刑法第200条
”自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス”
(平成7年改正前の刑法より)
日本刑法は明治41年に今の原型は完成した。今でも立派に使われているのだが、時代の変遷で
いくつか追加されたり削除されたりしている条文がある。刑法199条(殺人罪)の次 の200条も
欠けている。この200条がなくなったのは平成7年の刑法改正の時なのだが、実際にはそれ以前から
適用されなくなっていた。その理由には悲しい話があった。
昭和43年10月5日。とある都市の市営住宅で殺人事件が起こった。まぁ、あってほしくはない
けどもよくある話だ。内容は妻が旦那を絞殺するといったものだ。まぁこれもよくある話ではある。
これが一般の事件と特異な点は、この夫婦は表面上は夫婦でも戸籍の上では父と娘の関係であった
という事だ。ストレートに言えば近親相姦なのだが、こんなゲス親を殺しても昔は刑法200条の
尊属殺人罪に問われる事になる。尊属殺人の法定刑は死刑か無期懲役で、ようはどんなに減軽
されようとも執行猶予は不可能な話なのである
昭和43年11月初頭、彼女の弁護をすべく、1人の弁護士が彼女を収容している拘置所を訪れた。
面会の場にやってきた彼女は29歳らしい若々しい肌をもっていたが、なにがしの疲労がありそうな
表情をしていた。
「どうも、こんにちは。貴方のの弁護を受ける事になりました、久保と申します。
「貴方。結構若いわね。歳はいくつ?」
「はぁ・・・26歳ですが・・・」
「・・・・・・。なんで私にはこんな若造が付くのかしらね?新宿の弁護で弁護協会も忙しいのかしら?」
「顔を見た時に、かなりやつれていると感じたのですが、元気なようですね」
「・・・・・・。すいません。留置所での取り調べとか、これからの事を考えるとどうも精神的に
イライラしてしまって・・・。」
「いえいえ、気にしちゃいませんよ。自分の精神状況を把握してるって事はまだ大丈夫って
事ですからね。あ、その前にお名前は"ぺき"って読むんですか?」
「"碧"は"みどり"って読むんです」
「へぇ、いい名前ですね。良かったら名前の由来を教えてもらえませんか?」
「はい・・・。私の父が海軍軍人で紺碧の海の綺麗さから名前をつけたと母から聞きました。」
碧は顔をうつむけた。殺した父親の話になったからだろう。
「すいません。変な事を聞きまして、嫌な事を思い出したんですか?」
「いえ、自業自得ですかね。ははは・・・」
笑う表情には、当然ながら元気はない。
「えっと、私の名前は則幸と申します。"そくさち"と読まないで下さいね」
2人とも笑い出した。
「さて、碧さんの罪状は、取調官からも聞かれたとは思いますが、刑法200条、つまり
尊属殺人罪ですね。」
「はい、聞きました。刑罰は死刑か無期(懲役)しかないんですよね」
「ええ。弁護方針としては傷害致死として持っていきたいと考えています。尊属傷害致死ですが
状況を考えれば十分執行猶予にもっていけます。」
「・・・。私は取調官にはっきりと『殺意があって首をしめた』という旨を伝えています。」
「なんですと?傷害致死と殺人では尊属規定の刑の罰則の格差があまりにも大きいのは
ご存知でしょう?」
「知っています。でも私は法廷でも真実を語りたい。恐らく他にもいるだろう境遇の女性たちの
ためにも真実を語りたいのです。」
「わかりました。可能かぎりの弁護を尽くします。ところで、何か望みはありますか?可能な
かぎり望みをかなえたいと思うのですが。」
「この前発売されたばかりのボンカレーを食べたいですね。1度食べましたけどなかなか美味しい
んですよ」
「申し訳ないですが食べ物の差し入れはできないんですよ。前までは良かったんですけどね。
誰かが毒入りのリンゴを差し入れして容疑者を殺したって事件がありましてね。」
「食事は留置場よりはマシなんですけども、それでもまだ足りないって感じです。私の恋人が
いくらかのお金を差し入れてもらえますから、幾分かの食べ物は買えるのですけど」
「う〜ん。私としては早く近藤さんを釈放できるように尽力したいと思います。
としか言えませんね。」
2人は共に笑い出した。
「先生、質問があるのですが」
急に碧は話し出した。
「その先生って言い方、恥ずかしいっていうか・・・。名前で呼んでいただいていいですよ」
「そうですか。では久保さん、質問なんですが。取調べ官から聞いたのですが、私の罪は
どうやっても実刑だと聞いたのですが、それはなぜでしょうか?」
碧は、いぶがしげそうに聞いた。
「刑法200条、つまり尊属殺人罪は法定刑が死刑か無期懲役です。」
「では、私は死刑にもなりえるんですね・・・」
碧が、声を弱々しくしながら言うと、則幸は反論した。
「いえ、死刑はないでしょう。かといって無期懲役にもならないでしょう。酌量という言葉は
ご存知ですよね?。刑法では法定酌量と情状酌量の2つの減軽があります。法定減軽というのは
犯人が自首したとかいう理由で軽減させるんです。情状酌量は説明はいらないですよね。」
「ええ、だいたいは分かりました」
「減軽が適用されればその刑を半分にできます。無期懲役とか死刑とかは半分にできませんから
刑法68条でそれが定められています。つまり死刑は無期懲役か10年以上の懲役か禁固に、
無期懲役は7年以上の懲役か禁固になります。今回の例ですと、法定減軽と酌量減軽が適用
されるのは確実でしょうから3年6ヶ月から7年の間で裁かれるでしょう。」
「で、なぜ確実に刑務所行きになるのでしょうか?」
「執行猶予は刑法25条で決められているのですが、3年以下の懲役か禁固もしくは50万円以下の
罰金ならば、執行猶予がつきます。ただ、罰金の場合は希ですけど 懲役か禁固の場合は
初犯なら半分以上の確率で執行猶予がつきます。」
「・・・つまり私はどうやっても刑務所行きなんですね・・・」
碧はうつむきながらいった。
「そうですね、これが通常の殺人罪(刑法199条)ならば、執行猶予も付くのですが・・・。
そう、殺人罪なら・・・」
弁護士の久保と被告人の近藤は、少しの間の沈黙がはしった。
「では近藤さん、一応、貴方の調書は見ましたが、とても言いづらいのですが、私に再度
聞かせてもらえませんか?」
「はい、わかりました」
碧は、彼にたいし、自分のありのままを話した。
久保は家に帰宅して1人で考えていた。
(あ〜あ、破産処理ばっかで飽き飽きしてたのから解放されたのはいいけど
なんでこんな大事件の弁護を国家は俺を選んだのかなぁ?ま〜いいか。
さて、弁護方針だけど、緊急退避か正当防衛か・・・心神喪失は彼女の
証言からして、難しいか・・・。あるいは、尊属殺人罪の憲法違反を争うか、
地裁で勝っても高裁、最高裁にもってかれて否定されては元もこもない。
どうすれば・・・) |
減軽 (一般には減刑と書かれるが "減刑"は恩赦の時の刑の軽減 の事を指す) 新宿 (昭和43年10月21日に 新宿駅で国際反戦デーの この日に全学連各派の学生が 午後9時から午前1時までに 放火や投石を繰り返した。 俗に新宿騒乱事件と言われる。 余談ながら日本で唯一騒乱罪が 成立した事件でもある。) 尊属規定の刑の罰則の格差 (刑法205条2項の尊属傷害致死 の法定刑は無期または3年以上 の懲役で傷害致死(2年以上の 懲役)のそれと比べてやや重い。 そのため最近まで尊属殺人罪が 違憲とされても尊属傷害致死は 合憲とされていた) ボンカレー (ボンカレーは昭和43年に 発売された) 罰金の場合は希 (平成8年の検察統計年表では のべ100万5684人の罰金刑を 受けた者のうち執行猶予が ついたのはわずか5人) |
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昭和43年11月末。第1回の公判が開かれた。被告人、近藤碧は自分の犯した犯罪の内容を克明に述べた 「"事"の発端は、私が中学2年の3学期の頃だったと思います。私が寝ていたら急に何かが乗っかった ような感じを受けました。目を覚ますと、裸になった父がいたのです。それからでした。私の人生が 狂って来るのは。だいたい1週間に1回ぐらいのペースで私の体を要求するようになりました。 "事"が終わった時の決まり文句は『和子(碧の母)に言ったら承知しないぞ』と脅すのです・・・」 次に証人として出廷していた、碧の母親である秋山和子(離婚して旧姓に戻った)が証言をした。 「この関係に気付いたのは、その1年ほどたった頃に私に碧が助けを求めてきたからで、 『まるで畜生じゃないか!』 と私が怒鳴ったら、旦那は、台所に行って包丁をもってきて 『自分の娘に手を出してどこが悪い!』 と脅してきました。そして時がたつと、私の前でも公然と碧の体を求めるようになりました。私は、碧を 親戚の家に預けたりして旦那から引き離そうとしましたが、そのたびに旦那は連れ戻し、私と碧を 徹底的に殴りつけました。そんな事が何回もおこりました。・・・そして、旦那と碧は2人で家を 出ていったのです。」 和子には碧を筆頭に7人の子供がいた。旦那である近藤勝利(かつとし)は一切働かず、和子は自分を 含めて9人の食いぶちを求めて日雇いの仕事に出ていた。そんな過去を、彼女の弱々しい発言が 語っていたようだった。 やがて、検察官と被告人との質疑応答が始まった。 「・・・で、あなたが第一子をもうけたのがこの頃と言うのですか?」 「はい、体調が変わり、最初はなぜだろうと思っていたのですが・・・。後から考えれば中絶すれば良かった のかもしれません。しかしそんなお金なんてありませんでしたし・・・。あったとしても堕胎なんて知識は ありませんでした。」 「それはいつの事ですか?。」 「私が17歳の時です。昭和31年ですか。」 「その後にあなたは何人の子供をもうけましたか?」 「2年後に1人とその3年後に1人もうけました。その3人とも女でした」 「で、あなたは何回中絶手術を受けましたか?」 検察官がこう質問すると間をおかず弁護士久保が 「異議あり!。本件とは直接的に関係のない質問事項であり、被告人の人権を・・・」 「異議を却下します」 裁判長の無情の回答がきた 「ありがとうございます」 検察官が礼を述べると久保は「ちっ」とつぶやき席についた。 「では被告人は先ほどの質問に答えてください」 「・・・はい。5回受けました」 この後もいくつかの質問を受け、第1回の公判は終わった。 第1回の公判が終わってから何日かたって、久保の家に電話がはいった 「はい、久保です」 「おっす、のりちゃん!ひさしぶり〜」 電話の主は、久保の同級生の木下だった。 「なんだ?(弁護の)依頼か?。そんならお断りだぜ。」 「そんなんじゃなくって。今日はマレー沖での我が日本の大勝利26周年記念だよなぁ。ってわけで ちとお祝いをしようと思ってなぁ。おめぇも来ねぇか ?」 「めでたいのはおまえの方だよ。いそがしいから行かない。」 「なんでだよぉ。昨日はビートたけしが講談社に乗り込んだろうがぁ」 「お〜い。そりゃ20年後の話だろうが!(^^;)」 「まぁ、そりゃつかみだ。気にすんな。んで、俺っちもちっとわけありでまとまった金がはいってなぁ。」 「いくらだ?」 「3億ほど」 「冗談だろ?」 久保は嘘なのは承知なので特に驚く様子はないが、とりあえず聞いてみた。 「あったりめぇだよ。んじゃ来ねぇんだなぁ。じゃいいや」 と言うと木下は電話を切った。 翌日、久保は新聞を見て驚愕した。 ”府中で3億円強奪される!” 「・・・。この犯人、あいつじゃねぇだろうなぁ?」 久保は1人、こう思った。 |
20年後の話 (昭和63年の12月9日の事件) |
2度目の公判には、碧(みどり)の彼氏である山田武彦が呼ばれた。 「では、証人は嘘いたわりなく証言を行ってください」 「はい。」 「貴方は、被告人が勤めていた職場での先輩というのは間違いありませんか?」 「裁判長!、勤めていたではなく、勤めているです。訂正をお願いします。」 「失礼しました。では被告人の勤めている職場の先輩というのは間違いありませんか?」 「はい、間違いありません。」 「では、被告人の職場での事をお願いします」 「はい。被告人・・・いや碧は私の勤める、霧島重工の人事課に就職してきました。そうですねぇ、 昭和39年の事ですか。碧は、今考えれば当然の事なのですが、家族関係はあまり話しませんでした。 それでも時がたつと分かってくるもので、碧には下に3人の女の子がいるのがわかりました。 歳が離れた姉妹としか思っていませんでした。後に碧は俺に『彼女たちは私の子供』と打ち明ける んですけどね。どっちにせよ、碧と碧の親父の間の子供なんて想像もしませんでしたけど。」 山田の話の後に裁判長が質問する 「今、3人の女の子は被告人の子供と貴方に打ち明けたと言われましたが」 裁判長の問いに山田は答える。 「はい、俺は彼女の仕事熱心さと、その心優しさにひかれました。その詳細をここで述べる場では ないので詳しくはいいませんが、同じ職場で俺は碧に惹かれていきました。」 山田は被告人席にいる近藤碧の方を見た。近藤は顔を赤くしてうつむいた。山田は笑みを浮かびながら 証言をつづけた。 「そして運命の昭和43年、昨年ですかね。俺は碧に告白しました。『いっしょになりたい』と。彼女は 即答はしませんでしたが、俺にも、離婚経歴があるから、後ろめたいとだなとしか思いませんでした。 碧も碧で、まさか『この子供たちは私と父親の間の子供です』なんて口が裂けても言えなかった んでしょう。今考えて見れば俺があんな事を言わなかったら、こんな事件は起こらなかった のでしょうね。」 「そ・・・そんな事はありません!武彦さん!。」 近藤碧は被告席から急に立って言う。 「被告人はお静かに願います」 裁判長は被告人に対し言う。 「す・・・すいません」 碧は頭を下げながら席についた。 証人尋問も終わり、今度は被告人の尋問が始まった。 「・・・その事を父に話しました。 『そうか、男ができたか。それなら出て行け』 と言われました。私は心の中で喜んだのですが、それも甘い考えでした。その直後に 『もし出ていったらお前らに一生付きまとってやるからな!』 と怒鳴られました。すごい剣幕に私も翌日に休職願いをだして、武彦さんとも会わないように しました。自宅に電話がかかってきても取らないようにしました。」 だんだんと碧の口調が弱くなってきた。 「そして、3週間ぐらいたった頃でしょうか。父はいいました。 『この売女め!出て行くならさっさとでていけ!俺は頭にきてんだ!出てったらどこまででも 追いかけて付きまとってやるからな!』 この一言で私は父に殺意を抱きました。私は父親のももひきの紐を無意識に持ちました。 そんな状態でも父は 『ほう、俺を殺すか?だったらやってみろ。人間ってのは首を締められたら2分ぐらいで くたばっちまうんだ。お前に殺されるなら文句は言わん。さぁやってみろ』」 少しの間、碧からの証言が止まった。 碧は少しの沈黙の後、涙ぐんで話した 「もう・・・それから先は覚えてないのです・・・。本当です。私は無意識に父の背後にまわって、 首をしめたのでしょう・・・。あとで分かった事ですが、私の腕には引っ掻き傷がありました。 父も抵抗したんでしょう。でも・・・でも・・・本当に(首を)締めた時の事は覚えていないんです・・・。 私が我にかえったときは既に父は息をしてなかったんです・・・ううっ」 碧は証言の場で泣き崩れた。 2回目の公判はこうしておわった。 最終弁論で、久保はこうのべて彼女の無罪を主張した 「彼女の"女"としての始まりは父親からの強姦によって始まっているのです。このような悲劇が、 この世の中で他にあるでしょうか?。彼女の行為はこんな悲劇から逃れるための正当防衛であり、 またこの父親から逃れるための緊急退避でもあります。また犯行当時の彼女の状態は刑法第39条1項 の心身喪失状態であったとも、認められます。私は、彼女の無罪を主張します」 昭和44年5月29日。地裁での判決が下された 「・・・・・・父親から15年近くにわたり、自分の娘を犯し続けたという行為は被告人に与えた 精神的苦痛は大きく、今回の犯行の責任を被告人1人に押し付けるのは酷である。・・・犯行も その毒牙から逃れる為の・・・・・・正当防衛と認める事ができる。 被告人に対し、刑を免除する」 (よしっ!) 久保は心の中で喜んでいた。 近藤碧は半年間の拘置生活から解放されて晴れて自由の身になれたのだ。 碧は裁判所の外で久保に近寄って礼を述べた 「則幸さん、ありがとうございます。本当にありがとうございます」 「ようやく、自由の身になれましたね。碧さん、これからはどうしますか?」 「元の家に戻る事もできませんし戻りたくもありません。拘置所の面会でも話したのですが、 武彦さんといっしょになって暮らしたいと思います。」 「武彦?ああ、証言台に立った山田さんですか。」 「はい。でも本当に本当にありがとうございます。では、武彦さんと待ち合わせをして おりますので。これで・・・」 碧は駆け足で去っていった。と同時に久保の肩を誰か後ろから叩いた。久保が振り向くと 懐かしい顔があった。 「あ、岩崎さんじゃないですか!」 「よう!則幸、久しぶりだな。裁判みてたぜ。とりあえずはおめでとうと言っておこうか。」 「で、今日は警察は非番ですか?。」 「有給とってきたのさ。教え子の初陣ぐらいは見ておかないとな」 「よくいいますよ〜。安保闘争で捕まって新入りの岩崎さんに死ぬ4歩手前まで殴ったくせに〜。」 「ははは、あんときは若気の至りと思ってくれよ。まぁ今の4機はそれ以上だぞ。俺も機動隊 から離れて良かったとは思うよ」 「では俺も仕事がありますから、これで・・・」 「おい、則幸」 岩崎は去ろうとする久保を呼び止めた。 「なんですか?岩崎さん」 「今度の事件。長い戦いになりそうだな・・・」 そう岩崎は言うとすぐに立ち去った。 (なんだ?あいつ?) 久保はこの時はこうしか思わなかった。 |
4機 警視庁第4機動隊。この頃 (昭和43年前後)の学園紛争では "鬼の4機"と恐れられた |
その日の夜。久保の自宅に電話が鳴り響いた 「はい、久保です」 「よぉ、のりちゃん。おめでとう!」 声の主はやはり木下だった。 「のりちゃん。初陣祝いで川崎城にいかねぇか?」 「なんだ?いきなり?」 「そこでよぉ。泡踊りってのがあんだってよ。すっげ〜いいらしいぜ。一緒に行こう!」 「いかねぇよ。んな遠くまで」 「なんでよぉ、ええじゃな〜い。あのお年玉事件で金もってるでしょぉ?」 「たかが5千円だろうがよ」 「タバコが62箱も買える金額でしょうが。大金だよぉ。」 「おめぇも、すっかりサイケオヤジになったなぁ」 「なんでぃ、いきなりよぉ。おめぇみてぇな男は福原のソープランドでエイズもらってくりゃ いいんだぁ\(><)/」 「ソープとかエイズなんて単語はこの時代にはねぇぞ(^^;)」 「まぁいいさ。もうネタ尽きたから電話切るねん。」 と、すぐさま電話が切れた。 (わけわからんやっちゃなぁ) 久保は1人で思っていた。 数日して、久保は地方検察庁に、この事件を控訴しないでほしいと、陳情書を提出した。 無罪判決では検察も納得すまい。そうは分かっていても久保にはこうするしかできなかった。 その翌日、地方検察庁は控訴した。争いの場は地裁から東京高裁へと移された。 地裁判決から半年たった昭和45年初頭、久保は控訴審の公判を前にして、碧の招待を受けた。 「どうもこんばんは〜」 久保が威勢のいい声をあげると、碧がすぐさま応対にでた 「あっ、則幸さん。お待ちしておりました。玄関では失礼ですから中でどうぞ。」 「では、失礼します。でもいいお家ですね」 「いえいえ、狭いですけどね」 「いや、そんな事は・・・。で、近藤さん。あ、いや山田さんでしたね」 「はい。入籍だけで結婚式はあげていませんが。でも、拘置所の時のように『碧』と呼んで くださっていいですよ」 「そうですか。では、碧さん。旦那さんはいないんですか?」 「ええ。本当は武彦さんと一緒にここで則幸さんと話をしたかったんですけども、会社の 労働組合の事で急な出社でして。」 「それは残念です。」 「でも、こんな世の中だから仕方が無いと思います」 「たしかに。大阪で万博が開かれますし、日本もベトナム反戦から逃れて平和になったし、 沖縄も2〜3年後に返還されるようですし、先は明るいですよ」 「そうですね。私の未来もですかね?」 「そうですよ。無罪です」 2人とも笑い出した。 「そういえば武彦さんも労働組合で安保継続のどうとかでいろいろ仕事があるようですけど。」 「安保闘争ですか。10年前に私も学生の頃に参加してましたよ。あの頃は今の比ではなく 激しかったからですね。私も警官にこっぴどく殴られたもんですよ。殴られたならまだ いいですけど、実際に死者も出ましたからね。」 久保はしみじみ昔を回想していた。その後、2人は今後の裁判方針でいろいろな話を交わした。 「では、そろそろ帰ります。今後もがんばってください」 「はい、ありがとうございます。」 「あ、あと私事ですが、私も結婚する事になりまして。」 「まぁ、おめでとうございます。」 「期日は6月頃になる予定です。この時期ですと少しは仕事も空きます。碧さん、 ぜひ来てくださいね。」 「はい。ぜひ行かせていただきます。」 「では、私はこれで失礼します。碧さんを無罪にして私の結婚式に来てくれるように 弁護もがんばります」 この楽観的とも思える久保の考えが甘かったという事を後に知る事となるのだが、この時は 知る由もなかった。 |
川崎城 川崎の堀ノ内にある風俗屋。 今でもあるのかな? あのお年玉事件 D級相談室の"お年玉事件"の "少年N"とはこの人の事です(^^;)) タバコが62箱も買える (昭和44年当時、タバコ(ハイライト) は1箱80円だった) サイケ サイケデリック。昭和43年頃の 流行語 ソープとかエイズ (昭和44年当時はトルコ風呂と 呼ばれていた。ソープランドと 改名するのはトルコの留学生が 厚生省に直訴した昭和59年の 事である。また、エイズ患者が 日本で確認されたのは昭和62年 の事で神戸の福原のとある ソープ嬢がエイズ感染している のが確認された。「福原の・・・」と 言ってるのはこれが理由。) 沖縄も2〜3年後に返還 昭和44年11月の 佐藤・ニクソン会談で決まった |
控訴審の最終弁論で、久保は地裁と同じく、正当防衛と緊急退避の2本立てで無罪を主張した。 裁判内容は地裁と同じだったが、決定的に違ったのは判決であった。昭和45年5月12日東京高裁・・・。 ”・・・この事例では被告人のさしせまった緊急退避の要素には欠け・・・・・・正当防衛とも言い難い。 原審では被告人の心神喪失状態を認定しているが心神喪失状態であったとも言い難い。しかし、 被告人の精神状態は心身耗弱状態にあった事は認める事ができ、またその情状も有り余る ものがある” 裁判長の下した判決は ”原判決を破棄する。被告人、山田碧を懲役3年6ヶ月に処す” であった。判決直後の久保は両手を握り締め、下をむいたままだった。顔を上げる事が できなかった。怖かったのだ。何が?。勝ち誇る検察?。拘束され連行される山田碧?傍聴席に いる旦那の山田武彦?。あるいはそれらの視線?"敗北"・・・その一言が彼の頭上にのしかかった のかもしれなかった。弁護士の久保則幸としてでなく、人生最初の挫折でもあった。 2日後、久保は東京拘置所をたずねた。行きたくはなかった。会いたくもなかった。でも仕事だ。 行かないわけにはいかなかった。弁護人接見の場に現れた碧は元気がなかった。当たり前だが、 "実刑判決"という現実以外の何かの理由があるように思えた 「碧さん。このたびは申し訳ありません。私の弁護不足で・・・」 「いえ、いいんです。貴方が殺人をした訳ではありません。あくまで私が殺人をしたのですから」 「はぁ・・・」 「でも、私も何か安心した感じです」 「え?」 「殺人なんて大それた事をしでかしたんですもの。無罪放免なんて甘すぎるわよね」 「・・・。で、上告の件ですけども・・・」 「いえ、上告なんていいんです。さっきもいいましたけど、心の中はなにか落ち着いています。 私も実刑で罪を洗い流す事を望んでいたのかもしれません・・・」 久保はこの会話で碧の元気のなさの理由がわかった。至極当然の事だが彼女にしてみれば 無罪判決で浮かれ上がっていた時にいきなり冷や水をぶっかけられたのと同じである。 自分以上に現実認識が碧は甘かったのだろうと気付いた。これでは優しく諭すのでは だめであるという現実に至った。 いきなり久保は”ドンッ!”とその場の机を叩いた。 「碧さん!。あなたはこの事件で、他にもいるであろう境遇の女性たちの為にも真実を かたりたいと言いましたよね!」 「は・・・い。でもこれまででも十分、世にしらしめ・・・」 「違います!、碧さんを無罪にしてこそ達成されるのです!。私に任せてください。 必ずや無罪にしてみせます!」 碧は久保の気迫に押された 「はい・・・。わかりました。」 「碧さん。これから3年近く、ここに入れられるでしょう。その時間を私に預けてください。 お願いします!」 久保は頭を下げて言った。 「そんな・・・頭を上げてください、則幸さん。・・・わかりました、この拘置所生活の時間を 貴方にあげます。そのかわり・・・」 「わかってます。全力をあげて戦いますよ。」 久保は自信の笑みを浮かべた 「と言っちまったけど、どうしようかなぁ」 拘置所からの帰り道、久保は1人で悩んでいた。と、ちょうどそのとき 「よぉ、則幸!。淋しい背中に何背負ってんだぁ?」 久保が後ろを振り向くまでもなく、声の主は岩崎だと分かった。振り向きざまに、 「岩崎さん、何ですかいきなりぃ」 「ん〜な、ブロパリン300錠ぐらい飲みそうな姿してるから、心配でね」 岩崎は自分の腕時計をちらりと見る。 「ん〜と、(午後)6時ちょいか。おめぇもこれからは(仕事が)空きだろ?そこの居酒屋に でも入って、一緒に話そうか。」 久保も断る理由がなかったので一緒に居酒屋に入った。 「おいちゃ〜ん。生2つに焼き鳥10本適当に繕って持ってきて」 ”はいよぉ”とオヤジの威勢のいい掛け声がかえってきた。 「則幸。おめぇもこの前の裁判はついてなかったなぁ」 「いえ・・・。俺の力不足なんです。」 「そう自分を責めるなよ。お前らしくない。」 「しかし・・・」 「なぁ〜に。判決なんぞ運よ。理屈は後から付いてくるもんなんだ」 と話していると生ビールがやってきた。 「まぁ、とりあえずはビールを飲むとしようや、則幸。」 「はい・・・」 2人ともとりあえずはビールを飲んだ。 「うめぇなぁ、やっぱ。夏の前だけどやっぱ冷えたビールは美味いよなぁ、則幸よ。まぁ おめぇの事だから"税金の味がします"なんて言うのかぁ?はっはっは〜」 岩崎は笑い出す。 「んな事言う訳ないじゃないですかぁ。俺も高校生の頃から飲んでたんですよ。」 「そうか?そういうおめぇだからこそ、もっと発泡の度数落として税金安くしたビール 作れぇ!なんて言いかねないと思ったけど。」 「ま、そんな事にはならないでしょう。」 「そうかぁ?んなビール作っても飲めたものかは分からんけど、技術が進めば、そんなのも できると思うぜ。何年かあるいは何十年か先かは分からんけど」 「そうですかね?そうは思えませんが」 久保は納得のいかないように話した。 「戦後から今まで、だいぶ変わってきただろ?。たとえばだ。昭和32年の売春防止法の施行だ。 これが施行されたら赤線は完全になくなるだろうと思ってたら、どっこい。たしかに表向き はなくなったけど、実際にはやれトルコ(風呂)だ、ピンサロだ、日本は世界に冠たる 風俗大国になっちまった」 「そうですね〜。俺も昭和32年の売春防止法の時は覚えていますね〜。岡山にまだいた頃ですか。 高校生の時ですかね。こりゃイカン!と言う事で急いで中島に行きましたよ〜。それがバレて 親父にこっぴどく殴られましてね。あの時は死ぬ2歩手前まで殴られましたよ〜」 久保は苦笑しながら言った 「その3年後は俺にこっぴどくやられちまったって事か。ははは」 「懐かしいですね。もう10年たつんですよね。」 「そうだな。いままで無事平穏だけどなにか淋しく、また怖く思えるよ」 「なんでですか?」 「昔はこの日本ではハイジャックとかは起きそうにもなかったけど、あのよど号みたいにな。 起きちゃうんだよな。今まで外国でしか起きないと思ってたけどな。しまいにゃ外国みたいに 爆破テロとか起きるんじゃないかね。向こう3年以内にな。」 「そういえばそうですね。事件がおこった昭和43年は"昭和元禄"と言えるぐらいの好景気だった んですけど、今ではその景気にもかげりが見えてますからね。あと1〜2年すればドン底の不況が 待っているかもしれませんからねぇ。その不況と社会情勢の不安が重なったら、そんな事件が 起こり得る可能性はありますね。」 いろいろ話していると、焼き鳥がやってきた。 「おっと、焼き鳥がきましたね。岩崎さん食べましょう」 「そだな。おめぇのおごりだし」 「ええ〜!」 「冗談だよ。わからんやっちゃなぁ」 久保は焼き鳥に手を出して食べだしたが、岩崎は手に焼き鳥を取ったまま食べなかった。 「岩崎さん。どうしたんですか?」 「時代の流れって、儚(はかな)いもんだよなぁ」 「??」 久保には何の意図かはわからなかった。 |
中島 岡山にあった赤線地帯。 今でもあるのかはしらない 社会情勢の不安 この4年後(昭和49年)には、 海外進出をしていた企業が 連続爆破される事件があった。 中でも1番目に狙われた 三菱重工本社ビル爆破では 死者8名重軽傷380人余という 大事件となった。後には三井 物産本館や帝人中央研究所や 大成建設が同年中に次々と 狙われた。当然この2人に この事件が起こるという事は 今は知るよしもなかった |
「ただいまぁ」 久保が帰宅したのは10時過ぎだった。 「あら、のりさん。おかえりなさい。今日は遅かったわね」 出迎えたのは久保の新妻の葉月だった。 「すまん、連絡もしないと遅れてしまって」 「どうしたの?」 「ああ、昔むかしに、お世話になった人とちょっと一杯ね」 「あ、そういえばのりさん宛に電話があったわよ」 久保は誰かを聞かなくても相手がわかった。 「で?何と?」 「また電話するって」 葉月が言いおわる直後に電話がかかってきた。久保が取る 「はい、久保です」 「分かるかぁ〜おい!。」 電話の主はもう言う必要もあるまい 「なんだよいきなり?」 「おめぇの嫁の名前で思い出したけど、秋頃の木の葉がヒラヒラと落ちてきて、涙ながす女なんぞ 見かけたら後頭部思いっきり殴り付けてやりてぇよなぁ〜!。分かるかぁ〜おい!」 久保は何も言わず電話を切った 「誰からだったの?」 葉月が言うと 「え〜っとね。食中毒で3日間寝込んでたやつからだ」 と、久保は答えた。 「??」 当然のごとく葉月は理解ができなかった。 「そりゃいいけど、ごはんある?」 「カレーがあるわ。でも少し冷めたかしらね。すぐに温めるわ」 「いや、いいよ。そのままで」 久保のいつもと違う表情に、葉月は察するものがあった。葉月はカレーを用意して、久保に 差し出した。久保が食べだした直後に、 「負けたの?」 葉月が唐突に言う。久保はむせった。 「なんだよ、唐突に」 「やっぱりそうなのね」 「ああ、そうさ。3年半の実刑だったよ」 唐突に葉月が机を叩き激昂する 「なんでよっ!、自分の娘相手に手を出した畜生にも劣るバカ親なんて死んで当然じゃないっ!。 勲章こそもらってしかるべきなのになんで刑務所に行かなきゃいけないのよ!!」 「仕方ないだろうが。んなのでいちいち殺人を認めてたら、人口が1億を切ってしまうぜ」 「のりさんは男だから分からないでしょうけど、私には良く分かる。碧さんの気持ち。だって そうでしょう?。女として屈辱的な事を十何年も味合わされたのよ?」 葉月は力説した。 「葉月の言う事もよく分かるよ。そこは検察も裁判所もよく分かっているんだ。だが、何度も いうけど、これか刑罰なんだ。たとえば、誰も身寄りのない奴を殺すとするだろ?遺族は だれもいない。誰もいないから無罪にしてたら、まさに殺人天国になってしまう。 国家としての秩序が保てなくなる。それが刑罰なんだ。」 久保が言い終えると、葉月は立ち上がり、久保の頬を平手打ちした。 「・・・!。っつ〜」 久保は痛がる。 「なに警視庁長官の訓示みたいな事言ってるのよっ!」 葉月はさらに怒る。久保も怒る気持ちはよく分かっていたのだから反論はしなかった。 「す・・・すまない」 久保の素直な謝りに、葉月は我にかえった。 「のりさん、ごめんなさい・・・。私・・・」 「いいよ、気にしちゃいないから」 少しの沈黙の後、 「のりさん、さっさと食べちゃってよ。私、お風呂を沸かし直してくるから」 「ああ、わかった」 葉月が風呂場に向かうと久保はつぶやいた。 (痛ってぇ〜) 夜もふけ、久保夫妻は床についた。 「ねぇ、のりさん。起きてる?」 「ああ、起きてるよ。」 「これも時代の流れなのかしらね?」 「??」 「碧さんは昭和14年生まれ。私は昭和24年生まれ。たかだか十年の違いだけど、間には 終戦というのが挟まっている」 「何が言いたいんだ?」 「女性の社会的な立場よ。戦前は、軍事国家だったから、兵隊になれない女性の立場は 低かったでしょ?。戦後は日本国憲法の下、男女同権の時代になった。実態はともかく 建前の上ではね。」 「ああ、そうだな。」 「私は、戦後の生まれだから、物心がついた時からそれが身についていると言えるわ。 碧さんは戦前生まれだから、そんな男尊女卑の思想が身についていたのかも知れないわね。 だからこそ十何年も父親の毒牙に絶え続けたかもしれないわね。のりさんも昭和17年生まれ だから私の思いも分からないんでしょうね。」 「おいおい、終戦時に俺は3歳だぜ。戦後世代と言ってもいいぜ。」 「そうかしら?」 葉月の問いに久保は昔を思い出した。 終戦直前の昭和20年7月の幼い思い出を。マリンブルーのグラマンF6Fに見つかり、幼いまでも 逃げて逃げて、それでも敵は銃撃を自分に浴びせかけ、運良く当たらなかったものの、 その恐怖を・・・思い出していた。 「・・・・・・そうだな。葉月の言うとおりかもしれないな。」 「ねぇ、のりさん。裁判長に言ってみたらどう?戦後25年もたっちゃったから、 もうチャラしませんかって。」 今までとは違う、陽気な葉月の口調に久保も同調する。 「ははは、それも一つの手だなぁ〜。」 その言葉を最後に2人の会話は少しの間途切れた。2人とも何がしの考える事でも あったのだろうか。 少しの間をおいて久保は話す。 「葉月。」 応答はない。 「なんだぁ、寝ちゃったのか。」 久保は寝ようと思ったが寝付けなかった。心の中で思うものがあった。 (”時代の流れ”・・・か・・・。) 久保は今までの弁護方針を変えた。心身喪失および正当防衛の刑の免除から尊属殺人罪は違憲である という方針に。尊属殺人罪は憲法第14条違反であると。この事件が殺人罪(刑法第199条)で裁かれる ならば絶対に執行猶予が取れる自身があったからでもある。その間も久保は狂奔した。上告棄却に なったら終わりである。幸いにも最高裁は争いの場を小法廷から大法廷に移した。この措置は 憲法判断および判例変更の際におこなわれる事である。久保も少し安堵したがだからといって、 絶対に判例が覆る訳でもないし、違憲であると判断される訳でもない。既に事件から1年半経過 しているが、闘いは始まったばかりなのであった。 |
おめぇの嫁の名前 8月を指す"葉月"は木の葉が 舞い落ちる時期だから (旧暦の8月は秋) こう呼ばれた。らしい。) 3日間寝込んでた これを書いている当時 (平成11年6月)に木下は本当に 食中毒になっていた(笑) 人口が1億を切って 昭和45年前後に日本の 人口は1億を突破した 上告棄却になったら終わり 再審請求もできるけど、 まず受理されない |
久保は山田碧の拘置されている拘置所へと向かい接見した 「碧さん。お久しぶりです。」 「則幸さん。どうも。」 「碧さん。痩せましたね。」 「・・・はい。昔、半年ほど(拘置所に)入ってて慣れてるつもりですけども、やっぱり・・・。」 「やっぱり?」 久保は碧に質問する。 「ヒマです。ほんとに。」 「ははは。そういう事ですか。私は身体的に苦痛があるのかと思いましてちょっと心配しました。」 「お心つかいありがとうございます。でもあまりにもヒマなので、女チェスマンにでもなろうかと 思ってます。」 「はははっ、その時は私に弁護依頼してください。安くしときますよ」 「あら?タダでやってくれないのかしら?」 「いえ〜、商売ですから。一応。」 「そうしたら、洗濯ハサミ組み立てをがんばらなきゃいけないわね。」 こうした会話に久保は笑顔を隠し切れなかったが、この会話で碧が心の中では健康であるという 事に安心をした。 「さて、本題に入りますが、これからは弁護方針を変えたいと思います。」 久保は簡略に碧に説明をした。 「つまり、憲法違反で争うと?」 「はい。199条適用でしたら、今回の事件は間違いなく執行猶予が付きます。まぁ有罪は有罪ですが、 栃木行きは免れる事ができます。」 「・・・あの時に言ったはずです。私のこの時間は貴方にあげました。」 「いえ・・・そんな・・・」 「いえいえ。私がどうこうと主張できる次元ではもうなくなってきているようです。私は充分に 主張したつもりです。少なくとも久保さん。貴方に対しては。後は貴方にお任せします。 その結果には従います。それが法というものですからね。」 「分かりました。全力を尽くします。私にはこれだけしか言えませんが許してください」 碧は、久保を励ましているのかそれとも期待をしているのかいないのかは久保自身には 分からなかった。碧も分からせないためにあえてぼかした表現をしたのかも知るよしはなかった 時代はぐんと進んで昭和47年へと移った。1月には横井さんがグアム島で発見され、翌2月には 連合赤軍残党による篭城事件・・・俗にいう浅間山荘事件・・・が起こった。5月には沖縄が日本に 返還された。7月には首相が佐藤栄作から田中角栄へと変わった。そんな暑い夏の日の久保宅の事 「外、暑そうだなぁ〜」 「そうねぇ、んでもクーラー買ったから、この部屋は涼しいわねぇ」 「そうだよ、大枚はたいて買ったんだ。涼しくなけりゃぁね」 久保夫妻がそんな会話をしている際に電話がかかってきた。 「はい、久保です」 「のりちゃ〜〜ん!暑い〜〜〜!溶けるぅ〜〜〜!」 相変わらずわけわかめな事をいう木下だった。 「なんだよいきなり?」 「今年はしょっぱから太平洋戦争を思い起こさせたよなぁ。小野田少尉がルパング島で発見 されたからねぇ、20数年も故郷の土を踏まずにかんばってきたのは凄いよなぁ」 「横井さんだろ〜が(^^;)」 「まぁいいじゃねぇか、今年の夏といえば、ハワイ出身の曙が初めて外国人で優勝したし」 「高見山だってば(^^;)」 「2枚2まぁい〜で有名だねぇ」 「それもずっと後の話だけど、なんか懐かしい響きだよね(笑)」 「そうか?そうだろぉ?」 「んで、何の用?」 「用はない」 「じゃぁなんで電話してきたのぉ?(^^;)」 「あ〜。俺ってこっから先は出番ないからさぁ、出たくってね。んじゃね」 そういうと、木下は電話を切った (やっぱ、わけわからんやっちゃなぁ) 久保はそう思いつつ、自室に戻った。 「あ〜、電話んトコに行くのもかったるいなぁ。」 「じゃぁ、コードレスホン買ってよぉ。」 「今はクーラー買ったからダメ。今度の冬の商戦で安くなったのを買おう」 「そうね。碧さんの事件もがんばってよぉ」 「ああ、がんばるさ。んでも今日はせっかくの休みなんだから、ゆっくり休むさ。んでも 弁護士になると自分の家に帰れる時間すら貴重に思えてくるな。」 「そうそう。のりさん帰ってきても夜遅くだから、いつも寂しくて・・・」 「俺もだよ。ま、時代が変わればその状況も変わるかもしれないな。今月は田中上等兵殿が 首相になったしねぇ。なんでノーベル平和賞取った佐藤さんが退任したのかねぇ」 「は?誰がノーベル賞とったって?」 「あ!」 久保は驚き、そして頭を押さえた。 「うわぁ〜、どうしよう。俺にも、あいつの病気が移ってしまったぁ」 |
チェスマン アメリカの死刑囚 キャロル・チェスマンの事。 獄中訴訟をしまくって 有名になった。 1960年5月に処刑。 栃木行き 栃木刑務所の事。 女性の刑務所 小野田少尉 小野田少尉が発見されるのは 2年後の昭和49年 ハワイ出身の曙 余談ながら、横綱、曙太郎さんは 昭和47年当時は3歳だった コードレスホン コードレスホンは昭和45年に すでに登場していた 誰がノーベル賞 佐藤栄作氏がノーベル平和賞を 取ったのは2年後の昭和49年の事 あいつ 当然、木下の事 |
時代は昭和48年になった。正月あけやらない時期に久保は山田碧が拘留されている拘置所へと接見に 向かった。 「こんにちは。碧さん」 「新年明けましておめでとうございます。先生」 「どうしたんですか、そんなにあらたまって?」 「今年は私の処遇が決まる年です。そんな新年ですから、あらたまってみたんですよ。」 「無罪か執行猶予付きで出してみせますよ。」 「・・・ありがとうございます」 「で、今の生活で何か不満な事はありませんか?」 「ええ、不満はないんですけど、新年早々に自殺事件があってから、監視が厳しくなりまして、 まぁ慣れればなんともないんですけどね。」 「でも、2年半以上もここで暮らしてつらいでしょう」 「ま、暇も沢山ありますし、いろいろ勉強にも熱中できます。恐らく世間にいるよりも知識を沢山 得たような気がします」 久保は碧のこの発言は事実にしても、辛い暮らしを隠して自分に言っているのだと直感した。 その久保の考えを読んだのかはわからないが碧がつづけて言う 「辛いといえば、この暮らしはしょうがないとしても、人と話す機会が極端に制限されていますから 舌が回らないといいますか・・・いちいち頭で、考えて話さなければいけません。それより一番 辛いのは、武彦さんと一緒に暮らせない事ですかね」 「・・・気持ちはわかります。私も事務所に拘置されてるのと同様ですからね。自分の女房と 会えない日は辛いですよ。ほんと」 2人は笑い出した。しかし、碧はすぐに笑うのをやめて久保に話しかけた。 「久保さん。実は私は尊属殺人罪の違憲性を問うのは正直いって、あまり納得いかないんです。」 「碧さん。なぜですか?」 「もし、尊属殺人罪が違憲とされたとしますよね?当然刑法第200条は、なくなります。そうしたら 子供が親を平気で殺すような時代がくるのではないかと思いまして・・・。」 「ははは・・・まさか・・・。」 「いえ、すぐには訪れないでしょう。そうですね。世代が変わる25年ないし30年後ぐらいに でしょうか?私のような切羽つまった少年少女がとんでもない犯罪をするのではないかと・・・」 「杞憂ですよ」 久保は笑いながらいう。 「・・・。そうですね。そうですよね。」 碧は笑みを浮かべながらいった。久保がすかさず言う。 「でも、碧さん。25年後といえば昭和73年ですよね。西暦では1998年ですか。私たちは何を してるんでしょうかね。と考えてしまいましたよ。」 「そうですね〜。暮らしも相当変わるんでしょうかね?。」 「私の家では、部屋の中なら使えるコードレスホンがあるんですが、これが日本全国の外でどこで でも使えるような電話が開発されるんでしょうね。」 「ははは、久保さんも、想像力がありますね。」 「いえいえ、可能性はありますよ。あと、テレビ電話とかも。また、テレックスみたいなのが テレビと合体して、日本中いや世界中の人々とテレビ画面で会話ができるのも開発されるん でしょうねぇ。」 「久保さんも弁護士じゃなくてそういった電子関係の仕事をすれば良かったじゃなくって?。絶対に 発明王になれますよ。」 「まぁ、想像と創造はまた別物ですからね」 「上手ですね。また、世界の情勢も変わるんでしょうかね?」 「そうですねぇ〜。ソ連がなくなるとかね。」 「ははは、まっさかぁ。26年後には地球は滅亡するんですよ。その主役の1つがなくなるなんて。」 「いえ、わかりませんよぉ。」 久保と碧は笑った。 その後、久保は碧に最高裁でのいろいろな事を話した。刑事事件で上告審では被告人は 出頭しないからである。 昭和48年初頭、最高裁大法廷。15名の裁判官が並んだこの大きな法廷に久保は強烈な威圧感を 感じた。傍聴席なら入った事はあるものの証言台に立つのは始めてである。この無言の威圧感に 押しつぶされそうに感じる久保もそれに負けることはできなかったし負けてはいけなかった。 いや。そう考える余裕もなかったかもしれない。どちらにせよ久保にとってはもう後戻りはできない。 この最終弁論にかけるしかなかった 久保は裁判官たちに一礼してこう述べた。 「昭和20年の終戦。それに伴い昭和22年の日本国憲法の施行。これにより旧来の上下関係や服従の 関係から個人の尊重へと時代は変わりました。親子関係にしても、昔の絶対服従から、親と子の 各個人の人権を認め、相互に理解しあい、信頼関係をおくという関係に変わっております。 この見解からも刑法200条および刑法205条2項は日本国憲法第14条違反とといわざるを得ないと 思っております」 久保は一呼吸おいてなおも弁論する。 「かといって、昭和25年の判決が間違っていたとは思っておりません。私はあの時代では 正しかったと思っています。時代が変われば法も変わる。いえ、変えなければいけないでしょう。 現にこの尊属殺人事件が起きてから今日まで、いくつかの特別法が施行されています。 このように時代の変化に対応できずに新しい法律が作られるのがあるのに時代に対応できずとも 残される法律があるのはおかしいと思えます・・・」 久保は全力を尽くして弁論した。それが最善の弁論であったかどうかは知るよしもないが 最善であったと信じるしかなかった。 昭和48年4月4日。運命の日はやってきた。 「よぉ、則幸。久しぶりだなぁ、なんだ?あんまり元気ないじゃないか」 最高裁の前で声をかけるのは岩崎だった。 「岩崎さん、あんましでっかい声で話しかけないでくださいよぉ」 「なんだ?寝不足か?まぁ、今日が今日だからな。無理ないな」 「いえ〜、昨日女房が色気出してがんばってたんですよぉ」 「ははは、見え透いた嘘はよせ。まぁ、判決を聞くだけだから、気楽にいけ。ただし寝るなよ。」 「わかってますよ。朝からうんと濃いコーヒーを飲んできましたから。では。」 そう言うと久保は最高裁判所に行こうとしたが、ふと立ち止まって岩崎に話かけた。 「あれ?岩崎さん。仕事は?」 「俺か?今日は非番なんだ。そりゃ、かつて世話をしてやった久保くんの活躍を休みを返上して 見にきてやったんだよ。」 「そうですか。では吉報をまっててくださいよ」 久保は中へ向かった。 |
自殺事件 昭和48年1月1日に、東京拘置所で 連合赤軍の最高幹部の森恒夫 (当時28歳)が首吊り自殺をした 昭和73年 言うまでもないが、この当時は "平成"という元号はなかった 昭和25年の判決 昭和25年に最高裁は尊属に 対する加重条項は合憲という 判断をしている いくつかの特別法 昭和45年6月7日に施行された "航空機の強奪等の処罰に関する 法律"(平たくいえばハイジャック 防止法)、 昭和46年7月1日に施行された "人の健康に係る公害犯罪の 処罰に関する法律(公害法)、 昭和47年5月14日に施行された "火炎びんの使用等の処罰に 関する法律"などがある |
昭和48年4月4日。午前10時。最高裁大法廷。裁判史に残る判決は下された。 「・・・尊属に対する尊重報恩は、現日本国憲法下でも社会的生活上の、基本的道義であって、 普通殺人より刑罰を重くする事は直ちに不合理とは言えず、尊属殺人罪は刑法の保護に値する。 ・・・法律の上で刑罰の加重規定を設けても、それだけをもって差別的取扱いという事には ならない・・・」 ここまでの判決文を聞いた久保は表面上では平静を装っていたが、 内心うなだれた。結局、尊属殺人罪は合憲とされるのか・・・と。 「・・・しかし、(尊属を殺害することを防止する為の)目的達成の為の刑罰は著しく重く、 これは不合理である。・・・刑法第200条はその目的達成の為の法定刑として死刑か無期懲役に 限っている点としてはその立法目的達成の為の必要な限度を遥かに超えている。刑法第199条 (普通殺人罪)と比較しても著しく不合理であり差別的な取扱いであると認められ、 憲法第14条1項に違反して無効である・・・」 沈黙が走る。わずか1〜2秒だが、久保には何分もの沈黙にも思えた。 「原判決を破棄する。被告人、山田碧を懲役2年6ヶ月に処す。この裁判確定の日から3年間、 右刑の執行を猶予する」 法廷内にどよめきがおこった。久保はこの判決でも表面上は冷静であった。しかし内心は 騒ぎまくりたくなぐぐらいに喜んでいた。 尊属殺人罪が違憲とされた。この歴史的な状況に今置かれている久保はその現実を噛みしめる ゆとりなどあろうはずもなかった。そんな歴史的現実よりも懲役2年半、執行猶予3年。実質上の 無罪判決であった事が久保には嬉しかったのだろう。 数日後、久保は釈放された山田碧をたずねた。 「久保さん、本当に本当に有難うございました」 「いえ、残念に思ってますよ。碧さんを犯罪者にしたんですから」 「久保さん、謙遜はよしてくださいよ。碧も本当に感謝してるんですから」 後ろから声をかけたのは碧の旦那の山田武彦であった。 「あ、武彦さん。」 「俺からも礼をいうよ。本当にありがとう」 「まぁ、商売ですからね。当然の事をしただけです」 「久保さん。ここで話すのもなんだし、家に上がってゆっくりしてってくれ」 「はい、お心使いはありがたいのですが、私も仕事がありますので、この場で失礼させて いただきます。」 「あら、残念だけど、仕事では仕方ないわね。弁護士さんも忙しいから」 碧が落胆する。すかさず旦那の武彦が言う 「じゃ、暇があったらいつでも来てくれ。歓迎するぜ。」 「はい、そのお心使いは忘れません。では失礼します。」 久保は夫婦2人で自分を見送っている姿を後ろからずっと見ながら仕事への道をいそいだ。しかし 久保は彼らに会う事は永久になかった。どんな歴史的事柄も、いづれは社会の波に飲まれていく 運命にあるのだ。いづれは忘れさられていく。 判決からしばらくして、休日を満喫している久保夫妻の家に岩崎が訪ねてきた。 「よぉ、則幸!。今度の裁判はがんばったなぁ。」 「ええ、どうも有難うございます」 「今日は陣中見舞いを持ってきたぞ」 岩崎が袋の中から取り出したのは鯛焼きだった。 「陣中見舞いのワリにはシケてますねぇ」 「文句をいうねい。」 「そうよ、せっかくこんな遠くまで岩崎さんもきてくださったんだし」 久保の妻、葉月が横から言った。岩崎は自分に1つ、則幸に1つ、なぜか葉月には2つ渡した。 「えっ・・・私だけ2つ・・・」 葉月は不思議そうに岩崎に問う。 「1つは葉月さん本人に。もう1つはおなかの子供にだ」 「あっ・・・」 葉月は顔が真っ赤になった 「いっ・・・岩崎さん・・・」 久保則幸も恥ずかしそうに言った。 「はははっ、なんでい、恥ずかしがらなくってもいいじゃぁねぇか。めでたいこったろ」 そう岩崎が言おうと2人は恥ずかしがったままだった。 「じゃぁ、俺はこれで失礼するぜ。」 「岩崎さん。もう帰っちゃうんですか?」 「ああ、今回の鯛焼きは手付けだ。子供を産んだらまた祝いを贈るよ」 岩崎は玄関先まできた。 「じゃ、則幸。おまえも今後もがんばれよ」 「はっ・・・はい。」 岩崎は帰ろうとしたものの、振り向いて言った 「・・・幸せにな。」 その後はどうなったのだろうか? 尊属殺人罪は違憲とされた。しかしなぜかと問うとその答えは、単純に”刑罰が重すぎる” という理由だった。現に1年後の昭和49年9月には刑法第205条の2項の"尊属に対する過失致死"は 刑罰が無期か3年以上の懲役と普通の過失致死(2年以上15年以下の懲役)と比べて極端に 重くないので、違憲とはされなかった。そのため、改正刑法案では尊属殺人罪の最低限を懲役4年 ないし5年にするという事も検討されたようであるが、結局は普通の殺人罪でも無期にでも 死刑にでもできる事から、平成7年の刑法改正の際に削られる事となった。それと同時に 合憲とされた刑法第205条2項や218条2項(尊属遺棄)や220条2項(尊属逮捕監禁)なども 削られる事となった。 刑法200条は無くなった。なぜ無くなったのか?なぜ無くさなければいけなかったのか?。答えは 憲法違反と判断されたから。これは大抵の法律(刑法関係)の本に書いてある。しかし、その原因は 何だったのか?なぜ無くさなければならない程に論議されたのか?そこまで書く必要はないかも しれない。たしかにないだろう。 結果しか後世に伝えない。 それが歴史というものなのかもしれない・・・。 |
犯罪者にした 執行猶予がつこうが 有罪は有罪。役所の 犯罪者名簿に登録される。 |