
<キーボード> パソコン作業中に突如プログラムが機能しなくなった。ファイル右上のX マークをクリックして一旦作業を終了しようとするとマウスが運動神経麻痺のように目的の地点にいかず、画面が雨でにじんだようになってしまう。これはダメだとパソコンを強制終了し、再立ち上げする。このような非常停止後の立ち上げ時の常例として少し手間のかかるスキャンデイスクが行われる。これは仕方がないがもういいかなと思う頃、まだ正常画面が現れる前に突如ブザーの連続音が始まっていつまでも止まらなくなる。やむを得ず非常停止、再立ち上げを行うと、今度は2,3の慣れないキー操作を画面に命じられた後、Safeモードという目の粗い拡大画面が現れて、ヘルプのトラブルシューテイングを参照、設定を修正して再起動するようにと言う。ヘルプ機能の指示に従い、スタートアップフォルダの不要なファイル削除、ハードデイスクの空き領域を追加メモリとして予約、ハードデイスクのチェックとして徹底的なスキャンデイスクを行う。もう指示されることは全部やったと再立ち上げをするとまたブザーだ。このパソコンもミッチリ2年使ったからもう寿命か観念しろと自分に言い聞かせながらお茶にして、戻ってきてふと見るとキーボードの右手前端のEnterキー(このキーは普段使っていない)の上に、今まで読んでいた参考書の端が載っていた。
<南大東島> 九州南端から連なる沖縄列島の線より南東にかなりずれた位置にポツンと大東島がある。大東島は南と北の二島からなるが、面積は倍半分で大きいのは南大東島である。南北に約7km、東西に約5km、全く平坦で中央部に点々と大きい池がある。約百年前に人が移り住み密林を伐採して砂糖きび畑を作った。残っている林や新たに植えた樹木に蝙蝠が棲む。人によって改変されたとは言え、自然豊かな環境だ。この島の成因は沖縄諸島とは異なり太平洋の真中で昔噴火で火山が海面に顔を出した。その周辺にさんご礁ができ、太平洋プレートに載って1年に5cmの速度で北西へ移動を続けた。僅かな速度のようだが長い年月を経て今や沖縄方面に近づいた。近づくにつれて太平洋プレートは沖縄などの南西諸島プレートの下に沈みこむ。海底は今や1000m下となり旧火山も海底と共に沈んでいったが、さんご礁だけは海面上に常に顔を出したから結局石灰岩による高さ1000mの台形の塔が海底から聳え立っている。
<フラクタル> 抽象図形の一つの典型としてフラクタル図形があり、マンデルブローが数値解のグラフィック表示法の一つを公表した。今回VISUAL BASICの勉強を始めてこのマンデルブローのプログラムに出会った。在来からその説明を聞いていてもう一つ具体的に理解できなかったが、プログラムのコードを見てようやく分かった。複素数平面の原点を中心として半径2の円を描く。この円内の任意の点の座標値(x,iy)を自乗して元の値に実数部・虚数部別に加えた座標値を持つ新しい点を求める。何回かこれを繰り返すと点が円の外に飛び出す。何回で飛び出すかによって元の点をパレットコードの16色で着色する。例えば3回なら明るい青、4回なら暗い赤という具合に。少し移動しても色の変化があまりない区域と微細な移動でめまぐるしく色が変わる区域がある。後者に着目してその区域を拡大すると際限なく複雑な美しい図形が現れる。自由に且ついくらでも微細な区域を設定し計算結果を画面表示できる極めて簡素なプログラムを入手して、なるほどマンデルブローがこれを作った時に無性に人に見せたくなっただろうとよく分かった。

<17才> 昨今少年の凶悪犯罪が増えている。少年法のために顔写真の公表はもちろん氏名も報道しない、成人のような裁判にもかけられないという事情を高校生たちが熟知し、18才未満の今のうちだと考えるような環境は放置しておいてはいけない。いくら保護してもこのような少年たちは成人後もやりきれないような犯罪を繰り返す例が圧倒的に多いといわれるし、被害者側には少年法のしわ寄せが行き、泣くに泣けないと言う。中高校生は瞬間的な身体能力なら最強かもしれない。保護するのは小学生だけでよいではないか。
毎日新聞の万能川柳に「じいちゃんがお前ら可哀そうと言う」という句があった。確かに大のおとながくだらぬことばかりやらかして折角の世の中を住みにくいものにしている。だからといってこどもを甘やかしてはいけない。先日まりやとも子といううら若い舞台女優がこのごろテレビゲームに凝る人は'リセットボタン'で簡単にやり直せると思う、だけど私たちはやり直しのきかない劇場の舞台で毎日勤めていますと言った。 もう一句あって「広めよう17才に万柳を」。
<ジャイアンツ> 大勝ちをするかと思えば次の日は一点差で敗ける、そんなことばかり繰り返して接戦に弱いという定評ができたジャイアンツが、今週は苦手とするヤクルトに一点差ゲーム二つを含めて三たてを食らわすという珍事を起こした。少年時代の地元チーム中日、ここ10年ほど地元として親しむ横浜にヒイキが決してないわけではないが、いざとなると巨人の動向が真っ先に気になり、巨人が勝つと今日はまずよかったと得でもした気分になる。これは何故だろうと自分でも妙に思う。分析すると一人一人の選手に特にひいきがいる訳ではない。強いて言えばベンチの右端に常に突っ立っている長島監督のせいかもしれない。人にいろいろ言われながら弁明などせず、いつもきびきびと振舞う彼の試合に勝ったときの満足げな顔が見たいのだ。名監督かどうか知らないが、無条件に愛すべき人ではある。
<本因坊戦> 台湾出身の挑戦者王銘えん(王偏に宛)九段が韓国出身の若き趙善津本因坊を七番勝負4対2で破りタイトルを奪取した。他の棋戦のように衛星テレビで報道しないので、最終戦は適当なタイミングでインターネットへ入り込んでは戦況を観察していた。趙本因坊は以前の対局でもそうだったが序盤から大きな実利を確保し、中盤には私が王九段の立場ならどこから手を付けるか絶望的になる局面を作り上げた。ところがそのあたりからの黒番王九段の打ちまわしが絶妙で、増えるのは黒地ばかりみたいな応接が続くことになる。よく見ると白は序盤に築いた領域を確保するために積極的な打ち回しを控えざるを得ない立場に追い込まれているようなのだ。局後の王九段の感想は「並大抵の苦しさではなかった」というものだが、それは私の見るところむしろ逆転(見かけ上は)され疲労困憊した趙本因坊の言いたい台詞だったろう。囲碁のような勝負が娯楽というのは無責任な観察者だけで、当事者にとっては局面のあらゆる事象に油断なく備えながら次々と打開策を案ずる気苦労の連続である。本局はどうだったか知らないが、王九段は対局中激しくぼやき、自らにビンタをくれ、自分の服でも何でも噛み付くと言われる。このところ私は囲碁ネットで相手構わず積極的に挑戦する気力が少々衰えた。エネルギの蓄積が必要だ。

<崩壊> 報じられるところによれば、この2月上旬198000円を付けた孫正義氏のソフトバンク社株価は7月下旬に11840円と1/17に、また光通信は同じく241000円が6000円と1/40に下落したという。このところネットバブルの崩壊と言われ、IT業界は厳しい選別の時代に入ったと聞いてはいたが、それは流行に便乗した実力のないヴェンチャー企業のことと思い、業界の名のある企業評価がかくも劇的に変化していようとは迂闊にも知らなかった。このほど開かれた九州・沖縄サミットではIT革命を持続的経済成長を導く切り札ともてはやし、「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章(IT憲章)」を採択したが、こんなものは効果的な景気回復策が見出せず苦慮する中で日本官僚がひねり出した作文に世界の政治家達がうまく載せられたに過ぎないのではないか。
<プログラム> 友人に VISUAL BASIC を拙宅のパソコンにインストールしてもらい、参考書を何冊か求めて俄か勉強した結果、まだ分からぬことがいくつもあるものの、このソフトの特徴とこれを如何に利用したらよいかが分かってきた。昔のパソコンで扱ったN88BASICとは共通のコマンドもあるが、共通部分が1/4か1/5ほどで設計思想が基本的に違う。BASICの時代にも膨大な時間を割いてグラフィックを含めた自作のプログラムを作ったが、これは完全に隔絶した世界で外部はいうに及ばず同じ自分のパソコンの中の他の資源が利用できない。一方VISUAL BASICの方はこの随筆などの文章やエクセルに蓄えた各種データ、インターネットやスキャナから取り込んだ各種の画像を自在に扱えるし、直接インターネットの中へさえ入っていける。便利で多様なツールが用意されていてプロジェクトごとに必要に応じてこれらを組合わせて使う。その使い方も個別の働きかけに応じた必要な動作を独立のコードとして書いてそれを組合わせて使うわけで、要は個々の要素技術が豊富に用意されている世界でプロジェクトの設計者はこれらをシステムとして組合わせる技術さえあればよい。必要なノーハウさえ習得すれば中々私向きの世界だ。
<目次> この随筆をホームページに載せるようになって、人が読むことを考えるとタイトルもあまり自分勝手ではいけないと反省し少し見直してみた。すると同じテーマを2度以上使ったケースがあることに気が付いた。内容的にも似たことを繰り返して述べていたりする。とかく老人の繰言といって聞く方はまたかと思うからこれは気をつけないといかんと思いこれまでのタイトルだけを列記してみた。するとタイトルだけでは何を書いたか大半は自分でも思い出せない。そこで副題あるいは1行以内の簡単な説明を付けた目次を改めて作ることにした。読み返してみると自分の関心のありようの変遷が辿れて興味深い。

<瑞巌寺> 平成古寺巡礼で日本三景の一つ松島に接する瑞巌寺の紹介があった。東北の雄、伊達正宗が62万石の財力を傾け紀州和歌山から取り寄せた巨木を惜しげなく使い、全国から150名の名工を呼び寄せて建立したと言う。間口40Mの本堂に面して立つと屋根の稜線をはじめとして実に見事な建築である。本堂のいくつにも区切られた部屋には今でも緑鮮やかな襖絵が画かれていて、画材はその部屋の性格に応じて見事に選ばれているが、いずれも見飽きないような花鳥獣類である。中央の部屋の奥の襖を開けると本尊聖観世音菩薩の立像と従者達が祀られている。東北の鄙びた環境に京の華やかな文化を移しこもうとした正宗の執念が感じられる。総じて日本全国津々浦々の寺社はそれに関わった時代の人々が、限りある個々人のはかなき寿命のある内に精魂を傾けて後の世に形あるものを遺そうとした努力の成果だと思うと、深い感慨を覚えずにはいられない。