
<新市場> 横浜市西区のパシフィコ横浜で先月開かれたロボット博覧会「ロボデックス2000」は最終日に会場の収容人数を超える見学者が殺到し、終了5時間半前に当日券の発売を打ち切った。例のソニーのAIBOに次いで本田技研のASIMO、PINOなどこのところ新たな機能を備えたロボットが続々と登場して一般の関心が急速に高まっている。従来は大量生産の目的で工場内に設置された産業用のロボットがこのように愛玩用などに形を変えてきたのは一つには生産様式が多種少量で変動しやすくなった事と極めて多様で複雑なセンサーや制御用の電子部品の軽量化・微細化・低価額化がここへきて実現されたためだろう。これだけの人気を集めかつ多くの可能性をもつからには21世紀産業の発展の主役になるに違いないと信じる。技術的なテーマ、商品としての潜在的な要求も多いはずだ。かりに今私が若くこれから職業を選択する立場ならぜひともこのロボット市場に飛び込みたい。開発チームが必要だ。市場調査、企画、要素設計、総合設計、試作、商品化、宣伝販売とすることは山ほどある。特許取得の種も多いだろう。大学の新しい学科にしてもよいのではないだろうか。
<終焉の迎え方> オランダ議会はこのほど次の3条件を満たす場合医師に安楽死の施術を認めた。
1 治る可能性が極めて小さいこと
2 患者が著しい苦痛を訴えていること
3 患者が数回にわたり明確に死を切望していること。
他の国と違いオランダの場合在来も医師の安楽死処置を法的に厳しく糾弾していなかったようだが、このほどそれを合法化した。これは世界中の人々に大きい影響を与えることは確実だ。最近の病院は救急車で運び込まれた瀕死の人を単に延命する目的で本人や家族の意思に逆らっても人工呼吸器その他さまざまな処置を施す。苦しみ抜いて死ぬのも人に課せられた宿命という昔からの考え方は確かにある。生命の尊厳というのは安易に否定できないが、このように法的な枷は外しておくという考え方には全面的に賛成する。
<ワープロ礼賛> 最近ワープロソフトをMSWORD97からMSWORD2000に切り替えてもらった。従来このソフトには自分には必要のない余計なお世話的な機能ばかり目立っていらついていたのだが、ここへ来て便利な機能をいくつか見つけて満更でもないと評価し直す気になっている。その一つはこの随筆のような文章を書き下した時に突如助詞の下に青や赤でアンダーラインが現れることで、その部分をよく見ると文法的に誤りではないが例えば名詞の後に'の'を3回以上連続して繰り返しているなど読みにくい表現をしてしまっている。大抵は意味が通る範囲で修正することができてその結果色付きのアンダーラインが消える。読む人には気になるこういった箇所は自分だけでは読み返しても大方ウッカリ見過ごしてしまうだろう。ただしこの文の後方にも現れている(2箇所の*マーク)ようにどうにも直しようのない場合もあるがそれは放置するしかない。またこれは新たな機能ではないが、平生話し言葉として使うことが少ないために熟語の読みを誤って憶えている事があり、これを仮名漢字変換の段階でノーレスポンスの形で正されることがしばしばある。'じ'と'ぢ'、'ず'と'づ'*の使い分けは発音が同じだが同様に正される。一旦書いた文章を少し間を*置いて読み直してみると、書いたときには分らなかった不自然さに気が付いて文の後先を替えることは折々ある。このように諸々の点から人に見せる文章は手紙も含めてワープロのお世話にならずには済まぬ気になっている。前述の'余計なお世話'機能もワープロの設定をよく調べれば自分好みに如何様にも変えられる。横着をして威張っていてはいけない。(註 本文の原稿はWORDだが、ここではhtmlなのでアンダーラインが消えてしまっている)

<橋> ニューヨークのブルックリン橋は何度か見るたびに古めかしい由緒ありげな吊り橋だと思っていたが、NHKの報道で1867年から1883年にかけてローブリング父子(独)が実績もない事業に文字通り命をかけ、当時新しい潜函工法を用い土木工学の粋を集めて建設した成果だったと知った。丁度ローマ人の物語第9巻を読み終えたところだが、その中でローマ皇帝トライアヌスは講和を守らないダキア(現ルーマニア)を攻略するためにドナウ河を渡る大橋を石材と木材で建設した話が載っている。著者塩野七生もえらい。全長1135M、高さ27M、巾12M、これを20本の橋桁が支える橋の全体平面および側面図、拡大図、断面図を載せ、次のような解説をしている。/春の増水期に水をかぶらぬように橋は河岸から相当に離れた内陸地点から同じく岸から相当に離れた内陸地点まで岸よりかなり高く建設し、それに連なる道路も高低差なしに接続された。巨大な橋桁は隙間なく木の柵で囲みこんで水を排出しその中に建造するという原理的には現代と全く同じ方法で行なわれた。その下には隙間なく木材が埋め込まれる。意外にも木は水に強いのだ。/ こういう叙述は技術に理解のない単なる文学者ではとてもできない。この橋は帝国末期に木造部分が破壊され現存してはいないが、巻の後の方には現代に遺るスペインの深い峡谷に設けられたアルカンタラ石橋の写真と図面が載っている。橋の長さは通常の河巾の5倍を超え上面は見事な水平面になっている。これぞまさにローマ帝国が代々注力した橋と道路中心のインフラ整備事業の象徴だ。昨今日本でも本四連絡橋ができたが、2000年の昔から橋は公共事業の雄であり成果は偉大な文化遺産である。
<警報機> 朝ドラで主人公が人をアパートに訪ねるところで電車の警報機が鳴っている。昔京浜急行大師線沿線の社宅に入居していて、近くに踏み切りがあってこの音には聴き慣らされている。キンコカンコの音が暫く続くと電車の音が迫ってきて通過とともに警報機の音を拭き消していく。無意識のうちにこれが受容できるひとつのリズムになっている。この種の機械音は自然が発する諸々の音に比べれば抵抗がある筈だが、これが必ずしもそうではない。ひたすら続く静寂よりは適当な時間間隔で聴きなれた音がする方が心安まる人間くさい環境かもしれない。
<バブルと崩壊> 日本経済新聞社出版の"犯意なき過ち(検証バブル)"(副題 なぜ日本は道を誤ったのか)を読む。新聞に連載した記事を加筆したものだそうだが表面的な事実の記載ばかりで問題の本質が把みにくい。当方が経済にド素人ということが大きいが、塩野七生の力作を読んだ後だけに新聞記者というのは度し難い人種だと感じた。文句ばかり云っても仕方がないので私なりに整理してみる。嵐は85年からの国際協調(外圧?)による円高誘導に始まったのでこの年から現在までの16年について為替レート(円/ドル)、日銀公定歩合、日経平均株価、地価変動率(全国平均年率)、商業地地価(東京都区部、1982年を100%)、企業倒産負債総額を年ごとにグラフにしてみると何が起こったかがよく分る(原著にはこのような総括的なグラフがなく、あちこちのデータを寄せ集めて私が作った)。見たくない人もいるかもしれない。


<冬の訪れ> 地球温暖化といえども12月になったらみっちり寒くなった。血行障害のある身は足の霜焼けが悪化するのを恐れて早朝の散歩は時間を遅らせることにした。日差しがあると午前中は無条件に幸せに感ずるほど暖かくなるが正午を過ぎると途端にヒンヤリした空気が忍びよってくる。今年は庭の柚子が百を越える数の黄色な実を付け、もてあますほどだ。また侘び助が早々と11月の末から数えられぬほどの白い小さな花を咲かせている。どうも椿という花は年によって随分咲く季節が変わる気がする。
<モバイル> 郵政省が6日まとめた1999年度の通信利用状況によると、総通信回数に占める固定電話間の通話の割合が初めて5割を切った。携帯電話など移動電話間や固定から移動への通話が増えたため。総通信回数は前年度比5.8%増の1344億回。うち一般加入の固定電話間は同11.5%減の639億回と激減。シェア(占有率)は前年比で約9%下落し、47.6%と初の50%割れとなったと云う。3年前の初冬、筑波で情報通信事業発展の新しい傾向というテーマで2日間の講習があり、時代に乗遅れないようにと不自由な身体だが長く電車に揺られて出席したところこれからはモバイルの時代だと力説され、当時はそんなものかと思ったが情報端末の売れ行きはまさしくこの短期間の筆頭の変化に挙げられる。先日自宅の電話もインターネットも話し中の信号が出たまま外部と繋がらなくなり、仕方がないので公衆電話からNTTの113番に電話したところ、丁寧に状況を調べ(回線切替時のちょっとした行き違いによるISDNターミナルアダプターの誤作動が原因だった)対策を指示してくれ解決したが、携帯電話はないのかと尋ねられてなるほど一家に一台は携帯を所持すべき時代になったのだなと思った。高校、大学生でのケータイの普及率はほぼ9割だそうな。
<続 韓非子> 本年2月に韓非子の一部を紹介し、他の諸々のテーマに紛れてそのままになっていたが、このほど長大な説話の続きを読んだ。先に述べた'人に自説を伝えるのが如何に難しいか'というのは実は韓非子が比類なく見事な理論を秦の始皇帝に授けるに先立っての周到な断わりの一節だった。今から2000年以上昔に群雄割拠する広大な中国を始めて統一し、長大な万里の長城を建設し、墓所に兵士俑を始めとする膨大な副葬品を残すなど比類のない業績を始皇帝が独力で遺せたはずはないとは思っていたが、果たしてその陰には支配体制構築の理論を編み出しこれをじっくりと若き皇帝に教えこんだ韓非子がいた。予め孤憤、五蠧という為政者への問題提起書を人を介して皇帝に送り込んでおき、皇帝をしてこの著者に会いその説話を聴けるのなら命と換えてもよいとまで言わせていたのだ。尭・舜・文・武など古代の帝王達の儒教による仁義の実践は時代遅れで、無為にして政治を成立させる老子の理想を「治勢」(統治組織と政治機構)と「法術」(官場操作の技術)という政治学と「治道」(政治的な理想の追求)という政治哲学とから成る「支配体制論」にまとめたというのである。演繹すれば長くなるが、刑(殺戮を含む刑罰)と徳(爵録などの褒美)および群臣の能力考課から成る法術によって官僚を統制し、民衆は支配者の存在を知らないでよい世界を目指そうとしたと言うものだ。1800年後に西洋でマキャベリが宗教と倫理を切り離した政治哲学を作ったが、韓非子の理論体系はそれと遜色なくまた以後にこれを超えるものが出ていないという。法学部なら多分ここまで教わるのであろう。それにしても漢字のヴォキャブラリは宏遠で昔の人の読書に現代人は容易には及ばぬ気がする。

<割り算> 一流大学の学生の中に分数計算ができないものがかなりいると言う。これを聞いて私も忘れてはいないかとメモ用紙の上で割り算を試してみた。確かに卓上計算機が手軽に使えるようになって複雑な計算を紙の上でやる必要が激減した。実生活で通分とか約分など必要とすることは滅多にないだろう。しかし分数計算どころか受験科目に理数科が減り、学生が理数科離れをしているというのには納得がいかない。責めるべきは学生というより寧ろ教育当局の姿勢だ。 採点しやすいからと暗記すべき知識内容ばかり増やして、論理構成を綿密に組み立てる習慣養成をおろそかにしては技術者は育たない。九九や漢字、仮名遣いなど基本的な知識を叩き込んだら、後は応用の利く物の考え方に重点をおくべきだ。その意味では誰にもある程度理数科の履修は必要と思う。藤村某氏が関わった古墳発掘の記事を教科書から慌てて削除したりしているようだが、この種のテーマを試験問題に出すこと自体愚劣に近い。
<国境> 台湾に生まれ香港に育ち長じて米国と日本を往復して暮らした日本語作家リービ英雄の随筆を読む。特殊な経歴の人だからなおのこと、言語・民族・文化・宗教・政治と国境に強い関心を持ち、しばしば中国、ドイツ、朝鮮半島などを旅行しては観察し考える。こういう人の話に接すると島国日本という地理的な環境が世界の中でいかに特異な(恵まれた)ものであるかつくづく考えさせられる。海という国境が先祖伝来単一の言語・民族・文化・宗教の世界を保護し、他からの外乱に影響されても何とかそれを吸収し自分のものにして分裂を免れてきている。そしてこの国籍を明かさぬ著者が最も親しみを込めて記すのは本州北端日本海に面した津軽地方の風土である。風景の密度と称する少し移動するだけでめまぐるしく変わる風景や意味不明だが心安まる津軽弁そして静寂な七里長浜を心から愛しているようだ。日本の中でも独特で昔から変わらないものがある。宮崎俊三の随筆にも出てきた津軽弁の会話を私も聞いてみたくなった。
<続 バブル崩壊> 新幹線、ITなど相変わらずの公共事業中心の2001年度借金予算が成立しかけているが、一方バブル後遺症は収まるどころか更に重症化しつつあるように思われる。
