市橋の足跡を辿る

市橋達也被告は2年7ヶ月の間を逃げた。

結局は平成21年11月10日に大阪の港で捕まることになる。
この間の行動は定かではなかった。自殺説も多かった。
しかし彼の手記「逮捕されるまで」を読むと北は青森から南はオーハ島までいろいろな場所を行動していた。
その中で、市橋はわずかな期間ながら熊本にも滞在している。逮捕された日から逆算すると滞在日は平成21年11月7日から同9日の実質2日ちょっとで、「逮捕されるまで」での記載も9ページ(実質的には7ページ)ほどの記載しかない。そのわずかな彼の行動をたどってみた。


 彼の手記によると、
 高速バスで鹿児島から熊本に入り、その日は街を歩いている。熊本駅から離れたホテルに泊まって、大分に向かって豊肥本線を東へ歩いていたら警官から職務質問。びっくりして逃走し工場や自動車学校を通過する形で逃げて、とうもろこし畑で暗くなるまで待機。近隣の家から服と自転車を盗み熊本駅に引き返し、博多行きの電車に乗ろうとしたが、間違えて反対方向の電車に乗車。終点で電車がなくなりその駅の近所で一泊。翌朝に博多まで移動した。
 と要約するとこうなる。この行動が具体的にどこなのかを検証してみた。


 11月7日(土)
 最初に断っておくが、市橋の手記には逮捕日以外の日付は一切書かれていない。市橋は日記を書いていたわけではなく記憶から手記を記載しているためだろう。
 11月7日としているのは、逮捕日までに彼が宿泊した回数を逆算して推定している。逮捕の前に野宿2回、熊本のホテルで1回泊まっているため、逆算すると逮捕の3日前となる。

 市橋はこの日に鹿児島から熊本に高速バスで移動している。具体的に何処からのって何処に降りたという記載はない。市橋は前日に鹿児島新港から鹿児島中央駅付近に引き返して疲れてホテルに泊まったと書いているため、乗った場所は鹿児島中央だろうと推定される。問題は降りた場所となる。高速バスは
・九州産交
・南国交通
・いわさきバスネットワーク
の3社が運行している。共同運行のため止まる停留所はすべて同じになる。下図を参照して欲しいが、熊本に住んでいない人にとっては知らない地名ばかりだろう。

降りた場所は終点の熊本交通センターだと考えられる。理由は、市橋は熊本に着いて街を歩いて本屋に寄ったり服を購入したり、携帯電話屋でインターネットをやったりしている。他で降りるとそういう停留所は通町筋と熊本交通センターしかない。特に熊本県庁の停留所は付近に熊本県警本部があるために、そこで降りたら一言書きそうだが、そういう記載はない。ちなみに、熊本交通センタで降りると、付近に熊本城があるが、市橋の手記に記載は一切ない。観光で来ているわけではないし慌てていた状況なのでそこまで目がいかなかったのかもしれない。
 市橋の手記には「街を歩いてみると・・・」と記載があるが、これは下通とサンロード新市街だと考えられる。推定した理由は、この2つの通りの境目に、家電屋があり、ここでは大々的にYahoo BBの販促が行われており、インターネットの実演と、ソフトバンクの携帯の販売が行われている。市橋はここでインターネットをして沖縄行きの方法を見たと思われる。普通の携帯販売店では店頭にインターネット接続できるパソコンは置いていないと考えられるからである。
 この日、市橋は熊本駅から離れたホテルに泊まったとあるが、ここは特定は不可能。ちなみに、熊本交通センター付近にはホテルは沢山ある。


熊本交通センター
大抵の熊本市内のバスはここが基点となる。
熊本駅から相当離れているが、
理由はこの場所が城下町で熊本の繁華街であるためだろう。


サンロード新市街入り口。
市電の停留所である「辛島町」の近くであり交通の便はいい。
熊本駅からだとヘタにバスに乗るよりはこの市電を使ったほうがいい。
ちなみに、市橋の手記には市電に関する記載はない。


下通り入り口。
熊本県民であればほぼ全員が知っている熊本随一の繁華街である。
この写真の反対側に上通りがあるが賑わいは下通りほどではない。
この写真の右手には熊本城が見える。



 11月8日(日)
 市橋は線路沿いに大分を目指して歩く。この線路は豊肥本線以外にない。「(大分のフェリー乗り場まで)だいぶ離れていた・・・」とあるが、直線距離で70kmほど、道を歩くとなると130km以上はある。よく歩く気になったと関心してしまう。途中で市橋は警察に職質されて、工場や住宅街や自動車教習所や畑を逃げまわっている。
ここでチェックすべきは「自動車教習所」で豊肥本線沿いにあるのは
・菊陽自動車学校
・阿蘇自動車学校
の2つしかない。しかし、2つとも該当しない。理由は付近に工場がないし、市橋は逃亡途中で泳いで渡らないといけないほどの大きい川を渡っている。この川は白川以外に考えられないが、両方とも、渡った先の位置にはない。恐らくは市橋は熊本免許センターを自動車教習所と誤認したのではないかと考えられる。免許センターの西側には木材工業団地がありこれは市橋の「丸太などが積まれている工場で・・・」という記載と一致する。
 市橋の手記では、歩いていて職質→逃亡→工場のような場所→有刺鉄線を乗り越える→崖を降りる→柵を越える→川を渡る→田んぼを疾走→住宅街を疾走→工場に入る→自動車教習所に入る→とうもろこし畑でじっと待機・・・となる。
 推定ながら、市橋の逃亡ルートを別図で書いてみた。途中で大きな道路で足止めとかいう記載がないので、恐らくは国道57号線を東に進んでいたと考えられる。たしかに、ここを道なりに進めばいずれは大分にたどり着く。

 暗くなるまでとうもろこし畑で待機していた市橋は暗くなるのを見計らって、自転車を盗んで熊本駅まで疾走した。ここから自転車で熊本駅となると3時間はかかるのではないか。たしかに市橋は夜遅くに熊本駅に到着したと書いている。ここから博多駅への特急券を購入して博多に行こうとしたが逆方向の電車に乗ってしまって終点についたら電車がなくなったとある。該当するのは三角駅か八代駅となる。市橋は終点で降りたとは書いてはいないが、「電車がなくなった」のだから終点で降りたと考えるのが妥当だろう。ただしその夜は駅のそばのアパートの駐車場で隠れて寝たとあるので、降りてはいる。無人駅で降りた可能性も捨てきれず、どこで降りたかは特定はできない。


現場の地図。赤線は市橋の逃走経路の推定図。
実際に逃げた道は恐らく本人も知らないことだろう。なにせ市橋は熊本に来たのはこれが最初で最後なのだから。
番号をクリックすると、その現場の写真が見られます。下にスクロールしても見られます。



国道57号線。
交通量は渋滞するほどではないが、少なくもない。
市橋は職質を受けて逃亡する際に大きい道路を横切ったという記述がないので
恐らくはこの道を右側通行で東に進んでいたと考えられる。
この場所は歩行者はあまりなく、リュックを背負って歩いていると疑われるのも無理はない。


国道57号線を南下した場所。
市橋の手記には「工場のような場所」というのがあるが、この近辺は完全な住宅地で工場はない。
だからここではない可能性があるが、後の記述を考えればこの場所以外にはあり得ない。
左に見える建物は使われていない保育園。2〜3年前には使われなくなったと考えられる。


崖と白川の間の道路。
崖を降りる・川と崖の間に車道・車道に屋根のような柵
市橋の記述を満たすのはここしかない。車と比較してわかるように相当高い柵である。
よく乗り越えたものだと関心してしまう。逃亡という非常事態には恐怖心は無くなるのだろうか。


3の写真の反対側の白川。
歩いて渡れるほど浅くは無いがたしかに渡れる。市橋は
「川を超えると警察のテリトリーが違うかもしれない」
と記述しているが、実際にこの付近は
写真で言えば右が大津警察署(菊陽町)、左が熊本東警察署(熊本市)
であり市橋の直感は凄いといわざるを得ない。
しかし、凶悪犯罪の場合、テリトリーというものはなく、
海外に逃げない限りはどこまでも追いかけられる。


川を渡ると一部分ながら雑木林がありそこに
隠れてもばれなさそうではあるが、市橋の手記で所々に記載があるように
「警察の人海戦術ではじきに囲まれる」
ことを恐れて畑を南へと突っ走ったのだろう。


市橋が逃走したと思われる街中。
見て分かるように閑静な住宅地である。犯罪には無縁の場所にも見える。


この近辺は木材工業団地で製材所がいくつもある。
丸太がいくつもある
と市橋が書いているように、このへんを突っ切ったのだろう。


免許センターの入り口。
ここは正面玄関で、市橋はここは通っていないと考えられる。
熊本県内にはいくつかの免許センターがあったが数年前にここに統一された。


免許センター内。
中央に見えるのは二輪試験用の監視塔と受験者の待機所。ここに付属してトイレもある。
このトイレの鏡で市橋は自分の顔を見ていると考えられる。
普通の自動車学校では仮想道路内にトイレを作るとは考えにくく(安全上の問題で)
市橋が迷い込んだ自動車学校とは恐らくここと推定される。


免許センターすぐ裏手の畑。
この時点(5月中旬)ではなにもない。秋口にはとうもろこし畑になるのだろうか。


以下は上記地図外の写真。


豊肥本線。熊本県菊陽町での撮影。
見るように単線のままで、付近の住宅事情と利用者数の問題から複線にはしないと考えられる。
見て分かるように電化されていないのも同様の事情であると言える。
ちなみに、一部分は電化されている。


県道337号線。通称「豊後街道」小積橋での撮影。
この道を市橋は東に進んだと考えられる。


菊陽町のとうもろこし畑。
免許センターから2km以上離れており、実際には市橋はここには来ていないと考えられる。
ただ、雰囲気的にはこういう場所に日没まで隠れていたのだろう。
密集しているわけでもなく、誰かがくればすぐに見つかると考えられるが、
その日は誰も来なかったのだろう。


 11月9日(月)
 市橋が熊本を発つ日。この日の記載は一行しかない。この日の昼頃には新神戸駅にいるので、結構早い時間に発っていることになる。無論、これだけでは場所の特定は不能。


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