私の生活の中に、廃墟はなんの接点も無いものと思っていたら、これはなんの縁というのだろう。好きな人にとってはたまらない廃墟中の廃墟を見る事になったのである。会社の友達に「廃墟が好き」とうちあけられ、またなんで?と思うところだが、廃墟好きというのは結構いるようである。私がその存在を知らなかっただけなのだ。この社屋には約30人の従業員がいるが、その中に3人いるのである。廃墟好きが。約1割の確率ではないか。他の会社や団体に廃墟好きがこの確率でいるとは思い難いが、うちの会社には確実にいるのである。彼らは廃墟を綺麗と感じ、またそれぞれが他の方面においてもマニアックなのである。私にはその感覚を理解するのは難しいと思っていたのだが、そんな私も廃墟に行く事になったのだ。無理やりに誘われたのではなく、自らの意思で・・・

会社の廃墟クラブのメンバーは会長がえばったん、顧問がコニー、事務局長がキンちゃんである。この組み合わせの時点ですでに怪しい。第一回の廃墟ツアーは、友が島という軍事施設の廃墟であった。私はもちろん不参加である。廃墟クラブの面々に「気を付けてね〜」と他人事のように言っていたのだが、この友が島、話を聞くとなんだか楽しそうなのである。写真は 「おー」と思う程度なのだが、そのツアーには探検めいたものがあったのだ。廃墟は別として、私はそのワクワク感に少しの興味を持ってしまったらしい。そしてキンちゃんの「鞠鈴さんは絶対好きですよ〜」の言葉に背中を押され、影響を受けやすい体質の私は 第二回廃墟ツアーに参加する運びとなった訳である。

第二回の廃墟ツアーは明延鉱山である。昭和62年に閉山となり、今はその一部が見学できるようになっていているが要予約。案内人つきである。今回のメンバーは主要メンバー3人とウラジさん、そして私の計5名。これまた日頃有り得ない組み合わせだ。鉱山見学などの細かい手配は事務局長が、そして私の中では距離的にも お友達度合いも いささか遠い存在と思われるウラジさんがレンタカーの手配をして下さり、私は個人的な荷物として、軍手、懐中電灯、お菓子を用意して準備は整えられた。荷物をリュックに入れ、服も用意し、準備は万端。と、ところがである・・・

朝起きるのは自信があった。だから前日の夜も出かけてしまった。今までこんな事はなかったのだ。しかし・・・京都駅での集合時間が8時過ぎ。その前にSIZUYAでパンを購入するため、会長との待ち合わせが、7時45分。会長との時間を決めたのは私である。わ、私が起きたのは7時50分ぐらい。やってしまった。会長からの電話がなるまで爆睡していたのである。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。私が京都駅に着いたのは8時25分。もうひたすら謝るしかなかった。もちろん化粧はしていない。髪もボサボサである。しかし気を取り直して、いざ出陣である。キンちゃんの衣装は名探偵風である。これには「迷探偵だろ」というコニーのつっこみがあった。私は迷彩柄のジャケット、フランス軍御用達のシューズ。遭難用の食料持参。そして髪はボサボサ。目的を誤っている・・・コニーはこれまた、私には考えがたい軽装。これから寒い所に行くとは思えない薄着である。本人曰く、表面温度が高いからあまり寒くない という事らしいが、これから山の方に行くのである。普通に考えても、普段の生活範囲よりも確実に寒い所に行くのだ。街中でもその格好は寒いだろ!っと私には思える服装なのだが、コニーは大丈夫らしい。

梅田に着きウラジさんと合流である。ここからが第二回廃墟ツアーの始まり始まり〜

ウラジさんは前日の夜釣りで寝不足のようであったが、ここで一言いっておこう。ツアーでの合言葉は「自己責任」である。お天気はよく、仕事中に「いいお天気。どっか行きたいな〜」とふともらしてしまう時のような、いい天気ぶりだ。天気予報は夕方から雨のようだったが、朝に天気が良いのは気持ちの良いものだ。普通にドライブをしているようである。

どんどん田舎になってきて、神子畑の鉄の橋を見る事になり一旦車を降りる事に。そしてお散歩がてら歩いていると、なんと洞窟発見!いきなりの衝撃である。ちと入ってみる事になったが、みんな、軍手、懐中電灯は車に置きっぱなし。唯一あったのが会長の懐中電灯1本だけである。さすが、会長。みんなが油断している時にもそつが無い。それを持ってウラジさんが先頭に。探検の始まりだ。まず私達が目にした物は ミシンだった。メーカーはジャノメである。ウラジさんは捨てられているそのジャノメミシンを写真におさめていた。
  
ウラジさんはどんな思いで写真を撮ったのだろう。私はただ ここは物が捨てやすいのかなって程度の心のひっかかり具合だったのだが、がしかし、このミシンの存在は私達に大きく影響するのである。私達はこの洞窟に「ジャノメ洞窟」と名づけたのだ。外からの光が入らない所までくると、5番目を歩くコニーの足元は真っ暗である。時折コニーの「痛!」という声も聞こえる。コニーは今回の参加を悩む程の腰痛があったのだ。洞窟の高さが中途半端で、腰痛持ちには辛い体勢が続く。途中、ハッポウスチロールで何かが育てられていた。湿っていて暗い・・・きのこでも生えてくるのだろうか・・・こうもりも寝ている。この状況だと私の服装はピッタリマッチしている。20m程で行き止まりになり、引き返すが、いきなりのワクワク探検体験だった。ここではワクワク体験の他にもハラハラ体験をした。原因はウラジさんである。ウラジさんは、ふと気がつくと、初めて目にする赤い実を食べていた。とうもろこしを赤く そして短くしたようなその植物は、のちにマムシグサという毒性のあるものだと分った。
               
なんと口にすると中毒をおこすらしいその実をウラジさんは「いちごの味に似てます」といって どんどん食べそうな勢いである。その勢いは会長と事務局長に止められたものの、ウラジさんは「いや、美味しいですよ」ってな具合で まだ食べたそうであった。実は私も苺に似ているのなら と思い食べようかと思ったが、ウラジさんを止める会長と事務局長を見て、「今、食べたら絶対怒られるな〜」と思い、食べようとした事はかくしておいた。毒があるなら、やっぱり食べなくて良かったと胸をなでおろすところである。


車までの帰り道で通りがかった民家のおばあさんに洞窟の事をきいてみる。やはり地元の人に聞くのが1番だとおもいきや、そのおじいさん、おばあさんは そこに移り住んでまだ10年程という事だった。もともとは京都の人らしい。よく聞いてみるとうちの家とそこそこ近い。洞窟で育てられていたのは、このおじいさんが育てている黄ニラだった事が判明。色々な意味で世間は狭い。例の洞窟は、恐らく戦時中の防空壕ではないかな、とのこと。このご夫婦、野菜は自給自足の生活をされていて、私達に畑を見せてくれた。

畑は大きくないが、2人が自給自足をするには十分である広さだ。そこには白菜、人参、芽キャベツ、ねぎなど数種類の野菜が育てられている。どの野菜達もおじいさんの自慢だ。ねぎも隣の畑のものと比較すると、随分と違う。太さも長さも立派なのだ。おじいさんの野菜作りにはこだわりがあった。野菜を植える間隔は、常にベストな間隔が維持されており、おじいさんの作った堆肥の使用で野菜の品質向上化をはかっている。今までのデータは完璧な状態で保管され、居間で共有。そんな話で盛り上がっていると おじいさんは「芋ほってみるか」と言ってくれた。プチ田舎体験である。長芋をほらしてもらったが、慣れない手に長芋ほりは難しい。キンちゃんは芋を折ってしまった。おじいさんに「これはおれたらアカンにゃー」と言われたけど、「そんな大役を通りがかりの若者にまかすとは思ってなかった・・・」って言うキンちゃんの言い分にもうなずける。 


でもおじいさんとおばあさんはとても親切で 人参をくれたり、「お昼を食べていけ」と言ってくれた。鉱山の見学は時間が決まっているので、とりあえず鉱山にむかう事にして 帰りにまた寄せてもらう事になった。ご飯をご馳走してもらえるのだ。芋を折ってテンションの下がっていたキンちゃんも復活である。

明延鉱山に着くと そこで迎えてくれたのは見学の案内人のオジサンだ。とても明るく楽しそうに話す人である。まず私達は軽くお昼を食べる事にした。食料は会長が買ったパンとそれぞれ持参したお菓子しかないので、軽くしか食べられない訳で・・・しかし私達は神子畑のおじいさん、おばあさんの所でご飯が食べられる。お昼ご飯の量は少ないぐらいで丁度いいぐらいだろう。お昼を食べた場所には 昔の機械やパネルでの紹介、鉱山とは関係なさそうな物まで、色々な物が展示されていた。そして鉱山見学の前に15分程のビデオをみるのだが、その内容は鉱山がどうようにできたか といった説明から鉱山閉山まで、何万年分の時の流れをうまく15分でまとめてあるのだが、その時点で私はやばかった。閉山式のシーンである。鉱山の労働者はさぞかし悔しい思いをしただろう と思うと 私はまず最初の涙を流してしまった・・・気を取り直して いざ入山である!メットをかぶった時点でワクワクだ。しかもウラジさんは頭に着けるライトを装着している。普段、ウラジさんは何をしているのだろう。趣味が釣りやカヌーって事ぐらいの情報は得ていたが、不思議な人である。どんな人なのかよく分らなかったウラジさんが、やはりよく分らなく、不思議な人である事を再確認できる1日であった。まず、案内のオジさんが出口の鍵を外から開けた。ここを開けておかないと、出れない。そして入り口へ向かう。立ち入り禁止となっている所に入って行くのである。それだけでもワクワクだ。鉱山内は特に観光用に改装はされていないという事だった。コニーをはじめ、みんなが「その方がいいんです!」とオジさんに言っていた。中は湿っていてひんやりしている。コニーもウラジさんからフリースを借りないと さすがに寒かったであろう。身にはあっていないようであったが、見栄えを気にしている場合ではない。
  
オジさんの楽しげな説明をきき、私達は感心したり納得しながら進んでいったが、オジさんが楽しそうに説明してくれれば、してくれる程、私は閉山の時の事を考えまた悲しくなってしまった。鼻水もでてきたが、これは寒さのせいでもある。悲しくなりながらも私は元気が出る所があった。鉱山内はひんやりとして温度が1年中たもたれている。どっかの酒屋が、お酒を保管しているのだ。棚には「大吟醸」などと書かれている。そこで飲める訳ではないのだが、閉山後の鉱山はこんな風にも使われるんだ〜となんとなく気持ちがなごんだ。見学が終わり、鉱山からでるとオジさんは小さい鉱石を人数分くれた。閉山前の、男達の汗と埃を感じずにはいられなかった・・・


明延鉱山を後にして、おじいさん、おばあさんの家へ。でもその前に寄る所があった。神子畑の選鉱所である。もちろん廃墟だ。明延鉱山に行く途中にも目にしたが、山の斜面をなめるように建てられているその廃墟は圧倒的な存在感があった。
               
私にとっては威圧感かもしれない。みんな興味津々である。その選鉱所に着き 立ち入り禁止とはなっていたがとりあえず入ってみると、みんなの目は恐ろしく輝き、それぞれが興味のある所へ行ってしまった。私は一人になるのが怖くてとりあえず誰かについて行った。今までも、もちろん廃墟に行った事はないし、そういう写真集などもあるようだが、ちゃんと見た事もない私にとっては、置き去りにされている機械達や、埃っぽさ、所々割れているガラス、一部崩れている木の階段、これらが怖くてしかたがなかったのだが、みんなは もう興奮状態である。コニーも「軍艦島につぐ廃墟」と言いながら腰痛の事は忘れているし、会長も事務局長もテンションが高過ぎである。ウラジさんもロシア製のカメラで写真をとっていた
   
またとんでもなくこの
選鉱所が広い。みんなが興奮状態の中、だいたいは見れたものの、全て制覇というところまでは見られなかったが長居はよくないという事と、おじいさん達も待っているかもしれないので、引き上げる事になった。私の感想としては、放置された空虚な時間の経過が重いっつーか やはり怖かった訳だ。機械に気持ちは無いけど、少量の感情があるような・・・ 虫を殺す時って、半殺しにするより、一気に殺してやる方がいいやろう と思うのだが、その半殺し状態になっているような感じがする。何もしなかったら、何も変わらないように思うけど、本当に何もしないと、そこから崩壊がはじまるのだと感じてしまった。 やっぱり私にはあれらを 凄いとは思うけど綺麗とは思えなかった。鉱山から選鉱所までの車の移動中で私は泣いてしまい、私だけでなく車の中までもテンションを下げていたのだが、そんな精神的状態で目にしたせいもあったかもしれない。「鞠鈴さんは 怖かったかもしれないけど、1回目にしてはいいものを見はりましたよ」とコニーに言われたが、確かにそうなんだろう。初心者の私にはレベルが高かったのだ。初めてスキーをするのに、いきなり上級者コースに行ってしまったようなものである。


そういえば、私のテンションは下がりきみであったのと対照的に、キンちゃんは車で泣いている私の横で「鞠鈴さん、泣いてる〜」とゲラゲラと笑い、テンション高々であった。私が泣く事で、場の雰囲気がしんみりするのは申し訳なく思っていたので(コニーは眠むそうたっだので、しんみりも何もなかったかもしれないが) キンちゃんが大笑いしてくれた方が私には救いであった。

神子畑のおじいさん、おばあさんの家に着く頃は もう日が落ちて、田舎のせいか、もう夜がふけているような雰囲気だった。明かりも少なく、雑音も無いからだろうか。おじいさん、おばあさんは「もう 来ないかと思った〜」と言いながら美味しい香りと共に私達を迎えてくれた。おじいさん達は大きなお鍋にいっぱいのおでんを作ってくれていた。おじいさん達は、私達が寄らずに帰ってしまったら、二人ではとても食べきれないので、ご近所に配りにいかないといけない と考えていたようで、電話を入れるにも携帯が圏外でできなかったとはいえ、そんな心配をさせて申し訳なく思った。ご飯のメニューはおでんに味噌汁、畑でできた野菜の漬物、さつま芋のてんぷら、そして、お昼に会長と事務局長が掘った例の長芋である。ごはんの用意はほとんどされていたが、芋をするのはお手伝いした。女子がお手伝いしている間、ウラジさんは、おじいさんに勧められ、お風呂に入らせてもらっていた。ごえもん風呂らしい。ご飯の用意が整った頃に丁度上がってきたウラジさんは、とてもさっぱりしていた。ずーっと一人で運転してくれ、そしてこれからも運転してくれるのだ。そのご褒美といっていいだろう。しかし他のメンバーは全員美味しい日本酒をいただいているのに、運転するウラジさんはお酒が飲めない。ある意味、飴とムチである。唯一の予備ドライバーの私も、この家に着くまでは、「疲れたら言ってね。運転替わるから」と言っていたのが、「私もお酒のんでいいかな〜?」に変わった。状況に伴って心理的状態も変わるのだ。この埋め合わせはいつかしようと思うが、そういう機会が今後あるかどうかは分らない。

私達は 美味い酒と美味しいご飯を、なんといろりをかこんでいただいた。ごえもん風呂といい、いろりといい、大きいおうちといい「これぞ田舎の家!」である。いろりを囲むなんて生きてきて初めてかもしれない。「ぶらり旅紀行」といったテレビ番組をつくるなら、レポーターにはこういう所で食事をとらせたい。いろりを囲んでの会話もはずみ、野菜作りの話、この家での暮らしの話、京都の頃の話、昔の仕事の話、お子さんの話、お孫さんの話、とおじいさんは色々な話を聞かせてくれた。その話の所々でおばあさんがうなずいたり、話を付け加えたり、夫婦の仲の良さがうかがえる。いっぱいのおでんはみるみるうちに減っていった。本当にどれも美味しかった。こうしてご馳走してくれているおじいさん、おばあさんは今日、初めて会った訳で、でもそれにもにもかかわらず親切にしてくれ、みんなが笑っている。ご飯だけでなく、いろりを囲んでいるみんなの笑顔にも 何が温かいものを感じた。食事が済むと、いろりからこたつに移動した。ここではおじいさんと話をするチームとおばあさんと話をするチームに分かれて、私はおばあさんチームになった。おばあさんとおじいさんの出会う前、おばあさんは中国に住んでいた事を食事の時に話してくれていたので、中国の話をしてくれた。「こんなところに住んでいたのよ〜」と見せてくれた中国の写真集には 「青島」と見慣れた文字が書かれていた。その写真集は少し古いものなのだろうけど、海岸などは地名の由来を感じる程に綺麗だった。そして会長は、街中の写真に洋風な建物があるのを見て反応していた。おばあさんの青島での生活や、戦争で日本にひきあげてきてからが大変だった話などをしてくれていたが、おばあさんの話を邪魔するものがあった。カメムシである。やたらといるのだ。それが何故邪魔になるかというと、おばあさんはカメムシを取っているのである。ふすまや畳にとまっているカメムシをおはしでとり、水(殺虫剤を含む)の入っている瓶にいれているのだ。高さは15cmまで、直径は7cmぐらいのその瓶には かなりのカメムシが捕獲され死んでいた。1日でそんなぐらいの量になるらしい。恐ろしい光景である。分かれていたチームはひとつになり、畑の話になった。おじいさんの話をきいていると野菜作りが好きで野菜に対して一生懸命なのが伝わってくる。畑の話で盛り上がっているとコニーが畑の烏よけの事を質問した。おじいさんの畑には烏よけの為にかなりの量のCDが使われているのだ。CDを畑の上に紐で吊るしておけば、光の反射を嫌う鳥が寄ってこないのである。吊るしているのは音楽のCDではなく、コニーによると今でも10万ぐらいの価値のあるパソコンソフトのものが使われているらしい。おじいさんは、娘婿が送ってくれたものをよく分からずに使っていると あっさり答えていた。畑の話はまだまだ続き、野菜の話の中で おひさまコーンという かなり美味しいとうもろこしの話がでると、キンちゃんは目を大きくして、「以前、とうもろこしの夢をみた!」と、夢の内容について話していた。内容はここでは詳しくは記さない事にしよう。なぜなら、キンちゃんはその夢の内容を膨らませ、物語をつくる事にしているのである。私たちが聞いた夢の話よりもスケールアップした内容でいつか公表されるだろう。

最後に玄関で写真をとった。おじいさんは写真をイヤがったが、お願いして一緒に入ってもらった。そしてお昼に畑でとってもらった人参と野菜作りの雑誌を数冊いただき、これらの親切のお礼を言って神子畑の家をあとにした。 またここを訪れる事はあるのだろうか?無いかもしれないが、今度はもっと畑で作業をしたいとか次回選鉱所に来た時はこの家に絶対寄ろう とか 次の事を考えなら家路についたのだった・・・

                            
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明延鉱山〜神子畑選鉱所レポート      TEXT by 鞠鈴