箆柄日記(2003年12月)

良いお年を
2003.12.31
今年もあと数時間となった。

今年はこれまでの人生の中でいちばんの激動の年だった、確実に。様々なことを始め、様々なことを続け、いくつかのことをやり遂げた。やり残した事もまだたくさんあるけれど、それは来年、楽しみながら越えて行ければと思う。

さてと、これからその来年の打ち合わせをして、カウントダウンライブへとなだれ込むこととなる。

それではみなさま良いお年を。

追記:
まだちょっとだけ早いけれど、TOPページを正月バージョンにしてでかけます。


弾き納め
2003.12.30

箆柄暦『一月の沖縄』の配布とか打ち合わせなど、諸々で忙しくて今日もお稽古へ行けそうもない。それでもどうしても師匠に挨拶だけしておかねばと、昼間少しだけ顔を出しにいった。

ジュネでそばだけ食べてご無礼しようと思っていたが、30分だけでもと思い、師匠にお付き合いいただいた。「赤馬節」と「浦ぬぱな節」のお浚い弾きが、今年の弾き納めとなった。

弾き納めで確認したこと。「低い調弦の時でも低音がしっかり抑えられるように注意すること」「打ち出しの音までめいっぱい息を吸って息継ぎを長くすること」「あー音のように息が漏れやすい音は引き付けるように唄い、息を浪費しないこと」。今年も結局同じ課題が残ってしまったか…。

ひとつひとつの事を注意して弾くと出来ないことではなかったりする。あとは曲を弾いてゆく流れの中で、それぞれのポイントを意識しながら実行できるかが問題。曲に対する理解と集中力。つまりは“民謡の基礎体力”。それは意識しながら数多く弾きこなす事によって、本番で無意識に出来るようになるのだろう。

今日はムーチーでもあった。今年は年に二回ムーチーが有る珍しい年だった。ムーチーを頂いて次の打ち合わせの場所へと向かったのであった。

追記:
新良幸人『月虹(GEKKOU)』のジャケット撮影が行われた某Barを教わり飲みに行ってみたらなかなかよいBarだった。70年代のROCKとかを中心にかけていたが、いきなり上田正樹と有山淳司の名盤『ぼちぼちいこか(1974年)』がかかったときはびっくり。さてはウィーピングハープ妹尾隆一郎さんの話とかしていたからか。そういえば妹尾さんの奥さんの妹尾みえさんがはなまるテレビに出たときもびっくりしたけど。


それなりの決意
2003.12.29
CLUB D-setにパーシャクラブの年末ライブを観に行く。

開場前に20名余りが並んでいる。半分くらいは県外からのお客さん。東京や長野から、はるばるパーシャのライブを見に沖縄までやってきたみなさんだ。中には先日の台北ライブに足を運んだ強者もいた。D-setのキャパからして、一割強が内地からの客という事になるのだろうか。

今日のライブは、パーシャにとって10周年の記念ライブ。前半はごく真面目に演奏が続いたが、途中幸人が舞台から消えたと思うと、虎の全身タイツを着て戻ってきた。しかもメイク付き。もちろん会場は爆笑。最後まで虎姿で演奏は続いた。

新良幸人の事を、物も言わない気むずかしい人と思っている人もいるようだが、ライブを見たことのある人ならそれが誤解だとわかるだろう。天才的MCセンスからくり出されるトークは、ファンにとってライブの楽しみのひとつだ。

だからといって、ただバカをやっているわけではなく、その中に彼の沖縄音楽や世情に対する、辛口の視点や、信条がちりばめられている(ちょっと大げさか?)。笑いにまぶしているものの、きわどいネタが飛び出すこともある。それはそれでそれなりの決意が要ることのはずだ。

D-setは、ステージのトイ面の壁がガラスになっている。そこに写る虎姿の自分をみてやりづらいと言っていたが、やたら嬉しそうだったのが印象に残るライブだった。目立ちたがり屋の精神と、はずかしがりやなこころが同居する。ミュージシャンとして重要な資質だと思う。

さて、大晦日はパーシャ&カチンバのカウントダウンライブ。
行きます。

追記:
会場で箆柄暦『一月の沖縄』を配布。かなりの人が既知で、しかも都内ではこれを楽しみに配布店に足を運ぶ人もでてきていると知った。そんな風になったらいいなとは思って作ってきたが、実際にそういう現象が起きているということを知って、嬉しかった。


都会の空気
2003.12.28

東京時代からのつきあいで、今は宮古に住んでいる友達が本島へやってきた。久しぶりに会ったが、相変わらず独特のペースのおふたりさんだった。

目的は「たまには都会の空気がすいたくなった」ということだった。ゆいレールに乗って、新都心で買い物をして、大戸屋で定食を食べるのを楽しみにやってきたそうだ。二人も引っ越してはや一年以上経って、すっかり島の人のようなことをいうようになっていた(笑)。

お互い、沖縄の良いところも悪いところも見えるようになってきた時期だと思う。沖縄暮らしの体験談などをまじえ、なぜここに来たのか、なぜここに住むのか、これからずっと住み続けるのか、自問するように語り合った。

ナイチャーが集まるとこういう話を良くする。ウチナーンチュが端で聞いていたら、「だったら帰れば(怒)」と取られてしまうような話も出てくる。けれど、そうした話には、「こうしたらもっと住みやすくなるのになぜこんなことしてるんだろうね」という素朴な疑問が根底にあるのだ。

ところで、長らく東京へも行っていないが、都会の空気はどんな感じがするのだろう。人間の身体は、約三年で完全に細胞が入れ替わるというけれど、半分強入れ替わった身体がどんな反応を示すのか、見てみたい。

追記:
宮古の友達は大晦日にドイツ村のカウントダウンライブに出演するそうだ。くわえタバコでキレの良いギターを弾くナイチャーがいたら、応援よろしく。ギター上等です。それと、箆柄暦『一月の沖縄』をアップしました。みなさまどうぞご活用下さい。


オフ会みたい
2003.12.27
年末で慌ただしい壷川の中央郵便局で箆柄暦の発送作業。東京担当が来沖中ということもあり、今月はいつもより郵送での配布が増えた。送料がかさむのは痛かったが、できるだけ年末に間に合わせたかったので思い切って郵送を増やした。

作業は思った以上に時間がかかったが、なかなか楽しかった。梱包作業中に「それなんですか」と聞かれたり、「毎月使わせていただいてますよ」と声をかけられる事もあり面白かった。

週明けには都内でも大口で配布していただいているところでは手に入るはず。年末年始のイベント情報が厚くなっているので、是非とも手にとってご覧頂きたい。来沖の際はゆいレールの売店でお買い上げいただければ確実。

作業が終わって「しまーBAR天地」でぶがりのーし。ここに行くとついついパソコン通信時代のFOKINAWAの昔話とかになってしまい、お決まりの流れでDTP黎明期の苦労話に話が及んでしまったりする。

昨日は編集、制作、製版屋さんと、DTPには縁のある人が揃ってしまったのでなおさら。なんだかオフ会みたいだった…。


もっともっと表で
2003.12.26
箆柄暦の東京担当が来沖。何をしに来たかといえば、そりゃ毎日のようにライブを見に行く予定が元旦までぎっしり。たいしたものだ。

東京担当は基本的には評論をしないというスタンスだが、おそらく沖縄音楽評論家として活動されている方々に負けないくらい、県内外での沖縄関連のイベントに参加している。しかもほぼ自腹で。

そんなこんなで沖縄の音楽関係者にも顔が広い。その顔の広さのお陰で、箆柄暦の最新号では、沖縄関係のミュージシャンや芸人さん20名から、お正月のひとこと挨拶を集めることが出来た。

コメントを頂いたみなさんにはもちろん感謝しているが、いつも豆に動いてくれている東京担当にはほんとうに感謝している。まったくその行動力にはいつも頭が下がる。

そうやってあまり利害関係もなく沖縄のミュージシャン達と付き合っているせいか、人脈の輪は更に広がり続けている。見ているとわらしべ長者のようだ。

やがて沖縄の音楽を紹介する仕事でもっともっと表に出てくる人だと思う。箆柄暦も表といえば表かもしれないけど、もっともっと表で。


それを芸で示すこと
2003.12.25

やっぱり『新春民謡紅白歌合戦』は、生で見たら面白かった。

会場の沖縄市民会館に到着すると、入口の前は人で埋め尽くされていた。良い席を取ろうとみな少し興奮気味。「座れますから絶対に走らないでくださいね〜」というスタッフの注意も耳に入っていない様子。「中に入ったらお正月の気持ちになって下さいね〜」という注意は微笑ましかった。

さて、私は武三さんの取材なので楽屋口から中へ。本番前の楽屋は殺気立っているかと思えば思ったほどでもなく、むしろ和やかな雰囲気。久しぶりにみんなが顔を合わせて、年に一度のステージに向かうといった感じだった。

さっそく武三さんの楽屋へ向かい挨拶。この部屋だけは緊張感が漂っていた。それもそのはず、本番を見て驚いたが、紅組応援団長の武三さんと松玉枝さんは、出番の度に毎回衣装を替えるつもりだったのだ。詳しくは本番を見てのお楽しみだが、お弁当を食べる暇もない忙しさだった。

収録は、オープニング、曲紹介から唄、出し物のように、大まかにカットわりしながら進んでゆく。トラブルがあると撮り直す。コンサートをまる録りするライブビデオの収録とはちょっと違っていて面白かった。

楽しみにしていた、新良幸人初出場シーンは後半のトップだった。黒のパンツに真っ赤なシャツで登場した幸人は、オーケストラの人に音をもらって調弦を確認するとマイクの前に立った。唄ったのは「仲筋ぬヌベーマ」。彼を慕う若手がオリジナルを唄ったのに対し、笛と囃子だけを従えて八重山民謡の難曲を持ってきたところが如何にも幸人らしい。意表を突かれた観客は唸った。

幸人の唄からはいろんなメッセージを感じた。後輩へのメッセージ、八重山にいるお父さんへのメッセージ、沖縄民謡界に対するメッセージ。自分の心の中にあるものを、一曲の唄の中に込めて伝える。唄者にしかできないかたちで、彼は彼のうむいを伝えたと思う。

形は違うけれど、武三さんが芝居でやろうとしていることと、幸人さんが唄でやろうとしているところは、共通していると感じている。他にも同じ事を言葉で語る芸人さんは多いが、それを芸で示すことの出来ている人は、沖縄でも少ないと思うが如何だろうか。

ま、堅い話はこれくらいにして、バックステージで『天縁』以来ずっとファンだった玉城一美さんにも会うことが出来た。役得、役得。

追記:
糸満までインフルエンザの予防接種に行ってきた。残り6人分。危ないところだった。ついでに糸満市役所を見学。食堂でランチを食べようと思ったら、併設のレストランはバイキングのみで880円!? 職員のみなさんは隣の売店で弁当を買っていた…。環境を考えて省エネ設計が売りの市役所なのに、健康問題、ゴミ問題への矛盾を感じつつも弁当を買って海の見える屋上で食べた。


正月の風物詩
2003.12.24
データを入稿した後、たぶんこのあたりかと思い電柱通りへ入るとすぐにボーダーインクは見つかった。

通りがかりで失礼とは思いつつ、挨拶だけでもと思い、思い切ってドアを開けてみる。突然の訪問ながら、新城和博さんに対応していただいた。先日の新良幸人ライブの感想や、一合瓶ライブの昔話などでしばし雑談。

「ところで明日の新春民謡紅白歌合戦は行きますか?」と聞くと、新城さんは昨日の箆柄日記を読んでいて、「民謡紅白ってうちなーんちゅはそんなに意識してないよ(笑)」といわれてしまった(汗)。親戚周りの元旦の午後のひととき、なんとなくテレビから流れている。そんなあたりまえすぎる正月の風物詩みたいな存在なのだそうだ。

そりゃそうか、大晦日の本家NHKの紅白歌合戦だって、確か人気番組ではあっても、イマドキみんなそんなに入れ込んでみているわけでもないか。でも、ナイチャーからすると、地方局にこういう伝統的な人気正月番組があって、それを企画できるだけの出演者がいるということだけで驚きなのです。

私は、武三さんが紅組応援団長で出演するので取材で行くけど、じつはそれほど出演者に対する思い入れはない。幸人さんが出るというのでそれは楽しみだけど。全体的には本家紅白に対する期待値くらいか。

でも生で見ると、結構面白かったりするんだよねぇ
沖縄のこういうのって。

追記:
ボーダーインクのパソコンはWindowsのみという割り切りの良さだった。編集に特化するという姿勢は出版社のあり方としてある意味手堅い。が、デザイン・組版のテイストの謎もこれで解けた。(生意気書いてごめんなさい)

追記の追記:
2004年の一合瓶ライブは6月19日CLUB D-setに決定。全国のみなさん、万象繰り合わせのうえ参加をオススメする。あかぎ亭ライブの日程も聞いたけど、これは伏せておくのでボーダーインクのWEBで嗅ぎつけて。


当日のお楽しみ?
2003.12.23

沖縄市民会館で、25日にRBC『新春民謡紅白歌合戦』の公開録画が行われる。県内の人気唄者が集結するこの番組は、元日の午後に放送される新春の看板番組だ。県外でも年輩者を中心に番組を楽しみにしている人が多く、県内の親戚に録画を頼んだりするほどだ。

今年は何と、これまで民謡紅白歌合戦のような民謡番組には出演しなかった(余興の踊りとかでパーシャの曲が使われていたことはあったが)、新良幸人も出演する。先日のライブでは「そろそろ親孝行しとかないといけないと思ってからに…」と語っていた。

他にはどんな人が出るのだろうと思い、RBCのWEBを見てみるが、出演者はおろか番組の紹介すら掲載されていない。一体どういうことなのだろう。NHK『紅白歌合戦』のように、立派な番組公式サイトを用意しろとはいわないが、出演者と曲目くらいはアップされていてしかるべきではないだろうか。

もしかして当日のお楽しみということか?

ちなみに下記は2003年元日放送の出場者。

  紅組     白組
 でいご娘   ザ・フェーレー
 神谷千尋   池田卓
 玉城一美   前川守賢
 仲田正江   仲宗根豊
 浦崎ヤス子  本竹裕助
 古謝美佐子  仲本晶盛
 乙女椿    田場盛信
 我如古より子 神谷幸一
 饒辺愛子   大工哲弘
 大城美佐子  上原正吉


周回遅れ
2003.12.22
箆柄暦の新年号はちょっと凄いことになっている。人間ってやれば出来るモンだよな。内容は見てのお楽しみということにしておこう。出来上がった物を見れば「こんなのやろうと思えばだれでも出来るよ」といわれそうだが、「だったらやって見ろ」といい返せるだけのことはできたと思う。

もしも本当に「こんなのやろうと思えばだれでも出来るよ」というレベルの物だったとしても、まずやってみよう思えた時点で、やらなかった人より前に進んでいる。やった時点で更に前に進んでいる。

やらない人は誰でもできるというけど、自分自身はどうかということを確かめていないではないか。やろうと思うときはいつ来るのだろう。そんなことを言っている暇があったら、ひとつでもふたつでもやってみたらいいのに。こっちは、やってみようと思ったことの半分も手が付けられなくてもがいているというのに。

かつて自分も「誰でも出来ると」といっていた人間の一人だった。だからいま、周回遅れで必死こいて走っている。でもなんだって始めたときが始まりなんだから、今これを始めないともっと周回遅れになってしまう。もっと早くに始めれば良かったと、思い返すのももどかしい。

あ、ただし、もちろん自分一人の力で出来たわけではないので、一緒に手伝ってくれたみなさんに感謝。完成までもう一息。


長らく品切れ
2003.12.21

最近「『声楽譜附八重山古典民謡工工四』を探しているのだが見つからない。どこで手に入るのか教えて欲しい」というメールがよく来る。

この工工四は版元でも品切れとなっていて、店頭在庫もほとんど見かけることはない。只今改訂版の編纂作業中で、改訂版が完成するまで増刷できない状態が続いているのだ。

この改訂作業も長らく続いているので、その後改訂作業はどうなっているのかと思い、八重山古典民謡保存会の先輩に問い合わせてみた。もう作業は終わっていて、印刷にはいるところだというが、この答えもだいぶ前から同じ。実際はどうなのだろうか。

しかも、改訂作業が終わったのは上巻のみで、下巻はこれかららしい。せめて下巻だけでも早々に増刷してもらえない物だろうか。八重山古典民謡保存会の一番の拠り所となる工工四が長らく品切れというのはちょっと悲しい。


当たってないけど
面白い
2003.12.20
今日は大底春男研究所の忘年会。年末の慌ただしい中、門下生が集まって鍋を囲んだ。八重山古典民謡保存会の教師で、春男先生とは同時期に大濱安伴先生の指導を受けていた、大泊克さんも来た。

克さんは白保の出身なので、今年話題になった『白百合クラブ東京へ行く』の話題をふってみた。白保というのは確かに音楽で楽しむのが好きなところで、克さんの家にも、毎日人が集まっては三味線を弾いたり唄ったりしていたそうだ。その中には新良幸人さんのお父さんの幸永さんもいたそうだ。

安伴先生の稽古ぶりの話も聴くことが出来た。やっぱりかなり厳しかった様子で、みんな緊張して稽古していたそうだ。克さんが入門した頃、春男先生はしばらく休んでいて、入門してしばらくしてから春男先生との出会いがあったそうだ。

張りつめた空気のお稽古場に突然登場したと思ったら、いきなり安伴先生から「春男、あがろーざ唄え」と言われて唄いだし、唄い終わると「春男のあがろーざは当たってないけど面白い」と褒められて、この人は誰なんじゃ? と呆気にとられたそうだ。(当時春男先生はまだ優秀賞取ったあたり)

みんな安伴先生が厳しいので緊張しているのに、春男先生は平気で「安伴先生。先生の唄い方は工工四と違ってるよ。なんで書いた人の唄い方が違っているか」と質問したりしたそうだ。それでまたびっくりしたらしい。

今は大人しい小柄なおじぃといった風だが、若い頃は身体は小さいのにいうことは言うし、荒っぽい連中が店に押し掛けても一歩も引かない、肩で風切る漢っぷりだったそうだ。

そんな頃の春男先生を見てみたい気もするが、
入門していたかはわっからんな…。


凄いこと
2003.12.19

世の中次々と新しい技術が出てくるけれど、それに対する期待値というかイメージは年齢によるギャップがあると思う。

インターネットを使って動画配信とか、携帯を使ってお店情報検索とか、地上デジタルで双方向とか言われると、もの凄いこと(らしい)と思ったりする人もいる。あるいは、もの凄いことということにして稼ぎたい人もいて、凄いことがひとり歩きして増幅したりするからやっかいだ。

世の中そんなに凄いことはそうそうなくて、ホントは凄いことでもマスコミに採り上げられる頃には凄いことでなくなっていたりする。どのあたりで気が付くかにもよると思うけど、その速度の差が年齢と関わっているような気がする。

早く気が付く力は、若い感性とかも関係はあると思うけれど、結局時間の使い方の問題のような気がする。時間が上手く使えていると、いろんなことに目を向けたり、人との繋がりが増えたり、移動できたりして、いろんなことを知るチャンスが増える。

若いうちは思うがままに時間を使えるのだが、年齢がかさむと、背負うモノが増えてきて、そうした時間の取り方が出来にくくなるのではないだろうか。

忙しくて今日はそんなよしなしごとを日記にしておこう。


逃避しての至福
2003.12.18
宮里三線店へ注文していた三棹の三味線の仕上がりを確認に行く。

35,000円の予算で発注。棹は沖縄県内で削った県産品で、材質はカリン。張りは二重張り。ケース、爪、換え弦付き。初心者向けの構成としては標準的なところだと思う。

東京時代の三線の大先輩からの依頼だったので、仕上がりに期待していたが、なかなかに悪くない出来でニヤリ。宮里さんの二重張りはかなり良く鳴るし、余韻もこの値段なら充分以上だろう。

しばらく、かわるがわる弾いてみたが、三棹とも同程度の仕上がりで遜色なし。これなら気に入ってもらえることだろう。

気分良くお稽古へ。三味線の仕上がりがよかったことや、昨日、一昨日たっぷりと耳ぐすいを頂いたせいで、久しぶりに気持ちが乗っていた。心なしか久々に弾いていて手応えがあった。音程の動きもよく見えていた。

優秀賞の課題曲の細かいところをじっくり見ていく。どうやら師匠が「音程が抑えられていない」というのは、低音が出ていないという意味ではなく、下げたあと揚げるまでのこらえが足りないという意味だとわかる。本日の発見。

課題曲の他の曲もやろうと言うことになって「揚古見ぬ浦節」を教えてもらったりした(分かり易い奴)。新人賞を練習する後輩の番では「月夜浜節」を重点的にお浚い(さらに分かり易い奴)。次はそろーりと「月ぬ真昼間節」か…。いやいや、まだまだ焦るまい。

たまっている仕事からしばし逃避しての至福の時であった。


まったく違う印象
2003.12.17
ハーベストファームの野田隆司さんのご厚意で、ハシケンのライブを見ることが出来た。

彼のライブをきちんと見るのは初めてだったが、演奏を観るのは初めてではない。2001年の一合瓶ライブで何曲か唄うのを見たことがある。この時の印象は、とんがった感じで、自分ペースな演奏だったような記憶が残っていて、その後積極的に聴くことはなかった。

それでも機会があればきちんとライブを見なければとずっと気になっていた。縁有ってようやくライブを見ることが出来たが、今回見た彼からは、まったく違う印象を受けた。

一曲一曲、丁寧に力強く演奏してゆく姿に真摯な物を感じた。ボーカルはパワフルで伸びやか、音程も良くコントロールされていて包容力を感じた。楽曲の変幻自在さも心地よかった。客席との間合いの取り方もほどよく、以前感じた自分ペースな印象はまったく受けなかった。

パーカッションのヤマサキテツヤの演奏も上等だった。確かなテクニックと、楽曲を支える適切な鳴り物選択のセンスは抜群だった。かなり派手に叩く場面もあったが、バッキングとしての領分を越えることのない微妙な抑制も見事だった。もちろんハシケンとの息もよく合っていた。

客席の一番前には、照屋政雄さんが来ていた。ハシケンの三味線の師匠だ。政雄先生、かなり弟子の成長ぶりが嬉しかったようで、最後の方で目頭を押さえていたように見えたのは勘違いだっただろうか。アンコールでちょっとだけ嬉しそうに唄ったのが微笑ましかった。師弟愛。

自分の三年前の印象は勘違いだったのだろうか。それともこの間、ハシケン本人が大きく成長したのだろうか。いずれにしても、ホントにいいものを見せていただいた。

まさに、「男子三日会わずんば即ち刮目して見よ」。
今日のキーワードも「成長」であった。

追記:
野田さんにお願いして今日のライブを見る機会を作ってくれた友達に感謝。彼もメディアの人間の一人として音楽と取り組んでいるのだが、「沖縄はなんでこういうライブにもっと客が集まらないのだろう…」と語っていたが、同感。


定点観測
2003.12.16
リウボウホールで行われた、『新良幸人ライブvol.71』に足を運ぶ。気が付けば、今年リウボウホールでのライブは五月以来の三回目。例年ならこの倍はこのホールで演奏している。ことし彼が如何に忙しかったかが分かる回数だ。

久しぶりに観たライブの感想は、ひとこと「安定感が増していた」。三線の音に対し、唄がしっかりとのっていて隙がない。だからといって演奏の奔放さが失われたわけではなく、むしろ柔軟になっていた。この半年の間に行われた全国各地(及び台湾)でのライブや、レコーディングの成果といえよう。

オリジナルから大節まで、しっかりと唄い込まれ、彼の唄となっていた。初めて見に来た人には、どの曲がオリジナルでどの曲が八重山民謡なのか区別が付かなかったようだ。そんな声が客席から聞こえてきた。

それにしても、新良幸人のリウボウライブに足を運ぶのは何度目だろう。このライブに足を運ぶといつもほっとするのは何故だろう。観る度に演奏は進化しているものの、彼のスタンスがまったく変わらないからではないだろうか。もう何年も前から持っている志をずっと持ち続け、変節することなく磨き続けている、そんなミュージシャンは沖縄の中でも彼だけのような気がする。

いつも少しずつ前に進んでいなければ、いつ見ても変わらずそこにいるようには見えない。リウボウライブはそれを定点観測できる節目のような気がする。

追記:
会場での箆柄暦の配布を快諾していただいたハーベストファームの野田様に感謝。また、隣り合わせたお客さんは毎月東京でご覧頂いているそうで感謝。ようやくRIKのKUWAさんとも知り合えて良かった。


風音(ふうおん)
2003.12.15
先日まるみかなーで出会ったシグロのスタッフの方から『風音(ふうおん)』の試写会のご招待を頂いた。原作・脚本、目取真俊。監督、東陽一。舞台挨拶のような物はなかったが、会場には清吉役の上間宗男さん、耳切おじー役の治谷文夫さん。清吉の母役の富田めぐみさんの顔も見えた。

富田めぐみさんといえば、『パイナップル・ツアーズ』で、新良幸人の相手役の由美子を演じた女優さん(すんません変な紹介で)。最近は県産業振興公社の経済番組「沖縄ベンチャースタジオ」の司会で見かけたりしていた。テレビで見るよりもきれいな印象だった。

さて、上映後、清吉役の上間宗男さんが短い挨拶に立った。上間さんは本部町具志堅区の区長さんだそうで、決して上手くはない挨拶ながら、その語り口は映画の中の役柄同様に存在感が有り、映像の中よりは饒舌だった。

58年前14歳だった上間さんは、実際に浜辺に流れ着いた兵士を見ていたそうだ。首や足のない陸軍の軍服を着た白骨化した遺体を、具志堅(集落)のオバーたちが葬ったそうだ(参考:大弦小弦)。

そうした体験が映像での存在感につながっていたのだろう。

2004年3月3日に那覇市民会館で完成記念上映会が予定されているとのこと。


次の決断
2003.12.14

引っ越し先をさがしていた頃の資料を引っ張り出して見返している。部屋探しをしていたころの記憶が蘇ってくる。十件以上の不動産屋を廻った。沖縄の不動産屋さんは間取り図を用意していない場合が多く、方眼目のジャポニカ学習帳に自分で書いた間取り図が生々しい。

思えば、部屋探しはどんな沖縄生活をしたいかを自分にといかける作業だったと思う。自分の場合、何をしたいという具体的な目的がハッキリした引っ越しではなかったので、どんな生活をする場所を探すのかというところから考える必要があった。ハッキリした条件が無かったので、部屋探しは難航した。

で、見つけた部屋は、逆説的だが、どんな沖縄生活をしたいのかを探すための部屋だったと思う。その意味では条件を満たした部屋だったとおもう。決して自慢できるようなきれいな部屋ではないけれど、今の七転八倒の暮らしを充分支えてくれている。

ところで、今年はいったいどれくらいの人が沖縄に越してきたのだろうか。その中でどのくらいの人がハッキリとした目的を持ち、そしてその目的を達成できるのだろうか。

この部屋を出てゆく時は、私も何か次の決断をするときに違いない。この暮らしをまだまだ“長い旅行の途中”としか言えないのは少々情けないが、旅はまだ終わりそうもない。


続いている模合
2003.12.13

今日は模合だった。模合といっても正式に参加しているわけではなく、友達が模合で集まる席に混ぜてもらっているだけなのだが。

この模合はメンバーが高校卒業してからずっと続いている模合だそうだ。ということは、高校時代の仲間とずっと月に一度集まって、お互いに年を重ねてきたと言うことだ。

その間、内地に行ったり帰ってきたり、仕事に着いたり辞めたり、結婚したり子どもができたりと、メンバーにもいろんなことがあっただろう。というか、いろんなことをお互い励ましたり、相談したりしながら越えてきたのだろう。

この模合はいつまで続いてゆくのだろう。これからもずっと連なってゆくのだろうか。大学進学以来、地元を離れてくらしている私には、まったく想像できない人間関係の濃密さだ。

そうはいいながら、この模合に顔を出す切っ掛けとなった友人とも、15年以上のつきあいか…。地元の友達とのつきあいよりずっと長くなってしまった。

時は流れ、遠くまで来た。


祝・開設一周年!
2003.12.12

三線情報『箆柄(PIRATSUA)通信』も、開設一周年を迎えることができた。11月12日の『週刊沖縄ふぁん』復刊一周年に続く快挙である。

この間、いろんな形で情報を発信してきた。汲めども尽きぬ沖縄の面白さもさることながら、自身の変化してゆく様が、同じ日常の見え方を変えてゆくことを強く感じる日々だった。

お付き合いいただいた読者のみなさまに感謝すると同時に、よくも毎日日記を欠かさず、メルマガも休むことなく発行してきた物だと我ながら驚く。書き殴ってきた文章の量は、自分の人生の中でも最高だった一年に違いない。

あまり参考にならないかもしれないが、沖縄生活のひとつのケーススタディとして、これからもお付き合いいただければ幸いである。


生活の場
2003.12.11

沖縄でも寒い日が続いているが(最低気温16度でも寒いは寒いのだ)、喜納住宅開発さんに取材に行ったら、ここ何年かは避寒のお客さんが増えているという話題となった。

中には三ヶ月くらい滞在する人もいるそうだ。そういう人にとっては、沖縄はふたつある住む場所のひとつで、完全に生活の場ということになる。もちろん嫌いなら住まないだろうが、沖縄好きがこうじての移住とはまた違う感覚なのだろうと感じた。

さて、その後お稽古へ。ここのところ練習量がずずんと落ち込んでいるため、随所に細かい狂いが生じていて、さんざん注意された。せっかく掴みかけていた感覚も薄れていたり、あまりやらない曲は忘れている。かえって新人賞の曲の方が久しぶりに弾くと間違えないだろうかと緊張する始末。

以前は時間に余裕があったので三味線も好きなだけ弾いていたが、今はあまり時間がとれない。これが今の生活の現実ということだから仕方があるまい。この現実の中でどうやって立て直してゆくかが、技術的なことよりも大きな課題だろう。


「貸」になっている
2003.12.10
再びコザ周り。先日配り残した場所に箆柄暦を置いてまわる。

いつも置いてもらっている店のひとつが「貸」になっている。街の声を聞くと、ここしばらくは店舗の減少も踏みとどまっていたらしいが、ごく最近店をたたむケースがどんと増えたそうだ。

箆柄暦を配っていると、いろんなことが見えてくる。コザの街の暦の減り方やお店の様子を見ていて、ちょっと元気がないなと感じていたが、やっぱりかなという気がした。

いろんなお祭りやイベントで工夫を凝らしているようだが、なにかちぐはぐになっているような気がする。

例えば毎週コリンザで行っている「あしびなー水曜劇場」。出し物のあとにあれこれ語り合える店も開いていない。駐車場は10時に閉まりますと急かされて、余韻を楽しむこともできない。水曜日だけでも、遅くまで店を開けるとかできない物か。

このまま行くと、FMちゃんぷらーとエイサー会館と観光案内所しか開いていない街になってしまいそうな気がした。

追記:
沖縄では空き物件に「貸」の看板が張られていて、そこに書いてある電話番号に電話すると不動産屋さんがやってきて物件を見ることが出来ます。台湾も同じシステムがあって、看板は「賃」でした。


二本の柱
2003.12.09
ひょんなことからボーダーインクさんの忘年会へ。

いきなりWander編集長新城和博さんの向かいの席からスタート。新城さんとは以前まるみかなーでお会いしているものの、じっくりお話しをする機会は初めて。以前から新城さんに聞きたかったことをいろいろ聞けて、なんだか新城さんの取材をしているみたいな気分だった。

やはりいちばん聞きたかったのは音楽の話だった。新城さんの中には、新良幸人とローリーさんの二本の柱があると感じていた。新良幸人については私ももっとも敬愛するミュージシャンだし、まるっとその良さを実感できていると思う。新城さんと意見が一致するところも多かった。(幸人以降沖縄の音楽は「アレンジ」のレベルで進化をとどめているという意見に共感)

問題はローリーさん。私は最初にCDを聞いたときには良さが分からなかった。ライブでの真摯な姿に感じる物があり、いまはライブを見るのが楽しみなミュージシャンではあるのだけれど、新城さんが熱く語るほどに良さを実感できない。どうしてもネイティブでなければ分からない部分があるのではないだろうかという気がしていた。

新城さんにそのことをぶつけてみた。「沖縄の言葉をロックンロールに乗せて沖縄の言葉でなければ伝わらない“うねり”を生み出せるのはローリーしかいない。その“うねり”はうちなーんちゅでなければ感じることができない物かと言えばそうではない」というのが新城さんの意見だった。

幸人の三味の音(しゃみのね)一発が、言葉も八重山民謡の背景も知らない人に感動を与えるように、ローリーさんの生み出す“うねり”がネイティブでない人にも伝わるのかどうか。ローリーさん本人は、伝わるかどうかとか、伝わらなければいけないとか、伝わるように作るべきかとかは、問題にしてはいないような気がする。

それはボーダーインクのスタンスと似ていると思った。

追記:
新城さんがこの日記を読んでいることが分かって、汗…。


東京っぽい
2003.12.08
浦添のコミュニティFM局「FM21」へ行ったら、handsの幸田悟さん(現スーパーバイザー)に出くわす。話をするのは初めてだった。

hands創刊当時から今も、「沖縄からhandsセレクトの面白い情報を発信したいという気持ちは変わらない」と語っていた。また、創刊当初の苦労話などを聴かせていただき、「続けることが大事」と励ましていただいた。

handsはこれまで二回買ったことがある。初めて買ったのは創刊当初で、どんな内容なのだろうかと思って買った。二回目は先月で、沖縄のインディーズシーンの変遷についての対談があったので買ってみた。あとは時々立ち読みさせていただいている。

たぶん県内で編集発行している雑誌の中では最もあか抜けていて、いろんな意味で東京の雑誌に一番近いと思う。東京で編集している雑誌といっても見た感じは見分けがつかないだろう。記事の切り口も東京っぽい。

自分の得意な感じとはテイストが全然違うので、たぶん無いだろうなと思いつつも、「何かあればよろしくお願いします」と挨拶して別れた(笑)。


がたがたーしながら
2003.12.07
久しぶりにコザへ行く。

友達と話し込んでいたらすっかり遅くなってしまい、気がついたら23時。出かけに今日は涼しいぞと思ってはいたのだが、予想以上に冷え込んできた。灯りが消え、シャッターの降りたパークアベニューは本当にもの寂しく、寒さに拍車がかかるようだった。

遅くまで営業していた食堂で食事をして帰途につく。スクーターは夜風を切って快調に走るのだが、快調に走れば走るほど夜風が身に染みる。がたがたーしながらやっとの事で家にたどり着いた。

どうなのだろうか。去年までの私ならこれほど寒いと感じただろうか? それとも体感温度がうちなー温度設定に移行してしまっているのだろうか。年明け頃に一度実家に帰ろうかとも思っているのだが、寒さに耐えられるか心配。

厚手の服はほぼ処分してしまったしなぁ…。


若さがムンムン
2003.12.06

琉球新報ホールへ『第36回八重山藝能発表会』を見に行く。琉球大学八重山藝能研究会(以下、八重藝)の発表会だ。

会場はほぼ満杯。毎年八重藝は夏休みを利用して八重山の島の藝能を学ぶ合宿を行い舞台で再現するが、今年は与那国島だったそうだ。そのせいか与那国出身のお客さんが多かったかもしれない。八重山古典民謡保存会の先輩や、同好の移住組の顔もちらほらと見えた。

八重藝の魅力は何と言っても、若さがムンムン(死語)とするような溌剌とした舞台だ。特に彼らが再現する島の藝能は、伝統藝能を活き活きと舞台の上に生き返らせる。失礼ながら島によっては演じ手の高齢化が進んでいる場合があり、本来若者が演じる役を年輩の方が演じる場合も多い。八重藝の舞台は、島の藝能の本来の姿を再現しているともいえるだろう。

これまで何度か与那国島の棒踊りを見たが、こんなに迫力のある棒踊りは初めて見たかもしれない。与那国島の棒踊りはわりと若い人が演じていると思うが、八重藝演じる棒踊りの薙刀やカマの使い手達の動きは俊敏で、跳躍の高さの高いこと(ヤンキース松井のホームインシーンかと思った)。バックで太鼓とドラを叩く連中の叩きっぷりも、最後まで全力で力強かった。

また、最後の浜遊びのシーン。八重藝の浜遊びは活き活きと若さにあふれていてリアリティがある。八重山系の先生の発表会ではよく同じように浜遊びを再現して舞台上でゆんたメドレーなどをするが、ぜんぜん輝きが違う。彼らが今まさに浜遊びの年頃だからゆえのリアリティなのだろう。(部員同士で実際にもいろんな恋愛模様があるんだろうな…)

唄に関しては、去年はみんな上等に聞こえたけれど、今年は良いところだけでなく悪いところも冷静に判断できたと思う。斉唱や地方の迫力はなかなかだけど、独唱で聴かせるとなると粗い部分も目に付いた。流石にそういうことが分かるくらいには、こっちも少しは進歩したか。(生意気いってごめんなさい)

琉球新報ホールは古くてちょっと小さめのホールなのだが、芝居小屋っぽい感じがしてなかなか味がある。昨日の県立郷土劇場も同じように客席と舞台が近くて一体感がある。沖縄の芸能は、近くで見るに限るといつも思う。

追記:
先日、「舞嘉利者(ぶがりしゃ)」で東京の師匠大山泰則先生と共演した八重藝OBの池城さんにも会えた。大山先生は相変わらず元気だとお聞きして嬉しかった。会場でカメラを構える漆畑さんの姿も見かけた。


正攻法で乗り切った
2003.12.05

ユネスコ芸能祭というイベントに當間武三一座が抜擢された。県立郷土劇場に取材に行く。会場は立ち見が出るほどの満席だった。

「今回はお芝居を中心に二時間頼まれてるから舞踊もたっぷりやるよ」と武三さんはいっていが、幕開けに竹富の座清めの藝能「掃除かち」をユーモラスにアレンジした「掃清め」を座長と津波安明で踊り、お芝居までノンストップ舞踊だった。

踊りが長く続くとすこしは中だるみになったりしそうな物だが、ペアで踊ったり、ひとりで舞ったり、群舞だったり、次々と繰り出される構成の妙で客席を引き込んでいった。観客の拍手で踊り手も盛り上がっていくのを感じた。

現代教訓劇『五人の母』も、當間武三の傍若無人な兄役と、瀬名波孝子の母親役が火花を散らすようだった。小浜源信他脇を固める役者達も力が入っていたのが伝わってきた。客席のあちこちからすすり泣く音が聞こえていた。

武三さんは、先週、屋我地島の「愛楽園」に慰問公演に行き、そこで長らく療養生活を送ってきた里山るつさん(81歳)という方に出会ったそうだ。盲目のるつさんは武三さんの大ファンで、武三さんの手を取って「死ぬまでに一度会いたかった」と喜んだそうだ。

武三さんも一座のみなさんも、その言葉に深く感激し、落涙を禁じ得なかったそうだ。武三さんはこの一週間、ずっとその感動に包まれているような感覚が消えないといっていた。今日の公演にはその影響がどんな風に出るのか楽しみだったが、座員全員からその感覚が匂い立っているような気がした。

座長公演の武三さんは喉の調子が悪く、少し気合いも空回り気味だったような気がした。武三さん自身も「ちょっとした試練だよ」と語っていたが、キツイ時期は乗り切ったと感じた。

それも舞台を丹誠込めて務めるという正攻法で乗り切った武三さんは、やっぱり凄いなと感じた。


この季節の沖縄
2003.12.04

長らく東京暮らしをして沖縄に帰ってきた友達に「この季節の沖縄ってもの凄く寂しいというか、切ないというか、悲しくなりませんか。こんな気持ちになるのは僕だけなのかなぁ」といわれてはっとした。

実は私も、沖縄の冬って何故かやりきれないきもちになるなあと感じていたのだ。なぜだろう。東京に居る頃も、初秋の頃には切ない気持ちになった。ただちょっとあのセンチメンタルな感じと沖縄の感じは違う。なんというか閉塞して行き場のない感じなのだ。

冬とはいえ県外の感覚からいえば風景は夏で、それでも住んでいる人間にとってはそれなりに寒いというギャップなのだろうか。それともお互い沖縄生活で苦闘しているからなのだろうか。はたまた単なる季節性鬱なのか。

まだよくわからない。他の人もそう思っているのかも分からない。けど、このところ、そういう気持ちが存在することは確かだ。


米軍仕込み
2003.12.03

やちむんやーの軒先に並んでいた乾燥中のシーシーを眺めていたら、ヌシが出てきて中でゆんたくしようということになった。三代続くやちむんやーで、昔は瓦を焼いていたそうだ。この界隈の昔話を沢山伺った。

戦時中、一番かわいそうだったのは朝鮮からつれてこられた人たちだったそうだ。過酷な労働と差別の中で、自殺していった人も少なくなかったということだった。「日本兵はそんなに非道かったですか」と聞くと、「そりゃ非道かったよ。今の自衛隊の人に話しても信じてもらえないくらい、今の軍隊とも違って理不尽だったよ。でも優しい人もいたよ」と語ってくれた。

戦後は内地の鉄道工事にいったそうだ。京浜東北線の桜木町の先を作ったと言っていた。軍作業で覚えた重機の操作を買われ、ブルドーザーの運転で沢山稼いだそうだ。重機はアメリカ軍の払い下げを船で運んだらしい。当時の日本ではそんな大型重機は珍しかったらしく、山を切り崩していると、見物人が集まったそうだ。

私の東京の師匠も、昔は電気工事の会社を経営して稼いだそうだ。軍関連の施設で覚えた電気工事技術が役に立って、大きな工場の特殊配線とかを受注できたと語っていた。他にも米軍住宅建設で鍛えたコンクリート工事の技術を買われて、日本へ渡った人の話もいろんな人から聞かされた。

高度成長期の建築ラッシュを支えたのは、米軍仕込みのうちなーんちゅの技術だった。冬の寒さと、人の多さと、差別に絶えながらも、楽しかったなーと語るヌシから、ぐい飲みをひとつもらって帰途についた。


タコとニンニク
2003.12.02

浦添の同仁病院の売店へ箆柄暦を補充に行く。

帰りがけ、何気なく近所にあった八重山そばののぼりが目に付いて入ってみた。マンションの二階入口の脇にあった喫茶店で、こぎれいだが素人っぽい印象。「失敗したかな」と思いつつ八重山そばを頼んだ。

「良かったらどうぞ」。そばの付け合わせにタコとニンニクが乗っている。もしやと思い「竹富ですか?」と尋ねると、「えっ、どうして分かりました」と驚かれた。

竹富島の種子取祭の夜、道唄を唄いながら家々を巡る「世乞い」という行事がある。世乞いで訪れる家々では、なぜか「タコとニンニクの漬け物」が振る舞われる。だから店のママさんが竹富出身と気が付いた。

たしか竹富島ではどんなときでも「タコとニンニク」だけは採れるので「何もありませんがタコとニンニクをどうぞ」ということだと聞いた。繰り返される道唄とタコとニンニクに疲れが加わってだんだんとトランス状態になって行く。世乞いの醍醐味に「タコとニンニク」は欠かせない。

そばもなかなかおいしかった。コーヒーもサービスしてもらってしまった。今度秘蔵の「世乞い」のライブCDをプレゼントしようか。

追記:
常連さんが店の回線からノートパソコンで作った原稿を送ろうと苦闘していたので設定をお手伝いした。原稿のタイトルは大弦小弦だった…。


だからそれは効果
2003.12.01
いよいよ師走突入。

さて、やっぱりというか、ピッピ隊音楽部がhandsの表紙を飾ったのは、表1買い取りだったらしい。ということは、ミニ特集も記事広告ということか。流石。全国紙に比べたらたいした投資じゃないんだろうけど…。

でも、このアーティストを本気で売り出したいのかはまだよく見えない。もとメジャーリーガーの草野球なのか、リーグに対するアンチテーゼなのか、これからどうなっていくのかますます楽しみになってきた。

ところで、ひさーしぶりに「MAC POWER」を見た。Mac誌なのにタバコとか車の広告が載っていて驚いた。AXISのADさんが入ってきてテイストが似てきているのかもしれない。そういわれると、記事広告も増えているような感じ。もちろん「全面広告」とか入っていないので見分けが付かないけど。

私の制作環境は、いささか旧世代じみてはいるものの、とりたてて不満はないのに、「MAC POWER」読んでいたら不思議と新機種を買いたくなっていた。不思議でも何でもない、そのための雑誌なのだからそれは効果が上がっているということだといわれあるんだろうな…。

そりゃ、箆柄暦だって少しは記事広告もありますけどね。

追記:
エフエム那覇のサイトがリニューアルしてすっきりしました。一部番組はネットでも聞けます。特にインディーズファンはオススメです。