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臨機応変さ
2003.08.31
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當間武三さんの第一回納涼夏芝居を取材した。あまりにいろんなことがあったので、日記ではとても全部を語り尽くせない。
実は、取材は昨日のリハから始まっている。リハの段階ですでに武三一座の規模には驚かされた。出演者の数に於いても舞台装置の面に於いても、その規模はオキナワオリジナルの出し物としては群を抜いている。
本番当日は更にその規模は膨らんでいた。関係者入口に設営されたテントでスタッフに食事が振る舞われていたが、その数なんと150食。これだけの人間を率いて公演を成し遂げる當間武三という人の力には怖ささえ覚えた。
この日記では地方衆について触れたい。
武三さんの公演の地方は、仲宗根盛次先生の一門が担当している。沖縄芝居では舞踊の部分はもちろん、唄に乗せて語るセリフの伴奏から、BGMや音響効果まで地方が担当する。細かなきっかけに従った正確な演奏と、何があっても対処する臨機応変さが求められる。
沖縄芝居の地方を担当する機会などそれほどある訳ではない。しかも、村芝居とは違い、プロとしてお金をもらっての演奏だ。仲宗根先生曰く「沖縄芝居の地方を務めたら他に怖い物はなくなった」というが、そういえるのも、それだけの場数を武三さんと踏んできたからこそだろう。
一門の中にはまだ若いお弟子さん達もいた。「沖縄芝居の地方」という特殊なジャンルに参加できるというチャンスを大事にしてもらいたいと思った。
追記:
スタッフを引き連れての打ち上げも凄かった。さすが皆芸達者で余興には事欠かなかった。打ち上げの挨拶ひとつとっても、年長の男優陣の挨拶する声の発声の力強さには驚かされた。ひと幕余分に公演を楽しめたようなものだった。
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チャオ、チャオ
2003.08.30
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ダリオ・ムニョスさんのライブにお招きいただいて「あまんかい」へ。
約三ヶ月間沖縄に滞在したダリオさんだが、今夜が今回の沖縄滞在でのラスト・ライブとなった。タキシード姿で決めたダリオさんはいつにもまして緻密な演奏を繰り広げた。
ダリオさんは、どんな高度な曲もこともなげな表情でさらりと弾きこなす。また、超絶テクニックの演奏の中にもしゃれた仕掛けを忘れない。お陰で技を見せつけられるような威圧感はなく、音楽としての聴き応えだけが伝わってくる。このあたりがダリオさんの演奏の魅力だと思う。
演奏が終わった瞬間の何とも言えない笑顔もステキだ。
滞在中、デュオ・パマルカと共に、那覇、コザ、本土での演奏をこなしてきたダリオさんだが、来週、関西で何カ所か演奏を行ったあと(箆柄暦『九月の沖縄』参照)アルゼンチンへ帰国する。
あまんかいに行くと、シルビオさん一家とダリオさんが迎えてくれるのを当たり前に感じていたので、ダリオさんがさんがいなくなるとなんだか急に寂しくなりそうだ。
チャオ、チャオ、ダリオ! 来年またお会いしましょう!
追記:
ダリオさんの演奏の後、突然私が八重山民謡を唄うことになった。まったく場の雰囲気を掴みきれず。居合わせたお客様には、とんだお耳汚しで済みませんでした…。
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背負っている物
2003.08.29
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昼間は箆柄暦『九月の沖縄』の配布活動。夜はまるみかなーで嘉手苅林次のライブを聴く。
嘉手苅林次といえば、父親譲りのひょうひょうとした雰囲気と、枯れた唄声が特徴だが、ライブの出だしはあまりに声がかすれていて聞き取りにくいほどだった。そのせいもあってか、場を掴み切れていないような感じさえした。
ところが演奏が進んで喉が暖まってくるに連れ、何とも言えない空気が広がってゆく。軽く首を動かしながら細かく唄い込んでゆく節回し。抑揚の効いた三線の調べ。気が付くと、店内の雰囲気が完全に塗り替わっていた。
コザの雰囲気とでも言ったらいいのだろうか、いつものまるみかなーとはちょっと違っていた。客席の反応もいつもより少し手荒い感じ。指笛の音も心なしか激しく聞こえる。
「白雲節」が始まった頃だろうか、前の席の一団の女性がハンカチを取り出して泣きながら聴いているのに気が付いた。林昌さんの娘さんだという。この席は嘉手苅家の人々が固まって座っていた。それぞれに思うところがあったか。
本島の民謡はやっぱりキャラクター勝負だ。その人の背負っている物の大きさですべてが決まってしまうように思う。染みついている物、滲み出てくる物。まねしたり練習したりして出来る類の演奏ではない。またそれだけに形だけ似せて引き継ぐ物でもないだろう。
追記:
ライブが終わった後、小浜店長が選曲や解説を手がけた『風狂歌人 〜ザ・ベスト・オブ嘉手苅林昌〜』を聴きながら、追悼公演の苦労話など貴重なお話しを聞くことが出来た。来月のまるみかなー耳薬い定期ライブは、前川守賢三線一本勝負とのことだ。
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いつでもその覚悟
2003.08.28
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今日のお稽古でも調弦の仕方が話題になった。
八重山古典民謡コンクールでは、本調子と二揚げ、各一曲の課題曲を演奏するわけだが、本調子と二揚げの間には当然調弦の作業が必要となる。調弦は一分間に正確に行わなければならない。これも審査の対象となる。
大底師匠は、二揚げにするときは、自分の音域と課題曲の曲調を考慮して、中絃を揚げるか、男弦と女絃を下げるかを決めるべきだと指導している。コンクール本番では緊張するので中絃を揚げて簡単に済ませたいところだが、それが自分の声にあった調弦でなければ唄が死んでしまって本末転倒だという。
また、調弦は必ず男絃→女絃、女絃→男絃と、往復で弾いて確認するように言われている。片道では微妙な狂いを調節しきれないからだという。自分でもそう実感している。昨年のコンクールではほとんどの人が片道で済ませていたが、一息つく意味でも往復で調弦した方がよいと思う。
それと、これで良しと思うまでしっかり調弦するようにとも言われている。一分という時間は、調弦を行うには充分な時間なので、あわてて弾き始めることはない、おかしいと思うまま見切り発車してはいけない、ということだ。
安伴先生は曲の途中で調弦をすることを厳しく戒めたそうだ。コンクールでは調弦がおかしいと気が付いても途中で弾き直すことは出来ないが、それはコンクールだからということではなく、いつでもその覚悟が必要と言うことなのだろう。
追記:
昨日は「あまんかい」でダリオさんのライブを見るか、「まるみかなー」で三線を弾いて楽しむか、どっちにしようかと迷った結果、三線を弾く方を採って「まるみかなー」にしたわけだが、今夜「あまんかい」に出来たての暦を届けに行ったら「昨日はアルベルト(城間)さんも来てたのよ」といわれてちょっとしまった…。というわけで、箆柄暦『九月の沖縄』の配布も始まってますので、今月もどうぞよろしく。
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積もる話しを
2003.08.27
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またまた入れ替わりに東京の三線仲間が来沖。今度のお仲間も二本目の三線をご所望。
今回は予算に合わせた棹を三本用意してもらった。柄の可愛い棹(カマゴン)から、ほぼ真っ黒な棹(フィリピン産黒木)の三本だったが、結局黒の詰まった一番上等で作ることとなった。
胴は本皮張り。ティーガーは店オリジナルの赤系のミンサー柄。今回は完成後郵送で送ることとなった。滞在期間が短かったので仕上げが間に合わなかったのと、ソフトケースで機内持ち込みより郵送の方が安心という判断でもあった。
それにしても、なかなかこういう買い方は出来ないだろう。前回買っていった友達からの評判もいいだけに、今回も完成が楽しみ。
そんなこんなで、夜はお仲間を「まるみかなー」にお連れした。小浜店長のお許しを得て三線ちゃー弾き。久々に掛け合いで唄ったりして楽しく過ごした。また最近の東京教室の様子など、積もる話しをいろいろと聴くことが出来た。
居合わせたお客さん達からリクエストが入ったりして、出来る範囲で唄わせていただいたが、如何だっただろうか…。
追記:
すっかり忘れていたが、昨日はまるみかなーで『嘉手苅林昌唄と語り』の上映会があり、高嶺剛監督も来ていたのだった。ぬかった…。
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封印を解く
2003.08.26
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いよいよコンクールまで一ヶ月とちょっと。今日からお稽古も本番を想定した体勢に切り替わった。
普段は爪だけ持参し、師匠のところにある三線を使ってお稽古しているが、今日からは本番で使う自分の三線を持参する。気が付くとだいぶ弦が痛んでいたので、今のうちに張り替えておくとちょうど良いだろう。
また、これまでは合奏しながら独唱を回していたが、三線も含めての完全独唱となる。普段は全員5で調弦しているが、コンクールは各自の音域にあった調弦で受けるので、調弦の高さも唄う人によって違ってくる。
私の場合、低音域の発声が苦手なので、普段の調弦では低い。それも訓練なのだが、コンクールに向けて封印を解き、調弦を揚げることにする。本調子は6、二揚げは一・三を下げて4、課題曲が「古見ぬ浦節」だったらそのまま二を揚げることにする。
調弦を揚げるとリミッターを外したようで唄いやすい。しかし反面、弱点も露わになる。これから一ヶ月、そうした部分の仕上げが続くことになる。
追記:
三線を買って帰った三線仲間からメールがあり、音質すこぶる上等、まわりの評判も上々とのこと。良かった良かった。明日も入れ替わりで三線仲間が遊びに来て三線を買って帰る。また良い三線に仕上がると良いなと思う。
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沖縄濃度は高いはず
2003.08.25
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FMなは、FMたまん(糸満)、FM21(浦添)と、沖縄のコミュニティFMに出演してきた。次はFMちゃんぷら(コザ)かFMみやこ(宮古島)かと思っていたら、なんとFM世田谷に電話出演とあいなった。
「オープンサロン834」という番組の中の「ラジオ・デ・ウルマ」という沖縄ネタを扱うコーナーで、パーソナリティは桑江知子さんと木之下貴子さん。三軒茶屋キャロットスタジオを介しての生放送。内容は『箆柄暦』に付いてのインタビューだった。
木之下貴子さんは『箆柄暦』だけでなく、『週刊沖縄ふぁん』の読者でもあり、わたしの番組出演は、最新号(235号)の編集後記で知ったということだった。
放送エリアは杉並区、中野区、渋谷区、目黒区、狛江市などだそうだが、このあたりの沖縄濃度は高いはず。なにか反響があったらうれしい。
追記:
本日20,000ヒット達成いたしました。ご愛読ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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残念二連発!
2003.08.24
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東京から来ていた三線仲間が帰っていった。『九月の沖縄』(PDF版ごく近日Up予定)の制作進行が佳境に入り、来沖初日に白百合クラブ・オンステージの後で飲みに行ったきりで、何のフォローも出来ず。お見送りも出来なくて申し訳ない…。
今回はわたしの行きつけの三線屋で、二本目の三線を購入して帰っていった。予め予算を聞いて用意しておいてもらった棹を確認後、皮張りと組み立ては滞在中に行い、帰りがけに完成品を受け取って帰っていった。
実際に自分の三線の皮を張っているところを見ることが出来たり、その場でティーガーを選べたりと、他では味わえない体験ができて喜んでいたようだったが、肝心の完成品の音には満足いただけただろうか。
前述の通り、フォローできていないので、わたし自身は完成品の音を聴いていない…。あの格好いい棹がどんな音に仕上がったか私も聴いてみたかった。
残念!
追記:
今日、武三さんは「第一回納涼夏芝居」名護公演で奮闘中。「逆立ち幽霊」早く見たかったけど、28日の那覇公演までお預けか。残念!
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訂正とお詫び
2003.08.23
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2003.08.19の箆柄日記の中で、第29回八重山古典民謡コンクールについて、「予行演習(正しくは模擬試験)が9月7日になるらしい。課題曲の抽選が一ヶ月前に変更となったらしいのだ」と書きましたが、八重山古典民謡保存会から直接ご指摘を頂き、私の勘違いであり誤りであったことが分かりました。
課題曲の抽選は今年も例年通り、審査の約一週間前に行われます。関係者のみなさま、コンクールに向けて練習に励んでいる皆様に対し、誤解を与え、ご迷惑をおかけいたしました。
ここに訂正してお詫びいたします。
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平均して一割強
2003.08.22
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世間ではWindowsの欠陥を突いたコンピュータウィルスが大流行しているようだが、わたしのようなMacユーザーは蚊帳の外である。
しかし、箆柄暦の東京担当が被害にあってしまった。用心のためWindowsをアップデートしたら起動不能に…。そこそこ上級ユーザーですらこれなのだから、世の中大変なのだろう。
このウェブのアクセスログを見ると、平均して一割強がMacユーザーなのだが、残り九割のWindowsユーザーのみなさん、くれぐれもご自愛ください。
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しまの祭りのよう
2003.08.21
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桜坂シネコン琉映で「白百合クラブ・オンステージ」を見た。
開場前に、映画館から向かいの公園まで長蛇の列が出来た。当日券を買い求める人たちも、平和通りへ降りる坂に並んでいた。開場となったが館内は通路まで立ち見で一杯となり、ステージ脇の隙間も即席の桟敷席となった。かぶり付きの最前列、中江監督のすぐ脇のあたりで見ることが出来た。
司会進行は川満しぇんしぇー&信ちゃん。しかし白百合クラブの文吉さんの名司会ぶりにやられっぱなしだった。ステージは、白百合クラブのテーマ曲に始まって、鷲ぬ鳥節(もろ白保風、例:びるぱにばーしだしょーり)や白保節などの舞踊を挟みつつ、主に昭和歌謡を中心に進んでゆく。ゲストに山里勇吉御大、仲宗根長一&充親子を迎え、こちらも昭和歌謡曲と新民謡を唄う。
二時間ほど過ぎたところで休憩が入り一部終了。このだらだら感がしまの祭りのようで良い。後半も映画『白百合クラブ 東京へ行く』で印象的だった「サヨナラ港」などのネタが満載。東京公演の歓びを唄にした新曲「白百合クラブ東京ライブ」では、その秀逸な歌詞にステージ袖で待機する川満しぇんしぇーも苦笑していた。
六調、みるく節〜ヤラヨーと、八重山の宴席の作法に従って締めが来て、気が付くと三時間のステージとなっていた。
白保というところは本当に不思議なところだ。こういう土壌があって、こういう人々がいて、こういう音楽の楽しみ方があって、まさに幸人や保克が生まれたのだと感じる。「ゆらてぃく組」の原点は「白百合クラブ」にあるのでは無かろうか。興味が尽きない。
追記:
東京から来た三線仲間の連れの三人(沖縄初心者)は前半で飽きて帰ってしまった。「沖縄のブエナビスタ」という宣伝文句に別の物を期待してしまったようだ。何の予備知識も思い入れもなければ、只の年寄りの演芸会に見えても仕方あるまい。図式としては分かるけど、島の娯楽を担ってきた年輩の素人演芸集団と、第一線を退いたいにしえの一流ミュージシャンのセッションを混同させる表現は、やはり誤解を招くのではないだろうか(狙いなんだろうけど)。この宣伝コピーだけが気になった…。
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熱いタイミング
2003.08.20
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来週25日(月)の15:00から、FM世田谷の桑江知子さんの番組に電話出演することになった。「インターネットウルマ」にまぎまぎと特集されたのが目に留まったらしい。箆柄暦について10分ほどインタビューしたいとのことだ。
箆柄暦『九月の沖縄』はこの日完成予定。
山場と重なって熱いタイミングになりそうだ。
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ぎりぎりまで必死に
2003.08.19
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訂正:
文中「予行演習が9月7日になるらしい。課題曲の抽選が一ヶ月前に変更となったらしいのだ」とありますが、抽選は例年通り約一週間前でした。訂正してお詫びいたします。今年は抽選を待たずして予行演習(正しくは模擬試験)が9月7日に行われるということで勘違いしました。この日の日記は勘違いした状態で書いた心情としてお読みください。
八重山古典民謡コンクールの場合、コンクールまでに6曲の課題曲(本調子3曲・二揚げ3曲)を仕上げ、審査の日の約一週間前にその年の課題曲2曲(本調子、二揚げ各1曲)が決まる。本島では課題曲が決まると、会場を借りて予行演習が行われる。
今年の審査は10月3〜5日だが、予行演習が9月7日になるらしい。課題曲の抽選が一ヶ月前に変更となったらしいのだ。課題曲が決まるのが早まれば、コンクールに向けてのお稽古は楽になるが、その分、課題曲以外の曲のお稽古がおろそかになる可能性もある。
昨年新人賞では最後まで「月夜浜節」に手こずって、ぎりぎりまで必死に練習した。結局課題曲には当たらなかったが、抽選が一ヶ月前にあって「月夜浜節」が課題曲でないとなっていたら、あれだけ必死に練習できただろうか…。
コンクールはあくまで完成度を確認する物であって、合格すればそれで終わりというわけではないけれど、やっぱり合格してしまうと苦手な曲に手を付ける回数は減る。特に新人賞の課題曲6曲のうち、未完の部分を残してしまうと後々苦労することになるだろう。
そう考えると、大変な思いをしても、ぎりぎりまで課題曲が決まらない方が良いような気もする。
ちなみに昨年は台風で審査が一ヶ月延期になり、課題曲も再抽選された(新人賞は「鳩間節・安里屋節」→「鷲ぬ鳥節・夜雨節」)。結局課題曲が4曲あったような物で良い勉強になった。
大変だったけど…。
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破れた三味線
2003.08.18
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箆柄暦東京担当を空港まで送りつつ、ゆいレールの状況をチェック。
19時頃県庁前駅から空港駅まで乗ったが、小禄までは席が埋まっていた。平日のこの時間でこの程度人が乗っているということは、いわゆるラッシュ時はどの程度の混みようなのだろうか。
夜モノレールに乗っていると、沿線には灯りしかみえない。ここが沖縄ではなくて、東京モノレールか或いは京葉線にでも乗っているような錯覚を覚える。
帰りはバスで牧志まで戻った。運転席の後ろに皮の破れた三味線が無造作に置かれていた。やっぱりここは沖縄だ。
追記:
空港案内所で箆柄暦を見かけなかったので心配になって確認したら、先週末には全部無くなっていたそうだ。一週間弱ですべて無くなってしまったことになる。中にはご指名で探しに来た人もいたとか。広がっている…。
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カンパイサビラ
2003.08.17
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ロワジールホテル主催の「三重城(みーぐしく)祭り」に行った。(司会は武三さん)
今年の「三重城まつり」のトリは「りんけんバンド」だった。りんけんバンドを生で見るのはどれくらいぶりだろう。一番最初に見たのが1990年に池袋西武の屋上ステージ(普段ビアガーデン)だったのは覚えているのだが、その後が思い出せない。
池袋西武で見たりんけんバンドは衝撃的だった。当時、沖縄音楽は「ワールドミュージック」というジャンルのひとつとして紹介されていた。西武の屋上(たぶんPARCO)というのもそういう流れの一環だったのだろう。太鼓を打ちならす男達にアジアの男のかっこよさのような物を感じた。バンドのライブなのに年輩の方も多く、最後は皆踊り出したのには驚いた。まだエイサーもカチャーシーも内地の人にはなじみのない頃だった。
その後、何枚かCDを買って聴いたが、ライブでの感じが伝わってこず、あまり聴かなくなってしまったが、久しぶりにライブを見たら相変わらずライブは楽しいものだった。エンターテイメントとして完成していて分かり易く、りんけんさんの独特な三線の音色と奏法、上原知子さんの唄と太鼓も良かった。
なにより、おそらくほとんどウチナーンチュで埋め尽くされた「三重城まつり」会場のリラックスした雰囲気に合っていた。バンドも含めて気の置けない友達の飲み会か、親戚の集まりのようだった。
今夜の会場には、「アリッ乾杯」より「カンパイサビラ」で飲み干すオリオン生のほうが、自然だったと思う。
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短い時間で濃いお稽古
2003.08.16
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大底春男研究所の稽古日は火曜日と木曜日だが、師匠が暇なら土日もお稽古を付けてもらえる。今週木曜日はお稽古にいけなかったので、今日お稽古を付けてもらいに行った。
普段は土日までお稽古を付けてもらうことはないが、コンクールが近くなると土日のどちらかもお稽古を付けてもらったりする。今年もそろそろそういう時期に差し掛かってきた。
土日は差し向かいのお稽古となることが多い。細かいところをチェックしながらの濃いお稽古となる。完全独唱なので、悪いところがハッキリと分かってしまう。ごまかせない。
去年のコンクール前と比べると、短い時間で濃いお稽古が出来るようになったような気がする。今日もかなりこってりやったつもりが、気が付くとまだ一時間しか経っていなかった。
師匠は「新人賞で基礎が出来ているから、注意されたところをどうしたら良いかの理解力が違う。だから短い時間でも集中したお稽古が出来る」と言っていた。さらに「優秀賞まで取れたら勉強の仕方が完全に身に付く。最優秀は自分で勉強できるようになる」という。
どうなんだろうか…。
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空を仰いで
2003.08.15
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Coccoの「ゴミゼロ大作戦vol.0 正しい海への道のり〜ラブレンジャー参上〜」に参加した。
会場は那覇中学校。校舎の前にステージが設けられ、ロープで区切られた校庭が客席となっていた。校舎のベランダは在校生の特別席となり、制服姿の学生達が鈴なりになっていた。
予定の17時に始業のチャイムが鳴り、出演者が舞台に上がってゆく。最後にCocco本人が登場。会場に詰めかけたラブレンジャー(参加者全員)に挨拶をしたあと、ギターを肩にかける。すでに感極まって泣きそうになっている。
「泣いてしまうからもう唄うよ」とつぶやいて、なんどか空を仰いでから歌い始める。初めて聴く彼女の生の唄声にその圧倒的存在感と、気高さを感じる。大きな口と鋭い目はシーサーのよう。本気で琉球を護りに帰ってきたラブレンジャーなのだと感じた。
何度も何度もリフレインが続き、演奏が終わるとギターを抱えたまま「キャーキャー」と歓声を上げて飛び跳ねていた。終業のチャイムが鳴り、彼女の号令で「気を付け、礼」。花束を渡されるともう限界で、涙が溢れていた。たった10分とは思えない何ともいえない時間の流れを感じた。
気が付けば、本人は「海に行ったらゴミを拾いましょう」と一言も言わなかったように思う。けれど彼女の思いは確実に伝わったと思う。(アナウンスで注意があったとはいえ)あれだけの参加者が去った校庭にゴミは落ちていなかった。
追記:
箆柄暦がインターネットウルマのWEBで紹介された。露出の大きいメディアだけに感謝。おきなわ百科の「オキナワン・プロダクツ」というコーナーの第二弾なのだが、第一弾が「入門セット19800円・入門書&CD付」の三線でちょっとがっかり…。
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お盆は終わりました
2003.08.14
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當間武三さん「第一回納涼夏芝居」のお稽古入りを取材。演目は怪談『首里まかん道ぬ逆立ち幽霊』ということで、お坊様を呼んでお払いをしてからのお稽古入りとなった。この演目の上演は二十年ぶりらしい。本番が楽しみ。
その後、「旧盆・新盆 パーシャ にんぶちゃ〜ライブ」に駆け付ける。お盆ということで、新良幸人の「無蔵念仏節(にんぶちゃー)」独唱もあった。彼がこの曲をこんな風に唄いこなし、ライブハウスに満場の客が喝采しているなんて、民謡の先生方はご存知有るまい。
今回の幸人のMCは、高校野球とゆいレールネタ。「今年はウークイまで済まして御願が足りてるし、いちにち休みもあったから、沖尚強いはずよ」「夏休み子供何処連れて行きました? はい、モノレールに乗せましたって、モノレールは遊園地の乗り物か?!」。今夜も冴えてました。
また、豪華ゲスト満載で、カチンバtp&tb、上地一成(ジャンベ)、川満マコト(アコーディオン)、與那覇徹(唄三線)、アコエム夫妻だった。幸人と「かたみ節」を交互に唄った(ちょっと本島風)與那覇徹さんのぎこちない三線のソロ廻しが微笑ましかった。その他は、今ひとつゲストの良さが引き出されていない感じで、もったいない感じがした。やちむんの奈須さんは写真撮ってるだけでした…。
さてと、沖縄のお盆は終わりました。
一休みしていたこともまた動き出しますよ。
追記:
兄弟子から預かっていた三線の本革張りへの張り替えが済んだ。予想以上の仕上がり。音圧が凄い。宮里さんなかなかやるなぁ。
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二本目の三線
2003.08.13
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今月下旬に、東京の三線の仲間が相次いで来沖する。私に三味線屋の知人が出来たということで、仲間のうち二人が二本目の三線を買って帰ることになっている。
二人とも、六年くらい前に銀座のわしたショップで買った合成皮の三線を使ってきた。その頃は、値段的にも流通ルート的にも、今ほど簡単に三線が買える状況ではなかったと思う。ガラスケースの中の三線を勇気を出して買ったことだろう。でも、そろそろランクアップしても良い頃だとおもう。
今回の予算はだいたい8万円位で本皮張りを希望しているが、これくらい予算を示して貰えると、けっこう良い三味線が用意できる。取りあえずすでに棹だけ選んであるが、ちょっと赤の入った格好いいのを予約中。はやく組み立てて鳴りを楽しみたいところだ。
やっぱり三線を買うなら、沖縄に来たときに買うのが一番だろう。とにかく安くという買い方より、妥当な予算で職人さんに張り切って作ってもらえば、結局飛行機代の元が取れるくらいの得をすることになる。
通販の「入門セット19800円・入門書&CD付」みたいな三線に多くを期待しても仕方がない。値段なりになれば御の字。値段以下でも文句は言えない。
追記:
コザのデイゴホテルさんから「箆柄暦無くなってるから補充して」とリクエストがあった。もう今月分の手持ちがないけど、週末全島エイサーまつりだし、なんとか届けねば…。
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有りがたい話し
2003.08.12
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6日にFM21に出演した際、局の電話の脇に箆柄暦を置いてきた。それを見た企画担当の方から、「箆柄暦に付いて話を聞きたい」と依頼があり、再度出演してきた。
15分番組だったが話題はこれ一点だったので、作り始めた理由、何処で手に入るのか、発行部数やネットからのダウンロードについてなど、結構たっぷり説明できた。とにかく担当の方がすごいすごいと喜んでくれていたことが、いちばん嬉しかった。
ここのところ、このような形でユーザーの輪が広がってきている。県内外のいろんな人から問い合わせや協力を頂いている。なかには意外な有名人や有力企業も含まれている。有りがたい話しだ。
気が付けば、スタジオの窓からは、
台風の日とは打って変わった絶景が広がっていた。
追記:
研究所に「第29回八重山古典民謡コンクール」の実施要項が届いた。申し込みまでまだしばらくあるが、いよいよな感じがしてきた…。
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意識変革効果
2003.08.11
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ちょっと遅くなったが、當間武三さんのWEBをスタートできたお祝いをした。一緒に準備に奔走した先輩とサシでの打ち上げだった。
久茂地橋の近くのバーでは、オキナンワンビューティーなキューティー・ネーネーと隣り合わせた。今日は“ゆいレール通勤”で“終電で帰る”という。時刻表まで持っていた。しばしゆいレール開業の話題で盛り上がった。
驚いたことに、昨日の開業を挟んで、実際に乗車した人の認識は一気に変わっていた。直接恩恵を受ける範囲に住んでいる人はもちろんだが、いない人にも何故軌道交通機関が必要とされるのかがようやく実感できたようだ。
「駅から遠いから使わない」ではなく、「次は駅の近くに住みたい」とか「私の家の近くにも駅が有ったら…」という視点に切り替わっている。女の人は便利で安い物に敏感だ。ゆいレールがもたらした意識変革効果は、営業規模以上に大きいだろう。
久茂地橋からほろ酔いで見上げるレールを、煌々と灯りをたたえた車両が通り過ぎてゆく。都市に背骨が通ったような安心感を感じた。確かに少し沖縄らしさが失われるような寂しさも感じるが、やっぱりゆいレールは出来て良かったと思う。
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この人の密度
2003.08.10
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きょうの沖縄はゆいレール開通に湧いた。早速、安里駅から乗車してみたが、いきなり満員電車が駅に滑り込んできて驚いた。この人の密度は沖縄に来て初めて味会う密度だ。
今日のところは交通機関と言うよりも、遊園地の乗り物感覚なのだろう、満員で混み合う車内も楽しげな雰囲気が漂っていた。駅のホームにも、乗車を待つ列にも、喜ばしい感じが溢れていた。特にこども達と年輩の方の嬉しそうな顔が印象に残った。
実は、県内では「ゆいレールなんて使わないよ」という人も多い。駅まで遠いとか、車の方が便利とか、料金が高いとか、理由はいろいろあるが、実際に出来たゆいレールに乗れば、ゆいレールが自分の街にも通っていたらなあと思うことだろう。
また、こうした交通機関が戦後50年以上経ってようやくこれ一本しかないことがおかしいということにも気が付くことと思う。路面電車やLRTの導入を待望する動きもあるが、ゆいレールの開業で理解が広がることだろう。
初日からダイヤが乱れたりトラブルが発生してしまったのは残念だが、毎日終日満員電車が運行するわけでもなかろう。そのほか気になる点もいくつか有ったが、それだけで「やっぱり車が一番」と思わないで欲しいところだ。
いずれにせよもう少したって、落ち着いてからまた乗ってみようと思う。
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宮良康正の世界
2003.08.09
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宮良康正先生の公演「八重山ぬ心・宮良康正の世界」が那覇市民会館大ホールで行われた。
ここ最近の八重山民謡の大きな公演には、昨年の「山里勇吉・八重山音楽安室流室山会結成創立記念公演」「第三回仲宗根長一・充 父子リサイタル」
があったが、八重山古典民謡保存会の師範による大規模な公演は康正先生で久しぶりだ。
内容的には、康正先生の独唱を中心に、唄をじっくり聴かせる構成になっていた。康正先生の生まれ島、与那国の唄もふんだんに織り込まれていた。囃子には保存会から比屋根孝子師範、若手の辺土名晶子さんも応援に参加していた。あらためて宮良康正先生は、唄の巧い人だなと感じた。
舞踊、与那国の「棒」、まみどーま、ゆんたジラバ、當山善堂先生の解説も交え、飽きさせない構成になっていた。山里勇吉さん、仲宗根長一さんの公演と比較すると演出は控えめだったが、その分唄をじっくり聴くことが出来た。とくにゆんたジラバも唄として楽しめてよかった。
今年は東京、大阪、仙台での琉球フェスティバルなどでの演奏も予定されているので、内地のみなさんもお楽しみに。
追記:
それにしても、我が大底春男師匠の演奏会をなんとか開けない物だろうか。できるなら、小さなホールで良いので、唄をじっくり楽しめる会にしたい。
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そういう匂いが
2003.08.08
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久しぶりにカラオケで唄った。しかも、カラオケボックスではなくて、80年〜90年代のMTVや歌謡曲の流れるバーで。みなさん唄う曲もその頃の曲が中心で、なかなか懐かしい感じ。後ろの席のおねーさんがたも、私の唄う「スローなブギにしてくれ」でチークタイム状態だった。
カラオケボックスが出来る前は、カラオケといえばカラオケスナックとかで唄うものだった。カラオケボックスとは違い、知らない人もいるところで唄うので、ちょっと緊張したりした。客層を見て、受けそうな曲を熱唱すると、知らないおじさんが一杯おごってくれたりするのが面白かった。
民謡スナックにはそういう匂いが残っている。カラオケの代わりに飛び入りで唄う民謡がある。ちょっと違うのは、やっぱり民謡の持つ力だろうか。良い唄を聴いたときの嬉しさはカラオケでは味わえない。
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音楽とは
リンゴのようなもの
2003.08.07
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お稽古に向かう道すがら街を眺めると、結構木が折れたり、看板が倒れたりしていた。今年最初の本格的な台風だったので、伸びきった枝や、適当に置いてあった看板が軒並みやられて、派手目に散らかっているだけかもしれない。
お稽古の帰りにあまんかいへ寄る。先週からシルビオ一家が、NHK『スペイン語会話』の中の、アルベルト城間担当「となりのアミーゴス」というコーナーに出演している。みんな揃って番組を鑑賞。
アルが「沖縄の人は歌詞の意味を理解して歌を聞いているの?」と尋ねると、シルビオさんは「音楽とはリンゴのようなものだ」と言いだす(?)。「リンゴはリンゴであることに説明は要らない。音楽に感動が有るなら歌の歌詞はすでに説明せねばならない物ではない」みたいなことを言っていた。流石、哲人シルビオ。
今日もおいしいアルゼンチン料理とマテ茶と元気をご馳走になってしまった。
Muchas gracias !
追記:
『ちゃんぷるー』という雑誌で三線関連の連載コラムを始めました。
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文章で説明するよりも
2003.08.06
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『琉球舞踊』という雑誌を出していた砂川敏彦さんのお誘いで、浦添のコミュニティーFM局「FM21(76.8MHZ)」に出演してきた。
折しも夕方から台風10号の影響で、高台の6階にあるスタジオには、激しい雨と風が吹きつけていた。普段は東と西の海がみえる見はらしの良いスタジオとのことなので、また晴れた日にお邪魔してみたい。
番組では「沖縄の情報発信」をテーマに砂川さんとお話しした。何故三情報『箆柄通信』や『箆柄暦』を作ったかというと、「自分が三線を学び始めた頃、旅行で訪れていた時、本当に必要としている情報媒体がなかったから」というような話しをした。
スタジオに置いてあった三線でちょっとだけ民謡も唄った。まったくのリハ無しだったので緊張するかと思ったがそうでもなかったのは、砂川さんの持って行き方が巧妙だったからだと思う。
さて、番組では話さなかったが、沖縄の情報を発信している理由の中には、何かの軸(三線であったりイベントであったり)にそって大量の情報を発信する事によって、もっと生の沖縄の姿が浮かび上がって来るのではないかという思いもある。
私の感じた、引っ越す前の沖縄と引っ越してからの沖縄のイメージの隙間みたいなものは、文章で説明するよりも、大量の情報を伝える中からの方が伝わるような気がするのだ。
伝わる人には。
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呼吸に対する意識
2003.08.05
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昨日弾きまくったわりには、今日のお稽古の調子は今ひとつ。相変わらず息が短く悪戦苦闘。
昔、民謡歌手の金沢明子が蝋燭のすぐ前で炎を揺らさないで民謡を唄うコマーシャルがあったけど、同じ事なんだろうな。息を効率的に声に変換して、長く力強くはきだす。頭では分かっていてもなかなかまねできない。
民謡の場合、呼吸に対する意識は西洋音楽とはちょっと違うような気もする。正直なところ、息を継ぐところが合理的に用意されていない感じがする。決まった息継ぎのポイントは有るのだが、とてもそれだけでは足りない。
理想は一曲息継ぎ無しで唄えたら最高。あとはどれだけ少ない息継ぎで唄うかの勝負みたいな感じがする。息の短い人は如何に息を伸ばすか、また目立たないように息を継ぐかを訓練するしかない。
フィジカルな面での弱点は、なかなかクリアできないからやっかいだ。
ついでにごまかしているような劣等感にもつながるので、やる気に響く。
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ここで迷っていては
2003.08.04
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師匠の処へ顔を出したあと、独りとまりんの公園で三線を弾いた。台風が近いせいかちょっと湿り気が多く、本皮の胴の鳴りはイマイチだったが、久しぶりに思う存分弾いた。
コンクールの課題曲に始まり、分かる曲を片っ端から弾いた。誰に聴かせるわけでもないので、ちゃんと出来ない曲やうろ覚えの曲も何でもかんでも弾きまくった。
気が付くと、立ち止まって聴く人、遠巻きに見る人、写真を撮る人もいた。また、踊りのお稽古に来た人たちも聴いている。犬の散歩の人もちらりと目をやりながら通りすぎる。みんな民謡が好きなのだ。
今も三線弾きはふりむんと戒める人もいる。けれど、ここで迷っていてはどっち付かずで終わってしまうのではないか。今までのいろんな人との出会いも無駄になってしまう。
コンクールまであと少し。
迷っている暇はない、と自分に鞭を入れた。
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置くことが出来ない
2003.08.03
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朝から空港の案内所から、「いま、箆柄暦の八月号が欲しいという人が来ているのですが、何処で手に入りますか」と電話が来た。空港の窓口にはフリーペーパーは置けない決まりらしくて、正式には置いて貰えないのだ。
その人は沖縄ツーリスト系のホテルに泊まるというので、「ホテルのフロントに有りますよ」と答えたら喜んでいただけた。涙が出るほど有りがたい。暦の存在は関西の三線教室で知ったらしい。
かと思えば、あるホテルに『八月の沖縄』を届けて、「七月の残りは有りますか」と尋ねると、戸棚の奥から丸ごと取り出して返された。チラシの置いてあるコーナーに置けないかと尋ねると、なにかの会員にならないと置くことが出来ないと言う。
よく「レンタカー屋さんに置いたらいいのに」とも言われるけど、レンタカー屋さんの場合も、窓口で配っているレンタカー協会の地図に広告を出さないと、チラシ等は置かせて貰えない決まりになっているそうでダメなのだ。
暦は、概ね無くなっているところが多いのだけれど、時々ごっそり残っているところがあるとホントに悲しい。せめてロビーの新聞コーナーの横にそっと置いていただくだけで、お客さんに喜んでもらえると思うのだけれど…。
追記:
すみません、いきなり「○○行きのフェリーは何処から乗ればいいの?」とか電話してくるのは勘弁してください(苦笑)。
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繰り返し繰り返し
2003.08.02
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沖縄の若手アーティストのショーケース的なイベント『カイナ・アートフェスタvol.3』を見に行く。会場の沖縄市民会館中ホールと公民館には、思い思いに飾り付けられた小さなブースが立ち並び、作品を展示・販売していた。
いつもお世話になっているトータルプロと大城清太くんが主催するPANGAEAのコラボレーション作品、『THE ROUSE DEVICE II』も展示されていた。巨大な黒い球体の中に据えられたシートに座り、密閉された空間で映像と音声、光の明滅に包まれる装置で、ひときわ異彩を放っていた。
実は、トータルプロが協力したブースはここだけではない。作品の出力や宣伝など、陰ながら多くのアーティストを応援している。トータルプロの社長は、若い連中がやりたいことをしている生き生きとした笑顔が好きだからという理由だけで、いろいろと相談に乗っているのだ。
私もいつも言われている、「何度失敗して振り出しに戻っても良い。繰り返し繰り返し挑戦したらいいさ。やりたいことをやれ。」と。
振り出しに戻ってばかりだけど、取りあえず「繰り返し繰り返し」はしているところです…。
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長い旅の途中
2003.08.01
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いろんなひとが本土から沖縄へやってきて、何かを成してきた。それがしたくて沖縄へ来たのか、成り行きでそうなったのか、理由はそれぞれだ。
沖縄に来る前に、自分が気になっていた移住の先輩にはおおよそ一通り会えたと思う。そうした人たちに実際に会って話を聞くと、参考になったり合点がいったり、いろいろと勉強になる。
とけ込んで生きる人、あくまで沖縄流に染まらない人、それぞれが自分なりの沖縄での生き方を作り上げていた。
さてと、自分はどうする。どうやってここから進む。“長い旅の途中です”から“移住しました”と躊躇無く言えるようになるには、そろそろハッキリしないといけない時期に差し掛かってきたように思う。
もう八月だし。
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