尺八界回顧
戦後の尺八
戦前盛んだった尺八も、戦中・戦後顧みられなかったが、新幹線が走り始めた頃、漸く尺八の中興期となったのである。尺八の稽古は、旦那芸であり、金持ちの遊戯だった時代もあった。戦後の京都には、プロ級の尺八吹奏家市長もいた。余技にも、優れた政治家が居たのである。
その頃から、中高齢者の尺八入門者が急速に増えていった。入門者は、高価だったがそこそこの
尺八 を買い求めていた。リタイヤ後のことを考え、多少無理をしていたのだろう。
よく調律できた尺八は、当時も庶民には高価であった。親や先輩譲りの尺八を持たぬ、若者の尺八入門者は甚だ少なかった。復員軍人に尺八愛好者が多くいた。
当時、邦楽に対する世間の関心は大変に低かった。'74年に雑誌「季刊邦楽」が発刊された。読み応えのある記事が多かった。しかし、読者減で、'93年には休刊を余儀なくされている。誠に、残念の極みである。
製管師という職人は、細々ながら尺八を改良し、楽器に昇華させる努力と、安価尺八製作に努力してきた。しかし現今は、小金持ちの奴隷となって、付加価値をつけて高価の尺八を商っている輩が大変多くなっている。それが、常識となって欲しくはない。製管師は、職人であって欲しい。職人とは、一定水準の物を量産出来る職業者を云うのである。職人には芸術・美術家になって貰いたくない。職人には、庶民大衆の手の届く、廉価で良質の尺八を量産して欲しく思う。
よく調律された尺八は、よく鳴る。当り前のことである。では、その一本の尺八を、10人の者が各吹いて、全員がよく鳴らすことが出来るかと云うとそうはいかぬ。人、一人ひとり
体格・骨格・顎・唇の形が異なる。購入者は、一人ひとりその人に適した、顎当りのよい尺八を厳選して購入することが必要となるのである。これが、賢い尺八学習者の尺八入門第一歩であると云えるだろう。そして、早い時期良い師にめぐり逢うことである。蛇足ながら。
戦後の吹奏家
プロの尺八演奏家は極少数だった。堀井小次朗・福田蘭童・山本邦山・池田静山・青木静夫(現鈴慕)・九州の山下無風,多孔尺八では堀井と宮田耕八朗・村岡実がいた。
尺八関連筝曲家では、宮城道雄がいた。製管師を父親に持ち、又は、古典ものを得意とした、琴古流二世
山口五郎・横山勝也・川瀬順輔及び、九州には海童普門等がいた。 民謡界には、菊池淡水と遅れて米谷威和男がいた。変な外人も居た。
庶民尺八の始祖が、琴古と都山であるとするならば、上記吹奏家が、庶民尺八中興の祖師達である。
何人かは、故人となられている。特に、某放送局の邦楽教室の講師を務められた方、何人(尺八・長唄三味線・民謡)かが早逝されている。惜しい限りである。
ジャンルも拡大されていった。しかし、多くの尺八愛好者の気分は、古典から派手な新曲へと好みが移行していった。
ここでも、流派の貢献は大であった。琴古流系は、古典本曲(普化宗=琴古系)と三曲ものの吹奏を維持しながら、麒麟児は、よい演奏をして「尺八」を世界へ紹介し、且つ、新しいものにトライしていった。
都山流は、長期間他流交流を排斥していた。古くは、上田芳憧(上田流開祖)が自作曲を浪速の中之島公会堂で独奏し破門された。(一頃の読売ジャイアンツの純血志向のようにである。)都山流員も近年になり勇気ある人は、破門を覚悟して、他流吹奏家に合流していった。その尖兵が唯一山本邦山である。都山流の残党は、都山流本曲と三曲ものをも疎かにして、筝曲合奏 特に、新譜による新筝曲を追尾していった。 それは、筝曲家が台頭しその多くが、新曲を多数作曲する様になったからである。従って、都山の流れはひと頃、古典ものから離れて行ってしまったのである。
尺八を国際的楽器に昇華させたのは、吹奏家山本邦山・横山勝也と作曲家諸井 誠である。加えて、長管に興味を抱いて来日した変な外人ジョン・海山・ネプチューンである。彼は来日早々に製管をもこなしたのである。日本人の天狗達は、大変な衝撃を受けた次第であった。
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展 望
文部科学省が、学習指導要領を改定し、中学校で邦楽器学習を進めても、今直ぐ邦楽界が大きく変化することにはならないであろう。
先ず、教育者の養成と楽器の収集確保をなさなければならない。中学校での1学年、1年間の学習成果が実るのは、何年か後のことになるであろう。
音楽教諭に望むこと
琴・三味線・尺八は、耳慣れた言葉である。しかし、これは俗称である。琴は筝(ソウ)、三味線は三弦(サンゲン)である。長唄界は長唄三味線(シャミセン)と呼び、津軽民謡は津軽三味線(ジャミセン)と呼んでいる。構造が少し異なるが沖縄のは、三線(サンシン)と呼ぶ。
国内の最大需要は、筝・三弦・尺八であろう。尺八は、その邦楽演奏の中の重要な楽器の一つである。邦楽器とその周辺の知識を早期に会得され、尺八学習の採用を決められんことを望むものである。
今は、取りあえず楽器製作者に良質廉価の楽器の多数製造を求めなければならない。製管師の職人気質に大いに期待したいものである。
そして、その指導者には当座 ボランティア の協力を求めなければならない。邦楽を庶民大衆のものに取り戻すまでには、爾後
半世紀の年限を必要とすることになるであろう。
和楽器尺八は、それなりに楽器として吹奏研鑽を積めば、邦楽・西洋楽に偏らず対応できる立派な管楽器なのである。従って、邦楽愛好者の底辺拡大には、国も個人もこれ合い努めねばならないのである。若者には、携帯電話などによる軽薄な交流をそこそこにして貰って、邦楽器による音楽交流、特に尺八楽の交流の可能性を期待したいのである。
尺八の常識
現在、わが国内で愛用されている尺八の殆どは、普化尺八である。
前段で、尺八界の常識、尺八の活躍できる場所などを示し、次いで他の邦楽器との関わり合いを記述し,次いで、尺八吹きが最低必要とする尺八の常識、尺八のメカ
を図解し、普化尺八の構造(原型・形態の変遷)をも示し、万一、一貫作業で「尺八」の制作を試みようとする興味がある人がいるなら、その手順をも述べてみたい。
因みに、吹奏の難易さを示す喩えに「首振り三年コロ八年」というのがある。年期を入れたが、尺八が鳴らない,未熟のせいか?、努力が足りないのか?、と疑う人も多いだろう。が、今一度、所持の尺八を、点検してみて頂きたい。
人の口許は、千差万別である。尺八も、口許に合致する吹き口(唄口と呼ぶ)を必要とするのである。唄口が不都合であれば尺八は、吹鳴してくれない。尺八の顎当りを、その人に合わせる必要があるのである。
不良尺八の多いのも常識
尺八には、形は立派だが「鳴り」が悪い・乙の「ロ」が鳴らない・律が悪く「ハ」が低い・「チ」が高いと云う不満は多い。寸法が長が短かでは、同じ長さの筈の尺八とは合奏することは出来ない。等々、不満は多いのである。本当は、有ってはならない不完全性と欠陥が多すぎるのが尺八なのである。これも、画一大量生産ができない楽器”尺八”の宿命であるのかも知れない。