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→T.単行本
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→U.記事・論文(翻訳を含む)
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→V.『カトリック新聞』展望記事
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→W.その他
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| 『説教集 福音の記憶』 <新刊> |
2006、教友社 |
『イエスとその福音』
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2005、教友社 |
『みことばを生きる』
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2003、教友社 |
『罪と恵み ――神の前に立つ人間――』
(岩島忠彦・井上英治共同編集) |
1996、サンパウロ社 |
『キリスト教についての21章』 |
1996、女子パウロ会 |
『いのちへの招き』 |
1996、海竜社 |
『キリストの教会を問う ――現代カトリック教会論――』 |
1987、サンパウロ社 |
Menschheitsgeschichte und Heilserfahrung.
Die Theologie von E.Schillebeeckx als methodisch reflektierte Soteriologie |
1982、Patmos
Düsseldorf Verlag |
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| 2005年 |
書評:「ラリー・フルタド著『主イエス・キリスト――キリスト教最初期におけるイエスへの信心』」 |
『カソリック研究』74号pp.129-141 |
「『カトリック教会の教え』とその展望」
佐久間勤編 『神の知恵と信仰――現代に生きる信仰者のための視点――』 |
サンパウロ社、pp.261-273 |
| 2004年 |
「インカルチュレーションとは何か――その過去と現在」
佐久間勤編 『ネイティブ・インカルチュレーションの時代――福音とグローバル世界の出会いの神学――』 |
サンパウロ社、
pp.31-66 |
書評:「クラウス・リーゼンフーバー著『中世思想史』」 |
『カソリック研究』73号 |
| 2003年 |
聖なる普遍の教会を信じます |
『福音宣教』6月 |
カトリックの教理を見直す |
『福音宣教』12月 |
「秘跡としての教会」
佐久間勤編 『救いの恵のミュステリオン――秘跡の神学と教会の活性化――』 |
サンパウロ社、pp.293-314 |
| 2002年 |
「歴史の想起、語り、そして連帯 ――J・B・メッツの政治神学――」
佐久間勤編 『想起そして連帯――終末と歴史の神学――』 |
サンパウロ社、pp.307-336 |
「多元主義についての神学的考察」 |
『日本カトリック神学会誌』13 |
『岩波キリスト教辞典』「公会議」、「教会会議」他約30項目執筆 |
岩波書店 |
| 2001年 |
「唯一の福音と二つの宣教観」 |
『カトリック研究』70、pp.123-141 |
「カトリック神学のゆくえ」 |
『神学ダイジェスト』90、pp.2-3 |
| 1999年 |
シンポジウム「新しい霊性を求めて」
百瀬文晃・佐久間勤編『キリスト教の神学と霊性――今日どのように信仰を生きるか――』 |
サンパウロ社、pp.407-476 |
| 1998年 |
『新カトリック大事典』T−U 「教会」他多数項目執筆 |
研究社 |
「イエスの福音と現代人の救い」
佐久間勤編『いやしの福音――いまキリストが語りかけるもの――』 |
サンパウロ社、pp.431-472 |
| 1997年 |
「いのちの福音としてのキリストの復活」
百瀬文晃編『復活信仰の理解を求めて』 |
サンパウロ社、pp.133-160 |
「教会による啓示伝達の構造」
山岡三治編『啓示と宗教』 |
サンパウロ社、pp.202-234 |
| 1996年 |
「三位一体からみた神の恵み」
岩島忠彦・井上英治編『罪と恵み――神の前に立つ人間――』 |
サンパウロ社、pp.98-128 |
| 1995年 |
「この世を愛する霊性」 |
『実践神学研究会ニュース』16、pp.1-3 |
「キリストと人間の救い」
百瀬文晃編『イエス・キリストの再発見』 |
中央出版社、pp.263-302
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| 1994年 |
「救いの歴史における教会」
百瀬文晃編『教会 ――その本質と課題を学ぶ――』 |
サンパウロ社、pp.239-270 |
「NICE2と神学」 |
『福音宣教』48/2、pp.20-29 |
Theological Aspects of NICE 2 |
The Japan Mission Journal 48/1、pp.23-32. |
書評:「魂のプロフィール」(半澤孝麿『近代日本のカトリシズム』) |
『ソフィア』43/2、pp.124-127 |
| 1993年 |
「家庭の教会論的な理解」
百瀬文晃編『女性と男性 ――キリスト教の性・教育・婚姻の理解――』 |
中央出版社、pp.165-185 |
「岩島神父の信仰入門」 |
『あけぼの』1993.4〜1994.12連載 |
書評:「神秘主義の『進化論』」(小山宙丸編『中世末期の神秘思想』) |
『ソフィア』42/2、pp.114-117 |
| 1992年 |
「現代日本とキリスト教 ――キリスト教神学の果たす役割――」 |
『ソフィア』(上智大学)40.4、pp.577-590 |
| 1991年 |
「カトリック教会とは」 |
『手づくりの教会』1991年2月号、pp.7-8 |
書評:「貴重な実験作」(門脇佳吉『道の形而上学』) |
『ソフィア』40/1、pp.113-116 |
| 1990年 |
「イエスの姿を求めて」 |
『神学ダイジェスト』69、pp.23-41 |
| 1989年 |
「ロ−カル・チャーチと国際化」 |
『声』1989年4月号、pp.10-15 |
| 1988年 |
「なぜ『開かれた教会』か」 |
『声』(聲社)1988年3月号、pp.10-21 |
| 1987年 |
翻訳:F・F・クラヴェール「教会と革命 ――フィリピンの歩んだ道」 |
『神学ダイジェスト』62、pp.36-48 |
| 1986年 |
翻訳:K・シャッツ「公会議後の教会の危機 ――教会史の立場から――」 |
『神学ダイジェスト』pp.7-18 |
「諸宗教の神学によせて ――P・ニッターを中心として――」 |
『カトリック研究』49、pp.157-190 |
「イエスにおける救いについて ――『神の国の論理』試論――」 |
『カトリック研究』50、pp.85-120 |
書評:百瀬文晃著『イエス・キリストを学ぶ』
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『カトリック研究』50、pp.157-172 |
| 1985年 |
翻訳:M・J・バークレー「弱さを身に負うがゆえに」 |
『神学ダイジェスト』59、pp.77-83 |
| 1982年 |
「キリストの救いをどのように理解するか ――E・スキレベークスの場合―― |
『カトリック研究』21、pp.339-363 |
| 1976年 |
「人類の運命とキリストの受肉による救い ――K・ラーナーの救済論――」 |
『カトリック研究』15、pp.176-188 |
| 1971年 |
「トマス・アクィナスを中心とした自然法とその可変性の研究」 |
Horizont 1(上智大学哲学科紀要) pp.29-42 |
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「二十一世紀への橋渡しをした教皇」 |
05年 4月 |
「人の子の生にならって」(召命促進) |
04年 6月 |
「今、四旬節の悔い改めとは」 |
04年 2月 |
新要理書の意義 |
03年 11月 |
「教理の現在」 |
03年 2月23日 |
「イラク問題と米国司教団声明」> |
03年 1月19日 |
「地の面は新たにならん」 |
02年 5月19日 |
書評:「インカルチュレーション事始」
(中川明『妖怪の棲む教会』) |
02年 4月 |
「グローバル・スタンダードの信仰を」 |
02年 3月31日 |
「きよしこの夜・7時のニュース」 |
01年12月25日 |
「まっすぐで強い生き方を」 |
01年 6月17日 |
「真の命を人々に」 |
01年 4月 3日 |
「現代と修道生活」 |
01年 2月 |
「二十世紀の終わりに」 |
00年11月26日 |
「信心について考える」 |
00年 9月24日 |
「聖体大会と聖体への信心」 |
00年 6月 3日 |
「世紀末を越えるために」 |
99年 |
「公会議後の教会」 |
98年 |
「第二ヴァティカン公会議で何が起こったのか」 |
98年 |
「公会議はなぜ必要だったのか」 |
98年 |
「三位一体の神と多様性の時代」 |
97年 5月25日 |
「終身助祭制に望むこと」 |
95年 8月 |
「共同宣教司牧とはなにか」 |
95年 6月 |
「平和の教育者女性をめぐって」 |
95年 2月 |
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「聖イグナチオ教会ホ−ムページ」の「福音のささやき」で月に一度主日の福音の説教を執筆中 |
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