
<字体> 在社中にISO規格が導入されて社内の技術文書も活字の字体を統一しようという気運ができた。ISOは統一することに主眼を置き字体そのものに明確な指針は出していなかったが、それとなくゴシック体を推奨していた。1984年当時私は社内のOAを推進する立場で本社にいて社内各工場をつなぐLANをひきまわし、当時流行っていた富士ゼロックスのJスターを用いて繰り返し使用する主として社外向けの共通文書のデータベースを作ろうとしていた。その際字体を明朝体にもゴシックにすることも可能なためにその選択に迫られた。そこで二つの字体で作った文書をツラツラ眺めて見ると、今まで使い慣れ見なれている筈の明朝体は跳んだり撥ねたりしてゴシック体に比べて落ち着きがない。雑念を交えず文章の中身に素直に入っていくためには文字としての個性を殺したゴシック体の方が素直でいいと考えた。そういう経緯でゴシック体を採用したのだが日時の経過とともに自ら納得するところが多かった。
以来個人的に作成する文書も常にゴシックに統一し、一般には明朝体が優勢のようだがよそから仕入れた文書も明朝体のままでは落ち着かないのでゴシック体に変換して読む。いまどきインターネットで画面上に見られる論説など各種のHTML文書は一種のゴシックで全く違和感がない。電子メールの文書も同じだ。ところがそれを自分のパソコンに取り込むためにMS.WORDに貼り付けると途端に明朝体に化けてしまうから、HDに収納する前に一々MSゴシック体に変換している。
<野球あれこれ> 「今日も打ってイチローの連続安打は10試合になりました!」と毎日ニュースが流れるから野球に関心の薄い人まで知らずには済まなくなった。今まで縁のなかった米大リーグのシアトル・マリナーズがイチローと佐々木を抱えたことで一度に日本全国に多数のファンをもつことになったのは妙だ。これもマスコミのお陰である。羨ましいのは走攻守に活躍するイチローのしなやかな肢体で、陰に修道僧の如き厳しい修練・精進があってのことだろうが、米国メジャーでも比類のない均整のとれた身体で走る姿は見る者に快感を与えるが本人もまんざらではないだろう。一方で巨人の清原も米ホームラン・キングのマクガイヤも脚の故障で思うように走れなくなったからそろそろ選手寿命が尽きかけている。
<教科書問題> 韓国を訪れている民主党の鳩山代表は、3日野党・ハンナラ党のイ・フェチャン総裁との会談で、韓国が反発を強めている日本の歴史教科書について「独善的なナショナリズムの思想がなくなったとは言えない」と強く批判したとN.H.K.は報道している。検定委員会が不明確な事実の記載を止めさせても、"新たな歴史教科書を作る会"が自虐的な史観に基づくとされる従来の一部の記述を省いた点に中・韓国の一部の人々が不満を持っていることに同調している。しかし既に心ある人たちが主張しているように歴史教科書は愛国心を育てるものでなくてはならない。民主党が国内教育への内政干渉に迎合するなど見識がないのも甚だしい。
近代日本史で糾弾しなければいけないのは政治的には統帥権をふりかざす陸軍参謀本部の横暴を許したことと戦略的には陸軍の技術開発と兵站を軽視した精神主義及び海軍の情報戦の軽視と大艦巨砲主義辺りで、こういったことは包み隠さずハッキリ批判すべきだが、同時に日本人が過去において如何に地球上の他の地域の人々に決してヒケをとらず誇るに足る見事な国造りをしてきたかを懇々と子供達に教えなければいけない。ヨーロッパ諸国の真似をして文化発展で恩になってきた中国・韓国への植民地支配を試みた点は決して褒められた話ではないがアフリカ、南米、更にはインド・清国・インドネシアなどアジア諸国への血も涙もない先進諸国のコンキスタと対比して論じないと意味をなさない。一歩間違えれば日本もやられかねなかったのだ。
もう一つのそしてもっと憂慮すべき教科書問題は文部省の「ゆとり教育」路線に従った教科内容の陳腐化である。文春では全教科にわたって識者の批判を載せているが、私が特に気にするのは理数科の軽視である。円周率を3とするなどと云うのはなまじ教えない方がよいぐらいで、世の実用計算の中でどうしても割り切れない無理数というものがあるということを教える絶好の機会なのだ。基本的に学問というのは取り組んでみるといずれも実に面白いものだとということを実感させるのが教育の要諦というところから出発しないからすべてがおかしくなる。特に世界史や地理などで試験問題として扱いやすいという理由で暗記すべき知識ばかり増やすのは最低である。百科事典がパソコン用のCDにすっぽり入ってしまう現在、知識を辿る筋道さえ掴めばよいのであって重箱の隅をつつくような真似はぜひやめて欲しい。

<歌手> これは私の最も苦手というか平生の生活の中で避けて通っている領域だから何を時代遅れをほざいているかと笑われそうだが、挑戦する気分であえて書いてみる。テレビで歌謡番組が始まると森口博子の"子供のど自慢"を除いてさっさとチャンネルを切り替えてしまう自分だが、TR(トップランナー)という番組に出演した渡辺美里という歌手に感心した。既に西武球場夏のライブというのを16回(16年という意味だろう)務めたという。球場観客席一杯の聴衆を一人で相手にする。司会者は全身歌手と紹介した。突然の雨のステージでズブ濡れになりながら絶叫する過去の映像は迫力があった。歌うのを聴いて自由詩の歌詞を自分なりにメロデイーに創り上げていく自由さ自然さは見事なものだ。普通の歌手が繰り返し歌うような定型的なものとはまるで違う。ピアノとギターの伴奏が付くから即興ではないのかもしれない。自分に誠実にやりたいことをやってきたと語る表情には純粋さが溢れ、気負いは感じられなかった。天才だろう。それと縁遠いこちらは後で思い出そうにも歌詞もメロデイーも片鱗も思い出せなかった。
<eコマース> IT新時代の先駆けとしてインターネットを発展させると期待されたeコマースの実情は明るくないようだ。企業対個人の取引いわゆるB2Cは諸条件がまだ熟さぬために先送りされる傾向が強い中で、企業対企業いわゆるB2Bを支える電子市場のセクターはここへきて軒並み減収や撤退を報じられている。必要以上に商品情報を公開することで、交渉が不利になることを懸念する思惑から気心知れた仲間内の市場を形成する傾向が強まり、厳選された企業が集まる「プライベート」へと移行しつつあるという。米国を中心とする電子市場は市場拡張を嘱望する中小企業の声が反映されるはずだったが、皮肉にもその期待に反し閉鎖的な動きを強め、少なくとも当面は景気の先導役から降りてしまったようだ。
<画家> セーヌ川の朝靄をついて上がる真っ赤な朝日とその水面への反射を荒いタッチで描き「印象」と名づけた作品を眺めると、流石に印象派という一派を生む事になる歴史的な作品だと強い感銘を受ける。これを制作した頃のクロード・モネは生活費を得ることが困難で甚だ困窮していたが、この絵を世に出した当時は誰ももてはやす人はいなかったという。暫く経った後に一人の画商が彼の絵の特異性に目をつけて作品を1点300ルーブルで買い上げてくれるようになり、厳しいながら何とか画家の生活を続ける目途が立ったそうである。
ご存知の人には釈迦に説法だが、彼とその流れを汲む印象派の画家達の作品は近視眼的に見れば様々な色のタッチが入り乱れ輪郭も定かではないが、それを遠くから眺めると自ずから単一の色調に統合され対象の形状も分明になってくる。キチンとした輪郭線を描きその中を単一の色で塗っていく塗り絵の如き作品がある(最近紹介した藤城清治などはその典型例)が、これはまさにその対極を行く。今まで誰も用いなかった画法を採用してそれを人が認めるようになるのに相当の日時を要したのは尤もなことである。
後半生のモネは生活もやっと安定してテイベルニーの屋敷に住み日本庭園の池に蓮を植えて専らこれを画いた。晩年は白内障のために光が見えなくなって悩んだが、結局生涯を通じて水に取り組んだ。画法が水面の描写に向いているのだろう。経緯はよく知らないが彼の作品の多くはある未亡人から第2次大戦後にマル・モッタン博物館に寄贈された。今競売にかけたら莫大な資産になるだろう。絵は生きているうちは値がつかないというのは概ね真理だ。

<被曝> 見た人も多いと思うが1年半前に東海村の臨界事故に遭った大内さんの医療経過がテレビ報道された。入院直後の検査で年間許容被曝限度の1万倍の放射線を浴びた大内さんの血液細胞の遺伝子は原型を留めぬまでに変形し、細胞の再生能力が喪失していることが明らかだった。入院直後は健常者とさして差異の目立たなかった肉体は皮膚から始まって日時の経過と共に全身に異変を生じた。妹さんの献血による大量の血液入れ替え、細菌感染防止のための隔離から始まり、呼吸困難の発生による人工呼吸器への切替、全身皮膚の表皮脱落に対応するガーゼ被覆から腸管内部からの出血を補うための大量輸血、最後には一時停止した心臓マッサージまで東大病院は現代医術で可能なあらゆる延命措置を講じた。その結果60余日生き延びたが最後はもう手の施しようもなく、介護した看護婦達は皆絶句する状況だった。普通に過ごしたらほどほどの苦痛で2週間ほどで亡くなったと思う。やむを得ぬこととはいえ患者に対しては残酷な治療だった。
解剖所見では体中の筋肉がボロボロになった中で心臓の筋肉だけが外見的に健常であったという。これは生命の不思議だ。主治医は放射能被曝に対する医療の空しさを徹底的に思い知らされたと述懐した。なお自分のことになって恐縮だが、死ぬ間際のこのような延命措置はぜひとも御免蒙りたい。
<パリの風景> 荻須高徳画伯の話である。この人は死ぬまでパリに住んでモンマルトルの丘の古びたビル群を画き続けたことを最近知った。画家の話題ばかり続いて気が引けるが、自由業である芸術家が創作の対象に何を選ぶかに強い関心をもつようになった。彼らは何を画いたら売れるかを考えて行動はしていない。そういうことなら選ぶテーマは変転していくはずであるが、執念深く1つのテーマを追求する人が少なくない。理屈以前に好きなのだろう。
荻須高徳の画く建物の絵は子供には自分が住んだ区域でもなければそのよさが理解できにくいだろう。年寄り好みというべきか。新築のビルによって形成される街路の整然とした新都市の景観とは違って、モルタル造りで様々に着色された古びた建物などで長年人が住み暮らした歴史をしみじみと感じさせる点にその特徴がある。家並みは整然とはしていないが、かといってまるきりの不揃いではなくそれなりの秩序がある。例えば坂の下に行く手を遮るように城壁のようなアパート群が立ち、そこにアーケード型の通路の穴があいているといった風景を描いている。こういうのは確かに地元の人には懐かしいと思う。荻須画伯は似たような建物でも現在そこに人が住んでいないのは画く値打ちがないと云っていた。実用されている古いパリの建物に云わく云いがたい愛着をもっていたらしく、また彼の渋い油絵の画風が対象といかにもピッタリとマッチしている。
<プルサーマル> 東京電力柏崎刈羽原発にプルサーマル受け入れの賛否を問う住民投票が27日に実施される旨告示された。プルサーマルは使用済み核燃料からプルトニウムを取り出しウランとの混合酸化物燃料として既存の原発で再利用する計画である。計画が先行していた福島第1原発は住民の不安を説得しきれずに導入が凍結されている。また国内における従来型の原発の新規着工はかなり以前から陽の目を見ていない。
一方で米国政府は国内外から地球温暖化防止への非協力を非難され、エネルギ供給を拡大するためには原発建設を促進する旨20年ぶりに方向変換を明らかにした。ウラン原料の枯渇が懸念される中でここでも早晩使用済み核燃料の再処理は避けて通れぬ問題になるだろう。
二酸化炭素問題は日本も容易ではないはずだが、国内電力各社ならびに政府は情報開示を徹底し、必要なら安全確保のための追加投資を行なった上で住民に心から納得させる努力を怠っているのではないか。おカミを信用し黙ってついてこいでは今の世の中は通らない。住民が反対したら止めてもよいと安易に考えているのではないかとさえ勘ぐりたくなる。直ぐにも蓋が開くが私は賛成多数になるとは信じられない。たまたま乗ったタクシーの運転手の意見を徴したら「あんなの反対多数になるに決まってるよ」だった。いずれ騒ぎが大きくなると思うが政府をはじめ関係者は先が読めぬこと哀れなほどだ。"もんじゅ"もお得意の"凍結"措置に遭ったまま忘れられかけている。

<多心論> 河合隻雄の話を聴く。以下はその受け売りである。半可通で人に説くのは罪でもあるが、論じているうちに真実の一端を掴むこともある。アジア殊に日本には仏教に通ずる多神教の思想がある。密教がもたらした曼荼羅にはその真髄がこめられている。曼荼羅は言葉で表現できぬ真理を図形を通じて己の心の中に写しこむもので、金剛界と胎蔵界とがある。金剛界曼荼羅は9枚の曼荼羅を1つにまとめたもので、1枚づつの絵は心の中に写る宇宙の時間的な変転を現わす。胎蔵界曼荼羅は中央から周辺へ4重の円壇を形成し中央の大日如来を囲んで整然と諸仏が配されているが、これは宇宙の空間的・立体的な拡がりを現わす。この思想は八百万の神が宿るとする日本古来の神道と融合する。
人が生きていく上では自然科学に見るような真理は一つしかないという考え方だけでは限界がある。21世紀に生きる人たちにとって最も重要な課題は一見相容れない矛盾した考え方の一方を否定してしまうのではなく、如何にそれらを相認めて共存させていくかだと河合氏は説く。まさにこの点に日本には混迷と紛争が続く世界をリードできる父祖伝来の哲学がある。
<宇宙美術館> NASAによって地球周回軌道に打ち上げられたハッブル宇宙望遠鏡は今までの空にきらめくお星様のイメージとはかけ離れた、思わず息を呑む凄絶な画像を提供してくれる。私は今まで写真集でその一部を入手していた(99年10月分参照)が、このたび NASAのホームページにアクセスしたところ1日1枚の精細なカラー写真を載せていることを知った。これは1995年6月20日から続けているからもう2000枚近くになる。タイトルはAstronomy Picture of the Dayというもので、URLはhttp://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/archivepix.htmlである。その気のある人は例えば鷲星雲M16についての95年11月6,7日、またオリオン座の馬頭型の黒いガス雲が見える95年9月25日の写真などを観ることをお薦めする。人間の想像力を超越し人情とは無縁な世界である。これらの写真と専門家による解説を最初から読み始めたら、相当な時間がかかるだろう。私もよく見ていないが、めぼしいものに出会ったら教えてください。こうやってインターネットが無料で情報公開してくれると世の中は少しづつ変わってくる。
<変革の風> 自民党の変革を強く唱えて党員選挙で新総裁に選ばれた小泉氏が国会で首相に選任されるとマスコミ調査による国民の首相支持率は80%を超えた。とは云うものの自民党内の諸派閥や族議員および官僚の抵抗があって、諸般の問題で変革の実行は容易ではないと見ていたが、ここへきてハンセン病患者を永らく隔離した国家行政を憲法違反と敗訴にした地裁判決に対して、立法府および行政府の立場から当然控訴すべきという官僚などの強い意向を抑えて控訴しない決定をした。私は1週ほど前からこの問題を小泉首相の今後を占う試金石と見ていたので、これを国民を失望させない施策第1号として評価させてもらう。当事者としてこの決定をするためには我々外野には計り知れぬ苦労があったと察する。
次は道路特定財源の使途見直しに始まる財政構造改革だ。早速党内の異論続出ですべて一筋縄ではいかないように見えるが、マスコミさえ意表を突かれたこの劇的なスタートによって私は小泉行政の今後にいささかの期待を致したい。次々とハードルが現れるがぜひ致命的なつまずきをしないように祈る。