谷崎潤一郎



1886〜1965。耽美的な作風で知られる。
武州公秘話
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「武州公秘話」中央公論社(中公文庫)、1巻
出版年・・・1984年7月
価格・・・743円

燈火の工合で、ときどき影が大きくひろがり、鼻のあるところ全体が暗くなる。ふと、鼻が見えたり見えなくなったりする。その光線の戯れは、少年に向ってしきりに何かをそそのかすようであった。鼻が、斬られないうちから斬られた様子をして見せて、彼を促しているのである。何だか一刻も早く斬って貰いたそうである。法師丸は再びあの美女の謎の微笑を思い浮かべた。此の顔を鼻の缺けた首にして、彼女の膝の前に置き、彼女の凝視に曝したときの快感をおもうと、何物にも換え難い気がした。(68ページ)
 戦国時代を背景にした歴史伝奇小説。武州公こと武蔵守輝勝は、知勇兼備の名将であったが、実は被虐気質の変態性欲者ではないかとも言われていた。ところが彼の斯様な行状の根元には、若年のころの奇怪な体験があったのであって、その体験とは――というのが、小説の内容である。

 文句無く面白い、けれども、なんだかもうひとつパンチが足りない気がする。
 耽美派作家ということで、泉鏡花のような装飾過剰の文体を想像していたら、読み進むのにまるで苦労しない平明な語り口だったのは意外だった。むろん平明のうちにも緩急あり、変化あり、大作家の力量を感じさせてくれる(雰囲気としては、泉鏡花より国枝史郎や山東京伝に近い。しかしこれが本人の言う「含蓄」や「品格」のある文章なのかはひたすらに謎だ。むしろけっこう俗な感じがする)。江戸の読本を真似ているらしく、漢文による序が附されているが、この序がまた面白い。「愛小童」「被虐性」「変態性欲」などの言葉が入り混じるまこといかがわしい代物なのである。プロットも巧みだし、滑稽な場面もあり、物語を読む楽しみは充分に味わえる。
 が……どうにも、期待したほどの「妖しさ」がない。その理由は、首化粧の娘とか桔梗の方など、女性人物にインパクトが足りないせいだろうと思う。この点では泉鏡花とかホフマンとかいった作家には数歩譲っているように感じる。武州公の変態性欲がさまで過激に感じられないのも、あるいはそれを引き立てるヒロインを欠いているせいか。


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