M61A1(バルカン砲)
種類:航空機用機関銃

性能:

全長     2800mm
全高       1210mm
重量       298kg
使用弾薬       20mm
装弾数(搭載機体で異なる)
発射速度    
  4000〜6000発/分
初速    1050m/s
左写真はWIZさんからいただきました。どうも有難うございます≦(_ _)≧
F-15J(航空自衛隊装備の単座型F-15)搭載用という事です。
 バルカン砲の前身はガトリング砲といわれる機関銃だった。ガトリング砲というのは機関銃よりも歴史は古く、1863年前後にはすでに完成していた。「ガトリング」という名前は発明者の”リチャード・ジョーダン・ガトリング”から取られている。ガトリング氏はアメリカの出身で、アメリカの1863年といえば言うまでもなく南北戦争の真っ只中で、開発理由も言わずと知れたことだけども、結局は少数(10丁前後)が北軍に採用されたのみで、実戦での使用はなされなかった。
 ガトリング砲は後に日本にも売り込みが行なわれ、戊辰戦争直前に長岡藩が2丁を購入して対官軍戦で使用されたのはよく知られている。ただ、あんまり役には立たなかった。理由としてはガトリング砲自体が高価で、当時は弾薬自体も値段が高かった。それに命中精度も高くはなく、ようは1人の敵兵を倒す(戦闘不能にする事。「殺す」とは別)のに割りがあわなかった。命中精度の低い理由としては、当時は無煙火薬ではなく黒色火薬を使用していたため、爆発力が一定しなかったし、銃身を回すクランクは当然手で回していたためその際に照準がズレやすかった。そのため、本国アメリカでは回す力を電動モーターにしようとしていた動きも1890年代にはあったようだけども、もうこの頃になると、無煙火薬が発明され、爆発力が安定して結果、反動利用式のマキシム機関銃が完成したため、ガトリング砲は忘れされれていった。
 ガトリング砲は、銃身回転の際に、装填・閉鎖・射撃・閉鎖解除・排莢を行なうため、弾薬の不発がおきても射撃継続が可能という利点はあった。ただ、銃単体の重さがケタ違いで、歩兵兵器としては採用をためらわれたのは容易に想像ができる。しかし、航空機機関銃としてはこれは大きな利点だった。航空機搭載機関銃は機関銃は手に届かない場所に配置されている事が多く、不発が起きたら泣くしかなかった。ガトリング砲ならば、その問題は解決できた。クランク回転も電動にすれば問題はない。ただ、ガトリング砲が大きい・重たいという欠点はいかんともしがたかった。第一次大戦時の戦闘機重量は600kg前後。これに100kg近くもあるガトリング砲を積め込むのは物理的に不可能だった。第二次大戦の戦闘機重量は3000kg前後だったけども、第二次大戦当時の機関銃は機首か翼に積んでいた。ガトリング砲を翼に搭載するのは不可能で、機首搭載も、単発機は機首にエンジンを積むため搭載は不可能で、双発機ならその選択肢はあったけども、それなら普通の機関銃を沢山積むほうが現実的に良かった(ガトリング砲は電動モーターを余分に積む必要がある)。そういう理由もあって、ガトリング砲は1870年代から1950年代まで完全に忘れ去られた銃器だった。しかし、アメリカ軍で突如として、このガトリング砲は復活を遂げたのだった。

 アメリカは伝統的に航空機にはブロ−ニングCal.50を積んでいた。状況的に大口径の銃を積む必要がなかったし、Cal.50が優秀だったから。しかも、アメリカにも20mm機銃はあったが、信頼性が低かった点もCal.50に依存する理由でもあった。しかし航空機界の流れも20mm以上の口径となりつつあった。そこで目をつけたのがガトリング砲だった。詳細な理由はよくわからないけども、上で書いたように「不発に強い」のが理由だったのかもしれない。1950年代は戦闘機のジェット機化が進みパワーあるエンジンが開発されたし、戦闘機自体も大きくなっていった。それが採用を踏みきれた理由でもあるだろう。

↑写真をクリックすると詳細表記されます。
 M61A1は6銃身の典型的バルカン砲で発射速度は1秒に66発から100発というとてつもなくすんげ〜量を撃てる。また、銃身は18000発撃ったら交換で、全体は145000発撃ったら交換される。装弾数は上でも書いているけども、搭載する機体によって異なっており、F-4Eファントム2では560発と金属リンクに78発入り、合計638発を搭載できる。F-15イ−グルで940発(530発とする資料もある)である。この数量が金属リンクの中の弾数を勘定にいれているのかは不明。
 弾種は詳細は右写真を参照して欲しいが。いくつかの種類がある。

 M61A1バルカン砲が完成したのは1957年だけど、このM61バルカンが最初に搭載された機体は"最後の有人戦闘機"という鳴り物でデビューしたF-104スターファイターで、続々と搭載されると思われたが、ミサイル優越主義で一時的に搭載されなくなった。一時的に搭載されなくなった理由をちっとばっかし(長いけど(笑))説明する。

 1958年9月24日。台湾海峡にある金門島、馬祖島をめぐる中国軍と台湾軍との戦いで、空軍同士の衝突が起った。中国空軍はMig15ファゴットとMig17フレスコ、台湾軍はF-86Fセイバーだった。これらの機体は共にソビエト、アメリカの機体で、これは朝鮮戦争でも使われて朝鮮戦争でも戦われた機体でもあった。朝鮮戦争当時と唯一違ったのが兵装で、中国空軍の機体は23mm機関砲と37mm機関砲だったけど、台湾軍のF-86Fセイバーは、通常の12.7mm機銃だけでなくGAR-8サイドワインダーAAMミサイルを搭載していた。結果は台湾軍の圧勝で中国空軍機29機撃墜で台湾軍の損害はゼロ(台湾側発表)の大戦果を上げた。その殆どはミサイルによるものだった。その結果、機銃の時代は終わったと誤った結論を導き出したのだった。「誤った結論」というのは当然、後々の結果を知っている後世の我々だからこそ言えるのである。これに限らないが後知恵ならいくらでも言えるのである。ともあれ、アメリカはミサイル優越主義を謡い、その結果開発された戦闘機が”F-4ファントム2”であった(ファントムという名前の飛行機は第二次大戦直後に存在したので”2”とつけられている)。この戦闘機自体の能力は非常に優れていた。現に今でも日本の航空自衛隊でも現役で使用されているし、各国でも主力戦闘機の座を守っているのである。しかしながら機関銃を1門も積んでいなかった。ミサイルのみの武装であった。アメリカはこの機体でベトナム戦争を挑む事になる。たしかに地上戦と違って、ゲリラが戦闘機を操って攻撃するなんて間違ってもなかったから単純にエレクトロニクスで圧倒的優位に立っていたアメリカの勝利は見えていた。
 と思われた。
 1965年4月4日。タンホア上空でアメリカ空軍攻撃機”F-105サンダーチーフ”2機が北ベトナム空軍のMig-17戦闘機の機関砲攻撃で撃墜された。それ以降アメリカ空・海軍と北ベトナム空軍は幾度と無く空中戦を演じるのだが撃墜比率は3:1だった。ヘタな絵で申し訳ないす(;_;)アメリカ軍が勝っていたのだが、朝鮮戦争のそれ(12:1)とは多いに劣っていた。一時的にせよ同率に持ち込まれた事もあった。空戦は目視しての攻撃が原則だったなどの政治的理由があるにせよ、根本的な問題は戦い方にあった。ミサイルしか積んでいないので、全部撃って全部外れたら(当時はミサイルの能力は今より遥かに劣っていた)あとは逃げるしかない。敵を追いかけ、照準器に敵を写しだし銃弾を浴びせ撃墜する・・・。この第一次世界大戦からのセオリーを忘れてしまったいたのだった。
 アメリカ軍は早速この戦い方(ドッグファイト)の空戦をパイロットに叩き込んだ。アメリカ海軍の”トップガン”はつとめて有名であるが、鍛えられた彼らは北ベトナム空軍機を蹴散らし、撃墜比率は12:1に戻り、政治的にも地上機体への攻撃も許可され、アメリカ軍はついにベトナムにおける制空権を獲得したのだった。時に1973年1月。既に地上ではベトナム撤退が決定しており、時すでに遅かったのだった・・・。結果的に空中戦により撃墜された機体はアメリカ軍機76機で北ベトナム空軍機195機(アメリカ発表)で、数はアメリカが勝っていたものの、戦力比を考えれば、北ベトナム空軍は善戦したと言えるだろう。
 以上のベトナムでの戦訓でF-4Eからまた搭載されだして、これは今でも使われている。21世紀になっても使われる事だろう。
 バリエーションと言えるかは分からないが、これの小型バージョンがM134ミニガンである(右イラスト参照)。「なんででっかいのにミニガンなんだ?」と思う人もいるだろうが、恐らく元がこのM61A1だからだと想像される。このミニガンは重さはM61A1の10分の1しかなくイロコイやハーキュリーズに搭載するにはもってこいで、ガンシップ任務に活躍している。言うまでもないが右イラストみたいに手持ちで使う事はまず無い(^^;)。


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