
<伴大納言絵巻> 12世紀後半の画家常盤光良によるという全長27Mの絵巻物の紹介があった。都の応天門が炎上し伴大納言が放火の疑いをかけられるという話の筋だが、絵巻物という美術作品形式独特の面白さが興味を惹いた。巻物だから右を巻き込み左を開いていく動作の中で眼前に次々に現れるシーンは空間の連続性と時間の経過を同時に味あうという不思議な感覚を与えてくれる。ヘリコプターから俯瞰するように斜めに見ているので遠くの人は奥行き方向にずれて描かれて重なることはない。炎上する門を見に押し寄せる野次馬とやがて煙に巻かれて逃げ惑う群集の動きが動画のように描かれる。川などで仕切られた左右に同一人物が別の姿勢で現れるのは異時同図といって異なるタイミングを意味する。とにかく人物描写が中心だが、状景説明に霞を巧みに使っている。この時代に大和絵が頂点を極めたと言われる。当時貴族階級だけのごく限られた数の人たちが楽しんだ美術だが、今後デイジタル・コンテンツとして公開できれば作品を痛めることもなく大勢の人が場所の制約なくこれからパソコンで楽しむことができるだろう。群集が皆烏帽子のようなかぶりものをしているのに気が付いた。儀式などでなく不意の火事の野次馬が帽子などかぶっていただろうか。
<沈船> 西太平洋トラック環礁近くに第2次大戦で沈められた輸送船藤川丸の残骸がある。55年余を経過し朽ちて鋼鉄板の覆いの取れた船内まで水深が浅いので太陽の光が射し込む。そこには色鮮やかなサンゴが付着し実に美しい景観が生まれている。探検家AL.GIDDINGSはダイビングで遭遇したこの不思議ともいえる世界に魅せられた。ソフト・コーラルが触手を伸ばす。動く抽象画の世界だ。揺れ動く棘皮動物の棲家にオトヒメエビ、ワタリガニ、ウミウシ、キリンミノなどの小動物が出入りする。イソギンチャクにはカクレエビ、クマノミが共生している。砂浜だけの海底は海の砂漠で魚は集まらないが、ここには多くの魚群もやってくる希望に満ちたオアシスである。沈船という嘗ての悲劇の舞台を介して人間の歴史と自然との不思議な調和が生まれている。
<花火> 鳥取県の米子水鳥公園に飛来していたコハクチョウやマガモなど約30種の野鳥約8000羽が元日から姿を消したままになっていることが報じられている。原因は安来商工会議所がミレニアム・イヴェントとして1日午前零時から8分間にわたり打ち上げた200発の花火によるもので、花火の直後に一斉に夜空に飛び立ち4日に至るも湖に帰ってきていないという。鳥目などというが夜でも鳥は飛べるのだ。都会ならとにかく静かな自然を楽しむべき田舎で、戦争が終ったとでもいうならとにかく下らない事で騒ぐ心無い人間どもの勝手な所業に野鳥の会会員は一斉に怒り悲しんでいる。いずれ帰ってきてくれるとは思うが。

<初詣> NHKの報道によれば正月3が日の初詣客は全国で8164万人に達し従来の最高を記録したという。この種の数字の信頼性は疑えばキリがないが、こういう事実は今までも一切無縁の私としては無条件で脱帽せざるを得ない。主として寒い夜半に明治神宮や川崎大師などの神社仏閣に人ごみをモノともせずに参詣する律儀さと素直な信仰心を、小賢しく評するなど無信心で横着者の立場からは不遜以外の何物でもない。キリスト教を基盤とする西洋文明が依然として世界政治を牛じているようにも見えるが、コムズカシイことは抜きにして神仏をあがめる日本人とその文明は決して衰退はしないだろう。昨年の文化の日にNHKが紹介した日本名作百点の文化遺産の大半は神仏信仰に関わるものだったことも、先祖から引継いでいるこの心情が並大抵のものではない証である。日本民族の他の民族との相違は仏教を神と容易には分離できない点にある。あまり意識されていないが典型的な多神教である。横着者の私でも問われればこの趨勢に積極支持と参加の一票を投ずるにやぶさかではない。
<ピアノ演奏> 仲道郁代さんのピアノを鑑賞する。著名な人らしいがNHKの紹介をうっかり聞き損なった。演奏曲目はクラシックのポピュラーなものである。指から弾き出される音の円滑で正確なメロデイーは勿論些かな不安も抱かせないが、演奏中の彼女の表情の変化はドラマテイックである。憂いに満ちた細い目の光と曲に応じて絶えず早くまた遅く動く口許。激しく動く長い指と腕だけでは足らずに顔中でピアノに語り掛けているようである。いかにも辛そうに目を閉じて眉間に縦皺が寄るような(寄ってはいないが)憂いの表情がいつの間にか曲に没入した悦楽の表情に変っていく。そして演奏を終えて立ち上がりゆっくり聴衆に礼をする彼女は静かな平安な顔に戻っている。演奏とは決して優れた技巧の演奏家の手だけの冷徹な作業ではないと教えられる。
<専門分化> 昔誰かから教えられたが、人はある特定の領域について専門家として深く知らなければならないが、その基盤としての常識は浅く広く持たなければならない。望むべくばこの深く知る領域を一本の歯でなくて高下駄の二本の歯のように異なる分野で二つ持つように心がけるべきだと。大学や研究所などで知的生活を営む今の多くの人たちはこの専門分化が進みすぎて、啓蒙活動によって知識を一般と共有できる余地がなくなっていはすまいか。しかも深く狭く行くために二本の歯を作る余裕がなくなり足を載せる平板の厚みも薄くなっている。とかく博士号というものが実務から遊離する所以かもしれない。百足のように多くの研究者の間を渡り歩いて研究者には実際面からの注文を出し、一方では研究者を大所について理解して大衆との間を橋渡しをする独立した立場というものを認め、その業績に応じて資格を与えるなどもっと尊重してもよいのではないだろうか。

<バイオリン> 庄司沙矢香が日本フィルオーケストラの共演でパパゲーノの旋律でも知られるパガニーニのバイオリン協奏曲第一を演ずるのを鑑賞する。事前のテレビの紹介で座談した時はえくぼのかわいい慎ましやかな少女だったが、髪をキチンと6,4に分け肩にギリギリで触れないように切りそろえたオカッパ頭で、まだ10代の若さに関わらず引締った実にいい顔で演奏を始めると1分の隙もない。当然のことだが右腕と左指は一瞬たりとも調和を失わず、少女の表情は自信と真摯さに満ちて体力的には十分な余裕が感じられる。嘗て私の父が作曲家は無から有を作り出すから偉いが、演奏家は作曲家によって管理された理想的な演奏モデルにどれだけ近づけるか努力するだけで創造性がないから芸術家としては二流ではないかと言ったことがあるが、いやどうして。人間の可能性をここまで具現化して見せてくれる演奏家とは大したものだ。年取った演奏家に見られる演奏中に適当に息を抜く要領のよさ(さぼり)は微塵もなく、終始全身全霊を打ちこむ演奏に胸のすく快感を覚える。演奏を終え聴衆にお辞儀をし終えた彼女の笑顔は自分自身が演奏に満足していることを証明していてとても美しかった。ロボットではこうはいかない。精巧なロボットが作曲家の意図に忠実に演奏したとして始めは面白がってもその内見向きもされなくなることは明らかだ。そんな演奏会には誰も行きたくない。生身の人間が精進して懸命に努力するのが尊いのだ。一般のサラリーマンといえども日常の生活にこのようなギリギリの緊張を強いられ、それに応える瞬間が時折あれば大いなる生き甲斐になるのだが。
<投了> パソコン・ネットの囲碁のメニューには対局の他に観戦というモードがあって、熱くならずに人の実戦碁を観戦することができる。プレーヤが自らの敗戦を認めて試合の打切りを申し出る行為が投了だが、碁を打っていて相手が投了する瞬間というのは実にいろいろある。決定的なダメージを受けても未練が残ってついズルズルと打ち続けるケースは多い。多くの場合優位に立った方が先にその状況を察知してさて相手はいつ投げるカナと期待し始める。今度は自分の対局に関してだが、最近二度ほど相手の綺麗な投了に出会い、自分もこれに負けない後味のよい投了を心がけようと考えて、好手を打つのにヒケを取らない大事な心がけにすることにした。負け惜しみもないと言ったら嘘になるがこれはこれで一つの楽しみになる。
<金時山> NHK「小さな旅」が静岡県小山町金時山(1213m)を取上げた。二度ほど行ったよく知っている美しい景色が出てくる。足許の仙石原の町の向うに神山(1438m)、外輪山の尾根に沿っては乙女峠・長尾峠・湖尻峠と続いてその左に芦ノ湖が見える。そして右に目を転ずれば秀麗な富士山が長い裾野を引いた麓からまさに遮るものなく眺められる。遥か東には新宿副都心の高層ビル群、南方の外輪山の先には駿河湾の水面が光って見える。山頂の茶屋の主人小宮山妙子さんは金時娘と言われてきた人で14歳からもう50年以上ずっとここを開いている。若い頃逢った面影がそのままで実に懐かしかった。毎日出勤前に10lの大きい水筒を届けに山を駆け上がってくる人、定年退職後週に3,4回累計500回も上ってくる夫婦などこの山を愛する多くの人たちに支えられている外輪山でも突出したこの山には"天下の秀峰"という看板が立ててあった。何と言っても富士山の眺めはここが一番ということかな。

<河川工事> 吉野川可動堰計画の可否に関する徳島市の住民投票が投票率55%、反対票が90%を超える結果を出した。環境破壊を防ぎ日本第3の大河に残された自然を守ろうという住民の意思が投票率が50%を下回ったら公表もせず投票は無効という不自然な市議会の決定をはね返した。長年にわたって進めてきた人類のダム建設によって河川を管理しようとする意図が、さまざまなダムや堰の弊害をアチコチで体験した人々の本能によって押し戻され曲がり角に立っていることを如実に物語る。甚だ微力ながら昔私も導水トンネル工事設備納入で参画した津久井ダム建設が、都市化により水道の使用量が画期的に増加した神奈川県の水がめとして夏の水飢饉に役立っていることはまぎれもない事実でダムの効用も明らかだが、物事には必ず効用に対抗する弊害も付きもので評価の仕方によってはその方が重大ということは有り得る。建設・農林省などやみくもに公共工事を推進してきた方面にはこれをキッカケにして大きなブレーキがかかる時代の転換点が到来したように感じた。
<パスワード> 科学技術庁のホームページが不正侵入によって記事が改ざんされ中国語による南京大虐殺への抗議文に置き換わったと報じられた。当事者が慌ててバックアップデータを入力して復旧したらまた書き換えをやられた。政府は対策本部を設置したというが本来ホームページへの内容変更のためのアクセスはパスワードを知らなければできないはずで、個人以外のこの種の団体が管理する情報供給源の機密管理は抜け道ができがちで今後もアチコチで同様の被害が発生するだろう。この例などはまだ罪のない方で、人間の悪知恵は皆が息を呑むようなどんな事件を起こすかしれない。このテーマでは自分の悩みについて前に一度書いたが、不便でも誰か担当者を決めて指紋などの肉体的な特徴を提示するシステムにしないとダメかもしれない。後日談が出るのを野次馬としては楽しみにしている。
<月光> 写真家石川賢治がチベット高地の奥深く標高5200mの峠に立ち、月光を浴びて白く輝くエベレストを撮影するのが紹介された。満月の4日前の予備行動では冷たい強風と初めて体験する低い気圧に体調を崩し早々に退散したが、満月の当日は風もなく月の出前の夜空は素晴らしい満天の星で被われた。大気の薄く清浄な現地では月が出ると眩しくて目が痛くなるような明るさになったと説明を受ける。露出時間など心配していたが夜10時ごろの高く上がった月の光で玄妙な山の写真が撮れた。今の都会では気温もそうだがこういう自然の光を味わう機会が奪われていて残念だ。

<中国> CHINA ISSUES RULES TO LIMIT E-MAIL AND WEB CONTENT
The Chinese government issued stern new regulations that were intended to control the release of information on the Internet, underscoring the government's love-hate relationship with cyberspace in a country where the number of Internet users is growing dramatically.
以上はNYタイムズ記事抜粋である。チベット仏教への介入とか法輪功への弾圧など思想統制を強めて海外からの批判を呼んでいる中国だが、インターネット上の情報まで管理しようというのは少々無理筋ではないだろうか。これを徹底しようとすれば遂には一般大衆のインターネット使用禁止まで行くことになりかねない。先に取り上げた日本政府機関ホームページがハッカーに荒らされる被害も拡大しているようだし、情報管理のせめぎあいはこれからワールドワイドに拡がりそうだ。