箆柄日記(2004年1月)

良いスパイラル
2004.01.31
武三さんの新春特別公演『新玉の年に笑い福い』を取材。去年の11月、12月は公演が詰まっていたので、ちょっと久しぶりの感じがした。

昼の部が終わる頃、那覇市民会館に到着。楽屋口から中へ入る。今回は座長自主公演ではなく、「知的障害者更生施設、鵠生の叢(こうせいのむら)施設整備資金造成チャリティー」ということで、賄いテントは無し。ちょっと寂しい楽屋口だった。

公演の内容は、多彩な舞踊と短めの芝居が二本というたっぷりな構成。特に芝居に見るべきところが多かった。

一本目の『豊年』では、宜野座での沖縄芝居教室から昇格して、今や一座を支える存在になりつつある三人の若手が中心となって舞台を務めた。昨日の舞台稽古でも感じたことだが、彼らの成長ぶりは著しい。徐々にそれぞれのキャラクタが出来てきて、そのキャラクタが貴重なものになってきている。

二本目の芝居は『恋ぎつね』。この芝居はベテランの役者が中心となったが、今回の公演でも瀬名波孝子さんの上手さが光った。特に、きつね役を演じた武三座長との立ち回りのシーン。まったく年齢を感じさせない動きは見事だった。これはホントに格好良かった。

今回の公演では、全体的に武三座長は引きぎみの位置にまわり、出演者を前面に出していたように感じた。舞踊を含めた出演者、特に若手の中に、それに応えようという意欲が感じられた。

それにしても宜野座三人衆はいつ芝居の稽古をしているのだろう。ベテランの役者は定番の芝居の筋立てとセリフはだいたい頭に入っているらしいが、宜野座三人衆はひとつひとつ覚えながらだろうし、プロの役者ではないので本職もあるだろうに。

それと、舞踊の方でも、師匠の下に若手のチームリーダー的存在が育ってきて、まとめ役になってきているところも目に付いた。こうした層が育ってくると、更に若い層が活性化してくる。

ベテランから若手まで、全体的に良いスパイラルに入っているように感じた。

おっと、一月もお仕舞いか。早いなぁ…。


新しい課題
2004.01.30

打ち合わせをそうそうにすませて、那覇市民会館へ急ぐ。武三さんの新春特別公演の前日リハーサル。普段だったら、お稽古場での稽古から取材するのだけれど、今回は忙しすぎて前日リハまで来てしまった。

久しぶりに一座の面々にお会いして挨拶する。しばらく会わなかった間も、みなさん練習に励んでいたわけで、今回も皆それぞれ新しい課題と取り組んでいた。時間はいつも進んでゆく。

中でも宜野座三人衆が、舞踊に取り組んでいるのに驚いた。また、照屋正江・神谷三千代舞踊研究所の若手の娘達が、いろんなところで一生懸命踊りの確認をしているのが目に付いた。

武三さんからしたら、まだまだ気合いが足りないと檄が飛ぶかもしれないけれど、だんだんみんな成長している。武三一座の取材に来るとほっとするのは、それぞれが伸びようとしている人たちの集団の中にいるという心地よさなのだろうか。

さて、明日は『當間武三新春特別公演』当日。どんな出来になるのか楽しみ。


張り合いが出る
2004.01.29
お稽古の途中一休みして雑談していると、先輩の会社のやはり三線を勉強中の後輩が、この日記を読んでいて私のことを知っているらしい。最近そういうことが多い。

この前も取引先の会社で打ち合わせをしていたら、部屋の片隅に三線があるので三線の話題となり、私が三線のWEBサイトを主宰しているというと、「それなら“お気に入り”に入ってますよ」と言われた。

なにはともあれ、多くの人が見ていてくれるというのは張り合いが出る。みなさん、今後ともよろしくお願いいたします。

最近、三線の話題が少なくてすみません…。

追記:
箆柄暦『二月の沖縄』PDF版をアップしました。是非ご利用下さい。


甲斐があった
というもの
2004.01.28

ちょっと遅くなってしまったが、『沖縄スタイルMagazine』で執筆していただいた方々や紹介させていただいた方々に、掲載誌を届けに行った。

20日発売だったので、みなさんすでに待ちきれずに購入してしまっていた。しかも、複数冊買って、県外に住む友達や海外にいる家族へ送っていたりしていた。そんなにも喜んでいただけると、こちらも紹介した甲斐があったというものだ。

せっかく原稿をまとめたけれど、ボツになってしまった件もいくつか有った。ちょっと記事に無理があったか、写真がヘボかったか、いやいや別の形で載せるために、今回は見送ったと思いたい。

あ、うちも実家に送らなあかんな。


紙媒体の威力
2004.01.27

編集のお手伝いをさせていただいた『沖縄スタイルMagazine』が、1月20日にエイ出版から創刊された。久々に全国流通に乗った沖縄専門誌となったので(東京の版元から沖縄専門誌が創刊されたのは初めて?)、全国の書店で買うことが出来る。県内ではコンビニでも見かける。

結構好評らしく、執筆をお願いした方たちのところに、記事を見た読者から早速反響が来ているようだ。昔の友達からメールが来たとか、宿の予約をしたいと問い合わせがあったとか、お陰で執筆をお願いした甲斐があった。

発行部数10万部(とのこと)。やっぱり紙媒体の威力は絶大だ。

店頭で見かけたらお買い上げいただければ幸いです。


うちなーラジオ
2004.01.26
夜中にポスト入稿したお陰で、箆柄暦『二月の沖縄』が予定より一日早く完成した。急に早く仕上がったので手のつけられるところだけ先行して発送を済ませた。今週末にはぼちぼち手に入るだろうか。

今月号は『みんなで聴こう“うちな〜ラジオ”』と題して沖縄のラジオ局特集をした。NHK-AM/FMFM沖縄RBCiラジオラジオ沖縄FMチャンプラFM21FMたまん、そしてFMなは。総てのラジオ局を取材した労作。FMみやこにもメール取材。FM世田谷FMヨコハマの沖縄番組についても触れた。

なぜラジオなのか。多くの観光客がレンタカーで沖縄を旅する中、車内でお気に入りのCDを聴くのもいいけれど、沖縄でしか聴けない放送を聴いてみるのも面白いと思ったからだ。また、ラジオからは交通情報、今日の催しなど、ありとあらゆるオンタイム情報が流れる。この情報を活用しない手はない。

もう一つ。最近auの携帯にFM付きの機種が登場したが、この機種を持っている人には、FMを聴きながら国際通りを歩き、お店情報やイベント情報をチェックして行ってみる、というようなスタイルも提案してみたい。

そして是非FMなはにチューニングを合わせてみて欲しい。
きっと役に立つはずだ。


フローの情報の見せ方
2004.01.25
今日はパソコンに向かわないで一日過ごそうと思いながら、やっぱり次のことが気になってあれこれと作業してしまう。それでも午後は電源を落として、部屋の片付けごとなどをする。

夜、映画『薔薇の名前』を見る。これまた以前見たときの記憶が全然ない。図書館が燃えるシーンで、古い書物が燃えてしまうのを悲しむウィリアムス修道士(ショーン・コネリー)のやりきれない表情を覚えていたくらいだった。

この感じ、育てに育てた秘蔵のアーカイブの詰まったHDDが飛んでしまった感じに近いと思う。必死に何冊かの本を業火の中から持ち出すウィリアムス修道士の姿は、なんとか修復ソフトの力にすがって復旧を試みる姿のように見えた。

この話はストックされた情報の一部が意図的に封印されていたという話だったわけだけど、フローの情報の見せ方、出し加減には、また別の難しさがある。誰もが知ってしまうと、その良さが失われてしまう情報だってある。あるいは、誰もがよいと思うと限らないなら、わざわざ万人の前に晒す必要もないという情報もある。やはりもの凄く良い情報は大事にしまってあったりするもので、そうした情報は自分で汗を掻いてたどり着くしかない。

映画には、審問官による異端裁判とか拷問のシーンが出てきたが、これには明治大学の刑事博物館で見た「ヨーロッパ拷問展」を思い出した。この展覧会では、ヨーロッパで使用されたギロチンやら、親指潰し機やら、鉄の処女やら、鉄の吊りかごやらの拷問器具を展示するものだった。かつてキリスト教世界ではこれらを使った拷問が、神の名の下に正しいこととして行われていたということに恐怖したことを思い出した。

追記:
映画を見終わって、大濱安伴先生の顕彰公演の時の資料を読む。『声楽譜附八重山古典民謡工工四』の発刊を巡る経緯が、保存会サイドの視点からまとめられていた。伝え聞く安伴先生の性分からすると、駆け引きで立ち回れるような器用な人ではなかったようなので、内容には信憑性を感じた。いろんな人にいろんな言い分はあるにせよ。


ない交ぜの気分
2004.01.24

難産の末、箆柄暦『二月の沖縄』データ完成。夜中に印刷屋のポストに突っ込んできた。東京ではこんな事も当たり前だが、沖縄では珍しいらしく、印刷屋さんは「そんなことしなくても明日の朝イチで間に合いますから」というが、へろへろな私には朝イチで届けられる自信のカケラもなかった。

完成した途端、結構大きなイベントを見落としていたり、大事なところで誤植があったりに気が付くもので、完成した達成感と反省がない交ぜの気分を毎月味わうことになる。

今月もあんなにプロ野球キャンプ情報を丁寧に確認したのに、ドラゴンズの二軍キャンプ地が「谷村平和の森球場」になっていた…。正しくはもちろん「谷村平和の森球場」。何度も行ったことがある場所なのになぜ! と思っても後の祭り。

くよくよしても仕方がない。これがパブリッシャー稼業の宿命さ…。

ちなみに箆柄暦『二月の沖縄』が出回るのは28日頃からだと思います。みなさん近所の配布協力店をチェックしてください。


土下座三回
2004.01.23

見よう見ようと思いながら、東京で見ずじまいだった「渋さ知らズ」を見に行く。渋さのライブを沖縄で見ることが出来るとは思ってもいなかった。

多いときで総勢30人くらいにもなるという渋さ知らズ。こういう人数の曖昧な大所帯集団系バンドは、海を越えて沖縄にやって来るのは難しい。今回の来沖は15名。普通、興業として考えたら儲からないので実現しないのだ。

忙しくてへろへろの状態ながら足を運んで良かった。延々3時間。たっぷりと野武士のような集団の宴に身をゆだねた。ただ体調が万全でなかったので気分が乗りきらず、ちょっと長くて辛かった。

こういう怪しげで、ごったにで、スケベそうな大所帯のバンドを見ると、いつも大学の先輩のバンドを思い出す。そのバンドもライブの度にいったい何人いるのかわからないバンドだった。

夏合宿の発表会で初めてそのバンドを見た時の衝撃は今も忘れることが出来ない。田舎ものの私には、管楽器がいっぱいいて騒ぎまくるみたいな姿そのものが驚きだった。それまで知っていた小さな音楽の概念がぶち壊れた。

今思えば、先輩のまわりにはいろんな人が出入りしていた。後に米米クラブのホーンを束ねる河合わかばさんとか、ソウルフラワーと一緒にフィドルを弾きまくったりしていたステファン太田さんとか、浅草のレビューダンサーのお姉さま方とか、どこでどうつながったかわからないけど、腕に覚えのある連中が集まっていた。

その先輩は今も武蔵野あたりで夜ごとセッションに明け暮れているみたいだ。久しぶりに会いたいけど、相変わらず酒飲むとなにか壊しては「世の中三回謝って許して貰えないことはない」と土下座を繰り返しているのだろうか。

渋さ知らズのWEBの歴史コーナーを見ると、渋さの結成は1989年とある。先輩のそのバンドが暴れていたのは、そのもうちょっと前の頃のことだった。そんなことばかり思い出し、懐かしいなと思いながらステージを眺めていた。

追記:
吾妻光良&The Swingin' Boppersの来沖を強く望む。基地の外人さん方も落ち武者のようなオヤジのジャンプブルースに涙することでしょう。


いい旧正月でーびる
2004.01.22

一週間ぶりにお稽古に行った。むりやり時間を割いたけど行って良かった。今年一番の寒さに、ストーブに当たりながらのお稽古となった。そういえば今日は旧正月だ。

お稽古が終わってから下のジュネであったかい八重山そばを食べた。やっぱりジュネの八重山そばは旨い。人によってそばの好みもまちまちだから、これが一番と決めつけるのは好きではないし、そば特集を見て店に足をはこぶのもあんまり粋ではないと思っているが、ジュネのそばが旨いのは確かなのでオススメする。

そばを食べていると、テーブルにぐるナビの資料が置かれている。「ぐるナビ九州・沖縄」カテゴリーから、沖縄が独立して「ぐるナビレストラン沖縄」が出来たのを機会に営業がまわってきたので加入したそうだ。まだまだ件数は少ないが、「ぐるナビ九州・沖縄」の頃は検索してもマクドナルドばかりだったのが、だいぶ登録が増えていた。

資料にあるように、電話が鳴りやまないというような例はどれくらいあるんだろう、と思った。

追記:
帰宅してテレビをつけると「新春民謡紅白歌合戦」を再放送していた。旧正月だからね。やっぱ幸人の「仲筋ぬぬべーま」良かった。


我々のやりたいのは
2004.01.21

エフエム那覇とのコラボレーションではじまった箆柄暦のWEBカレンダーが好評のようだ。番組内で宣伝してもらっいるということもあって、利用者も増えているらしい。このWEBのアクセスも伸びている。

便利なのはテキストメールで情報を転送できる機能だ。テキストなので最新携帯にも、私の古いPHSにも転送できる。メモを取らずに済むので助かる。最近の機種なら電話番号の部分から予約の電話もすぐかけられる。

今のところクーポンとかは無い。将来ユーザーがそれを期待するならやることもやぶさかではないけれど、ユーザーが楽しいと思えるようなものにしたい。単に割引とか、ドリンク一杯とか、イベントへ行く行かないのモティベーションとは関係ないと思うのだ。

我々のやりたいのはそういうのとちょっと違う。


沖縄民謡のリズム
2004.01.20

東京時代に一緒にバンドをやっていた先輩が来沖。お父さんは糸満ちゅ、お母さんはやいまんちゅで、沖縄生まれの東京育ち。そのことを知ったのは、バンドを初めてから随分立ってからのことだった。

ホントは飲んでる暇なんて無いんだけれど、今日しか時間が合わないので無理繰り飲みに行く。お互い民謡好きなので、まるみかなーへ行くことにした。まるみかなーには、先輩のリスペクトする戦前の名手「仲間良謙」のEP盤があるからだ。

このレコードを切っ掛けに、小浜店長を交えて民謡の話に花が咲く。仲間良謙の残した作品についてとか、戦前の民謡について、小浜店長の豊富な知識でいくつかの疑問が解けたようで、連れて行って正解。

先輩は唄は勿論だけど、沖縄民謡のリズムの研究に余念がない。流石、FUJI ROCKにも出演したことのあるダブ系バンドの元ドラマーだけある。確かに古い民謡のリズム感というのは凄い。

それは決して早弾きという意味ではない。激しくシンコペートする感じは、沖縄よりもっと南の島々の要素を色濃く受けていると主張しながら「こんな感じこんな感じ」とかいいながら弾きまくる。

ひいてはジャマイカのレゲイにも通じると語りながら、明後日はバビロン東京へ帰っていくのであった。

追記:
先輩の沖縄の記憶は復帰前の沖縄。ドルを使い、クルマは右を走っていて、ホットドックといえばパンに挟んであるのじゃない奴だ。小浜店長と復帰前の話に花が咲いていたが、横で聞く私も楽しかった。


実際に足を運んで
2004.01.19

今日はようやく一日まるっと自分のプロダクトに集中できた。といってもくれに遅れている上に、へろへろになっているのでエラーが目立つ。東京担当からは、矢継ぎ早にツッコミのメールと電話が来て、五月雨に答える状態。

『二月の沖縄』は、特集部分をメールのやりとりや調べごとだけではなく、実際に足を運んで取材したので、だいぶ手間取った。しかしその分、いろんな人に会い、いろんな事を知り、いろんな事が見えてきた。

点と線がどんどんつながって、面になっていく感じ。
やっぱり楽してちゃこの感じは掴めないよな。

今月の収穫は、のちのち大きいと思う。


ふたりだけでは
出来ない
2004.01.18

数日前から自分の中でヘビーローテーションかかっているのは、ハーベストファームの野田さんから届いたji ma maのデビューマキシシングル「街」。まったく予備知識無しに聴いたが、ここ数日、出口の見えない話に振り回されている状況を癒してくれている。

ji ma maは沖縄出身の宮平照美が京都で中島眞生と出会い生まれたユニットで、うちなーぐちで「自由奔放、わがまま」という意味らしい。漢字で書いたら「自儘」か?

「街」はUAのプロデューサー朝本浩文のアレンジで、インディーズで発表されたものとは大きく趣を変えているとのことだが、インディーズのほうのバージョンを聴いたことがない。マキシシングルの最後の曲「ヒヨリ」は、去年au沖縄セルラーのCMで使われていた曲なので、聴いたら耳に覚えがあった。

「ヒヨリ」はボーカル宮平照美の作詞作曲で、如何にも沖縄の女の子が作りそうな感じの曲という感じがした。「街」は、作詞が宮平、作曲が中島で、沖縄の感じからはだいぶ遠くなっている。朝本浩文のアレンジを経てなおさらなのかもしれない。

「ヒヨリ」から「街」の間には大きな前進を感じる。「ヒヨリ」もカラッとして良い曲だと思うけど、宮平照美のボーカルの持つポテンシャルをまだ生かし切れていないと思う。ボーカルの持つ表現力に、楽曲が受け入れられる枠が追いつかなくて、美味しいところがこぼれ落ちてしまっている感じがする。「街」ではその部分が上手く引き出され、色彩、陰影の幅が大きく広がっているように感じる。

ついでにいうと、UAのアルバムもフルで聴いたことがない。朝本浩文さんの作風についても知らないので「街」がUAっぽくなってしまっているのかもわからない。けど、そんなことよりも、このマキシシングルを通じて、ji ma maのふたりはふたりだけでは出来ない大きな前進をしたのだろうなと思う。

こういうのが大人の仕事だよなぁ…。
良いモノいただいて、野田さんに感謝。


ツールを鍛える
2004.01.17

東京にいるとき、ソフトウェア開発の研究会に顔を出していた。そこで学んだことは、「今使っているツールでできることの限界が理想の限界ではない」ということだ。

しかしその限界を破るには、ツールを鍛えなければならない。ツールを鍛えることが自分で出来なければ、どう鍛えればよいかを鍛える人に的確に伝えねばならない。伝える前に鍛え方を整理するには、整理できるだけの下調べや試行錯誤が必要だ。

そうしてようやくツールを鍛え、次の段階へ入り、初めて少し理想の形に近いものづくりができるようになる。いい仕事は吊しの服では出来ない。

特に市販のツールを吟味するとき、出来ることのリストを簡単に信用してはならない。書いてあることができるのは当然で、それがスムースに出来るようになっているのかが問題だ。いくつものステップを踏んでようやく少しのことが実現できるようでは、そのツールは使い物にならない。

ましてや、今使っているものより本当に使いやすくなっていなければ、使う必要はないし、誰も使わないと思う。不特定多数を対象としたツールが自分に使いやすくできているとは思えない。

もちろん、使ったこともない道具で仕事を受けてしまうなんて、プロとして論外だと思う。結局は道具を使う側が道具を見極めて、仕事にあった使い方をしなければお話しにならない。

始めにツールありきの計画はいつも破綻する。


超家庭料理
2004.01.16
糸満に取材に行ったのだが、取材の相手は一時間半遅れて現れた。ぐっと堪えて取材を始めたら、なかなか面白い人で話は盛り上がった。

食事のお誘いを頂き、東風平の居酒屋へ連れて行ってもらった。この店がオススメの理由はと聞くと「昔うちなーの家庭料理の味がする」という。まずは「チキナーチャンプルー」をつついてみると、なるほど、確かに何かが違う。

「外食の味がしないでしょ。これが美味しくないけど美味しいのよ。」といわれてなるほどと思った。私も内地では、美味しくないけど家で作ったような味のする定食屋が好きだった。美味いとかマズイの基準ではなくて、業務用の味ではないところが良いのだ。理屈は同じだ。

「ソーミンタシャー」とか「トーフンブシー」とか、普通はお金を取って出さないような、超家庭料理もメニューにあり、そのうんちくとともに美味しく食べた。自家製の鴨肉も極上の肉に出来合いのソースの組み合わせ。これがまた実に美味しかった。

惜しむらくはバイクででかけたために東風平の酒を味わえなかったことだ。区長さんに泊まっていけばいいといわれたがそうも行かない。次は必ず酒と一緒に料理を味わいに来ると約束して店を後にした。


棟上げ
2004.01.15
週刊沖縄ふぁん』が縁で知り合った友達が、県内に小さなホテルを建てる準備をしている。友達といっても年齢的には少々先輩で、いつもアドバイスを頂いたり、励まして頂いたりしている。

今日は建物の棟上げにお招きいただき、行ってきた。ここ数日の天候がウソのような快晴。建物の建つのは高台で眺望が素晴らしく、美しい海と、遠くに島々を眺めることが出来た。

棟上げの宴席は、建物が完成すると食堂となるスペースに用意された。ビールと泡盛で乾杯し、大鍋で煮込んだ牛汁をつついた。次々と到着する関係者がお祝いにお酒を持ち寄るなか、私は拙いながら唄三線でお祝いさせていただくことにした。

相変わらず八重山ものの静かな曲しかレパートリーが無いので、盛り上げることは難しい。そのかわりおめでたい曲を丁寧に弾いた。それでも何のBGMも無いより、酒席の華やかしになったのでは無かろうか。取りあえずカリーは付いただろうか。

気が付くと、でっかい夕日が“海の彼方”へ沈み、日もとっぷりと暮れていた。辺りはしっかりと暗くなり、ここが都会とは少し離れた場所にあることを実感する。

まだ仮設のトイレもない状態だったので、建物から坂を下った草むらで用を足してふと見上げると、“満天の星”に建物が包まれているように見えた。真っ黒な夜空にきらめく星と、建物から漏れる灯りのコントラストが美しかった。

早く完成した宿の姿を見てみたいと思った。このホテルはきっと素敵な宿になるに違いない。そんな気がした。


バランスは絶妙
2004.01.14

GROOVEのJazzSeriesを見に行く。このシリーズは、川崎巽也さんが主催するJamSessionで、毎月第三水曜日に行われているそうだ。今回の出演者は、川崎巽也(guitar)、知念ヨシヤ(guitar)、ガンジー西垣(double-bass)、天願よしたか(drums)の四人だった。

川崎巽也さんはバークリーを卒業して、現在は沖縄でプレイヤーとして、指導者として活躍している方らしい。初めて彼の演奏を見たが、見事なギターテクニックと、リーダーぶりにすっかり魅了されてしまった。特に、ギター二本という構成なので、一人のギターがリードをとると、もう一方は当然バッキングとなるのだが、川崎さんのバックングのバランスは絶妙だった。

GROOVEには何度かお邪魔しているが、ライブを見るのは初めて。扉を開けると楽器とタバコの匂いがプーンとする、ライブハウスらしいライブハウスで、懐かしい感じがする。音のバランスも良く、今日のメンバーの繊細な演奏を心地よく楽しめた。

久しぶりにスリリングなJazzに出会えた感じがした夜だった。


寒い日の三線
2004.01.13
たぶん、この冬一番の寒さだろう。沖縄でも気温が下がった上、強い風が吹いていたので、かなりの寒さだった。

寒い中、お稽古に向かう。今日は課題曲を短く切り上げて、いろんな曲を弾くこととなった。しかし、寒い日の三線はどうもしっくりこない。島の唄を唄っても、なんだか風景と重ならない。ついでに、テーブルの上の、さんぴん茶と黒砂糖も似合わない。なんとなく消化不良のまま、お稽古終了。

お稽古が終わってから、下の店で泡盛のお湯割りに、梅干しを入れて飲む。体がぽかぽかと温まってくる。うちなーんちゅのみなさんには奇妙な目で見られたが、これはしっくりきた。

明日はコザまで用事で出かけるので、暖かくなって欲しいものだ。


情報スープ
2004.01.12

エフエム那覇との共同プロジェクトがひとつの成果を上げた。ついに箆柄暦のウェブカレンダー版のプロトタイプが公開となったのだ。

これまで、箆柄暦は印刷版のデータをPDF化してWEBにアップして、印刷版を入手する前にプレビュー出来るようにしてきた。印刷版は一ヶ月を俯瞰し易いように設計されているが、同じ内容のPDF版を画面で閲覧するのはちょっと手軽さには欠ける。

ウェブカレ版は、カレンダーから今日の日付をクリックすると一日分のイベント情報が表示されるので、当日をピンポイントで調べたい場合に向いている。こうしたサービスなら他にもあるという人もいるかもしれないが、圧倒的に情報量が違う。ほぼ毎日、複数件の沖縄関連情報で埋まっているカレンダー形式のイベント情報は他にはないだろう。

箆柄暦ではスペースの都合上削除しているものも総て掲載されていて、エフエム那覇からの情報も追加されている。今後は箆柄暦では掲載しづらかった、アート系やクラブイベントなども強化されていくことになる。

近い将来、更に様々な機能を追加する事になっているので乞うご期待。


神との直接対面
2004.01.11

ボーダーインク新城和博さんプロデュースの、あかぎ亭ライブに足を運ぶ。もちろん出演は新良幸人withサンデー。

このライブは今年で足かけ12年、10回目を迎えるプライベートライブだそうだ。告知はボーダーインクの周辺に口コミで行われる程度なので、去年はうみかじさんのウェブを見るまでまったく気が付かなかった。今年は新城さんに教えていただいていたので、お邪魔させていただくことが出来た(感謝)。

会場は、首里金城町にある育児施設「こども園まある」の庭。会場に到着すると、すでに宴が始まっていた。ボーダーインク始め有志のみなさんが昼過ぎから集まって準備をしてくれた、大変おいしいおでんやてびちなどがふるまわれ、なごやかな雰囲気が流れていた。

会場にはうみかじさんや、毎年の常連、パーシャの慈乃さんと英世さんの顔も見えた。ついでに言うと、来沖中の東京営業担当もメールを投げておいたら駆け付けた。いつも手伝ってもらっているが何のお礼も出来ないので、せめてインサーダー情報のリークで埋め合わせだ。

さて、あいにく朝から天候が優れず、野外での予定を取りやめて屋内での演奏となった。20畳は無いだろうスペースで、新良幸人withサンデーの演奏を聴くという、恐ろしいほどの幸福な体験となった。もちろんこのスペースにPAは要らない。スプラッシュゾーで彼の生の唄を聴ける日が来るとは、初めて天王洲アイルで演奏を聴いたときには予想だにしなかった。人生とは不思議だ。

演奏は約30分ハーフの二部構成となった。お正月に相応しいおめでたい民謡を中心に、『満天の星』を加えた名演が繰り広げられた。途中、子供が床にジュースをこぼしたり、目の前を横切ったり、普通ありえない展開も起きたりした。幸人渾身の『かぎやで風』で、上田真弓さんが舞うという趣向もあり、大変充実した内容にただただ幸せをかみしめるばかりであった。

演奏が終わると、みんなで撤収作業。庭に張った雨除けのビニールシートをかたしたり、部屋の中をそうじして家具を元に戻したり、ゴミをまとめたり、ボーダーインクのみなさんは最後までまめまめしく動き回り、本当にご苦労さまでした。(そんななか、戯れに乗った竹馬が折れてしまい、面倒を増やしてしまって申し訳ありませんでした。解決済みです。)

ようやく片づけを終えて、二次会へ。以前はそのまま会場で打ち上げに突入してしまうので、あかぎ亭ライブには二次会がなかったらしいが、今ではみんな大人になり、そうはならなくなったそうだ。

二次会では幸人さんの隣りに座ることとなった。幸人さんは覚えておられないと思うが、これまで何度か打ち上げの席に同席させていただいている。それでも直接お話しをするのは今回が初めてだった。ファンとなってもう何年になるだろう、何回のステージを見たことだろう、ついに神との直接対面である。

初めて直接言葉で聞く彼の音楽感は、いつも彼の音楽から感じていたものと違わなかった。島の唄をルーツに持ちながらも、島の唄に甘えず、常に自分の立ち位置を“音楽”という広い枠組みの中で見つめ、前に進んでゆく。そんな印象通りの人だった。

沖縄の芸能の世界に対する厳しい意見も聞くことが出来た。時折攻撃的な表現を交えながらも、それは決して悪口ではなく、芸能の島と呼ばれる沖縄の現状に対する、ストレートな分析であるように感じられた。

新春民謡紅白の時、彼の演奏や楽屋裏での様子を見て感じていたことは、ほぼ間違っていなかったと思う。

それにしても、昼間は八重山古典民謡保存会の弾き初め会。夜は新良幸人withサンデーのライブ&打ち上げ。目眩のするような一日だった。


わらしべ式
2004.01.10
箆柄暦の東京営業担当が来沖。今回はプライベートでの来沖だそうだ。手持ちの箆柄暦を配りきってしまったので、追加分が欲しいと言うことでホテルのフロントに届けた。

沖縄に来ても、いろんなところで箆柄暦の宣伝配布に務めてくれていて、彼女の得意技である、わらしべ式ナイトクラビングで次々とバーなどに広がっている模様。なんと広告まで獲ってきてしまうところがさすが。

ホテルに暦を届けた後、模合に向かう。模合の後、二次会というかお茶でもということだったので、あまんかいへ誘う。いつもあまんかいで飲んでいるマテ茶を紹介する。

紅茶のようにポットから注ぐのではなく、カップにマテ茶の葉をこんもりと入れ、そこにお湯を注ぎ、カップの底のお茶を金属製のストローで吸いながら、まわし飲みする、南米スタイルの飲み方。

独特の味なのでどうかなと思っていたが、やっぱりはじめはみんな変な顔をしている。その後なんだかんだ言いながら飲んでいる。このお茶は癖になる味なのだ。アルゼンチンのラビオリやオムレツみたいなモノをつまみに話し込んだ。マテ茶を回しながら。


いろんな表情
2004.01.09
喜納昌吉さんからご招待いただき、喜納昌吉&チャンプルーズのステージを見にチャクラへ。

これまで何度か喜納昌吉&チャンプルーズのライブは見ているが、チャクラで見るのは実は初めて。東京で見た喜納昌吉さんはカリスマパワー全開でちょっぴり近寄りがたい感じだったが、チャクラでは比較的リラックスした感じの演奏で、お客さんに楽しんでもらおうという感じが伝わってきた。

政治的な内容のMCも、ライブの時のようにお客を煽ると言うよりも世間話をしているようなかんじでソフトだった。それでも随所にはらはらするような発言が織り交ぜられていて、微妙なさじ加減が見事だと思った。

演奏に入ると表情が変わった。特に椅子に座り、少しうつむき加減になって三線を弾く表情は、若い頃の写真の感じのままだった。二重張りの蛇皮がすり切れるほど激しく三線をかき鳴らし、ぶんぶん飛ばしてゆく感じで客席を盛り上げてゆく。

すかさず店内のスタッフが手拍子を入れたり、カチャーシーの輪へとお客さんを誘ったり、場内の雰囲気をもり立ててゆく。絶妙のタイミングで「ハイサイおじさん」や「すべての人のこころに花を」を繰り出し、お客さんに充分な満足感を与え、ステージが終わっても気さくに写真や握手に応じていた。

ふと客席の片隅に目をやると、喜納昌永さんがステージを眺めながらビールを飲んでいる。今回はお父さんの演奏は聴くことが出来なかったが、またの機会にお邪魔しよう。

ミュージシャンとして、経営者として、家長として、喜納昌吉さんのいろんな表情が見えるチャクラでのステージだった。

追記:
帰りがけに浮島通りの「けんけん」でちょっと一杯引っかけた。箆柄暦は毎月届けているものの、お客として顔を出したのはものすごく久しぶりになってしまい、三カ月ぶりくらいか? 常連さんにも「箆柄暦は毎月あるから生きてるとは思ってたけど、もっと顔出しなさいよ」と言われる。覚えていてもらえるだけでもウレシイことだ。


仕立て直し
2004.01.08
今日のお稽古は途中まで一人。師匠と一対一。

弾き初め会向けに「まるまぶんさん」とか「まふぇらつぃ〜とうすぃ」とかのお浚いをする。特に「まるまぶんさん」はすっかり忘れていて失敗ばかり。歌詞も出てこないありさま。

こういう曲を基礎体力としてしっかり身につけている人は、いつまで経っても忘れないし、久しぶりにやってもさっと出来るんだろうな。

今度やるから引っ張り出してきて仕立て直しをしないといけないと云うのでは、身に付いているとは言えないなぁ…。


実力の差
2004.01.07

先日放送された『新春民謡紅白歌合戦』のビデオを見た。会場で見た雰囲気とはまた違った意味で面白く見た。

会場では取材をしながら見ていたので、唄を良く聞くことが出来なかったが、ビデオでは一人一人の唄をじっくり聞くことが出来た。こうして順々に出演してゆくと、残酷なまでに実力の差が見えた。

上手い唄者の唄にはごまかしがない。唄い方がストレートで安定している。余計な楽器をアレンジしたり、節を廻したりもしないし、衣装もシンプルだ。今まで名前しか知らなかった唄者の方の唄を聞いて、何人かのファンになった。

途中、『くじり格子』という昔人気を博したテレビドラマの主役の人が、主題歌を唄うところで、武三さんがサンラー役で登場する。会場でもそう思ったが、テレビで見ても、おいしいところを持っていったと思った。

続いて『RBCかりゆし劇場』の新春お笑い特番も見る。今年も新良幸人がコントで出演したが、昨年の方が面白かったと思う。去年の録画もどこかに有るはずなので探さねば。


こころの問題
2004.01.06
今年の初稽古に行った。ほぼ全員揃って弾き初めとなった。

コンクールの課題曲だけでなく、11日に行われる八重山民謡保存会那覇支部の弾き初め会の時に弾く曲も練習する。「目出度節」の松竹梅バージョンとか、「鶴亀節」とか、正月らしい目出度い唄で、なんだか華やいだ気分になった。

弾き初め会では、前年のコンクールの合格者の合唱もある。ことしはその輪の中にはいることが出来ないことが正直悔しい。次のコンクールはなんとか合格したい。

しかしそのために大事なのは、技術よりもこころの問題が大きいと感じている。その前に、それまで頑張って生活してゆかねば。まあ、それが心の問題と関わっているのだけれど。

お稽古の後、久しぶりにあまんかいへ行く。リンダさんとすっかり話し込んでしまった。気が付くと2時。明日は遠出する予定なのに。あまんかいに行くと話し込んでしまうことはわかっていても行ってしまう。

で、今日もまた勇気を分けてもらって帰宅。


エフエム世田谷出演
2004.01.05
エフエム世田谷の桑江知子さんと木之下貴子さんの「オープンサロン834」という番組に電話出演する。話題は「沖縄の人はフォークダンスで青い山脈を踊る」というネタ。以前『週刊沖縄ふぁん』で四回にわたって採り上げたネタだ。

以前調査した結果では、沖縄の人はほぼ全員がフォークダンスで「青い山脈」を踊ることが出来るという結果だったが、桑江さんは踊れないそうだ。同じネタが「探偵ナイトスクープ」のスタッフの目にも付いたようで、番組で採り上げられたようだが、見ていない。どんな内容だったのだろう。

出番は10分程度だったので、事前にバックナンバーを読み返して要点を整理しておいたので、わりとまとまりよく話すことが出来たと思う。ディレクターさんにも「しゃべり、上手ですねー」と好評だったので、「レギュラーやりましょうか」と冗談で言ったら、「ほんとに考えちゃいますよ」と言われた。

まあまあ、社交辞令でしょう。たぶん。

追記:
今日のタイムスに、「大みそかのゆいレールの乗客は22,760人で、深夜に計5本を増便したが開業以来最低。40,000人くらい乗ると予想していたが思惑が外れた」とあった。一ヶ月前に電話して、「大晦日は終日運行しますか?」と聞いた時、やるんだかやらないんだか駅ごとにハッキリせず、「ダイヤは当日張り出す」とか言っていた。そんなんでは利用できないよなぁ…。


ターンムのほくほく
2004.01.04
近くにある雑貨屋さんにビールを買いに行くと、ビニール袋に入ったターンム(田芋)が目に付いた。すでに皮がむかれていて、すぐに調理が出来るようになっている。

おばちゃんに「どんなしてたべるの?」と聞くと、「油でちょっと炊く(炒める)か、ゆでて砂糖ぐわまぶして食べたら上等さ」と返事が返ってきた。ターンムは好物なので試しに買ってみることにした。

部屋に帰って、電子レンジで5分くらいゆでて、先日宮古の友達がお土産にくれたカツオ入りの油ミソをつけて食べた。ターンムのほくほくと、油ミソのあまみがベストマッチ。

うまうま。


白銀堂に初詣
2004.01.03
夜、糸満の白銀堂に初詣する。なぜ白銀堂なのかといえば、昨年旧正月に初詣して以来、なんとなくその佇まいが気に入っているからだ。新暦の正月、しかも三日の夜ともなれば境内に人気もない。人影もとぎれとぎれの境内には、旧正と同じく白い提灯がずらりと並び、うすあかりが幻想的だった。

その足で、西崎親水公園の『130万県民「平和の光」イルミネーション』を見て帰ることにする。「沖縄戦終焉の地糸満に、県民と同数の130万個の灯りを掲げ平和を祈る」というテーマで行われているイベントで、今年で五回目だそうだ。広い公園全体に130万個の灯りが灯り、出店や糸満の物産展、ライブも行われていて賑やかだった。

ただ会場が広すぎて、灯りの薄い部分もあったのが気になった。もう少し全体の構成を工夫して光の集積度を高め、デザインも芸術性の高いものにしたら、テーマがもっと伝わるのではないかと感じた。大晦日のカウントダウンの日に行ったらまた印象は違ったかもしれないが…。

消灯式が終わって帰途についた。


正月の区切り
2004.01.02

週刊沖縄ふぁん』の新年第一弾を制作する。正月早々に読んでくれる人がいるのだろうかと思いながら、なんとか仕上げて配信する。

配信後、アクセスの上昇具合で反応が分かるのだが、そこそこ上昇したので正月から読んでくれた人がいたのだと思う。こいつは春から嬉しいやね。反応があるということが何よりの励みとなるのだ。

あとは随分手を付けていなかった、部屋のそうじをすこーしだけする。本来は年末にすることを年が明けてからようやくできた。

ここ数年は正月の区切りがどんどん薄くなっている。自分で仕事を始めたからなおさらだ。


新年快楽!
2004.01.01
いい正月でーびる。ことしもゆたしくうにげーさびら。

さて、私の2004年は松山のLive House KINGで行われた、パーシャクラブ&カチンバ1551のカウントダウンライブで幕を開けた。演奏は楽しい物だったが、それ以上にここでも多くの観客が県外から駆け付けていたのに驚いた。

私のテーブルだけで6名。他のテーブルにも何組かみかけた。先日のパーシャのD-setの時も多くのナイチャーがいた。コザで行われていたDIAMANTESのカウントダウンライブも、Cafe Patiが無くなるということもあって多くのファンが来沖したと聞く。

こういう沖縄ファンは、まだまだ少数派なのだろうか。以前ならいるだろうと思っている程度だったが、実際にこれだけいる様を見て、予想以上に増えているのではないかと実感した。もちろん観光客の総数からすると割合は少ないかもしれないが、ライブハウスにとっては少ない数ではないだろう。

しかも、そうした来県者のみなさんの多くが箆柄暦を知っていて、最新号を手渡すと「これ便利ですよね」といってくれたりして嬉しかった。

カウントダウンライブがはねた後、那覇新港埠頭へ行く。沖縄ツーリストの「初日の出遊覧クルーズ」に出演する武三さんの取材だ。有村のフェリー飛龍21に乗り込み、久高島付近で御来光を拝むというツアーだ。

武三さんは、松玉枝、津波安明、真栄田文子、仲宗根盛次シンカによる地謡という布陣で乗客の正月気分を盛り上げた。揺れる船内は足下が悪く踊るのも大変、着替えや化粧もいつもとは勝手が違ったが、舞踊と民謡ショー、最後に十八番「塩屋ぬパーパー」までたっぷりだった。

武三一座の出し物には流行ものがない。ひたすらオキナワントラッドな出し物をきっちり決めてゆく。流石に乗船客のほとんどがウチナーンチュで、年輩の方が多いとはいえ、ここまで流行もの無しの構成で観客を喜ばせるというのは、並の力ではないだろう。船内に沖縄のお正月らしい嘉禮がついた。

朝7時20分頃、少し霞のかかった空のむこうから赤々と正月ぃぬてぃだが昇った。年の初めに力をもらうことの出来た縁起の良い船旅だった。