
<環境ホルモン> 年配の人は終戦直後に進駐軍がやってきて不潔な焼け残りの環境に生きる人たちにだれかれ構わず頭から真っ白に殺虫剤をかけたことを憶えているだろう。1960年代初頭、レイチェル・カーソンが著作「沈黙の春」を発表したことを契機に世間は殺虫剤D.D.T.と癌の関連性を懸念しはじめた。ところが化学物質の害はその範囲にはとどまらず、やがて米五大湖を起点にして鳥類・魚類など広汎な生物系に及ぶ生殖異常が目立つようになってきた。
子宮内で発育初期の哺乳類にはごく僅かなホルモン・レベルの変化を鋭く察知し、諸器官の発育形態を決める時期がある。この際遺伝子には全く変化はない。音楽に例えれば遺伝子は鍵盤でホルモンは楽譜である。この場合問題になるホルモンの濃度はppmとかppbではなくpptのオーダーで効くと言う。これは妊娠中の母体に入り込んだ微量の化学物質が十分に影響を与え得る恐ろしくわずかな量である。現在の国内環境基準などは全く甘い。血液中の天然ホルモンは細胞内のレセプター(受容体)と鍵と鍵穴の関係で結合し、性の分化もここで決まりレセプターからの信号を受けて脳細胞は生殖器などに発達の指令を次々に出していく。ところがPCBやダイオキシン、D.D.T.、また一時期妊婦必携薬として喧伝されたD.E.S.は動物実験の結果十分に代用ホルモンとなる危険性を有している事が分かった。これらある種の合成化学物質は鍵の代用をしてしまうのだ。カメであれマウスであれヒトであれ脊椎動物のホルモン・レセプターの機構は数百万年間一切変化していない。生体の長い歴史の中でこの領域は古くから進化ないままに存続している。
第二次大戦直後は新技術に対する楽観主義がまかり通っていた。傲慢さと無邪気さをないまぜにして人々は実績の積み重ねによる検証などを慮ることなく、次々と考案される石油二次産品の便益を積極的に享受した。この如何にも傲慢な発想と安易な行動は多分昔ながらの人類のさが(性)なのだろう。ここで先進国と称する国々の人々は創造主が設定した越えてはならぬ枠を知らずにとは言え大幅に踏み越えてしまった。今まで大抵の所業は前非を悔いて革めれば何とか許されたが、この度は取り返しがつかないかもしれない。
1940年から1982年までの間に合成化学物質の製造量は凡そ350倍に跳ね上がり、それによる生体汚染は食物連鎖により先進国から北極圏の僻地まで完全に地球規模で既に取り返しのつかぬところまで進んでしまった。至るところで野生生物の不妊・生殖器の異常・繁殖数の減少が報告されている。プラステイック容器など従来気にもせず便利に使用してきた多くの合成化学製品も実はヒトをはじめとする生物に有害でない保証はない。
継続的な観察からヒトの精子数は明らかな減少傾向が続き、長期的には人類の存亡が懸念されるほか、学習障害や知能の低下、否定的な出来事(ストレス)への過剰反応が報告されている。昨今通勤電車での暴力行為が何例も報道されているが、この辺に根本原因があるとすれば事態は今後更に深刻化するだろう。
化学の専門家にとってこれは今や目新しい話題ではないかもしれないが、一般庶民にとってこれはC.F.C.によるオゾンホールの問題、炭酸ガスによる地球温暖化の問題に次いで、ロクに事前の警告もなく突然胸元に匕首をつきつけられたようなものだ。
以上の情報は「奪われし未来」シーア・コルボーン他著(翔泳社)から取材した。愉快でない話をもちこみ、気分を害された向きにはお詫びします。だが人類はじめ地球上の諸生物の将来は多難になってしまったとつくづく思う。それでもなお、今までもそうだったように我々人類は誤りを犯しながらも何とか切り抜けていくと信じたい。
<人口統計> 新聞に載っていた年齢別人口構成のグラフを見た。1950年を基軸にして2000年までの若年者と老齢者の人口統計である。

<自動車メーカ> Ford社は多目的車エキスプローラでの転覆などの事故多発を受けて永らく使っていたFirestone社のタイヤの使用中止と他社タイヤへの無償取替えを発表した。一方でFirestone社はタイヤに本質的な欠陥はなく、原因はFord社の過酷なタイヤ使用法と車自体の不安定性にあると反論した。このような自動車メーカとタイヤメーカの争いは今までにもあまり前例がなく両者にとって不幸であるが、他社のタイヤに取り替えた後も事故が続くようならFord社は墓穴を掘ったことになる。
私がこの件に関心を持っているのは以前米国駐在中にレンタカーとしてFord車を継続的に利用していたからである。Herzというレンタカー会社との契約で月に1回定期点検を兼ねて会社に出向くと、先方は客に待たせる不便を味合わせぬために別の車(すべてFord車)を提供した。お陰で私は10台ほどの異なる車に乗る機会を得たし休日に遠出をして月平均1000kmを走ったが、気になったのはそのほとんどすべての車にマイナー・トラブルがあったことである。例えばワイパが動かなくなるとかランプ表示の一つが点かなくなるとかだが余り多くてよく憶えていない。重大なものとしては休憩のために途中で駐車場に入ってふとタイヤを見たら、後輪の一方の側部が局部的に異常に膨れているのに気が付いた、早速慣れぬ手つきでジャッキを使って予備のタイヤと取り替えたが、気付かず走行を続けていたらどうなっていたかと少しばかり気分が悪かった。提供してくれる車はすべて製造後1年以内で新車に等しかったにも関わらず、こうトラブルが多いのはFord社の品質管理に問題があるのではないか、個人的に購入するならこの会社の車だけは避けたいと考えたことを想い出す。もう30年前のことだが、こういった会社の体質というものは一朝一夕に変わらないだろう。今度の問題もFord社側により大きな原因がありそうな気がしている。

<プライド> 本を求めた時たまにその本の出版社が定期的に出している小品集のようなものが付いてくることがある。大抵は全く興醒めなもので葉書の継続郵送を希望しますかという欄に○を付ける気にならない。最近一つだけ例外があって草思社の「草思」という月刊の随筆集は有料(年1000円)だが、隅に置けない感じで購読を申し込んだ。
今月号には「おかしなプライド」というのがあって、私もこの2月にちょっと取り上げたが最近ヒトの遺伝子の数がショウジョウバエの遺伝子数の2倍に過ぎないと分って残念と嘆く人が多い話から始まり、20世紀前半細胞遺伝学の発達とともに細胞の染色体の数がヒトの46本に対しショウジョウバエが4本、エンドウの7本と分ったがさもありなんと思った人々はヤドカリが254本と聞かされて困惑した、また20世紀後半分子遺伝学の発達とともに細胞あたりのDNA量がヒトはバクテリアの1000倍、アメーバの30倍だが、ウナギの34分の1と分りまたプライドを傷つけられた歴史を伝えている。
ヒトは進化に伴いDNA量を増やしてきたが遺伝子として働く部分は数%で残りはジャンクであり、ウナギはジャンク部分がもっと多い。一方バクテリアのDNAはジャンクがほとんどなく遺伝子同士がピッチリと隣り合って並んでいる。菌体が小さいためにジャンク部分を極力減らすリストラを繰り返した結果だろうと言う。随筆の著者は遺伝子からできる蛋白質が切れて別々に働くことや別の蛋白質が組み合わさって一つの働きをすることもあり、生物を遺伝子の数で評価するのはあまり意味がない、むしろヒトもショウジョウバエも共通の遺伝子を数多くもっていることにこそ注目すべきだと述べている。大抵の人にとってこの世界は半可解という語がピッタリで、プライドを云々する以前の問題のようです。尤も誤りを連発する人類は他の動物と大差ないというのが本当のところで、プライドなどふりまわすだけしゃらくせえか。
<韮> 韮(ニラ)を栽培している農家の風景。一面に群生させたり、畝ごとに密生させるのでなく、一株ごとに離して植えてあるのを株ごとに根本から水平に鎌で刈り取っていく。よく研いだ刃がさくっと快い切れ味を示す。成長の早い春から夏にかけて、刈り跡からたちまち新しい芽が伸びて1年に4回も収穫できるという。韮はパミール高原原産で、有史以前に日本に渡来し野生化したらしいが、栄養価の高い食品である。収穫したての韮をアルミホイルに包んで2分ほど加熱し、醤油をまぶして食すると健康的な美味を味わうことができる。動物性の蛋白など貪欲に求めなくても生きていくのに不自由はない。東洋人らしい生き方をしたい。
<新型マウス> オプトeマウスという光学式マウスを入手した。マウスの裏面から発光ダイオードが赤色光を発し机や膝の上などどこでもマウスの動きを反射光として捉えて、パソコン画面上のマーカの動きに忠実に反映させる。
在来使っていたマウスはボールという可動部分があって、使っているうちにボール自体やボールと接触してボールの動きを伝達する三つのローラのいずれかに机の埃が付くと、動きがスムースでなくなり思うようにマーカが動かなくなっていらいらさせる。そのためにしばしばマウスの分解清掃が必要になったが、新しいマウスは可動部分がないのでその心配がなくメンテ・フリーである。
おまけに形状・寸法に人間工学的な配慮があって、形状は両側面に大きい凹みがあって掴みやすく、サイズ自体も従来品より一回り小さいので掌サイズの小さい私の場合もスッポリ手の中に収まって十分に余裕があり、在来のマウスのような一日操作していても腱鞘炎の如き手の痛みの生ずる悩みがなくなった。こういうインターフェイスは今までつい不便でも仕方がないこういうものだと観念しがちだったが、調べればいいものがあるもので今後のパソコンライフが楽になるので大変嬉しい。
読者のご参考に私の新型マウスの仕様は
型番 MA-EMOUPV(バイオレット&クリアーバイオレット)
コネクター形状 ミニDIN6pinオス
内部構造 光学読み取り方式(ボールレス)
サイズ W53XD93XH33
―裏面にはサンワサプライ(株)が設計し中国で製造されたと書いてあるー
MACには別の形式が用意されている。

<コラボレーション> 機械学会誌に載っている新技術の一つで「コラボレーション遠隔操作型ロボット」というのに興味を持った。要するに複数のロボットに協調作業をさせる考えである。ロボット自体構想は昔からあったが、自動車生産など量産ラインの定型的作業から脱して、昨今急速に広い応用範囲に実用化され発展しつつあるジャンルである。
簡単な例として遠隔操作で配管のフランジ接続を外す作業を取り上げる。1台のロボットがフランジのボルトを一本づつ外していくと最後にフランジ付きの配管が下へ落ちてしまうので、もう1台のロボットがフランジが落ちないように支えるという協調作業である。
世の中には昨今流行の外科手術の領域をはじめとしてもっと高度なレベルでこの種のロボットの協調作業が必要な事例はいやというほどある。個々の事例で個別にどうやったら協調がうまくいくかを考えるのでなく、協調作業の類型化と対応技術ノーハウをまとめることができれば今後の社会に役に立つことは必定である。またそのためには基本となる作業パターンをISO規格のような国際的なルールで統一してかかるべきだろう。そうなると全体構想を立て基本分類から始めなければいけないから中々大変だ。世の中ではもう相当進んでやっている人もいるはずだから調整は容易でないかもしれない。それこそ別の意味でのコラボレーションである。
一方でこういう技術を考えていると、ブッシュ米大統領の唱える迎撃ミサイル構想は容易に実現できる話ではないと思われる。それは明らかにコラボレーションではないからだ。囲碁に例えれば一方が高段者で他方が始めたばかりの10級以下の人なら皆殺しにできるかもしれない。然し高段者同士なら相手が右へくればこっちは左へ行くことを本能的に考えるから捕まりっこはない。標的まがいの擬似ミサイルで化かしあうことも十分考えられる。ブッシュ大統領に囲碁の勉強をすることを薦める。
<遺伝子組換え食品のリスク> このテーマを4月に続いて採りあげるのは日本放送出版協会出版の掲題の本(著者三瀬勝利氏)を読んで問題点をかなり明快に論じていて気に入ったからである。
20世紀の後半になって、遺伝子の本体は細胞の主要構成物である核の中の染色体の中の(蛋白質ではなく)DNAにあること、ハサミ(制限酵素)とノリ(連結酵素)とを使って遺伝子の組換えが可能になること、形質転換・形質導入・接合という三種の方法で組換えたものも含めて遺伝子が細胞間で受渡しできることなどが分った。
米国の農場で世界に先駆けて実用化されたのはなたね・大豆・綿・てんさい・トウモロコシなどに適用される除草剤遺伝子とトウモロコシ・じゃがいも・綿などに適用される害虫抵抗性遺伝子、また高温でのトマトなどの持ちをよくする微生物農薬などである。
例えばトウモロコシに導入された殺虫BT毒素は昆虫の消化管内で中腸上皮細胞にある受容体と結合して細胞内陽イオンのバランスを崩し消化が阻害されて、昆虫は死ぬ。一方で人を含む哺乳動物の細胞には殺虫毒素に対する受容体がない。また昆虫の消化器官は毒素が作用しやすいアルカリ性だが、人の消化器系は胃酸で酸性になっていて殺虫毒素を迅速に小分子に分解してしまう。また殺虫毒素は蛋白質なので煮たり焼いたり高温処理すれば簡単に変性して壊れてしまう。だから一応人には安全である。
一般の人々は食品は完全に安全か、危険か、それとも半分危険かの三つの判断基準でしか見ていないが、専門家はリスクがゼロの食品はあり得ず、リスクをどこまで低減できるか、どこまで認めるかで論ずると説く。
2001年4月から厚生省の定めた安全性審査基準によって申請される遺伝子組換え食品は個別に多面的にリスク審査がなされる。しかし場合によっては未承認のトウモロコシ・スターリンクのような組換え食品が栽培・流通の段階で既存の品種に混入して日本の食品市場に出現する事態となった。米国では承認されている品種の農場での花粉の飛来や流通段階での分別不徹底などで混乱防止は容易ではないらしい。
長期的な地球規模の食糧不足解決のためには徒に保守的な方針も貫けないし、著者が提唱するリスク・コミニュケーションで生産者・消費者間の情報交換に努め、ノーハウを積み重ねて手探りで進んでいくしかなさそうである。
<公民教科書> 扶桑社の公民教科書を"歴史"に次いで読もうと本屋に注文していて、一時品切れになったらしく手間取ったがようやく入手した。例によって図や写真が多く一気に読むことができた。冒頭に自分の利益を追い求めるだけでなく、国家や社会全体の利益や関心に重点を置く市民の立場を"公民"として対象を明確にしている。現代における文化・政治・経済・社会の各側面についてかなり踏み込んで記述しているのは好感が持てる。例えばヨーロッパでは廃止に傾いている死刑制度について、日本では増加する凶悪事件を背景に死刑容認が90%、反対は9%と明確な世論調査結果を教えている。またマスメデイアによる価値観の画一化が多数者の専制の弊害と説いているのも大切なことだ。
ただし日本の先人が残してくれた誇るべき歴史をこどもらに伝えるという歴史教科書に貫かれた強い情熱と意図がここには感じられないのが残念だ。この本の原著者は西部邁氏であるがやや評論家的な記述に止まっていて、現代社会に存在する諸々の問題を指摘できても、それをどう解決すればよいかを示せないのはやむをえないかもしれないが不満が残る。欲を言えばこの本の読者がこの世に生きていくための指標と自分なりの哲学を意識的に築いていく動機を与えて欲しかった。

<米大統領> ニューヨーク・タイムズの一日一言に "A world where some live in comfort and plenty, while half of the human race lives on less than $2 a day, is neither just, nor stable." -PRESIDENT BUSH とあって殊勝なことを云うと思ったが、同じ大統領が地球温暖化問題では開発途上国には制約を与えず米国が最大の負担を負うわけに行かないと主張している。また大統領のスピーチは決して諄々と人の心に訴えるという魅力がなく、わがままな男が人の思惑に関わらず自分の言いたいことだけを云っておくという風があって、世界の指導者達の畏敬を受けるには至らないように思われる。私などは普段あまりこういうことはないのだが、テレビから彼のスピーチの音声が流れるたびに生理的に軽い嫌悪感を覚えてしまう。恐らく彼は8年の任期を全うすることはできないだろう。
<日本銀行> ―誰が日本経済を崩壊させたのかーという副題でリチャード・A・ヴェルナーという日本在住のドイツ人経済専門家が「円の支配者」(草思社)なる本で中央銀行の所業をレポートした。素人である私にはこの本の適正な評価はできない。しかしこの本を読んだ後では、昨年12月に取り上げた<バブルと崩壊>での分析・評価や本年3月の<不良債権>での大蔵省高官への糾弾などは多くの経済専門家に極めて重要な点で認識不足があったと認めざるを得ない。ポイントは二つ、中央銀行(日本銀行のことだ)の信用創造と窓口指導の権能である。以下詳述する。
著者によれば銀行というものは預金者からの預かり金だけを投資家に貸し出しているのではない。預金準備率という概念がある。中央銀行がこれを1%に設定すれば銀行は預かり金の100倍の資金の運用を中央銀行から任されることになる。必要に応じて中央銀行は現金を印刷することができる。これを信用の創造と言う。新しい通貨が非生産的(消費や投機)に使われれば物価が上昇するが、生産的に使われればインフレは起こらない。
第二次大戦中に生産高の伸びを最大にし、戦争の遂行を最も効率的に実施するために日銀法が制定され日銀は全国銀行の信用統制を行なうことになった。銀行貸出についての細かいガイドラインを示し銀行を従わせた。戦後は輸出用製造業の生産高の最大化を目標にしてこのシステムは完全に引継がれた。占領軍による改革の中で日銀だけが戦時経済体制を保持することができ、これが戦後日本の驚異的な高度成長を実現した。日銀はまず大手都市銀行、ついで他の銀行への融資割り当て額(上限)を決定し、それを銀行幹部に窓口で告げたのでこれは窓口指導と呼ばれた。成長志向の各銀行は決して余すことなく割り当て枠一杯の融資を行なった。
大蔵省は日銀の権力奪取を策し外見は緊密な日銀と大蔵省の間で長きに渡り陰湿な権力闘争が続いた。日銀はたくみに煙幕をはり窓口指導の実態とその重要性を大蔵省に対しても隠蔽した。日銀は一方で輸出主導を内需主導に切替えわが国の社会経済構造を変革する長期計画・前川レポートを発表し、官僚主導の古いシステムの徹底的な変革を企てた。当時その実行方法は明らかにしなかったが20年余をかけて以下の大事をやってのけた。
日銀は1980年代危機造成のために窓口指導により融資拡大を促し、融資は建設業や不動産投機のノンバンクに向かった。バブルは拡大し大蔵省は思わぬ歳入増にほくそえんだ。次に日銀は最も劇的で破壊的な方法でバブルを潰した。行き過ぎた信用は不良債権と化した。銀行システムは麻痺し信用収縮が不況を惹起した。世間の目は政治家と大蔵省だけに向き、日銀を疑う者はいなかった。依然として許認可権限を握り日銀に命令する立場の大蔵省が健在な内には日銀は不況を終焉させようとしなかった。遂に大蔵省は悪者として権限を奪われ、1997年衆参両院で日銀法が改正され1998年施行されて日銀は独立を果たした。
ようやく構造改革を掲げる政府が出現し前川レポートの掲げた目標の実現を図ることになった。日銀は常に自分のしていることを吹聴したがらないが、事態の収拾へ重い腰を上げれば数年内に奇跡の景気回復が実現されるだろう。
以上半信半疑ではあるが、ヴェルナー・レポートの核心部らしきものを紹介した。私には不良債権処理と中央銀行の信用創造の関係がまだうまく理解できない。まだアジアの経済危機とかF.R.B.の政策などの問題があるが、一遍に扱うと消化不良になるので後日にゆずる事にする。
<怪我> 大相撲夏場所最終日の協会ご挨拶で時津風理事長は立合いの正常化が不十分なことと怪我人が多いことは残念であると詫びたが、確かにやたらに怪我人が目立った。前場所の貴乃花は膝の痛みをこらえて必死の優勝だったし、今場所の魁皇は腰痛の再発を脅えながら予想外の優勝だった。場所の後半になると土俵には肩や腕の仰々しいテーピングが目立ち、テーピングを嫌ってもどことなく元気がないのは相当な痛みを我慢しているらしく、五体満足な力士は数えるほどしかいないのではないかと思わせた。国東と十文字が二人とも土俵に仰向けに落ち腰を打って立ち上がれず車椅子で運び出されてそのまま入院した。いずれも敗けた方が特に無理をしたとかいうのではなく自然な成り行きだったが、腰椎の骨折または椎間板ヘルニアで全治何ヶ月の重傷である。栃東は魁皇と激突した瞬間腰が入ってしまった。人間なんと脆いものか。大抵腰椎でいわゆる魔女の一撃である。こういうことは稽古や鍛錬で防げるものだろうか。隆乃若や朝青龍などの20歳台はいいが中年に入りかけ体重が増えてくると危ない。寺尾は太らないで切り抜けるコツを掴んでいる。勝敗より長持ち優先。