話題提供1


1998年10月


*  官房長官が記者会見で「これはまさに世界恐慌というべき事態であります」と述べた。蔵相はG7会議で13兆円を超える公的資金枠の確保(投入)を約した。失業率が4.5%を上回った。日経平均が一時13000円を割り込んだ。銀行は評価資産の目減りから更に貸し渋りを強めざるを得ないと言う。いわれるところのデフレスパイラルに入っている。このような経済状況において大半の人たちが未経験のために明確な処方箋をもたない。民主主義の時代で国会は素人目にもモタモタして果断な方策を打ち出せない。日本発の不動産価額低迷に起因する不況はアジア経済を日本の凋落を一桁以上も上回る規模で襲った。それに加えて政治改革に合わせて適正な経済改革が行われなかったロシア経済の急激な失速は世の人たちの予測を全く裏切ったし、今後の見通しが立たない。果たしてこの激動の行く末はどこまで行くのだろうか。

*  月刊誌致知をひもどく。クソ真面目な本だがたまにはこの世界につきあう必要を感じる。忠恕(カナ漢字変換で真っ先にこの字が出てくるほどの思想とは今の今まで知らなかった)を説く。忠とは理想を追求し、進歩向上を求めてやまぬ精神と努力。恕とはそれに伴って一切を包容し育成していく仁愛と寛容。こういう気持ちの持ち方は会社に勤めているいないに関わらない人の生き方の基本だ。

*  JAVAの習得、N88BASICで作成したプログラムのFBASICへの転換などの作業を通してこれらの世界が正規の手続きを外れた際に作業者に見せる無愛想さとマトモにつきあっている。昔プログラムを作るときは他の世界を知らずこれと辛抱強くつきあったが、WINDOWSの世界に慣れ、細かいルールを忘れがちな今はこの不親切さが我慢できなくなりすぐ挫折する。日を改めて気を取り直して再挑戦するが、能率の悪いことである。

*  グローバル化が進み規格類もヨーロッパを中心とする世界標準に統一されつつあってJISなどの国の規格は実質的にISO規格に書き改められつつある。研究論文を自国語で書いているのは今や日本以外にはほとんどないような状況らしい。情報化の時代が必然的に行き付くところかもしれないが、そしてまた経済的にも失速し少子化が進んで一時唱えられたRISING SUNの面影も消えてしまい自信を失いつつある日本にとって強弁ととられかねないが、敢えて日本語の優れた構造とそれ故の発展的な存続を改めて主張したい。  このような駄文でも平仮名と漢字、カタカナと英語(稀にその他の国の言語)や各種の横文字略語を織り交ぜることは作成能率上は若干の犠牲を伴うが、思想を人に伝達する上で一元的な文字構造を用いる人達が享受できない視覚的に大いなる便宜を供与する。それはあたかも黒白の画像とカラーの画像の差異、あるいは二次元の画像と三次元の画像の差異にも相当するように思われる。私自身英語を読み書きする面倒さとは別にこの優れた言語体系を自由に使える環境を与えられたことを神に感謝したい。

*  画像データが文書に比して多くのメモリーと無視できないCPU処理時間を要することは知っているつもりだったが、インターネットで取り込んだ画像をじっくり見るために尺度を2倍にしたらその画像を呼出すのにやたらに時間がかかる。面積が4倍になった(画面の画素は増えていないらしくキメの粗い絵となった)のだが、呼出し時間は4倍どころか64倍ぐらいの大幅増になった。データ量と処理時間は比例関係にはないことは明かだ。

*  ルーブル博物館のホームページからモナリザの絵をパソコンに取り込んだ。直接のサイズは上記の尺度でも取扱限度一杯に近いと感じた。とにかくこのような名画を画面に自由に呼出して鑑賞し、拡大縮小、印刷までできるようになったことに感激した。一方で博物館に展示されている他の絵も合わせてこの時代の絵画は圧倒的に人物画が多く、現代と違って当時は写真という手段がなかったためにそれは記録写真の役割を果たしていたことを改めて感じた。モナリザの微笑というがモナリザは決して笑っていない。背景はそれだけ取り上げても目を見張る変化に富んだ渓谷風景らしいのだが、精細に書きこまれたモナリザの顔の周囲ではピントが合っていないようにぼかしてある。印刷した結果は残念ながら色調が暗くなりかつ鮮明度が落ちて画面に比してかなり見劣りする。

*  「海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ 省みはせじ」という歌を思い出した。ついこの間まで耳にしたように感じるが50年以上立ったはずである。戦争から隔絶された時代に生きてこのような美学から全く無縁になってしまった。退職後は年金の範囲でつつましく生きるべきと家内は言う。一方で少子化の現状から厚生省は今後の年金支給開始年齢の高齢化と支給額の低減を検討中と言う。死ぬ気になれば何でも我慢できるわけだが。今の自分は障害は持つとは言え過分な境遇と感じる。しかし働いている若い人達のことを考えると安穏な日々を過ごす気になれない。

*  先行きの見えない激しい経済変動の中で諸井 虔は言う。自分の生命を捨てるつもりでなければ改革などはできないと。また言う。今は創造的破壊しか解決の道はないと。今までの政治経済システムは否応無しに変わらざるを得ない。問題はどのような経過を辿って変わっていくかだ。このような時こそ優れた指導者の傑出した指導力が切望されるのだが。

*  足先の知覚があまりないので知らぬ内に傷ができてそこらを血だらけにしたりする。またタイミングよく消毒とか外気との絶縁をしそこなって腫れ上がり鈍い知覚を切り裂くような痛みを生ずる。こうなると足の血行が悪いために中々治らない。二度も医者にかかって厚生物質の入った薬をもらう羽目になる。テレビの健康番組で歩くことは心臓を補う血液のポンプになるという話を聞きなるほどと思って涼しくなったことでもあり、コレクションの画像を葉書に貼り付けて母へ送るポストへの投函を兼ねて雨に降り込められぬかぎり毎日歩くことにしている。こうしてから薬より治療効果が出てきたように感じる。

 

1998年11月


*  7月から朝日と日経をやめて毎日新聞をとりはじめた。これに対して朝日新聞販売店からの巻き返しがただ事ではない。今日までに都合7回を超える復活要請が人を替え陳情の内容を替えて繰り返しなされる。タッタ一軒のためにと思うが長期契約者としてコンピュータリストに載っているのだそうで、販売店の努力不足を本社から再三にわたり責められるのだそうである。配達の仕方に不満が有ったわけではない、あくまで一つの新聞だけとつきあうことに飽きが来たためだ、販売店の責任ではないというのだが今日も2年先の契約書とビール券をもってきて何度も頭を下げるのでついに大きい声を出した。世の中くだらん仕事を生業にしなければならん人たちがいるものだとやりきれない気持ちになる。

*  年の終の大相撲が始った。私が好きなのは土俵上で勝負が決まった一瞬である。運動選手らしくダメを押すような動きはめったに見られない。勝ち誇る表情を見事に消している。立合いの骨もキシむような激突に続く渾身の力を搾り出した後で戦いが終った時の安堵感を秘めた静かな表情に力士の美を見る。

*  尾篭な話だが便秘で苦しんで先週遂に松島病院へ行った。病院の対応は後から考えても間断なく診断も投薬も適切であれほど苦しんだのがウソのように快便でこの気分のよさは何物にも替えがたく、生きている幸せを享受している。まさに医は仁術である。ところでその際血液検査をして血小板が正常値の約7倍の180万ということで、予め申し出てはいたが診察をしてくれた医者に帰るところを呼び戻された。今年始めに慶応大学の信濃町病院の血液内科で骨髄検査をされた話またその前に投薬処方を出された話をした。血小板が多いと言うのに中々血が止まらない、何故こうなるかは知らないがそれへの対応として血小板の数が増えているのかもしれない、よく分りもしないのに一生そんな薬を飲むのは厭だから飲んでいないと言ったら、その女医は妙に納得した顔でその薬は多分無理やり血小板を減らすのが狙いだろう、自分もこんなに高い血小板の数値は始めてだったのでと私の判断を暗に認めるように言った。

*  澤地久枝という嘗ての作家が沖縄に移住して若い人たちにまじって沖縄大学に通っている。この世に生まれてきて限られた世界だけに止まらない生き方をしたいと作家生活をみずから放棄したと言う。鳥の目、虫の目という見方を挙げ、国の多くの政治家が東京から沖縄を見るのは鳥の目で画一的包括的な見方になってしまうが、在来はこれが正しい見方とされてきた。しかし沖縄に来て現地に来て直接見聞きすることはこれとは異質であると述べこのような虫の目の見方の大事さを力説する。年寄りは既成の物の見方から中々抜け出せなくなっているが、若い人たちは柔軟な考え方ができるのでもっとコンタクトしたいと嬉しそうに言う。

*  京都の文化の紹介の中に香をきくという話が出る。仏教とともに伝来し室町時代に茶道、華道とともに香道として京の文化の中核をなした。座禅で想念を無にするために香をたくというのが無碍の効果をもたらすというし、五感の中で平生の生活の中で最も活用していない機能を刺激して全人的な活動を図るということはよい結果が期待できる。煙草より明かに健康によいし、これからの自分の生活の中にもっと積極的に取込みたい。

*  先日ザ・ホテルヨコハマでフランス料理の夕食会に招かれたが、時間に余裕があったので2階のホールで開かれていた「ヨコハマを描く淡彩画展」というのを覗いてみた。40点ほどの絵がホールの壁に架けてあり観覧者はほとんどいない状況で自由に回ってみて最後は全体が見渡せる中央のソファで休みながら改めてユックリ眺めることができた。事務局とおぼしいやや年配の女性がやってきて親切にも簡単に淡彩画の説明と神奈川淡彩画会の紹介をしてくれた。HBから4Bまでの鉛筆で輪郭を描きその後で水彩絵の具で軽く色づけする。本来は油絵の下絵として用いられていたが、この会の会長の柴山という人などが中心になってこれを一つの絵のジャンルとして独立させたのだと言う。絵の対象としてレンガづくりの横浜記念館や氷川丸が複数選ばれていた。建造物などの人工的で局部的に同じ色が塗り絵のように色づけできる対象に部分的に植物などのやや不規則な形状を組み合わせたのにこの絵の長所が発揮できるように思われた。矢張り近くで細かい表現を確かめるのがよいので油絵のように遠くから眺めては絵のインパクトが薄れてしまう。ただ私のように手が不自由な者にとっては油絵はとても扱えないが、この淡彩ならやればできるかもしれない。

*  在社中に職場を共にした女性3人と食事会をもつ。場所の選定を彼女らに任せたら関内駅近くの天ぷらの店だった。二階の和室に上がってあぐらをかいて座ったが約2時間で体が反逆し背筋が痙攣した。もう座っていられないので椅子を持ってきてもらい、更に立ち上がったが痙攣が周期的に起こり、歩行も困難になった。やっとのことで車を拾って帰宅したが寝床に入っても痙攣が止まらず寝付くこともできない、これは俺の新たな持病になるのかと暗澹たる気持ちになったが午前2時過ぎにふっと消えた。自分の体のことは分っているつもりだがまだまだ分ってはいない。

*  パソコンのプリンタが作動しなくなってしまったと言って有吉さんに来てもらったら紙送りスイッチを押すだけのことだった。プリンタ発色の調整を試みた後で発色が大幅に狂ってしまい手におえないので再度メールで相談したら今度はインク切れの警報は出ていないものの赤のインク切れだった。インクカートリッジを取替えたが警報が出ないうちに取替えたせいかインクの使用量表示が取替え前のままで、使用再開後じきにインク切れの警報が出てインク切れの赤ランプが点滅しぱなしになったがまだ実質的な残量は多いはずなので構わずそのまま使っている。この新しい環境にはいくつも慣れないと分らぬ問題が潜んでいて、考えてみれば新しい職場に入った新入社員と同じでまごついてばかりいる。まだしばらくパソコンとその周辺機器にからんでこういったトラブルと取り組まなければならないだろう。

*  11月も半ばを過ぎたのに暑さまで感じる暖かい日が続いて地球温暖化もここまで急に進むのかと心配になっていたら、ここへ来て急激に冷え込み冷雨が東京でも小雪になった。昭和62年以来の寒さという。中米ではハリケーンで大被害が出る、中国では大洪水、東南アジアは旱魃など地球規模で気候が温和さを失い偏りを大きくしている。南氷洋では氷山の溶け出しが進み、到る所でサンゴ礁が海水の高温化のために死滅していると報じている。昔恐竜が死滅した気候変動などからしてこの程度のことは地球の長い歴史の中では些細なことかもしれない。

*  梶原滋美氏の訃報を新聞で知った。享年85歳、私より20歳年長だった。大型ポンプの設計に私が入ったときの坂本課長(物故)の上の上司で、何も言わなかったが当時の私を最も理解してくれた人と思う。丸善出版の「ポンプ」という単行本を著わしその改訂にあたり私に手伝いを委嘱され後日は私に引き継ぐよう望まれたが、私自身が関心の対象をポンプ単体から他へ移していたため意に沿いかねると折角のご希望をお断りした。私の入社後5年ほどで油圧機器の開発事業に取り組まれ随分苦労されたが市場への参入がうまく行かずやがて撤退のやむなきに至る。新事業はよいパートナーと時の運に恵まれないとうまく行かないことを私は感じていた。晩年はどんなご心境だっただろうか。ご冥福を祈る。

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