
<開花> 庭の紅梅が突然咲いた。気をつけて見ていれば数日前から開花間近の蕾だったはずだが、うっかりしていた。ここ2・3日の陽気に誘われたか。先日は東京ドームで蘭展をやっていたが、あれほど派手ではないが咲き誇る素朴な赤い花は無条件にいい。今年の冬は例年より寒さが厳しく北国の雪は多かったようだが、暦どおりまた春がきた。春一番の強風が吹きまくっている。季節としては気温や天候の変動が大きいものの、夜明けが早くなったこの時期は気分を明るくする。
<不良債権> "誰が国賊か"(文春文庫)という派手な題名で谷沢永一と渡部昇一が対談形式で官僚批判をやっている。1990年3月末に大蔵省の土田正彰銀行局長は日本中の金融機関に対して「土地関連融資の抑制について」と題する通達を発した。俗に"総量規制"とよばれるこの措置で、頭打ちに近づいていた土地価額(昨年12月の話題参照)は当初の2ヶ月で全国平均3割下げたと言われる。買った土地を担保に銀行から融資を受け、また有望な土地を買うという行為を繰り返していた不動産業者はたちまち干上がり、3割で660兆円の富が宙に消えた。ご両所に言わせるとこれは私有財産に対する明らさまな攻撃で天人ともに許されざる大悪行だと。
この際昨年末に引用した日経の「犯意なき過ち」を読み直し、書かれている多様な事実をK−J法で整理してみた。例の"混沌をして語らしめよ"と言う手法である。カードを整理していくと次のようなグループ化が自然にできた。まず「要因」として地価・株価・海外環境・倒産が上がり、次に「事業体」として銀行・企業・生保・証券・ノンバンク・住専が、そして「施策」として行政・日銀・公的資金・官僚・総合政策が、またこれら全体を包むものとして社会心理の各グループが5〜10件のカードになった。これらをそのグループの中で時系列順に並べてみると何が起こったかが総観できる。
云える事はいくつもあるが冒頭の総量規制は事態深刻化の一つの要因でしかないということで、91年12月にこの規制を解除したときにマスコミは一斉に土地が再騰貴すると懸念を表明したし、90年当時年収の5倍で住宅取得の公約が困難になることから地価下げが国是(?)となったとまで書いてある。当時は全体の資産額より不平等の方が問題と考えたのかもしれない。ほとんどの人は地価が10年以上経った今でも下がり続けている事態を当時夢にも予測しなかったようで、地価の経済特性を皆が無知であり高い勉強代を払ったというのが実態のようだ。
但しその間において官僚天下りにからむ諸機関(事業体参照)が行政による様々な優遇を受け、融資に際しての担保の取り方や借金の取り立てなどで金貸し業の辛酸をなめた人から見ればあきれ返るような杜撰な運営をしたのが膨大な不良債権発生の最大の要因らしい。この負債を日本国民が一律に負担するなどということになれば新世紀最大の不正義になる。社会心理学を昔大学で教わったが、マックス・ウエーバーなんてムヅカシイ話よりこれこそ格好のテーマだ。
<デイジタル放送> ビートたけしの兄貴とNHKのきらりちゃんがさかんに宣伝しているBSデイジタル放送は世間では一向にもてはやしていない。新聞は裏面に掲げた在来のテレビ番組欄の他にずっと離れたページにNHK、民放と並べてデイジタル放送の番組欄を設けているが、中身を覗いてみると「デ」とマークしてある番組は1日に2,3しかなくそれも過去のオリンピックの再録など魅力のないものだ。察するに受像機の価額が高くよほどの物好きでないと購入しないから、視聴率が在来放送に比して極端に悪く、番組制作の予算がつかないのだろう。それと在来の受像機でもデイジタル・チューナさえあればデイジタル放送が受信できて双方向性が活かせるというのだが、画像が今まで通りで視聴者へのアンケートに答える機能だけで10万円もするというのではこれも買う人はなお珍しいだろう。要は騒ぐ割にメーカの販売価額との連帯協調ができていないから市場がそっぽを向き空振りなのだ。普及するまで1年以上はかかるだろう。

<偶像破壊> アフガニスタンのイスラム原理主義タリバンは国内の仏像の徹底的な破壊を行うと宣言した。これに対して国連筋はこれを信じられない暴挙と述べたと伝えられるが、考えてみれば信教の自由を謳う以上、一切の偶像を否定するイスラム教の教義からしてアフガン居住民の総意とあれば、これは世の一般の文化人には残念でも仕方のないことだろう。既に岩壁に彫られた巨大な仏像の顔面は彼らの先祖によって無残に削り取られている。なお圧力を加えるなら先進国の傲慢と取られても仕方がない。ニューヨークのメトロポリタン美術館は費用を出すから譲って欲しいと呼びかけた。もしこれに応じるなら信徒からすれば神を恐れぬ堕落した所業で収賄罪ではないか。国会は平山郁夫画伯からユネスコへの訴えを応援して外相代理を派遣するといっているが、私見では日本人は宗教についての考えが甘すぎる。戒律には命をもかけるものだろう。
<地名> "地名の世界地図"という本を見付けた。世界各地の地名の由来というものを解説している。止むを得ないことだが地名は征服者の一方的な事情で付けられることが多い。民族大移動や探検など地球上のあらゆる地域は人類の興亡の歴史を秘め、その片鱗を地名に留めている。覇者の交代で都市の名が変わる例は多々ある。アレキサンドロス大王が遠征した後一時はアレキサンドリアという都市が70もあったという。日本に関連したものではウラジオストックが「東方を征服せよ」の意だったそうで日露戦争以降の日本にとってのロシアの脅威を如実に裏付けるし、別の話として日本北部の先住民族だったアイヌの付けた地名を彼らが表記文字を持たなかったために後から来た日本人が勝手に漢字を当てはめて奇妙奇天烈なものにしてしまった。北海道をはじめ樺太・千島・東北地方までアイヌ語で読み解くと意味がハッキリしてくる地名が多いという。せめてカタカナ表記にしておけばよかった。
<不況対策> 私のような経済の素人が口を出すことでないことは承知しているが、昨今の状勢はあまりにひどい。景気回復のためと称して毎年バカの一つ覚えのように政府は公共事業に多額の予算を投資し、まず予算があって対象を何にするか考えるようになってしまった。宮沢蔵相はあと一息だこれが最後だと予算委員会で言い続けたが、ここへ来て同じ委員会の場で経済は破綻に瀕していると述懐した。彼の無力な顔が未だ公人として出現しているのが情けない。株式市場の急落を受けて今度は政府与党が株式を買い取る民間会社を造ると言い出した。そして株の低下が止まらなければいずれ公的資金で買い取るなどと言っている。そんなものが何が民間会社か。親方日の丸で命じられるままに買っておけば後はお上が面倒見てやるなどという重大犯罪にも等しい政策を性懲りもなくまだやる気か。市場のメカニズムに乗って行動し誤れば自ら責任を取るのが民間の商行為で、政府が手を出すのなら民間会社ではない。住専と同じだ。マスコミは阿呆か。国民は黙っているのか。不良債権の処理は先送りを許さぬ時期に来たというが、今求められるのは在来分も含めた公的な債務を今後誰がどのように負担するかの基本方針を立て、条理を尽くして国民を納得させることだ。その覚悟のない人が首相になっても仕方がない。

<椿> インターネットに大東京火災の椿絵美術館というのがあり、元禄時代から現代までの諸画家の作品が見られる。原種はヤブツバキだが2代将軍秀忠が愛しこの時200種、元禄時代には600種、現代では1300種といわれる。学名はCamellia Japonica ― 日本原産を意味し、椿という字は万葉集から出現し春を告げる花を意味する。茶の湯の花として愛された。石畳に落ちて雨に打たれている様なども風情がある。
<咀嚼> 京大名誉教授の大島清氏は人間の脳は400万年前に二本足で歩き出したときには400グラムしかなかったが、味わうために粗咀嚼から精咀嚼に切り替えてからあごが発達し脳は1000グラムに増えた、言葉によって人は考えコミュニケーション能力を飛躍的に高めたがそのコトバを扱う脳の発達を促したのは咀嚼力だったと説く。また運動によって脳へ伝わる刺激を100とすると手から25%、足から25%、残る50%は顎つまり咀嚼運動から入るのだと。本当かなと半信半疑だが、噛むのが大切な事はよく分かる。先日のテレビで昔山野を駆け巡っていた日本人の典型的な顔の骨相と最近の平均的な若者の顔の骨相とを比較していた。前者は下顎が発達し顔の底辺が広く逞しいのに比し、後者は下顎が細くすんなりして貧弱で頼りがいがない。それはマクドナルドやコンビニの簡易食品になじんでロクに噛まずに清涼飲料水とともに呑み込む食生活の変化のせいだと説明していた。ゆっくりと噛み沢山唾液を出し消化を助けないと脳も活性化しない。顔の骨相からして粘り強く耐久力があるかどうか想像がつく。食生活は心身ともに人を退化させるか。
<ユーゴ紛争> バルカン半島というと日本人にはあまりなじみがない。その中にある旧ユーゴスラビア連邦は日本と利害関係が少ないのであまり知らない人も多いが、イタリアから見れば日本から見た朝鮮半島の如き地理関係にあってせまいアドリア海ひとつ隔てた隣国である。分裂後のユーゴの内戦と混乱はまことに悲惨でNATO軍のPKO部隊をもってしても収拾がつかず、世界各地の紛争の中でも最も将来の見通しのつかぬ地域になっている。10年ほど前にどの陣営かは忘れたが若者が次々と勇躍戦地に赴く姿をテレビが放映した。そこでは相手の集団を葬ろうとする殺意をまざまざと感じて驚いた。ここには五つの民族・六つの共和国・四つの言語・三つの宗教・二つの文字・七つの隣国があると云われる。諸民族にはオスマン・トルコ以来の獰猛の血が流れている。セルビア人には昔イスラム教に改宗し特権を与えられて地主となったモスレム人に小作人としてこき使われたことへの敵意がある。第2次大戦中カトリック教徒のクロアチア人はナチス・ドイツと組んでギリシャ正教のセルビア人を弾圧した。また旧ユーゴには経済発展の南北格差があり、工業化が進み富める北部のクロアチア人は南部のセルビア人を助ける多額の分担金に不満をもっていた。民族のモザイク模様は相次ぐ報復に対立を激化しているが、更にはモスレム人にイスラム諸国が、セルビア人には同じスラブのロシアが、またクロアチアにはドイツや西欧が味方するために内戦は国際化している。積年の相互の怨念は高まる一方で、異なる宗教間の対立には宗教による救済が期待できないのは大いなる矛盾だ。私は並立する一神教は平和の確保に有害無益であり、それぞれの開祖はこのような状況を見通していなかったと思う。こうなると頼れるのは多神教である仏教だが、仏教にも他教まで包容する力強さは全く望めない。

<弘法は筆を選ぶ> 空海に関する書籍を少し集めているが、手始めに読んだ司馬遼太郎の歴史小説からオヤと思う箇所を見付けた。空海の書を高く評価していた嵯峨天皇の請いを受けて4種の狸毛の筆を献上し、それに添えた文に「良工ハ先ズソノ刀ヲヨクシ、能書ハ必ズ好筆ヲ用フ」とあり、更に文字によって筆を変えねばならぬ、文字には篆書・隷書・楷書・行書・叢書・藁書の筆を変えよと言っている。この狸毛による筆の製作は空海自身が監督したのだという。俗に「弘法は筆を選ばず」というが、一体どうしてそういう真反対の話になってしまったのか。なお上記のほかに空海は嵯峨天皇が感嘆したという飛白書という書体を能くしたといわれる。一度見てみたい。