝手な唄ではないよ。白保の誰に習ったかな?」といっていた。

私も新良幸人の唄は基本を外さずきれいに唄っていると思うし、きちんと習った唄だと思う。特に『月夜浜』では基本に立ち返って丁寧に演奏しているように聴こえる。今夜は私の判断が誤っていないか、師匠の意見を聞いてみたかったのだ。

実は、師匠が一番褒めていたのは、金城弘美の唄と囃子だった。「はー、かえってユキトより上等かもしれんな。ユキトのトゥジ(奥さん)か? 同年生? 若いのにこんなに上等な唄者がおったか」と質問責めだった。

※金城弘美さんは幸人の同年生ですがトゥジではありません。

八重山唄の魅力は「清々しい美しさ」にあると思うのだが、金城弘美の唄はまさにさわやかで美しい。2000年とぅばらーま石垣大会の優勝者で、石垣で研究所も開いている。ぜひ民謡のCDも発表して欲しい。

さてと今度、新良幸人のライブがあるときは、師匠も誘ってみようか。
Acoustic Parshaがベストだけど。


出来るだけ多く
2003.07.23

基本を学ぶときに一番重要なことは「素直になること」だと思う。基本の段階で師匠に対して素直になれないなら、教える側と教わる側の関係が成り立たない。もっと言えば、素直に教えを乞うつもりもないのに、何故その人から習おうと思うのか疑問だ。

むろん、自分にも学んでいて師匠と意見の違いを感じるときもある。しかしそれは、もっと先の段階に進んで、その時まだ疑問に思うのならば議論すればよいと思っている。

コンクールまで残り二ヶ月。そろそろ師匠の口から基準に達しているかどうかの意見が漏れる。「今年は基準に達していない」といわれた人は不満にも思うだろうが、不満に思う前に己を知ることも大事だ。

私の場合はどうなのだろうか。師匠はまだ何も言わないが、いまさらどう言われてもそれほど時間は残っていない。

残り二ヶ月間ちょっと。出来るだけ多く弾くしかない。

追記:
箆柄暦『八月の沖縄』をアップしました。只今印刷中です。出来次第今月も全国の協力店へ送ります。


並に玉子に汁だく
2003.07.22

打ち合わせに重宝していた近くのピザハウスが無くなってしまったと思ったら、吉野屋になっていた。たまには牛丼でも食べてみようと思い入ってみた。ファーストフードスタイルなので吉野屋USA系か? もちろん注文は、並に玉子に汁だく。インスタントのみそ汁は要らない。

カウンターにいた店員が、藪から棒に「八重山民謡を勉強している人ですよね」といいだすのでびっくりして顔を見る。思い出せない…。「黒島の民宿『南来』で何度か飲みましたよ」といわれてようやく思い出した。

確か黒島マリンビレッジのスタッフだったはずだが、最近から辞めて那覇に引っ越してきたという。マリンビレッジも売りに出された後いろいろあったのだろうか…。余り多くは訊かなかったが、また今度ゆっくり飲みましょう。

それにしても世の中せまい…。いや狭すぎる。

追記:
良いことの後に悪いことがあり、気分を変えたくてあまんかいへ寄る。しばらくいるだけでちょっとほっとした。ぶがりのーし(疲れ直し)完了!


力強いブレス
2003.07.21

當間武三さんのビデオ『第五回當間武三座長公演(2002.11.10那覇市民会館ホール収録)』を見ていたら、武三さんが安里勇さんの「小浜節(くもうぶし)」に合わせて踊る場面があった。

久しぶりに安里さんの唄を聴いた。やっぱ凄い。特に起伏の激しい下句を一気に唄いきる力強いブレスは強烈だった。もちろんフィジカルな面だけでなく、節回しも味わいに満ちていた。

「小浜節」は「八重山古典民謡コンクール」優秀賞の課題曲。現在取り組んでいる曲でもあるだけに、余計にいろんな意味で感じる部分が多い。比べるのもおこがましいが、余りの違いに打ちのめされた。

以前聴いていた頃とは印象がまるで違う。
これは「曲に対する理解が深まったから」と思っておこう…。


人を描きたい
2003.07.20

大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』を見ている。中学生の頃テレビ放送で見た萬屋錦之介(当時中村錦之助)主演の映画『宮本武蔵 五部作』が強烈に印象に残っているだけにどんな感じかと思っていたが、新しい武蔵もなかなかだと思う。

この現代的イメージの武蔵の感じ、谷口ジローが初めて時代劇に挑戦したコミックス『風の抄(原作古山寛)』と似ているように思う。どちらも時代劇を作りたいのではなくて、人を描きたいという気持ちを強く感じる。

その結果、時代劇だとか現代劇だとかいう感覚はなく、作品を楽しめているように想う。この感じは、新良幸人の演奏を聴くとき、民謡であるとかなんだとを意識しないのにも似ていると思う。

ちょっと今日は強引な連想ゲームだったか…。

追記:
ことしの高校野球の沖縄県代表は「沖縄尚学高等学校」に決まった。チバリヨー!


サインを求められた
2003.07.19

師匠と話していたら、琉球民謡音楽協会のコンクールの時に師匠のCDにサインを求められたそうだ。CDは出していても、ごく一般の市民なので普段サインを求められることもないし、特別なサインもない。たぶん普通に「大底春男」と書いたことだろう。

「ボクはサインなんかしたことない」といっていたが、最近は内地から来た人に時折サインを求められたり、CDの注文の電話がかかってきたりするらしく、「なんでかな」といっていたが、もしかしたらこのWEBの読者の方なのだろうか…。

CDも上等だが、師匠の店「八重山そばの店ジュネ」の八重山そばも美味しい。店でCDを買うと、そばが無料で食べられるので、沖縄に来た時買うならお店で買うのがお得だ(なんだかコマーシャルみたいになってしまった)。

追記:
仕事に集中していたら、『バラエティー これが島唄だ!』(NHK総合)を見逃してしまった…。ぬかった。


対話しているような
2003.07.18
昨日革張りのため預かった三線を、三味線屋へ預けに行く。店の主は三線を鳴らしたり眺めたりして、「良く鳴るし可愛いね」と言った。意見は一致。

折れた部分を継いだ棹は、古くて黒木でも価値はグンと下がるそうだ。しかしそれで、音がグンとダメになるわけでもない。この三線が良い例だ。澄んだ良い音がする。そのまましばらく練習させてもらった。

良い音色の三線で唄うと、気持ちが良くていくらでも弾いていたくなる。特に古い三線は、その三線に込められた職人さんの気持ちや、かつてお稽古に励んだ人達の歴史と対話しているような気がして、なかなかおしゃべりを止められない。

何のえにしか、内地から流れてきたぴらつかモノの私も、この三線の歴史の一部を担わせてもらったと思うと、不思議でたまらない。


豚と交換
2003.07.17
時間ぎりぎりでお稽古に滑り込む。駆けつけで唄うと喉がほぐれていないのでまともに唄えない。特に課題の低音域はうわずってしまって落ち着かない。まだまだ日によって出来にムラがある。抜群に良い日ばかりは無理でも、安定して平均点以上はキープできるようにならないと…。

兄弟子が、お父さんの古い三線を持ってきていた。もう何十年も前に、豚と交換して手に入れたそうだ。昔ふーじで全体的に小振りで細身な棹。チーガーも一回り小さめ。張りが合成皮なので音は硬めだが、澄んだ音質で良く鳴っていた。鳩胸の先が折れていて継がれているのがちょっと残念だが古い棹にはこんなのも結構ある。

今度のコンクールはこの三線で挑戦したいということで、本皮張りのチーガーを付けることになった。どんな音になるのか今から楽しみ。


老獪なマウンドさばき
2003.07.16

フリーの特権。朝からメジャーリーグのオールスターゲームを観ながらの作業。夕方から今度は日本のオールスターゲームを見ながら作業。どちらもドラマのあるゲーム内容で楽しめた。(ながら仕事で全然特権じゃないか…)

中でも伊良部秀輝投手の好投が印象に残った。メジャーの球宴ではイチロー、長谷川、松井が活躍している同じ日に、日本での球宴に出場。しかも古巣のマリンスタジアム。日本に帰ってきて以来、老獪なマウンドさばきが目に付いたが、今日ばかりはむきになっての真っ向勝負。速いだけでなく凄まじかった。

残念ながら日本のテレビ中継は、良く知らない女性歌手が不要であった。アナウンサーが「どうですか○○さん」と会話を振る度にマーティー・キーナートの怒り狂う姿が目に浮かぶようだった。


一助になれたら
2003.07.15

しばらくお礼を述べるのを控えていたが、今日は15,000ヒット達成のお礼を述べさせていただきたい。ご愛読ありがとうございます。

特に、ハイシーズンに入ってアクセスが伸びている。読者の中にも、この夏沖縄を訪れて、三線を購入しようと思っている人も少なくないだろう。『箆柄通信』が、読者のみなさんの三線との幸せな出会いの一助になれたらウレシイ。

これからも末永くお付き合いください。


三線を抱えたダンディ
2003.07.14

「料理工房・てだこ(^o^)亭」の四周年を記念して、豊見城城址公園でちょっと時節はずれの観月会が行われた。“三線持ってくる人歓迎”ということだったので、のこのことお邪魔した。

三線を持参した人は四人いたけれど、だれも弾き始める様子がない。ええいままよと座開きの「鷲ぬ鳥節」を弾く。もう一人が三線を取り出すが、初心者の様子。私も本島の曲が分からないので伴奏もままならない。

もたつく我々を見かねて、もう一人三線を抱えたダンディが登場した。初心者の方のアシストをして唄わせた後、「鳩間節」から鳩間の早弾き、大工さんも唄っている「愛の子守歌」、カチャーシーは「豊年音頭」から「唐船ドーイ」まで歌い上げた。

抑制された味わい深い声。たのーる溢れる三線の音。掴んで聴かせて踊らせるまでの演出。どれをとってもただ者ではない。いったい何者かと思ったら、壺屋焼物博物館の名物館長、前原館長だった。まさに「隠れ武士」。

お酒を飲みながら、三線の話しに夢中になった。琉球古典や民謡、コンクール、三線ブーム、輸入物の三線の話しなど、胸に溜まっていた物をぶつけさせてもらうような話しになってしまった。

「歌をたくさん覚えなさいよ。声を作る(声の出し方、息の使い方を修得する)には琉球古典を学ぶと良いよ」とアドバイスも頂いた。

夜空に大きな満月が浮かんでいた。
十三夜ではないけれど、「月の美しゃ」な夜だった。


むず痒かったりもした
2003.07.13
5月25日にファミリー劇場で放映された、『Gメン'75』の第59話『東京―沖縄 縦断捜査網』、第60話『暑い南の島 沖縄の幽霊』 に続く、第61話『沖縄に響く痛恨の銃声('76.7.17放送)』が放映された。 この三話は、それまで一話完結だったパターンを破る三話連続の作品だったので、二話目の後に一ヶ月以上あいだが空いたのには待ちかんてぃーした。

5月25日の日記にも書いたが、沖縄ロケといってもリゾートの浮かれた感じは全くなく、かなり重い雰囲気の作品に仕上がっていた。基地被害の問題、ヤマトへの不信感、戦争の傷跡、呪術的な風習、沖縄に対するイメージがかなり直接的な表現で描かれている。作り手達の入れ込みようが強く伝わってくる作品だった。

これが当時の沖縄の雰囲気をリアルに反映しているのかどうかは私には分からない。ヤマトから来た人たちがヤマトの人の抱く問題意識、「沖縄が抱える問題ってこんな感じですよね!」というイメージで作ったのではないか、という感じも拭えずむず痒かったりもした。(役者はヤマトの俳優で標準語だし)

ウチナンチュの友達が見たら、これも当時の典型的な沖縄の描き方であって、今日「癒しの島」「スローライフ」「元気なおばぁのいる島」のように描かれているのと同じだと笑い飛ばすだろう。そういわれれば今自分のしていることだって、同じようにむず痒い。

しかし、当時、作品を見つめるウチナンチュの視線は、今よりももっと厳しく、したたかだったのではなかろうか。最近は、ヤマトの人の語る沖縄にずいぶん寛容になっているようで、助かっていたりはするのだけれど…。

このむず痒さ、靴の上から足を掻く感じは、ずっと無くならないし、なくならないことを自覚していないといけないのではないだろうかと思った。


外人住宅っぽい
2003.07.12

泊小学校からもうちょっと奥に入ったところに、ちょっと変わった家がある。外人住宅っぽいんだけれど、コンクリートの平べったい造りとはちょっと違う。でもまわりの感じは確かに外人住宅。

友達の家で見た本に、現在の泊高橋の交差点あたりから、天久新都心方面を見上げた古い写真が載っていた。ここにそれらしい建物が映っていた。やはりこのあたりで最後に残った米軍施設の名残だったようだ。

沖縄の古い写真と今の写真を比べてみると興味深い発見がたくさんある。特に航空写真が面白い。今の街角、道路、海岸はこんなだったんだとか、こんな処にも滑走路があったのかと驚くことばかり。

気に入っているのは那覇市公民館の階段の処にかかっている大きな航空写真で、1975年撮影だったと思う。その他、沖縄県公文書館のパソコンを使った航空写真のデータベースも興味が尽きない。


おとなの倶楽部イベント
2003.07.11

まるみかなー蓄音機コンサートが行われた。蓄音機でSP盤をかけて楽しもうという趣向。コレがもう思った以上に良かったよホントに!

蓄音機の音ってホントにすごい。電気回路をまったく使わずに、溝に刻まれた音を再現、増幅する。直接空気を振動させて音を出すせいか、音圧が生々しい。ノイズの有無は音が良いか悪いかとはまったく別問題なのだと思い知る。

この日再生された音盤は、民謡を中心に、日本の歌謡曲、クラシックからアメリカンポップスまで、全28曲。嘉手苅林昌のデビュー盤など、貴重な音源が次から次へと惜しみなく披露された。

MCは、山城政幸さんとまるみかなー店長の小浜司さん。曲の解説は思い入れたっぷりで、オーディエンスの心を鷲掴み。MC山城は途中得意のステップも披露した。

皿を回すのはDJ山城。蓄音機は皿に合わせて針を変えなければならない。欧盤、米盤、日本盤でカッティングが違うし、盤の状態で適切な針が変わってくる。針の交換とゼンマイ巻きで大忙しだった。

その時代の音盤を、その時の機材で再現することで、その時代の人が感じた気持ちを追体験できたように思う。プログラムの中程にかかった、江利チエミの『テネシー・ワルツ』に思わず目頭が熱くなった。

最高のおとなの倶楽部イベントだった。

追記:
11月27日にコザのあしびなーでもっと大音量の蓄音機コンサートが行われるのでお聴き逃しなく。


腹から押し出す感じ
2003.07.10

「オ」の発音に注意するように言われて、かえってわざとらしくなってしまっていた。「オ」と「ヲ」の中間の音を、軽く口を開いて腹から押し出す感じで発音する。西洋音楽みたいに「オ-」ではない、と師匠からのアドバイス。

思い切り下腹を意識して発音することで、発音だけでなく、低音の押さえが良くなってきた。口や喉でいくら音程を押さえようとしても、押さえられない上に変に硬い声になってしまう。ちょっとコツが見えた。

お稽古の帰り、あまんかいへ寄る。シルビオさんの盟友で、スーパーギタリストのダリオ・ムニョスさんに三線をお見せする。何曲か八重山民謡を披露した後、三線を手渡すと、実物に触るのは初めてだそうでとても喜んでいた。

しばらく触っているとすぐに自分流に弾き始め(流石)、いつの間にかアルゼンチンの曲を弾いている。やがてフレーズを口ずさんだり、ナプキンに譜面を書いたりして、私にその曲を教えだした。三線で弾くフォルクローレ。シルビオさんも笑っていた。

今夜も良い夜だった。チャオチャオ!


三線を買ったら
2003.07.09
最近、宮里三線店の二重張りは良く鳴ると思う。友達の贔屓目を差し引いても、エッと思うほど鳴る物もある。音質も丸味があって私の好みの音だったりする。ゆし木の棹と二重張りなので値段もお手頃。初心者にはお勧めだ。

お店にも、このWEBやメルマガの読者、箆柄暦のユーザーが立ち寄ることも増えているらしい。ハイシーズンはどうしても商品の動きが激しくなるが、手作りなので大量生産は出来ない。買って帰りたい人は、好みと予算を電話で伝えて予約しておくと良いだろう。

三線を買ったらお祝いに弾いて嘉利(カリー)付けしてあげないと。早速三線を片手に飲みに繰り出しましょう! 私も誘ってくださいね。


出来はともかく
2003.07.08

東京時代の三線友達が職場の仲間と共に来沖した。約一年ぶりの再会に乾杯。練習の成果をお見せすることになり、とまりん脇の公園でミニライブ。10曲くらいご披露させていただいた。

東京時代は「赤馬節」「小浜節」「とぅばらーま」みたいな難曲は、仮にも唄えるようになるとは思ってもいなかった。出来はともかく、とりあえずは唄えるくらいにはなっているわけで、「これってけっこうすごいよね」とお互い顔を見合わせて笑った。

月がとてもきれいだったので、「月ぬ美しゃ」で締めた。
久しぶりに東京の大山泰則先生の教室に顔を出したくなった。

追記:
昔は「酒の席では野球と宗教(或いは政治)の話しはするな」などといわれたものですが…。祝・星野阪神マジック49点灯!


祝杯を挙げる間もなく
2003.07.07
七夕オープンを目指して準備を進めていた、當間武三さんの公式サイトを立ち上げた。まだまだこれからコンテンツを整えて行かなければならないが、ひとまず予定に間に合ってほっとしている。

祝杯を挙げる間もなく、溜まっていた作業をこなす。そうは言ってもすこしは一息つきたくて、友達の飲み会の二軒目に合流。待ち合わせたのは桜坂のおでん「悦ちゃん」。悦ちゃんのおでんは噂に聞く以上に美味しかった。特にてびちは絶品だった。もう一件桜坂のバーでいっぱい引っかけて部屋に帰る。

さあ、今度は箆柄暦の方を軌道にのせる作業に本腰を入れなければ。
明日も朝からがんばらねば。


“ロック・イベント”
2003.07.06
太陽雨にやられながら、コザまで「ピースフル・ラブ・ロックフェスティバル」の二日目を見に行った。KWEENの途中から、外道、かっちゃんバンド、ナニワエキスプレス、大トリの紫までを見ることが出来た。相変わらず、ピースフルには懐かしい“ロック・イベント”の香りがする。

昔々、中京テレビに『5時SATマガジン』という番組があって、毎年「ROCK WAVE」というフリーコンサートを開いていた。80年代の話しである。84年のトリはレコード会社を脱退して自主制作盤を売りながら、自分たちで機材車を運転して全国ツアーしていた頃の「子供ばんど」だったりしていたと思う。

ピースフルは今回で21年目。私が「ROCK WAVE」を見に行っていたころと同時期に始まったと云うことなので、懐かしい感触も無理はないか。

21年目の初日はインディーズ系の若手が14バンド。メンバーや観客の中には、ピースフルスタート当時は生まれていなかった人も多いだろう。盛り上がりは相当のものだったらしい。オキナワンインディーズをまとめてみられるチャンスだったので行けなくて残念。

今年も大トリをつとめた「紫」も、ジョージ紫と宮永英一を除くと、ジュニア世代と入れ替わっていた。98年(もう5年も前か…)に見た「紫」の古酒のように熟成された演奏は「年季の入ったハードロックって格好いいよな」と感じさせるものだったが、今年はまだまだ若い酒の味がした。

会場では、でんと構えてステージを見すえる総合プロデューサー「サウンドパッケージ」の徳山さんにもご挨拶。これからも替わり行くオキナワンロックシーンを映す鏡として、このイベントをつなげて欲しいと思います。

追記:
お陰様で大底研究所からの新人賞挑戦者は合格。小林正樹さんのシンカも全員合格だったそうだ。みなさんおめでとうございます! 次は私の番です…。


おそらく大丈夫
2003.07.05

なんとか琉球民謡音楽協会「第2回民謡コンクール」初日を見に行くことが出来た。大底春男研究所からは新人賞に一名挑戦した。合格発表は6日の優秀賞、最高賞の審査の後、まとめて発表されるが、おそらく大丈夫だろう。

春男先生の指導は細かい。新人賞だからといってだいたいでは済まさない。課題曲でも120点分くらいは教える。だから多少緊張してしくじっても70点くらいはとれる。今回の新人賞挑戦者もそんな感じだった。

琉球民謡協会のコンクールに比べると、八重山曲で挑戦する人が多かった。大工哲弘さんの全国に散らばるお弟子さん達が大挙して訪れるからだろう。新人賞の挑戦者が約150名。そのうち30名が全国から集まった大工さんの弟子筋と云うから驚く。

北海道からは小林正樹さんの生徒さん方も参加していて、会場でお会いすることができた。ブザーが鳴って失格という人はいなかったそうなので、たぶんほとんど合格だろう。『箆柄通信』の読者や箆柄暦のユーザーもいてオフ会みたいで嬉しかった。

八重山曲での挑戦者の方は、みなさんなかなか上等だったと思う。ただ、やはり香りが足りないように感じた。普段歌う歌の延長になっているような気がする。自分も含めてこの点が一番の課題だと思う。

今年は新人賞しか見られないだろうと思っていたが、優秀賞と最高賞の審査もやっぱり見ておきたいと思った。

追記:
ついでに宮里三線店のミンサー柄のティーガーを持っていったら何本か売れた。ミンサー柄のティーガー自体は以前から有るが、ものが良くて安いから上等と思う。


風が吹いている
2003.07.04
良い風が吹いている。天気がいいので窓を開け放っていると、部屋を風が吹き抜けてゆく。まったくもってエアコン要らず。

外は絶好調な天気なのに仕事をして過ごす。週明けには完成させなければならないが、下ごしらえが不十分で作り込みの段階になってしわ寄せが。よくある話か。

仕事の方も良い風が吹き始めているような感じだけど、吹き出したらいきなり暴風だったりしているような気がする…。

明日は「ピースフル・ラブ・ロックフェスティバル」と琉球民謡音楽協会「民謡コンクール」のどちらも初日がぶつかっている。夕方コンクールを見に行くのが精一杯かな…。


機材はレトロ
2003.07.03

冒険王の屋嘉比さんのお誘いで、ラジオ沖縄の『ジェイズボックス』という番組に出演した。仕事をテーマにしたトーク番組だが、メルマガ『週刊沖縄ふぁん』の話と、三線の話しとなった。

好きな曲を一曲かけられるので、持ってきてくださいということだったので、大底春男先生のCD『くがに島唄』から「古見ぬ浦節」をかけてもらった。番組史上初の民謡となったようで、旧盆特別番組のようだといわれた。

ラジオ沖縄の機材はレトロで、科学特捜隊の基地のようだった。昔雑誌で見た「オールナイトニッポン」のスタジオの雰囲気などはこんなだったような気がして、かえってラジオ局らしい感じがした。

エフエムなは、エフエムたまん、ラジオ沖縄と制覇。
次はどこだ!?(ちゃんぷらか?)


ちょっとばかり
知った気に
2003.07.02

まるみかなーへ箆柄暦『七月の沖縄』を届けに行くと、小浜店長が待ってましたとばかりに迎えてくれた(感謝)。カウンターのお客さんも「七月分待ってたよ」と受け取ってくれた(多謝)。

小浜店長が「こっちにも」というので窓際の席に目をやると、ボーダーインクの新城和博さんと伽楽可楽編集長の長嶺哲成さんが。暦を渡してご挨拶。長嶺さんは以前お話ししたことがあるが、新城さんと話しをするのは始めて。ついに出会ってしまったかという感じであった。

話しの中身はとにかく沖縄、オキナワ、おきなわだった。前提として必要な知識や、沖縄で育ってこそ分かる感覚的な部分も多くて、付いていききれない。なんとか話題に入ろうと試みたが、ピントはずれのつっこみを入れて恥をかくばかり。

沖縄について、ちょとばかり知った気になっていたけれど、逆に自分の中で固まりつつある沖縄像や、沖縄について書いている活動について、もう一度よく見直すべきではという気持ちにさせられた。

断っておきますが、別にその場でつるし上げられたとか攻撃されたわけではあありません。とても楽しいひとときでしたし、話しも興味深かったです。しかしそんななかで、勝手に考え込む私だったのです。

不覚にもバイクだったので、店長秘蔵の「どなん」15年ものを飲めなかったのが心残り。


まるで抜き打ちテスト
2003.07.01

まるで抜き打ちテスト。練習がちょっと足りないと書いた矢先、當山善堂先生がふらりと大底研究所を訪れた。

せめてもうちょっと練習が出来ていて、それなりに調子に自信があるときだったら良いのに、よりによって…。はじめの何曲かはのぼせてしまい、手がふるえて間違えるし、息も浅くなって続かない。

まあ、下手なのはしょうがないとして…。

當山先生はいつも大底先生とは違う角度からのチェックを入れてくださるので有りがたい。今回は発音について注意された。

まず「お」の発音が曖昧なので、口をハッキリ開けて発音すること。濁音が鼻にかかるが、八重山唄に「鼻濁音」は必要ないのでハッキリ濁って良いということ。ついでにコンクールでは減点の対象となりますよ、とのこと。

大底先生は発音の良さでも評価が高いので、口の形や声の出し方をもっと吸収しなさいとアドバイスされた。ありがとうございました。

こういうちょっとした部分を直していただくと、上手く唄えなかった部分のナゾが解け、唄に趣が出てくる。感じを掴めたら引きこなして刷り込んでゆく。

研究所とは、こういう作業を繰り返しながら唄を学んでいくところなのだ。