箆柄日記(2004年10月)

気を付けないと
2004.10.31
日曜日
奥平先生の幻のCDについては、一部ショックを受けている人がいるようだが、これは出来が良かったのでまあしょうがないですよ(笑)。

出来が良かったと言えば、以前、雑誌『沖縄スタイル』とWEB『沖縄スタイル』(その後「沖縄ライフスタイル」と改称)が無関係だったという出来事があった。この時も、あまりの出来の良さに誰もが公式サイトと思ったが、そうではなかった。

どちらも怖いのは、ネットでの広がりの速さ。良かれと思って早く知らせようと思ったことが、間違っている場合もチェックされることなくあっという間に広がってしまう。

気を付けないと行けないのは自分もまた同じく。


さてはあのこと
2004.10.30
土曜日
神戸で箆柄暦の配布を手伝ってくれている伊藤和弘さんと会う。今回はコザ名物「毛あしびコンサート」などをお目当てに来沖したそうだ。まるみかなーにて落ちあい、しばし話し込む。

新潟の地震の話になった。伊藤さんは阪神淡路大震災の体験から、本震のあとの余震がどれほど心理的ダメージを与えるか教えてくれた。いまでも大きなトラックが通ったり、ガタンと大きな音がすると過剰に反応してしまうという。

新潟の地震は余震も大きいので本当に辛い毎日だろうと思う。今夜のNHKスペシャル『緊急報告 新潟県中越地震』で司会を務めた桜井洋子アナウンサー(新潟県出身)の今にも泣き出しそうな沈痛な表情が印象に残った。

さて、伊藤さんは民謡のCDとテープを専門に蒐集している。レコードは小浜さんはじめ多くの人が蒐集しているのでそちらに任せ、それ以外を集めようとしているのだそうだ。

さすがにいろんな名作、珍作を持っている。何しろまず全部集めることが目的なので、中味が良くても非道くても買っては置かねばならない。中には沖縄でありがちな、「レコハツといいつつCD-R」なんてのも買わなければならない。もうここまでくるとこの義務感は強迫観念だ。

そんな伊藤さんから、「奥平幸男さんのCDがでてるって聞いたんだけど…」と聞かれてニヤリ。ははーん、さてはあのことか。先日の産業まつりのデザインコンテストか何かで「奥平幸男がCDを発売したら」というコンセプト作品が展示されていたのだ。


幻のレコ発キャンペーン

この作品は、ポスターとCDパッケージで構成されていて、かなり良くできていた。というより、ホントに発売されている県産CDよりよっぽど上等。普通の人だったら勘違いして風説流したりしても無理はない。

私も一瞬「あれっ?」と思ったが、奥平さんとは時々会っているし、毎月イベント情報を集めているのにこんな大ネタ落とすはずがない。案の定、架空のお話しだったというわけだ。

でも、奥平先生もホントにCD出したらいいのに。地酒横丁のみんなと一緒に作れば、ライブの後に売れるよきっと。そういうことに頓着がないんだよね、奥平さんって。

追記:
銀座方面担当Mが伊平屋あたりに潜伏しているらしい。なんと伊平屋ムーンライトマラソン後夜祭のパーシャを追っかけて。スゲ。


中長期の予定
2004.10.29
金曜日
箆柄暦のPDFアップ、メルマガ発信、事務連絡などなど、相変わらず細々したことを片付けて過ごす。

東京担当Tと電話ミーティング。『十二月の沖縄』のスケジューリングや広告取りの作戦を練る。

特に私の方が「八重山古典民謡保存会那覇支部25周年記念公演」や「八重山古典民謡コンクール発表会」が控えているうえ、取材の依頼などが立て込んでいてしっちゃかめっちゃかなのでどうにもこうにも。東京担当Tも取材やら何やらが入っている模様。来月も何とかなるかな…。

それでも忙しさにかまけてばかりではいられないので、中長期の目標についても話す。以前より具体的なプランが出てくるようになってきているので、来年度を見越して、もっと飛躍できるようにならなければ。いや、ならなきゃやってられません(笑、じゃなくてマジです)。

ここのところ、ちょっと精神的にも肉体的にもお疲れかな。そんなこんなでやらないと行けないことも重なっているので、今日はChu Pan Jahはお休みさせていただいた。政田さんごめんなさい。

追記:
目下の東京担当Tは年末の予定が立てられないことが悩み。というのもパーシャの年末ライブの予定がはっきりしないのだ。関係者のみなさん、早くスケジュール組んでやってください。


営業会議
2004.10.28
木曜日
昼、今後二ヶ月に向けて雑事を片付ける。

夜お稽古へ。最優秀賞の課題曲「越城節(くいぐしく)」の前半を習う。優秀賞挑戦中の兄弟子と一緒に習う。すると新人賞もまだのお弟子さんが一緒に弾こうとする。もちろん全然着いて来られないので演奏はめちゃくちゃ。

こっちもこれからこの難曲を覚えようと意気込んでいたところ。細かい曲なので「ちょっとまって」と停めたら机をたたいて大激怒。「同じ金を払っているのに何の権利があって停めるのか」と真っ赤な顔で怒っている。

あぁ、まったくまたこれだ。確かにちょっと言葉が足りなかったのは失礼だったとは思うが、芸事の世界の権利や平等はそんなことじゃないんだけど。ようやく優秀賞も終わって最優秀の曲にとどいたというのに、こっちの練習する権利はどうなるわけ。この人とはこんな事も初めてじゃないのでもう反論もせずに黙っていた。

後から師匠には、「自分の演奏に集中すれば人の演奏は気にならないはず。集中力が足りない」と諭された。確かにそうなんだけど…。

気を取り直して、お稽古の後、ぴらつか営業会議(マジです)。営業担当Sとこれからどんなところに売り込んでいこうかとあれこれ知恵を絞る。東京担当Tも私も営業の経験がないので、新たな戦力を向かえて新展開に期待している。

追記:
譲っていただいたスクーターの整備が終わった。足回り、駆動系、電気系統もばちり修理されていて、乗り心地も抜群。邪魔かなと思った前カゴも頑丈で荷物の積載量もアップ。車格が大きくて中古車市場では不人気らしいいが、デカイ方がコザ周りとかには楽そうだ。助かりました。


めげた
2004.10.27
水曜日
FMなはの朝の番組「なはブラ」に出演。箆柄暦のことを中心に話をする。出来たての『十一月の沖縄』を見てオススメのイベントの紹介をしながら、こんな情報番組をレギュラーで持てたら面白いなと思う。

曲を一曲かけられるということだったので、何にしようかと思ったが、情歌王子・理察瑪爾克斯(リチャードマークス)&巫啓賢(エリック・ムー)の合唱(デュエット)で、「Can't Help Falling Love」をかけてもらった。台湾のライブハウスでの現場演唱(ライブ)で、英語と中国語で交互に唄う。朝の曲じゃなかったけどしっとりとして良い感じ。

午後、ちょっと大きな仕事の打ち合わせ。その席で『沖縄ナビ』という単行本を渡される。以前取材先の案内を手伝った本だった。ボリュームとクオリティに圧倒される。沖縄本とかそういうことの前に、編集、構成、文章がプロの仕事。あんまり良くできているので、なんだかめげた。

気を取り直して帰宅後仕事。あんまりはかどらないな、もう。


ねじれを抱えて
2004.10.26
火曜日
ドラゴンズ敗戦があまりにショックで呆然…。

さて、先週末の新潟の地震の被害状況が明らかになるに連れ、その非道さに驚愕。瀬底島にメールしてみると、先輩のご両親や友人の方々はとりあえず無事とのこと。

瀬底の先輩はどちらかというと、「ふるさとにはもう帰る気は無い」といったタイプの人だったのだが、さすがにテレビから見る懐かしい風景の変わり果てた姿に心を痛めているようだった。

「やっぱり生まれ育った土地は、自分の分身であり、親であり、家族そのもの。時々クニに帰った方が良いよ」といわれた言葉がズシンと来た。

夕方からもう一本打ち合わせ。明日の夜の打ち合わせの下打ち合わせ。今後中長期的にどんな方向へ進むのか、改めて確認。

さて、本日箆柄暦『十一月の沖縄』完成。今月もよろしくどうぞ。


最終戦まで
2004.10.25
月曜日
箆柄暦『十一月の沖縄』のWEB版用データの整理校正などを済ませた後、ちょっと外へ出たついでにFMなはに寄り軽く打ち合わせ。

日本シリーズ最終戦に合わせて帰宅する。結論。ドラゴンズまたも日本一となれず。呆然とする。あれこれ書こうかと思ったが、やめておく。最終戦まで必死に闘ったドラ戦士達にありがとう。

気分を変えてBSアニメ夜話を見る。お題は「機動警察パトレーバー」劇場版。ゲストに宮台真司氏というのが凄かった。

宮台氏の的確な作品解説が良かった。「(バブルの崩壊、地下鉄サリン事件、同時多発テロといった事件を経て)改めて作品を見ると、公開当時には感じなかったリアリティを強く感じる」というようなことを語っていた。同感。

番組が終わってチャンネルを変えると、ライオンズのビールかけの映像が…。とにかく寝る。


何を成すべきか
2004.10.24
日曜日
ドラゴンズ、きょうは勝てなかった。今日は勝って50年ぶりの日本一になると思っていたので、ガックリ。最後の方は正座して応援していたけれど、ダメだった。ついに第七戦までもつれた。

しかし、ドラゴンズが日本シリーズでここまで粘り強い闘いを展開するのは初めて見た。いつも場違いな舞台に放り出された子供のように、右も左も分からない間にやられてしまうのとは全然違う。ここまでどれも良い試合だった。

それにしても、松坂大輔投手のピッチングは凄かった。自分の担っている責任に対して何を成すべきかを自覚し、それを実現する。調子が悪くても悪いなりに踏ん張っていく。つまりはあの大舞台で自分を冷静に把握しているということだ。この精神力たるや想像を絶する。

泣いても笑っても、明日決着が付く。頼んだぞ、ドラゴンズ。

追記:
今日は「くるくまカフェ」で奥田民生のシークレットライブがあったとのこと。行きたかったけど今週は日本シリーズ優先である。


お茶会
2004.10.23
土曜日
日本シリーズは移動日。友達宅で昨日の産業まつりで買ってきたケーキでお茶会。ようやくひと心地出来た感じだ。

ついでに次のゴツイ仕事の打ち合わせもする。するとまたすぐにキツイ日々の予兆が見えてきて、少し重い気分に。

夕方、新潟でデカイ地震があったようだ。瀬底に宿を開いた先輩の実家は確か新潟。大丈夫だろうか。


入稿明けで
2004.10.22
金曜日
箆柄暦『十一月の沖縄』無事入稿。帰りに奥武山公園で行われている産業祭りに立ちよる。まだ初日のせいか準備運動中といった雰囲気。ぷらぷらと会場を歩く。陶器とか衣料品とか、お馴染みの屋台とかが立ち並んでいる。

人が集まっているので近寄ってみると、木の破片や枝などを使って昆虫を作っている店だった。この昆虫がなかなか良くできていて楽しい。こうしたものが結局人気を集めるというのは思わぬ発見。


今週のびっくりどっきりメカ

キャンパスレコードの向かいにある南米のミートパイやお菓子を売っているお店も出店していた。いつもの可愛らしいおばちゃんもいた。友達とお茶会用にシフォンケーキを買って帰る。安くて美味しいんだこれが。

奥武山といえば弓道場がある。的を射抜く心地よい音を聴いていたら、久しぶりに弓を弾きたくなった。一般の人も弾ける機会は無いのだろうか。先ずは腕立てから始めないと、筋肉痛で腕が上がらなくなるだろうけど…。

ドラゴンズ快勝! 今日は怒濤の強さを発揮した。余勢を駆ってChuPanJahへ顔を出す。さすがに入稿明けで元気出ず。

追記:
生まれて初めて違反切符を切られてしまった。山形屋の脇の道は一通だったのか…。罰金5000円。痛すぎる。


押し気味
2004.10.21
木曜日
朝方ようやく暦面の初稿完成。校正に入る。全体に押し気味なのでまだ油断は出来ない。今晩が最後の山。もうちょっとだ。

木曜は武三さんの定例ミーティングだけど、明日からのハワイ公演出発の準備でキャンセルとなった。とても助かった。ハワイにも取材で連れて行ってもらいたかったなぁ…。

ドラゴンズ快勝。昨日の中止は良い方へ転んだようだ。


仕事に集中
2004.10.20
水曜日
一日暦の制作。ほか特に無し。

本土に向かった台風の影響で日本シリーズも今日は中止。
仕事に集中。


兼ね合い
2004.10.19
火曜日
今月の箆柄暦の制作も佳境に入ってきた。今週は東京も沖縄も細々と楽しいネタがあって、それとの兼ね合いをにらみながらのスケジュール取り。

台風が来ているので、部屋にこもって日本シリーズでも見ながら作業するのも悪くはないが、さすがにちょっとキツイ今月の進行。


数段上等
2004.10.18
月曜日
てだこ亭の旦那からスクーターをもらった。ずいぶん乗ってあちこちガタが来ているというのだが、なかなかどうして。外観はまだきれいだし、キックしないとかからないこと以外はまだまだ充分。私のカマキリ号より数段上等。

さて、16日に平和通りとやちむん通りの継ぎ目あたりに、沖縄物産ショップ『沖縄すたいる』が開店した。ロゴが違うが、正真正銘雑誌『沖縄スタイル』の関連ショップだ。大量の泡盛やオリジナルTシャツなどなど、ちょっと凝った品揃えが自慢のようだ。

それにしても大胆な出店ロケーション。ここに行くために、平和通りを一番奥まで歩く人の流れができれば地元の人にも嬉しいことだろう。駐車場がないので、基本的には歩いていくしかない。


色っぽかった
2004.10.17
日曜日
ジプシーブラスバンド、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスを見に行く。久しぶりのダンスクラブ松下。

前座をモンゴル800が務めた。初めて生で見るモンパチ。しかも最前列。「きちんとしてるなー」というのが感想。演奏もしっかりしているし、態度も真摯で落ち着いた感じ。相当の経験を積んできたのだなと、貫禄さえ漂う演奏にひたすら感心した。

モンパチ目当ての客が多いのかなと思っていたが、そうでもなく、モンパチの演奏が終わっても客が減ることはなかった。むしろ増えていて、会場はいっぱいだった。

演奏は始めからハイテンション。高速で繰り出される楽器の音が津波のように押し寄せる。音の波に揉まれながら、これで最後まで行くつもりか? と思ったが、時折メロウな曲も挟みながら緩急自在。でも基本はもの凄い速さの演奏だった。

一番の長老であろうおじいさんが朗々と声を張り上げながら唄う。若い頃の何十分の一のスピードであろうか、ゆっくりとステップを踏んで踊る。演奏が終わると満面の笑みと会場への投げキッス。色っぽかった。

最後はモンパチのメンバーも加わっての大団円。モンパチのカチャーシーっぽい踊りをまねて、タラフのメンバーも踊ってみせる。不思議な交流。

それにしても、沖縄でこんな大人数のジプシーブラスバンドのライブが見られようとは。スタッフのみなさん一同に感謝、感謝。


選りすぐりの五人
2004.10.16
土曜日
武三さんの糸満公演を取材。会場は糸満市照屋にある農業環境改善センターのホール。ざっと450席ほど椅子が並べられていたが、昼の部は9割くらいの入りだっただろうか。

お年寄り中心のイベントの場合、昼の部の方が混み合うことが多いので、夜は少し少ないかなと思ったが、夜の部は更に満席。この時期は運動会が重なるので、昼の部に来られなかった人が夜の部に詰めかけたそうだ。

年寄りにダブルヘッターしてでも見たいと思わせる武三さんの人気はたいした物だ。舞踊、お芝居、民謡ショー、そして『塩屋ぬパーパー』まで、この日もたっぷりの内容だった。客席の反応も良く、かなりの盛り上がりだった。


うちなー芝居は地謡が命

さて、どうしても地謡に目がいってしまう。今回ももちろん、お馴染み仲宗根盛次先生を中心に、民謡研究所から選りすぐりの五人で編成。今日は若手の与那嶺浩代さんも加えて華やかであった。

打ち上げにも誘われたが、仕事が山積みなので残念ながら帰宅。


いろんなスタイル
2004.10.15
金曜日
「とぅばらーま大会」といえば、石垣での大会が有名だが、二年に一度沖縄本島でも「全島とぅばらーま大会」が開催されている。今年はその当たり年だ。

前回の大会を見たときは、まだ唄の善し悪しも分からず、出てくる人全員がただただ上手に聞こえたけれど、今回はもうちょっと細かい部分まで聞き込むことが出来て勉強になった。

どんな風に息を継ぐのか、どんなタイミングで返しが入るのか、「とぅばらーま唄や、イズスドゥ主やるら(とぅばらーまは唄う人が主役)」といわれるが、普段聞いている教科書通りの唄だけではなく、いろんなスタイルがあって楽しめた。

また、挑戦者の中には、八重山古典民謡保存会の先輩方や、大工哲弘さん門下の人たちなど、知っている顔もあり、自分にとって以前より身近に感じられる大会となった。楽屋に応援に行ったら、逆に「優秀賞合格おめでとう。よかったな」と声をかけられたりして、うれしかった。

前回の優勝者ルーシー長嶺さんはペルー出身の沖縄系移民三世だった。これは話題となった。今回の話題はチュニジアからやってきた、大工さんのお弟子さんのモハメッド・ブリくんだろう。優勝ではなく特別賞だったが、トップクラスの歌唱だったと思う。


チュニジアの夜

ブリくんとは顔見知りではあるけれど、ちゃんと唄を聞いたことはなかった。あまりに上手いのでぶっ飛んだ。お見それいたしましたという感じ。大工さんの唄い方にかなり忠実で、弟子というのは師匠に似るものなのだなと痛感。

保存会の先輩方からは、大泊重孝、大泊克、真栄里悟、伊良皆貴志さんが出場していたが。真栄里悟さんの唄が派手さはないもののとてもきめ細やかな唄いぶりで良かったと思った。伊良皆貴志アニキの力のこもった唄も良かった。

しかし、優勝者は全然思っていた人とは違う人だった。以前より細かいところが聴けるようになったと思っていたが、むしろ前回の方が上位三名を当てている。なぜなんだろうか。

毎回ゲストも楽しみなところだが、宮良康正と山里勇吉さん。宮良康正さんはまた今年も「どぅなんとぅばらーま」という与那国スタイルのとぅばらーま。山里勇吉さんは、いつものように野良着で登場する「ぬーとぅばらーま」。


気迫と哀感のとぅばらーま

何度も見ているとはいえ、山里勇吉さんのとぅばらーまには人を惹きつけるパワーがある。先日まるみかなーで見たときは、少し元気がないようにも感じたが、今日はさすがの唄いっぷりだった。

偉そうに批評めいたことを書いているが、日記ということでご容赦いただきたい。


去年より一歩
2004.10.14
木曜日
昨日、突然湯沸かし器が故障。沖縄でシャワーが使えないというのは致命的。特に少し涼しくなってきているので、水浴びはちょっと厳しい。今日修理が入ったけれど少々長びいてしまい、仕事をひとつキャンセルした。

変な一日になった。

夜お稽古。ここのところ歩いてお稽古に通っている。運動不足なので歩くのが一番。少し涼しくなっているので、30分くらい歩くと丁度良い感じ。気分も上々だ。道すがら発見もある。

今日は惜しくも優秀賞合格を逃した兄弟子もお稽古復帰。優秀賞の課題曲を一緒にお浚い。今回私は合格できたが、兄弟子の方が実力でいえば上だ。曲だってたくさん知っている。八重山のかをりだって香もしている。

実力は充分なので、最優秀賞の曲も一緒に学ぶことになる。一緒に学ぶには心強い相手が出来てほっとする。独りで唄うより、誰かと一緒に唄うほうがずっと勉強になる。何より、声が共鳴して気持ちよく斉唱できるのが楽しい。

師匠が張り切っているのを見るのも、また嬉しい。あんまり飛ばしすぎも困るけど、研究所自体がようやく去年より一歩先に進んだようで、良い感じだ。

現状維持は相対後退。進まないとね。


随分と好評
2004.10.13
水曜日

MacOSXに移行してからとっても快適に過ごしているのだが、時折問題が見つかる。それが結構がっかりするような問題だったりして悲しい。

完成したリストをプリントしようとしたら、縮小した上でA3の用紙にプリントしたいのに何度やっても原寸でA4の用紙でしかプリントされない。調べると、私の使っているEPSONのレーザープリンタがOSXのプリンタドライバに非対応ということが分かる。

メーカーのサポートに電話しても、ファーストラインはマニュアル通りの対応。こんなのホントにPPDの書き換えだけで対応できないのだろうか。久しぶりに昔の伝手でEPSONの開発の人に直接聞いてみようか。もう偉くなって現場にはいないか…。

さてと、FMなはの平良くんと、滞っているプロダクトのリスタートのため打ち合わせ。みせPashaがずいぶんと好評で、これだけで月間10万ヒット有ったそうだ。箆柄暦のイベントカレンダーも順調に伸びているとのこと。その勢いに乗って、滞っている計画も進めねば。

帰りにまるみかなーへ。昨日もらった『ばん』4号に映画評を書いていた女性にばったりと出会う。映画の話で盛り上がる。その人のお友達がやってくる。こんどはまるみかなーのWEBの作者だった。まるみかなーのWEBってデザインが好きなので、この出会いも嬉しかった。

泡盛が程良く回ってきたところで、隣の席に座っていた兄さんと唄あしび。あちらは本島の、こちらは八重山の。聞けば私と同年生。東京ではアシバ祭で東京エイサーシンカの金城さんに着いて活躍していたらしい。しかし私がアシバ祭に行っていた頃より随分昔の話だった。

もう一軒行こうという勢いだったが、ここでお開きにさせていただく。


お浚いは自分で
2004.10.12
火曜日
午前中コザでインタビュー。

キャンパスで待ち合わせ。ちょっと早く着いたので、写真は何処で撮ろうかと思いつつ周りをうろついていると、すぐ近くが沖縄藝能新聞『ばん』の事務所だった。ようやく今日4号が出来たらしい、ってこれって月頭に発行じゃなかったっけ? ま、そういうことはともかく、出来たての『ばん』を頂いた。

約束の時間になり、インタビュー。詳しいことは箆柄暦の次号をお楽しみに。

夜お稽古。今日は新人合格の妹弟子と、惜しくも不合格の人と三人。新人賞の課題曲を、一人は来年に向けて練習開始、一人は発表会に向けて仕上げにかかる。先週も書いたが、発表会では二番三番まで唄う。まだ何を唄うかプログラムは不明なので全曲のお浚いをする。

私も優秀賞の課題曲のお浚いをと思ったら、「あんたは最優秀の曲をはじめなさい。もうお浚いは自分でやるべきこと」と師匠から。

そうなんだ、ここまでは自分で練習する基本をたたき込まれたのだから、ここから先は自分で練習して、自分で自分の得手不得手を理解しながら上達しなければならないのだ。

そういわれていたのだが、改めてはっきり言われるとドキッとした。
まだまだそんなところまで行ってないんだけどな…。


遠くない昔
2004.10.11
月曜日
第6回沖縄県産本フェアへ行く。

パネル展『戦後県産本のあゆみ』はなかなかの力作だった。多数の県産本が発行され、出版が盛んといわれる沖縄の状況がどのように発展してきたのかを、実際の出版物を並べてたどるという内容。

特に、89年の『おきなわキーワードコラムブック』から、90年代を経て現代へ至るくだりはリアルタイムで見てきただけに面白かった。2000年頃からの「ヤマトウチナー本」についての微妙なコメントが興味深かった。

それ以前の本の中にも、なるほどと思えるポイントがいくつもあった。本の中には、今でも良く古本屋で見かけるものもあり、それほど遠くない昔が強烈に感じられた。

展示即売のコーナーでは、ちょっと良い物を見つけた。ファンにとってはたまらないお宝本。こんなところで見つけるとは。今となっては貴重な本だ。

さて、講演会も開かれていた。『探し出せ! 沖縄資料  私はこうやって探します(講師:野々村孝男)』、『組踊の見方・楽しみ方(講師:勝連繁雄氏)』、どちらも楽しめた。

時間がないのでこれで帰ろうと思ったが、ボーダーインクの新城さんから「次が強力だよ」と勧められてもうひとつ見ることにした。『波照間島-祭祀、神司、島人(講師:アウエハント静子)』。やがて40年近く波照間島を調べ倒した記録と体験談は強力だった。

アウエハント静子さんとコルネリウス・アウエハントのフィールドワークの成果は、『HATERUMA 波照間:南琉球の島嶼文化における社会=宗教的諸相』『写真集 波照間島-祭祀の空間』として発行の運びとなるそうだ。榕樹書林から出版されるとのこと。

それにしてもいつも思うことだが、30〜40年のうちに世の中はこんなに変わるものなのかということ。沖縄では特にそれが激しく、時間のうつろいの凄まじさを感じないではいられない。

今日もまたタイムマシーンがあったらと思った。

追記:
ああ、今日もまた無理して時間を使ってしまった。急いで家に帰って仕事再開。するとChuPanJahのマスターから那覇まつりに行こうとお誘いメール。しまった、那覇まつり最終日はディアマンテスとカチンバのライブがあったのだった。「一緒に応援しに行こうぜ!」というメールは、たぶんMIKIちゃんをってことだったろう。後の祭り…。


街中がわさわさ
2004.10.10
日曜日
昨日から那覇まつり。今日は那覇大綱挽き当日。街中がわさわさしている。昨日から、エフエムなはの「なはPahsa」も凄い勢いで更新されている。

 

そんな喧噪に背を向けて、一人自部屋の机上にて作業。

さて、那覇綱挽きのあの綱は、台湾から輸入した稲藁で作られており、毎年作業員を雇って作るそうだ。新規に作ると6000万円かかるらしい(リサイクルしているので2000万円で済んでいるそうだが)。運搬と撤去には大型トレーラーとクレーンが2台ずつ動員される。さすがギネス認定の世界一の大綱だ。お金がかかっている。

綱挽きの前には「仕度(シタク)」が行われる。琉球の歴史上の人物が睨み合い、雰囲気を盛り上げるのだが、以前は市内の学生から選んでいたが、県を代表する祭りとしては風格が足りないので、今はプロの役者が演じているという。県の威信がかかっていると言うことか。

綱挽きの勝負が決まった後はカチャーシータイムとなるのだが思ったより踊る人は少ない。それだけ他府県からの観光客が多いイベントということなのだろうか。外人さんもかなり多い。

綱を切って持ち帰ると縁起がよいとされているため、綱を切るのに夢中でカチャーシーどころではないのかもしれない。人でごった返す中、枝綱だけでなく幹の部分の綱まで(針金も入っているのに)ゴツイナイフでゴリゴリ切り取っている人もいるくらい。

夜、近くの弁当屋に弁当を買いに行くと、店のおやっさん(移住30年のベテラン)から「にーちゃん那覇まつり行ったんか?」と関西弁で問われた。思わず「一年目に見に行ったからもうえーは。人がいっぱいでかなんしな」と、口をついて出てしまった。

ま、段々と一般的な沖縄の人と同じになってきてます。


ついぐだぐだと
2004.10.09
土曜日
ん〜、なかなか旅テンションが下がらない。ついぐだぐだと逃避行動。

寝転がって『小津安二郎と茅ヶ崎館(石坂昌三)』を読みふける。白保のミヤザトの本棚で見つけて読みかけたら面白くてもらって帰ってきた(もちろん断ってですよ)。

恥ずかしながら、小津作品はあまり見ていないのだが、日本映画華やかなりしころのある映画監督と、その定宿だった茅ヶ崎の宿。そこに係わる人たちの様子を淡々と記した内容が何とも今の気分に合う。

作業に手を付けてはページを繰り、また作業をする繰り返しがえし。そうこうするうちにあたりは暗くなり、明日の那覇大綱挽きに備えて最後の仕上げをする旗頭の練習の音が聞こえてきた。

沖縄も秋です。夜は扇風機も要らなくなりました。

追記:
台風情報のため『新撰組!』の再放送中止。先週コンクールがらみで見られなかったので残念。面白そうな回だったのに…。


学祭みたい
2004.10.08
金曜日
昨日から溜まっていた作業を再開しているのだが、なかなかリズムが戻らない。いわゆる“やいまボケ”というやつであろうか。

夜は金曜レギュラーChuPanJahセッションへ。マスターには合格の連絡済み。みんなかも良かったねと乾杯の声がかかる。感謝。

箆柄暦営業担当Sや友人にも声をかけてみたら遊びに来てくれた。知り合いが来てくれて今日は賑やか。営業担当Sはもちろん初めてだが、大学時代からの友人も、私がバンドで演奏する姿を見るのは10年以上ぶりだろう。

ワンステージ終えて友人の感想を聞くと、ひとこと「学祭みたい」。なるほどその通り…。ごもっとも。

三線も弾いたけど、やっぱり課題曲編重のお稽古がたたって、他の曲はボロボロ。せっかく優秀賞合格と紹介してもらっているのに恥ずかしい。まだまだ道は遠いです。

さて、そろそろ祝勝気分も終わりにして仕事モードに戻さねば。
やることが山積みだ。


浚っておかねば
2004.10.07
木曜日
コンクールから戻ってきてから最初のお稽古に行く。

師匠はもう最優秀賞の曲を教える気満々で待ちかまえていた(汗)。工工四と安伴先生の『全曲レコード附八重山古典民謡全集』を付き合わせて、細かいところの確認に余念がない。

他に誰も来ないので、いきなり「越城節」から。唄待ちからひと節目あたりまでやってみる。まあちょっと急がないでくださいと制して、優秀賞の課題曲の二番三番のお浚いをする。

コンクール前になると、課題曲の一番だけを集中的に練習する。特に一週間前はその年の課題曲二曲だけに注力する。ので、それ以外の曲や課題曲の二番三番が疎かになるのだ。

ところが発表会では斉唱や舞踊の地方でもちろんいろんな曲を二番三番まで演奏する。浚っておかねば恥ずかしい。

そのうち新人賞合格だった妹弟子がやってくる。こちらも新人賞の曲全体のお浚いをする。新人賞の曲と言っても、細かいところは忘れがち。特に「月夜浜」とかは難しい。久しぶりに一緒にお浚いして見ると楽しい。

お稽古の後、ジュネの八重山そばを食べる。やっぱり八重山の某有名店にも全然負けてない美味しさだと思う。

帰り道、所用でまるみかなーに立ちよる。偶然、箆柄暦営業担当Sが飲んでいるではないか。ここでも祝いの乾杯となった! この席いろんな人がいて面白かった。みなさん今後ともよろしくお願いします。


幸せだなぁ
2004.10.06
水曜日
夜、友達の家でぷち祝勝会。八重山で買ってきたかまぼこで「勝ってかまぼこたべたいな〜♪(by登川誠仁)」を実現。

友達の家に行くまでの道すがら、まちゃ小の店々に顔を出す。三線の皮の張り替えをお願いした宮里三線店。ここでは同じく皮の張り替えをした友達も合格した。豊里呉服店は着物や襦袢をおまけしてもらった。縁起良し。他のみなさんにも「合格しました」と答えられて嬉しい。

友達の家でも、ほんわかとした空気の中で、楽しく過ごす。去年の私のへこみようを知っているので、みんなもほっとした様子。心配したりされたりする関係があるというだけで、幸せだなぁと鼻の頭を掻きながら思う。

追伸:
東京時代の行きつけ沖縄料理屋「大ちゃん」から、立ち退きのため一時閉店するとの連絡が来た。楽しいとき、辛いとき、大ちゃんで何杯のオリオンビールと沖縄そばを飲み干したことだろう。あのこ汚くも(笑)居心地の良い空間が消滅するかと思うと悲しい。10月23日迄の営業とのこと。興味のある向きは是非行っておいてください。箆柄系は行っておくべきです。

 田舎料理「大ちゃん」
 千代田区富士見町2-7-17富士合金第2ビル2F TEL: 03-3230-4485

         ┌──────┤ │
 ←新宿□■□■□│ 飯田橋駅 │■□■□水道橋→
         └──────┤ │
    ────────────┘ │
    ──────┐┌────┐ │
    パチンコ屋●││    │ │
          ││    │ │
     大ちゃん●││    │ │
          ││    │ │


終点のバス停
2004.10.05
火曜日
今日も思ったより早く目が覚めた。朝日は昇ってしまっていたが、浜まで行って三線を弾く。少し曇っていたが、雲の切れ目から朝日が糸を引くように差していた。とても清々しい朝。

宿の朝食を頂く。アーサのお汁が美味しい。さすがマエザトの食事。

宿に荷物を預けてバスに乗る。カラダキ、ヌスク、フナクヤー、唄に唄われた景色が続く。若いバスの運転手が伊原間で乗り換えて島を一周してきたらと勧めてくれたが、北端の終点、平野まで行く。

終点のバス停を降りる。ここまで来た客は二人だけ。その人から「コンクールを受けた人ですよね」と声をかけられる。石垣では良くこういうことが起きる。運転手から、この道を降りると海ですと教えてもらった道を進む。

海は思った以上に素晴らしかった。長く続く白い砂浜。多少ゴミが漂着しているのが気にはなったが、人影も無く、来て良かったと思えた。しかし、平野にはホントになんにもなかった。終点で三線でも弾いて過ごして、夕方のバスで帰ろうと思っていたが、それどころではない。もう少し長居したかったが、来たバスが30分後に帰るというのでそれに乗った。

帰りのバスで一緒になったおばあちゃんと話をした。最近は内地からの移住者が増えたと聞いてはいたが、道すがら「この家もそう、この店もそう」といわれてその多さに驚く。そういえば、最近はナイチャーが土地を高く買う(内地の感覚からすれば激安だが)ので地元の人が困っているとも聞いた。

白保の宿に帰ってふらふらと過ごす。干潮に渡地(わたんじ)が現れ、リーフまで行けると聞いて夕方の干潮を待つ。今日はそれほど潮が引かず、完全には現れなかったが、確かにだいぶ浅くなっていた。準備をしていれば渡れたかもしれないが、今日は眺めるだけ。

バスで石垣市街へ戻る。A&Wで食事をとりながら八重山毎日新聞を読んでいると、合格者の写真入り一覧が掲載されていた。近くのコンビニで購入しようとしたが売り切れ。ホテルのフロントなら売っているかもと思い大原ホテルに入ると販売はしていないとのこと。親切にも電話で売っているコンビニを調べてくれたので、買いに行き入手することが出来た。

石垣空港発、那覇空港行きの最終便は人もまばら。後ろの方の席は座り放題。帰りは追い風に乗って40分くらいで着いてしまう。ゆいレールにて帰宅。

極近所の拝みポイントだけ取り急ぎ御礼してから寝る。


白保にしよう
2004.10.04
月曜日
随分遅くまで飲んでいたのに、意外とすっきりと目が覚めた。新聞を読みながら朝食を取る。八重山毎日新聞にはちゃんと名前が載っている。確かに合格したのだ。

合格したら、いや、合格して西表に行こうと思っていたが、離島桟橋まで行くと船浦行きの船は台風22号の影響で欠航。別に大原行きでも良かったけれど、昨日の酒が残っているしなんとなくもっと気楽に過ごしたい。西表はまたの機会にしっかり回ればいい。

竹富に行こうか(なんとBakusanのマスターとばったり出会う。彼は竹富に行くらしいかった)、黒島にしようかと迷う。そうだ、お金もないことだし、今回は離島はやめて白保にしよう。久しぶりにマエザトに泊まろうとバスに乗る。

ミーニシが吹きはじめた白保の浜は少し肌寒かった。小さな貝を拾うおばちゃんとゆんたくしたり、海に足をつけたりした。浜を散歩したあと、集落の中をうろうろして、幹線道路の上の方を回った。初めてこっちの方へ行ったが、お墓がたくさんあった。有名になったあのゲートボール場と集会場は宿のすぐ裏だった。

夕方まで部屋でゴロゴロして夕食。マエザトの夕食は美味しくて有名だが、今日は食事はお休み。代わりにそばを食べたがこれも美味しかった。

暗くなってから再び散歩に出かけた。夜の海。海鳴りを聞きながらしばらく過ごす。ここは白保だし、どこかの家から三線の音でも聞こえてこないだろうかと集落の中を歩いてみる。

遠くから三線の音が聞こえる。近づいてみると「オジー自慢の〜」が賑やかに聞こえてきた。「ここは白保だのに…」、ちょっと興ざめしながら宴席を覗く。周りにカメラがいる。なんだ、ビギンさんがロケ中だったのか。本人達の番組ならば納得。

宿に帰る道すがら、また三線の音が聞こえてきた。「胡蝶の唄」。倉庫のような建物。二階へ続く外階段を上り様子を覗いてみると横目博二先生が稽古をつけていた。ここで教えていたのか。気がつけば一階は舞踊のお稽古場だった。

宿に帰るとマエザト名物の宴会が始まっていた。漁師のおじさんに昔の海の話を聞く。潜水道具が入ってきてから魚を捕りすぎた、今は魚は少なくなったという。天気予報を見ていると、おじさんは今度の台風はするすると北の方へ行くだろうと予想した。

明日も早いのに長居してしまったといいながら、おじさんが帰っていった。おじさんが去った後もしばらく飲んでから眠りについた。外に面した窓のない部屋だったが、エアコンは要らなかった。

よく眠れた。


結果報告
2004.10.03
日曜日

取り急ぎ、結果だけお伝えいたします。
八重山古典民謡コンクール優秀賞、合格することが出来ました。

 ■第30回八重山古典民謡コンクール審査結果(2004年)

受験者数
合格者数
合格率
奨励普及賞
19名
17名
89%
新人賞
118名
67名
57%
優秀賞
62名
27名
43%
最優秀賞
46名
7名
15%

-------------------------
以下当日の様子をレポートします。

朝、6時半に起床。窓を開け放ち、朝の空気を吸う。日の出は過ぎていたが、暁光の名残がまだ感じられる。7時に朝食を取る。審査開始は10時から。午前中には確実に私の審査の順番が回ってくる。食事は唄う数時間前に済ませるのはボーカリストの基本。

9時前に会場入り。まだスタッフも見かけなかったが、伊良皆貴志研究所のみなさんがすで控え室に居た。ステージのドアが開いていたので舞台に座って弾いてみる。照明もなく真っ暗。ホール全体に音が響きかなり気持ちよい。

ほどなく大底教室も師匠と兄弟子達が到着。早速着物に着替える。もう一度舞台で弾いてみる。今度は審査員の先生方も揃いつつあったが気にせず弾く。感触は悪くない。舞台袖に順番を待つ人がいたので本調子だけ弾いて舞台を降りる。合格したとき新聞に掲載用の写真を撮り、準備はすべて整う。

会場の外にでてひざまずきして何回か弾いてみる。いつものように、洋服で正座椅子に座ってとは呼吸の感触が違う。お腹に入る空気の量を確認し、息継ぎの位置を確認する。遠くで聞いていた師匠が近寄ってきて、細かいところをチェックする。やはり調子は悪くないと思う。

いよいよ順番が近づく。ここまで他人の演奏は一切聴かない。去年はなんだかんだと他人の演奏を聴いて失敗した。自分の演奏だけに集中する。控えの席に座ってからも、自分が弾くときのイメージだけを頭に描く。師匠が目の前に座って軽口を言って周りを和ませている。

必至に最後の確認をしている順番待ちの受験者達に師匠が言う。「みんなへたくそなことは審査員も分かっている。上手に弾こうと思ったら失敗する。いつものように弾けたら合格」。逆説的な励ましに、みんなほっとする。

ようやくというか、早々にというか、自分の番が回ってくる。中に入ると自分の番号が呼ばれる。中央の席に着き、調弦を確認。わざと少し念入りに確認。本調子課題曲「上原ぬ島節」を弾きはじめる。

唄待ちを弾きだして、自分が緊張していることが分かる。爪の先の感覚が微妙に違う。しかし今年は緊張していることを自覚できている。冷静に緊張を御しながら唄に入る。

朝と違って、あまりホールに声が響かない。一瞬あれっと思ったが、誰もいなかったホールと違い、審査員や観客が入ったのでデットになっているんだ。そんなものだと気がつくくらいには頭の中は冷静だった。

今年もマイクに書かれた「SONY」のロゴをにらみながら、必至にバランスを保って一曲目を弾ききる。手ぬぐいで手を拭い、一呼吸置いてから二揚げに調弦。念入りに調弦を済ませて二揚げ課題曲「古見ぬ浦節」へ。

唄待ちがちょっとだけ早い気がしたが、少しずつ調子を戻しながら弾ききることが出来た。緊張しているので唄も演奏もいつもより固い。それは仕方がないことだ。あとは緊張しながらも何処までそれをコントロールできていたかということだ。自分ではむしろ楽しく演奏できたと思った。

ロビーにでて師匠に感想を求める。ギリギリまで舞台裏に着いていて頂いたために会場には入れず審査の様子を聴けなかったという。兄弟子や友達は大丈夫だったというが、師匠の評価がないので心配ではあったが、自信はまあまあ。

着替えを済ませてロビーに戻る。東京時代の大先輩の宮薗あき子さんに再会。思わず顔を見合わせてハグハグする。宮薗さんは一昨日最優秀賞の審査を済ませていた。私の審査は見ていなかったので、これまた先輩の評価も聴けない。大丈夫なのだろうか。

今日は審査最終日で、まとめて全体の結果発表が行われるとあって、会場ではいろんな人が集まっていた。琉球民謡音楽協会のコンクールで知り合った大工ネットの女性。一昨年新人賞に合格したときに知り合った先輩。他にもこの日記の読者や、暦の読者に出会ったり、そうした人たちを結びつけたり、年に一度のコンクールならではの交流が楽しい。

そうこうしているうちに、休憩中の當山善堂先生(審査員)と師匠が立ち話している。近寄ると、いきなり善堂先生から「君のンガンガは治ってないね、減点だよ(注:八重山民謡では基本的に鼻濁音を使わない)。全体に八重山のかをりも足りない。結果はお楽しみかな…」と微妙な談話を残して去っていった。一気に心配度が上昇した。

しかし、いまさら心配しても仕方がない。最高の演奏とは言わないが、自分なりに納得行く演奏は出来た。これで落ちたら仕方がない。それでも不安は消えないけど、無理矢理腹をくくって待つことにする。ようやく兄弟子や知り合いの演奏を見る余裕もでてきた。

すべての審査が終わったのは16時半くらいだっただろうか。発表は19時頃らしい。師匠達は病気のお母様を見舞いにいくらしい。誘われたがここは身内同士で行ってらっしゃいと見送る。

東京時代に知り合い、一昨年のコンクールで再会した先輩とゆんたくしながら発表を待つ。この先輩も一昨日最優秀の審査を受けている。少し離れた場所にある店でそばをすすりながら、あれこれ情報交換していたらやがて時間が近づいてきた。会場に戻る。

その時は意外とあっさりやってきた。会場に戻ってしばらくすると、中ホールに合格者の番号が張り出された。私の受験番号は有った。合格だ。

大底教室からは新人2名、優秀3名が審査を受けたが、結果は新人1名、優秀1名の合格となった。その他、東京時代の同門で、去年一緒に苦杯をなめた友達も優秀に合格。電話で伝えると喜んでいた。

大底教室はそれぞれに結果を受け止めることにして解散。師匠と私は「はなんまやー」へ移動した。一年前悲しい酒を飲んだこの店で、師匠と差し向かいで祝いの杯を交わした。

病気を抱えているため、普段は全くお酒を飲まない師匠が、「今日は嬉しいから飲むよ」といって舐めるように泡盛に口を付けた。一昨年新人賞に合格できたときと同じだ。

私は少し興奮気味にこの一年のことや、審査直前にした準備、今日一日のことなどを師匠に話した。師匠も嬉しそうに頷いていた。この日、石垣中の教室で悲喜こもごもの杯が飲み干されたことと思うが、ひっそりと交わされた大底教室の杯も、いろんな味がした。

ひとしきり飲み、一旦ホテルへ戻る。箆柄暦の東京担当にも合格の報告。今回の合格には、箆柄暦を続け育ててきたことで得られた自信も重要な意味を持っていた。東京担当の協力が無ければ達成できなかった。ありがとうと御礼を繰り返した。

東京時代の同門から電話。近くの店で飲んでいるというので合流することにする。去年は悲しい酒だったが、今年は嬉しい酒だ。一緒に合格できて良かった。ホントに良かった。こんなに素直に嬉しい酒は久しぶりだった。

偶然、善堂先生もお弟子さんとその店にやってきた。改めて「八重山の“かをり”」とは何かを聞いたが、やはり発音だけでなく、八重山の歴史や暮らし、自然、いろんなものから受けるものが“かをり”となるのだろう。はっきりとは言わないが、言外に「他の島の人には簡単に“かをり”は出せんよ」と言われたような気がした。(私の個人的な印象です)

さらにもう一件、次は安里屋に行こうと思ったらすでに閉店。すけあくろうも開いていない。酔っぱらっていて気がつかなかったがすでに4時頃だった。開いているはずがない。適当に空いていた店に入ってコーヒーを飲んでお開き。

部屋に帰るとなんともいえない気持ちがわいてきた。
窓を開け放ち、少しひんやりした空気を部屋に入れながら眠りについた。


いよいよ明日
2004.10.02
土曜日
沖縄の地域にはそれぞれその地域の始まりといわれる神様の居る場所がある。朝でかける前に、近所のそうした場所に御願をしてから空港へ行く。飛行機の中では、ドラゴンズ優勝の記事を貪り読む。

石垣空港に到着し、同じく八重山古典民謡コンクール優秀賞を受験する、東京時代からの友達に連絡。新栄公園で練習しているとのこと。チェックインを済ませて合流。彼とは昨年一緒に苦杯をなめた。再会を喜ぶと同時に、お互いに課題曲を弾いて今年一年間の進歩の具合を確かめあう。しばらく練習の後、いよいよ審査会場の石垣市民会館中ホールへ。

今日は奨励普及賞と新人賞の審査日。新人賞の受験者は118人。大底教室からの妹弟子の審査を見ようと思っていたのだが、後半に審査を受けるのでなかなか順番は回ってこない。ようやく見終わった時にはすでに日が暮れていた。演奏は問題なかったと思う。恐らくあれなら合格だろう。

安心したらお腹が空いた。妹弟子のご両親と牛汁を食べに行く。さすが石垣、牛料理は抜群においしい。その時、ビールを勧められた。明日の審査順番が早いので辞退しようかと思ったが、妹弟子が無事審査を終えた前祝いの縁起の良い酒だ(結果発表はまだだが)。ご両親の嬉しそうな顔を見ていたら断り切れない。キッチリこれ一杯で打ち止めることにして飲み干す。

ホテルに帰ったが、審査はまだまだ続いていた。おととし一緒に新人賞を受けるはずだったマット・ギランさんの演奏を見たかったが、明日の自分の審査の順番が早いので、無理はしないことにした。今年はとにかく余計なことに無理はしたくない。

利便性を最優先して、今回のホテルは会場から一番近いホテルを選んだ。ホテルの窓から会場が見える。お風呂に入り、イメトレ。飲み直しのビールも買わず我慢我慢。

スポーツニュースでは、イチローがメジャーのシーズン安打数記録を遂に破ったと伝えていた。なんとなく勇気がわいてくる。気持ちの良い話題を枕に早めに眠りにかかる。

いよいよ明日が審査本番。そして結果発表だ。


応援の声
2004.10.01
金曜日
さて、いよいよ明日八重山入り。できることは一通りやった。後はいつもの通りに弾けばいいだけ。平常心。集中力もイイ感じで整ってきたと思う。

襦袢だけ新調しようと思い、牧志公設市場衣料部へ行く。豊里のおばちゃんがおまけしてくれた。頑張って合格しておいでよと励まされる。その他にも、お世話になったみなさんに応援の声をかけていただいた。素直に嬉しい。

気力充実。今年はやりますぜ。

追記:
ドラゴンズのセ・リーグ優勝決定。落合監督宙に舞う。勝って優勝を決められなかったが良い試合だったと思う。いつもだとここで終わってしまう感じのドラゴンズだが、今回は日本シリーズへの通過点にしか過ぎない感じがはた目にも感じられる。半世紀ぶりの日本一へ、燃えよドラゴンズ!