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毎週来てくれんかー
2004.05.31
月曜日
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急遽明日から土曜日まで仕事が入ってしまい、金曜日のChuPanJahセッションはお休みに。先週も用事で行けなかったが、先々週来ていたハーモニカ好きのお客さんが私の演奏を楽しみに見に来ていたらしい。
せっかく来てくれたのに悪いことをした。お店にとってもお客さんを逃がしたかもしれない。マスターが「毎週来てくれんかー」というのは遊びじゃなくて集客の弾を求めているわけで、予定はきちんとしないと行けないなと思う。
今まで散々「沖縄のライブは告知が遅すぎる」とわじって来たけど、さもありなんと思う今日この頃。沖縄のミュージシャンはそれ専業で食べている人はほとんどいない。では本業は儲かっているかというとそうでもない。労働時間が長いので、時間通り帰れるかも分からない。
なかなか予定が組めなくても仕方のない部分もある。
追記:
この日記を読んでChuPanJahに来てくれたら嬉しいですが、余り私の演奏に期待しないでください。普通です。
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暮らすだけなら
2004.05.30
日曜日
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また一人、友達が沖縄に引っ越してくることとなった。こんなに「沖縄で暮らすのは大変だよ」といい続けている人の話をちっとも聞いていないようで、何も決まっていない状態でやってくるらしい(笑)。
ま、彼女の場合は何とかなるでしょう。というか、暮らすだけならそりゃいくらも暮らせますけどね、沖縄も。ただそれをどう捕らえるのか。
やり甲斐のある仕事、あるいは手応えのある人生。そうした物にたどり着くには、いろいろ大変ですよ。余分な物がないだけに、良いことも悪いこともハッキリ現れますから。
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沖縄の意匠
2004.05.29
土曜日
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ローリーさん率いる、THE WALTZのライブを見に行く。ローリーさん一人のライブはこれまで何度か見てきたが、THE WALTZでのライブを見るのは初めて。楽しみにしていた。
ライブが始まった瞬間、音の固まりを投げつけられたような感じがして、瞬時にTHE WALTZのバンドとしてのパワーにやられてしまった。なによりバンドとしての佇まいが良い。気が付くと、手足がリズムを取りだし、投げつけられた音を必死に貪る自分が居た。
だれかに何か話したい気持ちでぱんぱんになりながら前半を聴き終えた。休憩に入った瞬間、客席にいたボーダーインクの新城さんに近より、「かっこイイじゃないすか!!!」と話しかける。
新城さんも「そうだろう、いいだろう、ワルツ最高だろ!? 君なら分かってくれると思っていたよぉ…」と、興奮しながら固く握手。しばし音楽談義しつつ、先日のインタビューでローリーさんが言っていたことの意味を考えた。
ローリーさんは「ワルツは紫とモンパチの間にいるバンドだと思う(笑)」と語っていた。本人は冗談めかしていたが、これには深い背景がある。
紫が米兵を相手にハードロックを演奏していた時代、コザの町は通りまで音楽があふれ、通れないほどに賑わいを見せていたそうだ。そんななかで、バンドといえば洋楽のコピーを指し、バンドをやるというのはステージに立ってギャラをもらうという事だった。THE WALTZの面々は、そうした時代を知っているし、実際中学生くらいからお金をもらってステージに立ったりしてきた。
モンパチは、日本語ロックが当たり前となったずっと後、沖縄のバンドが沖縄という意匠を必要とせずに全国ヒットした例だ。もちろん彼らの楽曲や発言の中にも沖縄を意識している部分はある。しかしそれは日本の一地方の出身者が持つ郷土愛と余り変わらないような“沖縄愛”のような気がする。
THE WALTZが一番暴れていた80年代後半から90年代、本土では「ロックは日本語で歌えるか」という時代から「日本語ロック→J-POP」へと進み、日本語ロックが定着してゆく時期だった。「自分たちの言葉でオリジナル曲を歌うバンドは他にほとんど無かったんじゃないか」とローリーさんは語っていたが、全国的な動きがあった時期と重なっている。
ただし、ローリーさんの言う「自分たちの言葉」とは、「日本語」でもなく、純然たる「ウチナーグチ」でもなく、ローリーさん達世代が話す「ウチナーグチ」だ。描かれる風景も、日本のロックバンドとはちょっと違う、フェンスに囲まれた沖縄の日常だ。沖縄の日常は描いただけでいろんな物を含まざるを得ない。
新城さんに、「なんでもっと伝わるように書いてくれなかったんですか」と言ったら「ずっとワルツは沖縄で最高のバンドだって書いてきたじゃない」といっていた。確かにTHE WALTZを文章で伝えるのは難しい。
私の場合、新城さんのなんとか良さを伝えようとした文章を読んだりCDを聴いても、オーソドックスなバンドスタイルなだけに歌詞寄りのバンドなのかなと思ってしまっていた。沖縄的な意匠が無いため、沖縄初期症状だったころは沖縄的という点でも物足りなかったのかもしれない。
しかしライブを聴けば、サウンドを含めてすべてが濃厚な沖縄に包まれたバンドだと言うことが理屈抜きに分かった。沖縄でしかあり得ない雰囲気を持っている。ローリーさんは「THE WALTZは(内地の)みんなが分からない沖縄を唄っている。そこを感じて欲しい」という言葉でインタビューを締めたが、ライブで聴くことが出来ればそれは容易だと思う。
THE WALTZはずっと変わらなかったわけで、理屈抜きで格好いいと身体が反応出来るようになるまで、私に時間が掛かっただけなのかもしれない。それだけでも住んでみた甲斐があったと感じた夜だった。
ここしばらく、沖縄について考えたり書いたりすることにちょっと上手く言えないモヤモヤを抱えていたのだけれど、THE WALTZを聴けて少し抜けたような気がする。
追記:
東京の沖縄ふぁんには幸せなことに、7月11日に初台のDOORSでTHE WALTZ初の“来日公演”が行われる。関東近県のみならず、いける人は是非行くべきだと思う。
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かつて無かった
2004.05.28
金曜日
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『沖縄スタイル』の出版元であるエイ出版が、沖縄に編集室を構えたのを機に事務所開きが行われた。エイ出版社長、プロデューサー、沖縄スタイル東京編集長、沖縄編集長ら首脳陣、ライターやカメラマン、広告代理店などが顔を揃えた。気合いが入っている。
東京の出版社が沖縄に編集室を構えるというのはかつて無かったことなのではないだろうか。気合いが入るのも無理もない。時代はここまで来たというべきか、エイ出版がちょっと変わっているのか、おそらく後者だろう。
社長以下の顔を見ていると、みなさんいろんな遊びを遊び倒してきたという感じ。紙面のリッチな感じはそんなところから来るのかもしれないけど、貧乏人の私はちょっと引く部分もある。
『沖縄スタイル』の別冊的なガイドブック『アイランドガイド沖縄 1.那覇』も発売となり、この日初めて実物を見た。写真がきれいで記事も詰め込みすぎず、ガイドブックというより雑誌のようにも見える。
有名でここは必ず載せるだろうといった店を減らして、その分知らない店が結構載っていたりした。その辺のさじ加減が流石だなと思った。この夏沖縄あそびにガイドブックを一冊選ぶなら、悪くないかなと思う。
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この絵がみられる
2004.05.27
木曜日
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『六月の沖縄』完成。週末には沖縄ツーリストや「銀座わしたショップ」で入手できるはず。これでひと休みモードも終了。明日からまた『六月の沖縄』を携えての活動が始まる。
さて、昨日の午後、喜納昌吉さんが7月の参院選比例区に民主党から立候補すると発表した。喜納昌吉さんが、菅直人前代表、鳩山由紀夫元代表、小沢一郎前代表代行と一緒に並んだ姿を「なは[Pasha]CLUB」がスクープしたが、今日の新聞に写真は無かった。ネット上を検索しても写真を掲載しているサイトは無いようだ。もしかしてこの絵がみられるのはなはパシャだけということになるのだろうか?
この件については面白半分で紹介しているわけではない。なはパシャを始めた狙いは、沖縄の今を伝えるためだと聞いている。ただし今といっても定点カメラで撮りっぱなしにしていればそれが今かというとそんな単純なことではないわけで、今回の写真は、なはパシャにとって象徴的な写真となったと思う。
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微妙に違う
2004.05.26
水曜日
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取材というか、様子見というか、飲み屋を二件ハシゴする。
一件目は、泡盛沖縄情報誌『伽楽可楽カラカラ』がオープンした「くーすBARカラカラ」。編集長や編集者、執筆者までがスタッフとして店にいるという変わった店だった。まさに紙面がそのまま店になったという感じの店だった。春雨のスペシャルブレンドと、グルクンのチキ揚げが美味しかった。
次ぎに、先日アエラの記事の中で一緒に紹介された若生さんのお店、旬菜Bar「びぃどろ」へと河岸を移す。こちらもまだ開店して半年くらいか。なんだか料理がとっても美味しく感じた。何と言ったらいいのだろう、そんなに特別のものではないのだけれど、丁寧な味だった。
ゴーヤーチャンプルも、ソーミンチャンプルーも、アレンジしているわけではないけれど、やはり沖縄の人が作るのとは微妙に違う。沖縄料理のオリジナリティと、彼女のキッチリとした仕事ぶりが上手く融合して良い方に落ち着いていると言ったらよいだろうか。
泡盛はごく普通に久米仙の「びぃどろ」オリジナルボトル(普通の泡盛に店のラベルを貼ったもの)。いきなり凝った品揃えをしていないところが、かえって背伸びをしない感じで良い感じがした。そのうち段々と泡盛の品揃えにも幅が出てくることだろう。
仙台からやってきたと言うことで、日本酒や塩辛、らっきょうのたまり漬けなんてものも美味しかった。さんまの季節が今から楽しみ。
追記:
「カラカラ」から「びぃどろ」に移動する途中、野球用品専門店の「ダッグアウト」の前を通りがかると、店主の田仲さんが帰るところだった。何故か胸に「Ryukyu」と縫い込まれたユニフォームをもらってしまった。なんか嬉しい。
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労働の報酬
2004.05.25
火曜日
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朝イチで『六月の沖縄』のデータ入稿。なんとか間に合った。夕方まで一寝入りして目が覚める。一段落付いたのでどこかへ飲みにでも行こうかなと考えているところに、暦の読者から電話があった。まるみかなーで一杯やりながら話すことにする。
読者の人はまだ沖縄に来て間もない人だったが、いろいろあって最初の会社を辞めて今はフリーで活動しているそうだ。むろん、暦についての興味から話題が始まったが、話は沖縄移住生活についてのことになる。
沖縄で暮らしていれば、一年目、二年目、三年目と、時間がたつごとにいろんなものが見えてくる。三年目に入った私なりに感じていることや、実際経験したことを話したが、なにか参考になっただろうか。暦についていえば、ぜひ得意な分野でお手伝いしていただきたいと話して店を後にした。
なんとなく物足りなくて、独りChuPanJahへ足を運ぶ。ちょっとお腹が空いたので食事を頼んで食べていると、新しいお客さんが入ってきた。今日はシンジ君一人で切り盛りしていてライブ演奏もソロ。だいぶ酔っぱらっていたが、Blues Harpとコーラスでちょっと手伝う。
お客さんはやたら喜んで同伴の女性と踊っていた。「ハーモニカは哀愁があってkjsdふぁfg(酔っぱらっていて聞き取り不能)」とかいいながら、ビールを一杯ご馳走してくれた。
実はちょっと音を出したい気分だったし、飲み足りなかったので、ちょうど良かった。労働の報酬に感謝。
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もう少し
2004.05.24
月曜日
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『六月の沖縄』初稿完成。校正が届くまで細々とした事を済ませる。気が付くと日記も一週間近く更新できないでいる。いろんな出来事があって書きたいことはたくさんあるのに。
そんなわじわじした気持ちで他人の日記やらblogやら眺めていると、みんないろんな所でいろんなことして楽しそうだなとうらやましく思う。
友達の日記に紹介されていた「電車男」のお話しを読んでいたらこれがなかなか面白くて持ち時間の間に貪り読む。良い話しだったけど、これ読んで甘酸っぱい気持ちになっている私はちょっと情けない…。
さて、今月もあともう少しだ。
追記:
師匠から電話で「明日白内障の手術するので今週はお稽古休むよ」と電話。先日の手術失敗事件では大事になったのでちょっと心配。
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忙しい日曜日
2004.05.23
日曜日
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『五月の沖縄』で収集したイベント情報件数は過去最高だった。黄金週間や母の日で催しものが集中したせいでもあるだろう。『六月の沖縄』では件数が落ち込むかと思ったが、それほどでもなかった。
情報が増えるとそれだけ制作に時間が掛かるのだが、取捨選択の見極め(割り切り)も良くなってきたせいか、制作自体もそこそこ早くできるようになってきた。
情報を集めて、確認して、なおかつ紙面の都合で半分近くは捨てなければ行けない。この捨てる作業がなかなか辛い。せっかく集めたものを捨てるという辛さもあるし、もしかしてこの中に面白いイベントがあるのではないかという怖さもある。
そんなこんなで今日は忙しい日曜日だった。
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吸い付くように
2004.05.22
土曜日
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今月のまるみかなー耳薬ライブは、開店二周年記念ということで、奄美の貴島康男と沖縄のよなは徹の豪華共演であった。(俗にユニット名を「シマップ」というとかいわないとか)
前半は、貴島康男の座開きで始まり数曲唄う。奄美民謡は不勉強なのでタイトルは分からないが、聞き覚えのある曲だったのでスタンダードだったのだと思う。解説を入れながら、丁寧な唄を聞かせていただいた。途中でよなは徹に交替。よなは徹は“入門編”をテーマに、初めて習うような曲を丁寧に聞かせた。
八重山民謡もそうだが、初めて習う曲=簡単な曲という訳ではない。こうしてあらためて上手な人の唄う入門曲を聴くと、ひとことにある曲を“唄える”といっても、大きな差があることを思い知る。(「とぅばらーま」だったら曲の力のおかげで聞いてももらえるが、「鷲ぬ鳥節」で良い唄だなぁと聴かせるのは難しい)
後半は、貴島康男とよなは徹が交互に曲を唄い、最後は一緒に共演となった。奄美の三線と沖縄の三線は音域が違う(弦も違う)ので、一緒に弾くだけで面白い厚みがでる。
二人の演奏に共通して感じたのは、ピッチの正確さだ。三味線の音が決まらないと上に乗る唄も精彩を欠いてしまう。ピッチの良さは唄三線の基本を支える部分なのだが、流石だ。
特に激しく装飾音が入り、高音のポジションへの移動も多い奄美の三線技法では、音程が取りにくいはずなのに、手元も見ずに吸い付くように指がポジションを捉えていた。
仰ぎ見るように唄い始める貴島康男。かみしめるように唄うよなは徹。基本のしっかりした人の演奏を聴くと、勉強になるし、とっても心地よい。まさに「耳薬ライブ」だった。
追記:
マイケル・ムーアの『華氏911』がカンヌ映画祭で最高賞の「パルム・ドール」を受賞した。早く見たい。桜坂で。
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通勤の中に
2004.05.21
金曜日
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ようやく「AERA(2004.5.25)」の本物を読む。先日読んだのは、友達が送ってくれたFAX。実物を見たら写真もカラーでびっくり。まぎまぎと掲載された写真は、他の写真と比べたらヨン様クラスの大きさだった。
AERAくらいコンビニで売っているだろうと思うだろうが、沖縄ではコンビニにAERAもNEWS Weeekもデフォルトではない。ビジネス街の久茂地界隈の本屋に行ってようやく買えた。
東京にいると、駅のキオスクや近所のコンビニは、通勤の中に組み込まれていることだろう。そこに揃っている雑誌などは、全国的に常識のように買われているものと錯覚しがちだが、そんなことはないということだ。
でも、これは沖縄だけのことではなくて、大都市圏以外では、定期的に週刊誌を買う習慣もあまり無いのかもしれない。毎週決まった雑誌を買って通勤時に読むというのは、大都市でのライフスタイルと深く係わっているのだと思う。
そんなわけで、沖縄では「AERAに載っていたね」といわれることはほとんど無かった。今週東京に行った人からは「AERAに載っていたね」といわれたのが面白かった。
帰宅したら、掲載誌が届いていた。もう買ってしまっていたが。
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強くイメージ
2004.05.20
木曜日
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先日させていただいた、ローリーさんのインタビューを短い記事にまとめる。あまりに文字数が少なかったので、7月に行われる、THE WALTZの東京公演の事くらいしか書けなかった。
もちろん良い話しはたくさんあった。今回カットした話の中でも、特に印象に残っているのは、「あの頃黒人ってもっと黒かったような気がする。白人の目ももっと青かった気がする」という話だ。当時のコザをイメージさせる強烈なコメントだったと思う。
7月のTHE WALTZ東京公演は本人も大変楽しみにしている。ローリーさんは「THE WALTZは内地の人には分からない沖縄を唄っていると思う」と語っていた。確かに、単純に海や空の美しさ、島への郷愁みたいなものを唄っているのとは違う。民謡のように意味は分からなくてもすぐ沖縄な曲調でもない。
それだけに、東京でローリーさんの唄う沖縄が理解されるようになったら、ある意味沖縄ブームも本物ではないだろうか、などとおこがましくも思ったりする。また、そうなってきているとも思う。
おこがましくも。
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種明かし
2004.05.19
水曜日
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今日、5月19日は、竹中労氏の命日なのだそうだ。ビセカツさんや小浜司さんの発案で、氏の記念碑を建てようという計画が持ち上がり、今年の命日は「竹中労石碑建立式典」とあいなった。小浜さんのお誘いでわたしもお邪魔した。
式典の場所は、コザ・中之町にある民謡クラブ「なんた浜」。建立される場所も同じ場所だという。民謡スナックにどんなふうに石碑が建つのかと思っていたら、店の入口の横にA2サイズくらいだろうか、黒地に白く文字が刻まれた石板が貼られていた。
石板にはおおよそこのような文面が刻まれていた。
竹中労 此処に遊ぶ
ルポライター 竹中労
何度もこの地に足を運ぶ
一九六九年〜一九九一年
石板の下には色とりどりの蝋燭がゆらゆらと揺れ、美しかった。
式典には、氏に縁のあるお歴々が顔を揃えた。上原直彦、ビセカツ、国吉源次、大城美佐子、知名定男、照屋政雄、大工哲弘、前川守賢、嘉手苅林次、饒辺愛子、名嘉睦稔、そして小浜司等々、ちょっと見回しただけでももの凄い顔ぶれだった(敬称略・順不同)。この面々が、入れ替わり立ち替わり、氏の思い出を語ったり、唄をうたったりした。
「石碑建立式典」という物々しいタイトルが付いているが、おそらく酒飲み座で始まった思いつきが膨らんで、大事になったのではないだろうか。会場の雰囲気は、ちゃんとした式典のようでいて、壮大なお遊びのようでもある。いや、やっぱり壮大なお遊びに違いない。これがコザの洒落であり、粋というものなのでは無かろうか。
皆さんの思い出話が続く中、高嶺剛監督のスピーチが心に残った。「竹中労さんとは少しだけ会ったことがあるだけだが、今日彼が復帰前後に書き残した文章を読み返すと、その後の沖縄の辿ったシナリオを読むようだ」と(いうような内容を)語ったとき、激しく同意した私だった。
正直なところ、私が竹中労氏の事を知ったのは、イカ天で登場した「たま」を絶賛しているおじさんとしてであり、その後すぐに亡くなってしまったので良く知らなかった。もちろん琉球フェスティバルを企画し、数々の沖縄民謡音源を世に知らしめた人と言うくらいは知っていたが、今日の集まりに集まった人の中では、一番不勉強な参加者の一人だろう。
後付で氏のことを知った私が、殊更に思い入れがある振りもしたくないけれど、高嶺監督の言葉に感じるものがあったと書いてもお許し頂きたい。たった一冊読んだ事のある『琉球共和国 汝、花を武器とせよ!』に描かれた、復帰直前の沖縄の活き活きとした芸能の様子や、鬱々と山積した問題への明快な批判からは、自分が今暮らしてみて日々感じている沖縄への違和感のようなものについて、種明かしをしていただいたような感覚を覚えている。
そんな思いもあって、賑やかに続く宴と自分の間に一枚幕が掛かっているように感じた。最後のカチャーシーには飛び出すことが出来なかった。この場は私なんぞが知った風をしてしゃしゃり出る場ではないだろう。
小浜さんの締めの言葉が終わると、皆さん足早に帰途に付いていった。残ったのはかえって、この日コザ泊まりを決め込んでやってきた、民謡好きのナイチャー達だったりしていた。
今日の席に、嘉手苅林昌(故人)、登川誠仁、照屋林助、山里勇吉さんが列席できなかったことに、時代の流れを感じつつ、潮が引くように終わった祭りの後を私も立ち去ったのであった。
小浜さんご苦労様でした。
追記:
「噂の真相」の岡留安則編集長がいらしていたのには驚いた。雑誌等に載っていたとおり「松山通いでもして二年間は遊んで過ごします」と語っていたが、沖縄の“噂の真相”も暴きたくなるのではないだろうか。
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いつのことに
2004.05.18
火曜日
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そろそろ『六月の沖縄』の準備が佳境に入ってきた。今週は用事も多いので大変。台風も来てるみたいだし。
昨夜、ケーブルTVでマイケル・ムーア監督の『Bowling For Columbine』を放送していた。今日のテレビニュースでは、新作の『華氏911』がカンヌ映画祭で絶賛を浴びた事を報じていた。いいタイミング。
『Bowling For Columbine』は、桜坂シネコン琉映で見ることが出来たけど、『華氏911』が見られるのはいつのことになるのだろうか。『華氏451 (フランソワ・トリュフォー監督)と二本立てなんて、いいと思うんだけどどうだろう。
琉映の内村さん、よろしくお願いします。
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島の住人
2004.05.17
月曜日
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瀬底島に「FOUR ROOMS」という宿を準備中の渡辺兄が、久しぶりに那覇に出てきたので昼飯を食べながらちょっと様子を聞いた。まだオープンしていないのに、珍客万来らしい。
食堂スペースでご飯を食べていると外から人が覗いていたり、喫茶店だと思って勝手に席に座っていたおばちゃん連中とか、建物を取材に来た建築家とか、どうやらこの土地は人が集まってくる場所だったようだ。
まだ、正式には値段もサービス内容も公表していないし、予約も受けていないのだが、メールやら電話やらで問い合わせが来ているらしい。今や沖縄ヲタクと化しているヘビーリピーターには、死角はないということか。この夏、他の人を出し抜く格好の新ネタになっているのかもしれない。
渡辺さんには「いつでも遊びにおいで」と呼ばれているけれど、この夏場はすぐにいっぱいになってしまうんだろうな。北部観光には絶好の拠点にもなるし、是非泊まりたい人は早めに予約した方が良いだろう。
時々、渡辺さんから電話がかかってくるとき、うしろから虫の音や風の音が聞こえてくる。そんな時不意に、「ああ渡辺さんはあの島の住人になったのだな」と感じたりする。
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相手の真意
2004.05.16
日曜日
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以前取材を受けた記事が掲載された「AERA(2004.5.25)」を読む。「本土移住者がぶつかった沖縄移住の壁」という記事になっていた。移住者数人を取材して、移住の現実を紹介する特集記事だったのだが、一番最初にでっかく私の写真が載っていて驚いた。
自分の語った言葉が記事になる経験は初めてではないけれど、伝えたかったニュアンスとは違う部分が気になった。というか、もっと分かり易く語らないとこんな風に解釈されてしまうのだろうかと焦った。
特に「東京に行くと、皆、病気に見えるんです」という部分には焦った。確かに「初めて沖縄に旅した時に、羽田から自宅へ帰る電車の中で見た人たちが病気に見えた」という話はしたけれど、それは沖縄初心者が強いインパクトを受けたときの逸話として自らの体験を語ったはずだった。
もちろん、その後もずっとそう思っているわけではない。今にして思うと、他人が病気に見えたのは、自分が問題を抱えていたのだと分かる。最近は、沖縄と東京の良いところ悪いところを、両方とも感じながら暮らしている。
最近、自分自身も段々とインタビューをする機会が増えてきた。深い部分に踏み込めば踏み込むほど、相手の真意が何処にあるのかをきちんと把握しながら記事にまとめなければ、と気持ちを引き締めた。
今回のAERAは発行部数がデカイだけに、影響力も大きいだろう。できたら一度くらいゲラを見せてもらいたかったなと思った。
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趣味に走って
2004.05.15
土曜日
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次号の箆柄暦の情報確認のためまるみかなーへ行く。6月のまるみかなー耳薬ライブは内里美香と上間綾乃のジョイントだそうだ。チュラカーギーコンビで楽しみなり。
さて、店には来週結婚するという女性とその友達の4人グループがいた。なんだかよく分からないが、小浜さんがそのお客さんのためにとかけていたカバーアルバムに納められていた、アイランドの「Stay with me」のカバーが盛り上がった。
そこからアイランドのオリジナルの「Stay with me」、続いて喜屋武マリー with メデューサの曲がかかった。オキナワンロックの臭いがプンプンしてくる。そこからディープパープル、ツェッペリンと流れて、Queenへ。
ディープパープルの「BlackNight」からあとは、すべてアナログLP盤の大音量再生。やっぱりロックはアナログで大音量で聴くとたまらない。こんな風に聴ける機会は最近そうそうなかった。DJ小浜最高!
更に勢い余ってみんなでカラオケへ。最初はちょっと前の曲や懐かしい曲など唄っていたが、その後かなり趣味に走ってしまった。鈴木慶一とムーンライダースの「スカンピン」を唄うに至っては誰も付いて来ていなかった。御免。
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大琉球展
2004.05.14
金曜日
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今日は武三さんが新宿京王百貨店の大琉球展に出演した。私は見ていないが、ステージの様子を見た東京担当他からレポートが届いた。大勢の人が詰めかけ、なかなかの盛況だったらしい。
最初のうちは客席と呼吸が合わなかったようだが、トークや踊りで徐々にお客さんを掴み、結局最後のカチャーシーでは大盛り上がりとなったそうだ。たまたま会場に来ていた比屋根幸乃さん(初代ネーネーズ)も乱入というおまけまで付いたらしい。
やはり、中でも見応えがあったのは武三さんの太鼓と松田末吉さんの早弾きバトルだったと聞いた。音圧が凄かったと感じたそうだ。この組み合わせを聞けた人たちは、なかなかラッキーだったと思う。
私と言えば、ペーニャあまんかいへシルビオさんのお誕生日祝いにでかける。お友達、お友達の子供が集まり、賑やかなパーティーとなった。いつもながら抜群に美味しい料理と、子ども達の空手演舞や、娘のミミちゃんのギター演奏も楽しんだ。
が、最後までいられない。今週もChuPanJahで金曜セッションの約束をしていた。シルビオさんに挨拶して、次へと駆け付ける。ChuPanJahのセッションも、新たなメンバーやお客さんが来て楽しかった。
良い週末だった。
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出来て当たり前
2004.05.13
木曜日
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お稽古の時間より少し早く行って「鶴亀節」を習う。この曲、師匠も兄弟子も「易い(簡単)」と言うけれど、なかなか上手く弾けない。
白保節の遅弾きと似ているので、節や手がそのイメージに釣られてしまう。節の音程や力を入れるところも三線の手とずれているので掴みにくい。特に三番の歌詞が上手く乗らなくて手こずっている。
それでもだいぶ形にはなってきた。もうちょっとかな。「鶴亀節」はスタンダードのひとつ。こういう曲は、出来て当たり前的に思われているので、マスターしておかなければ。
ちらしが揚げ弾きでなかなか楽しいが、こっちも唄が上手く乗らない。やっぱ、まだちょっとかかるか…。
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不思議なもの
2004.05.12
水曜日
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映画『風音(ふうおん)』の公開を記念して、東陽一監督作品の特集上映が行われている。上映委員会の方から、東陽一監督が来沖しているので会いませんかとお誘いがあった。
今日の特集上映は、1968年の沖縄を記録したドキュメント作品『沖縄列島』だった。最終上映の前に東陽一監督のトークイベントがあり、映画を見た後トークイベントを聞いた。
イベントの後、スタッフのみなさんと飲み会に移動。上映委員会のリーダーは、シグロの代島治彦さん。代島さんは名作『パイナップル・ツアーズ』のプロデューサーだった人。
気が付くと、奥に座っていたのは『パイナップル・ツアーズ』の第三話「爆弾小僧」を監督した當間早士さん。他にも当時係わった人、琉大映研OBが。東陽一監督を中心に、当時の沖縄や昨今の沖縄映画の話に花が咲く。
それにしても不思議なものだ。『もう頬杖はつかない』『サード』等を撮った監督の隣で、私は映画談義に加わっている。大好きだった『パイナップル・ツアーズ』のスタッフ達もいて当時の話を聞かせてくれる。沖縄と言うところはつくづく珍しい。
おまけに、隣の席にいたグループではアルベルトさんが盛り上がっていた。先日の那覇ハーリーのステージでの取材のお礼を述べると、さわやかな笑顔で「ありがとう」と応えて握手。握手って沖縄っぽい。
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読むには骨だが
2004.05.11
火曜日
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『沖縄スタイル』で沖縄で宿を開くまでの奮戦記を連載している渡邊修一さんの宿がほぼ完成して、関係者のみのテストランまでこぎ着けている。私は行けなかったが、なかなか好評だったようだ。
サイト「沖縄ニ宿ヲツクル方法」の方も、出来ているところまで仮オープンした。私が作れる範囲なので、特別な技術は何も使っていないが、渡辺さんは大いに気に入ってくれている。アクセスもそこそこあるようだ。
文章中心のサイトで、全部読むには結構骨だが、見に来た人はほぼ最後まで読んでいるようだ。関心の高さが伺える。
宿の成功を心よりお祈り申し上げます。
追記:
今日のお稽古の方はゆっくりたっぷり出来た。ダメなりに少し感じが戻って来つつある。この感じをしばらく続けたい。
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ちょっと怖い
2004.05.10
月曜日
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しばらく前に、某全国メジャーの週刊誌の取材を受けたが、どうやら来週号に記事が載るらしい。ひどい目にあっていてキツイ時期だっただけに、かなりネガティブな発言をしたような気がする。どんな記事になっているのかちょっと怖いではある。
かなりメジャーな週刊誌だけに、東京時代の業界の人たちや、大学時代の友達、同級生などの目にも付くことだろう。いろんな風に捉える人がいるだろうと思うが、もうそんなことはどうでも良いと思っている。それだけ今、自分なりに必死な気持ちを持って暮らしている。
取材は下川裕治さん、写真は砂守勝巳さん。
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凛々しくて
2004.05.09
日曜日
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當間武三母の日公演当日となった。昼の部の始まる一時間ほど前に会場入りした。すでに会場の準備は整っており、出演者やスタッフは、楽屋口の賄いテントで食事をとっていた。武三座長は控え室にこもっていた。
会場の入口にはすでに長い列が出来ていた。母の日といえば県内各地のホールやホテルで母の日企画の公演が集中し、一番競争の激しい日だが、そのなかでいつにもまして多くの観客を呼べるとは、武三パワー恐るべし。
今回のポイントはキャスティングだっただろう。時代舞踊劇『神の恵み』での医者役、喜劇『亀さんよ』での亀さん役を演じた具志堅政彦の演技が光った。武三座長や瀬名波孝子さんら、ベテランの芝居としっかり噛み合っていた。この人がプロの沖縄芝居役者では無いというのには驚く。
空手舞踊を交えた舞踊喜劇も良かった。この出し物のために、照屋正江・神谷三千代琉舞道場の若手の女の子達は、空手の基本から始めた。踊りに加えて空手まで、大変な練習の苦労の甲斐あって、みんな凛々しくて格好良かった。
笑わせる場面では山川宗春の演技が客席を湧かせた。彼はまだ若いのに沖縄芝居が大好きで、バイトをしながらいろんな劇団に出演しているのだそうだ。打ち上げの席で座長と即興でウチナーグチのセリフのやり取りをしても相手が出来るほどの実力。沖縄演劇会の貴重なホープ。特に今回は活き活きとしていた。
ゲストの吉田康子(初代ネーネーズ)さんは、昨年名護で行われた母の日公演に続いてのゲスト出演だった。幕開けの舞踊と、自身のヒット曲「ぱにーじぱにーじ」を唄った。「ぱにーじぱにーじ」は武三一座の舞踊との共演だった。吉田さんが歌い出すと、すっと声が抜け出るように際立った。流石。
余興では、宜野座軍団vs西原軍団のネタ勝負が勃発。宜野座軍団の「やえやま政彦くちとぅばらーまを唄う」が大爆笑を誘い、楽勝かに見えたが、西原軍団の大城隊長の繰り出す力業の笑いにあえなく撃沈。そこへ今回松田弘一研究所から送り込まれた若手唄者がマジ唄で決めにかかる。いつもながら超豪華余興。この余興だけでもお金が取れると思う。
座長は打ち上げの最後まで芝居について熱く語っていた。週末は新宿京王百貨店の大琉球展に出演するので、体調に気を付けて、東京の人たちに良い舞台を披露して来て欲しいと思う。
追記:
公演中外はどしゃ降り。外に出るともの凄い湿度とぬるい空気が身体を包む。思い切り亜熱帯を感じる。
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立ち読み
2004.05.08
土曜日
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鼻風邪が治まらないので、大人しく家で作業。夕方になってもどうも調子は治らない。明日、武三さんは母の日公演なので、今日は舞台でのリハがあるのだが取材はキャンセル。夜は友達の家でお茶会があったのだが、これも我慢。
コンビニでちょいと買い物。雑誌コーナーで、ボーダーインクのWEBに「コーラルウェイに似てきたカラカラが届き、ハンズに似てきたコーラルウェイが着き(後略)」とあったのを思い出しながら立ち読み。
大変僭越ながら、カラカラは、全編平成明朝で組まれているのをなんとかした方が良いと思った。こだわって作られておられる雑誌なだけに、書体の選択がもったいないと思う。(何故と問うなかれ…)
追記:
ハーベストファームさんからji ma maの新譜とかが送られてきた。感謝。野田さんの日記を見ていたら、カラカラから沖縄そばの本でも出るのかなと思った。
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まかないをみんなで
2004.05.07
金曜日
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どうやら風邪を拾ったらっしい。去年もこんな時期に風邪をひいて非道い目にあったので要注意だが、今日のChuPanJahでのセッションは前から約束していたので休めない。とにかく行く。
いきなり初めてのメンツでスタートしたので、ワンステージ目は掴めないまま終わった。お客さんからハーモニカを見せてくれといわれたので見せると、「僕のと同じなのにどうしてそんな音がするの」と聞かれた。
お客さんも同じ10穴ハーモニカを持っていた。普段は唱歌とかを吹いているという。教えるほどのものでもないが、ブルースでの吹き方の簡単なレクチャーをしたら喜んでいた。
休憩の合間に、お稽古代わりに三線も弾いた。これには特に反応無し。その後、何回かセッションを繰り返して今日の出番は終わり。気が付けば鼻水ちゅるちゅる状態。
ところで、このお店はライブハウスなのだがお酒と食事がしっかりと美味しいので、飲みに行く店としても悪くない。私の拙い演奏の日も充分元が取れるはず。演奏の後、そらさんが作るまかないをみんなで食べる。これがまた美味しい。
追記:
ChuPanJahは、五月中は飲み放題+食べ放題+ライブチャージ込みで3000円なので、是非一度お試しでご来店あれ。場所は西武オリオンの真裏。
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五月蠅いよ
2004.05.06
木曜日
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微妙な唄い回しを習っているところなのに、廊下で違う調弦で音を出されてはたまらない。注意しようと思ったら「五月蠅いよ」と口をついて出ていた。「いきなり五月蠅いとは何事だ、喧嘩を売っているのか」と逆上された。
まあ、確かにいきなり「五月蠅いよ」は不味かったかなとも思うが、どうせ何と言っても同じだっただろう。あまりにいつも邪魔ばかりするものだから、こんな言葉が口をついて出たのも無理もない。特に気に病むこともなかった。
つべこべ言っていたがずっと無視していた。そこには誰もいないと思って練習したら、その後のお稽古はかえって集中できた。
追記:
大学時代にBluesを教えてくれた先輩がクロマッチックハーピストとして活躍していることを知った。噂には聞いていたがWEBが出来ていたのでどんな活動をしているかが分かった。matsumonicaなんて格好いい名前まで付けちゃって。沖縄にツアーに来ることがあれば久しぶりに会いたいなと思う。
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コンガも炸裂
2004.05.05
水曜日
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沖縄県地方はどうやら梅雨入りらしい。那覇ハーリー最終日の取材に行くが、空模様は微妙。
午前中は當間武三ショー。午前中だというのに会場にはお客さんがいっぱいだった。やっぱりこの人の踊りは上手い。それとやっぱり那覇ハーリーに「塩屋ぬぱーぱー」は欠かせない。
ライブのメインは「ディアマンテス&ルビエス」。取材許可が取れたのでステージ下で撮影ができ、かなりの寄り具合で写真が撮れた。沖縄のミュージシャンってなんでこうCDとライブに差があるんだろう。久しぶりに生で見たディアマンテスは格好良かった。ついつい唄いながら撮影していた。
夜はChuPanJahのセッションに呼ばれていた。アルベルトの叩くコンガに触発されて、二年間部屋に眠っていたコンガを抱えて店に向かう。そんなものを部屋に寝かしている奴は他にいまい。店のメンバーの度肝を抜いた。今夜はHarpに加えて、久々コンガも炸裂となった。
箆柄暦の東京担当、銀座担当、鶴見担当の皆さんの前で演奏できて嬉しゅうございました。もうちょっとまとまったセッションが出来るようになっていればなお良かったんですけど、それはまた今度…。
最近、器用貧乏、下手の横好きぶりが大復活しているなぁ。
こんなんで良いのだろうか…。
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おつなデビュー
2004.05.04
火曜日
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民謡を聴ける店を取材したいと言うことで、ライターさんに何ヶ所かお店を紹介しつつハシゴした。
お店自体の紹介というわけではなかったので、初心者向けには観光客向けの出し物を用意しているこんな店、定期的に民謡のライブがあって民謡の話題の豊富なこの店、いわゆる民謡スナックの例はここ、といった具合に、ジャンルごとにチョイスして紹介した。
民謡スナックとは、基本的には民謡のステージが付いたカラオケスナックという感じの店で、庶民のゆくい処。みんなで唄って楽しむ場所。沖縄本などには、ことさらに持ち上げる記事が目に付くが、民謡そのものをじっくりと楽しむ場所とはちょっと違う。一般に楽器も音響もあんまり良くない。
といっても、私の知っているのは那覇でのお話し。コザの民謡スナックは全然違うと良く聞くので、来月の「竹中労記念碑建立式」の時の「なんた浜」は楽しみにしている。
それはともかく、三件目の民謡スナックではライターさんの伴奏を勤めたり自分でも何曲か唄った。なかなかおつな取材&民謡スナックデビューだったのではないだろうか。
追記:
こんなお相手だったらそこそこ出来ますので、御用の方は連絡下さい。
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昔話
2004.05.03
月曜日
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コザまでローリーさんのインタビューに行く。今回は東京担当と一緒に話を伺った。
ローリーさんは格好いい人だった。ハッキリ思ったことを言うし、そこに嫌みがない。自分なりの美意識がしっかりある人なんだと思う。気むずかしい人との噂も聞いていたけどそんなこともなく、昔のコザの話とか雑談も含めて気さくに答えていただけたと思う。
今月末には、ローリーさん率いるTHE WALTZのライブが、那覇マイルストーンで行われる。これは楽しみ。7月11日には、なんと東京のDOORSでもTHE WALTZのライブが行われる。
本土で、THE WALTZがちゃんとワンステージやるのは初の快挙だそうだ。スタッフの人たちの熱意のたまもの企画と言えよう。オープニングアクトを引き受けたノーズウォーターズの意気も良し。この機会にたくさんの皆さんに見て欲しいと思う。
さて、今日は一日出ずっぱりでぐったりして家に帰ったけど、ChuPanJahの政田さんから「古い知り合いのライターさんが来ているからおいで」とのお誘い。どんな仕事で来ているかはここでは内緒。
政田さんから昔の(30年以上前)沖縄のバンド時代の話を聞いた。今日のローリーさんの話ともリンクしていて、興味深かった。有名なミュージシャンの昔話で聞いてはいたが、知り合いの話だとよりリアルに伝わってくる。
演奏が終わり楽器車が去るとき、同じような年頃のアメリカ兵が泣きながら「演奏ありがとう」と見送ってくれた話にはこみ上げる物があった。「あいつらはまだ生きてるのかなぁ…」 ベトナム戦争っていっても、ついちょっと前の話なんだ…。
5日の夜のセッションには、那覇ハーリーのディアマンテスのステージが跳ねたあとから参加すると約束して帰宅。
追記:
友達に「気むずかしいのはおまえの方だろう」と突っ込まれてしまった…。ごもっとも。
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沖縄通い
2004.05.02
日曜日
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連休も半ば、こまごまとした作業を片づけて過ごす。
国際通りで店を開いている知り合いに今年の様子を聞くと「去年も観光客が多かったけど、今年はもっと多い」と言っていた。このゴールデンウィークに国内旅行をする人の80%が沖縄旅行だという。ホントかどうかは別として、たしかに観光客だらけという感じ。それくらいの感じはする。
沖縄って今、天然のテーマパークなんだと思う。今の国内旅行沖縄一人勝ち状態は、「遊園地に行く=TDLへ行く」という図式に似て来たように思う。なんだか知らないけど、とにかく沖縄に何度も行くという感じ。いっそ沖縄も入県料を取ったり、年間パスとか発行したらいいのではないだろうか。
以前は「なんで沖縄にしょっちゅう行ってるの?」と怪訝な目で見ていた知り合いまで、嬉々として沖縄通いに精を出すに至っては笑うしかないが、私に沖縄の素晴らしさを説明するのは辞めていただきたい。
ていうか、そんな沖縄何処にあるんだよ…。
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那覇ハーリー
プログラム
2004.05.01
土曜日
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最近飲むと次の日からだが重い。お酒を飲むのって結構体力がいるような気がする。歳だねまったく。
まったりと過ごしつつ、那覇ハーリーのプログラムをPHS(!)で見られるように、幅8文字のテキスト形式にまとめる。自分のPHSと友達の携帯へメールして具合を確かめる。
といっても、単純なテキストメールで、絵文字も何も使っていないので、読めないはずはない。なかなか見やすくて便利なので、そのままhtmlにしてミニサイトを作る。ついでにハーリー競漕の対戦表も載せた。これも友達の携帯にURLを送って見てもらった。好評。
なんでこんな事をしたかというと、沖縄テレビや那覇市観光課のサイトにある情報がイマイチ使いにくいと思ったので、自分ならこうするというのを形にしてみたかったのだ。
絵文字を使わないのにはいろいろ理由はあるが(スキルの問題とかね)、やっぱり不特定多数の人に見ることが出来ないキャラクタを使うことに抵抗があるから。半角カタカナも同じく使うべきではないと思う。
箆柄暦番外編『那覇ハーリープログラム』はこちら
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