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取り急ぎ、結果だけお伝えいたします。
八重山古典民謡コンクール優秀賞、合格することが出来ました。
■第30回八重山古典民謡コンクール審査結果(2004年)
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受験者数
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合格者数
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合格率
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奨励普及賞 |
19名
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17名
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89%
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新人賞 |
118名
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67名
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57%
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優秀賞 |
62名
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27名
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43%
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最優秀賞 |
46名
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7名
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15%
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以下当日の様子をレポートします。
朝、6時半に起床。窓を開け放ち、朝の空気を吸う。日の出は過ぎていたが、暁光の名残がまだ感じられる。7時に朝食を取る。審査開始は10時から。午前中には確実に私の審査の順番が回ってくる。食事は唄う数時間前に済ませるのはボーカリストの基本。
9時前に会場入り。まだスタッフも見かけなかったが、伊良皆貴志研究所のみなさんがすで控え室に居た。ステージのドアが開いていたので舞台に座って弾いてみる。照明もなく真っ暗。ホール全体に音が響きかなり気持ちよい。
ほどなく大底教室も師匠と兄弟子達が到着。早速着物に着替える。もう一度舞台で弾いてみる。今度は審査員の先生方も揃いつつあったが気にせず弾く。感触は悪くない。舞台袖に順番を待つ人がいたので本調子だけ弾いて舞台を降りる。合格したとき新聞に掲載用の写真を撮り、準備はすべて整う。
会場の外にでてひざまずきして何回か弾いてみる。いつものように、洋服で正座椅子に座ってとは呼吸の感触が違う。お腹に入る空気の量を確認し、息継ぎの位置を確認する。遠くで聞いていた師匠が近寄ってきて、細かいところをチェックする。やはり調子は悪くないと思う。
いよいよ順番が近づく。ここまで他人の演奏は一切聴かない。去年はなんだかんだと他人の演奏を聴いて失敗した。自分の演奏だけに集中する。控えの席に座ってからも、自分が弾くときのイメージだけを頭に描く。師匠が目の前に座って軽口を言って周りを和ませている。
必至に最後の確認をしている順番待ちの受験者達に師匠が言う。「みんなへたくそなことは審査員も分かっている。上手に弾こうと思ったら失敗する。いつものように弾けたら合格」。逆説的な励ましに、みんなほっとする。
ようやくというか、早々にというか、自分の番が回ってくる。中に入ると自分の番号が呼ばれる。中央の席に着き、調弦を確認。わざと少し念入りに確認。本調子課題曲「上原ぬ島節」を弾きはじめる。
唄待ちを弾きだして、自分が緊張していることが分かる。爪の先の感覚が微妙に違う。しかし今年は緊張していることを自覚できている。冷静に緊張を御しながら唄に入る。
朝と違って、あまりホールに声が響かない。一瞬あれっと思ったが、誰もいなかったホールと違い、審査員や観客が入ったのでデットになっているんだ。そんなものだと気がつくくらいには頭の中は冷静だった。
今年もマイクに書かれた「SONY」のロゴをにらみながら、必至にバランスを保って一曲目を弾ききる。手ぬぐいで手を拭い、一呼吸置いてから二揚げに調弦。念入りに調弦を済ませて二揚げ課題曲「古見ぬ浦節」へ。
唄待ちがちょっとだけ早い気がしたが、少しずつ調子を戻しながら弾ききることが出来た。緊張しているので唄も演奏もいつもより固い。それは仕方がないことだ。あとは緊張しながらも何処までそれをコントロールできていたかということだ。自分ではむしろ楽しく演奏できたと思った。
ロビーにでて師匠に感想を求める。ギリギリまで舞台裏に着いていて頂いたために会場には入れず審査の様子を聴けなかったという。兄弟子や友達は大丈夫だったというが、師匠の評価がないので心配ではあったが、自信はまあまあ。
着替えを済ませてロビーに戻る。東京時代の大先輩の宮薗あき子さんに再会。思わず顔を見合わせてハグハグする。宮薗さんは一昨日最優秀賞の審査を済ませていた。私の審査は見ていなかったので、これまた先輩の評価も聴けない。大丈夫なのだろうか。
今日は審査最終日で、まとめて全体の結果発表が行われるとあって、会場ではいろんな人が集まっていた。琉球民謡音楽協会のコンクールで知り合った大工ネットの女性。一昨年新人賞に合格したときに知り合った先輩。他にもこの日記の読者や、暦の読者に出会ったり、そうした人たちを結びつけたり、年に一度のコンクールならではの交流が楽しい。
そうこうしているうちに、休憩中の當山善堂先生(審査員)と師匠が立ち話している。近寄ると、いきなり善堂先生から「君のンガンガは治ってないね、減点だよ(注:八重山民謡では基本的に鼻濁音を使わない)。全体に八重山のかをりも足りない。結果はお楽しみかな…」と微妙な談話を残して去っていった。一気に心配度が上昇した。
しかし、いまさら心配しても仕方がない。最高の演奏とは言わないが、自分なりに納得行く演奏は出来た。これで落ちたら仕方がない。それでも不安は消えないけど、無理矢理腹をくくって待つことにする。ようやく兄弟子や知り合いの演奏を見る余裕もでてきた。
すべての審査が終わったのは16時半くらいだっただろうか。発表は19時頃らしい。師匠達は病気のお母様を見舞いにいくらしい。誘われたがここは身内同士で行ってらっしゃいと見送る。
東京時代に知り合い、一昨年のコンクールで再会した先輩とゆんたくしながら発表を待つ。この先輩も一昨日最優秀の審査を受けている。少し離れた場所にある店でそばをすすりながら、あれこれ情報交換していたらやがて時間が近づいてきた。会場に戻る。
その時は意外とあっさりやってきた。会場に戻ってしばらくすると、中ホールに合格者の番号が張り出された。私の受験番号は有った。合格だ。
大底教室からは新人2名、優秀3名が審査を受けたが、結果は新人1名、優秀1名の合格となった。その他、東京時代の同門で、去年一緒に苦杯をなめた友達も優秀に合格。電話で伝えると喜んでいた。
大底教室はそれぞれに結果を受け止めることにして解散。師匠と私は「はなんまやー」へ移動した。一年前悲しい酒を飲んだこの店で、師匠と差し向かいで祝いの杯を交わした。
病気を抱えているため、普段は全くお酒を飲まない師匠が、「今日は嬉しいから飲むよ」といって舐めるように泡盛に口を付けた。一昨年新人賞に合格できたときと同じだ。
私は少し興奮気味にこの一年のことや、審査直前にした準備、今日一日のことなどを師匠に話した。師匠も嬉しそうに頷いていた。この日、石垣中の教室で悲喜こもごもの杯が飲み干されたことと思うが、ひっそりと交わされた大底教室の杯も、いろんな味がした。
ひとしきり飲み、一旦ホテルへ戻る。箆柄暦の東京担当にも合格の報告。今回の合格には、箆柄暦を続け育ててきたことで得られた自信も重要な意味を持っていた。東京担当の協力が無ければ達成できなかった。ありがとうと御礼を繰り返した。
東京時代の同門から電話。近くの店で飲んでいるというので合流することにする。去年は悲しい酒だったが、今年は嬉しい酒だ。一緒に合格できて良かった。ホントに良かった。こんなに素直に嬉しい酒は久しぶりだった。
偶然、善堂先生もお弟子さんとその店にやってきた。改めて「八重山の“かをり”」とは何かを聞いたが、やはり発音だけでなく、八重山の歴史や暮らし、自然、いろんなものから受けるものが“かをり”となるのだろう。はっきりとは言わないが、言外に「他の島の人には簡単に“かをり”は出せんよ」と言われたような気がした。(私の個人的な印象です)
さらにもう一件、次は安里屋に行こうと思ったらすでに閉店。すけあくろうも開いていない。酔っぱらっていて気がつかなかったがすでに4時頃だった。開いているはずがない。適当に空いていた店に入ってコーヒーを飲んでお開き。
部屋に帰るとなんともいえない気持ちがわいてきた。
窓を開け放ち、少しひんやりした空気を部屋に入れながら眠りについた。
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