10月の話題


2000年10月


<情報伝達> オリンピック一色の2週間だったので感想をひとつ。高橋尚子のマラソンでは観衆の騒ぎ声で小出監督からうまく情報伝達ができなかった。テレビの解説者は見逃していたようだが、39km過ぎてから流石の高橋も苦しさに顔がゆがみ一人旅を続ける中で次第にペースダウンして行って、競技場へ戻っては少し気も弛み、ヒタヒタと後方から迫るフランスのシモンに気付くのがもう少し後れたら危うく逆転されるところだった。声の届かぬ小出監督は神に祈ったと言う。これだけ携帯情報端末が発達してきたのだから、主要な情報を競技者に伝達する手段があってもよいと思う。サングラスさえ邪魔になって途中で投げ捨てたくなる過酷なゲームだから身体への装着に少しでも違和感があってはだめだ。しかも情報伝達が必要になるのは中盤から終盤にかけてだ。骨を介しての音声伝達など考案されているそうで、4年後のオリンピックでは多分何かよいものが出現しているだろう。尤も迫る相手に振り返って気がつき慌てて最後のスパートという人間らしいドラマがなくなるのも淋しいが。

<薬草> NHK「地球に好奇心」は中国青海省西寧で仏僧で医師の師弟が薬草を求める4000KMの高原の長旅を紹介した。昔インドから伝来したチベット仏教は医学をも併せ教えて、9世紀末にはアジア最先端の医術になったと言う。薬師如来はその象徴である。鍼灸とともに膨大な薬草利用の技術が現代にまで伝えられその著名な病院には米国FDAの証明書が発行されている。薬草を精製した多種の薬が整然とそれぞれの容器に収納・利用されている様は見事だ。砂曼荼羅は佛僧たちが鮮やかに着色された多種の砂を用いて丹念に10日以上もかけて極彩色の花模様で描く医薬楽土で、東西南北の門の外にあまたな薬草の花がその所在を象徴的に表し独特の技術と文化を伝える。しかもこの砂マンダラは生成流転を証するように完成すると直ちに壊され、用いた砂は河に流される。多分詳しくビデオに撮影してもいけないのだろう。この薬草の所在と効用を著名な医僧が弟子に伝えるために標高4500Mの西蔵高原を旅した。西海湖は琵琶湖の6倍の面積をもつ塩水湖でその周辺に夏は様々な薬草の花が咲き乱れる。更に奥地に進むと高峰ニエンポイツエ5369Mが聳え、その麓の谷に巾500M、長さ1KMの薬草の花園が氷河の溶けた水で育っている。ある黄色の花は文殊菩薩、ある白の花は観音菩薩、またある青の花は金剛力士が現われた姿と言われる。花の名はすぐにはとても覚えきれない。ただ以前から紹介されている青いケシの花は心に残る。肝臓に効くそうだ。人の役に立つことに徹し功利を求めない医術は清々しい。

<写真家> 気に入る画像を求めてインターネットの個人写真家の作品集を花から花へと飛び移る蝶のようにさまよう。僅かな数の写真を仰々しく掲げるホームページが多い中で、膨大な数の写真を几帳面に分類してさりげなく展示する人もいる。後者の一人で少し昔の作品なのだろうが蒸気機関車を専ら追及しているパートに出会った。都会でなく緑したたる九州地方の谷あいを黒煙を吹き上げて疾走する汽車の姿はなかなかよい。最初は線路の脇から見上げるようなアングルで撮ったりしていたが、その内に近くの山の上から俯瞰する形で作品を何枚も作り出した。適当な開けた視界を求めて道なき雑木林をよじ登ってさまよい、滅多に来ない列車の到着を待つ作業だから恐らく1日1枚程度しかものにならなかっただろう。最後の一品はトンネルの中から迫ってくる蒸気機関車を撮ったものだった。馬蹄形のトンネルの入り口が適当な輪郭となって林の中のややカーブした単線の線路をこちらへ向かってくる姿はバランスのよい画像になっていた。但し容易に推測できることだが、撮影者はこの直後にトンネル内線路脇の狭い空間に身を伏して通過する汽車の熱い煤煙に満ちた空気を暫くの間必死に耐えなければならなかっただろう。好きでなくては全くできないことだ。

<才女> その存在を知ったのは"たけしのTVタックル"で常連メンバーとなってからで、作家阿川弘之の娘というふれこみで多弁ではないが座談の参加者が勝手にドンドン話を脱線させると、適当なところでフイにかつ巧みに話題を引き戻す役を演じるのが阿川佐和子。目がパッチリしているが頭の良いマジメな人というのが第一印象だった。これが"スタデイオ・パーク"に出てきたら本人が主役だから仕方がないが目が離せなくなった(いつもは徹子の部屋とかけもちで見ている)。大抵の人はある程度話させると先は何を云いたいかほぼ見当が付くが彼女の場合はどっちへ飛んで行くのか推測がつけにくいのだ。先日は教育テレビのお薦めの新刊書の番組でシレッとユニークな意見を述べていた。いいことを言うなと聞き手がシミジミと感心するというわけでもないのだが、決して馬鹿なことは言わない。壇ふみが付けたあだ名が「十八方美人」というのは実にうまく言い当てている。

<石工> 船石山と土地の人が呼ぶさして高くないが独特の形状の岩山が平野に突出している。この岩山の石を切り出して刻むことで生計を立てている人がいる。この人たちの仕事振りが"小さな旅"で紹介された。荒っぽく切り出された岩塊に対して向かい合い、あちこちを重めな槌で叩き反響する音をじっと聞いていく。しばらくこれをやっているとこの岩塊の内部にどんな亀裂があるか、どのように割ったら内部に疵のない健全でなるべく大きな直方体の石塊が取れるか分ってくるという。石工はこれを岩との対話だという。そのイメージが固まると岩を割る面に沿って等間隔に楔を打ち込んでいく。楔の間隔とそれを打ち込む深さは経験で決める。こうやっていつでも思うような石材を手に入れられるようになるまでには十年以上もかかるそうだが、そうなると仕事の達成感は他に替え難いという。通常は小さなブロックにして石塀などにするが、ある時そのようにして得た自慢の石材を使って大きな倉を建てた。頂部には自慢の彫り石を飾った。完工した後石工はいつまでも飽かずに建物を眺めていたという。こういう職人の仕事に少し羨望を感じる。

<日本画家> 17世紀末の画家渡辺始興を教育テレビ「新日曜美術館」で知った。大和文華館(奈良?)で11月12日まで公開されるそうだが、春日権現現記絵巻という当時の上流階級が打ち揃った祭礼の屏風絵は比較がむづかしいほど見事なもののようだ。当時宮中で1級の権勢を保持していた近衛家煕(この人自身花の絵などをよくし、日本画に一家言を持つすぐれた文化人だった)の厚い庇護と助言を受け、宮中や1級の寺社に納める絵画を多作する機会を与えられた。画風は品があり、ある時はお茶目で、ある時は勇気をもって対象を美しく精細に描ききった。洛中洛外図、四季花鳥図押絵貼屏風、桜花双雉図屏風などいずれも見事な作品のようで当時の日本画家で並ぶ者なく、また技術を後継する弟子も育たなかったという。後の世の円山応挙などには強い影響を与えたらしいが。こういった作品を文化庁あたりがインターネットで無料公開してくれたら多くの人が楽しめるのだが。版権の問題があるのだろうか。

<ロボット> ソニーが子ライオンをモデルにした第2世代のアイボを発表した。最大で50ほどの人の言葉を聞き分けられる「音声認識機能」と飼い主が付けた名前に反応を示す「名前登録機能」を具え、耳と尻尾で感情を表現するという。第1世代と同じくメモリーステックにすべての情報を蓄えるから、これを入れ替えるとガラリと人格(?)が変わってしまう。先日は本田技研が10年以上かかって開発した体長160cm、体重80kgの人間型ロボットが紹介された。長い試行錯誤で床面の凹凸で倒れない二足歩行を実現し、介護分野などでの活躍が期待されている。なおロボットというのはピアノ演奏のような敏速な動作と卵を割って丼に入れるように微妙な力の調節を要するような動作とは容易に両立できないといわれる。あるテレビのトーク番組で女性が一見普通の布製の人形を抱いて現れた。隣の椅子に置いているが話し掛けると適当な間合いで人形が色々と答えている。持ち主が云うには、あるとき「ブッ」と音がして見回すと他に誰もいないので人形に「あなたおならをしたの?」と尋ねると人形は「ヒミツ!」と答えたそうだ。多くの人が心の癒しを欲しているから、こういう愛玩用ロボットの市場は急速に立ち上がり拡大するだろう。

<鉄道狂> 「宮崎俊三の鉄道紀行」(角川書店)という資料を入手して読み始めた。膨大な資料だから容易に完読はできないが、その中に最長片道切符旅行というのがあった。退職直後の筆者は今のJR、当時の国鉄路線に継続利用して、同じ路線を重複使用せず一筆書きの如く乗り継いでいくことでどんなルートが設定できるかというテーマに挑戦した。昭和53年時刻表と首っ引きで、北海道の広尾を出発して九州の枕崎まで13320km、国鉄全線の63%をカバーし、前記2地点の最短ルート2765kmの4.8倍という代物を設定した。3、4日も後にごく近くまで戻ってくることが数回もあるのだ。交通公社で切符を求めると有効期間68日、代価65000円だった。酔狂の沙汰に近いが筆者はなんとこれを実日数34日をかけて実行しその旅行記を残した。途中で風邪を引き東京の自宅で寝込んだりしたから実際には切符の有効期間ギリギリで旅行を完成させた。相当に呆れたが私も大学4年の夏、見学旅行で長崎まで団体旅行した後住友機械新居浜工場見学のためにごく小規模ながら一筆書きルートを設定、一人で旅行したことがありその心情は理解できるので、すっぽかさずに旅行記を読み通しそのルートをJTB時刻表の地図で辿ってみた。するとこの鉄道紀行から20年以上経過した現在では北海道と九州ではアチコチで鉄道が廃止されてバスに変わりこのような鉄道周遊は実現できないことが分った。一方本州と四国は本四連絡橋と新幹線設営の影響とごく一部の路線の民営化以外はほぼふた昔前の鉄道ルートが残っている。一つ重要な変化は私も筆者も利用した仁方(本州)〜堀江(四国)間のJR連絡船が廃止され、瀬戸大橋を鉄道が通るようになっても一筆書きルートルートから四国は除外せざるを得ないことだ。結局現在では本州を除くと大都会と周辺を結ぶ放射状のルートしか経済原則が鉄道の生き残りを許さなくなっているらしい。          


過去の話題に戻る
ホームページに戻る