箆柄日記(2004年7月)

沖縄民謡は
格闘技だった
2004.07.31
土曜日

今日はダブルヘッター。パレット市民劇場で劇団58号線『女優子(おんなゆうこ)』と、まるみかなーで照屋政雄さんの耳薬ライブ。

『女優子(おんなゆうこ)』にはChu Pan Jahで一緒にセッションしているメンバーが参加している。シンジ君は先輩役、ユウスケ君は音響担当だった。それとは別に、武三さんの公演に出演している山川宗春君も地方の鳴り物で参加している。(マジカルの田村さんの娘さんも出ていたそうな)

資料を見ると、このお芝居、笑築過激団の玉城満原作『女優子〜うるま島ハンドー小』をリメイクしたものだそうだ。91年3月に今は無き沖縄ジャンジャンで初演。三百人劇場でも上演したとある。初演のオリジナルキャストは、普久原明、糸数志津子、新垣正弘、津波信一、生田ひろみ、ピアノに玉栄政昭だったそうだ。

正直、あんまりお芝居に興味はないので期待していなかった。お付き合いのつもりで行ったのだけれど、意外と楽しめた。タクシー運転手役の普久原明さんの演技がどっしりしていて良かった。

ちょっとおどろおどろしい演出があって、その場面がチラシのビジュアルになっているのだけれど、これはもっと違うシーンを使った方が集客につながるのではないかと思った。

芝居が跳ねて、まるみかなーへ移動。照屋政雄さんの演奏も、すでに第二部の後半に差し掛かっていた。「ホレホレ節」から5曲くらい聴けただろうか。

演奏は少ししか聴けなかったが、お話しはたっぷり出来た。どんとさんやハシケンさんの話あたりを切り口に、林助さんやりんけんさん、昌吉さんや沖縄芝居の人たち、三線屋としていろんな人に接してきた話をたくさん聞かせていただいた。

そうした自分の体験を伝えてゆくのが自分のこれからの役割だと語っていた。「政雄先生は戦後沖縄芸能界のハブ(HUB)ですね」と言うと、なんで私がハブか?と目をキョロつかせて不思議そうな顔をしていた。


ライブも終わってさあ飲むぞ!

政雄先生は戦後の貧乏なとき、商品の食料が欲しくて赤マルソウがスポンサーの民謡勝ち抜き番組に出たそうだ。小浜さんのいう「かつて沖縄民謡は格闘技だった」というのは。こういう必死の勝負を指していたのかもしれない。

そんな時代の民謡勝負をみてみたかった。
今夜も、「嗚呼、タイムマシンがあったなら…」と思う夜だった。


有名だから
というだけでは
2004.07.30
金曜日

Chu Pan Jahで、金曜レギュラーセッション。最近月に二回くらいで定着してきた感じ。なんだか知らないけれど、気に入って毎回来てくれるお客さんもいてありがたいこってす。

東京にいた頃は、バンドって先ずは上手くないとやってはいけない物のように思っていた。もちろん聴く人に不快感を与えない程度の技術水準というのはあるものの、結局その場にいて楽しいかどうかは、上手いかどうかだけじゃないんだと最近痛感している。

また、チケットを買ってライブを聴きに行くのと、音楽のある店で楽しく時間を過ごすというのはまた違った種類の楽しみ方で、言うなれば酒飲み座の楽しみは上手な演奏を拝聴させていただくというのとは違うのだ。

沖縄のライブなり公演なりの会場で感じるのは、どんなに有名な人でも出演者を神格化しないということ。楽しくなければ相手が有名人でも「この兄さん大したことないね〜」と平気で口に出す。

大金を払って、有り難がって拝聴するというようなことはなくて、あくまでも楽しむのは自分の方の側。有名だからというだけでは納得しない。ある意味シビアなお客さん達だと思う。

そうそう、沖縄の女の子が「東京の人はなんであんなにブランド品を買うのかびっくりした」と言っていた。「私たちだってブランドに興味はあるけど、ブランドだから買うとはかぎらんよ」とも。これは共通する価値観かも。

ふり返って、沖縄は今、沖縄というブランドだけでだいぶトクをしているように思う。ブランドが通用するうちに、中味を磨かないとね。


夏のCM奪還
2004.07.29
木曜日
来月の箆柄暦は琉球フェスティバルの特集号として、出演者へのインタビューやコメントを掲載する予定。琉フェス会場でも配布する予定だ。したがって、約3000人の沖縄病患者の目に必ず触れることになる。

琉フェス会場近辺の沖縄料理屋さんは、是非琉フェス流れのお客さんを狙った広告をお薦めする。また、その他全国の沖縄物産店やネット販売なども効果があるはずなので検討していただきたい。

さて、ホットスパーのCMで華麗なる空手着姿を披露している新良幸人さんだが、今度はパーシャクラブオリオンビールの夏のCMを奪還。「十五夜流り」の曲に乗せて、各地域のエイサーの映像が挿入される夏らしい仕上がり。

夏・エイサー・滴る汗・オリオンビール! といった感じで、すぐにもビールが飲みたくなってくる。ここ数年、夏のオリオンCMの座を奪われていたが、メンバーのみなさんも、この夏はさぞやビールが美味いことだろう。

次は是非、オリオンビール・パーシャ缶の発売を希望!


外人さんの前で
2004.07.28
水曜日

箆柄暦『八月の沖縄』配布開始。都内への発送も完了。

さて、箆柄暦の活動に参加したいというメールを頂いていた東京研修生(仮称)が来沖。何通か同様の問い合わせがあって、「断っておきますが、うちは出版社とかではないし、ギャラも出ませんよ」と返事をした中で、唯一それでも参加したいと名乗り出た殊勝な人。

研修生と呼ぶのはまだ学生で、出版関係の仕事に着きたいという気持ちがあるということから。そういう意味では勉強にはなると思う。いろんな所で顔を覚えてもらえば、なにかチャンスがあるかもしれないので、後は自分次第。頑張って下さい。

で、なんとChu panJahで以前働いていた人と同じ大学の同じサークルにいることが発覚。そんなわけでChuPanJahで待ち合わせた。ChuPanJahバンドの演奏を聴いてもらったり、『八月の沖縄』を手伝ってもらった感想を聞いたりして過ごす。店のみんなも段々思い出してきたようで、リラックスした初顔合わせとなった。

ひとしきり話しも済み、もう帰ろうかと思っていると、ガタイの良い外人さんの団体が入ってきた。たぶん空手系だろう。で、もうワンステージ手伝おうことになった。外人さんの前でBluesだのRockだのやるというのでちょっと緊張したが、まあまあ喜んでいただけたようで…。優しいみなさんで助かった。

70年代のコザ。バンドマン達は、もっともっとこの何十倍も殺気だった外人の前で真剣勝負を繰り広げていたんだろう。ほんのちょっとだけ、その気持ちを味わえただけでも幸運だった。

マスターの政田さんは、昔キャンプ周りをしていた経験がある。今宵のマスターのドラムはとても頼りがいがあった。

追記:
昨日お稽古から帰ってくると、なんと郵便受けに無くしたPHSが。誰かが拾って届けてくれたようだ。奇跡。早速AH-K3001Vは返品。もとの機種に戻してもらった。改めて旧機を使ってみると、もちろん使い慣れているということもあるけれど、やっぱり操作がシンプルで使いやすい。インターフェイスが直感的で分かり易くできている。携帯にしてもPHSにしても、ホントに進化しているのだろうか…。今回のPHS紛失騒動はいろんな意味で良い勉強になった。それと、お客の我が儘に快く応じていただいたお店に感謝。


無視して良い
2004.07.27
火曜日

京ポンことAH-K3001V。迂闊にもMacOS非対応だったことがわかる…。しかも、MacOSXもMacOS9も。

データ通信のドライバが出ていないので、ネットへの接続ができない。DDIが無料で提供している電話帳などの編集ソフトにもアクセスできないので、電話帳の一括登録もできない。バグっていたソフトウェアのバージョンアップもMacユーザーは行えないというありさま。

なんたる体たらく。パソコンからのネット接続が売りのPHSがMac用のドライバひとつ付けないでどうする(有志による非公認のドライバも出ていますがそれで良いという問題ではないと思う)。話題のOpelaブラウザより先にやるべきことでしょう。

世の中のほとんどはこういう傾向だから、こっちは無視して良いだろうという姿勢がどうしても受け入れがたい。野球ファンのほとんどが巨人ファンだから、球界のことは巨人が決めると言われているような感じが気になる。

DDIポケットのPHS事業は、カーライルと京セラのコンソーシアムが買収することになっているが、もしこういう方針なら、PHSの先行きが不安。というか、世の中のほとんどが携帯ユーザーだから、PHSなんぞ無視して良いだろうということにならなければ良いけど。

お店に相談して、明日別の機種に交換してもらうことにした。


緊張感
2004.07.26
月曜日

箆柄暦『八月の沖縄』完成。今週末あたりから流通する予定。今月は750件以上の情報の中から精製している。もの凄い情報量だった上に、PHS紛失したり、別件が重なったりで、かなりの悪戦苦闘だった。

悪戦苦闘の一因でもあった『沖縄スタイル』の3号が発売となった。編集部に行ってサンプル用の数冊をもらって帰る。次の企画をいろいろ話してきたけど、相変わらずスケジュールの問題が厳しい。ここからきついことになると、コンクールも控えているのでマズイなぁ。

それと結局、京ポンのPHSに機種変した。auに乗り換えは本体が高かったのと、やっぱり電話番号の問題。早急に対応するにはこの方が良かった。いずれにせよ痛い臨時出費。

そりゃPHSだとやんばるとか離島では通じないけど、通じないくらいがちょうど良いんだよ、ホントはね。

無くしてみて分かるけど、便利な反面、携帯やPHSが無かった頃の方が、効率よく仕事していた部分も多かったと気が付く。スケジュールはもっと早くからきちんと約束して決めていたし、時間通りに約束の場所に行っていた。遅れたり迷ったら、せっかくのアポが無駄になってしまう緊張感があった。

今の若い子達は、勇気を出して女の子の家に電話したら、親父さんが出てきて「娘に何の用ですか」とかいわれた経験なんて無いだろうね。それもひとつの緊張感だったけどね。


●●●
2004.07.25
日曜日
鋭意執筆中



黒ヒゲ危機一髪
2004.07.24
土曜日
友達から、メールの受信フォルダが壊れたと悲痛なメールが。

「OutlookやOutlookExpressのメールフォルダって2GBを超えると読めなくなるなんて知らなんだ〜。(T_T)」ということらしいのだが、なんじゃその黒ヒゲ危機一髪みたいなシステムは。欠陥じゃないかそりゃ。

だいたいなぜメールフォルダが2GBとかになってしまうのかが意味不明。ちょっと調べてみたが、自分の約5年分のEudraのフォルダ見ても、添付書類を含めたって400MB位。時々不要な添付ファイルを捨てては来たがそんなにマメに削除もしてこなかったのにこの程度で済んでいる。

別の友達に聞くと、OutlookやOutlookExpressのメールってメールに添付書類が埋め込まれた状態で保存されてしまうので、添付書類だけ削除できなくて受信フォルダが肥大化するらしい(情報間違っていたら済みません)。

ある容量を超えてはいけない制限があるのに、容量が肥大化するファイル管理システムを取っているなんて、一体何じゃその考え方は…。

だから、賢いユーザーは添付書類だけ削除できるメーラーに乗り換えるってことらしいけど、添付書類だけ削除できることごときが優れているということになるのか…。唖然。

世の中びっくりすることだらけだねぇ…


紛失してしまった
2004.07.23
金曜日
ショック。長年愛用のPHSを紛失してしまった。KENWOOD製のストレートタイプ。しかも液晶モノクロ。携帯世代の若い人には分からない感覚だろうが、シンプルで使い勝手が良くて、表示書体が良かったので気に入っていた。

それでも流石に古くなってきたので乗り換えようとは思っていたので良い機会か。只今、京ポンに機種変するか、大人しく観念してauに乗り換えるか思案中。調べてみると、通話料自体はそんなに変わらなくなっているようで、auに乗り換えるのも良いんだけど、なんだか面白くない。

そんなわけで、用事のある方は、自宅の方に電話下さい。しばらく移動体通信無し生活してみます。(2004.7.23)


福岡からの移住
2004.07.22
木曜日
福岡のテレビ局が、沖縄移住の番組を作りたがっていて、福岡出身の移住者を紹介して欲しいという依頼があった。

知人の中に、那覇に住んでいる人と、宮古に住んでいる人がいたので紹介したけど、福岡のローカル局までが移住特集(しかも福岡からの移住)をする、或いはしたがるところまで来たのか…。

えらいことになってきたものだ。


テレビファソラシド
2004.07.21
水曜日

まるみかなーの小浜さんから電話。こんど始めるインターネット三線教室の取材でNHK沖縄放送局が来るので、サクラがてら見物に来ないかということだった。面白そうなので行ってみる。

店に着くと、リハの途中だった。しかし、店内には荷物が散乱し、テーブルの上には空いた皿やグラスが。サクラで集まった人の座り位置もバラバラで、これで本番に行くのか? という感じ。

そんなに映らないとは思うけど、意外と映ってしまったりするのがそういうところなのでは? 急いで皿を片付けて、「小浜さん、なんか料理を出してくださいよ」というと「今忙しいから後で」って、私のお腹が減っているんじゃなくて、店の料理が映った方が良いでしょうということなのに…。

で、レポーター役のアナウンサーが、ノートパソコンに向かって三線教室を体験した後、お店にいる三線愛好家の数人と話をするという筋立てなんだけど、レポーターの弾く三線が非道い代物。何処から持ってきたのかと聞くと、スタジオにあったのを持ってきたという。

まるみかなーに置いてある三線があるじゃないですか、と取り替えさせる。ついでに全員のチンダミを合わせるようにアドバイス。そういうことって大事だと思うんだけど…。

ディレクター、カメラ、音声さん、アナウンサー、もうひとりくらいいたような気がする。3時頃から準備して、終わったのは8時過ぎ。こんな感じだったら人も時間ももっと少なくて撮れるんじゃないだろうか。

というか、以前FMなはと一緒にライブコンテンツのテスト撮影したことがあるけど、その時の方がまだ面白く撮れたと思う。正味な話し。


ふたつのバンド
2004.07.20
火曜日
6月24日のジョージ紫さんへのインタビューをまとめ、確認待ち。

オキナワンロックというと、すぐに「紫」と「コンディショングリーン」というふたつのバンドが思い浮かぶと思う。沖縄・コザ・ロックというと、ひとくくりになりがちだが、このふたつのバンドと、バンドのファン層を見ると、簡単にひとくくりにできなかったことが分かる。

「紫」は、エアフォース、ネイビー、アーミーの将校や下士官、パイロットなど、どちらかといえば上品で物静かなエリートの客が多かったらしい。紫のリーダー、ジョージ紫はハワイ日系2世の父を持ち、アメリカンスクールに通い、アメリカの大学でも学んだ。

バンド名は当時ハードロックとクラシックの融合をはかり人気を得ていた「DEEP PURPLE」に深くリスペクトしてつけられたもので、練り上げた楽曲を聴かせるステージが特徴。ジョージ紫はハモンドオルガン奏者ということもあり、ステージの後ろの方でプールにプレイするイメージがある。

これに対し、「コンディショングリーン」は、荒くれ者のマリーンに圧倒的に支持された。リーダーのカッチャンは、宮古生まれだけどその出生については自分でもよく分からないという複雑な環境で育った人だ。

お客を喜ばせるなら何でもやる。蛇をくわえたり、花火を振り回したり、お客を裸にしたり、客の靴にビールを注いで飲み干したり、あらん限りのネタを惜しみなく晒し、若く、学歴もない、貧しい生まれの人が多いといわれるマリーン達を熱狂させた。

いま沖縄にやってくる兵隊の中には、ベトナム戦争当時沖縄に駐留していた父親や祖父に「沖縄に行ったらカッチャンの店に行け」といわれてやってくるものもいるそうだ。

クールな「紫」と、ワイルドな「コンディショングリーン」。タイムマシンがあったなら、当時のコザに赴き、それぞれのライブを覗いてみたい。

とりあえず、カッチャンにも会って話を聞いてみたい。昔ライブ会場で挨拶したとき、握手した時、意外と小さい人だったのに驚いた。そんなことを思い出した。


こんな事を思いつく
2004.07.19
月曜日・海の日
今日は武三さんの公演。公演時間の少し前に会場入りする。入口にはすでに列ができていた。今回は沖縄ツーリストさんの主催なので、会場整理に青(男)と赤(女)のかりゆしウェア(沖ツリ制服)のスタッフがたくさん来ていた。

今回は、前半が舞踊、後半が芝居という構成。舞踊の幕開けは、意表を突いて龍と獅子を相手に石敢當(人の名前って知ってました?)が闘うという舞踊。良くまあこんな事を思いつくと感心する。


このお稽古がこの本番に

後半のお芝居では、これまで何度も舞踊で登場していた女の子達が、役者デビューを果たした。村娘達の役だったが、井戸端で洗濯している様子が楽しげに再現されていた。何人かは台詞もあった。この中から、武三さんの相手役が務まる女優が育てばと思う。

が、大ベテラン女優の真栄田文子さんと話をしていたら、「若い子はウチナーグチが下手だからまだまだよ」だそうだ。真栄田先生が修行していた頃は、毎日お稽古と舞台があり、ウチナーグチも厳しく直されたそうだ。

「先生、若い頃はさぞかしモテたでしょう」と聞くと、「私はそれほどでも」と素っ気なくかわされたが、とりあえず給料は相当良かったらしい。「服はいいもの買いなさい。良い物買うと長く保つのよ。私が昔買った上等のコートを今孫が喜んで着てるわよ」というので、値段を尋ねたら当時の普通の人の給料の二ヶ月分だった…。

絶対モテたに違いない。


縁の下の下
2004.07.18
日曜日
明日は台風6号の為延期になった武三さんの公演がある。今日は前日の舞台稽古だと思い込んでいて、那覇市民会館に行くが、別の催し物が行われていた。そうか、今日は連休中日の日曜日だもの、空いてないよね。

急いで若狭の稽古場に行く。まったりとした感じで仕上げに入っていた。予定が順延になったため、別の出番が重なって出られなくなった役者さんもいて、急遽代役の役者さんが立ったりしているけれど、そこは慣れたもの、ベテランの役者さんは、定番の芝居は台詞が全部入っているのですぐに対応していた。


踊りの仕上がりをチェックする武三さん(左上)

地謡の箏の人たちに注目してみた。箏のチューニングは、三線にどうやって合わせるのだろう。例えば本調子から二揚げに調弦を変えるとき、中を揚げるとの、一三を下げるのでは調子が変わってくる。

当然、打ち合わせがあって次の曲はどうするのか決めているのかと思ったら、決まっていないのだそうだ。おおよそは決めてあっても、舞台の様子に会わせて例えばのりが悪ければ中を揚げてぐっと華やかにしたり、役者の調子が悪ければ一三を下げたり、三線の側が判断する。

箏はそれに併せて調弦を変えたり、手を変えたり(スケールを変える)して、臨機応変に対応するのだそうだ。臨機応変の更に応変。縁の下の下を支える力持ち。笛も同じように笛を変えたり手を変えるそうだ。

今回の箏は宮平先生と高江洲先生の二丁。宮平のり子先生は、春男師匠のテープとCDでも箏を弾いている方だった。


見極め
2004.07.17
土曜日
友人宅で夕食。みんなでスパゲティをつつきながら、あれこれ近況についてゆんたく。フリーランスと会社員、どっちが大変かみたいな話になる。

どっちも大変だし、比較は難しいけど、今はフリーなので、会社員の方が羨ましく見える。よく社会の歯車という言い方をするけれど、自分のパートをこなしていれば収入が約束されるというのはありがたいことだ。

しかし、歯車として粛々と仕事に集中できないとあまりに辛い。また集中できる仕事でを任されていないとそれも辛い。何度も居場所を探して見ても歯車に徹しきれる場所が見つからないなら、普通の歯車では納まらない人なのか、歯車として役に立たない人なのかもしれない。

そうなってくると、そこから抜け出したいなら自分の足で立って見るしかない。そうしたらどっちなのか、答えがはっきりするだろう。

そうした試みというか見極めは、なるべく若いうちにしておいた方が良いとは思うけど、タイミングは人それぞれだからね…。


ふらりと現れた
2004.07.16
金曜日
南米某国の大使がご来店だそうで、ペーニャあまんかいへ。

店についてしばらくすると、ご一行が店に入ってきた。黒いスーツにサングラスの屈強なSPに警護されて、大使はステージ前のテーブルに着いた。というのはウソで、まるで友達の家でも訪ねるように、仲間を連れてふらりと現れた。

ドアを開けると店内を見渡して、一瞬不思議そうな顔をしていた。その表情からは、「ん、なぜ遠く離れた沖縄にこんな完璧なペーニャ(南米の音楽居酒屋)があるのだ?」という驚きととまどいが見て取れた。


今日はオールバックでキメていたシルビオさん

シルビオさんとリンダさんのステージは、いつもよりちょっと気合いが入っていたか。今日もシルビオさんはギターを弾いた。シルビオさんのギターは好きだ。チャランゴとギターの中間みたいな楽器も弾いていた。初めて見た。

今日は娘のミミちゃんとの共演もあった。この子は物怖じしない。この前遊びに行ったとき、シルビオさんからギターの手ほどきを受けていたけれど、シルビオさんに教えてもらえるなんて、羨ましい。(シルビオさん、ギター教室も始めたようなので、有料なら習えます)

宴はこれからなのだけれど、今日はChuPanJahセッションに参加する約束なので、名残を惜しみつつ移動。

ChuPanJahでワンステージ終えたところで、お客さんが声をかけてきた。胡弓の中村昌光先生だった。びっくり。三線をお貸しして飛び入りで三曲。唄三線も上等。カチャーシーもキメてくれた。今日は送別会で来ていたらしいけど、ちょうど良いはなむけになったのではないだろうか。

中村先生はおきなわプライベートタクシーサービスの代表でもある。三線体験やビーチパーリーなどが楽しめるタクシー観光をしているらしい。なかなか良いかも。

ところで今日のセッションは締まった良い内容だったのではないだろうか。お客さんが沢山いたせいかもね。

追記:
沖縄ニ宿ヲツクル方法」で完成までを追っているFOUR ROOMSのメインサイトが出来た。しに上等。いつでも遊びにおいでといわれているけれど、一緒に行く相手がいないのよ…。


唄の在るべき場所
2004.07.15
木曜日
ハーベストファームさんのご招待で、ji ma maのライブを見に行く。東京営業担当(注:東京担当と東京営業担当は別人です)も一緒。6月23日にリリースされた1stアルバム「Dragonfruit moon」のレコ発ライブ。 会場は立ち見まで含めて満員。

このユニット、バンドが上手すぎるのではないだろうか。手練れのミュージシャン達の手数の多い演奏のせいか、音響のせいなのか、立ち上がり、ちょっと唄がはっきりと届いてこない。

数曲目にピアノとギターだけがステージに残り、シンプルなアレンジで「街」が唄われた。ようやく彼女の唄の細かい輪郭が立ち上がってきた。このあたりから今日のライブの色がみえてくる。

画像入れてみました。

彼女が一度舞台を降り、バンドのみの演奏をはさんで戻ってくると、唄の在るべき場所がハッキリしたかのようだった。ユニット全体のバランスがきまると、ライブは勢いを付けて加速していった。

前半とは比べものにならない表情に、カメラマンの指が慌ただしくなり、ビデオスタッフの動きも激しくなった。

身体がほぐれてくるとボーカリストのシャウトに力があふれる。持ち前の陰影のある唄声に、パワーが加わり、気が付くとバンドと張り合えるようになっている。こうなるとステージはボーカリストのものだった。

いいもの観させてもらった満足感を胸に帰宅。
野田さん今日もありがとうございました。

追記:
沖縄移住を決めた東京営業担当と、東京担当は別人です。それと、東京営業担当は箆柄堂に就職するわけではありません(笑)


新しい華
2004.07.14
水曜日
久々、武三さんの取材。先月20日に行う予定だった父の日公演が台風で今月19日(月・海の日)に延期になり、その直前のお稽古。いつものお稽古は若狭のお稽古場で行われるのだが、今回はちょっと大がかりな舞踊があるため一日だけ真和志JAの広いホールを借りてのお稽古となった。

公演前なので詳しくは書けないが、お稽古が始まるとなるほど確かにこれは大がかりだ。いつも観客をあっと驚かせる武三さんだが、今回もびっくりだろう。子供にも受けるのではないだろうか。

あっと驚くことはもうひとつあった。芝居を見ていたら、延期の影響もあって急遽いつもと違う配役になっていた。そのせいか分からないが、いままで舞踊だけ担当していた若手の女性陣が役者に加わっていた。男優には宜野座三人衆を起用して、若手育成に力を入れてきた武三さんだが、遂に女優の育成も始めようということだろうか。

常々「沖縄芝居は舞踊が出来ないとダメ」と武三さんから聞いている。メキメキと芝居の力を付けてきた宜野座三人衆も、更にステップアップしようと舞踊に取り組んでいる。彼女たちは芝居は初心者だが舞踊の腕前はすでにかなりのもの。武三一座の新しい華としてどんな風に成長してゆくのか楽しみだ。

若手が育ってくると、武三さんも座長としてもっと大きな視点で芝居を組み立てられるだろうし、落ち着いて難しい役にも取り組めると思う。芝居のレパートリーも広がるし、客層も広がる。武三一座にとって良いことだと思う。

ま、そんなことはともかく、女優修行中の若手は、武三一座の舞踊チームの中でも注目の可愛い小。人気が出るのは必至! と思うけどね。


手書きの工工四
2004.07.13
火曜日

『声楽譜附八重山古典民謡工工四』改訂・増補の作業がようやく終わったらしい。八重山古典民謡保存会の各研究所には先行販売の注文受付が来ている。

前の版は持っているしそこそこ値も張るので、最初は買わなくても良いかなと思っていたが、大浜安伴先生が亡くなって初めての改訂で、どんな点を改訂したのかがやはり気になるし、曲も増えている。思い切って注文することにした。

それより、印刷の仕上がりが気に掛かる。下手なDTPで作り直されていないだろうか。慣れ親しんだ手書き原稿による工工四のままでいて欲しいと願うばかりだ。

追記:
birdさんから締切に一日遅れて原稿が届いた。急いで編集にまわしたが間に合わなかった。今回の進行は一日遅れでも間に合わないタイトなスケジュールだったようだ。birdさんにはお詫びのメールを送る。何か他に紹介する方法を考えようとおもう。


そんな読まれ方
2004.07.12
月曜日
原稿を脱稿して爆睡していると電話が鳴った。東京営業担当(注:東京担当と東京営業担当は別人です)から。東京営業担当は、現在思いあまって遂に移住準備中で来沖。カンプノウにて落ちあう。店に着くとOTVの照喜名さんの誕生日で人が集まっていた。古川貴裕アナもテキーラを煽って大騒ぎ。サポーターノリ系一気飲みでちょっと引いた。

OTVご一行さまも掃けて、東京営業担当とサシになって少し移住の話をする。すると『沖縄スタイル』の「沖縄スタイル的移住考」を読んで「移住は甘くはないけど頑張ろうと気合いが入った」みたいな話をしだす。「おいおいそんなに褒めても奢れないよ貧乏だから」と思っていたら、その原稿を私が書いたことに気が付いていなかった。私が書いたというと驚いていた。

『沖縄スタイル』は、全体のトーンとしては移住の「夢」の部分を扱っているけれど、私の「沖縄スタイル的移住考」はかなり慎重論を書いている。カラー頁では「そろそろ移住しませんか」と煽っているのに、「移住考」では、「楽園としての沖縄だけを求めるなら、リタイアするまでお金を貯めた方が良いですよ」と、水を差す内容になっている。

実際のところ、もっと気楽に移住して金銭的にもちゃんと稼いで暮らしている人もたくさん居ると思うけど、私の場合は随分と苦労しているのでそんなに簡単に移住を勧める気にはなれないのだ。

貧乏くさい話をするなといわれるかと思っていたが、「移住考」を読んで『沖縄スタイル』は侮れないと感じてくれている人も結構いるようで、雑誌としての幅というか深みになっているという感想をもらったりすると嬉しい。

それにしても「移住考」を読んだ人は移住を諦めてしまうのかと思って書いていたが、それでも頑張って移住しようと覚悟を新たにしたと言われると、これにも驚いた。しかも直接そういう声を(私が書いたとも知らずに)身内から聞けてこんなに嬉しいことはない。

そんな読まれ方もあったか。


“来日公演”大成功
2004.07.11
日曜日
選挙速報のため、『新撰組!』がいつもより早く始まった。年輩の人からは、「今度の新撰組は若い奴らがわいわいやっているだけで面白くない」という評判もあるようだが、私にはこんなに活き活きとした新撰組ははじめてで面白いと思っている。

近藤勇が新撰組を立ち上げたときは28才、処刑されたのは34才。脚本の三谷幸喜はそこに着目して今回の新撰組を描いている。若い集団の物語としての新撰組は今のところ成功していると思う。

開票速報が始まり、10分くらいしてすぐに地方区で「糸数けいこ」の当確が出る。比例区でも「喜納昌吉」の当確がわりと早めに出た。比例区の「伊良皆高吉」は落選。「又吉イエス」は8,382票と大健闘だった。

今日はTHE WALTZが東京で歴史的な初“来日公演”を行った。会場にいる友達から、続々「凄い!」「満員御礼!」「かっこよすぎ!」などの感想メールが届く。“来日公演”は大成功らしい。

長年のTHE WALTZファンであるOTVの恵アナは、「参議院選挙があって休めないから東京へは行けない…」とそうとうわじっていたが、こんなにあっさり結果が出るなら、休ませてあげても良かったのではないかと思うくらい一瞬の勝負だった。しかもOTVはバレーボールと同時中継で選挙速報は画面右と下側に出ていただけ。

アナウンサーも大変だ。


「はまる」対象
2004.07.10
土曜日
模合仲間で久しぶりにカラオケに行くことになった。別件があったので、遅れて駆け付けて30分くらいだけ参加。曲を選んでいると、筋肉少女帯の「221B戦記」があるではないか!

この作品、大槻ケンジ、水木一郎アニキ、神谷明、宮村優子が共演するヲタ度の高い作品で、発売されたのは97年9月3日。時あたかも映画『THE END OF EVANGELION(Air/まごころを、君に)』が公開され、空前のエヴァンゲリオンブームが焦燥感と共に終焉に向かう時期。

確か、発売された頃には、この曲はカラオケに入っていなかった(と思う)。いまさらになって唄ってみたが、すっかり忘れていてぜんぜん歌えなかった。というか、この曲の存在自体もすっかり忘れていた。

家に帰ってCDを聞き返してみると、当時の事がいろいろと思い浮かんだ。沖縄通いも板に付いてきた頃だった。そういえば、映画『シト新生(DEATH AND REBIRTH)』を観たのは桜坂シネコンだったっけ。

尻切れとんぼの結末に唖然として映画館を出て、ふらふらと桜坂を下った。沖縄の抜けるような青い空と強い日差しが、呆然とした心を紛らわせてくれたことを思い出す。

懐かしいなぁ。なにかに「はまる」ということでキツイ毎日をなんとかやり過ごしていた日々。「はまる」対象のひとつが沖縄だった。逃避と癒しの先を沖縄に求めていた。

今、沖縄にすがろうとする人達より、ちょっと深刻度が深かったと思うのは、身びいきだろうか。


圧倒的な華
2004.07.09
金曜日

とぅばらーま大会は石垣での大会が有名だが、二年に一度、本島でも行われている。今年は本島でも大会が行われる年。石垣のとぅばらーま大会は9月26日、第13回全島とぅばらーま大会は10月15日に行われる。

師匠に言わせると「かえって本島の大会の方がレベルが高いかもよ」ということだが、どうなのだろうか。八重山の人に怒られそうだが、師匠は両方の大会で優勝しているので、まあこんな事を言っても許されるだろう。

二年前に見た「全島とぅばらーま大会」では、ペルー出身のルーシー長嶺さんが見事優勝、準優勝は島仲貞俊さんだった。味わいでいえば島仲さんの方が上だったかなとも思うが、ルーシーさんには圧倒的な華があった。

今回はどんな人が出てくるのだろう。話によると年々実力のある出場者が減ってきているという。確かに前回も、上位数名の他は、教師、師範と呼ばれる人でもそんなに飛び抜けて上手い人はいなかったと思う。彗星のように若手が登場とか、話題性が欲しいと主催者側も期待していた。

彗星というわけには行かないが、この次ぎの全島大会くらいまでには、師匠に「そろそろ出てみるか?」といわれるくらいになりたい物だ。出るくらいは出てもいいでしょう。


「ぴらつかさん」
と呼ばれるのも
2004.07.08
木曜日
エフエム那覇が開局二周年を迎えた。鳴り物入りでスタートしたが、開局直後から様々な問題点が吹き出し状況は一転、現在残っているスタッフは、停波の危機に何度もさらされながらも踏ん張ってきた精鋭だ。

逆境の中でも、彼らは安易な路線を選ばなかった。コミュニティFM局がリスナーを増やすには、地域色を前面に出す手法が手っ取り早いが、民謡をかけて、市民DJにウチナーグチでトークさせれば沖縄なのか。あえてそういう路線には走らなかった。

本当の地域密着の独自性とは何処にあるのか、100アイディアを出しては 99捨てるような試行錯誤の繰り返した結果、今流れている番組は、どれも県内の非コミュニティ局に負けない高いクオリティを持っていると思う。

また、日々集めてきた街の情報をもっといろんな形で発信しようと磨いてきたWEBも徐々にアクセスを伸ばしている。箆柄暦の情報を使ったイベントカレンダーもその成果のひとつだ。

暦もエフエム那覇も、お互い成功するまでにはまだまだ時間がかかりそうだけど、志を高くして進んでいきましょう。なにはともあれ、二周年おめでとうございます。

さて、お稽古の様子はというと。相変わらず良い感触が続いている。今年の唄はだいぶ落ち着いている感じがする。技術的な事もあるが、去年との一番の違いは、厳しいなりにも仕事が廻りだしてきて、少しずつ自信を取り戻せてきたことだと思う。

去年は「ろくに稼ぎも無いのに何を三味線にうつつを抜かしていて良いのか」という後ろめたい気持ちがあった。「これでは本当にぴらつかものではないか」という思いがあったが、最近は「ぴらつかさん」と呼ばれるのも悪くないなと思えるようになってきた。

今年は心静かに本番に臨みたい。

追記:
まるみかなーに、沖縄芸能新聞「ばん」創刊号を取りに行く。小浜さんの意気込みは感じるが、内容的にはまだまだこれからではないだろうか。こういうものは、続けることで形が見えてくるので、今後の展開が楽しみ。


失礼な人間
2004.07.07
水曜日
ある年輩の方と話していたら、「近鉄を買おうとしている若造は、記者会見にTシャツで臨むとはけしからん。そんな失礼な人間の話は聴く必要がない」といいだした。

確かに一理あるかもしれないが話が乱暴すぎる。スーツ着てネクタイしている人間がそんなにろくなものなのか。以前だったらくってかかっていたことだろうが、流石にこんな事で無駄なエネルギーを使うほど若くはない。

全体的に自分が正しいという論調で話をするその人に対し、上着無しで会いに行った私は複雑な気分だった。この人はそれだけで私を失礼な人間と思って話をしているのだろうか。

私の尊敬する人達は、ほとんどスーツも着ていないし、ネクタイもしてないんだけど。


帯を締めたら
2004.07.06
火曜日
少し早めにお稽古に行く。先日師匠も審査員を務めた「第3回民謡コンクール」について、感想を聞いてみた。「師匠、審査してみてどうでした?」「チビ(おしり)が痛かった」。万事こんな調子の師匠である。

さて、ここのところ他の人に合わせて調弦を4にしてお稽古していて、これの調子がよいという話は先週も書いた。今日は早く行ってわたし独りだったので、自分の調弦に戻してみる事にする。6まで戻したいところだがとりあえず5まで上げてみる。半音だが、唄ってみるとこれでも結構違う。

低い調弦で音の上げ下げの立体感が掴めてきたせいか、調弦を上げても調子がよい。上手く上がらないところ、抑えきれないところも有ったが、ずれている感覚が自覚できた。自覚できると直しやすい。全体に余裕を持って弾くことが出来た。

結局、今日のお稽古は弟子二人状態だったので、じっくりと課題曲をチェックし、その他数曲やっても時間が余った。もう一人は今度新人賞を受ける予定の女子なので、八重山古典民謡コンクールの話しとかをする。

服装は、琉装にかんぷう、もしくは「とぅばらーま」を唄うときなどに着る丈の短い着物と思っていたらしいので、男は紋付き袴、女は訪問着だと教えると驚いていた。八重山古典民謡コンクールの服装規定は、琉球古典と同じで正装なのだ。

帯を締めたら息が出来ないから着物を付けて練習した方が良いのではないかと心配していた。男の場合はそうでもないと思うのだが、女性は確かに慣れて置いた方が良いかもしれない。その他、袖が邪魔になるのではとか、三線の胴が滑りやすいのではと心配していたが、そんなに極端には違わないと思う。

男性の場合に限って言えば、むしろ着物を付けたときの方が決まりが良かったような気がする。着物はもともと我々の体つきに沿って発展してきた衣服なので、着てみたら着てみたで、身体に馴染んで当たり前なのだろう。

三線をはじめて、唄三線からはもちろん、それ以外のことでも同じような発見をいろいろとさせてもらってきたように思う。


理不尽な言い分
2004.07.05
月曜日
週刊『沖縄ふぁん』で、「FOUR ROOMS」の話題を採り上げたら、読者から「もう少し詳しいことを教えて欲しい」とメールが来た。

週刊『沖縄ふぁん』の記事では、『沖縄スタイル』の記事の紹介もに、宿のWEBサイト「沖縄ニ宿ヲツクル方法」も紹介しているので、あとは宿に直接電話なりメールなりしてほしいと返事をした。

こういう時、自分が不親切な人間のような気がして嫌な気持ちになる。この場合、これ以上のサポートは義務ではない。ユーザーサポートの仕事をしていた頃、散々理不尽な言い分につきあわされたトラウマか…。


部外者だけど
2004.07.04
日曜日
雨がザンザブロー。沖縄はスクーターで充分と粋がっていても悲しいかな雨が激しいときは機動力が鈍る。「普天間フライトラインフェア」はパス。琉球民謡音楽協会の「第3回民謡コンクール」の見学に行く。

でしなをくじかれて、バスで会場に着いたときにはもう16時。優秀賞の審査は終わり、最高賞の審査の途中から見る。10名が並ぶ審査員席には、大底春男師匠もちょこんと座って審査にあたっていた。小さく足でリズムを取っている。「師匠、ちゃんと審査してるな」という感じ(笑)。

楽屋に足を運ぶと、およそそれぞれの教室のシンカごとに固まって出番を待っている。以前は知り合いも少なかったが、2年半も沖縄暮らしをしていれば知った顔も増えてくる。奥には仲宗根盛次民謡古典研究会の皆さんが集まっている。手前には全国から集まってきた大工哲弘先生シンカの皆さん。金城盛長研究所のうみかじさんも後輩の準備を手伝っていた。

最高賞の審査では、正直なところ飛び抜けて“上手いなぁ”と感じる事はあまりなかった。一人かなり上手な人が歌詞を間違えて失格するのを見た。毎回上手いのにこういうミスをして失格になる人を見かけるが、心の中にどこか奢りが生じていたのではないかと思う。これは自身の昨年の結果(八重山古典民謡コンクール優秀賞不合格)に対する反省でもある。

最高賞の更に上の「大賞」の審査は流石に聴き応えがあった。仲宗根盛次民謡古典研究会からは儀間義信さんと与那嶺浩代さんが挑戦し、二人とも合格した。儀間さんの演奏はベテランらしい安定した内容で、与那嶺さんは若々しい勢いがあった。


与那嶺浩代さん 儀間義信さん
仲宗根盛次民謡古典研究会発表会より 2004.06.27

全国から集まった大工哲弘先生シンカの皆さんが、小禄の「かんから・カン」で打ち上げをしていると聞いた。今回は札幌の小林さん、東京の岩井さん、那覇のKUWAさんがいるはず。部外者だけど乱入してみる。

まずは岩井さんと再会の握手。もう5年ほど前だろうか、東中野の「琉球」で、初めて大山泰則先生から紹介された時、岩井さんの唄を聞いて「やまとぅーなのにこんなに唄える人がいるのか…」と衝撃を受けたのを思い出す。唄の上手さもさることながら、堂々とした唄いっぷりがまぶしかった。最近は東京で八重山民謡を教えているそうだ。

会場は、当然三線を持ち寄って大民謡大会になっているのだとばかり思っていたら、誰も三線を持参していなくて、まったりと飲み会状態だった。一部、何人かで唄っている人たちが居たので、店の人に三線を借りて伴奏を始めた。すると唄いたい気持ちに火がついたか、「鷲ぬ鳥節」の大合唱、「繁昌節〜とまた節」でひと踊り。

部外者の私ばかり弾いていてもと思ったのだが、皆さん弾かないのでその後も私が弾きながら、数人でかたまって楽しむ。そういう席ではなかったのかもしれないが、誰も止めないし、自分でも止まらないので弾きっぱなし。

そのうちカラクイがもげてしまってカンカラ三線へチェンジ。モハメッド・ブリくんと、でんさー節とか、とぅばらーま合戦したりして楽しむ。モハメッドくんはとぅばらーまの歌詞を結構覚えていて驚いた。

そろそろお開きの時間が近づいた。大工先生が生徒さん達の労をねぎらい、いっそう精進するようにと言葉をかけた。ばらばらと皆さん帰途に付く。弥勒節の唄待ちを弾き始めると、みなさん合唱に付き合ってくれた。やらようまでお付き合いいただいた皆さんありがとうございました。

ともかく、コンクールお疲れさまでした。合格された方おめでとうございます。不合格だった方、次を目指して頑張ってください。

最期に、大工教室の皆さん。勝手に騒いでゴメンナサイ。

追記:
今度は自分の番。八重山古典民謡コンクールは10月1〜3日。もう残すところ三ヶ月もない。昨年はいろんな意味で浮ついていた。今回は仕事がとても忙しいと思うが、充実した気持ちで試験に臨みたい。


歴史的瞬間
2004.07.03
土曜日
この週末はイベントが集中している。気になった物をざっと挙げると「普天間フライト・ライン・フェア」「ピースフル・ラブ・ロック・フェスティバル」「映画『魂のアソコ』女囚さそりショー&ヤンキー映画『特攻伝説』付」「まるみかなー耳薬ライブ」、その他民謡クラブ「ゆらてぃく」での民謡ライブなどなど。

そんな中、結局足を運んだのは「THE WALTZ」のライブだった。先月も見ているのに、やっぱりこれに足を運んでしまった。THE WALTZは、来週7月11日に初の“海外公演”へと向かう。今日のライブはその前哨戦でもある。といってもまあ、いつもの通りのライブなのだけれど、ちょっとだけ意識している風でもあった。「チキン」から始まって「沖縄R&R」まで全24曲。今日も味クーター。

7月11日に初台のDOORS(初台)で行われる公演は、THE WALTZ結成18年目にして初めての“日本公演”となる。この公演は、沖縄ブームの成熟度を窺う象徴的なライブとなるだろ。 或いは大事件となるかもしれない。それほどにこのバンドの存在は沖縄で深い意味を持っていると思う。

打ち上げの席で話をしていると、何人かのファンは東京まで見に行くという。歴史的瞬間を見逃すまいという構えだ。同席した某局女子アナさんは、選挙特番のために休めないことをずっとわじっていた。私も行きたいけれどちょっと今その余裕はないな…。

ローリーさん自身は特にいつもの通りさというそぶり。メンバーも特には気負った感じもない。けれど、一週間後、THE WALTZは全国区のバンドになっているかもしれないし、そうでないかもしれない。(全国区になったらどうだってことは全然どうでも良いんだけど、ってところがこのバンドの格好いいところ)

THE WALTZには、沖縄の、いやニッポンのロックバンドから消えつつある匂いが色濃く残っている。この匂いを嗅ぎに、たくさんの人に来日公演へと足を運んで欲しい。

いっとくけれど、褒めても取り入れないです、この人達には。

追記:
今日も『新撰組!』の再放送を見てしまった。芹沢鴨暗殺のくだり。佐藤浩市演じる芹沢鴨のヤサぐれ具合、とっても良かったので、これが最期かと思うと寂しい。


飢えているような
2004.07.02
金曜日
本日、コザ方面を廻る。「ピースフル・ラブ・ロック・フェスティバル」を前に何か余震があるのかと思ったが何にもない。いつものとおりまったりとしたコザの街だった。

ひとつだけ違いがあったとすれば、喜納昌吉さんが街頭演説をしていたことくらいだろう。胡屋十字路の観光案内所の向かい当たりに立ち、エイサー姿の若者、手踊り姿の女童を引き連れて、激しくアジっていた。演説の後、「すべての人の心に花を」を唄っていた。

今県内では、昌吉さんの顔写真の入った黄色いポスターや、「すべての武器を楽器に」と書かれたシールが至る所に目に付く。なにかの映画でも見ているような不思議な気持ちになるがこれは現実だ。

帰りの道々、キャンパスレコードで『宮良高林全曲集』を入手。これは貴重なうえに非常に興味深い内容だった。八重山民謡ファン必携のアルバムだと思う。

夜はChu Pan Jahにてセッション。今日はまた新しいギター弾きがやってきた。わりとなりきりタイプで一人盛り上がるタイプかと思っていたが、ちょっと仕掛けてみると反応してくれた。会話が成り立った感じ。

最近、セッションの空き時間に練習代わりといってはなんだが三味線も弾いている。ライブハウスで三味線を弾くのってとっても気持ちイイ。

追記:
週刊『沖縄ふぁん』で、知人の宿「FOUR ROOMS」の話題を採り上げた。私の作成したこの宿のWEB「沖縄ニ宿ヲツクル方法」を紹介したら、アクセスが凄い上昇を示した。この反応を見て、まるで何かに飢えているような気がした。


2004.07.01
木曜日
執筆中です。