話題提供11


1999年12月


<フリーター>  職業というより立場と言うべきか、最近このフリーターを名乗る人たちが急増しているらしい。会社の組織の中に入り拘束を受けるのがイヤで、収入は欲しいから便宜的にどこかで働くが、週5日とか規則正しく継続的にというのはしたくない。何か気に入らないと簡単に職を変えてしまう。不景気で経営改善のために年功序列賃金制を廃し、リストラと称して人員整理をする会社が増えたり、生涯一つの組織や職業にしがみつくのを軽蔑するような世の風潮がこういう傾向に拍車をかけるようだ。収入を得ることと自分の好きなことをやるのとを両立させ、自由に生きるというのだが、よほど能力を人に評価されまた自分の考えや行動がしっかりしていないと中途半端になりやすく、年金などもあまり期待できないからみじめな晩年を迎える懸念が強い。それにしても景気対策や海外支援などに金をばらまき税金の負担が増えて、若い人たちが希望を持って生きていくには遠い時代になった気がしてならない。その内にすさまじい反乱でも起きやしないかと心配だ。

<真珠湾> 58年ぶりに新聞1面に公表された黒白写真は停泊中の米戦艦列に向けて走る白い魚雷の航跡とその航跡の起点に浮上した潜水艦の司令塔らしきおぼろげな姿である。日本雷撃機乗員撮影によるもので、米専門家の最近の分析で特殊潜航艇の攻撃成功が確認されたという。対米開戦の翌日の新聞の1面に「特殊潜航艇の帰らぬ9軍神」として大きく報道されたことを昨日のように憶えているので久々に感慨を覚えた。しかし当時日本側でもこの特殊潜航艇の戦果は確認できなかったようだ。というのも真珠湾を急襲した日本艦隊は米軍の報復を避けるのに急で全力で現場から遠ざかったために、5隻の特殊潜航艇を回収する気がなく報告も得られぬままに見捨てたのだ。折角のこのような海軍の活躍は、米大使館など日本外交陣と軍首脳部の不手際で事前に米国に宣戦布告の文書を手交できなかったことによって拭い去れぬ悔いを残す結果になったことは周知の如しだ。

<調査> 思い付いて情報通信分野での皆の思惑や関心が奈辺にあるかを調査したくなり、アンケートでいくつかのテーマを挙げて自由記述方式で答える気のある人から回答をもらった。71通を知人宛メール発送し、実質的な回答26通を得たので悪い成績ではないと思う。分かったことはほとんどの人がこの分野の最近の変化の早さと影響力の大きさに戸惑いながら強い関心を持っていることだ。そしてパソコンが決して嘗ての家庭電化製品一般のようにはバカチョン式に扱えないことにてこずっている様がよく見て取れた。これは大部分が売るほうに罪がある。インターネットやデイジタル・カメラは今や誰にでも簡単に手が届くような宣伝をして、今まではごく一部の半ば専門家に近い人しか扱わなかったパソコン設備を大衆に売り込んだのだ。しかも電子メールとか特定の機能に限って使えばまだしも、あれにもこれにもと手を伸ばすから混乱に拍車がかかる。本来現状ではパソコン設置の段階でのソフトのインストールからその後のトラブル処理まで専門家に類する人のアシストは不可欠なのだが、人材不足なのと購入者の認識不足からそのような準備ナシに突っ走ってしまう。世の中職探しの人が溢れていてもこの分野だけは能力さえあれば決して食うに困らないだろう。ただし大見得など切ったらまずほぞを噛むのは必定なほどこの対象は一筋縄ではいかないようだ。

<ドデスカデン> 黒澤明監督の掲題の映画を観る。焼け跡の残骸物を掻き分けてどうにか人の通れるまっすぐの道が造られていて、男が運転手兼電車になって身振りよろしくこの道を走る。知らなかったが"ドデスカデン"というのは運転中に男が絶え間なく叫ぶ走る電車の模擬音だ。別の男が画台を立ててその道で絵を画き始めたが、生憎そこへけたたましい警告音を発して電車がやってくる。衝突直前に画台をどけると、少し先で停車した男が振り向いて線路で絵など画いちゃ危ないじゃないかと叫びまた走り始めた。雨が降っているある日一人の男が焼け残りの廃材で作った家から出てくるなり、大声をあげて日本刀らしきものを振り回し始めた。近所の人たちはさわらぬ神にたたりなしと逃げ隠れて様子を見ている。その人たちの視点で遠景になったカメラは番傘を差し着流しの男がその前に突っ立ち何か話し掛けるのを写す。アレ危ないと皆が思うが意外にも刀の男は上目遣いに相手を見て二三歩下がり、もう一度上目遣いに相手を見るなりコソコソと自分の家に入ってしまった。番傘の男はこちらへ歩いてきてもう大丈夫ですよと言う。何が起ったのかを刀の男の口から述懐させる。「何、俺に大変ですね、あなた一人で苦労しているのを見るのに忍びないから手伝いましょうと言うんだ。手伝って貰うわけにもいかないし、出鼻をくじかれたようで家へ入って寝てしまったよ」と。騒動が収まった頃電車の男が例によって走ってきた。雨だから傘の柄を背中から腰に挿している。両手は運転操作のために空けておかなければいけないのだ。ほかにも何人か愛すべき変ったのが出てきて実に面白かった。

<ゆず> 庭の隅に植えてあるゆずが毎年秋の末に沢山実をつける。初夏に白い小さな花を咲かせ、小ぶりで黄色の実はすっぱくて単独で食べる気のしない地味な植物である。でもちり鍋などをした時は食酢ではなく二つに割ったゆずの実を取り、種が飛び出さないように気をつけて取り皿にしぼるとなんとなく風情がある。それが今年は長く続いた暑さのせいかほとんど実をつけず、何となく淋しい。

<女優> 衛星放送午後の番組で1週間を通して山田五十鈴と彼女が出演した主要な作品を選んで紹介した。私よりかなり年上だが、未だに容色の衰えを見せず堂々の現役である。 アナウンサと対談する彼女は大柄な顔、切れ長の大きい眼、何事にも動じない風情、どこから見ても隙のない態度でなおかつ傲慢不敵さを感じさせない自然体につくづく感じ入った。これまでの芸能生活について訊ねられると、演出家の言うことには絶対に逆らわないで通してきたとキッパリと言う。若い時の息を呑むような美貌、中年の芯のある女を経て現在の充実感溢れる姿まで、映画・舞台・テレビと戦後の日本を生き抜いた誰にも負けない大女優だ。映画「どん底」での彼女は黙ってこちらを見るだけで取り殺されそうな女の怖さを感じさせた。無条件で敬意を表する数少ない人である。

<20世紀の巨人> 文春1月号は"私たちが出会った20世紀の巨人"と題して今は亡き42人の内外の著名人を存命の人にその印象を紹介させている。ずっと目を通して最も印象に残ったのは今まで私がよく知らなかった唯一の人徳富蘇峰である。同氏記念館の学芸員を勤める高野静子という人が記している。彼女は4万7千通を超すという蘇峰宛の書簡を読んでいて、書簡だけでも勝海舟、伊藤博文をはじめ1万5千人近い知己がいるという。大変な数字だ。新島襄の教えを受け、政治家や軍人に直言できる数少ないジャーナリスト、歴史家、貴族院議員だった。戦後は戦争協力者と指弾されたが明治大正昭和を跨ぎ活躍し堅苦しい付き合いは苦手でいつも笑顔とユーモアを忘れなかった人で、私のことは500年後の評価を待つと述べたという。自分で「百敗院泡沫頑蘇居士」の戒名を付けた。昭和32年94歳で死去。機があれば一度記念館を訪れたい。

<ピーナッツ> 半世紀以上にわたり18000篇以上の漫画を提供してきたチャールス・シュルツ氏が直腸癌治療のために筆をおくことが伝えられた。大人は現れずにチャーリー・ブラウンやいつも毛布を放さないリーナスなど登場する何人ものこどもたちと犬のスヌーピーはそれぞれ独自の個性を与えられていて、私の最も愛する新聞漫画だった。30年前に米国に長期駐在した時このキャラクター達が毎日泣いたり笑ったりする姿に無聊を大いに慰められた。決して勝者にはなれない主人公チャーリー・ブラウンは作者の投影かもしれないが、この漫画ピーナッツは常にほのぼのとした雰囲気をもっていて見事に成功していた。改めてシュルツ氏に感謝し、苦しまずになるべく長生きされることを祈る。

<本> さまざまな本があり、本を求めるときにその対価には一応注意を払うが、その物理的な形態についてはあまり注意を払わない。ところが実際にその本を読み出すと装丁によっては開いたページが保持できずすぐ閉じてしまう。私は左手が不自由だから尚更だが、誰だって読みかけの本は机の上で開いたままでいることを望むだろう。誰か失念したが以前に純銅製の文鎮を頂戴していて、これを開いたページの中央部に置くがそれでも本によってはそこへ手を添えないと文鎮をはさんだまま閉じてしまう。耐久性ばかり考えて肝心の読む便宜を軽視している。本棚に飾っておくのが大事ではないから本の評価にこういう性状を加えなければ公正ではない。最近求めたパソコンは液晶画面で比較的に眼が疲れないので、こうなるとペーパレスでパソコン画面で読んだ方が楽である。一方において最近の楽しみは感銘を受けた箇所にマジックペンでマーキングをすることだ。主にグリーンを用いる。以前はこういった本への書きこみに罪悪感を持っていたが、考えてみれば古本屋へ売るわけでもなし、たまたま読み返した際にこのマーキングを確認するのは悪くない。人知れず小さな悪事をする満足感がある。こういうことができるのは目下の私にとっては本の利点だ。

過去の話題に戻る
ホームページに戻る
ホームページに戻る