霜内石灰軌道訪問記2005

I’LL BE BACK TO THE SYOUWA〜

ここに1枚の写真がある。

 

かつて駅には必ずと言って良いほど貨物ホームがあった。それが国鉄の駅ならば尚更である。近在からトラックで運ばれた荷物は貨車に積み替えられて全国各地へ向かう。大きな工場ならば専用の線路が国鉄線と繋がっていて、専用の機関車なり、国鉄の機関車なりが貨車を牽いて行き来していた。

 

埼玉県北のとある工場にホイットコムを使っている産業軌道があったらしいと知ったのは、部室掃除の最中に見つけた古いアルバムを開いた時からだった。このアルバムは卒業記念に部の先輩方が残しておいて下さったものだが、その中にある1枚。小さなDLが牽く産業軌道の写真。「埼玉県北の工場 ホイットコム(米国製)」とのメモ書きが付いていた。

 

昭和30年代ならまだしも、今時こういう軌道は残っていないと思うのが普通である。しかし、以前不思議な噂を聞いた事があった。今でも残っている軌道の事を。あれは何時の事だったか?誰との会話だったのだろう?

 

 

「昭和30年代ならまだしも今時こんな鉄道は残っていないでしょう?」

「いや、それがですねぇ、妙な噂を聞きましてネ。ちょっと調べてみます・・・。」

 

 

「この間の話しですが、やはり軌道は存在するようです。見てください、古い地図にも出ています。でも使っているのかどうか判らないですね」

「こりゃぁ、一度行って来た方が良さそうだね。外れかもしれないけど、どうする?」

 

「ボクは行ってみたいな。外れでも良いから。」

「私も行きたいですね。何時にしましょうか?」

「えっ何々、僕も行きたいです。」

「もちろん、行きます。外れでも構いませんよ。」

 

 

暑い日

「武州八幡山駅に着く少し前に貨物ホームがあるんですヨ。地図ではそこから軌道が出ているはずですから、よく見ていてください」

「みぃさん(仮名?)、チャンと見てないとダメだヨォ」

「でも随分と大人数になったねぇ(苦笑)」

 

冷房なんかは付いていないから窓は全開である。ただでさえ蒸し暑い夏の日である。けたたましいエンジン音と共にディーゼル排気を含んだ暑い風が入ってくる。我々を乗せた4両編成の気動車は、米川を渡り、角岡、伐荘、と順調に過ぎていく。まもなく目的地である。右手にあると言う貨物ホームを見逃すまいと目を凝らす。田圃が途切れ、雑木林の中に古びた倉庫が立ち並ぶ。

まさに一瞬の出来事。駅へ入る直前に貨物ホームらしき景色が目に飛び込んで来た。

はたしてコレがそうなのか?レールなんか見えなかったが??

 

判然としないまま気動車は武州八幡山のホームへ滑り込んでいった。

「おっ」

「わっ」

「う〜ん」

「見えましたネ。確かに細いレールらしきモノが。」

満面の笑みを浮かべ、興奮を隠し切れない面々の後ろから遅れないようにホームへ飛び降りた。依然として半信半疑のままではあったのだが。

 

蒸し暑い街中の道をクネクネと歩き、細い砂利道を抜けると、そこが先ほど車窓から見た貨物ホームだった。裏手から見る限りでは何の変哲も無い普通の貨物ホームである。「わっ、レールがあります。」その叫び声に導かれるように表に回ってみると、確かに土に埋まったか細い線路が上屋の下に敷かれていた。

 

ここからはご覧の皆様と一緒に巡ってみたいと思います。多少時間と空間が歪んでいるようですが、気にしないで下さい(^^;。さてその前にお尋ねします。この線路は今でも使われているのでしょうか?

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