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各自飲み込んで
2003.10.31
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十月も今日で終わり、今年も残すところ二ヶ月か…。
武三さんのお稽古を取材。第六回座長公演が目前に迫り、お稽古場での練習は今日が最終日。お稽古場全体に緊張感がみなぎっているが、不思議ととげとげしい雰囲気はなく、一見和やかな感じさえする。
しかし、武三さんの表情は明らかに普段より引き締まっているし、出演者の一人は胃が痛いと漏らしていたりした。それでもプレッシャーは各自飲み込んで、全体のお稽古に集中している感じがプロらしい。
そんななかで、ベテランの俳優陣の飄々とした雰囲気が流石と思わせる。瀬名波孝子先生を始めとしたベテランの方々が、セリフに詰まったり、踊りを間違えた若手に、時には笑いも交えながらさりげなく助け船を入れて雰囲気を作っていた。
地方衆の一糸乱れぬ演奏も熱が入ってきた。各自の工工四は、切っ掛けのセリフや音量など、色とりどりの細かな書き込みでいっぱいになっている。地方衆の方から「箆柄日記読んでるよ」と声を掛けられ緊張。
さて、ついに明日は那覇市民会館でのリハーサル。明後日は本番となる。
追記:
お稽古場のすぐ近くに選挙事務所があったので「マニュフェストくださ〜い」といって噂のマニュフェストなる物を入手してみた。結構細かなことまで公約しているので驚いた。
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逆利用してもらう
2003.10.30
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今回、箆柄暦をスポンサードしていただいたボクネンズアートさんの沖縄ギャラリーへご挨拶へ伺う。明るい雰囲気の店内に所狭しと名嘉睦稔さんの作品が並んでいた。
睦稔さんというと鮮やかな色彩が思い出されると思うが、以前天久新都心で行われた展示会で、モノクロの作品を見て印象深かった。モノクロの作品は無いのですかと尋ねたら、今度の原画展で展示するとのことだった。
今度の展示会とは、読者プレゼントとしてご提供いただいた、2004年度カレンダーの原画展で、11月から12月にかけて開催される。その案内のカードを県内外で配布する依頼を受けた。箆柄暦の配布ルートを逆利用してもらうという形となる。こんな協力体制もあるのかとおもしろく思う。
帰りがけに、ラグナガーデンホテルにも箆柄暦をお届け。入口でいきなり横浜ベイスターズのデニー投手に出くわす。挨拶して通り過ぎると、あとから続々ベイの選手達が通り過ぎてゆく。そうか秋季キャンプか…。
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二番三番
2003.10.29
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大底教室ではどの曲も、通常舞台で唄われる、二番、或いは三番まで唄うように、コンクールモードから通常モードに切り替わった。
正直、コンクールの課題曲の一番の手と唄は覚えてはいるが、二番三番というと完全に唄えるようになってはいない。課題曲を一番だけ唄えていてもそれは不自然なことだし、だいいち人前で唄えない。きちんとマスターしたい。
これまであまり弾かなかった二番以降を唄ってみると、曲想が広がり、曲への理解が広まってくる。また、歌詞の意味を追ううちに、解釈に関して議論がかわされたり、諸説を聞くことが出来たりして楽しい。
「月夜浜節」はあまり三番(下句繰り返し)まで唄われないが、三番の歌詞はなかなか良い。ついでに『声楽譜附八重山古典民謡工工四』では、「手布(てぃさじ)」が「手中」と誤記されていることにも気が付いた。
唄ってみるものだなあと思った。
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大学の頃
2003.10.28
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勢理客のGROOVEへ行く。タバコのヤニと楽器の臭い、このライブハウスは大学の頃サークルボックスがあった六号館を思い起こさせた。
通路を降り、ドアを開けると、小さなホールに小さなステージ。片隅に置かれたドラムセットにアンプ、アップライトピアノ。カウンターや内装も手作りっぽく、ひどく懐かしい印象を受ける。ホントに学祭の時の音楽サークルのライブ会場のようだった。
毎週火曜日はセッションの日。レベルもジャンルも問わずいろんな人が入り乱れ、破綻覚悟のセッションだそうだ。第三水曜日は課題曲(Jazzのスタンダード)を決めてのセッション。これもひどく懐かしい決まり事のように思える。
今日はお話を伺うだけでセッションは見なかったが、来週あたりのぞきに行ってみたいと思う。
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もっと高いところまで
2003.10.27
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私は子どもの頃、野球が大嫌いだった。見たいテレビは中止になるし、だらだらと長いし、運動は得意でなかったし、何よりも野球に熱中すること自体がひどくオッサンじみたことのように見えた。
しかし、92年、93年、2年連続で第7戦までもつれた野村ヤクルトと森西武の死闘を見て、野球のおもしろさ、凄さを知り、野球を熱心に見るようになった。あの頃の日本シリーズはデーゲームで、緑のグラウンドに伸びる長い影が記憶に残っている。今もNumberの日本シリーズ特集号は大切にしている。
あれから10年ぶりに第7戦までもつれた日本シリーズ。阪神の監督は野村からバトンを引き継いだ星野仙一。10年前、星野がドラゴンズではなく阪神の監督として日本シリーズに臨むと誰が想像しただろう。
阪神は負けてしまったけれど、いい日本シリーズだったと思う。阪神というチームは、今年は日本一になれなかったけれど、この負けを大事にしてゆけば、来年以降も強いチームとして成長を続けてゆくのではないだろうか。92年の雪辱をはらし、93年に日本一に輝き、その後90年代を通じヤクルトが強くあったように、阪神も強くならねばならない。
星野仙一は、これまで現役、監督を通じて、日本一になったことが無い。しかも、いつも日本シリーズではぱっとしない記憶しかなかったが、阪神の監督として臨んだ今年の日本シリーズは、過去最高の出来だったと思う。
その星野仙一に、野球の神様は日本一の栄冠を与えなかった。体調の不良で退く以上、もうユニフォームを着ての日本一はないだろうが、野球の神様はまた星野を手放さず、宿題を託したような気がする。
どういう形になるか分からないが、星野はまだ野球に関わり、もっと高いところまでたどり着くのではないかと感じた日本シリーズだった。
追記:
スポーツニュースではあまり採り上げられなかったが、広澤克実選手が最後に放ったホームランに拍手。
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夜の夜中に
2003.10.26
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部屋の中で来週の予定や準備をしていたらすぐに一日過ぎてしまった。考えるばかりの作業だったので、なにか少しは形になることもしたいと思い、夜の夜中に(なぜか)郵便物の発送をしに、壷川の中央郵便局へ行く。
夜間窓口で三線らしき箱を発送している人がいるのでよく見ると宮里三線店さんだった。時間は12時近い。お互い遅くまで何やってんだろうねと笑いあった。郵便局を出て、何件か夜の方が都合のいい配布協力店に顔を出して帰宅。
来週も忙しい。ひ〜!
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それなりに秋
2003.10.25
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過日、神戸で箆柄暦の配布を手伝っていただいている方が来沖した際、お土産に日本酒を頂いた。神戸酒心館の純米酒『御影郷』というお酒だった。今日は友達が集まることになっていたので持参した。
久しぶりに飲む日本酒は美味しかった。みんなにも好評。しかしみな車で集まっていたので、味するだけであとはお茶を飲みながらのゆんたくひんたく。残りは少し先に予定している観月会(お月見)に飲むことにする。
沖縄も、おとといあたりから急にひんやりした風が吹き出した。ヤマトに比べればそれほどではないにしろ、泡盛も良いけど日本酒も悪くないと感じる季節になってきた。
そういえばここ数日、お茶もさんぴん茶より日本茶の方が飲みたいと思える。夜は窓を閉めて寝るようになった。それなりに秋なのだ。けど、予定している観月会は、野外で焼き肉だったりするんだよなぁ。
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選ぶのはユーザー
2003.10.24
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朝から「今月は箆柄暦まだですか」という電話で目が覚める。実は本日印刷完了。明日から出回ることになる。
箆柄暦の基本方針は、「どのイベントに行くか選ぶのはユーザー」なのだが、実際にはスペースの都合上取捨選択をしている。こうした情報を全て提供するには、WEB でという話になるのだが、これに関しては決定打がない。
既存のイベント情報WEBでお手本として気にいるものがないし、自分たちで一から作るにはマンパワーが不足している。ようやくイメージも固まってきたので、準備は進めているのだが、もう少しかかると思う。
協力を申し出てくれる方も出始めているのだが、あまりに良いことと悪いことが激しく起こるので、疑心暗鬼になっているのか、なかなか素直に受け入れられないということも多少ある。
心を落ち着けて、自分の進む先を見極めたい。重要な時期になってきた。
追記:
金曜バドミントンに参加。今後はなるべく「出席」が基本になるようにしたい。といっても今日はほとんどメンバーの子どもの相手をしていた。子どもの相手は好きなので何とも思っていなかったが、「子守ありがとう。助かりました」といわれて恐縮。そうか、子守ってそんなに助かることなのか。
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練習量以上
2003.10.23
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大きな打ち合わせがひとつキャンセルになったので、細々した対応ごとをこなした。久しぶりに顔を出したところで新しい話が出たりして、やっぱり人と会うと何かが起きるからおもしろい。
お稽古に行くと、ちょっと弾かなかっただけで違和感を感じる。やっぱり毎日弾いていないと鈍る。技術的にも、内面的にも、弾いていないとダメだなと思う。毎日少しでも弾くということには、練習量以上の意味があるのだろう。
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三味に問いかけて
2003.10.22
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先週の木曜日と、今週の火曜日、続けてお稽古を休んでしまった。箆柄暦の制作が追い込みだったのに加えてトラブルも発生したので、仕方がないといえば仕方がなかったのだが、やっぱりちょっと凹んでいるのか、息切れしているのか、モティベーションが下がっているのは認めざるを得ない。
もしもコンクールに合格していたら、今頃11月15日に石垣市民会館で行われる合格者発表会に向けて練習に励んでいたことだろう。でも今振り返ると、あのまま合格していたらどこまで増長していたことだろう。「なんだコンクールなんて大したこと無いジャン」と、さらに天狗になっていたような気がする。
不合格だったり、息切れしたりするということは、やっぱりどこかに無理があるということだと思う。あんまり急がないで、自分は何故(民謡に限らず)唄うことが好きなのか、もう一度ゆっくりと三味に問いかけてみようと思う。
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シンプルなフォルム
2003.10.21
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急須のふたが割れてしまった。八重山ではよくでっかい急須にお茶を作り置きしているのを見かける。師匠の家もそうだ。これはいつ誰が来ても、或いは留守の時に誰かが来ても、ちょっと上がってお茶が飲めるようにという配慮だそうだ(この話、家に鍵はかけない前提なのね)。
私も大きな急須を買おうと思ってお店を覗いた。急須を買うつもりだったが、なぜかやかんが目に付いた。超シンプルなそのフォルムがなかなかに魅力的。おばちゃんに「これ日本製の上等小だよ」といわれ俄然欲しくなる。これでお湯を沸かしてそのままお茶っぱをぶち込めばいいかと思い購入。
早速、さんぴん茶を入れてみるといつもより美味しい気がした。なんだかこのちょっと小さめのロボプーの頭がかわいく思えてきた。形だけでなく、機能的にも結構良くできている。やかんってかなりの Good Design 商品なのではないだろうか。
ちなみに、「八重山ひじゅるー=八重山の人は冷たい」の語源は、沖縄の人が八重山に行って、せっかく入れてあった急須のお茶に対して「八重山ではお客に冷めたお茶を出すのか」と受け取ったことからとの説もあるそうだが定かではない。
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流石にめげる
2003.10.20
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印刷屋さんから新しい見積もりが来た。信じ難い額が提示されていた。前回の倍以上の額になっている。いったいどういうことなのか。これではコスト計算からやり直しだ…。
今月は特にデータ作成が順調で、すでに入稿データの完成も近づいているだけにダメージが大きい。これまでも何度もどんでん返しを喰らってきたが、ここまで重なると流石にめげる。
だれか、安くて確実に仕事してくれる沖縄の印刷屋さんを教えて欲しい。本土の印刷屋さんでもかまわない。仕事以外はてーげーで良いけど、仕事はきちんとしましょーねーと言ってくれるところはないものか。
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声を失った
2003.10.19
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ある方の紹介で、ある三線業者さんが箆柄暦への広告掲載を希望しているというお話しを頂いた。大変ありがたいお話しと思い、早速会社へお邪魔した。
お話を伺うと、絃以外の部品を全て自社で生産し、県内外の学校や三線販売店などに、百丁単位で三線を卸しているそうだ。今後は店舗での販売もアピールしたいということで箆柄暦に興味を持たれたとのことだった。
倉庫を見せていただいて声を失った。まるで映画『マトリックス』で武器の棚がズラーっと飛び出してくるシーンのように、もの凄い数の棹がストックされていた。(この光景は自社のWEBにも画像を掲載されているので秘密ではないと判断する)
卸値も教えて頂いたが、大量生産によってかなり安く押さえられていた(この額は秘密と判断する)。「棹は外国製ですか」と聞いてみたが「県内で仕上げています」との答えで、外国製ではないとのことだった。
取りあえず掲載をお受けして帰宅したが、どうしても違和感が拭えない。対応も丁寧だったし、工房も実際に見せてもらったし(但し皮張りのみ)、たくさんの子ども達に三線に触れる機会を作っていることは悪いことではないだろう。
以前の自分なら単純に「大量生産→儲け主義→悪」と結論づけて得意げに批判していたことだろうが、そういうことではない。正当な企業努力は大切だ。それでもどうしても自分の三線に対する気持ちにしっくりとこない。
広告掲載料は喉から手が出るほど欲しかったが、結局、掲載はお断りした。
追記:
日本シリーズ第二戦。タイガース大敗。13対0のワンサイドゲーム。それでも選手達は真剣に悔しい顔をしていた。何故勝てなかったのかを冷静に分析し、勝利を掴んで欲しい。原因は常に自分の中に隠れている。
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おばあちゃんの感想
2003.10.18
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ほんのちょっとだけ時間を割いて、浦添美術館へ「今甦る80年前の沖縄〜鎌倉芳太郎の撮った遺宝・風物〜」という展覧会を見に行く。最終日を明日に控えてかなりの混雑ぶりだった。
虫眼鏡片手に作品を見ているおばあちゃんがいた。このおばあちゃんが付き添いの女性にささやく感想が面白くて一緒にまわった。おばあちゃんは何と90歳。写真が撮られた当時は10歳だったということになる。「懐かしいね、昔の様子はこんなだったよ」。このおばちゃんが子供の頃はこんなだったんだ。発言にリアリティがある。
ビデオコーナーでは昭和14年の沖縄の様子を上映していた。皆着物姿でかなり昔のように見えるが、気が付けば自分の父親が生まれた頃の映像だ(父は沖縄で生まれたわけではないけれど)。最近は自分の生まれた頃の映像を見てもびっくりする。人の人生って意外と長い時間軸を持っていることに気が付く。
おばあちゃんの着ていた上等な絣の服を見ていたら、長い間一生懸命生きてきたのだろうなと思った。お元気で。
追記:
日本シリーズ初戦。ダイエーがGood by to the gameで阪神を下した。阪神が初戦を落として残念だが、見応えのあるゲームだったと思う。久々に気合いの入ったシリーズになりそうだ。明日に期待する。
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予定が狂うのは
2003.10.17
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またかよ。印刷屋さんが見積もりミスで、次回の印刷は値上げさせて欲しいと言ってきた。仕事ぶりは完璧だったので喜んでいたところなのに…。見積もりミスで予定が狂うのはこれで二軒目だ。
沖縄では思いもつかないトラブルが次々に起きる。ここは沖縄なんだからと言い聞かせながら来たけれど、さすがにこんなんでよく仕事になっているなと不思議に思う。
頭に来るより、呆れるしかない。
追記:
星野監督勇退のニュースに驚く。おそらくドラゴンズの指揮をとっていた時から体調は悪かったはずだ。それでも阪神の再建を引き受けた。命がけで闘うという姿勢は文字通りだったのだと知った。
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貴重な資料
2003.10.16
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木曜日は定例の武三さんの取材がある。今週もいろんなところを飛び回りながら、来月の座長公演に向けての準備に忙しいらしい。
台本の一部を見せてもらう。当然全編ウチナーグチ。沖縄芝居は通常口立てでセリフを伝えてきたので、台本が残っていない演目がほとんど。読み合わせもしないそうだ。武三さんは舞踊から地方まで全員に台本を配ってお稽古に入る。のちのちこの台本が貴重な資料になるだろう。
こんな当たり前のことでも、「台本なんぞに頼って云々」と批判を浴びることがあるらしい。安伴先生がゆんたやジラバに三線を付けて工工四にしたときも、「ゆんたやジラバは労働歌なのに三線を付けたらおかしい」と批判されたそうだが、結果として多くのゆんたやジラバが失われた中で、工工四のあるゆんたやジラバは残り、いまや舞台でも人気の演目だったりする。
いったい何が正しいのか、なかなか今の時点では分からない。
不用意な批判は慎みたいと思った。
追記:
新しいプロジェクトのお誘いを受けて、打ち合わせが入ったので、何やかんやで夜まで打ち合わせで埋まってしまった。箆柄暦のスケジュールを少しずらしてもらった。今月も、県内外ともになかなか充実した情報が集まりそうだ。乞うご期待。
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音痴が治る薬
2003.10.15
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同門の先輩に、もんの凄く熱心なのに音痴な人がいる。自分でも自覚していて、他の人が来る前に来て自分のお稽古が終わるとさっと帰って行く。確かに音痴としか言いようがないが、八重山民謡を好きな気持ちは他の人に負けないことがよく分かる。
いつも「音痴が治る薬が有ればいくらお金がかかっても良い」と言っている。ボイストレーナーでもある、FMなはの人気番組、マジカルミステリーツアーのパーソナリティー、田村邦子さんに相談してみた。
本当に治らない音痴は極僅かで、音痴の90%以上は腹式呼吸をしっかり学ぶことで改善されるという。また、腹式呼吸をしっかり出来ると、音程が安定するだけでなく、音域も広がり、当然ブレスも長くなる。風邪などで喉がおかしいときにも、それなりに声が出せるようになるという。
師匠は「洋楽の発声は民謡と違う」と言っていたが、複式呼吸はすべての発声に共通する基本だと思う。ましてや音痴が治るなら、洋楽風八重山民謡でも唄えた方がまだ良いかもしれない。
今度先輩に紹介してみようと思う。で、治ったらいくらかかっても良いお金の一部で、私にもレッスンを受けさせて欲しい。深い呼吸法をマスターしてブレスを伸ばしたいのだ。
追記:
11月23日に久々にやちむんの新作アルバム『そばとロックの日々』が発表となる。奈須さんからサンプルを頂いて聴いた。相変わらず絶妙に音程の不安定な歌が、一層切なく心地よい。島ナイチャー心をくすぐる内容に、思わず繰り返し聴いてしまった。デザインクレジットに有田次男くんの名前があってびっくり。
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“コザ系”の方々
2003.10.14
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神戸で箆柄暦の配布を手伝ってくれている伊藤さんから電話。近くに来ているので会いましょうと言うことになり、そばを食べながらしばし談笑。
伊藤さんは民謡のCDとテープのコレクターで、コレクションのリストを見せてもらうとかなりの数のソフトを所有していた。中には私の師匠のオリジナル作品『花唄の遊び』まで網羅されていて笑った。
今回、レアアイテムの発掘はもちろんだが、コザ名物「毛あしびコンサート」や、「コザ独立国国民集会〜てるりん大統領を励ます会〜」にも参加したそうだ。かなり盛り上がったようで、私も行けば良かったとちょっと後悔。
イベントに集まった“コザ系”の方々の間でも、「箆柄暦を作っているのはどんな連中なのだ」「どんな風に作っているのだ」「だいたい引き合っているのか?」といった話になっていたそうだが、またの機会に呼んでください。コザに泊めてくれたらゆっくりお話しできます。
さて、最後に改めて神戸担当これからもゆたしくうにげーさびら。
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週末のアクセス
2003.10.13
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このWEBへのアクセス状況を見ていると、週末のアクセスが少なくなる傾向にある。で、日曜日の夜から週明けの月曜日あたりにかけてアクセス数が復活する。みなさん週末は遊びに出かけていて、家に帰って寝る前にちょっと、あるいは週明けに出勤して会社で、という感じなのだろうか。
今回の三連休のアクセスの落ち込みは、何事かと思うくらい大きかった。月曜の午後辺りから回復したが、この様子からすると、みなさん相当しっかり遊びに出かけていたのではないだろうか? この連休の県内外の沖縄系イベントの集中ぶりを見ると、行くところには事欠かなかったことだろう。
私の場合、結局観光闘牛ちょっとのぞいた以外は、何処のイベントへも行かずに地味にすごした。昼間は作業、夜は東京から来た友達と落ち合って旨い酒を飲んだり、沖縄の友人の家で鍋を囲んだり、のんびりすごした。
イベント情報を発信するという仕事上、本当は現場に足を運ぶべきだったのだが、これだけイベントが多いと選んでいるだけでお腹いっぱいになってしまった。結果としては、たまには喧噪に背を向けて、人とは違う時間の使い方をするのも一興だったと思う。
部屋まで音の聞こえてくるイベントをテレビを通じて眺めていると、意外な発見や自分の中の変化を感じることが出来て興味深かった。
さて、今週もまた忙しい。
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今夜ばかりは
2003.10.12
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那覇大綱挽き当日。朝から近所の広場に旗頭チームが集結。大人から子どもまで、衣装もキメて準備万端。旗頭も本番用の本物がそそり立っている。おばーが出発の御願をしている。全員出来合いを入れると、綱引きの会場へと、狭い路地をぬって出発していった。
さて、私も会場へ行こうかと思いながら、そろそろ箆柄暦の次号の仕込みが始まっているので、ぐっと我慢。人が遊んでいるときが自分の仕事時というのは、商売屋の家系を引き継いだか…。
そうこうしているうちに夜になり、旗頭チームが帰還してきて、どんちゃん騒ぎが始まった。楽しそうな笑いが近所中に響く。今夜ばかりは心おきなく打ち上げてくださいな。
追記:
東京では、東京時代の三味線仲間や琉大八重藝OBのユニット舞嘉利者(ぶがりしゃ)が、『やいまぬうたと踊り』というイベントを行ったはず。おそらく今回も盛況に終わったことだろう。PDFチラシ(176k)はこちら
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大人しく模合
2003.10.11
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東京から突然友達が那覇にやってきた。最近、こうした思い立ったら沖縄な人が増えている。他にもすでに沖縄入りしている友達が何組もある。
この三連休はイベント盛りだくさん。今日はあちらからもこちらからもお呼びがかかっていた。「那覇まつり」「観光闘牛」「うるま十・十まつり」「コザ毛あしびコンサート」。どれも楽しそう。
どうしようかと考えているうちに、出かける潮を逃して考えるのが面倒になってきた。天気も悪いし昨日のバトミントンで体中痛いし、大人しく模合に顔を出すことにした。世の中まつりで入れ込んでいる中、まったりと模合も悪くなかった。
帰りがけに58号線を通ると、綱挽きの準備の車両やスタッフが路の業側にスタンバっていた。明日はこの路いっぱいに人が溢れるのかと思うと、流石にわくわくしてきたが、今日は大人しく帰って寝よう。
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金曜バトミントン
2003.10.10
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久しぶりに友達の「金曜バトミントン」に参加する。友達の兄弟やいとこ等が集まって、小学校の体育館を借りてバトミントンを楽しむのだ。
久しぶりに体を動かすのはかなり気持ちがよい。しかし、調子に乗りすぎた。準備運動のつもりで体育館の中を走って、一試合終わったら目の前がちらちらする。貧血気味…。その後はガキンチョの相手をして過ごした。
それでも終わってみると行って良かったと感じる。体を動かすこともそうだが、人との交流、子どもとの交流、声を出したり笑ったりが気持ちをほぐしてくれる。次回は自分のペースに気を付けて参加しよう。
さて、師範の方々の中には、唄のために走ったり泳いだりして、体力の低下に備えている人もいると聞いた。やっぱり少しは身体を動かして心肺機能を鍛えないと、技術的な方法だけでは息は長くならないよなぁ…。
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自分なりの答え
2003.10.09
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師匠と一緒に、11月19日に発売となる新良幸人のソロアルバム『月虹(げっこう)』のサンプル盤を聴いた(M&I阿部さんありがとうございます!)。
今回のアルバムは、基本的に唄三線のみの独唱アルバムで、「浜千鳥」以外は八重山民謡オンリー。中には「大浦越路節」「月ぬまぴろーま節」など、大節も多く含まれていて、かなりの意欲作。
師匠は、「幸人はよっく研究してるな。相当唄いこなしている」「相当自信がないと唄三線だけのアルバムはだせない。笛の入れ方も面白い」と絶賛していた。もちろん細かいところで師匠の唄い方とは違うが、それは「白保んちゅはこう唄うか」と楽しめるレベルの差異でしかない。
このアルバムは、新良幸人のキャリアの中で重要な作品となるだろう。幸人を単なるパーシャ(めだちたがりや)の異端者と思っている人も、また全くの革新者として持ち上げる人も、彼の唄の底辺に確かな「民謡の基礎体力」があることにもう一度注目すべきと思う。
彼は「歌は誰のためにあるのか?」という。過去から現在をつなぐすべての人のためにあると同時に、唄うひとそれぞれのためにもあると思う。それだけに、自分勝手に唄ってはいけないし、その中で自分と唄の関係を見つけて行かねばならないと思う。
彼はこのアルバムで自分なりの答えを示そうとしたのではないかと思う。
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こだわってゆきたい
2003.10.08
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コンクールの後、息付く間もなく箆柄暦の営業活動を続ける。これまでフリーで配布してきたが、無料で配布できる数の限界を迎えようとしている。いや、二万部という発行部数はとっくに限界を越えているのかもしれな。
これをもっと発展させるため、どうしたらよいのか模索は続く。無料配布店では限定部数が終了するとそこで配布が終了してしまう。ひとつの方法として、一ヶ月間確実に入手できるように、100円での販売の可能性を探っている。
そこで良く言われるのが、「カラーだと見栄えがするのに」「お店の情報やクーポンがあれば」「地図が入っていれば」といった意見だ。もちろんそれも悪くないとは思うが、そうした物は他にもある。
たった一枚の紙に、如何に安く大量の情報を載せるのかというテーマで、無駄な物を削って絞り込んだのが今の形なのだ。
出来るところまでこのスタイルにこだわってゆきたい。
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ひとりではない
2003.10.07
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厳密に言えば、審査の内情は口外すべき物ではないのだろうが、師匠同士では漏れ伝わってくるらしい。気を取り直してお稽古に行くと、師匠から「あんた以降が不合格だった」といわれた。ホントかどうかは分からないが、この差をほんの少しととらえず、きちんと受け止めないといけないなと思った。
今回のコンクールでも、去年新人賞に合格して今年優秀賞に合格したという人もいたが、一、二年置いてから次の賞を受けるのが普通らしい。そういう意味では急ぎすぎていたのかもしれない。連続して合格した人の中には、高校生もいたが流石に若い人は伸びるのが早い。
お稽古の後、ひとり残念会のつもりであまんかいに立ち寄る。すでに不合格の一報を聞いていたシルビオさんが「コンクールに出たことで、君はすでに何かを得て大きく前進している」と言葉をくれた。試験やコンテストなど、様々な音楽体験をしてきたシルビオさんの言葉だけにまた格別だった。
シルビオさん一家のお陰で、ひとり残念会のつもりが、ひとりではない残念会になった。今夜もほっとするあまんかいの夜だった。
追記:
みなさんから「残念!」のメールを頂きました。ありがとうございます。確かにコンクールは目標であって最終目的ではありません。どんなときでも自分のベストの唄をみなさんの前で披露できるようになりたいと思います。
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事実はそれだけ
2003.10.06
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一夜明けて、八重山毎日新聞を見る。合格発表の瞬間の写真と、合格者全員の名前も掲載されている。「ああ、不合格だったんだなぁ」という実感が湧いてくる(嫌な実感だなまったく…)。
今日の八重山は朝から天気が悪く、雨が降っていた。東京から受験しに来ていた友達と朝方まで飲んでいたのでとにかく気分は最悪。それでもその友達と、県立図書館の八重山分館で八重山古謡の文献とかを漁りに出かける。
「沖縄芸能大鑑(1983年月刊沖縄社刊)」という本に、大浜安伴先生の文章が載っていて、なるほど自分たちの習っている唄の根本はこういうことなんだなと思った。
さて、この期に及んで「それでも出だしで躓いたけど最後まで唄えたので良しとしよう」という気持ちがまーだあったが、あーがやー自宅に帰ってコンクールの自分の演奏が録音されたテープを聴いてそれも吹っ飛んだ。こりゃだめだ…。
三味線はガチガチでたのーるの欠片もない。唄もぜんぜん唄い廻しが出来ていない。「優秀賞からは情(なさけ)も入れんといかんよ」と何度も聞かされてきたが、身体が機械的に再生した唄に気持ちが入っているはずがない。
師匠曰く「あんたは声があるし音程も上がるから普通の人は上等と思うだけ」。こうなるとその声を活かそうと高い調弦(6)を選択したのも裏目に出ていた。三線はペンペンと耳障り、唄は響きが無い分細かい節回しのズレが丸裸になって現れていた。
ともかくこれですっきりした。自分の演奏は全然優秀賞には届いていなかった。事実はそれだけ。
早速、課題曲六曲を弾いた。なんだか新鮮に感じた。
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慢心を悔いた
2003.10.05
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結果は不合格。
まったく自覚がなかったが、弾き出したらかなりのぼせていた(あがっていた)。「赤馬節」の唄待ちをひっちゃき(弾き損じ)してしまう。爪の先に感覚が行かない。途中もただ唄うのが精一杯で唄いこなすどころの騒ぎではない。「小浜節」はまあまあ持ち直したが、少し拍子が速かった。
演奏が終わってすぐ師匠がやってきて。「なんでのぼせるか。あんたにはああ上等な唄だなと審査員に思わせるくらいの唄を期待しとったのに。結果は見なくていい。この唄では通らない」といわれた。
その時は事態が良く飲み込めておらず、「唄待ちはひっちゃきしたが、通らない程ひどくは無かっただろう」程度に思っていた。会場にいた教師クラスの先輩や知人からも「唄待ちだけだから大丈夫よ。唄は上等だった」といわれたので、まあ師匠の批評はいつも辛口だし、差し引きしてなんとかいけるかなと思っていた。
しかし優秀賞は甘くはなかった。結果発表に私の受験番号はなかった。
結果を前に呆然としながらも、終わってみれば原因は明らかだった。この際恥の掻きついでに正直に告白しておく。「自分は結構上手い方だ。普通にできれば充分合格だろう。優秀までは結構行けるもんだなぁ」と思っていた。はじめから合格したような気持ちで臨んでいた。必死さが足りなかった。慢心を悔いた。自分に負けたとしか言いようがない…。
反省会の席はきつかった。いまさら何を話しても言い訳にしかならない。お開きになった後、師匠に付き合ってもらってもう少しサシで飲んだ。「一番わじわじしているのはボクだよ」という師匠の言葉が痛かった。
この悔しさ、情けなさはもう味わいたくないと心底思った。今日はこの気持ちを深く胸に刻んで、明日からまたやり直しだ。
合格されたみなさんおめでとうございました。
合格者発表会頑張ってください。
最後に、合格には届かなかったけれど、一緒に優秀賞を受けた兄弟子の堂々とした演奏ぶりに敬意を表したい。良い唄でした。
追記:
「情報やいま」を発行している南山舎に箆柄暦を持って遊びに行った。何度かお邪魔しているが、初めて代表の上江洲儀正さんにお会いして貴重なご意見を頂戴した。突然の訪問なのに快く対応していただき、有り難うございました。
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同じ思いに
包まれながら
2003.10.04
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午前中の便で八重山へと旅立つ。初めて実際にゆいレールで空港に行き旅立つという経験をしたが、かなりの快適ぶりに驚く。昼前には石垣空港へ到着。
ホテルに荷物を置いてから、コンクール会場の石垣市民会館へ向かう。今日は新人賞の審査の日。会場ではすでに審査が始まっており、周辺に三線の音が響く。優秀賞の審査は明日だが、早速市民会館向かいの新栄公園で練習開始。調子は悪くない。
東京時代に一緒に大山泰則先生に学んだ仲間にも再会。お互い優秀賞の審査を受ける。久しぶりに一緒に弾く。しばらくぶりの合唱が楽しい。近況を話したり、お互いの唄い方の違いについてあれこれ話すのも楽しい。
新人賞の受験者は90人あまり。大底春男教室の新人賞挑戦者一人。仙台からの知人や、昨年惜しくも合格できなかった後輩など、何人かの審査を見た。みんななかなか健闘していた。会場で審査を見ていると、緊張感が高まってきた。
今日の審査が終わってから、大底教室は「はなんまやー」でひと息つく。明日、大底教室からは、私も含めて三人が優秀賞の審査を受ける。今年の審査発表は、最終日にまとめて発表される。全員合格して、祝杯を挙げたいところだ。
会場にいると、それぞれの受験者にそれぞれ積み重ねてきた時間がある事を感じる。しかし今夜は、石垣に集まった受験者達みんなが、同じ思いに包まれながら夜を迎えたことだろう。
この一年間の成果がどうであったか、明日結果がわかる。
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やいまぬかじ
2003.10.03
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石垣で「第29回八重山古典民謡コンクール」が始まった。今日は最優秀賞の審査と審査発表が行われた。
昨年は自分が審査を受けた新人賞を含め、すべての日程を見学したが、今年は自分が審査を受ける優秀賞と、前日の新人賞のみとなる。とにかくいよいよの石垣入りだ。
昨年のコンクールで知り合った人たちや東京から審査を受けに来る友人との再会も楽しみ。去年優秀賞に合格した石垣のわらばーたーは、最優秀賞に合格できただろうか?
久々のやいまぬかじを、やふぁやふぁと感じてきたい。
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これで待ったなし
2003.10.02
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調子の良いときこそ気を付けねばと分かっていたのに大失態。忙しさにかまけてしまった。しかし過ぎてしまったことは取り返せない。もう一度最初から誠意を尽くしてやり直しだ。(以上独り言)
さて、大底研究所は火曜日と木曜日が稽古なので、今日がコンクール前の最後の稽古となった。各自のチェックポイントに気を付けながら弾いてゆく。結局問題の部分は一番最初の頃から変わらない部分だった。
押さえるところと上げるところ。中舌音や伸ばし音の発音。幹の部分のゆがみはなかなか直らない…。「あんたの唄はなかなか良くお稽古してあるが“八重山の香り”が足りない」といわれてしまう由縁であろう。島人が持っている、ナイチャーが学んでも得難い部分を「島人の宝」というのだと思う。
互いにひとしきり弾いた後、最後に一番の兄弟子が弾いた。いつもはあまり自分を出さない人だが、今日は自分から申し出て、最後にもう一回といって弾いていた。いつにも増して丁寧に弾いているように感じた。聴きながらなんだか緊張した。
ともかく、これで待ったなしだ。
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工夫の余地
2003.10.01
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コザのコリンザで『あしびなー水曜劇場』という企画が始まった。第一回目は「オリジン&O.Z.E」のお笑いライブだった。会場はもちろんコリンザの中の「市民小劇場あしびなー」で、お客さんはほぼ満席だった。昼間慌ただしくすごしたので、夜は少し笑ってぶがりのーししたかったが、ちょうど良かった。
「市民小劇場あしびなー」には初めて足を踏み入れたが、かなり上等なハコだった。音響や照明はしっかりしているし、シートも柔らかくてゆったりして見やすかった。
ただ、出し物が終わってすぐ22:00までに駐車場を出ないといけないというのは何とかならないだろうか。沖縄ではよく出演者と観客の垣根が低いと言われるが、これだと終演後に出演者と交流する時間もない。
また、館内に飲食出来るところが無い。開演前のちょっとした時間に食事をしたりお茶を飲んだりしたかったし、終演後にせっかくの夜景を眺めながらビールを飲んだりできたら良かったのに。
パークアベニューも、平日のせいかひっそりとしていたが、水曜劇場と連動したサービスデーを設けるなどしても良いのではないだろうか?
せっかく始まった『あしびなー水曜劇場』なのだから、この日ばかりはもう少し工夫の余地があると思った。
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