
<今年の目標> 今まで漫然とその都度感じたことを綴って来たが、今年は意図的に月ごとにテーマの分野を設定してそれを中心に話題を展開しようと思う。もちろん似た内容ばかりでは飽きも来るし肩がこるから息抜きの部分も設けるし、そう几帳面に実行する気はないが、取材(主として本からだが)をするにも一つの分野を中心にする方がやりやすい。尤も気が変わりやすいことだからいつまで続くかは保証の限りにはあらずだ。今月のテーマ分野は「過去の人類の文化遺産」を中心としたい。人間は新しがり屋でつい古いものを軽視しがちだが、大抵の場合は堂堂巡りをした挙句先人の成果の二番煎じを演ずるに過ぎないのだから、祖先たちの業績にスポットライトを当てることに無駄はないと信ずる。
<日本語の語源> 過去の日本は中国から韓国を経て日本列島へ伝わる文明の最下流にいて専らその恩恵に浴していた筈である。遣唐使とか仏教の伝来などはその最たる例である。
にも関わらず自分達の使っている言語に関しては日本人の祖先たちが創り上げたように何となく錯覚している向きが多い。かく申す私も今まで迂闊にもそうだった。
最近 李 寧熙女史の「日本語の真相」(文春文庫)を読むに及んで目が醒めた思いになった。言葉は支配者の言葉で統一される。古代日本にやってきた韓国人グループは「稲作」・「鉄器」など先端文化を誇る支配集団であった。韓国内部での部族国家間の紛争や気候の変化などで韓国人(特にエリート集団)は温暖で自然の豊かな日本へ凡そ三波に分けて大挙渡来した。
第1波は紀元前3世紀から紀元1世紀にかけて新羅やその前身の部族国家からで古事記・日本書紀にその跡を残した。第2波は4世紀末高句麗に攻められた百済からで多くの日本人の漢籍をもたらし、漢字の日本式音・訓に百済語の跡を残した。第3波は7世紀後半の百済・高句麗滅亡の波で権力層は学者・僧侶・医者をはじめ諸分野の専門家を伴い日本へ集団亡命し、8世紀前半に編集された古事記・日本書紀・風土記・万葉集に高句麗ことばと百済語の跡を残した。
韓国語が日本語に変貌する過程は主として次の3種で
1 濁音が清音化されるなどいくつかの音韻変化の法則による
2 発音は似ているが意味がずれていく変転で、主として身体の各部名称・天体・気候に関する純日本風な言葉は古代韓国語から発祥している
3 吏読表記(古代韓国語は韓国独自の表記文字がなかったために漢字を媒介表記した)を訓読みなど時期や作者によって各々少しづつ異なる読み方に極めて多様に変化し日本語に移植された
どれだけ多くの人が関与したか分らないがこのような摩訶不思議な変転過程を経て、現代韓国語とは似ても似つかない流麗な現在の日本語ができた。日本語側から読解不可能な万葉集の句が古代韓国語からは容易に読めるとか、意味なしとされている枕ことばが古代韓国語では立派に意味をなすとか、漢字に直結しないいわゆる大和言葉は実はほとんどが古代韓国語からスンナリ移転してきたなど、これまで知らなかった幾多の事実を教わった。近代歴史の短い過程だけから日本人に中国や特に韓国の文化を軽視する傾向がなきにしもあらずだが、この際日本語の語源は古代韓国語であることを銘記すべきである。大和に全国統一政権を創った初期の天皇たちはいづれも韓国出身者であることも否めない事実のようだ。恐らく体力・知力ともに日本列島原住民に勝っていたのであろう。
<教育勅語> 教育ニ関スル勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々其ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ国體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
必死になって欧米に追いつけと近代化のために日本中が躍起になりようやく目鼻がつき始めた明治十九年に明治天皇は「わが国の教育は科学の研究のみで、バランスが欠けている。日本の精神道徳の研鑚がない。また修身の学科を設けるべきである。」と述べられたという。もちろん誰かの建言があってのことだろうが、その後道徳教育について盛んな議論を経て四年後に上記の教育勅語が発布された。私は国民学校(今の小学校)1年から6年半ばまでこの勅語を教え込まれ暗記させられ最後は誤りなく白紙に記述させられた。
戦後GHQは軍国主義の徹底的な排除を名目にしながら、内実は日本人に民族的優越感を持たせることを懸念してこの勅語を廃止し「精神的な武装解除」を行なってしまった。結果として日本は戦後55年経った今でも、明治天皇の指摘したバランスが欠けている状態のままになっている。少年犯罪が激化し教育危機が叫ばれる現在、利他の心や愛国心を養い歴史を重んずる教育のコアが欠如している。
この勅語は私より若い今の日本人にはなじみにくい文体だが、朕とか臣民という一部の表現と当用漢字・仮名遣いさえ変えれば道徳教育の根幹として必要なことを落ちなく網羅していて説得性もある。
近頃は身が引き締まる機会も減ったが、教育の細部を論ずる前にぜひともこの教育勅語の精神を復活させるべきだ。メッセージを誰がどのような形で発するかは権威を重視する点から問題が残るが。(参考 今こそ日本人が見直すべき教育勅語 濤川栄太 ごま書房)

<ナスカの地上絵> 楠田枝里子という元日本TVのアナウンサがペルーの砂漠にドイツ女性数学者マリア・ライヘを訪ねた手記を読んだ。マリアは1932年インカの遺跡を訪ねてクスコへ渡り1939年ナスカで地上絵の不思議に出会って以来現地に永住してその研究に没頭し、1952年にはサルの地上絵を発見した。
飛行機など上空からクッキリと浮かび上がるラインは地上では何も立体的な特異な仕掛けはなく、ごくきめの細かい白い大地の上にバラバラと酸化して赤茶けた石が転がっているのをラインに相当する巾でどけてやるだけなのだ。足元ではおぼろげなラインは遠くに行けば行くほど明暗が付き際立って蜿蜒と続いて見える。マリアは観光客などによって乱されるこのラインを修復するために箒を持って歩くので魔法使いのおばあさんというあだ名がついた。宇宙からの使者へのメッセージとか不思議がられているが、脚立で地上3メートル位の高さに立てば何とか絵を部分的に眺めることができるという。地上絵はナスカ文化の担い手によって描かれたことが年代測定法ではっきりした。またハチドリ、シャチといった地上絵のモチーフとナスカの土器の表面や布地に織り込まれた絵模様が見事に照合一致するそうである。
しかしこの壮大な絵を古代ナスカ人がつくりあげた動機や技術の全貌はマリア・ライヘの生涯には明らかにされなかった。
<マキアヴェリ語録> ニコロ・マキアヴェリは十六世紀のイタリア、フィレンツエ共和国に生きた思想家で、君主論・戦略論・政略論などの著作を残した。彼の政治哲学は政治とは場合によっては人倫の道に反することでもやらなければならないと、当時の社会で圧倒的な勢力を有したキリスト教の教義も部分的には否定する実際的なものであったがために反対者も多かったという。これを紹介した塩野七生は連作ローマ人の物語の著者で、「わが友マキアヴェリ」という作品を書くぐらい彼に心酔している。私が読んだのは彼女による著作の抜粋で、私がメモに残した項目だけでも65件に上るノーハウ集である。
抜粋は「重要なのは如何に生くべきかではなくて、実際にどう生きているかである」に始まることでも知られるように、人間社会の実際に即した知恵が列記されているのにつくづく感心した。時代を超えて通用する名言で、政治支配者だけでなく、企業の経営者にも大いに役に立つだろう。多くの語録をここでズラズラ書いても仕方がないので、気に入った一文だけを紹介すると「運命は変わりやすい。運命の波に呑み込まれない唯一の道は時の流れと自分のやり方を合致させることである。そして慎重よりは果敢である方がよい。運命は女神だからだ」。粋なことばではないか。今後も折にふれて別のを紹介したい。


<横綱> 曙が引退した。経歴を見ると1988年来日して以来、92年から95年までに優勝8回。横綱在位48場所だったが、95年以後全休9回と怪我に苦しんだ。途中97年に1回と2000年後半に2回優勝したが、実は去年1年ずっと膝が痛かったという。通算優勝11回は歴代7位で決して悪くない。身長203cm、体重233kg。外国人として始めて横綱に登りつめ巨体で圧倒する攻防のない相撲だったが、角界の伝統・風習を日本人力士以上に理解し振舞った。20世紀最後の場所の千秋楽に優勝を決め、それが最後の土俵になるとはこれ以上劇的な幕切れはない。苦痛はよほどだったと思うがよく頑張った。ご苦労様。まだ若いのに勝つために体重を増やした結果、多分私と同じ動脈硬化で今後痛みは一生続くだろう。スポーツは辛い犠牲を強いるものだ。

<嗜好の変化> 自宅で気の向いた時に対戦できる囲碁ネットを利用する機会が最近メッキリ減った。一時は節度を保つために打ちたい気持ちを抑えて一日一局としていたが、ここ2ヶ月余りほとんど対局はおろか観戦もしていない。きっかけは上級者との対局で2局ほど自分の読みの甘さを思い知らされてからだが、限りある人生の時間を特段の成果も得られない烏鷺の争いに費やすことの虚しさを感ずるようになってしまった。対局のお誘いとも見られる年賀状を2,3通頂戴したが、自分の知らぬことが世には多いことをいやというほど知らされる昨今、少しでもそちらの方面にエネルギを費やしたくなった。その内にまた気が変わるかも知れないが。
<物つくり大学> 永六輔が力説している。幸田露伴の「五重の塔」を教科書にして、従来の教職の資格に関係なく根っからの職人たちを教師にできれば物つくり大学は成功するだろう。大事なのは道具を大事にし、理屈を説く前に腕を競う職人根性である。こういう日本古来の伝統がこの大学で活かされれば、K.S.D.の汚職騒ぎでケチがついたが名誉挽回できるだろうと。だがこれは云うべくして実現は容易ではない。親方と弟子の関係は大学にはなじまない。官僚主導で従来の大学とは全く別の発想で運営できるか疑わしい。