
<ホームページ考> 私が利用しているNiftyサーバで@niftyホームページ・グランプリ2001という催しが参加を募っていたので、試しに私も応募してみた。流石に世の中は広いもので、12500件以上が既に参加している。高位得点のホームページはどんなものがあるのか覗いてみると、ゲーム、懸賞、WEB用素材提供、競馬予想、ショッピングサイト案内など大衆受けする材料を取り揃えたサーバーまがいのものばかりで、随筆とか詩集、俳句などの渋いものはない。自分のはどこにあるか分らなくなってしまった。参加者一覧(https://homepage.nifty.com/gp2001/cgi-bin/sankaitiran.cgi)では多分応募順なのだろうがランダムに概要が並んでいる尨大なリストを"次のリストを表示"をクリックしてもジャンル別の分類がなされていないので興味のあるサイトを探す有効な手段がない。それほど人気が高くなくても滋味のあるサイトがあるはずだ。主催者は折角なら労を惜しまず適当な分類分けを行って関心のある人たちがアクセスしやすいように工夫すべきだ。
<グリム童話集> 子どもの頃親しんだ童話は"グリム"と名付けられていたが、グリムが何か関心がなかった。最近のテレビ解説で19世紀の始めのドイツ人のグリム兄弟ヤコブとウイルヘルムによって作られたことを知った。"作られた"と書いて"創られた"と書かなかったのは、百篇を超える童話はグリム兄弟が国の中で昔から語り伝えられた民話を精力的に聴取しそれを書き取ってまとめたものだそうだからである。もちろん話の筋を整えたり手を加えて美化したりすることはしただろうが、何もないところから生み出した訳ではなかった。
語り伝えは女性によって親から子へ孫へといくつもの家庭で綿々と代々続けられたらしい。グリム兄弟は何人もの女性から聴き取った。ある女性は何度語らせても一言一句話が変わらなかったので文章にまとめやすかったという。昔は印刷技術も発達していなかったし、物語の伝承は当然口伝えで行われた。先に"1万年の旅路"で紹介したイロコイ族の物語はその典型である。「ヘンデルとグレーテル」・「白雪姫」・「赤ずきん」など遙かな昔の記憶を呼び覚ます題名はグリム兄弟によるのだろうし、印刷物にしてドイツ国内からヨーロッパ、更には全世界に普及した功績は彼らの並々ならぬ努力の成果である。人類の特性としてどの民族にもこの種の語り伝えは多々あるのだろうが、それを文字に写し取る記録者を欠いたために大半が宙に消えたと思う。古代日本には"いざなぎ・いざなみの尊"の話など日本書紀に僅かにその種の記録がある。

<ブラックホール> 身近でなく得体の知れない物の一つにブラックホールがある。宇宙の彼方に実在するのだが、ニュートンの法則による強大な引力によって周辺の物体の発する光さえ吸い込んでしまうので目には見えないと言われてきた。ところが最近N.A.S.A.の発表した写真は中心に巻き込まれる巨大な赤色状の旋回流を捉えている。全体は薄い円盤状になっていて、円盤の中心軸には上下の外方に向かって激しく噴出する白いジェット流が見える。
最近の天文学はブラックホールが関心の的になっていて急激にその知見が増えつつある。以下はそれについての報道から拾った。宇宙には我々の天の川銀河を始めとして無数の銀河があるが、それぞれの銀河の中心にはブラックホールがある。ハッブル宇宙望遠鏡はこれまでに40ケの銀河の中心にそれを発見した。ブラックホールからは強いX線が放射される。メシエは110ヶの銀河を発見しそれに"M"を頭文字とする番号を付けた。著名な銀河のブラックホールの重量と大きさについて呈示されるデータは私には真偽が扱いかねる。ブラックホールは誕生後周囲の星を呑み込んで成長するが、銀河の0.1〜0.2%の物質を呑み込むと成長速度が鈍って休眠し始めると言う。
宇宙には数千億の銀河があると云われるが、ビッグ・バン以後ブラックホールが銀河形成の原動力になったという仮説が有力になっている。宇宙における銀河の分布にはムラがあり、銀河は相互に引き合い合体を繰り返す。銀河が合体する時ブラックホールも合体する。その際に再びブラックホールは活発に活動しはじめるという。我々の天の川銀河は宇宙の中心からやや離れているが、M31アンドロメダ銀河が接近中で10億年後に天の川銀河と合体するという。
納得できないことが多い。ブラックホールの中心からエネルギ粒子が2条のジェット噴流になって噴出するというのは何だ。これによって新たな星が生み出されるというが、何故強力な重力に逆らうことができるのか。X線も何故重力に掴まらないのか。光も逃さぬ重力から脱してどうして写真のように見えてしまうのか。休眠とは何か。宇宙は膨張しやがてまた収縮するという。一体どうなっているのか。

<鴉の死> 10月に書いた<動物の死>に読者の一人から感想が寄せられて、鴉は自分の死期を悟ると地に穴を掘って自らの体をその中に埋めるのだと云う。本人は直接見たわけではないがそう信じている。人間は自分の後始末もできないが、動物も人間のペットになると気が弛んで死後の始末を飼い主に託すようになるので堕落のようなものだ。しかし体力の衰えた鴉が自分の骸を自ら葬る作業ができるだろうか。穴に入ったら最後は土を被らなければ本来の作業は完結しない。信じられないことだがもし事実ならまさに尊敬に値する。人間より断然ましである。誰か真相を知る方がいれば教えて下さい。
<カンガルー> 野生のカンガルーは実に太くて立派な尻尾を所有している。またカンガルーの腰と下肢は非常に発達していて大きい体重を楽々と支える能力をもっている。但し上肢は細く他の四足動物とは異なり歩行に使わない。走行時に右足と左足を交互に前に出すのではなく、両脚を揃えて大きくジャンプする。本来であれば着地時に前のめりに転倒するのを防ぐために両足を前方に強くふんばって前向きの速度を殺さなければならない。これでは態勢を立て直して次のジャンプに移る時は一旦停止に近い進行速度になって高速の移動はできないしすぐ疲れてしまう。
ところが下肢の重量に匹敵する大きな尻尾が大きい役割をする。前方に両足を揃えて蹴り出す時は後方に流れる脚に添うように尻尾を打ち下ろし、ジャンプの着地で両足を前方に突き出した時は尻尾は上方に高く跳ね上げる。脚と尻尾は丁度鋏が開いたり閉じたりするように同期して動く。脚と尻尾の体に与える回転モーメントは逆向きにバランスしているから、着地時に脚は体重を支えるだけでブレーキ力を働かせる必要はない。慣性で体が前方に移動し脚が後方に流れて伸びきる直前に蹴りだせば円滑に走行が持続できる。
ボンヤリ見ていると見過ごすがこれは実に合理的な運動で、雄のカンガルーは発達した尻尾のお蔭で見事な高速走行ができる。無駄なエネルギを使わないから疲れが少ないようだ。考えてみれば草原の四足動物は高速で走る時は必ず両足を揃える。この場合の鋏は前脚と後脚だ。人間もカンガルーのように立って走るが両足を交互に出す。尻に太い尻尾をつけてジャンプの度に跳ね上げ打ち下ろせば、両足を揃えて四足動物並みの速度で走ることができる可能性がある。
<コンピュータ開発> 「エニアック」(副題世界最初のコンピュータ開発秘話:パーソナルメデイア社)という本に目を通した。第2次大戦末期から1960年代にかけてデイジタル・コンピュータの開発を実質的にはじめて成功させた二人の技術者ジョン・モークリーとプレス・エッカートが主として二つの理由で偉大な開発者としての名声と相応の富を得ることが出来なかったというお話である。モークリーは基本的な原理を考えつき、エッカートは緻密な手法でその設計をまとめた。二人はいいコンビでお互いの足らざる点を補い合った。二人の仕事はレーダー・弾道計算など兵器性能改善に躍起だった軍の支持を受け、開発チームが編成されやがてI.B.M.社が設立された。
二人が鳶にあぶらげを攫われた理由の一つはエニアックの開発が結実に近づいた頃チームメートだったハーマン・ゴールドスタインがフォン・ノイマンにプロジェクトを紹介したことによる。モークリーとエッカートがトラブル潰しに夢中になっているうちに、高名な数学者だったノイマンはシステムを体系的に把握し人々に説明しただけでなく、やがて格調高い論文にして彼の名前で発表してしまった。製品開発の天才たちは啓蒙・広報活動は得意でなかった。事情を知らぬ人々は皆今でも第1号のデイジタルコンピュータはノイマンが開発したものと信じている。
失意のモークリーとエッカートはI.B.M. 社を離れ別会社を起こして改良型コンピュータの開発を始めた。彼等は遅ればせながらエニアックの基本特許を取得しI.B.M.その他新興のコンピュータ・メーカに特許使用料を請求して裁判となった。I.B.M.社は昔開発前にモークリーが相談に行ったアナログ・コンピュータの開発者ジョン・アタナソフを引っ張り出した。専門家の目から見ればアタナソフの昔手がけていた製品とエニアックとはかけ離れたものだったが、当時モークリーがアタナソフに出した礼状の手紙が裁判長の心証に影響を与え、その上今後莫大な売上を上げるであろう製品が特許に引っかかるのは公益に反するとの思惑もからんで、大方の予想に反してアタナソフ側の勝訴となり彼は名士になった。開発に夢中だった二人の特許申請が遅すぎて周辺の事情が変わってしまっていたのだ。
エニアックは真空管18000本を使い重量が30トン、冷却は24馬力の換気システムによるという、当時は不可能を可能にしたまさに画期的な、そして今となっては全く馬鹿げた製品である。プログラミングは実に大変だったらしい。データ入力にはパンチカードを使う。この世界が如何に変化が激しいか語るさえ野暮だが、本を読んでいて自分の嘗て身を置いていた環境にいくつも思い当たることがある。@会社には30人ほどのカードパンチャがいた。I.B.M.の大型コンピュータに今でも頼っている。A私の関係した大型ポンプ場ではポンプ主機・補機の運転制御のために1台当りA5判ほどの大きさの継電器を沢山収納する背丈より高い継電器盤がズラリと並んでいた。私はシーケンスのロジック・チェックをしていたが、それを実現するためのハードウエアの大げさなことに疑問はもっても代案までは考えつかなかった。データの入出力、論理処理のためのこれらハードは意外に最近(20年ほど前)まで導入当初に近い旧式の姿を変えないでいた。B最近までアナログコンピュータとデイジタルコンピュータを同列に置いて論ずる人がいた。 人間の頭の切替えは遅いのだ。
また前記の二人に代表される如く、古今東西の真理として有能な人間は決して万能ではないし、人に羨まれる幸福な人生を送るとは限らない。でも死ぬ間際に俺は人に出来ないことをやったという満足感だけは残るだろう。それでいいと思う。

<味噌> 手前味噌ということを云う。日本の地域によって使われる味噌が異なる。なお本件は付け焼刃の知識なので間違いがあれば御免なさい(N.H.K."試して合点"からの取材である)。大別すると北海道・本州を主体に90%弱が普通の味噌、九州と四国の一部で7%が麦味噌、東海地方(愛知・岐阜)で5%が赤味噌である。断わっておくが私は岡崎に住んでいたこともあり以前からこの少数派の赤味噌のファンだ。赤味噌は原料が100%大豆、普通の味噌は大豆60%米40%、麦味噌はその米の代わりに大麦を使う。大豆は蛋白質が多くグルタミン酸の旨みがある。甘味と香りを付与する米が入っていないので慣れない人には赤味噌には不満が残る。
岡崎地方には味噌田楽というのがある。冬の夜の屋台で熱い味噌の中の鶏肉のブツギリとコンニャク・大根を頬張るのが何ともいえない味である。これは絶対に赤味噌でなくてはならない。赤黒い色は発酵過程でできるメラノイジンという色素だそうで、体に毒な活性酸素に対する抗酸化力はこの味噌が断然強いから、健康にとてもよいと"試して合点"のお墨付きが出た。なお味に抵抗のある人のためには赤味噌に米味噌を調合した赤出しというのがあります。
<職人の文化> 現代に生きる日本人の多くが自らの拠って立つべきよすがというものを掴んでいないように思われる。その根底はいずくにあるか、次の本を読んだときに豁然と知らされた。「失われた手仕事の思想」(塩野米松著 草思社)。著書には身の回りから消えていった職人達の手仕事にはどのようなものがあったか、またその要諦は何であったか、次の如き様々な職種について詳しく記している。鍬・包丁を作る野鍛冶、柿屋根を葺く屋根屋、柳行李を作る細工師、葛布織り、釣り針の手作り、箕造り、炭焼き師(備長炭)、木挽き、シナ布、竹(篠竹)細工師、イタヤ細工師、はんぞう、船大工、サバニ大工、川漁師、櫓・櫂職人、石垣積みの石工などなど。日本の野山で入手できる素材を元に如何に巧みに生活に必要な道具を作ったかの智慧が要領よくまとめられていて、これらの仕事師の大半が過去のものとなってしまった今ではこれだけでも貴重なデータベースである。
こういった仕事を貫いているのが輪廻の思想である。例えば炭焼では山を買う。交渉が成立すると杉や松・檜・欅を除く雑木を斧で伐る(チェンソーは若木再生の芽出しが悪いので使わない)。炭焼きが雑木山を伐り払うお蔭で藪や蔦が整理され、建材として残された木は順調に育つ。十五年もするとまた伐った木が再生するので再びリサイクルできる。山ごとに昔窯作りに使った古い石が残っていて、それを積み上げて炭焼窯を築いた。屋根を葺く萱や簾用の葦を刈り取るためには前年の秋から冬にかけて河原に火を入れることで生え揃った材料が入手できる。素材の入手には四季の中でそれぞれ最適の時期がある。自然の輪廻に従えば素材を永遠に使うことができる。無駄は生じない。
職人は徒弟制度という職業訓練の方法で育った。これは人から人への個人的な技と技を支える職業観の伝承である。多くは父から子へと伝えられるが、他所の親方の下へ住み込みで見習いに入るのもある。昔は小学を出るか出ないで行くのがいいとされた。親方は教育のプロではない。口で教えるのではなくやって見せるだけである。もちろん仕事によって相違はあるが、一人前になるのに10年はかかるという。習うより慣れろというように、技は言葉で云っても分るものではない、若い内からその世界にズップリ浸かって体で覚えなければ仕方がないのだと云われてきた。
現代は何でも工場で大量生産をする。安くて手間のかからぬ商品が選ばれ、手直しせず使い捨てを気にしなくなった。プラステイックの材料が均質な素材として多用されるようになった。文化が変わったのである。職人と使い手である消費者は空間を伝わる電磁波の縦波と横波のように互いがいて成立していたのである。支える文化がなくなれば職人も消える。これは経済優先の社会で必然的かつ冷厳な事実で、いい悪いの問題ではない。しかしこの新しい文化の下では多くの未整理の問題がある。使い捨て時代でプラステイック製品を中心に大量の廃棄物が発生している。より深刻な問題として人々が職業と生き方を納得して選ぶ徒弟制度に代わる道がまだ見出されていない。近年会社という組織は以前皆が考えたほど頼りがいのあるシステムではなくなりつつある。経営に行き詰まれば簡単にリストラに走る世の中になった。サラリーマンとしての皆は専門的な職業というものが生活の基盤にそれほど確かに結びつくものでないことを悟りだした。
ゼロ・エミッションなどというが、プラステイックを中心とする工場生産品に対してまた都会生活者の出す廃棄物に対して昔の輪廻の思想は容易に適用できない。職人大学などというが、著者は職人というものは徒弟制度でなければ育たないことを諄々と説いている。後戻りができないとすれば長く安定した手仕事の時代に代えて、どのようなシステムを創り上げれば皆が心安く過ごしていけるだろうか。人類は、いや日本人は果たして転変の激しい現代にうまく適合する智慧を出し、まとめていけるだろうか。
悲観することはない。多くの量産システムの便宜によって昔のように朝から晩まで身を粉にして働かなくても、戦争などしなければそして食っていくだけならば最低限の生活は容易に保証される。先人の智慧も呼び戻して、生き甲斐があり長続きのする安定した生き方を何とか工夫すべきだろう。
<辞書> 「国語辞書」という本を読んだ。本のいわゆる帯には"辞書には日本語の秘密がつまっている!"とあり、また"使い方ひとつで辞書は日本語を知るための最大の武器になる!日本語に関心のある人なら絶対に楽しめる一冊"とあった。ところがその内容たるやどうでもよいような事を事細かにほじくり返している感があって面白くなかった。ただし辞書を編纂する苦労は並大抵ではないこと、正誤表を出せない訳はあとから次々と新たなネタが出るからそれをどうやって利用者に渡すかの問題が解決できないという2事はよく分った。ところで私もこうして些少ではあっても人に文を読んでもらう立場になると、座右に辞書も置いていないのは不遜と反省して、その本のあとがきで推薦している19種を参考に一冊入手した。手が不自由で分厚いものは扱いにくいと小さな「新明解国語辞典」(三省堂)(本の帯に"日本で一番売れている話題の国語辞典!"とある)にした。辞書に完璧を求めたら必ずや裏切られるだろう。日常生活が少しでも便利になればいい。
N.H.K.のある女アナウンサーがニューヨークのアメリカン航空機墜落事故で"旅客機"を"リョキャッキ"と何度も口にするのに抵抗を覚えて早速辞書を開くと、
りょかく[旅客] 「旅人」の意の漢語的表現。りょきゃく。−列車・−機リョカッキ
要するに旅客と旅客列車の発音は"リョカク"でも"リョキャク"でもいいが、旅客機の発音は"リョカク"でなくてはならんと言っている。ついでに"過客"を見ると
かかく[過客] 「道を往来する旅人」の意の漢語的表現。「月日は百代のーにして」
とあって"カキャク"という発音は許さない事が分る。もう一つ"客"を見ると
きゃく[客] 主となる者の側には属さない人。(その他2種の定義の説明があって、いずれも)[「かく」ともいう]
と記してある。単なる"客"を"カク"と発音してもよいというのはおかしいが、複合語として使われる場合を顧慮しているのだろう。一応簡にして要を得ているが、何故そうなるかの説明がないのは小辞典では仕方がないか。