10月の話題


2001年10月

<江戸という都市> 「江戸切絵図散歩」という小冊子を手に入れた。切絵図というのは江戸時代に刊行された携帯可能な木版色刷りの地図である。徳川家康が秀吉によって関東に封じられた当時は何処もかしこも一面の汐入りの葦の原で西南方は萱の生い茂る武蔵野であったとある。それが200余年を経て幕末に近くなると30余枚の切絵図に描かれるように至るところ整然たる街区が形成され、現在にまで引き継がれる町名が付けられているのには感歎させられる。
 地図には大小の武家屋敷と神社・仏閣が大きな区域を占めるが、庶民の住居は町名が主で、個人名は多分特別な人だけの地所が狭い区域に小さな字で示されている。武家と庶民の勢威の差を歴然と見せつけられる。自動車も走らぬ時代に住居地区は広々とした道路で整然と仕切られているのは多分度重なる火事の延焼を防止するための人々の智慧なのだろう。広小路と云うのは当時は普通名詞だった。もう一つの特徴は江戸城の堀に始まり隅田川をはさんで下町一帯に川と掘割が四通八達し、舟運が都市の主要な交通手段だったことが良く分る。後から発展した山手地区を別にすれば江戸はヴェニスの如き水の都だったと云えなくもない。N.H.K.の「お江戸でござる」に出演している杉浦日向子さんの説く世界である。
 明治以降変化の大きいのは品川から横浜に至る海岸線の後退かもしれない。尤もこの地区は当時の江戸の範疇には入っていなかった。逆に変化の少ない地域の一つは嘗て私も居住したことのある本郷の辺りで都電が通っていた通りは昔と同じ形をしていて、本郷肴町や駒込片町の名を切絵図に見出した時は懐かしかった。学生時代は足が達者だったから山手線の内側はろくに都電にも乗らずに歩き回っていて街路の形状にかすかに憶えがある。

<動物の死> 毎日新聞の万能川柳に「あれだけのカラスいったいどこで死ぬ」という一句を見つけた。云われてみればこれは全く同感だ。まさか襲われはせぬかと気になるほど毎朝しつこくやかましく鳴き交わし、ゴミ集積所を荒らしたりする住宅街の鴉だが、街路に寿命の尽きた死体を曝すようなみっともない姿は毎朝散歩していても決して見たことがない。嘗て寿命を迎えんとする野良猫が近くの代々木の森まで街路を必死に歩いていく姿を見た人の話を覚えているが、サバンナではあるまいし死んだ途端に他の動物に食い尽くされることもないと思われる。飼育されていない都会の動物はどこでどのようにして死を迎えるのであろうか。

<ジャズ歌手> "N.H.K.のスタデイオ・パーク"と"徹子の部屋"に相当毛色の変わったジャズ歌手が1月も間をおかず連続して出演した。鈴木重子という芸名も本名と同じという地味な考えの人である。浜松北高から東大法学部を卒業、おまけに司法試験を3度受験してから人に勧められて歌手になった。復習・予習をしてまじめに過ごしては来たが特に苦労などしていないと云う。ジャズと言っても癒し系の歌で、心にしみいる声で目を閉じて静かに歌う。衣装も派手ではない。日本より米国で先に売り出し、多くのファンをもつという。本人の弁によれば最初は何とかうまく歌おうという野心があったが、最近は段々単純に素直になってこどものような心境になってきたと言う。夢をみるような表情で訥々と語る。まさに悪とは縁遠い顔で、癖のない美人である。考えてみれば現代都会に住む人々はこういう歌手を求めているのかもしれない。

<レコード・メイキング> ベルリン・マラソンで高橋尚子が走るのをテレビ観戦する。スタートからゴールまでカメラを載せた1台のバイクが離れることなく伴走したので、走る彼女は常時至近距離で画面に写され続ける。最初は気付かなかったが5分もすると彼女の周囲はガッチリした男性ランナーで囲まれた。解説によれば右前方を走るのがペースメーカ、左前方と両側面、後方に4人走っているのがガードだと言う。他のランナーとの不時の接触などを防止する配慮らしい。出走者は男女混合のレースだが一流の男子選手は先行したので、女子選手のトップを走るこのグループの周りはそれほど混み合ってはいない。対抗馬の筈のドルーペ選手(このコースで女子世界最高記録を出した)は後方に後れたとの事で一度も画面に現われなかった。気温は暑くも寒くもない適温である。時折ペースメーカが振り向いて彼女に左前方を指差すと、そこには彼女用のスペシャル・ドリンクを高く差し出している人が立っている。欲しければ走る姿勢を崩すことなく手を出して取ればよい。至れり尽くせりである。まるでこのマラソンは彼女のために催された如くだ。
 彼女自身も心がけていたのだろうが、ペースメーカの速度は正確で1kmを3分10〜20秒で走り続ける。坂はあってもたいしたことはない。走りよさそうなコースである。一時的に小雨が降ってきた。丁度いいおしめりである。次第に並走する選手もいなくなった20km辺りでガード・ランナーが次々に消えていき、前方のペースメーカだけが残った。雨は止んだがずっと軽い向かい風だと言う。道路側に立つ観衆は礼儀正しく皆拍手で応援する。ドイツ人は日本人に好意をもっているらしい。35kmでペースメーカは彼女にウインクして後方に消えていった。いよいよ一人旅である。並走するバイクが2台、3台と増えてきた。盛んに日の丸の小旗が振られる。テレビの解説者はこのままのペースで行けば2時間18分を軽く切るだろうと言う。
 しかし40kmに近づくと彼女の顔面のこわばりを取ろうという動きが出始め、40kmを過ぎると見た目にもペースが落ちてきた。結局ゴールでは何とか20分を切ることができて女子世界最高記録(2時間19分46秒)になった。シドニーでも最後の2kmはシモン選手に追いすがられて辛そうだった。然しテープを切り立ち止まった途端にケロッとした顔になるのも同様で、心肺機能の強さは流石に抜群である。
 もう思い残すことはないかと問う報道陣に40km過ぎをもっと強くして記録を上げたいと答えていたからいい根性だが、こういう好条件はそうは再現できないので私はもう無理ではないかと思った。ところが旬日を経ぬ内にシカゴ・マラソンでヌレデバ(ケニア)が2時間18分47秒と早々と記録更新してしまった。小出監督は彼女を督励し引退させぬいい口実を得た。

<マクドナルド断罪> 冒頭に断るがこの話題は「ファストフードが世界を食いつくす」(エリック・シュローサー著、草思社)という全米ベストセラーに共鳴した私の要約兼読後感である。マクドナルド社の店舗数は世界中で28000店あり、毎年新たに2000店が開店していて、米国最大の牛肉・豚肉・じゃがいもの購入者である。同社の今や周知の販売戦略は"画一性"にある。様々な場所で全く同一の製品・サービスを提供する。食卓からナイフ・フォーク・スプーンを一掃し、紙コップ・紙袋・紙皿だけのセルフ・サービスでハンバーガ・フライドポテト・コカコーラをスピーデイサービスで販売する。口当りがよく子どもに受けることからウオルト・デイズニー社とつるんでプレイランドを運営し、玩具や各種キャラクターを利用して子ども向けに販促を行う。道路から目立つようにM字型に見える金色のアーチを屋根に掲げた。以下に私の考えでの罪状を掲げる。

 ―個性のない景観を造った罪― 同じ手法でケンタッキーフライドチキン・ピザハット・タコベル・バーガーキングなどの模倣者たちが後に続き、ファーストフードのチェーン店群が形成された。土地の開発が進むと交通量を頼りに街の交差点付近にマクドナルドがまず店を出し、ほかのファーストフード店も続いて近くに開店する。これらの店が道路沿いに展開する風景はすべての新市街地を画一的な個性のないものに変えた。これは米国中西部に始まりやがて日本も含めて世界各地に及んで人心を枯渇させつつある。実に嘆かわしいことだ。

 ―低賃金で従業員の人心を荒廃させた罪― 店の作業の完璧なマニュアル化によって人件費の削減を徹底し、テイーンエージャーや不法移民を低賃金労働者として採用し、強引な経営で残業させないし組合にも入れさせない。仕事は単純で専門的な技術を習得する喜びはない。その結果ファーストフード業界の年間離職率は400%にものぼっている。こういった環境で働いた若者は無気力になる。フード店での強盗事件が多発し、その多くが嘗てその職場で働いた者による内部犯罪であるという。

 ―事業の独占により店主たちから搾取した罪― 規模の拡大に伴いマクドナルド社はフランチャイズ方式を採用した。小規模な投資家にフランチャイズ料を出させて店を建てさせた。単純さと統一性そして何処でも同じ販売環境を作り出すことを要求した。創業者は当初寛大な運営をしたが、共同経営者は地所を取得して貸し出し店の年収によって賃貸料を増額した。備品や消耗品の仕入先を提供するが会社の規則には従わせる。近隣に競合店ができる縄張侵害には積極関与しない。会社は店が増えるほど収入が増すからだ。気に入らなければ会社は契約を更新しない。他のファーストフード店もこれにならった。近年業界は中小企業庁の融資を利用して新規店の資金を調達した。店が潰れても納税者が損失を補填し、会社は損害を受けない。

 ―事業独占により生産農家から搾取した罪― じゃがいもをフライドポテトに加工し冷凍保存する技術を確立した巨大加工業者が少数購買独占によりじゃがいも生産農家から徹底的な買いたたきを行う。一方で食品工学によって香料を含めた重要な食品の属性を徹底的に測定・管理する。マクドナルドはフライドポテトでしこたま利幅をかせぐようになった。孤立農家は少数購買独占の犠牲になる。
 マクドナルドは鶏肉をマックナゲット生産として完全にシステム化した。養鶏業者は土地・労働力・鶏舎・燃料を自前で用意して貸与された雛を成鳥に育てる。会社と業者は一対一の契約関係なので徹底的に利益を搾り取られる。米農業経済の構造は砂時計に似てきたといわれる。上の球に牧場主と農家、下の球に消費者がいて、真中の細い筒を多国籍企業が少数独占している。

 ―精肉工場の労働・衛生環境劣悪化を助長した罪― I.B.P.という会社がそれまで都市にあった精肉工場の立地を地方に求め、マクドナルドがハンバーガーの調理工程に導入した労働の原則をそっくり精肉加工の工程に適用した。専門的な技術は不要で劣悪・危険な労働環境のため離職率は年率100%だが、流入する不法移民が次々と代わりを務める。I.B.P.は労働組合をひねりつぶした。一方消費者にとっても看過できないのはこのような巨大挽肉工場によってO-157などの病原体が挽肉に混入しているからだ。特に多数の子ども中心に食中毒が発生している。理由は簡単で牛解体の際に経験豊富な作業者でない限り肉に糞が入るのを完全には防止できないのである。政治的には食肉産業を支持する共和党が問題の究明をあらゆる方法で妨害している。

 ―不健康を世界にまきちらした罪― 外食によりカロリーと脂肪の摂取量が増える。米国は先進国の中で最も肥満率が高い。肥満は喫煙に次ぎ米国人死亡原因の第2位になっている。ファスト・フード業界の競争の激化に伴い、マクドナルド社は国外市場に主力を注ぐようになった。今毎日5軒の新店舗が開店していてその内4軒が海外であるという。この結果世界各地で"歴史上最も太っていて最も不健康な子ども達"を進出各地は抱えることになった。ろくに噛まない習慣で耐久力のないこどもを育てた。中国では過体重のテイーンエイジャーが10年で3倍に増えた。北京大学には「マクドナルドを攻撃せよ、KFCを襲撃せよ」という横断幕が掲げられた。2000年の消費者投票で大手ハンバーガーチェーンの中で最も質が低いのはマクドナルドだった。

 ―私の主張― 私自身米国駐在中に自分は決して太らないという今までの誤った自信を完全に覆され、肥満による体質変化から頚椎腫瘍とその後遺症という取り返しのつかぬ災いを背負い込んで、肥満が如何に恐ろしいか身にしみて知っている。
 グローバリゼーションの長所と実害をこの業界は体現している。共産党の専制政治からの脱却に努めたゴルバチョフなどはその長所(安くて口当たりがよく手っ取り早くどこでも手に入る庶民的な環境)にうまく乗せられ宣伝に加担してしまったようだが、よほどうまくコントロールしなければ上記のような悪い面が今後も進行するだろう。だがこのマクドナルド帝国を崩壊に導くことも決して不可能ではない。要は消費者がそっぽを向けばよいのだ。狂牛病が流行るかもしれないが、それでなくとも放し飼いで草育ちの牛の牧畜が新たに始まっている。健康な従業員が少し高くても新鮮で多様で質の高い食品を提供する料理店が見直されている。21世紀は行き過ぎた企業の力を殺ぐ時代といわれる。その意味で同社の利益至上主義の欠陥を弾劾する冒頭の著書の意図に全面的に賛意を表する。

<落語家> 古今亭志ん朝が1日他界した。立川談志が「今時俺が金を払って聴くのならあの男しかいねえと思っていた」と神妙に述懐した。談志として最高の褒め言葉だ。山藤章ニは「落語を落語たらしめる真中の部分を演じていた」と述べた。落語界に入って5年で真打に昇進、江戸前の小粋な芸は誰にも真似ができぬと評された。
 追悼番組で「火炎太鼓」・「坊主の遊び」・「干物箱」・「たぬき」・「愛宕山」を立て続けに聴かせてもらった。流れるような会話のやりとり、よどみのない噺のつながりを聴く快さ、苦味走ったいい男がタイミングよく羽織を脱ぐ仕草や間断のない顔と手の動きの洗練された一挙一動に目が離せない。久しぶりに至芸を堪能させてもらった。今日近くの郵便ポストの後ろに彼が我が町へ来演するポスターが貼ってあるのを見たが、誠に残念ながらもう過去の人になってしまった。

<日本民族> サミュエル・ハンチントン教授が既述の「文明の衝突」に次いで"文明の衝突と21世紀の日本"に関する小冊子(集英社新書)を最近刊行した。論説は文明の輪郭を定めているのは言語・歴史・宗教・生活習慣・社会制度などの客観的な要素と人々の主観的な自己認識の双方が共通していることと定義し、現在世界の主要文明として西欧・東方正教会・中華・日本・イスラム・ヒンドウーの六つ、或いはそれにラテンアメリカとアフリカを加えた八つを挙げる。冷戦時代は米国主導の自由世界、ソ連の率いる共産圏、それに発展途上の第三世界だった。今や世界政治は文明に基づき人類の歴史上始めて多文明化する。しかし他のすべての文明が複数の国からなっているのに対し、日本だけが単一国として独自の文明を持つ。著者に言わせると日本の孤立度が更に高まるのは、日本文化は高度に排他的で広く支持される宗教、言語をもたないからである。おまけに島国の特徴として人種まで極めて限られている。
 確かにそうだと感ずるのは世界で何か事件が起こった時、日本メデイアがまず気にするのは事件に日本人が巻き込まれているかどうかである。日本人は関係ないと分るとまずホッとして、ニュースの重大性は一段格落ちになる。韓国人でも中国人でも皆その他の人々に属するから気にしない。あまりそれが露骨なので私などは抵抗感をもっている。もう一つは押しなべて英語が下手なことだ。概してインテリほどたどたどしい話し方をする。巷で英会話の重要性を説く事久しいが一向によくならない。日本語はすぐれた言語と思っているが、英語との親和性はよほど悪いのだと思う。


 文明を人口別のグラフにしてみると日本の孤立度がよく分る。中国が一国で独自の文明を持っているといっても厳密には周辺諸国に影響を及ぼしているし、人口が全く違う。率直に言って日本人は"われわれ"と気兼ねなく考える範囲がかくも限られているわけだ。ただし平均的な日本人は決して信仰深いとはいえないが、先祖伝来の神仏混交の多神教的な環境の中で先鋭的な一神教を奉ずる諸文明に対する親和性がそれほど悪くないのが救いである。その点はユダヤ教のイスラエルの孤立性とは違う。強いて云えば近年の近隣諸国との軍事的な関係の後始末は要注意だが、協調性のない超大国米国とは一線を画することで21世紀をうまく過ごしていけると信じたい。



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