ホ103
種類:航空機用機関銃

性能:

全長        1245mm
重量         23.0kg
使用弾薬     12.7mm
発射速度     800発/分
初速         780m/s



右はホ103が搭載されていた日本陸軍の「隼」。といいたかったのですが、望遠型照準器のついた隼にホ103は搭載されてないんですよね(;_;)。
で、望遠型照準器のついた隼は3枚プロペラじゃないんですよね(;_;)つまりこんな隼は実在しないというわけなんです(;_;)
いいかげんだなぁ(笑)

いちおう、CG課のをそのまま流用してます(^^;)


下情報の一部はてくにしゃんさんから提供していただきました。
ありがとうございます〜
 昔のライフル弾は口径が17mmとか結構大きかった。理由は、当時は黒色火薬を使用していたため爆発力は早かった。銃身内部で加速が充分にできず、初速が出せなかった。殺傷力を求めるならば弾を大きくしてでも銃弾を重くしてその慣性に頼るしかなかった。やがて、ニトロセルロースを基材とした無煙火薬が発明されると初速が増大し、一気に8mmクラスまでライフル弾の口径を落としても威力は変わらなくなったため、各国のライフル弾は8mmクラスまで落とすことになった。
 ただ、戦場、特に第一次大戦における兵器の発達は再度大口径の銃器の出現を促すことになった。航空機が登場すると対空機関銃が作られるようになったけども、出現当時の航空機が布張りで防御力が内に等しく、速度も200km/h出ればいい方だった時代においても1機を撃墜するのに4000発の銃弾が必要だと見積もられた。ようは3次元で動き回る航空機に対してはたとえ機関銃だろうがなかなか銃弾を当てられないという事だから、1発の威力が大きい銃器が必要だとされた。また陸上においても戦車という新兵器が登場した。最大装甲が10mm台の今でいえばちゃっちい装甲だったものの、そんな装甲でもライフル弾では撃ちぬくことができず、遭遇した兵士はパニックにおちいり、上層部も大口径の対戦車用ライフルの開発を行った。13mm前後の口径の対戦車ライフルが各国で作られることとなった。

 やがて、対戦車ライフルは廃れていくものの、その銃弾は大口径機関銃用へと移り変わっていった。対歩兵用には威力がありすぎ、対戦車用には威力がなさすぎたため、その目的は対航空機用へとなっていった。航空機機関銃(対空機関銃を含む)は第一次大戦頃は7.7mmクラスが主流だったものの、第一次大戦後は航空機自体にも(あくまで機関銃弾用だが)装甲が考慮されるようになった事と、高速になったせいもあり、ともかく少ない命中弾で落とせるようにと大口径化が進められるようになった。日本では大正末あたりから13mm前後の口径の機関銃に注目しだした。

 各国では12.7mm、13mm、13.2mmの機関銃が作られていた。アメリカ・ドイツ・フランスの順だけど、12.7mmとは0.5インチなのでヤードポンド法を採用していたアメリカでは当然の選択だといえるが、フランスの13.2mmという口径はどこから出てきたのかはよくわからない。日本陸軍ではこれらの機関銃をを一通り購入して試験に給していたが、フランスの13.2mmがいいだろうと、ライセンス量を払わずに92式車載13mm機関砲として採用した。これは92式重装甲車に搭載されたものの、威力と重量の点で旋回砲塔に搭載できず車体に搭載していた。対空射撃もできるというのがウリだったが、車体に搭載されているこの機関銃が高速の航空機に対応できるはずもなかった。結局「弾倉が大きく狭い車内ではつっかえる」とかあまり評判は良くなく、生産は昭和13年には打ちきられた。
 ただ、やはり同口径の機関銃は必要と考えたのか日本陸軍は昭和14年になって、購入したブローニングM2重機関銃やブレダ12.7mm機関銃、果ては中国戦線で鹵獲したソビエト製12.7mm機関銃(ブローニングM2重機関銃と口径は同じだが、薬莢長がM2は99mm、ソビエトのは106mmだったため互換性はない)を試して陸軍側で高評価を得たブローニングM2重機関銃を模倣を決定し、中央工業(銃器設計で著名な南部麒次郎が起こした会社)に製作を依頼した。ただ、資料によっては、中央工業が選定したとするものもあり実際の所は良く分からない。中央工業では翌年の昭和15年にはこの12.7mm機関銃を完成させた。これが”ホ-103”と呼ばれる機関銃だった。
 
 昭和15年度には約100門が完成し陸軍に納品された。このホ-103が最初に搭載されたのはこの翌年に陸軍に採用された一式戦闘機の”隼”だった。隼の最初の型は7.7mm機関銃が2丁、機首についていただけだったが、後から機首左側のみこのホ-103がつけられた。航空機は、特に爆撃機などと比べて軽量な戦闘機の場合は重量バランスが崩れると飛行性能にモロに影響するので問題はなかったのだろうか?そういう理由かはわからないが後に機首武装が2丁ともこのホ-103がつけられるようになった。その後の日本陸軍戦闘機によく搭載されるようになっていった。
 ちなみに、航空機用機関銃は左右の胴体ないし左右の翼に搭載する関係上、機関銃は同一機種でも給弾は左と右から別で行う必要があった。ブローニングM2重機関銃は左右どちらからでも給弾が可能だったが、ホ-103は構造の簡素化および軽量化のために左から給弾するのを甲砲、右からのを乙砲と分けて生産していた。これは戦時生産において生産部品が増えてその供給にも多少なりとも悪影響を及ぼしたと考えられるが(たとえば甲砲生産ラインに乙砲の部品が届いて、工員がそれを知らずに組み立てて不良品を出荷したとかはありえなくなさそうな話である)工業水準が劣った当時の日本ではこれしか選択肢がなかったのだろうし、だいいち航空機は多少なりとも重量の増加が飛行性能に影響するために、その点でいえばいい選択だったとも言える。実際、元になったブローニング機関銃の重量が26kgであったのに大して、ホ-103は23kgと軽くなっていた。

 模倣元のブローニングM2重機関銃と比べた場合、ブローニングM2重機関銃用銃弾が48.5gで、ホ-103用銃弾が38gであり、使用する銃弾の重量が軽かった。これは初速をM2重機関銃に合わせるためだといわれている。なぜ軽い弾を採用したのかは分からないが、日本ではバネを作る技術が他国に比べて劣っていたために、威力の弱い弾を採用したのだろうか?。ちなみに、弾の重量はイギリスのビッカース12.7mm機関銃よりやや重い程度なので、もしかしたら他の機関銃同様、銃弾自体はイギリスのそれを参考にしたのかもしれない。
 使用する弾薬は通常弾(徹甲弾)と曳光弾と焼夷弾の3種類があった。しかし、他にマ102とマ103と呼ばれる榴弾もあった。マ102は信管がなく命中直後に炸裂するもので燃料タンクに命中させたらその炸裂で発火させるものだった。マ103は信管が付いた本格的な榴弾だった。ただ、両者ともほとんど使用されなかった。理由は、ブローニング系統の機関銃は発射スタンバイ時に弾薬が薬室にあるために発射後の熱で榴弾が自爆しやすかった。また、12.7mmの銃弾では大量の炸薬を仕込むことができなかったし、当時の日本の工業力では小型の信管の大量生産ができなかった。高射砲と違って、連射して撃つ弾なのだから需要に満たせる分の生産を行うには程遠かったのは容易に想像ができるだろう。また、燃料タンクへの着火は曳光の弾でもできたためでもあった。

 ブローニングM2重機関銃はショートリコイル閉鎖機構の反動利用式となっている。この方式は加工精度が要求されるために機械工作精度が劣った当時の日本ではショートリコイル式の機関銃がほとんど作られなかった。このホ-103は例外といえるもので、その理由といえば航空機搭載機関銃にガス式は不向きというのが現実的な理由だろうが、歩兵用兵器で忌憚されつづけた反動利用式の機関銃を早々に作り上げた中央工業の技術力は賞賛すべきだろう。惜しいことにその技術力と生産力が平行できなかったという当時の日本工業界の潜在的な欠点は克服することはなかった。

 ホ-103は当初は「試製十二.七粍固定機関砲」と呼ばれていた。かなり長い間公式な資料にはこの名称が使用されている。ただ、生産元も陸軍でも実際には「ホ-103」と呼んでいた。ホ-103自体は総生産数は不明ながら、昭和19年の段階で約1万5千門が作られているのが確認できるので、だいたい3万門ぐらいが作られたと想像される。そんなに作られていて「試製」というのも変な話だが、正式名がどう呼ばれていたのかはよくわからない。いくつかの本で、戦闘機の隼に搭載されたのが最初だからからか「一式12.7mm機関砲」とか「一式固定機関砲」とか書かれている文献を見かけるが、実際には「試製」のまま結構長らく呼ばれていたらしい。また陸軍の公式文書では「ホ-103」という記載で通されているために「○式」とは正式につけられなかった可能性もある。


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